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    <title>コモンズ掲示板</title>
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    <description></description>
    <dc:language>ja</dc:language>
    <dc:date>2009-11-07T11:23:52+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://8918.teacup.com/rev21/bbs/141">
    <title>『資本論』の読み方</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/141</link>
    <description>　この間の杉本さんとの討論にも示されるように『資本論』には様々な読み方があります。
　超感性的な存在が動き回り、商品が人間に意志を押し付ける神話世界の中で、神の子羊を探し求める予言の書という読み方もあれば、資本主義経済を分析した経済学論文という読み方もあります。
　２回にわたって「関係式」を使って展開した投稿は、後者の視点に立ったとき資本論の冒頭に何が書かれているかを分析したものでした。そしてその視点から読んだ時、マルクスの『資本論』の著述には多くの不適切な表現や矛盾点、いくつかの明白な誤りすら存在すること…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-11-07T11:23:52+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>呪物崇拝を迫られる商品関係のなかに私たちはいる</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/140</link>
    <description>自由ネコさん
＞人間も「ただのモノ」です。
もちろん「物とは異なる人間」などと、人間を何か霊的な特別の存在とか、魂があるとかないとか、特別視したがる人びとがいることは知っていますが

リカード派社会主義が
「真の富は･････人間である」――とのべたそのどこに
＞人間を何か霊的な特別の存在
――とするという主張があるのでしょうか？彼らは即物的な唯物論です。まったくの誤解です．
商品の交換関係が使用価値の量的関係として現象するために、そこに結ばれた人々の関連が物と物との関係として、倒立した姿態として受…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-26T17:45:16+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://8918.teacup.com/rev21/bbs/139">
    <title>「タダモノ」論････についてひとこと</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/139</link>
    <description>「タダモノ」論････とベーリの呪物崇拝
という投稿読みました。
人間も「ただのモノ」です。
もちろん「物とは異なる人間」などと、人間を何か霊的な特別の存在とか、魂があるとかないとか、特別視したがる人びとがいることは知っていますが、そうした主張に私は興味ありません。ですから、ベーリの呪物崇拝云々に反論するつもりも、そもそも検討するつもりもありません。あしからず。</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-25T23:12:48+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>商品交換での関係式の変形</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/138</link>
    <description>前回、“もの”の交換の際に使用価値や交換価値、価値の間でどのような関係が存在するか考えてきました。貨幣と商品の登場で交換関係が偶然的なものから日常的に行われるようになると、それらの関係はどのような変形を受けるか検討することが、次の課題となります。

《貨幣＝交換過程にとどまった“もの”》
交換関係が日常的に行われると、様々な“もの”がその交換価値によって別の様々な“もの”の使用価値を実現する代わりに、ある特定の“もの”が日常的に交換過程の中にとどまり、その交換価値によって別の様々な“もの”の使用価値を実現する傾向が強…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-25T22:24:35+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>＜経済学批判でのベイリー批判＞</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/137</link>
    <description>次ぎのは10年ほども前になると思うのですが、ある資本論のメーリングリストに書いたものです．ここに再録させてください．

経済学批判でのベイリー批判
私は､＃381で資本論草稿集7ベイリー批判を・・・・・
「私は、私の著書の第一冊（経済学批判）で、私的交換に基づく労働を特徴づけているのは、労働の社会的な性格が物の「属性」として-転倒して-「表わさ」れ、また、社会的な関係が物(生産物、使用価値、商品)のあいだの関係として現象することだ、ということを述べておいた。例の呪物崇拝の使徒は、この外観を、ある現実的なものと解し…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-22T00:06:15+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>＞「タダモノ」論････とベーリの呪物崇拝</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/136</link>
    <description>自由ネコさん
＞唯物論というのは結局、目の前に存在するただのモノから出発し、それに関して考えていくクソ・リアリズムの考え方だと思っています。唯物論を何か「タダモノ」論以上の高尚な哲学だなどと考えるところに歪みと腐敗が始まるというのが、私の考えです。

＞「タダモノ」論

「タダモノ」論支持者とは、・・・・・反スターリン主義運動40年の自由ネコさんがおっしゃるとは思いませんでした．

「タダモノ」論とは、失礼ながら次ぎの見解を云うものと思っていました．
チガウノデスカ？

「すなわち、物…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-21T06:22:48+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>タダモノ主義者です。それが何か？</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/135</link>
    <description>こんばんは
とりあえず誤解がある様なので、
私は「タダモノ」主義者という言葉で自分を卑下したつもりもありませんし、「タダモノ」主義者が悪口だとも思いません。
唯物論というのは結局、目の前に存在するただのモノから出発し、それに関して考えていくクソ・リアリズムの考え方だと思っています。唯物論を何か「タダモノ」論以上の高尚な哲学だなどと考えるところに歪みと腐敗が始まるというのが、私の考えです。もっとも、「哲学なんて無意味だ」と公言して周り中の同志からひんしゅくをかったことがありますので、あまりおおっぴらには言わ…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-20T00:55:42+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>商品･貨幣･資本の廃止という課題</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/134</link>
    <description>自由ネコさん
＞私は「タダモノ」主義者なので、

よかですか･････、私はあなたがタダ物論などとは一言も評していません．そんな悪口、卑下するために、膨大な時間を使って、パソコンに向かっていません。私は貧乏ですから、上さんの白い目に耐えながら････です。

＞唯物論者を自認する方に観念論などというのは相当失礼
―――と評したのは貴方です。

自由ネコさんのお考えが、初期社会主義、あるいは哲学的に言えばフォイエルバッハに似ているなと考え、マルクスのその止揚の仕方はどうであったのか？？？？を私も学び、勉…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-23T05:32:44+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>ちなみに</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/133</link>
    <description>杉本さんはいろいろな引用を紹介して下さいますが、実はマルクスからの引用を含めてほとんど読んでいませんし、内容的検討はまったくといっていいほどしていません。そうした引用が示しているのは、過去にそのような文章を書いた人物がいたという以上のものではありません。その文章が仮に逐語的に引用されているとしても、引用された著者の主張を的確に示しているかどうか保証されていません。その主張の全体系の中で検討してはじめてその部分の主張の意味が確定する訳ですから、一部を取り上げて論じても意味ありません。何より、杉本さん自身の主張そのも…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-18T22:11:35+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://8918.teacup.com/rev21/bbs/132">
    <title>あまりに抽象的な……</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/132</link>
    <description>杉本さんこんばんは
いそがしくて、しばらくこちらには来れませんでしたが、「『20世紀社会主義』の挫折の総括」を拝見しました。
「国家権力を自由な諸個人からなる生産者自身に移す」とはどういうことなのでしょう。私は「タダモノ」主義者なので、例えばその年に何台の自動車を生産するのを決めるのは誰なのか、ある土地に米を植えるべきか、キャベツを植えるべきかどうやって決めるのか、そうしたことが明らかにされないと、賛成とも反対とも判断できません。
黒寛の『社会感の探究』は、学生運動をはじめたころ最初の10ページほどを読んで、…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-18T21:37:00+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>観念論という評価について</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/131</link>
    <description>自由ネコさん
＞唯物論者を自認する方に観念論などというのは相当失礼ではないかと思って指摘することをためらっていました。

リカード派社会主義のトマス･ホジスキンは、ヘーゲル主義者であろう筈が無く、
素朴な唯物論であると誰しも思うはずですね。ところがマルクスは異なる判断をしていたのです．
かれの、『労働擁護論』へのマルクスのコメントに面白いものがありましたので紹介します．

「第一のパンフレットは、「富とは自由にできる時間に他ならない」という言葉で終わっている．
　ホジスキンの見解はこうである…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-17T08:09:36+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://8918.teacup.com/rev21/bbs/130">
    <title>〓「20世紀社会主義」の挫折の総括</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/130</link>
    <description>自由ネコさん
＞申し訳ありませんが、私も唯物論者なので「神の子羊」を見つけることに興味はもてません。

無理からぬことなのですが・・・・・そうですね、次のところをお読み願います．

コモンズ創刊号（2008/6/10）
http://www.com21.jp/journal/001/001_06-07.html
「プログラム(骨子案)」わたしたちの理念と世直しの構想

〓「20世紀社会主義」の挫折の総括
　簡潔に言えば、ロシア革命に始まる「20世紀社会主義」の挫折は、「国家社会主義」と「共産党一党独裁」に帰結したその革命プログラムと党組織論自身…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-15T10:06:50+09:00</dc:date>
  </item>
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    <title>ようやく理解できました</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/129</link>
    <description>杉本さん、こんばんは
ようやく、どのへんで意見が異なっているのか、理解できました。
「労働生産物が事実上の抽象と判断を行い、人間はそれを自らの判断として受け取る」…。まさにヘーゲルですね。マルクス経済学を学ぼうという方は唯物論者に違いないという思い込みがありましたので、なかなか杉本さんの主張が理解できませんでした。確かに杉本さんの展開がかなり観念論的だとは感じていたのですが、唯物論者を自認する方に観念論などというのは相当失礼ではないかと思って指摘することをためらっていました。
「価値」ないしは「抽象的人間…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-13T21:33:44+09:00</dc:date>
  </item>
  <item rdf:about="http://8918.teacup.com/rev21/bbs/128">
    <title>事実上の抽象と判断</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/128</link>
    <description>自由ネコさん
＞しかし、使用価値や価値、具体的有用労働や抽象的人間労働などというものが現実にある訳ではありません。存在するのはただ一人ひとりが行う現実の労働であり、それが生み出す“もの”でしかありません。

＞一人ひとりが行う現実の労働であり、それが生み出す“もの”

それに対して、私は次のように述べています．
＞この関係では労働生産物が事実上の抽象と判断を行い、人間はそれを自らの判断として受け取り
――という事態として理解すると述べています．

次のところです．
＞このような論述がなんと…</description>
    <dc:creator>杉本</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-13T20:21:46+09:00</dc:date>
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  <item rdf:about="http://8918.teacup.com/rev21/bbs/127">
    <title>とりあえず</title>
    <link>http://8918.teacup.com/rev21/bbs/127</link>
    <description>前回のメールで別稿でと述べた商品交換における関係式の変形を提示してから説明した方がわかりやすいのですが、とりあえず１点だけ述べさせていただきます。

杉本さんが、「使用価値としては、諸商品は、何よりもまず、相異なる質であるが、交換価値としては、相異なる量でしかありえず、したがって、一原子の使用価値も含まない」
それゆえ
「もしもわれわれが労働生産物の使用価値を捨象するならば、われわれは、労働生産物を使用価値にしている物体的諸成分と諸形態をも捨象しているのである」
を根拠に
「諸商品の共通性は、労…</description>
    <dc:creator>自由ネコ</dc:creator>
    <dc:date>2009-10-12T13:40:58+09:00</dc:date>
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