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自由ネコさん
>唯物論というのは結局、目の前に存在するただのモノから出発し、それに関して考えていくクソ・リアリズムの考え方だと思っています。唯物論を何か「タダモノ」論以上の高尚な哲学だなどと考えるところに歪みと腐敗が始まるというのが、私の考えです。
>「タダモノ」論
「タダモノ」論支持者とは、・・・・・反スターリン主義運動40年の自由ネコさんがおっしゃるとは思いませんでした.
「タダモノ」論とは、失礼ながら次ぎの見解を云うものと思っていました.
チガウノデスカ?
「すなわち、物質、自然、存在は、意識のそとに、それとは独立に存在する客観的実在であり、物質な感覚、表象、意識の源泉であるから、物質こそ第一次的であり、意識は物質の反映であり存在の反映であるから、第二次的であり派生的であり、思惟はその発展において高い完成度にたっした物質の所産、すなわち頭脳の所産であり、その頭脳は思惟の器官であること、だから、大きな誤りをおかすまいと欲するならば、思惟を物質から切りはなしてはならない、ということから出発する。」(『弁証法的唯物論と史的唯物論について』)
http://www.geocities.jp/mlismtxt001/kokuminbunko205/p096.html
意識は物質の反映とする反映論でもあります。
そして、「タダモノ」論とは、まさに、次ぎの見解なのですよ.
>つまり土地の生産力は、価値をもっていることになり、・・・・」(同上P274)・・・・と述べているのと同じだと。
マカァロクの唯物論的な呪物崇拝
価値は物の属性とするベーリの見解をさして、マルクスは「呪物崇拝」と批判していましたし、交換比率は、諸交換価値でしかなく相対的なもので、そこには、絶対に、物とは異なる人間の関係など含んでいない.人間の労働量など尺度とすることなぞできず、物の属性である価値があるのみだ・・・・として、リカードの労働価値論を批判していたのですね.ベーリこそタダモノ論なのです.
自由ネコさんは、すくなくとも リカードの労働価値論 を認めるのではないのですか?
労働時間は価値の内在的尺度であって、だから価値の外在的尺度とする商品の価値も相対的なものであって、不変の価値尺度である必要はなく、・・・・と整理したマルクスのとき方に習えば、少なくとも、労働価値説の有効性は保たれますよね.
このリカードよりもベーリのかたを、自由ネコさんはお持ちになるのですか?
勿論、スターリン派・経済学教科書は、労働時間による価値規定を認めていますが、
使用価値の交換比率から導き出した実体からであって、社会的規定としての交換価値からではないでしょう。使用価値・労働生産物の属性としての価値であれば、呪物崇拝者としてのベーリとどこが違うのですか?
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