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    英語版資本論の価値形態論の解読をとうして、語られていること

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 4月 7日(土)11時37分56秒
  通報 返信・引用 編集済
     杉本ーー第一の形態での転倒が、7~8段落にて語られている。
  第三の形態でも同じく転倒が語られることで、価値形態・一般的価値形態が成立するのです。
  ところが、既成の翻訳は、この転倒を翻訳せず、この転倒を批判しないことで、物象の社会関係こそが、
  価値形態論にて成立することにて、物的関係へと転倒した原因をこそ提示しているーー場所を隠蔽して
  いるのです。既成の翻訳の誤りこそ、商品批判・物象の社会関係の提示をこそなそうとする我々の批判
  を封じているのです。

   https://sites.google.com/site/heyizibenlun/home/diipian-shang-pinto-huo-bi-1
   A.価値の要素的または偶発的形態
   <3節緒部>(緒1段)
   諸商品はこの世界に諸使用価値の姿で、諸品物の姿で、すなわち鉄、亜麻布、穀物、
   などの姿で生まれてくる。これが諸商品の明白で、素朴な、身体上の形態である。
   けれども、それらが諸商品であるのはそれらが二重になっている何かのもの、役に
   立つ諸物体であり、かつ、同時に、価値の供託所であるというあるものだからであ
   る。それらは自分自身をそれゆえに諸商品として明示する、すなわち諸商品の形態
   をもつのであるが、それはただそれらが2つの形態をもつ限りにおいてのみ、すな
   わち、一つの物理形態または自然形態をもつこと、そして一つの価値形態をもつこ
   との2つの形態をもつ限りにおいてのみ、それらは商品として自身を明示するので
   ある。
  A.価値の要素的または偶発的形態
  1.価値表現の二つの極: 相対形態と等価形態
  2. 価値の相対形態 (a.) この形態の性質と意味
  (A2a-1段)
   どのように、ある商品の価値の要素的な表現が二つの商品の価値関係の中に隠されて
   横たわっているのかを見つけ出すために、われわれはまず第一に、後者[二つの商品
   の価値関係]をその量的側面から完全に離れて考察しなければならない。
   この通常の手続きの様式は大体において反対である、そしてこの価値関係においては二
   つの異なる種類の商品のきまった諸量の間に互いに等しいと考えられる割合ということ
   だけしか見られない。
  (A2a-2段)
   20ヤードの亜麻布 = 1着の上着 なのかまたは = 20着の上着 なのか
   または = x着の上着なのか ・・・・・亜麻布 = 上着は等式の基礎である。
  (A2a-3段)
    しかし、その質の同一状態がこのように仮定された二つの商品は、同じ役割を演じるの
   ではない。表現されているのは亜麻布の価値のみである。ではどのようにしてか?亜麻
   布の上着に対する等価物としての関係によって、それと交換され得る何かとしてである。
 a)この関係の中では上着は価値の存在様式である、上着は価値の体現された物である、
   <価値物 新書訳>なぜならただそのような物としてのみ上着は亜麻布と同じなのであ
   るから。
 b)他方で、この亜麻布自身の価値は前面に現れる、独立の表現を受けとる、なぜなら亜麻
   布が同じ価値物として上着と匹敵できるということは、ただ価値であるということだけ
   であるから、すなわち上着と交換できるということだからである。
     <a)b)は杉本注入 次は、その部分の英文提示です。>
  In this relation the coat is the mode of existence of value, is value embodied, for only as such is it the same as the linen.
 イ)この関係では、コートは 価値の存在形態であり、価値が体現されているのは、それが
   リネンと同じであるためだけです。
  On the other hand, the linen’s own value comes to the front, receives independent expression, for it is only as being value that it is comparable with the coat as a thing of equal value,or exchangeable with the coat.
 ロ)一方、リネン自身の価値<価値存在>は、独立した表現を受け取ります。それは、価値
   があるものとしてだけであり、等しい価値のものとしてコートに匹敵し、あるいはコー
   トと交換可能であるからです。>
    注意! ① 等しい価値のものとしてコートに匹敵し、② あるいはコートと交換可能であるから
    ここに、リンネルが、交換可能性の形態を受け取れるのは、との問があり、
   <リネン自身の<価値存在>は、独立した表現を受け取るーー第一の案件が示された。>

     (A2a-5段)
   この上着を亜麻布の等価物<新書訳価値物>とすることで、われわれは上着に体現さ
   れた労働を亜麻布に体現された労働と相等しくする。さて、たしかに上着を作る仕立て
   は亜麻布を作る織布とは違った種類の具体的労働である。
 A)しかし仕立てを織布と相等しくする行為は、仕立てを労働の2種類の中の実際に等しい
   ものに還元する、それらの人間労働の共通な性格に還元する。
 B)この迂遠な[回り道の]方法のなかで、今度は、次の事実が表現される、織布もまた、
   それが価値を織る限りにおいて、それを仕立てから区別しなければならないことは何も
   ない、そして、結果として、[織布もまた]抽象的人間労働である、という事実が表現
   される。
 C)それは違った種類の諸商品の間での、そのことのみが、価値-創造労働の特別な性格を
   目立たせる等しさの表現であって、その上でこのことをそれがおこなう、その異なった
   さまざまな種類の諸商品に体現された労働を、抽象の中で人間労働のそれらの共通な質
   に実際に還元することによってそれ[抽象的人間労働であるという事実の表現]をする。[18]
 A)について 再版訳
   「たとえば、上着が価値物として、リンネルに等置されることによって、
   上着に潜んでいる労働が、リンネルに潜んでいる労働に等置される。」(新書訳P86)
  英訳 パソコン訳
By making the coat the equivalent of the linen, we equate the labour embodied in the former to that in the latter.
   コートをリネンと同等にすることによって、我々は上着に組み込まれた労働を後者のも
   のと同じにする。
    By making the coat         コート・上着に作り出す
   the equivalent of the linen,   リネンの等価物
   こうして、コート・上着を等価物とするーーことによって、前段の三段落に示された、
   a)とA)はどんな関連となるのか・

   a)この関係の中では上着は価値の存在様式である、
   A)しかし仕立た上着を織布のリンネルの等価物とすることで、裁縫労働をそれらの人
     間労働の共通な性格に還元する。
  ここで、 次のB)とb)の関連は何か?問いかけていることの認識が必要ですね。

Now, it is true that the tailoring, which makes the coat, is concrete labour of a different sort from the weaving which makesthe linen.
    今や、コートを作る仕立ては、リネンを作る製織とは異なる種類の具体的な労働であ
    ることは事実です。
  But the act of equating it to the weaving, reduces the tailoring to that which is really equal in the two kinds of labour, to their common character of human labour.
   しかし、それを製織と同じにする行為は、2種類の労働において、人間の労働の共通の性
   格に本当に還元する。
 B)In this roundabout way, then, the fact is expressed, that weaving also, in so far as it weaves value, has nothing to distinguish itfrom tailoring, and, consequently, is abstract human labour.
   この回り道のやり方では、事実が表現され、価値を織り込む限り、製織されていてもそれ
   を仕立てと区別することはないため、抽象的な人間の労働である。
    <上記に対しての、次は三段落での事柄です。>
 b)一方、リネン自身の<価値存在>は、独立した表現を受け取ります。それは、価値があるも
   のとしてだけであり、等しい価値のものとしてコートに匹敵し、あるいはコートと交換可
   能であるからです。>
    このように、① aとA
          ② bとB
   この①②の事項を総合的、総括的に検証するならば、リンネルが、<交換可能性の形態を受け取る事ができたのは???>
   とのマルクスの我々への問いかけが、よくわかるのです。この問いかけの下、次の事柄がここにーー浮かびます。

  It is the expression of equivalence between different sorts of commodities that alone brings into relief the specific character of value-creating labour, and this it does by actually reducing the different varieties of labour embodied in the different kinds of commodities to their common quality of human labour in the abstract.[18]
   それは価値創造労働の特定の性格を救い出すための、さまざまな種類の商品間の同等性の表現であり、これは実際にはさま
   ざまな種類の労働の異なる種類を、抽象的な人間労働の一般的な品質へと変化している。[18]

   このように、③商品に表示される労働が抽象的人間労働であるためには?との質問があり、
      まず、①価値の存在形態である上着が、人間労働であることで、この回り道を経て、
      次に、②価値存在を表現するリンネルが、そのことで抽象的人間労働であると語り、
   ーーという物象の、二重の2行程を成す、判断行程を、3~5段落にて示したのです。
   価値関係でのそれを構成する諸物象であることでの、リンネルと上着への判断なのです。
   大切な肝要部です。上記の① ②の判断を成すことができるのは、そこに、価値存在の如何にしてか?を訪ねてきた物象の
   判断が、次のことを示しているのです。価値関係を構成できたのは、商品に表示される労働が、抽象的人間労働であると、
   第一節・二節の事項を総括・判断していると、価値実体論と価値形態論との関連を見てくることで、この5段落に、まとめ
   ていたのです。
   ところが、既成の久留間理論による理解は、次であります。等価形態において<価値物上着がリンネルに等置>されるーー
   では、物象の判断は、不成立です。もう一度、物象の社会関係の成立ではなく、リンネルと上着との物的関係なのです。
   <物象の判断>をこそ、ここでの記述の①②を、初版にも同じくなされているので、見ておこう。

    <資本論初版>第二段落
    相対的価値の第一の形態 あるいは単純な形態
    20エレのリンネル=1着の上着(x量の商品A=y量の商品B)
  ①この形態は、単純であるがゆえにいくらか分析が困難である。・・・・
  ②リンネルは、ある使用価値あるいは有用物という姿で生まれてくる。だから、それの体躯が
   糊で固められていることは、すなわちそれのもっている現物形態は、価値形態ではなくて、
   価値形態の反対物なのである。リンネルが自分自身の価値存在を示している根拠は、まず、
   自分を、自分に等しいものとしての・他の一商品である上着に、関係させているということ
   である。・・・・   (江夏訳 初版P34~35)
 http://8918.teacup.com/rev21/bbs/1597
     ②の部分の大切な部分を、引用してみると、次のことが述べられている。
   <リンネルが自分自身の価値存在を示している根拠は、まず、自分を、自分に等しいものと
   しての・他の一商品である上着に、関係させているということである。
   リンネルがそれ自体価値でなければ、リンネルは、自分を、価値としての・自分に等しいも
   のとしての・上着に、関係させることができないであろう。
   ・・・リンネルは、自分を他の商品に価値として等置することによって、自分を価値として
   の自分自身に関係させる。リンネルは自分を価値としての自分自身に関係させることによっ
   て、同時に、自分を使用価値としての自分自身から区別する。
   リンネルは、自分の価値量ーーところで、価値量とは、価値一般と量的に測られる価値との
   双方であるーーを上着で表現することによって、自分の価値存在に、自分の直接的な存在と
   は区別される価値形態を与える。>

    このように、初版のまずの追求点が、a価値存在の表現が如何にしてかであり、次に、
                     bリンネルの相対的価値表現・・・の如何にであります。
                     cリンネルは、<自分の価値存在に、・・・価値形態を与える>
    ーーと示され、まずの物象の判断の第一段階が示されているのです。
   このような質問・理解・判断が提示されていることでは、a b c のことでは、
   ・ここでの課題・主題が、リンネルの等価物上着による価値存在の表現であり、
   ・その事柄が、反省規定されて、上着はリンネルの価値の存在形態ーーとの物象の判断の仕方が、
   ・初版、英語版、ドイツ語再版、仏語版も述べられていたのです。
    しかし、価値物の悪訳のためにその共通性は排除されてきたのです。この誤訳を排除して、初版も再版も同じであると、
    理解して次の判読へと向かう。

   (A2a-7段)次の7段落には、何が提示されているのか?
   ①価値関係において等価物の位置を占めている場合、 上着は質的には同じ種類のらかの物
   として亜麻布と等しい地位を占める、なぜならそれは価値であるから。
  ②この位置において、それはあるひとつのものでその中にわれわれは価値のほかにはなにも見
   ない、またはその上着の触ってみられる身体的形態は価値を表現する。
    <新書版ーーここに続いて、付加してこう述べている。
        ーー上着は、ここでは、価値がそれにおいて現れる物として、または手でつかめ
          るその自然形態で価値を表す物として通用する。>
    <仏語版ーーこうした役割において、上衣自体の存在形態が価値の存在形態になる>
  ③しかもなおその上着そのもの、商品の身体、上着、は、ただの使用価値にすぎない。
   一着の上着はそのような物としてそれが価値であるとわれわれに告げないのは、われわれが
   握っている第一の亜麻布片が価値であるとわれわれに告げないのと同じである。
    <新書版でも同じ訳であります。>
  ④このことは、上着は亜麻布との価値関係に置かれた場合に、
  ⑤その関係の外にあるよりも意味をもつ、
  ⑥ちょうど豪華な制服でもったいぶっている一人の人間が平服を着たときよりも多くの意味を
   もつように。

    ーーまたはその上着の触ってみられる身体的形態は価値を表現する。ーー
  a <だから、上着は、ここでは価値がそれにおいて現れるものとして、または手でつかめその自然形態で価値を表すもの
     として通用する。>との、頓珍漢な訳を提示するのです。
   このように、再版翻訳者には、マルクスのここでの意図が、全く理解できてないのです。
   新書版も、この英語版での訳者も、この③では共通の訳なのですから、両者ともに、原文の意図への理解が、全く不明で
   あったのです。
  bーー③一着の上着はそのような物としてそれが価値であるとわれわれに告げないのは、われわれが握っている第一の亜麻布
     片が価値であるとわれわれに告げないのと同じである。

   しかし、直訳だと、次なのです。
    A coat as such no more tells us it is value, than does the first piece of linen we take hold of.
   ③そのようなコートはそれが価値であることを私たちに伝えます。私たちが取る最初のリネ
    ンの部分よりも。
    <だから、ここには、次の規定の転倒が示されたのです。上着は価値であると措定されていたことが、価値は上着である
    との再措定を受け取ることで、つまり、平服の軍人が、勲章で飾られたときのように、という変化であります。>
   ③そのようなコートはそれが価値であることを私たちに伝えます。
    私たちが取る最初のリネンの部分よりも。
   ④This shows that when placed in value-relation to the linen,
    これは、リネンとの価値関係に置かれたときに、
   ⑤the coat signifies more than when out of that relation,
    コートは、その関係から外れたときよりも、
   ⑥just as many a man strutting aboutin a gorgeous uniform
   counts for more than when in mufti.
    豪華な制服で装われた頑丈な男性が、日頃の制服時よりも、より多くを意味することを示
    します。

    <フランス語版 では次の訳であります。>
  ①実際には、われわれがすでに見たように、上衣が等価物として置かれるやいなや、上衣はも
   はや自分の価値性格を証明するための旅券を必要としない。こうした役割において、上衣自
   体の存在形態が価値の存在形態になる。ところが、上衣は、上衣商品の体躯は、単なる使用
   価値でしかなく、一着の上衣は、リンネルの任意の一片と同じように、価値を表現するもの
   ではない。
  ②このことはただたんに、上衣がリンネルとの価値関係のうちでは、この関係のそとでよりも
   多くのことを意味する、ということを証明しているにすぎない。
   それはちょうど、金モールの衣裳をつけた多くの重要人物が、金モールをはずせば全くくだ
   らなくなる、のと同じである。」《フランス語版》(江夏訳21-22頁)

   訳の違いに示されていることは、ほんまに異常な再版訳ですね。
   面白いですね!新書版だと、a上着はリンネル価値形態であることで、、価値を表現する二つの等価物の役立ちをして
   るーーと理解することで、ここでのマルクスの運んでいる論理である第一の役割があって、第二に相対的価値表現がなされ
   るーーということ、すなわち、
   <リンネルの価値形態として上着形態の役割がなされることで、リンネルの価値表現が左極で価値表現され、相対的価値形
   態が形成されていくという>ーー道筋が、全く見えてこないのですね。
    相対的価値形態の内実の価値形態があって、やっと、リンネル価値が上着で表現される、ーー簡明なこの論理が、何ら初
   版・再版の両方の論理では、彼らは提示ーー理解できないのです。

    こうして、7段落ーーここには、上着は価値であることから、価値は上着であることでの、この価値方程式での転倒が、
   「上着は労働膠着物」であることが、「等価物上着」の役立ちのなかで、「労動膠着物は上着」へと、物象の判断と役立ち
   が変更されたのではないかと思えます。それを示すのが、初版5段落冒頭の記載なのであり、初版での第二の段階なのです。

    初版5段落
    ⑤20エレのリンネル=1着の上着、あるいはxエレのリンネルはy着の上着に値する、
    という相対的価値表現においては、上着は確かに、価値あるいは労働膠着物としてのみ認
    められているが、まさにそのために、労働膠着物は上着として認められ、上着は、そのな
    かに人間労働が凝結しているところの形態として認められているのである(18a)。

   <労働膠着物は上着として認められ、上着は、そのなかに人間労働が凝結しているところの形態として認められている>
       ーーやっと、再版・初版での主張の合一点・合致点が理解出来ました。
    このように、初版5段落のこの提示は、通常のあまねく定式とされ理解とされる、等価形態、直接的交換可能性の形態を示
    しているのではなく、相対的価値表現での、現行版の3・5段落に続く7段落での解決事項をこそ、示したのです。
     では、以上の3段階の解決事項を踏まえて、最後に、リンネルの価値形態はどうやって、成立したのですか?
    マルクスは、読者である労働者に問うているのです。>

    <この「交換可能性の形態」が、「人間労働が凝結しているところの形態」と示しているのは、初版第三形態です。>
      「だから、諸使用対象が価値として、人聞の労働膠着物として、認められているとこ
      ろの形態が、これらの使用対象の社会的な形態である。つまり、商品の社会的な形態
      と、価値形態あるいは交換可能性の形態とは、同一のものである。ある商品の現物形
      態が同時に価値形態であるならば、この商品は、他の諸商品との直接的交換可能性と
      いう形態を、したがって直接的に社会的な形態を、もっていることになる。〉
      (初版 原P28 江夏訳49-50頁)
    <マルクス先生の記述・問題意識が捕まえることが、これで出来たはずですが・・>

  (A2a-8段)次が最後の難関8段落です。
     上着の生産の中では、人間労働力は、仕立ての姿態の中では、現実に消費されてしまっ
    たに違いない。人間労働は従ってその[仕立ての]中に蓄積されている。
    この側面においては上着は価値の貯蔵所である、しかし糸が透けて見えるほどすり切れて
    しまっても、それ[上着]はこの事実を透けて見せることをしない。
    そして価値等式のなかで亜麻布の等価物として、それ[上着]はこの側面のもとでのみ存
    在する、従って体現された価値として数える、価値である一つの体として数える。
    <現行版ーー体化された価値としてのみ、 価値体としてのみ通用する。>
    A は、たとえば、B にとっての「陛下」であることはできない、同時に B の目の中の
    陛下が A の身体の形を装わない限り、そして、その上さらに、人々のすべての新しい父
    と一緒に、その顔つき、髪、そして多くのほかのものをその上に装わない限り。

   <杉本ー①体現された価値として数える②価値である一つの体として数えるーーとは?>
   ここには、7段落での<価値は上着>と示された転倒をこそが、提示されている、と物象の語りーーをこそ見出さなければ
   ならない。そうすれば、次のことに気付くのです。
   ①リンネルの等価物上着であることが、<価値存在の表現ーー価値の存在形態>の形成でなされていることが3・5段落に
    て語られ、
   ②同時にこの追求のなかで、商品が<価値関係を構成できたのは、商品に表示される労働が、抽象的人間労働である>こと
    による、ことが語られ、
   ③そして、この労働の対象化されたものであることを示す、この<①体現された価値>が、ここに、語られたのです。
    そこで、この<①体現された価値>が、<価値は上着>と示された転倒によるものだから、
   ・そこを示して、<B の目の中の陛下が A の身体の形を装わない限り、>と語ることで、
   ・<金モールの衣裳をつけた多くの重要人物>を表現できた ーーであり、
   ・<上着は、そのなかに人間労働が凝結しているところの形態>ーーと認められたのです。
    だからa<そして価値等式のなかで亜麻布の等価物として、
      bそれ[上着]はこの側面のもとでのみ存在する、>ーーことを最大の基礎にして、
      c上着は<①体現された価値>と認識す物象の判断が、リンネルの価値表現の中で、
      d<価値存在の表現ーー価値の存在形態>の判断形式のなかで、示されたのです。

    以上なされたことを、次の段落にてこう示したのです。仏語版にある、次のことなのです。
      e「したがって、上衣をリンネルの等価物とする価値関係は、上衣形態をリンネルの
       価値形態に変態するか、あるいは、リンネルの価値を上の使用価値のなかで表現す
       る」ーーと示すことで、リンネルの価値形態上着、との質的側面での判断をなして
       いるのです。そして、次のことが示されたのです。
      f②価値である一つの体として数えるーーで、量的側面での価値表現をなしたのす。

   <英語版のこの① ②に示される物象の判断が、提示されることが最大の要であります。>
   このように8段落の理解のためには、まず第ニに、久留間理論の錯誤への批判が必要です。それは次のことからであります。

   今までの、3・5・7 段落と説いてきた解決事項が、今日の価値形態論でなんら提示されて来なかったのは、
   第一に、勿論大谷先生が『貨幣論』で挙げた久留間先生の、価値物上着としてリンネルに等置される上着が、リンネルの相
   対的価値表現での役割であり、リンネルの価値形態として役立つ上着によって、相対的価値形態の形成になるものーーであ
   るのに、上着は直接的に価値形態であることで、上着は等価形態であると理解する、既成・価値形態論の全くの誤謬であ
   るーーことに示された、この全く逆の理解をする錯誤した、相対的価値表現の理解にあるのです。
   その理由を探ってみましょう。価値物上着への批判は終わっているので、その次であります。

    ここで、英訳・仏語訳では、以上のように、Aは、陛下であるのに、現行版では、Bが陛下になっているのです。
   このことをこそ、我々の常識になっている事への批判と反省がなくては、この8段落の解析はできていないのです。

  ① 新日本新書訳
   「上着の生産においては、裁縫労働という形態のもとに、人間的労働力がじっさいに支出さ
   れた。したがって、上着のなかには人間的労働が堆積されている。この面からすれば、上着
   は「価値の担い手」である。<この側面においては上着は価値の貯蔵所であるーー英語版>
   もっとも、上着のこの属性そのものは、上着がどんなにすり切れてもその糸目から透けて見
   えるわけではないが。そして、リンネルの価値関係のなかでは、上着はただこの面だけから、
     <価値等式のなかで亜麻布の等価物として、それ[上着]はこの側面のもとでのみ存
     在する、従って体現された価値として数える、価値である一つの体として数える。>
   それゆえ、体化された価値としてのみ、価値体としてのみ、通用する。
   ボタンを掛けた(よそよそしい)上着の外観にもかかわらず、リンネルは、上着のうちに同族
   のうるわしい価値魂を見てとったのである。しかし、上着がリンネルに対して価値を表すこ
   とは、同時にリンネルにとって価値が上着という形態をとることなしには、できないことであ
   る。ちょうど、個人Aが個人Bにたいして陛下に対する態度をとることは、同時にAにとって
   陛下がBという肉体的姿態をとること、したがって、顔つき、髪の毛、その他なお多くのもの
   が、国王の交替のたびに代わることなしには、できないように。」(原P86 P88~89)

   「A は、たとえば、B にとっての「陛下」であることはできない、同時に B の目の中の陛下
   が A の身体の形を装わない限り、そして、その上さらに、人々のすべての新しい父と一緒に、
   その顔つき、髪、そして多くのほかのものをその上に装わない限り。」英訳

   「上着が自己の外面的な関係のなかに価値をじっさい表すことができるのは、同時に価値が一
   着の上着という姿をとるかぎりでのことなのだ。同じように、私人Aは個人Bにたいして、B
   の眼に映ずる陛下が直接Aの容貌と体躯とを帯びなければ、陛下であることを表しえないので
   ある。陛下が人民の新たな父となるたびごとに、顔面や毛髪その他多くの物を変えるのは、お
   そらくこのためであろう。」(仏語版P22)

  ② 向坂訳ーーー岩波文庫
   「だが上着は彼女に対して、同時に価値が彼女のために上着の形態をとることなくしては、価
   値を表すことができないのである。こうして、個人Aは個人Bにたいして、Aにとって、陛下
   が同時にBの肉体の姿をとり、・・・」(P96)

  ① ②は既存の訳であり、かっては杉本も同じくその理解をこの八段落に対してなしていた。
   しかし、この英語版とを比較してみると、再版での訳者の提示は、この物象の社会関係のなかでは、上着は価値としてリン
   ネルに相対しているのではなく、7段落にて提示されたように、価値は上着として転倒することで、そこに対象化されている
   抽象的人間労働がやっと提示されていることの、主体的判断が要求されていること、物象の判断の特異性に対して、異をこ
   そ唱えることで、マルクスの判断をこそ問い、自らの主体的判断を築き上げるーーことが無く、ただ客観的判断を提示した
   のみなのです。

    <そこで、初版の5段落に続く、7・8・9・10・11 段落のさらなる検討が必要であり、この最後の11段落
    に付けられた、註21の王と臣下の反省規定についての、さらなる検討こそが、ここに必要であると、やっと・
    やっと了解できました。再度挑戦します。>

  ①初版での転倒が、どう表されているのか?その検討も必要です。初版は、次を参照ねがいます。
    資本論初版 価値形態論の解読を目指して  投稿者:杉本
    http://8918.teacup.com/rev21/bbs/1597
  ②第三形態での転倒についても、私は、次の投稿をして問題提起していました。
   その改稿を、次に提示しておきます。第三形態での一般的価値形態の理解を巡って・・次の誤訳を紹介しておきます

    「リンネル自身の現物形態がこの世界の共通な価値姿態なのであり、それだから、
    リンネルは他のすべての商品と直接に交換されうるのである。」
    <「世界の共通な価値姿態」ーーを根拠にして、次の理解を彼らはしています。>
    ーーここでは、すでに表式が逆転して、リンネルがすでに一般的等価形態になっている
    次の、提示は、一般的なその形態が形成されるときには、その片面だけではなく、両面が
    あることが提示されているのです。
    第一の形態でも、上着はリンネルの等価物と、3・5・7・8段落とされましたが、けっし
    て、等価形態にはなっていません。しかし、上記の「価値姿態」であれば、それは等価形
    態で受け取るものですから、堺の方々の理解は当然なのです。
    しかし、英訳・仏語訳ではーー<今や、全商品の価値の共通的な形と見なされる>ーー
    ことで、この<一般的価値形態>を、次のごとく、受け取っているのです。
    この価値姿態が、一般的価値形態となるのではなく、
    <今や、全商品の価値の共通的な形と見なされる>ーーことで受け取っているのです。
    次のようにであります。
    Fーー商品世界を包括する一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価物
       商品に、一般的等価物という性格を押しつける。・・・
       この一般的価値形態は全ての種類の実際の労働を一般的に人間労働であるそれらの
       共通な性格への還元であり、・・・
    http://8918.teacup.com/rev21/bbs/1600

   現行版【8】パラグラフの正しき記述ーー理解を求めて   投稿者:杉本  投稿日:2018年 2月 3日(土)
    私達は、英明な堺の諸先生にして、次の誤った前提から始めていることをまず批判する。
    <彼らの商品相互の関係から見ると、リンネルは〈同じ(あるいは共通の)第三の商品〉になると述べているのです。
    ここでは、すでに表式が逆転して、リンネルがすでに一般的等価形態になっているのですから、>ーーと、第一・第二の
    形態と同じく、第三の形態でも、等価形態は前提ーーという社会的常識を、彼らは批判できなかったのです。

     http://blog.goo.ne.jp/sihonron/e/54b8fb7b4af892ce1c7d80c89a1f849c
    第27回「『資本論』を読む会」の報告
    ◎全体的な価値形態から一般的な価値形態への移行
   <ところでここでマルクスがリンネルを〈同じ第三の商品〉と述べていることに異論を唱えている人がいます(山内清前掲
    書)。つまり〈リンネルは、第二形態では当事者の一方であるから、「第三の」は疑問〉(前掲99頁)だというのです。
    しかし上記の一文をよく読むと、マルクスは〈彼らのいろいろな商品の価値を〉と述べています。つまりリンネルと交換
    して自分たちの商品の価値を表現する〈他の多くの商品所持者〉にとっては、彼らの商品相互の関係から見ると、リンネ
    ルは〈同じ(あるいは共通の)第三の商品〉になると述べているのです。
    ここでは、すでに表式が逆転して、リンネルがすでに一般的等価形態になっているのですから、こうした表現はそれを示
    唆しているものと考えられ、何ら問題はないと思います。>

   杉本ーー現行版【8】パラグラフの正しき記述ーー理解を求めて、次の比較が出きるな!と思ってやってみた。
    「一般的価値形態をなしている無数の等式は」ーーと示す記述を一般的等価形態と理解する、英明な堺の先生方々の誤解
    はどこからか?
     Aーー「リンネル自身の現物形態がこの世界の共通な価値姿態なのであり、それだから、リンネルは他
        のすべての商品と直接に交換されうるのである。」
     Bーー「亜麻布の身体的形態は今や諸商品の諸価値によって共同して装われた形態であるそれはしたが
        ってそれらのうちの全てかつどれとも直接交換可能となる。」
     Cーー身体のリネンは現在、すべての商品の価値によって共通に仮定された形態です。それゆえ、それ
        らのすべてとすべて直接的に交換可能になる。
     Dーーリネンの物体としての形が、今や、全商品の価値の共通的な形と見なされる。だから、それが、
        全てまたはそれぞれと直接交換できるものとなる。
     Eーー 商品の全世界を包含する相対的価値の一般形式は、他の全ての商品から隔離されて、ただ等価
        の役割を演じさせる、ある一つの商品-ここではリネン-を、全世界的な等価物に変換する。
        リネンの物体としての形が、今や、全商品の価値の共通的な形と見なされる。
        だから、それが、全てまたはそれぞれと直接交換できるものとなる。
     Fーー商品世界を包括する一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価物商品に、一般的
        等価物という性格を押しつける。リンネルはいまや他のすぺての商品と直接に交換可能である。
        したがって、リンネルの自然形態は同時にその社会的形態でもある。リンネルを生産する私的労
        働である機織は、これがために、社会的労働という性格、他のすべての労働と同等である形態を
        獲得する。

    ① http://p.booklog.jp/book/19345/read 『資本論』 第1部 第1章・第2章 詳解
    http://blog.goo.ne.jp/sihonron/e/3089c84b59ae181d571acdf7e6ac0095
    第29回「『資本論』を読む会」の報告 ◎等価形態の変化した姿
    初版付録では、ここに〈二 等価形態の変化した姿〉という項目が入ります。
    だからこのパラグラフでは一般的価値形態では等価形態はどのように変化しているかが考
    察されています。
    【8】パラグラフ
   A〈 商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から除外された等価物商品、リンネル
    に、一般的等価物という性格を押しつける。 リンネル自身の現物形態がこの世界の共通な
    価値姿態なのであり、それだから、リンネルは他のすべての商品と直接に交換されうるの
    である。
    リンネルの物体形態は、いっさいの人間労働の目に見える化身、その一般的な社会的な蛹
    化として認められる。
    織布、すなわちリンネルを生産する私的労働が、同時に、一般的な社会的形態に、すなわ
    ち他のすべての労働との同等性の形態に、あるのである。 一般的価値形態をなしている無
    数の等式は、リンネルに実現されている労働を、他の商品に含まれているそれぞれの労働
    に順々に等置し、こうすることによって織布を人間労働一般の一般的な現象形態にする。
    このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実の労働のすべての具体的形態
    と有用的属性とが捨象されている労働として、消極的に表わされているだけではない。
    この労働自身の積極的な性質がはっきりと現われてくる。 この労働は、いっさいの現実の
    労働がそれらに共通な人間労働という性格に、人間の労働力の支出に、還元されたもので
    ある。〉資本論(1)新日本新書P114~115

    ②英和訳『資本論』
 https://sites.google.com/site/heyizibenlun/home/diipian-shang-pinto-huo-bi-1/1zhang-di1jie-yitsuno-shang-pinno-zhongno-ertsuno-yao-yin-shi-yong-si-zhito-si-zhi/1zhang-di3jie-si-zhino-xing-taisunawachi-jiao-huan-si-zhi
   B(C1-7段)
     相対価値の一般形態は、諸商品の全体世界を抱擁して、単一の商品、その残りから排除さ
    れて、そして同等物[等価物]の役を演じるようにされた商品ーここでは亜麻布ーを、普遍
    的同等物[等価物]に転換する。
    亜麻布の身体的形態は今や諸商品の諸価値によって共同して装われた形態である; それは
    したがってそれらのうちの全てかつどれとも直接交換可能となる。
    その本質亜麻布が可視的化身、あらゆる種類の人間労働の社会的な蛹態となる。
    織布、これはある私的な個人たちが特定の品物、亜麻布を生産する労働である、が、結果
    として、一つの社会的性格を獲得する、すべての他の種類の労働と同等なものという性格
    を[獲得する]。
    価値の一般形態を構成するこれらの数え切れないほどの等式、が、順繰りに亜麻布のなか
    に体現された労働を、あらゆる他の商品のなかに体現された労働と相等しくする、そして
    それらがこのようにして織布することを、差別を立てられていない人間労働の明示の一般
    形態へと転換する。
    このように諸商品の諸価値のなかに実現された労働はその否定的な側面のもとにおいてば
    かりでなく提示される、そのもとに抽象がなされているどの具体的形態と実際の仕事の有
    用な属性からなされた抽象のもとにおいてばかりでなく、それ自身の肯定的な性質を明白
    に知らせるようにされている。
    この一般的価値形態は全ての種類の実際の労働を一般的に人間労働であるそれらの共通な
    性格への還元であり、人間の労働力の消費であることへの還元である。

   C ③<杉本ーー下記 直訳>
  The general form of relative value, embracing the whole world of commodities, converts the single commodity that is excluded from the rest, and made to play the part of equivalent ? here the linen ? into the universal equivalent.
The bodily form of the linen is now the form assumed in common by the values of all commodities; it therefore becomes directly exchangeable with all and every of them.
The substance linen becomes the visible incarnation, the social chrysalis state of every kind of human labour.
    ①商品の世界全体を包括する相対価値の一般的な形態は、商品世界から除外された単一の
    商品を変換し、同等の部分(ここではリネン)を普遍的な同等物にする。
    身体のリネンは現在、すべての商品の価値によって共通に仮定された形態です。 それゆ
    え、それらのすべてとすべて直接的に交換可能になる。物質のリネンは人間労働の目に見
    える化身、あらゆる種類の人間の労働の社会的な<蛹ー蝶>の状態になります。
 Weaving, which is the labour of certain private individuals producing a particular article, linen, acquires in consequence a social character, the character of equality with all other kinds of labour.
The innumerable equations of which the general form of value is composed, equate in turn the labour embodied in the linen to that embodied in every other commodity, and they thus convert weaving into the general form of manifestation of undifferentiated human labour.
    ②以上の事柄から、リネンを生産する特定の私的個人の労働である製織は、結果として社
    会的性格、他のすべての種類の労働との平等の性格を獲得する。
    一般的な価値形態が構成されている無数の方程式は、リネンで具現化された労働と他のす
    べての商品に組み込まれた労働とを同一視し、よってリネンの機織りを未分化な人間の労
    働の一般的な形に変換する。
 In this manner the labour realised in the values of commodities is presented not only under its negative aspect, under which abstraction is made from every concrete form and useful property of actual work, but its own positive nature is made to reveal itself expressly.
The general value form is the reduction of all kinds of actual labour to their common character of being human labour generally, of being the expenditure of human labour power.
    ③このようにして、商品価値の中で実現される労働は、あらゆる具体的な形態や実際の仕
    事の有益な性質から抽象化されているという否定的な側面だけでなく、一般的価値形態
    は、あらゆる種類の実際の労働を、人間の労働力であるという共通の特徴、一般に人間の
    労働力の支出に還元することである。

   D ④宮崎訳ーー 英語版
https://www.marxists.org/nihon/marx-engels/capital/chapter01/index.htm
   (9 ) 商品の全世界を包含する、相対的価値の一般形式は、他の全ての商品から隔離され
    て、ただ等価の役割を演じさせる、ある一つの商品-ここではリネン-を、全世界的な等
    価物に変換する。リネンの物体としての形が、今や、全商品の価値の共通的な形と見なさ
    れる。だから、それが、全てまたはそれぞれと直接交換できるものとなる。
    物質リネンが、あらゆる種類の人間の労働の、目に見える化身、人間の労働 の社会的結晶
    状態となる。機織り、特定のもの、リネン、を生産するある私的な個人の労働が、こうし
    たことから、社会的な性格、他のあらゆる種類の労働と等質の性格を持つことになる。
    数えきれない行並びの等式、価値の一般形式は、それぞれ、リネンに込められた労働が、
    他の全ての商品に込められたものと同等であることを網羅する。そして、さらに、機織り
    を、区別できない「人間の労働」の表明の、一般形式に変える。
    これらのことによって、商品の価値である労働が、様々で具体的な労働形式や有益な現実
    の仕事等々をはぎ取った労働という、見えにくい面ばかりでなく、それらの目に見える形
    をその労働自体として表すようにもなるのである。
     価値の一般形式は、全ての種類の現実の労働を、人間の労働一般という共通的な性格に、
    また、人間の労働力の支出に要約する。

   E ⑤《フランス語版》8段落
     商品世界を包括する一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価物商品
    に、一般的等価物という性格を押しつける。リンネルはいまや他のすぺての商品と直接に
    交換可能である。したがって、リンネルの自然形態は同時にその社会的形態でもある。
    リンネルを生産する私的労働である機織は、これがために、社会的労働という性格、他の
    すべての労働と同等である形態を獲得する。
    一般的価値形態を構成する無数の等式は、リンネルのなかに実現されている労働を、この
    リンネルとかわるがわる比較される各商品のなかに含まれている労働と同一視して、機織
    を、人間労働がそのなかに現われるところの一般的な形態にする。
    このようにして、商品の価値のなかに実現されている労働は、たんに消極的に、すなわ
    ち、実在の労働の具体的形態と有用な属性とがそこで消滅するところの抽象として、表わ
    されるだけではない。その積極的な性質がはっきりと確認される。
    この労働は、すべての実在の労働を、人間労働すなわち同じ人間労働力の支出というそれ
    らの共通な性格に、還元したものである。〉(40-41頁)

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