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中国語教育の重要性

 投稿者:星野信也メール  投稿日:2010年 1月 5日(火)20時29分8秒
  イギリス政府が,下記のAFPの記事の通り,中等教育課程からの中国語学習の重要性を指摘して,中国語学習の奨励を始めています. 中国が,2010年には,GDPの総量で世界第2の経済大国になることが既に既成事実化しています.そのことを考えると,ほとんど隣国である日本で,中国語学習熱が高まらないのは不可思議なことです. ぜひ,イギリスに後れを取らないように,わが国でも中国語教育をどんどん中等教育レベルから奨励すべきだと考えて,久し振りに掲示板に入りました. ご意見をお寄せいただければ幸いです. 引用記事:【1月5日 AFP】 英政府は4日、10代の英国民全員が中国語(普通語)を学ぶ機会を持つべきとの認識を示した。世界レベルで中国の重要性が一層高まりつつあるためという。  現在、11歳から16歳までが学ぶ同国の中等学校のうち、中国語を教えているのは7校中1校の割合に過ぎない。エド・ボールズ(Ed Balls)児童・学校・家庭担当相は、学校間の言語教育の協力関係を通じてこの割合を上げていきたいと語った。  英産業連盟(Confederation of British Industry、CBI)が前年行った調査によると、中国語ができる人材へのニーズは高まりつつある。「中国語または広東語」ができる人材を求める経営者は全体の38%で、「フランス語」の52%、「ドイツ語」の43%に迫る結果となった。  前年にGCSE(中等教育修了資格)試験を受けた生徒のうち、外国語科目で中国語を選択したのは前年を16%上回る3469人だった。(c)AFP  
 

アジアにおける日本

 投稿者:星野信也  投稿日:2008年11月21日(金)00時51分10秒
編集済
  100年に一度という国際的金融危機,国際的信用収縮に直面して,世界規模の景気減速を招き,貿易依存度の高い日本にも深刻な影響が出てきつつあります.

日本の為政者は,最近まで,1990年代の失われた10年を通して日本はこうした不況脱出を経験した国として,大きな顔をして日本の経験を世界に売り込もうとしたようですが,世界の景気後退は,日本の経験をはるかに超えたもので,ワシントンで開催されたG20でも,たいして日本を売り込めなかったようです.

そうしたなかで,今度はAPECの開催が予定されて,日本の役割が厳しく問われようとしています.
幸いイギリスの The Economist 誌が,アジアにおける日本の役割の重要性を提起していますから,ご紹介しておきたいと思います.日本がアジアの一員となる大切な機会と考えるからです.

Neighbourliness in Asia

Nov 17th 2008
From the Economist Intelligence Unit ViewsWire
Asian countries lend each other a financial hand

On the sidelines of the G20 summit, China, Japan and South Korea on November 14th said they would expedite a joint effort among Asian countries to help each other weather the global financial storm. Their decision to bolster the existing regional currency-swap arrangement was, like the G20 communiqu itself, only an agreement in principle lacking the nitty-gritty details. But the renewed push for the so-called Chiang Mai Initiative (CMI) by three of Asia's biggest economies means that this brainchild of the regional financial crisis of 1997-98 may at last live up to its promise.

Reeling from a sinking currency and shrinking foreign-exchange reserves, South Korea reached out to China and Japan for concerted action. In Washington, Seoul obtained Beijing's and Tokyo's consent to consider bigger limits for bilateral currency swaps among them. (The current amount between South Korea and Japan is US$13bn, and between South Korea and China is US$3bn.) And the three countries pledged to expand similar co-operation with the ten members of the Association of South-East Asian Nations (ASEAN).
No more faceless international bureaucrats

Under the CMI, launched by ASEAN+3 in May 2000, participating countries can draw on each other's reserves to cover sudden outflows of foreign currency that can seriously destabilise the domestic economy. The idea is that, with closer regional co-operation, Asian countries need not go hat in hand to the IMF or World Bank. During the Asian financial crisis, many Asians felt that they had to sacrifice the independence of their domestic economic policymaking to faceless international bureaucrats.

Indeed, Asian central banks today collectively hold US$3.3trn, or 46%, of the world's international reserves, according to IMF figures. China and Japan alone are sitting on US$2.7trn. Asian economies are also the world's biggest creditors, with the region's central banks holding US$1.3trn, or 48%, of the US government's US$2.7trn in Treasury securities, according to the US Department of Treasury.

But CMI funds remain puny. In May Asian leaders agreed to expand the total from US$6bn to US$80bn, comprising 16 bilateral swaps among eight countries. This is equivalent to only about 2.4% of the region's international reserves. Luckily, no government has yet been forced to tap the CMI. If global economic health continues to deteriorate, however, Asian countries will be glad that they decided to fortify further their financial vaccine now.

The finance ministers of China, Japan and South Korea have proposed to iron out the details of the expanded bilateral currency swaps at a workshop on macroeconomic stability and finance in Tokyo on November 26th. Key issues will include the size of the swaps, activation procedures, and better economic and financial monitoring. Adapting their scheme to a larger multinational setting could follow in early 2009 in consultation with ASEAN members.
The Fed's example

Though the CMI remains unproven, government-to-government swap agreements can be a powerful tool to counter market instability. Just ask South Korea, which saw the won's precipitous slide temporarily reverse in early November after the US Federal Reserve said it would extend a US$30bn swap until April 30th 2009. (Singapore also concluded a pre-emptive US$30bn currency-swap agreement with the Fed.)

The G20 gathering also made it clear that this time the world as a whole must prevent a global economic calamity. No country alone is strong enough to ride to the rescue. In fact, this is a moment many in Japan and China have been waiting for. They have been itching to show that their economic diplomacy can match their financial weight in the world. And Asia is the obvious place to translate all the rhetoric into action. Watch the CMI's progress for an early glimpse of the new global economic order.
 

Homepageの更新

 投稿者:星野信也  投稿日:2008年 8月 5日(火)00時38分56秒
  2008年8月5日にホームページを更新しました.
新規登録した著作の原文にリンクを貼ってありますが,校正の過程で文章が一部変更されていますから,できれば出版物をお読み下さい.

なお,いくつか私のホームページと無関係な書き込みを遅ればせに削除しました.
この掲示板は私のホームページとの関連でご投稿いただければ幸いです.
 

厚生(労働)省の大罪

 投稿者:星野信也メール  投稿日:2008年 1月 6日(日)21時25分27秒
編集済
  最近の年金問題,あまりに杜撰な年金記録の問題,そして早くも怪しくなった「百年安心の年金」について,最大の責任は,ことある事に美辞麗句を弄して実は「どんぶり勘定」と朝令暮改でその場凌ぎを図ってきた本省の側にあり,決して社会保険庁だけが責められるべきものではないことを論じたい.

1.自己目的化した国民皆保険制度
(1)安易な戦前の再現
 わが国の国民皆保険制度化は、既に終戦前にほぼ成立していた体系を安易に再構築してその全国的普及の形で行われた.第1は、1922年に初め労働者を対象に作られた健康保険制度であり、第2に、既に戦時体制が強まったなかで1938年に兵員の供給源であった農山漁村向けに制度化された国民健康保険制度、第3には、1941年にブルーカラー対象の労働者保険として成立し、1944年にはホワイトカラーも加えた厚生年金保険制度であった.
 もはや戦後ではないといわれた1950年代後半、西欧型の福祉国家モデル、とくにその国民皆保障制度体系の導入が目標とされながら、1961年に成立した国民皆保険制度は、固有の理念を欠いたまま、半ば「見せかけ」として成立した.年金保険も医療保険も、それぞれ被用者(職域)保険の体系と地域保険の体系に2分割されていたからである.
 被用者保険の場合は所得の把握が容易で、保険料の徴収は、原則、雇用者の所得税源泉徴収メカニズムに依存できたのに対して、自営業者や退職者中心の地域保険は所得が原則自己申告制でその正確な把握は難しく、徴収も自主的納税、納付に依存したから、安易に一律低所得として扱われることになった.そのため、被用者保険は年金も医療も保険料負担が所得比例の中負担と保険給付も年金が保険料水準と被保険者期間を反映し、医療は定額ないし低率自己負担といずれも中福祉として成立した.それに対し、地域保険は、国が保険者の国民年金で保険料、保険給付の「定額制」がとられて低負担・低福祉として定着し、市町村が保険者の国民健康保険でも、保険料は市町村別に「①所得割額、②資産割額、③被保険者均等割額、④世帯別均等割額」となって市町村別格差は大きいものの、保険料は低負担と保険給付もそれに対応した低福祉として成立した.
 被用者保険の中負担・中福祉、地域保険の低負担・低福祉を一括して国民皆保険と呼べるのか否か大いに疑問だが、中負担、中福祉、低負担、低福祉がいわば保険料負担に対応していたという意味では、それなりの公平性を維持していたといえよう.しかし、医療保険の場合、被用者保険の被保険者は、退職して年金生活に移行すると自動的に被用者保険を離れて地域保険に移ることになる点が、老人医療費の増大とともに、国民健康保険を分立する他の社会保険に先駆けて構造的な財政問題に直面させることになった.
 国民皆保険の法制度は1959年には整備されながら、実際の国民皆保険成立は1961年にずれ込んだ.それは、東京都医師会が、当時顕著であった高度に産業(第三次産業)化した千代田、中央、港などの都心区と、足立、葛飾、江戸川などの多分に農業的なものを残した周辺区との間に存在した大きな税収格差が、そのまま各特別区の国民健康保険特別会計に反映する点に強い懸念を示したからである.その問題は、東京都が、23区の国民健康保険特別会計について財政調整を行い、どの区にも決して赤字を生じさせないことを東京都医師会に誓約し制度化したことでようやく決着し、1961年から多くの矛盾を孕んだ国民皆保険制度がスタートした.この遅延事件それ自体が区市町村の財政力ないし被保険者の保険料支払い能力の格差問題の深刻さを顕示し、最初からわが国の国民皆保険制度が抱える大きな問題点を国民に警告する重大な出来事であった.
(2)保険者機能の機能不全
 被用者のための社会保険制度では、中小企業の被用者の場合は年金も医療も国が保険者、大企業の被用者は、年金では主として企業単位に作られた厚生年金基金が国の厚生年金を代行しつつプラスαについてのみ独自性を持ち、医療では健康保険組合が個々独立の保険者となり、最盛時、いずれも約1,800前後の保険者が成立した.農業その他の自営業者を中心とした地域保険の場合、年金保険は国が単一の保険者、医療保険は全国の区市町村がそれぞれ独立に保険者となっている.したがって、医療保険では、市町村合併が次第に進んできた今日でも被用者保険、地域保険併せて約3,000の保険者が分立している.
 健全な社会保険制度の運営には、保険者がそれなりの保険者機能を発揮し、積立金の効率的運用や、医療供給者への監視機能や交渉力を発揮する必要がある.しかし、約1,800あった厚生年金基金は、国の規制に制約された厚生年金代行部分に巨額の赤字を生じて、近年その代行部分返上が加速化し、現金返還のための株売りが進行して株価引き下げ要因とまで指摘された.医療保険の場合も、約5,000の保険者がありながら、政府管掌健康保険者を除くすべての保険者が医療機関側との重要な交渉手段となりうる医療費支払いを中央、地方の支払基金に集約され、保険者としての独立性は、被保険者の約1/3をカバーし、かつ診療報酬を決定できる政府管掌健康保険者すなわち国にほぼ独占されている.供給者側も、保険指定医の返上を切り札に国相手に診療報酬等を交渉すれば事足りるのである.
 要するに見せかけの国民皆保険制度は、年金、医療ともいったい誰が、何を、どこまでいかに保障するのかという社会保障理念を欠いたものでしかなかったというべきである.

2.被用者保険と地域保険の「どんぶり勘定」化
 国民皆保険目標達成後の社会保障目標は、一方で給付水準をヨーロッパ先進諸国水準に近づけること、他方で分立した制度間の保険料負担格差は棚上げして、制度間給付格差を縮小することにおかれた.そこでは分立する各制度の長期的な財源問題を真剣に検討することなく、次々と個々バラバラにその場しのぎの給付改善が図られた.1980年代までに地域保険は、低負担のまま、給付水準の被用者保険との公平目標から給付は準中福祉に近づいた.1973年は「福祉元年」といわれるが、国民年金給付額は2.5倍に増額されて夫婦5万円年金となり、国民健康保険の給付率は70%に引き上げられ、老人医療費は、医療保険の自己負担分おおむね30%を老人福祉法の老人福祉費が全額負担することで一挙に無料化された.医療保険全般には高額療養費制度が導入されて一部の無料化との均衡が図られた.
 年金保険では、地域保険は低負担、準中福祉となり、負担格差を反映した被用者保険の中負担、中福祉との給付格差が維持されたが、医療保険においては、一方で地域保険に次第に高率の国庫負担金が注入されて給付率が被用者保険家族に近づけられるとともに、他方で高齢者は、画期的な老人福祉費負担導入によって給付率が被用者保険本人を超えたから、高齢者の大多数が地域保険と前提すれば、地域保険の低負担、低福祉は低負担のまま準中福祉と高福祉に達し、被用者保険の中負担、中福祉との給付格差は失われた.
 地域保険の低負担のままの給付格差是正、準中福祉・高福祉化は、当然に、国民年金と国民健康保険を絶えず財政危機状況に陥れることになった.それにもかかわらず次の大幅改革に10数年を要したのは、いわば高度経済成長の趨勢がある程度復活し継続すれば、保険料収入の自然増で問題は解消するという楽観論がどこかに残っていたからであろう.だが、新たな経済環境がもたらす産業構造の変化、農業人口の減少、製造業に代わるサービス産業の拡大が地域保険の担い手を急減させることになったから、1980年代初頭には地域保険は年金も医療もいずれも破綻の危機に瀕し、抜本改革の喫緊の必要に迫られていた.
 しかし、地域保険の破綻救済のために行われた改革は、医療保険も年金保険もあいついで「社会的連帯」による「相互扶助」の美名を掲げて被用者保険と地域保険を部分的に一元化し、いわば「どんぶり勘定」化するものでしかなく、確固とした社会保障理念や長期的視野に立った抜本改革はまったく視野に入れられなかったといえる.
(1)医療保険制度+介護保険制度
 老人福祉法による老人医療費無料化は、高齢者の医療アクセスを大幅に改善したから、第1に、とりわけ老人比率の高い地域保険に重い医療費負担をもたらし、第2に、老人福祉費の年度伸び率の大部分を老人医療費の30%の伸びが吸収することで、漸増主義予算のなかで老人福祉サービスの拡充に著しい停滞を生じた.1982年老人保健法は、老人福祉法を老人医療費30%負担から解放するとともに、原則70歳以上の高齢者について地域保険と被用者保険を段階的に一元化、どんぶり勘定化し、地域保険の直面する財政危機を救済するものであった.2年足らずで退職者医療制度が70歳未満の退職者についてもどんぶり勘定化を進めた.それと共に地域保険には社会保険としてとどまるには限界といえる50%超の国庫負担金が、保険料の低負担はそのままに被用者保険との対比できわめて不公正に注入された.被用者保険の場合、国庫負担金は組合管掌健康保険にはゼロ、政府管掌健康保険に医療給付費の13%、老人保健拠出分の16.4%がやはり不公正に注入されている.
 社会的不公正を棚上げした原則70歳以上の高齢者についての老人保健制度のどんぶり勘定化は、本来保険料納付世代内相互扶助の医療保険に「社会的連帯」の美辞麗句に乗せて「制度・世代間の相互扶助」を導入したもので、分立する各社会保険制度の社会保険原則を著しく損なうものであった.当然予測されたこととして、世紀末には、高齢者医療費の増大に対してどんぶり勘定そのものがもはや維持しがたくなった.そこで新たな救世主として、高齢化社会の不安要因を解消し消費の増大や出生率のアップをもたらし、かつ医療保険制度改革の先駆けになると喧伝して、40歳以上を被保険者として新たな保険料負担を求めながら、保険料収入の1/2をはじめから公費に依存した、社会保険制度としては異例ずくめの「介護保険制度」が新たに導入された.それは老人介護の概念のもとに、老人福祉、老人保健の大部分を吸収し、老人病院など老人医療の相当部分をカバーして医療保険の老人医療費負担を大幅に転嫁し、医療保険制度本体を救済するはずのものであった.
 65歳以上は要介護者として、40歳から64歳はちょうど介護に当たる年代としてそれぞれ被保険者とされた.しかし、欧米では要介護者は65歳以上の1/4にとどまるといわれる高齢者を敢えて強制保険対象とする介護保険制度の年齢区分は、介護と区分し難い高齢者医療のなかで同じ社会的連帯をベースにより広い世代間のシェアを維持する老人保健制度と明らかに矛盾しており、わが国の社会保障制度が理念も理論も欠落させたまま、場当たり的に組み立てられてきたことを立証している.もともと走りながら考えて5年後に見直しをすればよいという介護保険の発想に確たる社会保障理念があったとは考えがたい.
 介護保険制度は老人病院や老人保健施設の老人保健制度負担を介護保険負担に移管することで、介護保険料を上乗せ徴収する医療保険料負担は増えないと宣伝されたが、それでは納まらなかったばかりか、医療保険の負担減は大幅に期待を下回り、それもほとんど1、2年で趨勢に復帰し、ほとんど医療保険制度の抜本改革問題に貢献しなかった.その間、被用者保険の自己負担率が本人について初診料の定額負担のみから、まず医療費の10%、やがて20%、そして間をおかずに30%へ引き上げられた.また、老人保健制度も高齢者の医療費無料化から転換して、しばらくは定額負担であったが、最近は上限付きながら所得階層別に10%ないし20%の自己負担に引き上げられている.こうした保険給付率の引き下げに総報酬制を含めた保険料引き上げを加えれば、低負担、準中福祉・高福祉対中負担、中福祉であった地域保険と被用者保険が、低負担、準中福祉・中福祉対準高負担、準中福祉に転換してきたというべきであろう.それは当然、各世代の医療ケアへのアクセス低下をもたらすに違いない.かつて長らく被用者保険被保険者本人は定額負担のみで医療が提供され、それに老人医療費無料化が加わり、全体的に医療へのアクセスを重視してきた制度目標はまったく見失われている.不公平な地域保険への公費注入を背景に、保険料負担格差との対応を忘れた保険給付率70%への不公正な低標準化をみる限り、社会保障理念や社会的公正の観点はないがしろにされ、この四半世紀は「どんぶり勘定化」をはじめ、問題の先送りにつぐ先送りに終始してきたというべきであろう.
(2)年金保険制度
 年金保険における被用者保険と地域保険のどんぶり勘定化は、1986年にいっそう明瞭な形で行われた.地域保険加入者の大宗を占めた農山漁村人口と都市自営業者の急速な相対的減少によって、国民年金保険の成熟度が急激に高まり、財政破綻に瀕したことに対応して、「社会的連帯と相互扶助」の美辞麗句のもと、国庫負担金1/3の国民年金集中を前提に、国民年金の被保険者を確実に保険料を源泉徴収できる被用者とその家族にまで拡大し、国民年金の財政基盤を一挙に全成人に拡大することに成功したからである.
 医療保険の市町村別国民健康保険料徴収率が多くの場合に90%を割り込んでいることが知られているが、厚生年金保険料に込みで源泉徴収されるのではない国民年金プロパーの被保険者の場合、実に40%近い人々が何らかの形で納付していないといわれ、いわゆる年金空洞化問題として近年きわめて深刻化している.原則積立方式だが限りなく賦課方式に近づいた現行年金制度の「どんぶり勘定」では、その空洞化部分が厚生年金加入者の負担にならないという保証はない.なぜそれほど国民年金の徴収率が低下し空洞化したかといえば、第1に、低負担、低福祉に1/3の国庫負担金を投入して、低負担を維持しつつ準中福祉へ底上げを図ったものの、2階建ての厚生年金との対比で、まだまだ国民年金給付だけで高齢者生活を維持するには明らかに不足すること、第2に、何度も小出しの先送り改正を積み重ねながら一向に安定した年金制度を確立できず、現在の確定給付方式のまま原則積立方式が限りなく賦課方式に近づき、かつ少子高齢化がいっそう進むと想定すると、比較的若い現役世代の場合、厚生年金を含めても、その生涯に払い込む保険料総額とその平均余命に受け取るであろう年金給付総額の差がマイナスになるかもしれないという世代間の不公正問題拡大が広く懸念されることから、とくに若年層が制度に強い不信感を抱くようになったからだといえよう.興味深いのは、この世代間の公正問題を最初に強くアピールしたのはむしろ政府の側だった事実である.それは1986年の年金改革当時から、年金給付額据え置きや引き下げを正当化する議論として盛んに活用された.平均して10%未満の保険料負担しかしなかった退職者層が、現役世代の15%以上の保険料負担で平均給与の60%近い給付を受けるのはいかにも世代間の公正に反するといった議論である.

3.どんぶり勘定の限界
 どんぶり勘定化以後の社会保障制度改革は、産業構造の急速な変貌で窮迫する地域保険の財政危機、したがって国民皆保険体制の修復維持に力点がおかれ、なりふり構わなかったから、年金保険と医療保険双方の社会保険原則すなわち保険料負担と保険給付、世代間扶助と世代内扶助、そして保険料負担と租税負担の関係をきわめて曖昧化・複雑化させた.
 年金保険では、前述の通り、破綻に瀕した国民年金の老齢年金給付を、保険料に対する1/3の国庫負担金を導入してまで新たに国民年金にも加入させた厚生年金加入者がシェアすることになっており、既に、国民年金の国庫負担分を、適当な財源の調達を条件に、画一に1/2に引き上げることが前世紀末に決定されている.この国庫負担分引き上げの効果は、第1に、厚生年金の保険料引き上げ幅を恒常的に圧縮することで世代間の不公正問題を緩和でき、第2に、現行の1/3国庫負担よりも1/2国庫負担の方が国民年金加入の有利さをより強く若者にアピールでき、空洞化問題にある程度の緩和が見込まれるなどが期待されている.しかし、その財源は消費税率の引き上げ以外にあり得ないといわれながら、それと関わって年金制度における世代内の分配とか公正の問題はまったく問われていない.
 長期的には、国際的にもこれまでの確定給付型年金に代わって確定拠出型年金への移行が模索されている.それは世代間の公正問題を解消する最善策だからである.だが、その方向に制度転換するには、一部の現役世代に既退職者への確定給付と自らのための確定拠出の二重の負担を負わせることになりかねない点が、重要なネックとして知られている.
 2003年度「年次経済財政報告-改革なくして成長なしⅢ」(内閣府、2003)は、世代会計の手法を用いて生年世代ごとの受益と負担の関係を推定し、「現在、60歳以上世代では.約6,500万円の受益超となっているが、...将来世代(20歳未満およびこれから生まれてくる世代)においては約5,200万円の負担超となっている.このような結果を解釈するにあたっては、社会保障給付は自分自身が受け取る以外に、老親に対する私的扶養がそれによって代替されるなどの間接的な受益もあり、逆に社会保障給付がなければその分私的負担に置き換わっていくこと等に留意する必要がある.しかし、高齢化・人口減少が進行するなかで現行制度を維持した場合には、生年世代によって受益と負担の程度が異なるという世代間格差の問題を大きくし、社会保障制度を中心とする公的部門の持続可能性に問題を生じさせることになる」(同書, pp.210-211)と警告している.これまで厚生労働省は、世代間の年金給付額と保険料負担について前回1999年の年金財政再計算では、本来そういう計算はすべきでないがそれを敢えてすれば、1929年生まれの10.8(10.8)倍に対し1999年生まれは1.5(1.6)倍(括弧内は国民年金の国庫負担率を1/2に引き上げた場合)で決して払い過ぎの損にはならないと社会的連帯に安住していたが、2004年改革で保険料率を18.5%へ上限固定し、新たにマクロ経済スライドや有限均衡方式7)を導入した保険給付の調整を通して、この不公正格差が1935年生まれの8.2倍に対して2005年生まれの2.3倍にまで改善する試算数値を公表している7).計算上の問題点はさておき、これらは不公正格差の大きさを改めて白日の下にさらしたもので、不信感を解消するにはほど遠い.だが、ようやく打ち出された保険料率の上限設定、新たなスライド方式導入等による保険給付の段階的引き下げは、先送りされた確定拠出方式への第一歩と見ることができよう.
 賦課方式でも年金と違って保険料納付世代内相互扶助の医療保険では、被用者保険の若者が、50%以上の国庫負担金を受けた地域保険から30%租税負担の老人保健に分離された高齢者の医療費に同一高齢化率を想定した拠出金をシェアすることで、医療保険固有の保険原則を逸脱している.国民健康保険はもともと保険料支払い見込みのない被生活保護者は保険から排除し、厳しく保険原則を強調していることを忘れてはならない.
 どんぶり勘定の限界は、年金保険制度以上に医療保険制度でいっそう喫緊の必要事となっている.大多数の医療保険者が赤字に苦しむなかで、本来の医療保険業務では黒字だが、老人保健拠出金を加えると大幅赤字になる保険者が増大しているからである.この限界を脱却する方策として、現行制度の重い負担となっている老人保健制度を廃止し、①保険者の再編・統合、都道府県単位を軸とした保険運営を前提に、被用者保険と地域保険を年齢構成や所得に着目して財政調整し全年齢をカバーしようとする考え方、②被用者保険と地域保険から後期高齢者(75歳以上)医療保険制度を独立させて高齢者にも応分の保険料負担を求め、若年世代支援は規模を縮小して維持しようとする考え方が、たたき台として提案されている8).しかし、いずれも抜本改革としては不足するといわなければならない.
 社会的連帯を唱ったどんぶり勘定化の最大の問題点は、第1に、地域保険加入者の所得把握を正確に行おうとする努力を怠った行政の怠慢と、第2に、国庫負担金を、一方では被保険者が全成人に広がった国民年金に所得の多寡を問わず画一主義で注入しながら、他方では医療保険の地域保険に、その被保険者は全般に低所得者と前提して、1/2超の国庫負担金を被用者保険との対比で不公平に注入している重大な社会的不公正にある.

4.基本理念を欠き矛盾に満ちた社会保障制度の朝令暮改
 わが国ほど社会保障政策から「貧困」とか「所得格差」問題、EUの表現ではSocial Exclusion9)、といった論点が忘れ去られた国は先進諸国のなかでも珍しい.その現れが、一方ではこれまで論じたように、社会保険で保険料と租税とを「どんぶり勘定」化し、被保険者の所得の多寡に関わらず画一主義で、もしくは低負担の地域保険に特定して不公正に租税を注入し、租税と保険料をまったく無原則かつ融通無碍に扱いながら、他方では、100%租税負担による生活保護制度をこれ以上減らしようがないところまで厳しく矮小化し、社会保障制度の一環ではなくむしろ社会福祉の範疇に押し止めてきた事実である.
(1)無責任体制
 このように基本理念を欠き,矛盾に満ちた社会保障制度の朝令暮改の実施を押しつけられてきた区市町村や社会保険庁が,強い使命感を持って,正確に業務を実施してこなかった事実が,厚生労働大臣をして,人ごとのように「これほど杜撰だったとは思いもよらなかった」という表現で国民に周知されることになった.
 他方で,薬害肝炎問題で,厚生労働省の責任を認め,被害者に謝罪する法案が可決されようとしている.それは厚生労働省という行政庁の責任を,司法府の勧告に従って,国会という立法府が国の責任として認めるという,三権分立の本旨に反した行政庁の無責任体制を後世に残すものである.
 年金問題でも,薬害問題でも,未だに行政庁の責任の所在がまったく問われていないのはまことに不可思議なことである.
(2)行政責任の取り方
 筆者は,これだけの大問題を引き起こしながら,行政庁の誰も責任を取らないのは不思議でならない.厚生事務次官と社会保険庁長官が更迭されただけで済むほど問題は小さくない.
 大胆に提起すれば,第1には,内閣総辞職が行われて当然である.第2に,厚生労働省の課長級以上の職にあった者の退職金を,時効の成立しない範囲で,一斉返還させて然るべきであろう.第3に,そこから様々な関連団体に天下った者の一斉退職を求めて然るべきであろう.

(以上は大部分を筆者の2004年の論文:「社会的公正へ向けた選別的普遍主義」福祉社会学会紀要1、2004.によっている.注の上付数字は省略し,付図表も省略した.関心の方は,筆者のホームページから同論文を直接参照されたい)
 

北朝鮮問題,核廃絶問題,拉致問題

 投稿者:星野信也メール  投稿日:2008年 1月 2日(水)00時55分26秒
編集済
  北朝鮮問題についてわが国はアメリカ,ロシア,中国,北朝鮮,韓国,日本の六カ国協議に参加しつつ,わが国にとっていわゆる「拉致問題」が最優先課題であると主張し,とくにアメリカに同調を呼びかけながら,北朝鮮の核施設解体に見合う援助への参加を拒否している.
このわが国の態度に筆者は大きな疑問を感じるので,ここに反対意見を提起したい.

1.唯一の被爆国日本
(1)アメリカ人と広島,長崎
筆者は1969年から72年にかけて,アメリカ,ボストン郊外のブランダイス大学フローレンス・ヘラー大学院博士課程に留学していた.
そこで大学内外の多くのアメリカ人と知り合いになったが,何人ものアメリカ人(大学院の指導教授を含む)が,私に,「アメリカは日本に原子爆弾を投下して多数の一般市民に死傷者を出したが,それは日米の何10万,何百万の人命を救うための手段として是認,容認されるものだ」と話しかけてきた.まったく悪びれることなく話しかけられたのである.
私は,その度に,「アメリカが原子爆弾を投下したのは,第2次大戦後のアメリカの覇権を確保し,Pax Americanaを確立するためであって,人命を救うためでも何でもなかったのだ」と声を大にして主張し続けた.
私は大2次世界大戦終戦の年,北京で日本人中学校1年に在学しており,短波放送でアメリカがグアム島から発信する日本向け放送を聞いていて,1945年4月以降の日本の戦況を知っていたし,いわゆるポツダム宣言の受諾に向けた7月以降の日本の動きもアメリカからの情報として聞いて知っていたのであり,かなり前からアメリカは,終戦時の日本の鈴木首相を第二のバドリオ政権(イタリアでムッソリーニのあとを継いで敗戦を受け容れた人)として喧伝していたのであり,日米の百万の人命を救うための原子爆弾投下の必要性などまったくないことは,アメリカ側は既に十二分に承知していたのである.

私の指導教授の下にはインドからの留学生がおり,当時,国境線を巡って中印紛争が起きていたが,その点についても私は,それはイギリスがインドを植民地化し,さらにアヘン戦争などを通じて香港の植民地化など中国への優位を確立していたイギリスが勝手に植民地インドに有利に引いた国境線を巡って,中国が正当な主張をしているので,インドを正当化する理由はないと主張した.
「もう何年も認められてきた国境線を今頃になって数百年前に戻そうとすれば紛争が起こるに違いないではないか」という反論に対して,私は,「アメリカは歴史を2000年も戻してイスラエルを建国したではないか」と反論して譲らなかった.

こともあろうに,私が留学していたブランダイス大学は,ユダヤ人がイスラエル建国に対するアメリカの努力に謝意を表明すべく,ユダヤ人の寄付を基にして建学され,それまでアメリカ人として最も高い尊敬を集めていたユダヤ系アメリカ人,ブランダイス連邦最高裁判事の名を冠して作られていたのである.
私の上記の発言はたちまち学内に広がり,私の学内の立場はかなり厳しいものになったことを忘れられない.

(2)Pax Americana
個人的人間関係の問題はさておき,アメリカ人が広島,長崎への原爆投下を無邪気に正当化し,それによって確立させたPax Americana を,アメリカが「核不拡散条約」を定めて,国際連合の安全保障理事会拒否権保有5大国メンバー以外への核保有拡散を頑強に武力を行使してでも抑圧しようとしていることは,一方ではインドとそれと敵対するパキスタンの核保有を容認しながら,他方では,石油利権確保も絡んで,大量殺戮兵器保有疑惑をでっち上げてまで泥沼化させて近年現在進行形のイラク戦争,アフガン戦争,対イラン挑発行為が,如実に物語っている.
北朝鮮を巡る六カ国協議の進行は,アメリカが核不拡散を戦略的に操作しようとすることを如実に示したものであり,北朝鮮が中国,ロシアに加担するのを恐れたアメリカの戦略的思惑から端を発している.

2.唯一の被爆国日本の取るべき立場
(1)朝鮮半島への謝罪とアメリカはじめ超大国への核廃絶要求
こうしたアメリカの独善的戦略に対して,日本の取るべき立場は第一に,アメリカのいう「核不拡散」ではなく,「核廃絶要求」をアメリカを初めとした大国に突きつけることである.
北朝鮮を巡る六カ国協議における日本は,この核廃絶要求を引っ込めた日本が,アメリカの核の傘に入れていただく幻想を抱いた滑稽な発想でしかない.
そこでいわゆる拉致問題を人権問題としてわが国の最重要課題に祭り上げたのは,アメリカが広島,長崎で犯した人道,人権に対する大罪を不問に付することを明確化した,あまりに愚かで嘆かわしい政策である.
政府,民間団体が列をなして拉致問題解決へのご協力をアメリカにお願いに出かけ,テロ支援国家の指定を外そうとする米朝関係に介入するなどは,卑屈な日本国民裏切り外交以外の何物でもない.時あたかも,防衛大臣が広島,長崎への原爆投下は「仕方がなかった」とする発言をしたのは,日本政府の政策を正直に物語ったもので,個人の辞任で済ますべき問題ではなかったはずである.
第二に,歴史的順序からいって,わが国はまず朝鮮半島を植民地化して犯した巨大な人権侵害を南北朝鮮に正当に謝罪し,個人単位に賠償してから,はじめて拉致問題の解決を求めるべきであり,順序を逆にしたアメリカ追従・依存外交は,アジア諸国が決して容認してはいないことを認識すべきである.

(2)アジアのなかの日本の再確認
わが国の中で経済的に取り残された沖縄経済は,米軍基地に大きく依存している.しかし,目を他のアジア諸国に向けると,隣国フィリピンでは,多大の経済的損失を覚悟して,約10年前に米軍の空軍と海軍基地の撤収を求めている.
それはフィリピンのASEAN諸国における地位を低下させてしまったことは事実であるが,隣国として日本が,アメリカに遠慮して,平和的なフィリピンの再生発展に貢献しようとしなかったことは,アジアに後々までしこりを残しかねない.
日本はフィリピンを置き去りにして,既に経済発展に向かい始めたマレーシャ,シンガポール,ブルネイ,そして中国,インドにどんどん経済関係強化,投資増大を図ってきたということがある.資源小国日本にはそうした選択しかなかったというのであろうが,隣国を飛び越した関係強化が,隣国の政治的・経済的安定にプラスになるとは考えがたい.
 

音楽時評のブログ

 投稿者:星野信也メール  投稿日:2007年12月31日(月)14時45分5秒
  掲示板で音楽時評を書いてきましたが,ホームページの固いイメージもあって,アクセスが少ないので,別にブログを立ち上げて,音楽時評を日記風に書くことにしました.アドレスは=http://blog.so-net.ne.jp/shoshino/ です.
是非こちらのブログの方へアクセスしてコメントを寄せて下さい.
宜しくお願いします.
 

2月の最近の音楽会

 投稿者:星野 信也  投稿日:2007年 2月24日(土)18時36分38秒
  少し間が空いてしまいました.2つのコンサートに行き損なったからです.その1つ,サカリ・オラモ指揮,フィンランド放送交響楽団は風邪をひいていて,2日後にどうしても外せない会合があって,残念ながら見送りました.会場が慣れないミューザ川崎だったこともあります.
2つ目は,もし時間を正しく認識していれば,その重要な会合から後半には回れたはずのものでしたが,如何せん,開演時間を19時と思い込んでいたのが14時開演で,会場に行った時には,紀尾井ホール本体の照明は消えていて,小ホールだけが開場された状態でした.東京クワルテットを聴くはずだったのです.
それでこの間に行ったのは,いずれも今週に行った新日本フィルの室内楽シリーズ,第一生命ホールの水曜日のカルテット,NHK交響楽団のB定期,そして武蔵野文化小ホールのツェートマイヤー・カルテットでした.
新日フィルの室内楽は,まあ同じ楽団員が臨時に組んでやる室内楽ですから,よく弾いているなとひたすら楽しむことを目標にしています.中から常設のカルテットが育ってもいいのにと思っていますが,なかなか巧くいかないようです.来シーズンも1日に1曲は弦楽四重奏をやるということですから,期待は捨てないで居ます.
第一生命ホールのパシフィカ・カルテットはアメリカの常設で,リンカーン・センターとシカゴ及びイリノイ大学のレジデント・カルテットだそうですが,一級の名演を聴かせてくれました.メンデルスゾーンの第1番,ヤナーチェクの「ないしょの手紙」,そしてベートーベンの130番に133番の大フーガを付けた大曲を加えた楽しい演奏会でした.かつてコンクールでクス・カルテットに1位の座を譲ったとありますが,今では一流のカルテットに成長したといえましょう.日本人並みに小柄な女性シミンが第1バイオリンを弾いてリードしているのがたいへん心地よく響いていました.メンデルスゾーンでは第2楽章で「あっこの曲」と思い出させる親しみ深い曲が出てきます.ヤナーチェクは晩年の人妻への強い恋愛感情につつまれた起伏に富んだ名曲,ベートーベンの130番は恐らく彼晩年の最高の弦楽四重奏曲と思われる名曲です.
N響のB定期は,アシュケナージの指揮で,珍しいシグルビェルンソンのスマルトーナル,エルガーの「なぞ」,そしてR.シュトラウスの「英雄の生涯」でした.「英雄の生涯」でのソロコンマスの美しいソロパートが長く続くのが綺麗だったことを別にすれば,近頃のN響は定期を弾き流してこなしているという感じがしてあまり楽しめません.
東京のオケで一番高額なこと,役にも立たない「フィルハーモニー」を抱き合わせで買わされていることなども不愉快で,その不快感が昨年末の第9の演奏会で上岡さんの指揮に妥協を求めて「普通の」演奏にしてしまったこと(第2バイオリンのホームページ「アンサンブルクラルテ」にとくとくと書いてありますから是非参照下さい)から一挙に高まってしまったようで,合計6年余の海外生活期間を除いて半世紀も続けてきたN響定期会員をもうやめにしたいと考えています.
それから昨日武蔵野文化小ホールで聴いたツエトマイヤー・カルテットは,今年いちばんの聴きモノでした.最初に驚いたのは,カルテットが譜面台を排して全曲暗譜で演奏したことです.ブルックナー,ヒンデミット第4番,そしてベートーベン最期の作品135番という意欲的な構成でカルテットを楽しませてくれました.
譜面台を排したほかに,第1バイオリンの隣にビオラ,第1バイオリンの向かいに第2バイオリン,その奥にチェロという珍しい配置でした.ベートーベンは2日前に聴いた130+133と続けて135を聴けたことはたいへん幸せなことだったと思います.この遺作のなかで唯一重厚な第3楽章の名演はしばらく忘れがたいモノです.
 

フランツ・ブリュッヘンの名演

 投稿者:星野 信也  投稿日:2007年 2月 5日(月)01時14分22秒
  昨日の午後はマティネーで新日フィルの扉シリーズ(通称名曲シリーズ)にトリフォニーホールに行ってきました.指揮者は古楽演奏で有名はフランツ・ブリュッヘンで,私は7日にも聴きに行くのでまとめればよいのでしょうが,我慢できなくて書いています.
曲目はハイドンの104番「ロンドン」シンフォニー,そしてベートーベンの最初の第1番交響曲とブリュッヘンならではの選曲でした.
楽器の並べ方も左に再1バイオリン12人,右に第2バイオリン同じく12名,中間にヴィオラ8人,チエロ7人,そして管楽器の後ろ,最後部に6人のコントラバスを並べ,右後方にご丁寧にバロック・チンパニーを置くという古典的タイプでした.何よりも良かったのが,弦楽器全てが完全にノン・ビブラートを守ったことです.昨年のN響でノリントン指揮のモーツアルトを聴きましたが,ノリントンの指示にもかかわらず,ノン・ビブラートは不徹底でしたが,今回は完璧でした.お蔭で私がこれほど澄んで綺麗なオーケストラ演奏を聴いたことがないと思うほど清冽な音で一体感のある見事なアンサンブルでした.
7日にはモーツアルトの39番,40番をサントリーでやってくれますから,まことに楽しみです.特に39番はノリントンN響と同じホールで較べることが出来ます.
 

1月後半の音楽会

 投稿者:星野 信也  投稿日:2007年 2月 1日(木)16時17分27秒
  前回がN響批判に終わってしまい,申し訳ありませんでした.
18日木曜日に,N響の他,アルティ弦楽四重奏団そして藤原真理誕生日バッハ無伴奏曲演奏会とトリプってしまったので,N響を初日に振り替えて貰い,木曜日にはアルティに行き,藤原真理はチケットをワイフに夕食代付きで回しました.
N響は,今月は名誉音楽監督のデュトワ指揮で,ラベルの「優雅で感傷的なワルツ」「左手のためのピアノ協奏曲」そして後半がチャイコフスキーの「悲愴」という曲目でした.ラベルのワルツもピアノ協奏曲もデュトワさん好みの曲で,いずれも秀演であったと思います.ただ,「悲愴」は,器用にまとめられたという感じを拭えませんでした.指揮の巧さという点で,デュトワは第1級の人だと改めて感じました.
ただ,N響批判を繰り返しますと,N響は,このB定期プロで20,21日と足利,名古屋で地方公演をやったようですが,N響楽員のブログを読むと,団員のやりくりでやむなく名古屋では第2バイオリンから第1バイオリンに人を回したとあります.楽員が本業を忘れてアルバイトに精を出すのはいい加減にして欲しいものです.別の面でいいますと,前に管楽器でソリストとしても知名度の高い人を病欠の主席に変えて出演させながら,プログラムに折り込みを入れることもしなかったことがあり,非礼ではないかと文句を付けたのですが,つい最近もゲストコンマスを明記しなかった例を聞いています.

翌日のアルティはたいへんな聴きものでした.私はながらくカザルスホール・レジデント・カルテットだったハレー弦楽四重奏団をほとんど欠かさず聴いていましたが,カザルスの身売りで同四重奏団がその後JTアートホールを最後に解散してから,古典四重奏団を別にして,優れた四重奏団に恵まれませんでした.それがハレーではヴィオラを弾いていた豊島さんが矢部達哉と第1バイオリンを分かち合い,ヴィオラに今最も充実した川本嘉子,そして京都在住でこのカルテット創設の呼びかけ人になった上村昇さんがチェロを弾くという豪華メンバーで,京都のホール名を冠してアルティ弦楽四重奏団と名乗って定期的な演奏会を持つというのですから楽しみです.
この日は東京で初めてのお目見えだったせいもあり,べートーベン後期の作品131と132という大曲の組み合わせで,何曲をよく弾き込んで実に見事なアンサンブルを聴かせて貰いました.第1曲と第2曲で第1バイオリンが矢部さんから豊島さんに交代していたのが興味深く観察できました.おそらく今後もこのスタイルでいくのだろうと思われます.
20日には武蔵野文化会館小ホールにアンドレアス・カラシャクが「美しき水車屋の娘」をテノールで歌うのを聴いて来ました.このホールで主としてオペラ歌手が声量を上げて歌うのを聞き慣れた私には最初の曲が随分と抑制されて聞こえましたが,曲が進むにつれて,1曲1曲に深みを出そうとしているのが分かり,すっかり引き込まれて聞き惚れました.まだ若いのですが,熟達したほとんどこのホール専属の斉藤雅広さんの伴奏に支えられて名演を繰り広げてくれました.
次は23日に行ったシュテファン・ビスのピアノで特にその中のベートーベンの作品109のピアノソナタに注目して聴いてきました.NHKハイビジョンでダニエル・バレンボイムが「ベートーベンを弾く」という番組があり,その中でバレンボイムが公開レッスンをやっていたなかに,シュテファン・ビスが作品 109を弾いて,バレンボイムがアクセントの付け方についてアドバイスをしていたのを最近見たからです.その日のビスは見事に哀愁を帯びたこの曲を弾きこなしていて,24歳という年齢から見て,将来を大いに嘱望させるものでした.
翌24日には新日フィルのメンバーによる室内楽演奏会にトリフォニーホール小ホールに出かけました.前半ではアルティに出ていた豊嶋泰嗣が第1バイオリンを弾いてモーツアルトの有名な弦楽五重奏曲,後半はファゴットの河村幹子さんを中心にタファネル作曲木管五重奏曲ト短調を聴かせてくれました.オケのメンバーが少人数で合奏を聴かせてくれるのは,名人芸を期待してはいけませんが,いつもなごやかで楽しみなものです.
続けて25日にはトリトンの第一生命ホールで始めた「はじめてのクラシック」という11時半開演のいわばランチタイム・コンサートで,第1回が矢部達哉のベートーベンノのスプリング・ソナタを中心にした楽しい,奏者の語りも入った演奏会でした.これから毎月やるということですからこれも楽しみです.
30日には一連の宮本文昭フェアウエル・コンサートの1コマで,しかし小山実稚恵が昨年新装なった杉並公会堂のピアノ部門アドバイザーになった最初の協演コンサートでした.宮本さんの実力の程は紛れもない最高クラスですが,それよりも彼がオーボエ吹きをこの3月31日で打切りにしようとする理由について,「こうすればオーボエ吹きを極められると思ってそれを達成するとまたこれもやらなば...となって際限がなく,極めるまどというのは無理だと分かったからだ」と語ったのが凄く印象的でした.NHKのスタジオバークに出た時は「オーボエ吹きは音楽家の中でもたいへんで,毎日,細い竹を削ってリードを作り続けなければならず,それも100本削って満足のいくのは1~2本だから...」と語っていたのと合わせて,ほとんど頂点を極めた音楽家の気持の揺れを聞けたのが変ないい方ですが嬉しいことでした.アンコールを2曲やり,サンサーンスの白鳥のあと,NHK朝のテレビ小説「あすか」のテーマ曲で締めくくって大喝采をはくしていました.
最後が31日に行った第一生命ホールでのカルテット・ウエンズディのクアルテット・エクセルシオーでした.私はこのシリーズ券を買っているのですが,常識的なシリーズ券と違ってここのシリーズ券は時々シートが変るホール側にも観客にも無用の手間をかけた奇妙なホールなので,思い切ってシリーズを同じ席で聞けるところに変えて貰ったのですが,ひとつ大きな発見がありました.それは弦楽器の音が上に上がって来るということです.平土間で聴いているより音がよく聞こえます.ただ,ゆったり座っているとカルテットのうちの2.5人しか見えない欠点がありますが,それでも今の2階席の方がいいですね.
ただ,当夜の演奏には不満があります.このカルテット何を思ったか「世界めぐり」シリーズを観客に押しつけて,当夜はイギリスだったのですが,教職退職後,美術と音楽の歴史を勉強し始めて,改めて作品の時代背景の重要さに気づかされた者からいうと,大いに不満が残りました.前に小澤征爾がボストンで酷評を受け続けた理由のひとつが,スコアの勉強だけして,作曲家やそれぞれの曲の時代背景をよく勉強していないという点にありましたが,このカルテットメンバーについてそれがそっくり当てはまります.「世界めぐり」はこれで最後にすると書いていますから,まあこれからに期待しましょう.
 

N響批判

 投稿者:星野 信也  投稿日:2007年 1月28日(日)17時34分16秒
  NHK交響楽団のB定期の18日木曜日を17日水曜日に繰り上げて行き,木曜日にはアルティ弦楽四重奏団の演奏会に行ってきました.
私がN響を2日目にしているのは,どうも近頃のN響はサボりぐせがついたようで,リハーサルにせいぜい2~3日しかかけず,しかもリハーサルだけでパート練習などはほとんどまったくやっていないようだからです.2日目に行けば,少なくとももう1度ゲネプロが加わって少しはマシになっていると思えるからです.
その好例は昨年末のN響の第9でした.上岡さんという日本人でヨーロッパ中心に活躍しているごく少数の指揮者の1人で,大いに期待していたのです.
私はかつてNHKから小澤征爾指揮の第9(当時は12月定期公演)をキャンセルするという電報を受け取った苦々しい経験を持っており,それ以降,N響の第 9を実際に聴きに行くことはないのですが,N響のN第9は毎年初日がチャリティ公演なので,放映権料もそこえ加えるべく,初日がTV録画されて放映されています.年末にそのTVを複数回見せられて私は上岡さんが第1,2楽章をほとんど苦悶の表情で指揮していたのがたいへん気になりました.
何かあったのだろうと私はN響団員でホームページを持っている人何人かの日記ページを読んだのですが,それで知ったのは,あの大曲のリハーサルが僅か2 日,初日の午前中にゲネプロをやって直ぐ午後に本番だったということです.そして初め今年の第9は変っている,早く終わると書いていたものが,本番になると普通になってきたと書かれていたのです.その間N響団員が指揮者に合わせるためにパート練習をしたなどとは何処にも書いてありませんでした.私の上岡さんなら日本でお馴染みになりすぎてマンネリ化した第9を新鮮なオーケストレーションで聴かせて貰えるだろうという期待は見事に裏切られたのです.
N響批判ついでに続けますと,N響はいつの間にか一時無くなっていた昔のプログラム「フィルハーモニイー」を機関誌と称してまず3ケ月に1回で復活させ,続いて定期演奏会のある毎月,年9回に復活させています.そのため定期会員は入口でプログラムを貰いながら,別に予め購入したチケットに付加された「フィルハーモニー」引き替えタブを持って引換所にいって「フィルハーモニー」を受け取らねばならず,定期会員以外は「フィルハーモニー」を300円で購入する形にしなっています.
その2本立てになってかなり長い間,N響の入口で受け取るプログラムは,「演奏会日程」と演奏者紹介,プログラムノートから成り,いわゆるプログラムの体をなしていなかったのです.つまり他所の音楽会では,演奏をぼんやり聴いていて,はて今どの曲のどの辺だろうと思っても,プログラムには「演奏会日程」に曲目だけ並んでいて,個別の曲の楽章構成,楽章ごとの速度表示はプログラムノートのなかを探さないと見つけられなかったのです.こんな無茶なプログラムはないと私は何度も会場のN響デスクに苦情を言い続けたのですが,ようやくまともなプログラムが掲示されるようになったのは,ようやく昨年の春からです.
話を「フィルハーモニー」に戻しますが,N響B定期は会場のサントリーホールが今年4月から4ヶ月間は修理期間に入って使えないため,上野文化会館を「東京の音楽の殿堂」とPRして,そこでB定期代わりの演奏会を続けることになっています.そしてそのチケットを受け取って気がついたことは,これまでと同じ大きさのチケットの左端にあった「フィルハーモニー」引換券が白紙になっていることです.会員権が若干安いのは会場費がサントリーよりも上野文化会館が安い所為だろうと思っていたら,実は機関誌「フィルハーモニー」代も差し引かれていたからだということです.
そこでN響に文句をいいたいのは,今までN響は,定期会員にチケット代+プログラム代に抱き合わせで,さほど面白くもない「フィルハーモニー」を買わされていたことです.このいわゆる「抱き合わせ販売」は明らかに消費者保護法に違反する行為だと思われます.
長くなったので,今日はN響批判で終わりにします.
 

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