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    資本論再版・第一の価値形態の、原文とは異なる日本語訳の迷妄 その2

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 5月14日(月)01時37分31秒
  通報 返信・引用 編集済
      原文訳とばかり思っていた、現行第四版資本論の価値形態の記述が、異なり、間違っていた!
    ネット社会のありがたさで、エンゲルス版・第四版の記述とは異なるーー和訳の誤訳を、私達
    は、戦後ずっと提示されてきたのです!

    偶然 英語版資本論のページを駆け巡っていて、ドイツ語版資本論のサイト発見しました。
    第一形態の価値形態の点検をしてみると、やはり価値物の記載は無いのです。
    そして8段落のAが王様であり、Bが臣民であること、以上二点にて、学会であり、左翼
    全ての理解ーー和訳の誤りが、点検できました。

    正しき再版の記述に呼応して、この第一の形態への杉本の理解を、述べてみました。
    ドイツ語のほうは分かりにくいので、削除しての編集としてしてみました。

    http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_3

    3. Die Wertform oder der Tauschwert
    3.価値形態または交換価値
<63>
    A) Einfache, einzelne oder zufällige Wertform
      シンプル、シングルまたはランダム価値形式
 x Ware A = y Ware B oder: x Ware A ist y Ware B wert.
(20 Ellen Leinwand = 1 Rock oder: 20 Ellen Leinwand sind 1 Rock wert.)

 1. Die beiden Pole des Wertausdrucks: Relative Wertform und Äquivalentform
     2. Die relative Wertform        2.相対価値フォーム
    a) Gehalt der relativen Wertform   a)相対価値フォームの内容

 ①商品の単純な価値が2つの商品の価値にどのようにあるのかを知るためには、まず量的側面とは全く無関係に商品を考える必要があります。

ほとんどの場合、反対の方向に行動し、2種類の商品の特定のQuantaが互いに等しい割合のみの値の関係を見ます。異なるものの大きさは、最初に同じ統一性に還元された後、定量的に比較可能になることは見落とされている。 同じ単位の表記が同じ名前のものであり、したがって相応の量である(17)

 ②20エレのリネン= 1コート、すなわち= 20着の上着、すなわち=リネンの数量が多くても数着の上着であっても、そのような割合は常にキャンバスとスカートは表現が同じ統一の表現であることを意味するです。 リネン=上着は方程式の基礎です。

 ③しかし、質的に等しい2つの商品は同じ役割を果たすわけではありません。
リネンの値だけが表現されます。ではどのようにしてですか?
彼女と彼女の「同等の」または「交換可能な」ものとしての彼女の関係を通して。

この関係では、上着は値としての価値の存在とみなされます。
その理由は、それがリネンと同じであるからです。一方、リネンの独自の価値は、独立した表現をもたらします。これは、同等のものとして、または交換可能なものとして、上着に関連する価値があるためです。

   <杉本ーーこの3段落の提示は素晴らしいですね!
   上着は価値の存在形態であり、値としてその姿とは異なる「価値」
   であると規定されているのです。
   そして他方、この規定をしたリネンは、このように交換可能性を示
   すことが出来たことで、ここでは潜在していますがその性質を、独
   立した性質を表現しますーー次に述べたいことを語るのです。
   この提示されている事柄は、初版提示の価値存在の表現が如何にし
   てなせるのか?と言うことであります。>
   <ここには、「上着は価値の実存形態として価値物として通用」な
   どの余計な文言はありません。
   ここでは既に上着は価値の存在形態であり、価値と規定されてる>

 例えば、酪酸はプロピルとは異なる体である。
しかし、同じ組成のC4H8O2である炭素(C)、水素(H)および酸素(O)と同じ化学物質からなる。酪酸が蟻酸プロピルと同等である場合、蟻酸プロピルはこの場合単にC4H8O2の存在であり、第2に酪酸もC4H8O2からなると言われる。
蟻酸プロピルを酪酸と同等にすることによって、その化学物質はその体の形状とは異なるであろう。

   <(蟻酸プロピル)はC4H8O2の存在であり、第2に酪酸もC4H8O2
   からなるーー>とは?
   ここに、上着が--価値物--などとマルクスの筋書きとは異なる異説
   を挿入することで、価値体論へと論理のすり替えを行っているので
   あり、価値実体の論証でもあるかと人々を大混乱させているので
   す。>

 ④商品として、商品は単なる人間の労働のゼリーであると言うので、私たちの分析はそれらを価値の抽象化に還元するが、それらの自然な形とは異なる価値形態を与えない。 ある商品の価値が別の商品と異なる。その価値観は、他の商品との独自の関係を通じてここに現れます。

 ⑤加えて、例えば、 もし上着がリネンの価値と等しいとすれば、その中の作品はその作品と同じです。今、キャンバスを作る織りの一つであるスカートを作る服飾は、別の具体的な仕事です。

しかし、織り方の方程式は実際にはどちらの仕事でも、人間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを抽象します。 この迂回路では、価値を織り成すならば、織り合わせることは、仕立てという顕著な特徴、すなわち抽象的な人間労働を持たないと言われています。

   <この版にて驚くのがこの訳出です。我々が常識と考える理論的抽
   象--事実上の抽象が否定されているかに思えるからです。しかし、
   ここは、明らかに理論的抽象であることが、次に述べられているよ
   うに、そのことが否定されて、「回り道」をしているのです。
   現行版では、この回り道がこの5段落にて成立しており、6段落にて
   の補強の必要を見なかったのに、ここでは次の6段落にての提示が
   あることで論理の整合性が叶います。しかし、ここには驚きます。>

実際に様々な商品に関わる様々な労働を共通の人間の労働(17a)に還元することによって、異なる商品の同等性の表現だけが価値創造労働の特定の性格を引き出す。

 ⑥ しかし、リネンの価値である作品の特定の性格を表現するだけでは不十分です。
液体状態や人間の労働における人間の労働は価値があるが、価値はない。
比喩的な形で凝固した状態で値をとるのです。
リネンの価値を人間労働のゼリーとして表現するためには、それはリネン自体とは違って、他の商品と共通する「客観性」として表現されなければならない。 問題はすでに解決されています。

   <上着が、「リネンの価値」として抽象的人間労働の凝固物として
   のみだけではなく、「他の商品と共通する「客観性」として表現」
   する必要があるのだからと、マルクスは、上着は価値の存在形態と
   表現されるーーための必要条件への、駄目押しーーをしている。
   しかし、新日本版・長谷部訳だと「対象性」なのです。
   5段落での事実上の抽象が、完遂できなかったその理由をこそ、ここ
   に、その「客観性」--と述べているのにです。>

 ⑦リネンの価値観において、上着は質であるため同じ性質のものとして質的に等しいとみなされる。 したがって、彼・上着は価値が出現するもの、またはその有形の自然な形で価値を表すものとみなされます。

   <価値の存在形態であり、価値であり、抽象的人間労働の凝固物で
   あることにおいて上着は、リネンの価値観がここに示されることで
   対象的形態である上着は、①「彼、上着は価値が出現するもの、
   ②またはその有形の自然な形で価値を表すもの 」ーーと二つの観
   点である価値存在であり、価値・その実体としての抽象的人間労働
   ーーと示されているのです。

しかし、今、上着、rockwareの本体は、単なる使用価値です。
上着は最初の最高のリネンよりも価値はない。
これは、リネンとの価値関係の範囲内だけではなく、ギャロッピングされた<金モールで飾られた>上着の中で人がどれくらい多くのことを意味するのかーーということを証明しています。

   <①「彼、上着は価値が出現するもの、
    ②またはその有形の自然な形で価値を表すもの 」
    と二つの観点である
      a-価値存在であり、
    b-価値・その実体としての抽象的人間労働>
    ーーとリンネルとの価値関係から反省規定を受けている上着は、
    皆さんどんな規定を、受けていたのですかねーーとの質問です。

      著者は、読む人々に3~7段落の論旨の確認を、求めているのです。
   3段落からの、上着は価値の存在形態であることは、人々に見えていないで
   あろう、ーーとして、再度はじめからの事項の反復を求めているのです。>
   <仏語訳
   「リネンの価値を人間労働のゼリーとして表現」の事柄についての、
   仏訳での提起は、ほんとうに素晴らしい!ここで起こる転倒を次に示す。

   「しかしながら、リンネルの価値を産む労働の独自の性格が表現されるだけ
   では充分ではない。流動状態にある人間労働力、すなわち人間労働は、たし
   かに価値を形成するが、価値ではない。それは、ある物体という形態におい
   てのみ価値になるのである。
   従って、リンネルの価値を表現するためにみたさなければならない諸条件は、
   自己矛盾しているようにみえる。
   一方では、リンネルの価値を、抽象的人間労働の純粋な凝縮<凝固>として
   表さなければならない。
   商品は価値としては、これ以外の実在を持たなければならないからである。
   同時にこの凝縮<凝固>はリンネル自体とは明らかに違った(異なった)あ
   る物体という形態を帯びなければならず、この形態は、リンネルのものであ
   りながら、リンネルにとっては他の商品と共通なものなのである。」
   (仏語版 P21)

 ⑧上着の生産では、実際には仕立ての形で、人間の労働が費やされました。 人間の仕事は彼の中に積み重ねられます。
この側面によれば、上着は「価値の存在形態」<旧訳 価値の担い手>であるが、これはその財産そのものが、最大の縫い目によって見えないのです。

  <またも驚きます!価値実体しか意識にないので翻訳者は「価値の担い手」>

また、上着の価値の面では、この側面のみに適用されるため、具体化された価値として、価値体として適用されます。
彼の可愛い姿にもかかわらず、リネンは彼女の中で価値のある血統関連の美しい価値魂を認めています。しかし、同時に<上着の形を取る価値>がなければ、彼女は価値あるものではありません。

  <新日本-ー「上着がリンネルに対して価値を表すことは、同時にリンネルにと
   って価値が上着という形態をとることなしにはできないことである。」

     この訳の間違えは、後者にあるわけではない。むしろ、その前の
    「上着がリンネルに対して価値を表すことは・・」ではなく、
    「上着がリンネルに対して価値であることは・・」なのです。
    ーーこのように、価値表現を示す、この訳が誤りなのです。
    ここでの論理の運びは、とても難しい! 要注意であります。

   A上着が<価値体>を示す、ことが、<リネンの上着による相対的価値表現>
    には辿り着かないーー「美しい価値魂を認めて」ることでは、できない、と。

   Bここでは、既に--「上着の価値の面では、」とされるーーことでは、その
    先の見解--理解にたどり着かない、とされています。

       C <上着の形を取る価値>への転換によりてー「価値形態」ーその姿が
    <彼女は価値あるもの>として、自らを、示すことができるのです。

    この規定の前提のもとで、「体化された価値であり価値体」(新日本訳)で
    あることがなされているのに、この転換のあることを、訳者・先生は見てい
    ないのです。

    以上に示された反省規定であるーー上着がリンネルの等価物であることでの、
    形態転換をこそ3~8段落で、次のように、その4段階が示されてきたのです。
     ③リンネルの価値存在の表現--価値の存在形態
     ⑤上着は価値として人間労働の凝固物
     ⑦a-価値存在であり、b-価値・その実体としての抽象的人間労働
     ⑧だから、ここでは価値体・上着であることができるのは?、との
      質問を見出さなければ、物象の社会関係は対象外になります。
     aリンネルの等価物上着が<上着の形を取る価値>と判断されることで、
      <価値形態>上着が規定され、次に、やっと
     b<彼女は価値あるもの>であり、<価値は上着>の規定を受け取る--
     cそこで、先に示された、上着が、「体化された価値であり価値体」の成立
      があることで、価値表現がなされ、そのことに依っているのです。

     ここに、相対的価値表現と、価値存在の表現との区別が見出されなければ、
     物象の判断である価値形態上着での価値表現は、理解できないのです。


   この経路に示される反省規定においては、諸物象の判断に依りて、この物象
   の社会関係である価値関係が形成されるーーことでの、価値形態の成立と云
   うことであります。
   ここに、リンネルの価値形態が、次のように<王と臣民の関係>と示された。
   原文・再版
   「個人Aは、AのためのBの体型を仮定し、・・・その土地の父親と変えるこ
   となければ、威厳を装うことで個人Bに王として振る舞うことはできない。」
   <新書版>
   「・・個人Aが個人Bにたいして陛下に対して態度をとることは、同時に、
   Aにとって陛下がBという肉体的姿態をとること、したがって、顔つき、髪
   の毛、その他なお多くのものが、国王の交換のたびに替わることなしには、
   できないように。」(新書版P88)

    <この訳は、Aはえい・・と素直にそのまま訳したのではない。>
   この王と臣民の関係の例示の理解は、リンネル自身が、この価値関係により
   反省規定することが、
   「個人Aは、AのためのBの体型を仮定し・・その土地の父親と変える・・」
   --と示されたことが、<上着の反射規定>として理解され、上着は王冠をか
   ぶらせられた王に、<Aにとって陛下がBという肉体的姿態をとること>に、
   すり替えられたのではなかろうか?

   これが、日本での既存訳の間違いなのです。
   「この側面によれば、上着は「価値の存在形態」である」--のに、
   人間労働の凝固物としての上着は、ーーとの視点では、上のことが見えない。
   「上着は「価値の存在形態」である」のはリンネルの価値存在が表現される
   ーーことに依っている視点であることで、物象の判断が示された。

   だから、相対的価値表現しようとするリンネルが、価値関係の命ずるままに、
   自身の姿を、価値存在であるリンネルの価値形態として表現する、のです。

したがって、個人Aは、AのためのBの体型を仮定し、したがって顔の特徴、髪、および他の多くのものをその土地の父親と変えることなければ、威厳を装うことで個人Bに王として振る舞うことはできない。

 ⑨上着がリネンの等価物となる価値関係では、上着形態は価値形態とみなされます。
したがって、商品リネンの価値は、商品上着の本体、他の商品の使用価値における商品の価値で表されます。
使用価値として、リネンは上着とは異なる官能的なものです。価値としてはリネンは、「上着のような」もので上着に見えます。 したがって、それはその自然な形とは異なる価値形態を受け取る。
それらの価値は、この<上着のような形>で、キリスト教徒の羊の性質のように、神の子羊と平等に見えます。

   <10 11 段落は略>
グーグル英和訳ソフト
   Google 翻訳   https://translate.google.co.jp/?hl=ja
英語・独語 何でもありです。

http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/7778/1/61-2otani-1.pdf

次も是非とも参照願います。 初版での悪訳--誤訳の凄まじさ・・であります。

 初版の理解について ②
http://8918.teacup.com/rev21/bbs/1633


  杉本への意見があり、しかし、公開はされたくない、という人は、次の
   dt.nifty@gmail.com    ヘどうぞお願いします。

 
 
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