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商品のフェティシズムの性格とその秘密 の初版 再版 の対比(そのⅡ)

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月 5日(木)15時58分31秒
  通報 返信・引用 編集済
           初版                              再版

しかし、これらの方程式のそれぞれは反射的にコート、コーヒー、
紅茶などをユニバーサル等価物として生成し、結果的にコート、
コーヒー、紅茶などで価値表現を生み出します。
すべての他の商品の普遍的な相対価値形式としてです。
商品が普遍的な同等形態に変わるのは、他の商品に対抗する場合の
みである。

しかし、すべての商品は、他のすべての商品とは反対の普遍的な同
等の形に変わります。

すべての商品が、他のすべての商品と、それに対応する自然な形で
普遍的な同等の形に対応している場合、結果として、すべての商品
は社会的に有効な価値量の表示から除外されます。

すべての商品が、他のすべての商品と、それに対応する自然な形で
普遍的な同等の形に対応している場合、結果として、すべての商品
は社会的に有効な価値形態の表示から除外されます。

普遍的な等価形態・それ自身の自然な形態を、ユニバーサル等価形
態としています。

このように、明らかに、商品の分析は、相反するベクトルにおける
価値形態と価値形態そのもののすべての本質的な決定をもたらし、
普遍的な相対価値形式、普遍的な等価形式、そして最後に終わりの
ない単純な相対価値表現 - これは、最初に、値形式の発展におけ
る移行期に最初に形成され、最終的には普遍的な等価物の具体的な
相対価値形式に突然移行するためである。

価値形態と価値形態そのものを矛盾するベクトルで表現すると、普
遍的な相対価値形式が得られ、ユニバーサル等価形態も同じく得ら
れます。

しかし、商品の分析は、これらの形式を一般的な商品形態(これは
また各商品にも適用される)として矛盾する形でもたらした。した
がって、商品Aが矛盾した形態決定の1つにある 商品B、Cなどはそ
れに反対するものを採用する。

しかし、ここで決定的に重要なことは、価値形態が価値概念から生
まれたことを証明するために、概念的に表現された価値形態の内面
的な必要なつながりを証明する<発見する>ことでした。

  <that the value form  価値の形式
  <the value-concept 価値観・価値概念
  <value-substance, and value-amount; i.e.,
  <価値 - 質であり、価値 - 量である。
  <substance,物質、amount 量

                                4.商品のフェティシズムの性格とその秘密
①商品は一目瞭然だと自明で些細なことだ。それの分析は、それが  ①一見すると、商品は自明で些細なものに見えます。彼女
非常に残酷なものであり、形而上学的微妙さと神学的嫌悪に満ちて  の分析によると、彼女は非常にトリッキーなことであり、
いるという洞察をもたらします。単なる使用価値として、その属性  形而上学の精巧さと神学的な紆余曲折がいっぱいです。使
が人間の必要を満足させるという視点から考えるか、人間の労働の  用価値に関する限り、その特性によって人間のニーズを満、
産物としてのみこれらの属性を得るのかどうか、それは卓越したも  たすという観点が、人間の労働力の産物としてこれらの資
のは何もない官能的なものです。人間が彼の活動によって、自分に  質を得るかどうかにかかわらず、神秘的なことは何もあり
                                ありません。
とって有益な方法で自然の物質の形を変えるという事実には、まっ  そして、彼に有用な方法で天然物質の形態を変えるのは完
たくの謎はありません。                     全にはっきりしています。例えば木の形状。あなたがそれ
たとえば、木の形は、テーブルを作ると変更されます。       からテーブルを作るときに変更されます。それにもかかわ
それにもかかわらず、テーブルは木で、普通の、官能的なものです。 らず、テーブルは木であり、普通の官能的なものです。
                                しかし、商品として出現するとすぐに、彼は感覚的に超越
しかし、商品として出現するとすぐに、それは感覚的に超感性的な  的なものに変身します。
ものに変身する。それは地面に足を立てるだけでなく、他のすべて  彼は、足で地面に立っているだけでなく、他のすべてのコ
の商品と対峙し、突然踊り始めるよりは はるかに驚異的な木製の  モディティに逆さまにな立っているだけでなく、他のすべ
頭蓋骨から発達します。                     てのコモディティに逆さまになり、自分の自由意志で踊り
                                始める時よりもはるかに気まぐれな木製の頭からクリケッ
                                トを育てます。(25)

②商品の神秘的な性格は、その使用価値には生じない。それは、   ②商品の神秘的な性格は、その使用価値から湧き出るもの
それ自体で考慮された価値決定から少しだけ生じます。まず第一   ではありません。 価値判断の内容からは発生しません。
に、有用な労働や生産活動が異なっていても、それは他の生物とは  まず第一に、有用な仕事や生産活動がどのように異なって
区別されるような特異的な人体の機能であり、そのすべての機能や  いるかについては、それらが人間の機能であり、その内容
内容、本質的には人間の脳、神経、筋肉、知覚器などの支出であ   や形態が何であれ、本質的に人間の脳の支出であるという
る。                              生理学的な真理である 、神経、筋肉、センスオルガンなど
                                です。
第2に、価値の量の決定に基づいているもの(その支出の時間、ま   第二に価値ーー価値の決定に基づいて、その支出の期間、
たは労働量)、その量は肉眼でも知覚可能な方法で労働の質と区別  または労働の量は、労働の質とは明らかに区別される。
できることは明らかである。すべての条件において、異なるレベル  すべての州で、食糧の生産にかかる作業時間は、開発のさ
の開発で同じレベルではないが、人間にとって懸念される必需品の  まざまな段階で人々が均等には関わらず関心を持たなけれ
生産にかかる労働時間であった。最後に、人々がどんなやり方でも  ばなりません(26)
互いのために働くとすぐに、彼らの労働は社会的形態を獲得する。  最後に、人々が何らかの形でお互いに働くとすぐに、彼ら
                                の仕事は社会的利益シェイプを受け取ります

③彼の島にRobinson Crusoeを連れて行きましょう。それでも、   ③それで、商品の形態を取るとすぐに、作品の謎めいた性
彼は自然のように控えめですが、彼は満足するためのさまざまな   格はどこから来ていますか?明らかに、このフォーム自体
ニーズを持っていますし、さまざまな種類の役に立つ労働をしなけ  から。人間の仕事の平等は、作業成果物の同じ値性の関数
ればならず、道具を作って家具を作り、ラマを飼い、魚や狩りなど  形式を受け取り、その期間によるヒトの労働力の支出の尺
をする必要があります。私たちのロビンソンは彼らからの喜びを引  度は、作業成果物の価値の大きさの形をとり、自分の仕事
き出し、そのような活動をレクリエーションとみなしているからで  の中に、これらの社会的ルールの生産者の最終的な条件・
す。彼の生産的な機能の多様性にもかかわらず、彼は1つの同じロ   作業成果物の社会的関係の形式を受け取ります。
ビンソンの様々な形の活動だけであることを知っているので、人間
の労働の異なるモードです。
必要性そのものは、彼の様々な機能の間で正確に時間を分割するよ
う強要する。彼の活動の全体において、より多くのスペースとより
少ないスペースを必要とするかどうかは、意図された有用な効果の
達成のために克服しなければならない、より大きなまたはより少な
い困難に依存する。                       ④したがって、商品形態の謎は、労働生産物そのものの社会
経験は彼に多くのことを教えてくれます。ロビンソンは時計、日   的性質として、労働生産物そのものの表象的な特徴としての
記、インク、ペンを難破船から救ってくれました。彼の在庫には、  自分の労働の社会的特性を人間に反映させるだけであり、し
彼が所有する使用目的のリスト、その生産に必要な様々な作業、そ  たがって、労働全体に対する生産者の社会的関係を、それら
して最終的にこれらの様々な製品の特定の数量が彼に平均的にかか  の社会的関係としてのオブジェクト<例示>としています。
る労働時間のリストが含まれている。               このクイックプロオーク<取り違え>を通して、作業成果物
ロビンソンと彼の自作の富を形成するものの間のすべての関係は、  は物品、感覚的で、霊的な、または社会的な品物になります。
ここでも氏ヴィルトがいることを非常にシンプルかつ透過的である  したがって、視神経上のものの軽い印象は、視神経そのもの
[6]特定の精神行使せずにそれらを理解することができます。それに  の主観的な刺激としてではなく、目の外のものの客観的な形
もかかわらず、価値のすべての本質的な決定がそこに含まれていま   態として現れる。
す。                              しかし、見ると、光は実際にあるものから、外側のものから、
                                別のもの、目に投げられるようになります。それは物理的な
④ロビンソンの所在地に自由男性組織を置くと、共通の生産手段を  もの間の物理的な関係です。一方、商品形態とそれが提示さ
使って、多くの個々の労働力を意識的に一つの社会的労働力として  れた労働生産物の価値は、その物理的性質と結果的な具体的
費やすならば、ロビンソンの労働の決定はすべて繰り返されます。  関係とはまったく無関係である。

個人的な方法よりも。それにもかかわらず、本質的な違いが出てく  それはここでは物事の関係の想像的な形を仮定しているの
る。すべてのロビンソンの製品は彼の独占的な個人的生産物であ   は、人間自身の明確な社会的関係だけです。
り、それによって彼のためにすぐに使用の対象となりました。    したがって、類推を見つけるためには、宗教界の霧の多い地
組織全体の製品はソーシャルプロダクトです。この製品の一部は、  域に逃げなければなりません。
再び生産の手段として役立ちます。それは社会的なままです。しか  ここでは、人間の頭部の製品は、自分自身と人類の間で、自
し、もう一つの部分は組織のメンバーによって必需品として使われ  分の人生の恵みを受ける独立した形を持っているようです。
ています。この部分はそれらの間で分割されなければなりません。  だから、商品の世界では人間の手の製品がそうですね。
方法この分割は、社会生産生物自体及び生産の発展の歴史的同等レ  これは私がフェチシズムと呼ぶものです。
ベルの特定の方法で変更されます。コモディティ・プロダクション  フェティシズムは、商品として生産されるとすぐに働く製品
と並行してのみ、私たちは、各生産者の生活必需品のシェアは、彼  に執着・固執し、したがって商品の生産とは切り離せません。
の労働時間によって決定されることを前提としています。このよう
な場合、労働時間は二重の役割を果たすだろう。その社会的に計画    ④The mystery of the commodity form is thus
された配分は、さまざまなニーズに応じた様々な労働機能の正しい    simply that it reflects back to humans the
割合を制御します。他方、労働時間は、一般労働における生産者の    social characters of their own labor as
個々のシェアの尺度と同時に、それによって個人が使い切ることが    representational characters of the labor
できる共通製品の部分でも機能する。このような場合には、労働者    products themselves, as the social nature
と労働者の社会的関係は、生産と流通の両面において、透明性を保    of these things, hence the social relation
って単純なままであった。                      of the producers to the total labor as a
                                  social relationship of them objects.
                                  Through this quid pro quo, the work                                   products become goods, sensually psychic or
                                   social things.

     <英語版> の分かりやすさを、見よう。
    ④この世界では、人間の脳の生産物は、人生に恵まれた独立した存在として現れ、お互いと人間の両方に関係しているよ
    うに見えます。だから、人々の手の製品を持つーー商品世界にあるのです。商品はそれゆえに神秘的なもので
    す。なぜなら、その中に人々の労働の社会的性格が、その労働の産物に刻印された客観的な性格として現れるからです。

    生産者と自らの労働の総量との関係は、自分自身の間ではなく、労働生産物の間に存在する社会関係として、彼らに提示
    されるからです。
    これが、労働生産物が商品となり、その性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できない社会的事物となる
    理由である。
    同じように、物体からの光は、視神経の主観的興奮としてではなく、目の外側の何かの客観的な形態として、我々によっ
    て知覚される。

     ーーフェティシズムは、この<英語版>ではこう言い表されています。ーー
    生産者と自らの労働の総量との関係は、自分自身の間ではなく、労働生産物の間に存在する社会関係として、彼らに提
    示されるからです。これが、労働生産物が商品となり、その性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できな
    い社会的事物となる理由である。

    <杉本ーー労働生産物の間に存在する社会関係ーーとは何でしょうか?

    <長谷部訳 資本論 1 の4段落>
    商品形態の神秘性なるものは、たんに次の点にある、ーーというのは、商品形態は、人間じしん労働の社会的性格を労働
    諸生産物そのものの対象的性格として・これらの物の社会的な自然属性として、人間の目に反映させ、したがってまた、
    総労働にたいする生産者たちの社会的関係を、彼らの外部に実存する諸対象の社会的な一関係とし反映させるということ
    これである。
    この交替によって、労働諸生産物は商品ーー感性的で超感性的または社会的な物となる。たとえば、物が視神経に与える
    光の印の印象は、・・・
    これに反して商品形態は、またそれが自らを表示する労動諸生産物の価値関係は、・・・・
    それは、人々そのものの一定の社会的関係に他ならぬものであって、この関係がここでは、人々の眼には物と物との関係
    という幻影的形態をとるのである。・・・・・
    <河出書房 世界の大思想18 P66下段ーーP67上段>

    長谷部先生は、価値関係と原文にはない記述を見せています。しかし、諸商品が商品世界に在しているのですから、ネ!
    一般的価値形態を構成する限りで、諸商品は存在し、そのためには、諸商品は、何よりも価値形態であることで、自らの
    そのーー社会的存在の形態を示し、そのことで、自ら価値であリ、使用価値である商品形態を示しています。
    しかし、この理解であれば、物事は、リンネルが一般的価値形態であることで、他のすべての諸商品は価値形態であるこ
    とになり商品世界が形成されていることになるのですが、しかし、マルクスは、この主張を打ち出していず、上の英語版
    にあるように、ーーその性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できない社会的事物となるーーこの理由を
    これから追求します、と述べているのではないか?
    何故なら、諸商品の社会関係が、価値関係であり物と物との関係になっているーーと示したのではなく、物と物との関係
    となっているこの幻影的形態の何故!を、スミス・リカード・ベーリへの批判を、私達生産者に示しているのです。

⑤商品形態をとるとすぐに、それはフォームを仮定する労働生産物  ⑤先の分析がすでに示しているように、商品世界のこの
の困惑を引き起こすのだろうか?                 〈this fetish  character〉神秘的な性格は、商品を生産
                                する労働の独特の社会的性格から生じる。

⑥人々が、同等な人間労働の客観的な外皮とみなす限り、彼らが価  ⑥商品は独立した私的な仕事の産物であるため、これらは
値として互いの製品を関連付けている、この客観的な外見のもとで  最初に商品になります。
は、その様々な労働は同質な人間の労働とのみ見なされます。    これらの私的な作品の複雑さは、社会的な仕事の全体を形
   <その様々な労働は同質な人間の労働とのみ>        成します。
彼らは、彼らの製品を価値として互いに関連づけていることによっ  生産者は作業成果物の交換を通じて社会的接触を得るに過
て、さまざまな労働を人間の労働として互いに関係づけています。  ぎないので、彼らの私的な仕事の特定の社会的性格はこの
個人的な関係は、客観化された形式によって隠されている。     交換の中でのみ現れる。(Or, in fact, )実際には、私的な
だから、価値が何であるかは額に書き込まれません。        作品は、人間関係と生産者との関係によって、社会的活動
彼らの製品を商品として互いに関連付けるために、人々は様々な労  のメンバーとしてのみ機能します。
働を抽象的な人間労働と見なすことを強いられます。        したがって、私的な作品の社会的関係は、後者にとって彼
   <人々は様々な労働を抽象的な人間労働と見なす>      らのものであると思われます。むしろ、人間の直接的な社
                                会関係としてではなく、事実上の人間関係と物事の社会的
                                関係とである。
彼らはそれを知らないが、物質的なものを抽象化し価値に還元する
ことによってそれを行う。これは原始的なものであり、無意識のう  ⑦彼らの交換の中でのみ、作業成果物は、彼らの感覚的に
ちになす本能的な脳の動作であり、必然的に物質的生産の特定の様  異なる功利主義的客観性から分離された、社会的に等しい
式と、この生産がそれらを構成する関係から生長する。       価値 - 客観性を受ける。

                                この作業成果物を<有益な物と価値に分割する>ことは、
まず、彼らの関係は実用的なモードで存在します。しかし、第二   交換所が既に十分な程度と重要性を獲得した時点で実用的
に、彼らの関係は彼らの関係として存在する。           にしか機能しないため、交換のために有用なものが作られ、
                                このように物の〈the value character 〉価値性格は、生
                                産されても考慮されます。

     <有益な物と価値に分割する>ことについて、初版価値形態の冒頭に、既にこう表現されていた。>
     https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm
      最初または単純な相対的価値形式
      <初版の第一の相対的価値形態の その第二段落からです。>
    ②リネンは、その使用価値や有用なものの形をして、その地上の姿を現します。それゆえに、その堅いas as linenの
    体質や自然の形は、その価値の形ではなく、その正反対です。それは、それ自体に等しい他の商品(コート)にそれ自体
    を関連付けることによって、価値としての自分自身の現実を明らかにする。 それ自体が価値がないのであれば、独自の
    ものとして(価値として)コートに関係させることはできません。
    それゆえに、その堅いas as linenの体質や自然の形は、その価値の形態ではなく、その正反対です。 それは、それ自
    体に等しい他の商品(コート)にそれ自体を関連付けることによって、価値としての自分自身の現実を明らかにする。

    コートとのこの関係によって、リネンは1回のストロークで異なるハエを揺るがします。他のコモディティを価値として自
    分自身と同等にすることによって、それ自体を価値として関連ずける。
    自分自身を価値として関連づけることによって、それは同時に自分自身と使用価値として区別されます。
    コートの価値の大きさ(そして価値の大きさは一般的な価値と定量的な価値の両方である)を表現することによって、そ
    の現実の価値とは異なる価値形態を与えます。

       By revealing itself in this manner as a thing which is differentiated within itself, it
       reveals itself for the first time really as acommodity ー a useful thing which is at the
       same time value.
    このように自分自身の内で差別化されているものとして自らを明らかにすることによって、それは本当に商品として初め
    て -それは同時にー価値のある有用なものーであることを明らかにする。

それが彼らのために存在するか、または脳に反映される方法は、
関係の本質から生まれます。後で、彼らは科学の助けを借りて、自
分の社会的製品の謎を後ろから取り除こうとします。今や価値の大  この瞬間から、プロデューサー<生産者>の私的な作品は、
きさに関わる限り、私たちは、互いに独立して(しかし、彼らが原  実際には二重の社会的性格を持っています。
始的な分業のメンバーであるために)プライベートな労働は、あら
ゆる面で常に社会的に縮小されている偶発的かつ絶え間なく変化し  一方では、特定の有用な仕事として、彼らは特定の社会的
ている製品の交換関係において、その生産に社会的に必要な労働時  必要性を満たさなければならず、したがって、労働の社会
間は、例えば、重力の法則がそうであるように、規制自然法則とし  分裂の自然システムの全仕事のメンバーであることを証明
て強制的に適用されるという事実は頭の上に落ちる。        しなければならない。
   <生産に社会的に必要な労働時間は規制的自然法則>     他方、彼らは、すべての有用な私的な仕事は、他の有用な
                                種類の私的な仕事と交換可能であり、従ってそれに無関心
 ⑦したがって、労働時間による価値量の決定は、相対的な商品価  であるという条件で、彼ら自身の生産者の多様なニーズだ
値の動きの中に潜んでいる謎である。               けを満足させる。
生産者自身の社会運動は、生産者がその動きを制御するのではな   人間の労働として所有する共通の性格への縮小において、
く、その制御下にあるオブジェクトの動きの形態を所有している。  実質不平等を抽象化してのみ存在することができる。

最終的には価値形態に関わる限り、私たちは、民間労働者の社会的  私的生産者の脳は、私的な仕事のこの二重の社会的性格を、
関係とその結果として私的労働者の社会的決定を客観的に覆い隠す  実際の交易、製品の交換において - 彼らの私的な作品の社
のはちょうどこの形態に過ぎないことに気付く。          会的に有用な性格 - 現われる形でしか反映しない。

私がコートと言うなら、ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的な物  これらの物質的に異なるもの、労働の製品の共通の価値、
質化としてリネンに関係しています。               で仕事の異なる種類の平等の他の社会的な性格にする。

しかし、コート、ブーツなどの生産者がこれらの商品をユニバーサ  物を置くような狂気は目に飛び込ます。
ル相当品としてリネンに関連付けると、彼らの私的労働の社会的関    <向坂・長谷部・新日本新書訳など既存訳は、
連性は、まさにこの狂気のような形で現れます。(原P38~39)           ーー狂気ーーは全て排除、訳出せず>
  <彼らの私的労働の社会的関連性は、まさにこの狂気・・>

                                ⑧だから、人々は、類似の人間の労働の事実上のカバーに
                                過ぎないので、これらのことは価値観として、お互いに価
                                値のある商品を関連付けることはありません。
 ⑧これらの形式はブルジョア経済学のカテゴリーを正確に構成す  逆に、なのです。
る。彼らは歴史的に決定されたこの社会的生産形態の生産の関係の  彼らの多様な製品を価値の交換の対象にするには、彼らの
ために、社会的に妥当な、したがって客観的な考え方である。    異なる作品を人間の労働と見なします。彼らはそれを知ら
                                ないが、彼らはそうする。 (27)
                                したがって、彼は彼のものの額に書かれていません。むし
                                ろ、価値はすべての作業成果物を社会的象形文字に変換し
                                ます。
                                後で人々は、価値としての商品の決定が言語としての社会
 ⑨私的生産者は、プライベートプロダクトを通じて初めて社会的  的産物であるため、自分の社会的製品の秘密を超えて、象
接触に入る。彼らの労働の社会的関係は結果として労働者の社会的  形文字の意味を解読しようとする。
係として即座に現れるのではなく、客観化された人間関係または対  労働生産物が、価値である限り、生産に費やされた人間の
象の社会的関係として現れているように見える。          労働の客観的な表現は、人間の進化の歴史の中で時代を作
しかし、社会的事物としてのオブジェクトの最初の、そして最も普  りますが、決して労働の社会的性格の客観的な類似を避け
遍的な発現は、労働生産物を商品に変身させることである。     ていません。
                                独立した民間企業の具体的な社会的性格が、人間労働とし
                                の同等性にあり、労働生産物の価値形態をとっていること
                                は、この特定の生産形態、商品の生産にのみ有効であり、
                                 <ここでの-労働生産物の価値形態-とは?リカードな
                                 らば、彼の価値法則の規定を延長させるならば、自ず
                                 と、そう理解する--という前提・転倒した理解がある、
                                 ーーとの判断の下での主張なのです。この理解がなけれ
                                 ば「労動生産物の価値性格の形態」(大月P138)との
                                 訳になってしまうのです。
                                 英明な仏語版の訳出の江夏先生は、正しく価値形態とあ
                                 ります。)

                                商品生産の条件におけるこの発見は、空気のその要素への
                                科学的分解が空気の形を物理的な形の身体の形として残す
                                のと同じくらい最終的なものである。

                                ⑨まず第一に、生産者が交換をする際実質的に懸念すべ
                                きことは、彼らが自社のためにどれくらいの他の製品をど
                                れだけを手に入れたのかということです。
                                どのような割合で製品は交換可能ですか?
                                これらの比率は、習慣によってある種の安定性を達成した
                                とき、製品の性質から生じるように見えるので、例えば、
                                1トンの鉄と2オンスの金は自然に1ポンドで示され、異な
                                る物理的および化学的性質にもかかわらず、金と鉄のポン
                                ドの重量が等しいと思われる。価値を持つという性格は、
                                製品に一度感銘を受けたときに、その行動の理由だけで固
                                定性を獲得し、お互いに価値の量として再作用します。
                                これらの量は、生産者の意志、先見性、行動とは無関係に
                                絶え間なく変化する。
                                彼らにとって、彼ら自身の社会的行動は、生産者を支配す
                                るのではなく、生産者を支配する物の行動という形をとっ
                                ている。
                                それは、その前に商品の完全に開発された生産を必要とし、
                                その蓄積された経験だけから、科学的な確信が湧き上がり、
                                民間労働のすべての種類が独立して運営されていること、
 ⑩したがって、商品の神秘主義は、民間生産者の私的労働の社会  そして、お互いに、そして社会的分業の自発的に発達した
的決定が労働生産物の社会的自然的決定と見なされるという事実か  枝として、社会が必要とする量的比率にまで、そこに対象
ら生じる。                           化された労働が、継続的に縮小されつつあるーーことを示
                                している。
事実から、すなわち、人の生産における社会的関係は、物の社会的  なぜ?
関係としてお互いに、そして関係する人に現れるということからで  なぜなら、製品間の偶発的かつ絶え間なく変動する交換関
す。                              係のすべての中で、その生産に社会的に必要な労働時間は、
私的労働の社会的労働の全体に対する関係は、それに反して自分   自然の過乗法のように強制的に主張するからです。
自身を客観化し、その結果、彼らのために物の形で存在する。    したがって、重力の法則は、家が私たちの耳に当たったと
                                きにそれ自体を主張する。[28]
普遍的生産の社会的関係が彼らのように自社製品に向かって行動す  したがって、労働時間による価値の大きさの決定は、商品
ることにあるーー商品の生産者の、社会への商品(故にその値)と  の相対価値の見かけの変動の下に隠された秘密である。
の関連が、その基本に、お互いに自分のプライベートな労働に関連  その発見は、製品の価値の大きさの決定からの単なる事故
する目的としての、フォームである同じ人間労働というのであれば、 のすべての出現を取り除いているにもかかわらず、その決
それはキリスト教であります。                  定が行われる様式を変えるものではない。
特にブルジョワ的開発である、プロテスタンデイズムなどにおいて、
抽象的な人の宗教に最も適切な形態をとっている。

古代のアジア、アンティークなどの生産形態では、製品が商品に変  ⑩彼らの科学的分析を含む人間の生活の様式を反映すると、
身し、コモディティ・プロデューサーとしての人間の存在は従属的  まず第一に、真の発展に反する道を提案する。
な役割を果たすが、コミュニティが衰退の段階に入るほど大きくな  ポストフェスティムを開始し、その結果、開発プロセスの
る。本物の商業人は、Epicurusの神のような古代世界の隙間にのみ  完成した結果が表示されます。
存在するか、またはポーランド社会の孔の中のユダヤ人のように存  人間がこれらの形態の歴史的特徴を説明しようとする前に、
在する。それらの古代の社会的生産生物は、ブルジョア生物よりも  労働生産物を商品に刻印して商品流通にさらされている形
はるかに単純で透明であるが、他の人とのつながりや自然種の臍の  態は、すでに社会生活の自然な形態の堅さを持っている。
欠損のない未成年者、即時のマスタとスレーブの関係に基づいて、   したがって商品価値の分析だけが価値の決定につながり
います。彼らは、人生の憲法の物質的プロセスの中で男性の対応関  ました。商品の共通の金銭的条件であり、価値のキャラク
係が制限され、結果的にお互いに、また自然に、労働力の生産力が  ターの固定につながったのです。
低くなるという条件づけがなされている。この実際の制限は、古代  しかし、民間労働の社会的性格、したがってそれを明らか
の自然や人気のある宗教における理想主義の様式に反映されていま  にしたのではなく、民間労働者の社会的条件を不明瞭にす
す。現実世界の宗教的な反映は、実用的な日常生活の関係が人々に  るのは商品世界のこの完成した形態、つまり貨幣形態です。
とって、日常的に透明で合理的な関係を自然と表現するようになる
とただ消えてしまいます。                    私がその岩やブーツなどを言うとき、抽象的な人間の労働
しかし、関係は自分自身を自分のものとして表現することしかでき  の一般的な実現形態としてキャンバスを参照していて、そ
ません。人生の社会的プロセス(すなわち、生産の物質的プロセ   の表現の狂気は目を引く。
ス)の形態は、意識的で計画された制御下で、自由に社会化された  しかし、ロックやブーツなどの生産者が、これらの商品を
男性の製品として立つと、その霧の神秘的なベールを打ち消すだけ  キャンバス、つまり何も変わらない金や銀を参照すれば、
である。                            同じである、それが、思考形式である。
しかし、それが起こるためには、社会の物質的基盤が要求される   一般的な同等物として、彼らの私的な作品と社会的な仕事
か、あるいは長く痛みを伴う開発の歴史の元の産物である物質的存  の関係は、この狂った形で現れる。
在条件の列が要求される。(原P39~40)             彼らの形式は、社会的に妥当であり、つまりこの歴史的
                                に決定された社会生産方式の生産関係、商品の生産関係に
 ⑪政治経済学は、たとえ不完全であっても、価値と価値の価値を  対する客観的形態なのです。
分析するために、今は確かにあります。
なぜ労働は価値があるのか、時間的持続性による労働の尺度自体が  ⑪商品の世界のすべての神秘主義すなわち商品生産に基づ
価値の量で現れているのかという疑問が提起されたことはありませ  いて労働生産物を包み込んだすべての魔法や憑依は、他の
彼らの額には、生産過程が人を支配するが、人々は生産過程を習得  生産形態に逃げるとすぐに消滅します。
していない社会形成に属していると書かれている。このような形態  ⑪・・・以下 略 ・・・
は、社会的生産のような自明な自然的な必需品としてのブルジョワ  ・
的意識を意味する労働そのものなのです。             ⑭
社会生産的生物のプレブルジョワの形態は、それに応じて政治経済  ⑮
によって扱われており、おおむねプレキリスト教の宗教が教会の父
親によって扱われているのと同じです。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <次のー-物を置く狂気                       <再版 ⑦段落>
      表現の狂気
  この国民経済学への批判は、スゴイ!>            ・・現われる形でしか反映しない。これらの物質的に異な
                                るもの、労働の製品の共通の価値、で仕事の異なる種類の
                                平等の他の社会的な性格にする。
                                <物を置くような狂気は目に飛びます。>
  <初版⑥                          <再版⑩>
 <ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的物質化としての      <私がその岩やブーツなどを言うとき抽象的な人間の労働
  リネンに関係しています。物を置くような狂気は・・・>    の一般的な実現形態としてキャンバスを参照していて、そ
                                の表現の狂気は目を引く。>
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                                ⑯一般的な社会的生産関係の示す値、及びその私的労働が
                                抽象的人間のそのカルトと同じ人間労働、キリスト教とし
                                てこの目的の形でお互いをbeziehn<相連結>するように
                                商品として自社製品に振る舞うことで商品の生産、社会の
                                ためにとりわけブルジョワ開発、プロテスタント、デイズ
                                ムなどにおいて最も適切な形態の宗教である。
                                altasiatischenで、アンティークなど生産の商品に製品の転
                                換を果たしているので、人間の存在コモディティプロデュ
                                ーサーのマイナーな役割として、しかし、すべてがより重
                                要である、より彼らの破壊の段階でコミュニティを蹴りま
                                す。
                                実際の貿易国はポーランド社会の細孔内エピクロスの神と
                                して、あるいはユダヤ人のように、唯一のintermundia古
                                代世界に存在します。
                                これらの古い社会的生産生物はブルジョアよりも非常に多
                                くの方が簡単かつより透明ですが、彼らはまだがandrenと
                                自然種関係の臍帯から緩んで壊れていないか、または直接
                                支配と隷属の条件を持っているために、個々の人間の未熟
                                さのいずれかに基づいています。
                                従って、それらはお互いに、自然に、労働の生産力の発展
                                の低水準とそれらの材料生活生成プロセス内の人々の相応
                                にバイアスされた条件によって引き起こされます。

                                <94>これらの実際のバイアスは、理想的に古い自然や民
                                俗宗教に反映反映されています。現実世界の宗教的な反映
                                は、今日の日々の仕事の実用的条件の条件が、お互いに、
                                そして自然と、透明で透明な関係を提供するとすぐに消滅
                                することができます。人生の社会的プロセス、すなわち物
                                質的生産過程の形態は、自由に社会化された人々の生産物
                                を意識して支配するとすぐに、その謎の霧を取り除く。
                                しかし、この目的のためには、社会の物質的基盤が必要で
                                あり、一連の物質的存在条件が必要であり、それ自体が長
                                く痛みを伴った発展の歴史の天然産物である。

                                ⑰政治経済学は実際には不完全だが (31)の値と値のサイ
                                ズは分析して、これらのフォームの内に隠された<95>こと
                                をちょうど発見しました。
                                しかし、なぜこのコンテンツがその形を取るのか尋ねたこ
                                とはありませんでした。なぜ、価値のある仕事とその期間
                                中の労働の尺度は、労働の生産する価値を表すのですか?
                                (32)
                                彼らは生産プロセスはまだ人々が、生産プロセスを習得せ
                                ずしてなす社会秩序に属していることを、彼の額に書かれ
                                ている形態は、自明Naturnot-<自然必然性>としての市
                                民意識を適用する<96>生産的労働として必要自身であり
                                ます。社会的生産物の形態はそれゆえ、このような先キリ
                                スト教以前の宗教によるように、それによって処理されて
                                いるブルジョア的形態なのです。(33)

                                ⑱・・・・・・略・・・・・・
                                ⑲
                                ⑳・・・・・・略・・・・・・


       ぐーぐるほんやく
       https://translate.google.co.jp/?hl=ja
       再版
       http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_3

       初版ーー英訳
       https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm

       『資本論』第一章「商品」のディアレクティーク  丹野, 正
       http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/949/1/AA11349190_9_1.pdf










 
 
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