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リカードの労働価値説の克服

 投稿者:杉本  投稿日:2009年10月11日(日)02時45分13秒
  通報 返信・引用 編集済
  自由ネコさん
>そこで、マルクスはいったん“もの”そのものに戻り、それが人間の労働によって作られた生産物であるという点に着目します。そして、その属性Xを「価値」と名付け、そうした側面からみた労働つまり継続時間のみから量られた労働を「抽象的人間労働」と名付けます。

リカード学説から外れゆくトレンズを評したマルクスの論文に次のものがあります。そもそも労働価値説にたいしてマルクスはどんな論評をしていたのでしょうか?そのことをまず見ていただきましょう.

R・トレンズ『冨の生産に関する一論』
「商品そのものの生産費は、その生産過程で消費される資本の価値すなわち商品のなかにはいる対象化された労働の量・プラス・その商品に支出される直接的労働の量から成っている。商品に消費される「実現された労働」・プラス・「直接的労働」の総量が、商品そのものの生産費を形成するのである。
商品は、ただ、このような実現された労働と直接的労働との量の産業的消費によってのみ生産されうる。これこそが、商品が生産物として商品としてまた使用価値として生産過程から出てくるための条件なのである。そして、たとえ利潤または労賃が変動するにしても、現実の労働過程の技術的な諸条件が同じままであるかぎり、または同じことだが、労働の生産力の与えられた発展に変化が起こらないかぎり、商品のこういう内在的な生産費は同じままなのである。
このような意味からすれば、。商品に支出される生きている労働と、資本家によって支払われる生きている労働とは違うものである。したがって、最初から、資本家にとっての商品の生産費(彼の前貸ししたそれ)と、商品そのものの生産費つまりその価値とは違っているのである。商品の価値(つまり商品そのものに費やされるもの)のうち、前貸しの価値(つまり商品が資本家に費やさせるもの)を越える超過分が、利潤を形成するのであって、それゆえ、この利潤は、商品を、その価値よりも高く売ることからではなく、資本家によって支払われた前貸しの価値よりも高く売ることから、生ずるのである。
このような生産費の規定、すなわち商品の価値に等しい、言い換えればその生産に必要な労働時問(実現された、および直接的な)の総量に等しい、それの内在的な生産費の規定は、依然として商品生産の基礎的条件であり、そして、労働の生産力が不変であるかぎり、不変のままである。」(『資本論草稿集』7P114〜115)

マルクスによりここに述べられた
「商品そのものの生産費は、その生産過程で消費される資本の価値すなわち商品のなかにはいる対象化された労働の量・プラス・その商品に支出される直接的労働の量から成っている」とは、
単純明快に――「商品の生産費はその価値に等しい」ということであり、、商品価値を対象化された労働+生きた労働によって規定することに同じであろう。

このことを、労働価値説として表したのに次ぎの見解がある.

(8) 労働価値説の有効性
「商品をたがいに交換するという観点からみて、商品が共通にもっている唯一のものは、これらの商品が、すべて抽象的人間労働によって、つまり、生産者がみな交換のための財貨を生産しているという事実の結果として、等価を基礎にしてたがいに関係しあっている生産者によってすべて生産されている、ということである。商品の共通の性質は、したがって、それらが抽象的人間労働の産物であるという事実にあるのであり、その交換価値、交換可能性の尺度を提供しているのがこの抽象的人間労働なのである。したがって、それらの交換価値を決定するのは商品の生産における社会的必要労働という性質なのである。」『マルクス経済学入門』マンデル)

「商品の共通の性質は、したがって、それらが抽象的人間労働の産物であるという事実にある」から、価値とは労働生産物の属性であり、その尺度は社会的必要時間によって与えられる・・という見解になると思える。

これがマルクスの労働価値説・・・・とはまったく溜息ものですね。
なるほど価値の実体は、抽象的人間労働で、人間的労働力の一般的支出ですが、「同等な人間労働」という規定があったはずです。私的労働であるに関わらず社会的労働の実現形態になるのはこの同等性の規定によるものです。(「職布、即ちリンネルを生産する私的労働が、同時に一般的な社会的形態に即ち他のすべての労働との同等性の形態にあるのである.」(資本論C一般的価値形態)つまり、使用価値が価値の現象形態になる価値形態で抽出されるのが、抽象的人間労働なんです。

リカードを批判してマルクスさんこう述べています.
「われわれが、価値としては諸商品は人間労働の単なる凝固体であると言えば、われわれの分析は諸商品を価値抽象に還元するけれども、商品にその現物形態とは異なる価値形態を与えはしない。」

「たとえば、上着が、価値物として、リンネルに等置されることによって、上着に潜んでいる労働がリンネルに潜んでいる労働に等置される。ところで、たしかに、上着をつくる裁縫労働は、リンネルをつくる織布労働とは種類の異なる具体的労働である。しかし、織布労働との等置は、裁縫労働を、両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間労働という両方に共通な性格に、実際に還元する。このまわり道を通った上で、織布労働も、それが価値を織りだす限りにおいては、裁縫労働から区別される特徴をもっていないこと、すなわち抽象的人間労働であること、が語られるのである。異種の諸商品の等価表現だけが・・異種の諸商品にひそんでいる、異種の諸労働を、実際にそれらに共通なものに、人間労働一般に、還元することによって・・価値形成労働の特有な性格を表すのである。」(資本論一章三節註17a段落)

「しかし、織布労働との等置は、裁縫労働を、両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間労働という両方に共通な性格に、実際に還元する」他の訳では「事実上還元する」と述べている。

これは三節であって、一節ではこう述べられていないと反論があるでしょう.しかし、一節でも、
「しかし、x量の靴墨、y量の絹、z量の金などは、たがいに置きかえうる、またはたがいに等しい大きさの、諸交換価値でなければならない。したがって、第一に、同じ商品の妥当な諸交換価値は一つの等しいものを表現する、ということになる」――と述べられていて、「たがいに等しい大きさの、諸交換価値」とは、量的存在であってその量の実体となる同等性は、抽象的人間労働であり、同等な人間労働でしかないのですね。「たがいに等しい大きさの、諸交換価値」とは、「異種の諸商品の等価表現」のことでもあったのです。分析対象は同じだったのです。理論的抽象と事実上の抽象という区別はありますけどもね.

マンデルさんの価値実体である抽象的人間労働だと、貨幣に表示される一般的人間労働の規定が出てこないですし、商品が使用価値と価値形態をとることでの歴史的性格も登場してこないです。

以上の整理をした上でマルクスの抽象を拝見しましょう.

「あるいは、老バーボンが言うように、・「一つの種類の商品は、その交換価値が同じ大きさならば、他の種類の商品と同じである。同じ大きさの交換価値をもつ諸物のあいだには、いかなる相違も区別も存在しない(8)」。
(8) 「“一つの種類の商品は、その交換価値が同じ大きさならば、他の種類の商品と同じである。同じ大きさの交換価値をもつ諸物のあいだには、いかなる相違も区別も存在しない。・・・・一〇〇ポンド・スターリングの価値がある鉛または鉄は、一〇〇ポンド・スターリングの価値がある銀および金と同じ大きさの価値を持つ。」(N・バーボン、前出、五三ページ、七ページ〔大月書店版・岩波文庫版は「五七ページ」、ディーツ版『全集』は"p.53 u.7."と記載〕)

そこで、諸商品体の使用価値を度外視すれば、諸商品体にまだ残っているのは、ただ一つの属性、すなわち労働生産物という属性だけである。しかし、労働生産物もまたすでにわれわれの手で変えられている。もしもわれわれが労働生産物の使用価値を捨象するならば、われわれは、労働生産物を使用価値にしている物体的諸成分と諸形態をも捨象しているのである。それはもはや、テーブル、家、糸、あるいはその他の有用物ではない。その感性的性状はすべて消しさられている。それはまた、もはや、指物(サシモノ)労働、建築労働、紡績労働、あるいはその他の一定の生産的労働の生産物ではない。労働生産物の有用的性格と共に、労働生産物に表れている労働の有用的性格も消えうせ、したがってまた、これらの労働のさまざまな具体的形態も消えうせ、これらの労働は、もはや、たがいに区別がなくなり、すべてことごとく、同じ人間労働、すなわち抽象的人間労働に還元されている。」

ご覧のように
「使用価値としては、諸商品は、何よりもまず、相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、一原子の使用価値も含まない」
事を前提にして、
「もしもわれわれが労働生産物の使用価値を捨象するならば、われわれは、労働生産物を使用価値にしている物体的諸成分と諸形態をも捨象しているのである」
――ということなのですから、諸商品の共通性は、労働生産物の属性に求められていないのです.文字どおり、超感性的な社会的実体としての抽象的人間労働に還元されているのです.まず実体の抽出、そしてその結晶としての価値であり、価値の現象形態としての交換価値なんです.
 
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