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     相対的価値形態と等価形態との混同を初版から正す その2

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 3月 7日(水)18時03分44秒
  通報 返信・引用 編集済
      2018年 1月19日に同名の論文を投稿したが、再度挑戦し、改稿してみました。
    A 初版の第二の形態と再版・英語版との対比をなしてみる。語ることは同じか?
     ① 初版
      Ⅱ 相対的価値の、第二形態・あるいは発展した形態
     20エレのリンネル=1着の上着 または =u量のコーヒー または =v量の茶
    または =x量の鉄 または =y量の小麦 または =等々
    ・・・・・
     20エレのリンネル=1着の上着 という表現では、上着はリンネルにおいて対象化され
    ている労働の現象形態として認められていた。こうして、リンネルのなかに含まれている労働
    は、上着のなかに含まれている労働に等置され、したがってまた同種の人間労働として規定さ
    れたのである。とはいえ、この規定は明示的には現われていなかった。
    第一の形態はリンネルのなかに含まれている労働をただ裁縫労働にたいしてのみ直接に等置し
    ている。
     第二の形態はこれとは違っている。
    リンネルは、その相対的な諸価値表現の無限な、いくらでも延長されうる列において、リソネ
    ル自身のなかに含まれている労働の単なる諸現象形態としてのありとあらゆる商品体に関係し
    ている。それだから、ここではリンネルの価価がはじめて真に価値として、すなわち人間労働
    一般の結晶として、示されているのである。
     第二の形態は、第一形態のの等式そのものの合計からな成り立っている。
     (『資本論』初版 原P24~25 江夏訳)

      ②再版ーー英語版(宮崎訳)
   https://www.marxists.org/nihon/marx-engels/capital/chapter02/index.htm
     1. 拡大された相対的価値形式
    (1) 単一の商品の価値、例えば、リネンは、かくして、数えきれない程の商品世界の品々
    によって、表現される。他のすべてのいかなる商品もかくて、リネンの価値の鏡となる。
    故に、この拡大表示は、この価値が自身を、その真実の光の中に、なんの違いもない人間の労
    働の凝結物として示す最初の瞬間となる。
    それらを作り出した労働が、明らかに、姿を表し、そこに立っている。
    労働がその他の様々な人間の労働を等しいものと指し示している。
    人間の労働の形式がなんであれ、仕立てであろうと、農耕であろうと、採鉱であろうと、なん
    であろうと、関係ない。すなわち、その労働が作り上げたものが、上着だろうと、トウモロコ
    シであろうと、鉄や黄金であろうと、全く関係ない。
    リネンは、今、その価値形式(価値形態)に基づき、社会的関係の中に立っている。
    もはや、単なる他の一商品との関係ではなく、商品世界の全てとの関係にある。
    商品として、世界市民の如く。また、この終のない価値等式の連鎖が、同時に、商品の価値を
    意味している。その使用価値の特定の形や種類がどうであれ、なんの違いもないのである。


    初版 再版の論旨を、以上から挙げてみよう。
    ①ーーa「いくらでも延長されうる列において、リンネル自身のなかに含まれている労働
        の単なる諸現象形態としてのありとあらゆる商品体に関係している。」
       b「リンネルのなかに含まれている労働は、上着のなかに含まれている労働に等置
        され、したがってまた同種の人間労働として規定されたのである。」
       c「ここではリンネルの価値がはじめて真に価値として、すなわち人間労働一般の
        結晶として、示されている・・」
       d「第二の形態は、第一形態のの等式そのものの合計から成り立」つ

    ②ーーa「他のすべてのいかなる商品もかくて、リネンの価値の鏡となる。」
       b「・・労働がその他の様々な人間の労働を等しいものと指し示している。」
       c「 リネンは、今、その価値形態に基づき、社会的関係の中に立っている。」
       dリネンは「単なる他の一商品との関係ではなく、商品世界の全てとの関係にある」

     両者の相違を検討してみる。
    ②に示される再版の事柄で、①との違いを示すのは、他のあらゆる諸商品がリネンの価値形態
    であり、リネンの価値鏡であることだが、①ではそうではないのだろうか?
    なるほど①では、他の諸商品が、商品世界の市民として規定されてはいない。
    しかし、その他の諸商品が、
      「リンネル自身のなかに含まれている労働の単なる諸現象形態としてのあり とあら
      ゆる商品体に関係している」ことで、「リンネルの価値がはじめて真に価値として、」
      示されることでーー第二の形態は、第一形態のの等式の合計から成立、とあります。

      a 「他のすべてのいかなる商品も、・・・リネンの価値鏡」となり、
      b その役立ちによって、あらゆる労働が抽象的人間労働であることを示し、
      c リンネルの価値がはじめて、bの結晶であることで、真に価値としてーー示され
      d このa b c により、他の諸商品が展開された価値形態をこそ形成した
       ーーのですから、初版と再版との区別はできないということなのです。

    このように、リンネルのあらゆる商品での相対的価値表現において、ーー他のあらゆる諸商品
    が、「価値鏡」の役立ちをなすことで、第一の形態の価値形態が多種多様な価値形態をなして
    いる。
    そして、個別的に、リンネルが価値であるとの判断・反省規定を受けたのであり、それが、
    ①ーーbcであり、②ーーbの事柄であり、そして第二の展開された相対的価値形態ですから、
    それこそが、労働生産物が商品となる商品世界が形成されたということではないのか?

      しかし、第二の形態では商品世界の形成を受け取ることで、個別的には各商品の孤立
      性はありながらも、他方で各商品は商品世界の住人であることで価値形態を受け取る、
      一般性があるのです。
      この転身が起こることで、他のあらゆる諸商品が個別的に「価値鏡」の役立ちをなす
      ことで、第一の形態のように、上着は、リンネルからの個別性ではなく、商品世界か
      ら価値であり、価値形態とのーー個別的判断を受け取るのです。
      この「価値鏡」の役立ちは、ここでは個別的であり、特殊的ですが、一般的価値形態
      では普遍的になっています。

      この違いは明白です。

    再度冒頭を掲げます。
     ①「単一の商品の価値、例えば、リネンは、かくして、数えきれない程の商品世界の品々
     によって、表現される。他のすべてのいかなる商品もかくて、リネンの価値の鏡となる。」
     ②「リネンは、今、その価値形式(価値形態)に基づき、社会的関係の中に立っている。」

    このように、リンネルの反省規定が、ここでは商品世界を形成し各商品はこの世界の住人で
    あることで、価値であり、価値形態との個別的な物象の判断を受け取り、規定されているの
    です。
    こうして、展開された価値形態が、交換可能性の形態として左極にて受け取られています。

    第二の形態として、左極にて、このように展開された相対的価値形態が受け取られたのであ
    り、ここでは、上着などはリンネルの価値であり、価値体であり、価値形態となっていた。
    今度は右極で、あらゆる商品が、個別的に特殊的な等価形態になっている。
    ここでマルクスの示していることは、上着などは、リンネルの価値体であることで等価形態
    になっているのではないのです。
    次の文章は、とても判読が難しいことが、ここに認識できるか・どうか?なのです。

    「  (三)特殊的な等価形態
     上着や茶や小麦や鉄等々の商品はどれも、リンネルの価値表現では、等価物として、した
    がって価値体として認められている。これらの商品の特殊的な現物形態が、いまでは、他の
    多くのものと並んで、ひとつの特殊的な等価形態になっている。
    同様に、いろいろな商品体のうちに含まれている、種種雑多な特定の・具体的な、有用な、
    労働種類も、いまでは、ちょうど同数の、単なる人間労働の特殊的な実現形態あるいは現象
    形態として、認められているのである。」(初版付録原P779 江夏訳P777)

    このように第二の形態では、商品世界が示されることで、等価物上着などは、
    「ちょうど同数の、単なる人間労働の特殊的な実現形態あるいは現象形態として、認められ
    ている」ーーことで、その役割を示す特殊的な等価形態になるのです。
    ーーしかし、この付録・再版で示される特殊的等価形態の説明が、人々に理解されないのは
    何故であろうか?それは、次のA Bの区別ができず、一体的に理解するからです。

    「A 上着や茶や小麦や鉄等々の商品はどれも、リンネルの価値表現では、等価物として、
    したがって価値体として認められている。
    B これらの商品の特殊的な現物形態が、いまでは、他の多くのものと並んで、ひとつの特
    殊的な等価形態になっている。」


    このように、<上着等々の商品は、リンネルの相対的価値表現では等価物であり価値体と示
    せたのは、>相対的価値表現として、同じだからです。
       第一の形態の11段落段落にても次の記述があるからです。
       「すなわち、リンネルは、抽象的人間的労働の感覚的に存在する物質化としての、
       したがってまた現に存在する価値体としての、上着に関係するのである。上着がこうい
       うものであるのは、ただリンネルがこのような特定の仕方で上着に関係するからであ
       り、またそのかぎりにおいてのみのことである。上着の等価物存在は、いわば、ただリ
       ンネルの反射規定なのである。」(初版 国民文庫版55-6頁)

    「リネンは、今、その価値形式(価値形態)に基づき、社会的関係の中に立っている」ー
    ーことで為したのでした。
     だから、マルクスがここに示しているのは、相対的価値表現の形態と等価形態の区別は、
    主体的になす読者自身の判読が要求されるーーということであります。

    こうして、等価物は価値体であるーーにて価値関係の量的側面であることへの批判をこそ示し
    ている第二の形態の方が、既に前提にされている第一の形態の論旨を浮かび上がらせる。
    この道先案内によって、第一の形態の論旨を見出していきます。
    初版での第一の形態での、榎原さんの誤解についての指摘をまた準備したい。






 
 
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