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商品のフェティシズムの性格とその秘密 の初版 再版 の対比(そのⅡ)

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月 5日(木)15時58分31秒
  通報 返信・引用 編集済
           初版                              再版

しかし、これらの方程式のそれぞれは反射的にコート、コーヒー、
紅茶などをユニバーサル等価物として生成し、結果的にコート、
コーヒー、紅茶などで価値表現を生み出します。
すべての他の商品の普遍的な相対価値形式として。商品が普遍的な
同等形態に変わるのは、他の商品に対抗する場合のみである。

しかし、すべての商品は、他のすべての商品とは反対の普遍的な同
等の形に変わります。
すべての商品が、他のすべての商品と、それに対応する自然な形で
普遍的な同等の形に対応している場合、結果として、すべての商品
は社会的に有効な価値量の表示から除外されます。
すべての商品が、他のすべての商品と、それに対応する自然な形で
普遍的な同等の形に対応している場合、結果として、すべての商品
は社会的に有効な価値形態の表示から除外されます。

普遍的な等価形態・それ自身の自然な形態を、ユニバーサル等価形
態としています。
このように、明らかに、商品の分析は、相反するベクトルにおける
価値形態と価値形態そのもののすべての本質的な決定をもたらし、
普遍的な相対価値形式、普遍的な等価形式、そして最後に終わりの
ない単純な相対価値表現 - これは、最初に、値形式の発展におけ
る移行期に最初に形成され、最終的には普遍的な等価物の具体的な
相対価値形式に突然移行するためである。

価値形態と価値形態そのものを矛盾するベクトルで表現すると、普
遍的な相対価値形式が得られ、ユニバーサル等価形態も同じく得ら
れます。

しかし、商品の分析は、これらの形式を一般的な商品形態(これは
また各商品にも適用される)として矛盾する形でもたらした。した
がって、商品Aが矛盾した形態決定の1つにある 商品B、Cなどはそ
れに反対するものを採用する。

しかし、ここで決定的に重要なことは、価値形態が価値概念から生
まれたことを証明するために、概念的に表現された価値形態の内面
的な必要なつながりを証明する<発見する>ことでした。

  <that the value form  価値の形式
  <the value-concept 価値観・価値概念
  <value-substance, and value-amount; i.e.,
  <価値 - 質であり、価値 - 量である。
  <substance,物質、amount 量

                                4.商品のフェティシズムの性格とその秘密
①商品は一目瞭然だと自明で些細なことだ。それの分析は、それが  ①一見すると、商品は自明で些細なものに見えます。彼女の分析
非常に残酷なものであり、形而上学的微妙さと神学的嫌悪に満ちて  によると、彼女は非常にトリッキーなことであり、形而上学の精
いるという洞察をもたらします。単なる使用価値として、その属性  巧さと神学的な紆余曲折がいっぱいです。使用価値に関する限
が人間の必要を満足させるという視点から考えるか、人間の労働の  り、その特性によって人間のニーズを満たすという観点か、人間
産物としてのみこれらの属性を得るのかどうか、それは卓越したも  の労働力の産物としてこれらの資質を得るかどうかにかかわら
のは何もない官能的なものです。人間が彼の活動によって、自分に  ず、神秘的なことは何もありません。人間が彼の活動を通して、
とって有益な方法で自然の物質の形を変えるという事実には、まっ  彼に有用な方法で天然物質の形態を変えるのは完全にはっきりし
たくの謎はありません。                     ています。例えば木の形状。あなたがそれからテーブルを作ると
たとえば、木の形は、テーブルを作ると変更されます。       きに変更されます。それにもかかわらず、テーブルは木であり、
それにもかかわらず、テーブルは木で、普通の、官能的なものです。 普通の官能的なものです。しかし、商品として出現するとすぐ
しかし、商品として脱出するとすぐに、それは感覚的に超感性的な  に、彼は感覚的に超越的なものに変身します。彼は足で地面に立
ものに変身する。それは地面に足を立てるだけでなく、他のすべて  っているだけでなく、他のすべてのコモディティに逆さまにな
の商品と対峙し、突然踊り始めるよりは はるかに驚異的な木製の  立っているだけでなく、他のすべてのコモディティに逆さまにな
頭蓋骨から発達します。                     り、自分の自由意志で踊り始める時よりもはるかに気まぐれな木
                                製の頭からクリケットを育てます。(25)

②商品の神秘的な性格は、その使用価値には生じない。それは、   ②商品の神秘的な性格は、その使用価値から湧き出るものではあ
それ自体で考慮された価値決定から少しだけ生じます。まず第一   りません。 価値判断の内容からは発生しません。
に、有用な労働や生産活動が異なっていても、それは他の生物とは  まず第一に、有用な仕事や生産活動がどのように異なっているか
区別されるような特異的な人体の機能であり、そのすべての機能や  については、それらが人間の機能であり、その内容や形態が何で
内容、本質的には人間の脳、神経、筋肉、知覚器などの支出であ   あれ、本質的に人間の脳の支出であるという生理学的な真理であ
る。                              る 、神経、筋肉、センスオルガンなどです。
第2に、価値の量の決定に基づいているもの(その支出の時間、ま   第二に価値ーー価値の決定に基づいて、その支出の期間、また
たは労働量)、その量は肉眼でも知覚可能な方法で労働の質と区別  は労働の量は、労働の質とは明らかに区別される。 すべての州
できることは明らかである。すべての条件において、異なるレベル  で、食糧の生産にかかる作業時間は、開発のさまざまな段階で男
の開発で同じレベルではないが、人間にとって懸念される必需品の  性が均等には関わらず、関心を持たなければなりません。(26)
生産にかかる労働時間であった。最後に、男性がどんなやり方でも  最後に、男性が何らかの形でお互いに働くとすぐに、彼らの仕事
互いのために働くとすぐに、彼らの労働は社会的形態を獲得する。  は社会的利益シェイプを受け取ります

③彼の島にRobinson Crusoeを連れて行きましょう。それでも、   ③それで、商品の形態を取るとすぐに、作品の謎めいた性格はど
彼は自然のように控えめですが、彼は満足するためのさまざまな   こから来ていますか?明らかに、このフォーム自体から。人間の
ニーズを持っていますし、さまざまな種類の役に立つ労働をしなけ  仕事の平等は、作業成果物の同じ値性の関数形式を受け取り、そ
ればならず、道具を作って家具を作り、ラマを飼い、魚や狩りなど  の期間によるヒトの労働力の支出の尺度は、作業成果物の価値の
をする必要があります。私たちのロビンソンは彼らからの喜びを引  大きさの形をとり、自分の仕事の中に、これらの社会的ルールの
き出し、そのような活動をレクリエーションとみなしているからで  生産者の最終的な条件作業成果物の社会的関係の形式を受け取り
す。彼の生産的な機能の多様性にもかかわらず、彼は1つの同じロ   ます。
ビンソンの様々な形の活動だけであることを知っているので、人間
の労働の異なるモードです。・・・略・・・

④ロビンソンの所在地に自由男性組織を置くと、共通の生産手段を
使って、多くの個々の労働力を意識的に一つの社会的労働力として
費やすならば、ロビンソンの労働の決定はすべて繰り返されます。
個人的な方法よりも。それにもかかわらず、本質的な違いが出てく
る。すべてのロビンソンの製品は彼の独占的な個人的生産物であ
り、それによって彼のためにすぐに使用の対象となりました。
組織全体の製品はソーシャルプロダクトです。・・・略・・・
                                ④したがって、商品形態の謎は、労働生産物そのものの社会的性
    <長谷部訳 資本論 1 の4段落>           質として、労働生産物そのものの表象的な特徴としての自分の労
  商品形態の神秘性なるものは、たんに次の点にある、ーー    働の社会的特性を人間に反映させるだけであり、したがって、労
  というのは、商品形態は、人間じしん労働の社会的性格を    働者全体に対する生産者の社会的関係それらの社会的関係として
  労働諸生産物そのものの対象的性格として・これらの物の    のオブジェクトとしています。
  社会的な自然属性として、人間の目に反映させ、したがっ
  てまた、総労働にたいする生産者たちの社会的関係を、彼    この取り違えを通して、作業成果物は物品、感覚的に精神的また
  らの外部に実存する諸対象の社会的な一関係とし反映させ    は社会的な品物になります。
  るということ、これである。この交替によって、労働諸生
  産物は商品ーー感性的で超感性的または社会的な物となる。
  たとえば、物が視神経に与える光の印の印象は、・・・     したがって、視神経上のものの軽い印象は、視神経そのものの主
    <河出書房 世界の大思想18 P66下段>         観的な刺激としてではなく、目の外のものの客観的な形態として
                                現れる。
     <英語版> の分かりやすさを、見よう。        しかし、見ると、光は実際にあるものから、外側のものから、別
  ④この世界では、人間の脳の生産物は、人生に恵まれた     のもの、目に投げられるようになります。それは物理的なものの
  独立した存在として現れ、お互いと人間の両方に関係して    間の物理的な関係です。一方、商品形態とそれが提示された労働
  いるように見えます。だから、人々の手の製品を持つーー    生産物の価値は、その物理的性質と結果的な具体的関係とはまっ
  商品世界にあるのです。商品はそれゆえに神秘的なもので    たく無関係である。
  す。なぜなら、その中に人々の労働の社会的性格が、その    それはここでは物事の関係の想像的な形を仮定しているのは、人
  労働の産物に刻印された客観的な性格として現れるからで    間自身の明確な社会的関係だけです。
  す。                            したがって、類推を見つけるためには、宗教界の霧の多い地域に
  生産者と自らの労働の総量との関係は、自分自身の間では    逃げなければなりません。
  なく、労働生産物の間に存在する社会関係として、彼らに    ここでは、人間の頭部の製品は、自分自身と人類の間で、自分の
  提示されるからです。                    人生の恵みを受ける独立した形を持っているようです。
  これが、労働生産物が商品となり、その性質が感覚によっ    だから、商品の世界では人間の手の製品。
  ては知覚されながらも、同時に知覚できない社会的事物と    これは私がフェチシズムと呼ぶものです。フェティシズムは、商
  なる理由である。                      品として生産されるとすぐに働く製品に固執し、したがって商品
  同じように、物体からの光は、視神経の主観的興奮として    の生産とは切り離せません。
  ではなく、目の外側の何かの客観的な形態として、我々に
  よって知覚される。
    <英語版>

     フェティシズムは、<英語版>ではこう言い表されています。
    <生産者と自らの労働の総量との関係は、自分自身の間ではなく、労働生産物の間に存在する社会関係として、彼らに提
    示されるからです。これが、労働生産物が商品となり、その性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できな
    い社会的事物となる理由である。>
    労働生産物の間に存在する社会関係ーーとは何でしょうか?
    長谷部先生は、価値関係と原文にはない記述を見せています。しかし、諸商品が商品世界に在しているのですから、ネ。
    一般的価値形態を構成する限りで、諸商品は存在し、そのためには、諸商品は、何よりも価値形態であることで、自らの
    そのーー社会的存在の形態を示し、自ら価値であリ、使用価値である商品形態を示しています。
    しかし、この理解であれば、物事は、リンネルが一般的価値形態であることで、他のすべての諸商品は価値形態であるこ
    とになり商品世界が形成されていることになるのですが、しかし、マルクスは、この主張を打ち出していず、次の英語版
    にあるように、ーーその性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できない社会的事物となるーーこの理由を
    これから追求します、と述べているのではないか?
    何故なら、諸商品の社会関係が、価値関係であり物と物との関係になっているーーと示したのではなく、物と物との関係
    となっているこの幻影的形態の何故!を、ベーリ批判を、私達生産者に示しているのです。
    だから、長谷部訳・次の記述はないと思います。
    <商品形態は、・・・これらの物の社会的な自然属性として、人間の目に反映させ、>との訳出は、無いのです。
    <それはここでは物事の関係の想像的な形を仮定しているのは、人間自身の明確な社会的関係だけです>との、四版の原
    文記述への認識は、日本の学者先生にはーー無いのです。


⑤商品形態をとるとすぐに、それはフォームを仮定する労働生産物  ⑤先の分析がすでに示しているように、商品世界のこの
の困惑を引き起こすのだろうか?                 〈this fetish  character〉神秘的な性格は、商品を生産する
                                労働の独特の社会的性格から生じる。

⑥人々が、同等な人間労働の客観的な外皮とみなす限り、彼らが価  ⑥商品は独立した私的な仕事の産物であるため、これらは最初に
値として互いの製品を関連付けている、この客観的な外見のもとで  商品になります。
は、その様々な労働は同質な人間の労働とのみ見なされます。    これらの私的な作品の複雑さは、社会的な仕事の全体を形成しま
   <その様々な労働は同質な人間の労働とのみ>       す。
彼らは、彼らの製品を価値として互いに関連づけていることによっ  生産者は作業成果物の交換を通じて社会的接触を得るに過ぎない
て、さまざまな労働を人間の労働として互いに関係づけています。  ので、彼らの私的な仕事の特定の社会的性格はこの交換の中での
個人的な関係は、客観化された形式によって隠されている。     み現れる。(Or, in fact, )実際には、私的な作品は、人間関係
だから、価値が何であるかは額に書き込まれません。        と生産者との関係によって、社会的活動のメンバーとしてのみ
彼らの製品を商品として互いに関連付けるために、人々は様々な労  機能します。
働を抽象的な人間労働と見なすことを強いられます。        したがって、私的な作品の社会的関係は、後者にとって彼らのも
   <人々は様々な労働を抽象的な人間労働と見なす>      のであると思われます。むしろ、人間の直接的な社会関係として
                                ではなく、事実上の人間関係と物事の社会的関係とである。
彼らはそれを知らないが、物質的なものを抽象化し価値に還元する
ことによってそれを行う。これは原始的なものであり、無意識のう  ⑦彼らの交換の中でのみ、作業成果物は、彼らの感覚的に異なる
ちになす本能的な脳の動作であり、必然的に物質的生産の特定の様  功利主義的客観性から分離された、社会的に等しい価値 - 客観性
式と、この生産がそれらを構成する関係から生長する。       を受ける。

まず、彼らの関係は実用的なモードで存在します。しかし、第二   この作業成果物を有益な物と価値に分割することは、交換所が既
に、彼らの関係は彼らの関係として存在する。           に十分な程度と重要性を獲得した時点で実用的にしか機能しない
                                ため、交換のために有用なものが作られ、このように物の
それが彼らのために存在するか、または脳に反映される方法は、   〈the value character 〉価値性格は生産されても考慮されま
関係の本質から生まれます。後で、彼らは科学の助けを借りて、自  す。
分の社会的製品の謎を後ろから取り除こうとします。今や価値の大
きさに関わる限り、私たちは、互いに独立して(しかし、彼らが原  この瞬間から、プロデューサーの私的な作品は、実際には二重の
始的な分業のメンバーであるために)プライベートな労働は、あら  社会的性格を持っています。
ゆる面で常に社会的に縮小されている偶発的かつ絶え間なく変化し  一方では、特定の有用な仕事として、彼らは特定の社会的必要性
ている製品の交換関係において、その生産に社会的に必要な労働時  を満たさなければならず、したがって、労働の社会分裂の自然シ
間は、例えば、重力の法則がそうであるように、規制自然法則とし  ステムの全仕事のメンバーであることを証明しなければならな
て強制的に適用されるという事実は頭の上に落ちる。        い。
   <生産に社会的に必要な労働時間は規制的自然法則>     他方、彼らは、すべての有用な私的な仕事は、他の有用な種類の
したがって、労働時間による価値量の決定は、相対的な商品価値の  私的な仕事と交換可能であり、従ってそれに無関心であるという
見かけの動きの中に潜んでいる謎である。             条件で、彼ら自身の生産者の多様なニーズだけを満足させる。
生産者自身の社会運動は、生産者がその動きを制御するのではな   人間の労働として所有する共通の性格への縮小において、実質不
く、その制御下にあるオブジェクトの動きの形態を所有している。  平等を抽象化してのみ存在することができる。


最終的には価値形態に関わる限り、私たちは、民間労働者の社会的  私的生産者の脳は、私的な仕事のこの二重の社会的性格を、実際
関係とその結果として私的労働者の社会的決定を客観的に覆い隠す  の交易、製品の交換において - 彼らの私的な作品の社会的に有
のはちょうどこの形態に過ぎないことに気付く。          用な性格 - 現われる形でしか反映しない。これらの物質的に異
私がコートと言うなら、ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的な物  なるもの、労働の製品の共通の価値、で仕事の異なる種類の平等
質化としてリネンに関係しています。               の他の社会的な性格にする。
物を置くような狂気は目に飛びます。
しかし、コート、ブーツなどの生産者がこれらの商品をユニバーサ  ⑧だから、人々は、類似の人間の労働の事実上のカバーに過ぎな
ル相当品としてリネンに関連付けると、彼らの私的労働の社会的関  いので、これらのことは価値観として、お互いに価値のある商品
連性は、まさにこの狂気のような形で現れます。(原P38~39)   を関連付けることはありません。 逆に、なのです。
                                彼らの多様な製品を価値の交換の対象にするには、彼らの異なる

⑦これらの形式はブルジョア経済のカテゴリーを正確に構成する。  作品を人間の労働と見なします。彼らはそれを知らないが、彼ら
彼らは歴史的に決定されたこの社会的生産形態の生産の関係のため  はそうする。 (27)
に、社会的に妥当な、したがって客観的な考え方である。      したがって、彼は彼のものの額に書かれていません。むしろ、価
                                値はすべての作業成果物を社会的象形文字に変換します。後で、
⑧民間生産者は、プライベートプロダクトを通じて初めて社会的接  人々は、価値としての商品の決定が言語としての社会的産物であ
触に入る。彼らの労働の社会的関係は結果として労働者の社会的関  るため、自分の社会的製品の秘密を超えて、象形文字の意味を解
係として即座に現れるのではなく、客観化された人間関係または対  読しようとする。
象の社会的関係として現れているように見える。          労働生産物が、価値である限り、生産に費やされた人間の労働の
                                客観的な表現は、人間の進化の歴史の中で時代を作りますが、決
しかし、社会的事物としてのオブジェクトの最初の、そして最も普  して労働の社会的性格の客観的な類似を避けていません。
遍的な発現は、労働生産物を商品に変身させることである。     独立した民間企業の具体的な社会的性格が人間の労働としての平
                                等にあり、労働生産物の価値キャラクターは、商品の生産条件に
 ⑨したがって、商品の神秘主義は、民間生産者の私的労働の社会  おける発見の前後に現れ、科学的分解と同じくらい最終的なもの
的決定が労働生産物の社会的自然的決定と見なされるという事実か  である。
ら生じる。
                                <上記事柄を英明な英語版の記述で引用しておきます>
事実から、すなわち、人の生産の社会的関係は、物の社会的関係と  ⑧したがって、私たちが労働力の支出を価値としてお互いに関連
してお互いに、そして関係する人に現れるということから。     づけるこれらの事柄により、同質な人間的労働の物質的な容器が
民間労働者の社会的労働の全体に対する関係は、それに反して自分  見えるからではありません。
自身を客観化し、その結果、彼らのために物の形で存在する。    <Quite the contrary> まったく逆なのです。
                                交換によって、私たちが異なる製品を価値として評価するときに
普遍的生産の社会的関係が彼らのように自社製品に向かって行動す  は、まさしくその行為によって、人間の労働として、異なる種類
ることにある商品の生産者の社会への商品(故にその値)とその本  の労働が支えられているとみなします。
に、お互いに自分のプライベートな労働に関連する目的としての、  私たちはこれに気づいていませんが、それでもやっています。
フォームである同じ人間労働というのであれば、それはキリスト教  [28独注27]
であります。                          したがって、価値は、それが何であるかを記述するラベルでぶつ
特にブルジョワ的開発である、プロテスタンデイズムなどにおいて、 かることはありません。
抽象的な人の宗教に最も適切な形態をとっている。         むしろ、すべての製品を社会的象形文字に変換するのは価値で
                                す。
古代のアジア、アンティークなどの生産形態では、製品が商品に変  その後、私たちは自分たちの社会的製品の秘密を守るために、象
身し、コモディティ・プロデューサーとしての人間の存在は従属的  形文字を解読しようとします。有用性のオブジェクトを価値とし
な役割を果たすが、コミュニティが衰退の段階に入るほど大きくな  てスタンプするのは、言語と同様に、それは社会的産物であるか
る。本物の商業人は、Epicurusの神のような古代世界の隙間にのみ  らなのです。
存在するか、またはポーランド社会の孔の中のユダヤ人のように存  最近の科学的発見は、労働は、価値である限り、産出に費やされ
在する。                            た労働の物質的表現であり、実際には人類の発展の歴史の時代を
それらの古代の社会的生産生物は、ブルジョア生物よりもはるかに  示すものであるが、決して、労働の社会的性格が私たちに見える
単純で透明であるが、他の人とのつながりや自然種の臍の欠損のな  霧を、製品そのものの客観的性質であるーーとはいえないように
い未成年者、即時のマスタとスレーブの関係に基づいています。   消散させるものではありません。
                                私たちが扱っている特定の生産形態、すなわち商品の生産は、独
彼らは、人生の憲法の物質的プロセスの中で男性の対応関係が制限  立して運営されている私的労働の具体的な社会的性格は、その労
され、結果的にお互いに、また自然に、労働力の生産力が低くなる  働のあらゆる種類の平等の中にあり、それは人間の労働であるこ
という条件づけがなされている。この実際の制限は、古代の自然や  とから、 それゆえ、この事実は、製品において価値形態を前提
人気のある宗教における理想主義の様式に反映されています。現実  にしている -この事実は、上記の発見にもかかわらず、現実と同
世界の宗教的な反映は、実用的な日常生活の関係が男性にとって、  じように、生産者にも現れます。 空気の成分が、ガスの科学で
日常的に透明で合理的な関係を自然と表現するようになるとただ消  解明されても、大気そのものは変わらないままであった、ように
えてしまいます。しかし、関係は自分自身を自分のものとして表現  です。」<英語版資本論>
することしかできません。
                                ⑨まず第一に、生産者が交換をする際に実質的に懸念すべきこと
生きる社会プロセス(すなわち、生産の物質的プロセス)の形態は、 は、彼らが自社のためにどれくらいの他の製品をどれだけ手に入
それが意識的で計画された支配の下で自由に社会化された男性の製  れたのかということです。
品として立つと、その霧の神秘的なベールを打ちのめすだけである。 どのような割合で製品は交換可能ですか?
しかし、それが起こるためには、社会の物質的基盤が要求されるか、  これらの比率は、習慣によってある種の安定性を達成したと
あるいは長く痛みを伴う開発の歴史の元の産物である物質的存在条  き、製品の性質から生じるように見えるので、例えば、1トンの
件の列が要求される。                      鉄と2オンスの金は自然に1ポンド異なる物理的および化学的性
                                質にもかかわらず、金と鉄のポンドの重量が等しいと思われる。
 ⑩政治経済学は、たとえ不完全であっても、価値と価値の価値を  価値を持つという性格は、製品に一度感銘を受けたときに、その
分析するために、今は確かにあります。              行動の理由だけで固定性を獲得し、お互いに価値の量として再作
なぜ労働は価値があるのか、時間的持続性による労働の尺度自体が  用します。
価値の量で現れているのかという疑問が提起されたことはありませ  これらの量は、生産者の意志、先見性、行動とは無関係に、絶え
ん。                              間なく変化する。
彼らの額には、生産過程が人を支配するが、人々は生産過程を習得  彼らにとって、彼ら自身の社会的行動は、生産者を支配するので
していない社会形成に属していると書かれている。このような形態  はなく、生産者を支配する物の行動という形をとっている。
は、社会的生産のような自明な自然的な必需品としてのブルジョワ
的意識を意味する労働そのものなのです。             それは、その前に商品の完全に開発された生産を必要とし、その
社会生産的生物のプレブルジョワの形態は、それに応じて政治経済  蓄積された経験だけから、科学的な確信が湧き上がり、民間労働
によって扱われており、おおむねプレキリスト教の宗教が教会の父  のすべての種類が独立して運営されていること、そして、お互い
親によって扱われているのと同じです。              に、そして社会的分業の自発的に発達した枝として、社会が必要
                                とする量的比率にまで、そこに対象化された労働が、継続的に縮
                                小されつつあるーーことを示している。
                                なぜ?
                                なぜなら、製品間の偶発的かつ絶え間なく変動する交換関係の
                                すべての中で、その生産に社会的に必要な労働時間は、自然の過
                                大乗法のように強制的に主張するからです。
                                したがって、重力の法則は、家が私たちの耳に当たったときにそ
                                れ自体を主張する。[28]
                                したがって、労働時間による価値の大きさの決定は、商品の相対
                                価値の見かけの変動の下に隠された秘密である。
                                その発見は、製品の価値の大きさの決定からの単なる事故のすべ
                                ての出現を取り除いているにもかかわらず、その決定が行われる
                                様式を変えるものではない。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  <初版⑥                          <再版⑩>
 <ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的物質化としての      <私がその岩やブーツなどを言うとき抽象的な人間の労働の一般
  リネンに関係しています。物を置くような狂気は・・・>    的な実現形態としてキャンバスを参照していて、その表現の狂気
                                は目を引く。>
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

⑩したがって、商品の神秘主義は、民間生産者の私的労働の社会的  ⑩彼らの科学的分析を含む人間の生活の様式を反映すると、まず
不変ではなく、その内容に関するものとみなされます。       第一に、真の発展に反する道を提案する。
                                ポストフェスティムを開始し、その結果、開発プロセスの完成し
決定が労働生産物の社会的自然的形態と見なされるという事実から  た結果が表示されます。
このーー事実から、すなわち、人の生産の社会的関係は、物と物の  人間がこれらの形態の歴史的特徴を説明しようとする前に、労働
社会的関係としてお互いに、そして関係する人に現れるということ  生産物を商品に刻印して商品流通にさらされている形態は、すで
から。                             に社会生活の自然な形態の堅さを持っている。

民間労働者の社会的労働の全体に対する関係は、それに反して自分  したがって商品価値の分析だけが価値の決定につながりまました。
自身を客観化し、その結果、彼らのために物の形態で存在する。   商品の共通の金銭的条件であり、価値のキャラクターの固定につ
普遍的な生産関係の社会的関係が、商品としての商品への行動    ながったのです。
(価値としての価値)として成り立っており、彼らの私的労働を互  しかし、民間労働の社会的性格、したがってそれを明らかにした
いに平等な人間の労働である客観的な形態で関係づけている--商  のではなく、民間労働者の社会的条件を不明瞭にするのは、商
品生産者の社会にとって、特にブルジョワ的展開、プロテスタンデ  品世界のこの完成した形態、つまりお金の形態です。
イズムの発現などにおいて、抽象的な人の宗教に最も適切な形態を
とっている。                          私がその岩やブーツなどを言うとき、抽象的な人間の労働の一般
古代のアジア、アンティークなどの生産形態では、製品が商品に変  的な実現形態としてキャンバスを参照していて、その表現の狂気
身し、コモディティ・プロデューサーとしての人間の存在は従属的  は目を引く。
な役割を果たすが、コミュニティが衰退の段階に入るほど大きくな
る。本物の商業人は、Epicurusの神のような古代世界の隙間にの   しかし、ロックやブーツなどの生産者が、これらの
み存在するか、またはポーランド社会の孔の中のユダヤ人のように  商品をキャンバス、つまり何も変わらない金や銀を参照すれば、
存在する。それらの古代の社会的生産生物は、ブルジョア生物より  それが、思考形式である。
もはるかに単純で透明であるが、他の人とのつながりや自然種の臍
の欠損のない未成年者、即時のマスタとスレーブの関係に基づいて  一般的な同等物として、彼らの私的な作品と社会的な仕事の関係
います。彼らは、人生の憲法の物質的プロセスの中で男性の対応関  は、この狂った形で現れる。
係が制限され、結果的にお互いに、また自然に、労働力の生産力が  彼らの形式は、社会的に妥当であり、つまり、この歴史的に決定
低くなるという条件づけがなされている。この実際の制限は、古代  された社会生産方式の生産関係、商品の生産関係に対する客観的
の自然や人気のある宗教における理想主義の様式に反映されていま  形態なのです。

す。現実世界の宗教的な反映は、実用的な日常生活の関係が人々に  ⑪商品の世界のすべての神秘主義すなわち商品生産に基づいて労
とって、日常的に透明で合理的な関係を自然と表現するようになる  働生産物を包み込んだすべての魔法や憑依は、他の生産形態に逃
とただ消えてしまいます。                    げるとすぐに消滅します。

しかし、関係は自分自身を自分のものとして表現することしかでき  ⑫・・・以下 略 ・・・
ません。人生の社会的プロセス(すなわち、生産の物質的プロセ                                  ・
ス)の形態は、意識的で計画された制御下で、自由に社会化された  ⑮
男性の製品として立つと、その霧の神秘的なベールを打ち消すだけ
である。

しかし、それが起こるためには、社会の物質的基盤が要求される
か、あるいは長く痛みを伴う開発の歴史の元の産物である物質的存
在条件の列が要求される。(原P39~40)



       ぐーぐるほんやく
       https://translate.google.co.jp/?hl=ja
       再版
       http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_3

       初版ーー英訳
       https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm

       『資本論』第一章「商品」のディアレクティーク  丹野, 正
       http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/949/1/AA11349190_9_1.pdf










 
 
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