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     交換過程 の素直な理解をめざして その2

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 1月13日(土)00時34分25秒
  通報 返信・引用 編集済
       交換過程 英訳本から パソコン直訳で為してみた。
https://sites.google.com/site/heyizibenlun/home/diipian-shang-pinto-huo-bi-1/di2zhang-jiao-huan
     第一段落
    人はお互いのためだけに、そしてそのために存在します。 商品の所有者として。
     <杉本 商品の所有者として規定される諸個人と諸個人ーーとは物象の社会関係のもとでの
     人々の社会関係であるのだから、それは、人格の物象化なのです。>
    我々の調査の過程では、一般に、経済的段階に現れる登場人物は、それらの間に存在する経済
    的関係の人格化であることがわかる。
     <経済的関係の人格化である ーーとは物象の人格化であるのだから、両者を総合して、
     人々は、物象の人格化ー人格の物象化 の社会関係の下にある、とマルクスは提示したので
     す。
     ①この物象の人格化がいかにして登場しますか?との問をマルクスは私達にしている。
     まず、この問を第二・三・四・五 段落でして、その答えのはじめを第六段落にて、人間様
     がなすーー<貨幣生成の共同行動>ーーと示したのです。
     ②その後、物象の人格化によって、すでに商品世界では
     融合している一般的価値形態と貨幣商品の前提のもとで、後者の貨幣商品がいかに自律的姿
     態であるー貨幣ーという転倒を得るのか? >
     <久留間先生や諸先輩は、残念なことに、この第一段落の提起が見えないのです。>
     交換過程の第二から第五段落にて示されているーー価値の実現と使用価値の実現との対立と
     示されている交換不可能性の事柄は、次のように、第六段落にて止揚の仕方が説明されてい
     る。

     六段落
    彼らの難しさでは、商品の所有者はファウストのように考える:
     "Im Anfang戦争死ぬTat。"
     ["最初は行為だった" - ゲーテ、ファウスト。]
    したがって、彼らは思考する前に行動し、取引しました。
    本質的にそれらは商品の性質によって課せられた法律に従う。
     彼らは、それらの商品を価値として関連づけることはできません。
    それゆえ、それを他の商品と比較することを除いては、共通の同等物として商品として扱うこ
    とはできません。私たちは商品の分析から見ました。
      <共通の同等物として商品としてとはーー使用価値・価値形態ーーのことなのですから、
      ①商品世界が形成され一般的価値形態として商品リンネルが規定されるばかりでなく、
      ②この商品世界が、この世界から一般的等価形態を排除する共同行為をなすーーことで、
       一般的な相対的価値形態を形成させるのです。
      ③この二つの条件があることで、やっと、労働生産物が商品であるーーとの判断を、
       この物象世界から、得ていたのです。>
    しかし、特定の商品は、社会的共同行為がなくては普遍的な同等物になることはできません。
     <④先ほどまでは、商品世界での共同行為でしたが、こんどは、社会的共同行為ですから、
       交換過程でなされる共同行為なのです!人間様のなす社会的過程での判断ーー行為、
       として、貨幣生成の共同行為がなされているーーとマルクス先生の主張です。>
    この共同行為により、この商品の身体的形態は、社会的に認められた普遍的な同等物の形態に
    なる。普遍的な同等物であるためには、この社会的過程により、残りの諸商品によって排除さ
    れる商品の特定の機能になる。したがって、それはお金になります。
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
     上記には商品世界ではなく、物象化した社会での貨幣生成の共同行為が述べられたのです。
      <この商品の身体的形態は、社会的に認められた普遍的な同等物の形態ーーとは?
     明白に、商品世界から排除された、一般的等価形態であり、貨幣商品のことーーでは無く、
     あらゆる人々のなす・社会的共同行為が無意識のうちに、残りの諸商品によって排除される
     商品に、人々の構成する社会が、選択ではなく、普遍的な等価物・その機能を 一商品に押
     しつけたーーのです。選択ではなく、人間の社会的行動が無意識のうちに一商品を排除して
     いることで付いたのです。>
     「この商品の物体的形が社会的に世界等価と認められるものとなる」 (宮崎訳)
     「万人共通の同等物[等価物]であることは、この社会的過程によって、(英和訳)
        このように残りの商品から排除されたその商品の特別の機能となる」
     この二者のように、マルクスは描き出したのです。これは発見・・・不明でありました。>
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
      第七段落(杉本・パソコン訳 原P102)
   「お金は交換の過程で必然的に形成された結晶であり、異なる労働生産物が互いに実質的に同等
    にされ、この実践によって商品に変換される。
    歴史的な進歩と交換の発展は、商品に潜在する使用価値と価値の間のコントラストを発展させ
    る。
    商業的な交換の目的のためにこのコントラストに外部表現を与える必要性は、独立した価値形
    態の確立を促し、そして、商品を商品やお金に変換させる。
      <新書版ーー商品と貨幣への商品の二重化>することが達成されるまで安心しない。
      それゆえに、労働生産物の商品への変換が成され、特別な商品をお金に変換することも同
      じようになされるのです。」
      このように、その困難の克服は、①独立した価値形態の確立が、特別な商品をお金に変換
      する②労働生産物の商品への転化<使用価値と価値形態の二重の姿態を受け取る>ーーと
      明白に、繰り返し示されています。
      この第七段落のここでの以上の提起は、すでに、六段落にて問題が解決されています。
      そして一四段落では、上記の<特別な商品をお金に変換する>こと、それが下記にある、
      <貨幣形態は1つの商品に投げられた、残りのすべての商品との間の価値関係の反射>にて
      なされたことーー左極にてリンネルがあらゆる商品・商品世界から除外されての一般的価
      値形態ーーを受け取った、ことが、こんどは商品世界ではなく、現実的にこの交換過程の
      なかにてもなされ、この「特定の価値形態」を受け取ったこと、「価値ではなく」と、そ
      のことをここに示したのです。
    九段落
    製品の直接的な交換では、各商品はその所有者と他のすべての人との間で直接的に交換手段で
    あるが、同等価値はあるが、価値がある限りである。
    したがって、この段階では、交換された物品は、自分の使用価値や交換価値の個々のニーズに
    依存しない価値形態を獲得しない。
    交換される商品の数と種類が増えるにつれて、価値形態の必要性が高まる。
    問題と解決の手段が同時に発生する。
    商品所有者は、異なる所有者に属する異なる種類の商品が交換可能でなくても、同一の特別商
    品に価値として見なされることなく、自分の商品を他の商品と同一視することは決してありま
    せん。
    ①このように最後の記事は、他の様々な商品と同等になることで狭い範囲内ではあるが、
    問題と解決の手段が同時に発生する
    この一般的な社会的等価物の性格は、それが瞬間的な社会行為と一緒に出てきます。
    順番に、そして一時的に、それはまずこれに、そして次にその商品に付く。
    しかし、交換の発展に伴い、特定の種類の商品にしっかりと独占的に定着し、金型を前提に結
    晶化するようになります。
    ②人は、しばしば、奴隷の形で、自分自身を貨幣の原始的な物質として役立つが、その目的の
    ために土地を使用したことはない。
    このような考え方は、既に十分に発展したブルジョア社会においてのみ生じうる。
    それは17世紀の最後の3分の1から始まり、一世紀後に、フランスのブルジョア革命の間に国家
    規模で実践された。

      杉本ーー再度上記の①を再確認しましょう、何とも我々は、明き盲ですね。
     ①「交換される商品の数と種類が増えるにつれて、価値形態の必要性が高まる」
     ②「問題と解決の手段が同時に発生する」
     ③「この一般的な社会的等価物の性格は、それが瞬間的な社会行為と一緒に出てきます」
     ④「順番に、そして一時的に、それはまずこれに、そして次にその商品に付く」
      それが、社会的過程にて、一般的等価物として価値鏡の役立ちをする価値形態であり、
      単に、金 ゴールド なのであります。商品世界ではなくですよ。
     このことを、何とも英語版の訳者であるご両人は、判読していました。

   https://www.marxists.org/nihon/marx-engels/capital/chapter02/index.htm
      <スーパーマンが、英和訳には、上記と下記にいらして、
              「一般的な社会的等価物の性格」と訳出していました!>
       https://sites.google.com/site/heyizibenlun/home/
       diipian-shang-pinto-huo-bi-1/di2zhang-jiao-huan
         英和訳『資本論』
     「そのような一番最後にあげた品物は、さまざまな他の諸商品の同等物[等価物]となる
      ことによって、直ちに、狭い諸制限の範囲内にもかかわらず、
      一つの一般的な社会的等価物の性格を獲得する。
      この一般的な社会的等価物の性格はそれが生じた一時的な社会的諸行為とともに来たり
      行ったりする。
      かわるがわるそして一時的にそれ[一般的な社会的等価物の性格]自身は最初はこちら
      の商品にそして次にはあちらの商品に取り付く。
      しかし交換の発展と共にそれ[一般的な社会的等価物の性格]自身はしっかりとそして
      独占的に特定の諸商品の種類に固定する、そして貨幣ー形態を装うことで結晶化して具
      現する。」
     「その性格がぴったりとついていく商品の特定種類は最初は偶然の問題である。
      それにもかかわらずそこにはその影響が決定的であるところの二つの事情がある。
      貨幣ー形態それ自身は外から来た交換のもっとも重要な諸品物、および、これら実のところ
      原始的で自然的な諸形態のその中で自地域諸生産物が表現を見いだしている交換ー価値に取
      り付く;
      あるいはそうでなければそれ自身が有用物でそれが、家畜のような、土着の譲渡可能な富
      を成している主要な部分に取り付く。
      遊牧諸民族は貨幣-形態を発展させる最初であるが、なぜなら彼らの全財産は移動可能な諸
      物から成っており、そしてそれゆえ直接に譲渡可能だからである;
      そして彼らの生活様式は、絶えず彼らを外国の諸共同体と接触させることにより、諸生産
      物の交換を請い求めるからである。」
      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
     大谷論文への批判
      <大谷先生の引用された文の冒頭に、9段落に、すでに解決事項がなされたと、英訳文で
      は明示されている。ここでは、物象の関係を示す価値形態ではなく、物象の人格化を示
      す独立化した価値形態が、如何にして発生し、成長していくかが、示されている。
      ところが、この下記のドイツ訳では、英訳での「一般的等価物」が、「一般的等価形態」
      になっている。この「一般的等価形態」と「貨幣形態」の関連性を問われてしまえば、
      再版では、価値方程式の第三の形態と第四の形態での相違としての商品世界から排除され
      ている貨幣商品のなす映像としての、20エレのリンネル=2ポンドの価格形態をこそイメ
      ージしてしまう。
      このように、商品世界を扱う価値方程式と、物象の人格化を示す交換過程とが混同されて
      いるのです。

         商品および商品生産    大谷禎之介
        【補論4】交換過程と貨幣発生の必然性
        「商品交換の発展につれて,一般的等価(物)形態は排他的に特別な商品
        種類だけに固着する。言い換えれば,貨幣形態に結晶する。それがどんな
        商品種類に引き続いて付着しているかは,はじめは偶然である。
        しかし,だいたいにおいて二つの事情が事柄を決定する。
        貨幣形態は,域内生産物の交換価値の実際上の自然生的な現象形態である
        外来の最も重要な交換財貨に付着するか,または域内の譲渡可能な財産の
        主要要素をなす使用対象,たとえば家畜のようなものに付着する。
        遊牧民族は最初に貨幣形態を発展させるのであるが,それは,彼らの全財
        産が可動的な,したがって直接に譲渡可能な形態にあるからであり,また,
        彼らの生活様式が彼らをたえず他の共同体組織と接触させ,したがって彼
        らに生産物交換を促すからである。
        ……/ 商品交換がその局地的な限界を打ち破り,したがって商品種類が人
        間的労働一般の物質化に発展していくのにつれて,貨幣形態は,生まれな
        がらに一般的等価物という社会的機能に適している諸商品に,貴金属に,
        移っていく。/>

      <杉本ーー上記に示された誤訳問題は、如何にして、交換過程にて、物象が発生し、
      そのことを前提に、物象の人格化ー人格の物象化、との社会関係が形成されるのか?
      そして、そこに止どまらず自らを成長させていくのか?ーーとの批判が要求される。
      この批判的認識が大谷先生には無いーー為にの誤判断なのです。
      その例を、次に引いて、確認しておきます。>

        「このように,交換過程は,商品の使用価値としての実現の過程であると
        同時に,商品の価値の実現の過程でもなければならないが,この両方の実
        現は互いに前提しあいしかも同時に互いに排除しあうのである。このこと
        を次の第51図で説明すれば,-方では,所持者Aが自分の商品を所持者
        Bに譲渡するためには,彼は彼の商品を価値体として通用させて,所持者
        Xから彼の欲する商品を入手していなければならない。
        他方では,彼が自分の商品が価値をもつことを実証するためには,所持者
        Bに自分の商品を譲渡して,それが他人のための使用価値をもつものであ
        ることを実証していなければならない。
        これが,交換過程に現実に存在する矛盾であり,さきの商品に内在する矛
        盾が目に見えるかたちで現われてきたものである。
        ーーーーーー略ーーーーーーー
         じつは,その媒介,打開の道は,われわれがすでに見た価値形態の発展
        のなかにあった。すなわち,商品所持者たちのだれもが,自分の商品を一
        般的等価物としてのなにかある一つの他商品に連関させるならば,自分た
        ちの商品を互いに価値として,したがって商品として連関させることが
        できる。
     杉本
     <この2~5段落にて問われている矛盾の事柄は、久留間先生が最大にこだわったため、
     交換過程での矛盾となり、マルクス経済学の常道になっている。しかし、その困難性は、
     すでに、第六段落にて解決されていた。
     <商品世界ではなく、物象化した社会での貨幣生成の共同行為が述べられた>のでした。
     もう一度、交換過程での行為があったとの、マルクスの明示です。次のように。
     「この商品の物体的形が社会的に世界等価と認められるものとなる」 (宮崎訳)
     「万人共通の同等物[等価物]であることは、この社会的過程によって、(英和訳)

         具体的に言えば,こうである。どの商品所持者も,いきなり,自分が欲
        する特定の使用価値をもつ商品と交換しようとするのではなく,まず,一
        般的等価物と交換しようとする。この過程では,自分のもつ商品にたいす
        る欲求をもつ一般的等価物の所持者を見つけさえすればいい。このような
        所持者に自分の商品を譲渡し,それと引き換えに一般的等価物を受け取る
        ことによって,自分の商品が他人のための使用価値をもっていたことを実
        証することができれば,次には,一般的な直接的交換可能性をもつこの一
        般的等価物と引き換えに,自分が欲する任意の商品を受け取ることができ
        るのである。
        このように,商品世界のなかで一般的等価物が成立すると,どの商品も,
        まず,自己の使用価値を実現することによって使用価値の形態であるそれ
        の現物形態を脱ぎ捨て,すべての商品にたいして価値体として通用する一
        般的等価物になり(これを価値の実現と言う),それから,よう
        になる。こうして,交換過程の矛盾は媒介され,商品の全面的な交換が可
        能となるのである。(同上P131~134)
      http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/7778/1/61-2otani-1.pdf


        価値形態    大谷禎之助
        http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/7779/1/61-2otani-2.pdf
        P232
        第3には,価値形態を発展させて,ついに貨幣形態を成立させるにいた る原動
        力はなにか,という問題である。これが狭い意味での貨幣成立の 必然性の問
        題であって,交換過程論で論じられている。その要は,一方 で,商品の内在的な
        矛盾である使用価値と価値との矛盾が,交換過程では,商品の使用価値として
        の実現と商品の価値としての実現との矛盾とし て現われ(交換過程の矛盾),
        これが,ある一つの商品を商品世界から排 除して一般的等価物にする社会的
        な共同事業を引き起こさないではいない (開展された価値形態から一般的価
        値形態への発展をもたらさないではいない)ということであり
           ーーーーーーーーーーーー
         <杉本ーー上記のように、久留間理論 の誤解の原因は示されている。>
      杉本ーー大谷先生への意見であります。
      上記は次のように示していました。この事への意見を述べてみます。
     <①「商品世界のなかで一般的等価物が成立すると,」
      ②「どの商品も,まず,自己の使用価値を実現することによって
       使用価値の形態であるそれの現物形態を脱ぎ捨て,
      ③「すべての商品にたいして価値体として通用する一般的等価物になり
       (これを価値の実現と言う)
      ④それを価値体として通用させることによって所持者の欲する任意の商品に転化する>

     これは第六段落にて、次のように示されていました。
      a貨幣商品は、商品世界から排除されることで、一般的等価物の役割をしています。
      b労働生産物が商品である<使用価値ー価値形態>との判断を、物象がなし、
      c物象化した人間様がなすことがーー<貨幣生成の共同行動>ーーと示したのです。
       この物象世界ではなく、その次の物象によって意志支配された人間の共同行為で
       あります。
       次の二瓶論文にあるように、今日の常識は、①価値形態論・物神性論
       ②交換過程論    の① ②ともに物象化との認識なのです。


           ーーーーーーーーーーーー

        下記は交換過程の矛盾でパソコン検索してみたら、素晴らしいもので、
        大谷先生の意見を超えるものではあったが、ここでの対象が、商品世界で
        はないのに、そのことでは意見が同一であった。

         日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
         交換過程 こうかんかてい
        Austauschprozessドイツ語

        商品は使用価値と価値との2要因の統一体である。このうち使用価値は他
        人にとっての使用価値であり、その商品所有者にとっては直接的な使用価
        値をもっていない。したがって商品所有者は、その商品を彼が必要とする
        使用価値をもつ商品と引き換えに譲渡しようとしている。

        このようにすべての商品は、その所有者にとっては非使用価値であり、
        その非所有者にとっては使用価値であるがゆえに、諸商品は全面的に持ち
        手を変換しあわなければならない。

        この諸商品の全面的な持ち手変換が交換過程である。
        交換過程において商品は使用価値として実現されると同時に価値として実
        現されなければならない。
        商品所有者はだれでも、自分の欲望を満たす使用価値をもつ他の商品と引
        き換えにのみ自分の商品を譲渡しようとするのと同時に、他方で彼は、自
        分の商品を価値として実現しようとする。

        つまり、同じ価値をもつ彼の欲する他の商品のいずれとでも、彼自身の商
        品が他の商品の所有者にとって使用価値をもつと否とにかかわらず、交換
        しようとする。換言すれば、どの商品所有者も他人の商品に自分の商品の
        特殊的等価物の役割を押し付けると同時に、自分の商品を他のすべての商
        品の一般的等価物たらしめようとしている。

        だが、すべての商品所有者が同じことをしようとするのであるから、どの
        商品も一般的等価物たりえず、したがって諸商品は、それらが価値として
        等置されえず、また価値の大きさが比較されえないことになる。

        この矛盾は、ある特定の商品を社会的行為として商品世界から排除して一
        般的等価物たらしめることによって解決される。諸商品はこの商品で価値
        を表現することによって相互に価値として連関されうるのである。一般的
        等価物たることがその商品の独自の社会的機能となったとき、その商品は
        貨幣となる。このように貨幣は交換過程の必然的な産物である。貨幣が発
        生すると、商品所有者はまず自己の商品を販売して貨幣に転化し、その貨
        幣によって自分が欲する商品を購買するようになる。[二瓶 敏]
   https://kotobank.jp/word/%E4%BA%A4%E6%8F%9B%E9%81%8E%E7%A8%8B-1532229

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

       一〇段落
    ①商品交換がその地域的な束縛を破壊することに比例して、
    ②そして諸商品の価値がますます抽象的人間労働の体現物として認められ、
    ③同じ割合で貨幣の性格が、ある商品に付随するのであり、
     それは普遍的な同等の社会的機能を果たすために自然に適合したものである。
    ③これらの諸商品が貴金属類である。

    十一段落
      The truth of the proposition that,
    “although gold and silver are not by Nature money,
    money is by Nature gold and silver,”
    この命題の真実は、
    "金と銀は自然のままにお金ではありませんが、お金は自然の姿のままに金と銀です。 "
    お金の機能のためのこれらの金属の物理的特性の適合性によって示される。

    しかし、この時点までに、私たちはお金の1つの機能、すなわち、
    商品の価値の現れの形をとるために、または価値の大きさが社会的に表現されて
    いる素材として使用することができます。

    価値の適切な形、抽象的な、未分化、したがって同等の人間の労働であることを、、
    その材料で、すべてのサンプルが同じ均一な品質を示すことができます。
    一方、価値の大きさの差は純粋に定量的なものであるため、
    貨幣商品は単に量的な差異の影響を受けやすいものでなければならず、
    したがって、自由意志で分割可能であり、この同等性を再現することが
    できなければならない。
    金と銀は自然によってこれらの特性を持っています。

      <14段落>
    私たちは、貨幣形態は、1つの商品に投げられた、残りのすべての商品との間の価値関係
    の反射であることを見てきました。
    その金は商品であるーーそれを分析すると、完全に発展した形から始まる人々のためだけ
    に新しい発見であるに過ぎない。交換の行為は、貨幣に変換された商品にある規定が与え
    られますが、それは価値ではなく、その特定の価値形態が与えられます。
    これらの2つの異なる事柄を混乱させることによって、金や銀の価値が虚偽(想像的)であ
    ると考える作家もいます。」

     <マルクスは次を示して自分が何を語り、この交換過程の論理進行を確認しています。>

      <15段落>
    17世紀の過去数十年間、すでにお金は商品であることが示されていましたが、この段階は分析
    の幼少期に過ぎません。
    難しさは、お金は商品であることを理解することではなく、
      ③商品がどのように、
      ④なぜ、
      ⑤そしてどういう意味で商品がお金になるか
      を発見することにあります。」

        その確認の上に、結論をこう述べたのです。
       <最終・16段落>

    ① 私たちはすでに、価値の最も基本的な表現から、
      x商品A = y商品B、
    ②他の物体の価値の大きさが表現されている物体は、自然によって与えられた社会的性質
     として、この関係とは独立して同等の形態(等価形態)を持つように見える。
    ③私たちは最終的な設立までこの偽りの姿を追って行きました。これは、普遍的な同等の形態
     が特定の商品の身体的形態で特定され金銭形態に結晶化されるとすぐに完了します。
    ④ある商品は、他の諸商品が自分たちの価値を全面的にこのある商品で表すがゆえにはじめて
     貨幣となる、とは見えないのであって、
    ⑤逆に、この商品が貨幣であるがゆえに他の諸商品が自分たちの価値を全面的にこのある商品
     で表している、というように見える。

      「他の諸商品がその価値を一商品によって全面的に表示するので、その商品ははじめて貨
      幣になるのだとは見えないで、むしろ逆にその商品が貨幣であるからこそ、他の諸商品は
      その商品で一般的にそれらの価値を表示するように見える。<新日本新書P159>

      しかし、この既成訳文からでは、マルクスが何を批判しているのか?まず理解できない!

      <次の対訳をしてみる>
      起こるように見えるのは、        What appears to happen is,
      金塊はお金になるのではなく、      not that gold becomes money,
      他すべての商品の共通な表現の結果として in consequence of all other
                           commodities expressing
      それらの価値は、            their values in it,
      しかし、反対に、            but,on the contrary,
      他のすべての商品が普遍的に表現している that all other commodities
                          universally express
      彼らの金塊の価値、           their values in gold,
      なぜなら、お金ですから。        because it is money.

      <上記をまとめると>
      ここで、起こることが次のように見えますが、
      その中にその価値を表現している他のすべての商品の共通の結果として、金塊はお金にな
      るのです。
      しかし、反対に、他のすべての商品を普遍的に表現している彼らの金塊の価値、それはお
      金(貨幣形態)ですから。

      もうすこし、次のことーー上記のグーグル訳のおかげさまで、次の対比ができました。
     a 江夏訳ーある商品は、他の諸商品が自分たちの価値を・このある商品で表すがゆえにはじ
      めて貨幣となる、
     b 新日本ー他の諸商品がその価値を一商品によって全面的に表示するので、その商品ははじ
      めて貨幣になる
     c 杉本ーその金がその価値を表現している他のすべての商品の結果(一般的価値形態・商品
      世界)として、not that gold becomes money,金塊はお金になるーーはずなのに、
      そうではなく、逆に、他のすべての商品が普遍的な価値表現している・
      金 their values in gold, であるため、
      お金 because it is money.で商品の価値を表現するーーのです。
     d 英和訳ーわれわれはこの誤った考えに基づく外観をその最終的な設定にまで追い詰めた、
      このことは万人共通な等価形態[同等形態]が一特定商品の身体的形態と一体化するよう
      になるや否や完璧となる、そしてこのようにして貨幣ー形態に結晶化するや否や完璧とな
      る。
      起こっているらしいのは、金が貨幣になるということではなく、すべての他の諸商品がそ
      れらの諸価値をそれ[金]の中に表わす結果、そう[金が貨幣になるということ]ではな
      く、それに反して、すべての他の諸商品が万人共通的にそれらの価値を金の中に表すとい
      うこと、なぜならそれ[その商品である金」は貨幣であるから。
      この過程の中間段階は結局消え失せてその後に何も痕跡を残さない。」<英和訳資本論>

      杉本ーーここで、a bとc d の比較をしてみると次のことが理解できる。
          a b は等価形態の謎を解いたことで、倒立像ではなく正像があることを示したのですが、
      この正像が、一般的価値形態であり、その規定が交換過程での転倒のもたらした倒立像で
      はなく、<商品世界での正像の貨幣形態>を示しているーーことを対象化していないの
      で、現実の転倒した映像をもたらしている<物象化=物象の人格化>を示せていないので
      す。

      先のーー15段落で提示された、次のマルクスの我々への提起である、
      <難しさは、お金は商品であることを理解することではなく、
      ③商品がどのように、④なぜ、⑤そしてどういう意味で商品がお金になるか
      を発見することにあります。>
      に対しての回答を、ここにしていることをーー見出さないと何を言いたいのか分からない
      のです。
      上記と対比しての、ここでの論理構造を示すと次のようになっています。
      ③その価値を表現している他のすべての商品の結果(一般的価値形態・商品世界)が、
      ④金塊をお金にするーーはずなのに、そうではなく、
      ⑤交換過程では、このお金が、他のすべての商品の普遍的な価値表現しているため、お金
      で商品の価値を表現するーー主語の入れ代わった転倒象ーーを示しているのです。

      ⑤ーーには何が述べられたのか?
      商品世界が形成され・一般的価値形態があることで、その反省規定として形成される一般
      的等価形態に有る一商品が、この商品世界から排除されることで得たーー貨幣商品の規定
      がーーこの第四の形態である貨幣形態では、一般的価値形態とこの貨幣商品である等価形
      態とが、対極的に分離することで成立していたのです。これが交換過程の語る前提になっ
      ています。
      ところが、この貨幣商品・金は、価値形態論で規定された、一般的価値形態・そして一般
      的相対的価値形態の反省規定としてのみ、対極的に成立してきた性質を、ところが交換過
      程に入ると、この<等価形態の謎性>、商品世界とは別個に、自律的姿態・形態のままに
      もっている幻像をこそ私達に見せるのです。
      それが、in gold 金にではなく、お金 because it is money.で商品の価値を表現
      するーーのです。
      ここには、一体何が?示されているのか?
      a一般的価値形態を前提にそこから除外されたリンネルが商品世界の価値を表現す、
      b要素形態では、上着が価値形態の規定を受けてのみリンネルの相対的価値表現ができる、
      c商品が価値形態であり、使用価値である限りの姿態を持つかぎりで、第一の形態のみな
       らず、第三の形態でも商品形態をもつーー
      このa b cに示される物象の社会関係にての物象の判断が、適用されてないのです。
      もう一度交換過程ではーーこのように物象の判断が、示されたのが役目不要なのです。
      ①左極でまず示されて、次に、その反省規定として、
      ②まず上着は直接的に価値形態であることで等価形態と示されて、その次に、
      ③物象の社会関係から、交換過程では物象の人格化への転化を見出すーーことを
      マルクスは、我々に要求しているのです。
      ④だから、物象の人格化を示す交換過程にての下では、一商品貨幣は、左極の反省規定を
      受けずともこれまでの、価値形態での過程が、前提される仮象・転倒象を得ていたので
      す。

     だから、ここを、交換過程論としてのみ読んだのでは、マルクスのこの提起の半分も理解で
     きないのです。
    a価値形態論での第四の形態での転倒とーー第三の形態との対比が、まず問われるのです。
     一般的価値形態が貨幣形態に移行したのは、等価形態にあるリンネルが、自然的形態が社会
     的に癒着している貨幣商品・金に最終的に座席を譲ったーー事によるとの提示でした。
    bこの貨幣形態は直ちに、20エルレのリンネル=2オンスの金の「価格形態」を得て、
                20エルレのリンネル=2ポンド の形式に移動していたのです。
    cこの交換過程論にて検討されていることは、上記のことを見出さなければ、
     20エルレのリンネル=2ポンド と示される全くの錯誤・ちんぷんかんぷんの理解ぶりの
     錯誤への批判ができないのです。
    dこのaとcとの対比から理解できることは、商品世界と一般的等価形態の対立として示され
     る価値方程式は除外され、明白に、諸商品が主体・価値表現する主体ではなく、
     ①自立化した等価形態 ②等価物貨幣が、「あらゆる人間労働の直接的化身」として・主体
     となる転倒を発生させたーーことだ!ーーということなのです。

      <そこで、本文次の理解の仕方の正しさです。>
    「プロセスの中間ステップは結果で消滅し、後ろに痕跡は残されません。
    商品は、自らの価値が、企業の既存の商品で、自らのイニシアチブなしに、完全に表現されて
    いることを発見します。
    これらの金と銀は、地球の腸から出てくるのと同じようにすべての人間の労働の直接的な化身
    です。   したがって、お金の魔法。」

     これが、
     ①交換過程での等価形態ーーではなく、自立的な価値形態を持つ等価物の謎であり、
     ②「プロセスの中間ステップは結果で消滅」しているお金の魔法であり、
     ③物象の人格化ー人格の物象化と示す交換過程の冒頭一段落の提示への説明ーー理解です。

     このように交換過程では、「物象の人格化」によって、物象の方が主体となり、人間様のほ
     うは、その主体の命ずるままに作動する客体ーーになっているから、<お金の魔法>のまま
     に動かされる、ことを指して、人格の物象化、なのだと思います。

     <主体ーー客体>の転倒批判をこそ、このように、マルクスは交換過程論にての課題にし、
     追求・提示していたのです。やっと、発見ですね。

     なるほど、主客の転倒批判は、資本ー賃労働関係が、搾取関係ではなく、その関係の再生産
     であり拡大再生産であることは、認識し、そこをこそ私達は依拠することで、宇野経済学の
     労働力商品化論を批判し、労働者階級が、資本家階級に経済的隷属していることを、明示し
     てきた。
     その点の追求が、宇野経批判ーースターリン経済学批判として成してきたことを、その前の
     一章・二章の価値形態論ー交換過程論にてもされていたことを、無念ながら、成し得ていな
     かったのです。
     これは明らかに、歴史的伝統であり、第二インター カウッキィー主義が、その点への批判
     無きがためのものなのです。そしてロシア革命にての社会革命にても、その点への追求が、
     商品批判として、物象化批判として、なんらなし得なかったのです。

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