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商品の労働の二重性と商品形態の二重性についてーーその2

 投稿者:杉本  投稿日:2018年10月 7日(日)10時42分4秒
  通報 返信・引用 編集済
    <再考するためのーー適訳 ドイツ語版 価値形態>

  A 簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態
  1 価値表現の両極ーー相対的価値形態と等価形態
Relative value form and equivalent form are mutually related, mutually dependent, inseparable moments, but at the same time mutually exclusive or opposite extremes, i.
相対価値形式と同等の形式は相互に関連し、相互に依存し、分離不可能な瞬間であるが、同時に相互に排他的であるか反対の極なのである。

Poles of the same value expression; they are always distributed among the different goods that the value expression relates to each other.
I can e.g.
同じ値式のポーランドン。
<同じものの柱--両極ーーを示す等式なのです。>
それらは値の式が互いに関連する異なる商品に常に配分されます。
それが、私にはできます。

do not express the value of the canvas in canvas. 20 cubits of canvas = 20 cubits of canvas is not a value expression. On the contrary, the equation says: Twenty cubits of linen are nothing but twenty cubits of canvas, a definite quantity of the commodity canvas.
しかし、キャンバスの価値をキャンバスに表現しないでください。 20キュビットのキャンバス= 20キュビットのキャンバスは、価値表現ではありません。
それどころかそれでは、方程式に次のように書かれてしまいます:20キュビットのリネンは、商品キャンバスの一定量のキャンバスの20キュビットに過ぎません。

The value of the canvas can therefore only be expressed in relative terms, i. in other goods. The relative value form of the canvas, therefore, implies that any other commodity is in the equivalent form opposite it.
したがって、キャンバスの値は、相対的な表現でしか表現できません。 他の商品でですね。したがって、キャンバスの相対的価値形式は、他の商品がそれとは反対の形態であることを意味<既存訳 前提>します。
  <リンネルの価値表現において、両極の価値形式があるーーことを説明、
  するのであり、そのとき、オートバイが、前輪ではなくウイリーをして
  後輪だけで名人が操っている、ことを指して後輪が前提だ!と称する事
  ができるでしょうか?
  そのことが、両極の価値形態をここで題材にしているときに、
   <キャンバスの値は、相対的な表現でしか表現できません。
   他の商品でですね。>
  ーーとこのことを、両極が前提なのではなく、左極での行為とのみ見る
  歪曲をするならば、それは、等価形態が前提でなければ、リンネルの相
  対的価値表現ができない!事になってしまいます。
  それでは、次段落の等価物の役割が、
  ーー彼女は彼女の価値を表現していません。
    それは他の商品の価値表現にのみ材料を供給する。ーー
  が全く見えなくなってしまいます。
  上着のここでの役立ちが、単に価値表現の材料としての役立ちなのでは
  なく、等価物としての受け身の役立ちーーなのであります。>

On the other hand, this other commodity, which figures as an equivalent, can not be in relative value form at the same time. Not she expresses her value. It supplies the material only to the value expression of other goods.
他方では、これと同等であるこの他の商品は、同時に相対価値形式にすることはできません。 彼女は彼女の価値を表現していません。 それは他の商品の価値表現にのみ材料を供給する。
   <4段落は、略>

   <独・英訳>
   a相対的価値形態の内実
 ①商品の単純な価値が2つの商品の価値にどのようにあるのかを知るためには、最初にその商品の量的側面とは無関係に考えなければならない。 ほとんどの場合、反対の方向に行動し、2種類の商品の特定のQuantaが互いに等しい割合のみの値の関係を見ます。 異なるものの大きさは、最初に同じ統一性に還元された後、定量的に比較可能になることは見落とされている。 同じ単位の表現が同じ名前のものであり、それゆえ相応の量である。 (17)
 ①In order to find out how the simple value of a commodity lies in the value of two commodities, one must first consider the latter quite independently of its quantitative side. In most cases, one behaves in the opposite direction and sees in the value relation only the proportion in which certain Quanta of two kinds of goods are equal to one another. It is overlooked that the magnitudes of different things first become quantitatively comparable after their reduction to the same unity. Only as expressions of the same unit are they of the same name, hence commensurable quantities. (17)

 ②キャンバスが20キュビット= 1コートか= 20スカートかどうか、つまりキャンバスの量が多くても少数であっても、そのような割合は常にキャンバスとスカートが同じ単位の表現であることを意味しますし 、同じ性質のものがあります。 キャンバス=ロックは方程式の基礎です。
 ②Whether 20 cubits of canvas = 1 coat or = 20 or = x skirts, that is, whether a given quantity of canvas is worth many or a few skirts, each such proportion always implies that canvas and skirts as values are expressions of the same unity, things of the same nature are. Canvas = Rock is the basis of the equation.

 独③ー①Aber die zwei qualitativ gleichge setzten Waren spielen nicht dieselbe Rolle.
Nur der Wert der Leinwand wird ausgedruckt ¨Und wie?.
Durch ihre Beziehung auf den Rock als ihr
”Aquivalent“ oder mit ihr ¨”Austauschbares“.
In diesem Verhaltnis gilt der Rock als Exi- ¨stenzform von Wert, als Wertding, denn nur
als solches ist er dasselbe wie die Leinwand.
 ③-①しかし、質的に同等な2つの商品は同じ役割を果たすわけではありません。キャンバスの値だけが印刷<printed out>されます - そして、それはどのようにしてか?
彼らの”同等物“としての岩石との関係を通して、あるいはそれを"交換可能 "とすることでなのです。
この関係では、岩石は価値の存在の一形態とみなされます。その理由は、それがキャンバスと同じだからです。
 ③-①But the two qualitatively equivalent goods do not play the same role.
Only the value of the canvas is printed out - and how?
Through their relationship to rock as their equivalent "or with it" exchangeable ".
In this relationship, rock is considered the existence of value, as value, for only as such is it the same as the canvas.

  <この三段落冒頭のーー彼女と彼女の「同等の」ーーを、
 等価形態がこの相対的価値形態の成立を目指すなかでは、前提であるので
 「キャンバスの価値だけが表現されます」ーーとあるが、
 上着は「等価物」であり、それは直接的交換可能性の形態であるから、
 交換可能性のまえに、それが示されなければならない、ーーと云うのが、
 ほとんどの人々の、自明とするここでの判断・考えなのです。私は違います。>

 ③-②Andrerseits kommt das eigne Wertsein der Leinwand zum Vorschein oder erhalt einen ¨selbstandigen ¨ Ausdruck, denn nur als Wert ist sie auf den Rock als Gleichwertiges oder mit ihr Austauschbares bezuglich.
 ③-②キャンバスの独自の価値は、前者では独立した表現を受け取り、それは岩石に価値あるものとしてのみ関連をしてなのですから、後者を同等か交換可能なものとしています。
 ③-② the other hand, the own value of the canvas comes to the fore or receives an independent expression, for only as value is it related to rock as equivalent or interchangeable.

 <次の比較をしてみると、何が分かるのか?>

 独③-③ dieser Beziehung sind Steine als Wertobjekte als existentielle Wertform akzeptabel. Weil Steine genauso sind wie Leinwände.
  ③-③ この関係のなかでは、岩石は、価値の実存形態として、価値物として通用する。なぜなら、ただこのようなものとしてのみ、岩石はキャンバスと同じものだからです。
 <上記の独・和訳を英訳にしてみると次の表記なのです。
  意味は変わらないのです。>
 英③-③  this relationship, rocks are acceptable as value objects as an existential form of value. Because rocks are the same thing as canvases, just as such.
  ③-③ この関係では、岩石は価値の存在形態として価値<物>オブジェクトとして受け入れられます。 なぜなら、岩石はキャンバスと同じものなのです。

  「object」の翻訳
名詞 物体 object, body
   対象 target, object
   客体 object
   物  object, thing, stuff
   体  body, form, substance, object, organism,

 <英国、米国などの人からすれば、以上のことは、当然自明な和訳であるわけです。>
 <「同等のものとして、または交換可能なものとして」区別はなく、意味が同じであります。>

 <この関係では、岩石は価値の存在形態として価値<物>オブジェクトーー
 の規定を受けとることで、次の化学式に明示されるように、価値上着、価値物上着、
 価値の存在形態上着ーー岩石を上着に代えてーーと、3者の統一した形態が示されたのです>

 例えば、酪酸はプロピルとは異なる体である。 しかし、同じ組成のC4H8O2である炭素(C)、水素(H)および酸素(O)と同じ化学物質からなる。 酪酸が蟻酸プロピルと同等である場合、蟻酸プロピルはこの場合単にC4H8O2の存在であり、第2に酪酸もC4H8O2からなると言われる。 ギ酸プロピルを酪酸と同等にすることによって、その化学物質はその体の形状とは異なるであろう。
 英 For example, butyric acid is a different body from propyl. Both, however, consist of the same chemical substances - carbon (C), hydrogen (H) and oxygen (O), in the same percentage composition, namely C4H8O2. If the butyric acid were equated with the propyl formate, the propyl formate would in this case be merely an existence of C4H8O2, and secondly it would be said that the butyric acid also consists of C4H8O2. By equating the propyl formate with the butyric acid, its chemical substance would be different from its body shape.

 ④商品として、商品は単なる人間の労働のゼリーであるので、私たちの分析はそれらを価値の抽象化に還元するが、自然な形とは異なる価値形態を与えないと言います。 ある商品の価値が別の商品とは異なります。 その価値性格<価値キャラクター>は、他の商品との独自の関係を通じてここに現れます。
 ④Let us say: as goods the goods are mere jellies of human labor, so our analysis reduces them to the abstraction of value, but gives them no value-form different from their natural forms. Different in the value of one commodity to another. Its value-character emerges here through its own relation to the other commodity.

  <第五段落は。原文のドイツ語文を提示してみました。>
⑤-① 独訳 Indem z.B. der Rock als Wertding der Leinwand gleichgesetzt wird, wird die in ihm steckende Arbeit der in ihr steckenden Arbeit gleichgesetzt. Nun ist zwar die Schneiderei, die den Rock macht, eine von der Weberei, die die Leinwand macht, verschiedenartiger konkrete Arbeit.
 ①加えて、例えば、 もし岩がキャンバスの価値と等しいとすれば、その中の作品はその作品と同じです。 今、キャンバスを作る織りの一つと同じーーであるスカートを作る服飾は、別の具体的な仕事です。
 ①By e.g. If rock is equated with the value of the canvas, the work in it is equated with the work in it. Now, the dressmaking that makes the skirt, one of the weaving that makes the canvas, is different concrete work.

 ②die Gleichsetzung mit der Weberei reduziert die Schneiderei tatsächlich auf das in beiden Arbeiten wirklich Gleiche, auf ihren gemeinsamen Charakter menschlicher Arbeit.
しかし、織り方の方程式は実際にはどちらの仕事でも、人間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを還元します。
 ②the equation with weaving actually reduces the tailoring to what is really the same in both works, to their common character of human labor.

 ③Auf diesem Umweg ist dann gesagt, daß auch die Weberei, sofern sie Wert webt, keine Unterscheindungsmerkmale von der Schneiderei besitzt, also abstrakt menschliche Arbeit ist.
 この迂回路では、価値を織り成すならば、織り合わせることでは、仕立てという顕著な<有用労働の>特徴を持たないので、すなわち抽象的な人間労働と語られています。
 ③On this detour it is then said that weaving, if it weaves value, has no distinguishing features of tailoring, that is, abstract human labor.

 ④Nur der Äquivalenzausdruck verschiedenartiger Waren bringt den spezifischen Charakter der wertbildenden Arbeit zum Vorschein, indem er die in den verschiedenartigen Waren steckenden, verschiedenartigen Arbeiten tatsächlich auf ihr Gemeinsames reduziert, auf menschliche Arbeit überhaupt (17a)
 ④実際に、様々な商品に関わる様々な種類の労働を共通の一般的な人間の労働に還元することによって、異なる商品の同等性の表現だけが価値創造の労働の特定の性格を引き出す。 17a
 ④Only the expression of equivalence of different commodities brings out the specific character of value-creating labor, by actually reducing the various kinds of work involved in the various commodities to their common, human labor in general.17a

 久留間先生は、1~5段落を引用して、こう述べるのです。
 「ここでわれわれが何よりもまず注意をしなければならないことは、20エレのリンネル=1枚の上衣、あるいは20エレのリンネルは一枚の上衣に値する、という価値方程式において、リンネルはいきなり自分を上衣に等置することによって上衣に価値物としての、すなわち抽象的人間労働の直接的な体化物としての、形態規定をあたえ、そうした上ではじめて、この価値物としての定在における上衣の自然形態、自分の価値を表現しているのだということである。
 こういう廻り道をしないでは、商品は価値形態をもつことが出来ないのである。
リンネルは、いきなり自分を上衣に等置することによって、すなわち自分は上衣に等しいのだと自称することによって、自分を価値物にすることはできない。それでは単なる独りよがりになってしまう。
 他面において、リンネルが上衣の自然形態で価値を表わしうるためには、すなわち上衣の自然形態そのものを自らの価値形態にしうるためには、あらかじめ上衣が価値物としての定在を与えられていなければならぬ。
 言葉をかえていえば、上衣の自然形態がそのまま抽象的人間労働の体化物を意味するものとされていなければならぬ。そしてそれは、リンネルが上衣を自らに等置することによって行われるのである。
リンネルは、自分は上衣に等しいのだと自称することによって、自分を価値物にすることは出来ないが、上衣は自分に等しいのだと宣言することによって上衣を価値物(・・・)にすることはできる。
 そこで、リンネルは、かようにして上衣を価値物にしたうえで、自分は価値としては上衣と同じなのだ、ということによって、上衣の形態において、自分自身の価値性格を表現するのである。
すなわち、その使用価値の形態であるところの自然形態からー(略)ー区別された価値形態をもつことになるのである。」(『価値形態論と交換過程論』P56~57)

ーー久留間先生は、この5段落を次のように誤解をしている。ーー
 ①「価値方程式において、」ならば、上着は等価物としてリネンに等置されているーーのですから、上着は価値の規定の下に既にあるのです。
 何故か?
3段落ー「岩石は値としての価値存在形態とみなされます」との規定にあるからです。そのことで、上着は価値とみなされています。
もう一度
 上着は等価物であり、価値として想定された規定の下にあるーーのですから先生の述べることは、この前提を消して、相対的価値表現の第一歩の左極での条件を、排除しています。
 上着は価値としてリネンに等置される、・・この第一歩を、先生は排除して別の条件である、交換関係を、ここに提示しているのです。交換関係であれば、この肝心のリンネルの価値存在の表現があって、上着が価値の存在形態と示され、上着が価値であることを示すーー商品の行う反省規定ーーは捨象されるのです。
 ②上着が価値として、リネンに<直接的に>等置されるならば、そのままに上着は、自身の価値存在を現出させるーーのだから>上衣は直接的にその自然的形態のままに、価値形態と規定される、のは明らかです。
 ここでの「上衣を自分に等置することによって・・・すなわち抽象的人間労働の直接な体化物としての形態規定をあたえ、・・」でも同じくであり、この規定の仕方は、上衣が等価形態となるときに規定される仕方であります。
 媒介的なのですとは?ーー上着が「廻り道」をして媒介的に価値としてリネンに等置されていますが、その意味が何か?であります。
 ③リネンの交換関係においてならば、上着は使用価値として等置される量的関係でしかありません。
 リネンの上着との価値関係においては、リネンが価値であるのは、
aその両者の同等性がーー人間労動と示され、
b上着・裁縫労動はリネンからの反省規定で、<廻り道>をして、媒介的に両者に共通な抽象的人間労働とされるーーことで、上着は価値とされていることで、この反省規定があることで、やっとリネンは価値であるのです。
 ④「上衣を自分に等置することによって上衣に価値物としての、定在における上衣の自然形態」ーーであることで、と示すことで、先生は、媒介されたリネンの価値表現と、直接的に上着が価値形態とされることとを、混同した。ここには、上記に示された、ー-上着が価値としてリネンに等置されるーー上着の等価物としての役立ちが、二つあり、媒介的なのか、直接的なのか、の区別への追求が無いのです。
 ー-上着が価値として役立つ、この媒介性ーーをまず3・5段落で、追求しています。
 ⑤上着に、「抽象的人間労働の直接な体化物としての形態規定をあたえ、」たのであれば、裁縫労動は直接的に抽象的人間労働の実現形態へと転化ーーしており、等価形態の第二の独自性、を示すことになってしまいます。ここではそのことは問題にはなっていません。
 ⑥どうしてーー久留間先生はこんな誤解をしたのか?
 「・・右の方程式の例においてリンネルはまず自分を上着に等置しているのではなくて、上着を自分に等置することによって、上着を価値物にしているのだ、ということにあるのであるがーー」(P57~58)
と誤りをば述べながら、その次のページでは、正しくこう述べるのです。
「・・「上着を価値として自らに等置し」と訳すべきであることは、一見明らかであるとおもう。」(P59)ーーと。

  もう少し、初版のこの4段落を追求しておこう。
 「・リンネルが価値としての上着を自分に等置<「リネンは価値としての上着に自分を等置--江夏・今村訳--と全く逆の訳出>しながら、他方同時に、自分を使用対象としての上着から区別することによって、上着はリンネル物体に対立するリンネル価値の現象<出現>形態となり、リンネルの自然形態とは区別されるリンネルの価値形態となるのである。」(『マルクス経済学レキシコン』No11榎原さんの本からの孫引き)
ーーこのように、続く5段落冒頭、あるいはその前の2段落と同じく、等価形態について論じているのではなく、リンネルの価値形態の形成について語ることで、相対的価値形態の形成につながる事柄を述べています。マルクスは、3段落での二つの筋道・論理があるように、ここでの、2・4段落の事柄で無視される点をこそ、繰り返しています。
  それは、次のことであります。
 2ーー「・・上着で表現することによってリネンは自分の価値存在に、自分の直接的な現世の姿とは区別された価値形態を与える。このようにリネンは自分自身の内部を二分したものとして表現する<使用価値と価値形態ーーとして・杉本註>ことによってはじめて、自分を現実に商品としてーー有用であるとともに価値でもある物としてーー表現する。・・・」
   <これと同じことが、続く4段落に、こう述べられています。>
 4ーー「リンネルが価値としての上着を自分に等置しながら、他方同時に、自分を使用対象としての上着から区別する」ーーとは2段落の言い換えなのです。
従って、ここは、2段落と同じ事柄が、人のなす理解に対しての<物象の判断>としてーー述べられているのだから、リンネル織りが「人間労動の物的表出」<第4版との共通性を示している>を表す、だけではなく、リンネルの価値形態の形成にまで、論究しています。
このように、相対的価値形態の形成の方向性において、リンネルの価値形態が物象の判断として、使用価値ではなく<商品上着>とのかかわりのなかで示されていたのです。
ここで、<上着が価値形態を受けとる>ーーのは、物象世界の転倒象なのです。
 <先生の初版での廻り道の誤解については、次を参照願います>
      https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1647?
   ⑦ー①
   ⑬製品(例えばリネン)の自然な形はその価値形態の正反対であるため、
   他の自然な形態(別の商品の自然な形)をその商品形態に変えなければなりません。
   それはすぐに別の商品のために、それゆえにそれ自身のための迂回路(回り道)に
   よってすぐにすることができます。
  <再版に戻ります。>
 ⑦先生は、後者では、正しく述べながら、それを、論じている条件が、
<a相対的価値形態の内実>での①化学式の3段落に続く、②価値抽象の批判として「その価値性格<価値キャラクター>は、他の商品との独自の関係を通じてここに現れます」
との再版4段落の提起・条件を無視したことで<価値形態>とここを誤読・誤解したのではないか?
「上衣の形態において、自分自身の価値性格を表現するのである。すなわち、その使用価値の形態であるところの自然形態からーー(略)ーー区別された価値形態をもつ」ーーと。全く逆の理解をしたのです。
 すなわち、上着は価値形態であると、全く正反対の理解を示したのです。これでは、上着は自然的形態でありながら価値形態を示すーー等価形態と、先生は、誤解したのであります。
そして次に、③この5段落での、ーー
「織り方が方程式を示すと、実際にはどちらの仕事でも、人間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを還元」ーーを、その価値形態の下での、人間労動の表示が、等価形態の下での表示だから、上衣にーー「抽象的人間労働の直接な体化物としての形態規定をあたえ、」たーーと読んだ、と思います。
 未だ規定されていない、提起されていない「価値形態」を、4段落に見たのが、人々がどうこの事柄を批判すべきなのか?どうにも理解できなかった、ことなのであります。
 ⑧価値関係にて、まずーその価値性格ーが問題にされているのに、先生は、等価形態こそが論じる対象だとして前段に置き、初版の誤訳の廻り道を例証にしています。
 彼の論拠の全ては、初版の回り道ーーの誤解に基づくものなのです。なんとも、自分の正しさの例証としたことが、誤解なのであります。
そして、7段落の廻り道の論証を、戻って、6段落にてもそうだと示し、その延長に、<等価形態を論ずる延長として>4段落を提示することで、そこで論じられているーーマルクスの肝心要の、相対的価値形態の形成の方向での、その内実であるーー物象の社会的関係ーー<註18>
が、ここに示されていることを、正しい長谷部訳をも、誤訳として、排除しているのです。
 ⑨しかし、江夏訳初版の名誉のためにも、この初版第二段落にては、正しくこう記述されています。
「リンネルは、自分の価値量・・・を上着で表現することによって、自分の価値存在に自分の直接的存在とは区別される価値形態を与える。」(『初版』 江夏訳 P35 原P16 )
 これが当然の理路ではないですか?
リンネルが価値存在を表現し、上着は価値の存在形態ーーであれば、リンネルはこの相対的価値形態の形成において、まず、自らの価値形態を、表現するのです。
上着が価値形態を受けとるのであれば、これ、等価形態での出来事なのです。
 ⑩この5段落を巡る久留間先生のこの意見は、労働者のなかに広く普及しており、彼の意見ををよく代弁するのが、次の 資本論を読む会 広島の商品の価値実体への次の理解であるので、紹介します。

http://marx-hiroshima.org/?page_id=10&paged=15
  「読む会」だより(16年3月用) 2016年3月24日
  3)商品に表わされる労働の二重性について
   ・・・・・・・・・・・・
あるいは有用労働も人間労働力一般の発現として見ればどのように質が違っていても同じものだと言うのです(ちなみにこれが「価値規定」すなわち「価値の質的な規定」ということで、これにもとづいて「価値の量的な規定」も出てきます)。種々の有用労働は、その種々の質のままでは量的に比較されることはできません。だからそれらの労働は同質で大きさだけが異なる労働に還元されることではじめて社会の総労働の一部としての性格を受け取ることができるが、これが価値として表現される場合の労働だと言うのです。
言い換えれば、商品の価値として表現される場合の労働は、同質な人間労働力一般の発現に還元されたものとして見られた労働であり、人々の社会的な関係とその中での労働の社会的な属性を表現するものだと言うのです。(第1項で触れたように諸労働が社会的労働として存在するあり方はそれぞれの社会に固有です。資本主義社会以前には労働そのものの具体的姿において社会的労働であり得たのに対して、発展した商品生産を基礎にしている資本主義社会にあってはそうではありません。後に触れていくように、ここでは労働そのものの具体的姿でではなくて、それが同質な抽象的労働としての姿をもつことではじめて社会的な労働となりえます。そしてこのことがいわば貨幣の必然性をなしているのです。)
  <杉本--再版 c一般的価値形態  1価値形態の変化した性格 の
  9段落には次ように述べられています。
  「諸労働生産物を無差別な人間労働の単なるゼリーとして表現する一般的
  な価値形態」--であることで、量的な価値等式が通用し、社会的実体が
  「労働」であることが証明されていると、示されています。
  ⑨諸労働生産物を無差別な人間労働の単なるゼリーとして表現する一般的
  な価値形態は、それが商品世界の社会的表現であるということを、それ自
  体の枠組みを使って示している。したがって、この世界の中では、一般的
  に人間労働がその具体的な社会的性格を形成していることが明らかになっ
  た。原P81
  <このように、一般的価値形態が構成されて、やっと、そのことで、
  「諸労働生産物を無差別な人間労働の単なるゼリーとして表現する」こと
  が出来るのです。>

  そして、次に「廻り道」の解説であります
  http://marx-hiroshima.org/?page_id=10&paged=14
  第3項 商品の「価値形態」とは何か の2回目

  <彼らは、上記ーー5段落を引用したあとに、こう解説します。>
「ここでは、価値を表現しようとする側のリンネルではなくて、それに等置される側の上着に含まれる具体的有用労働が事実上人間労働に還元され、したがって上着は特殊な使用価値としてではなくて、価値=人間労働のひとつの実現形態としてのみリンネルに取り扱われるということが、決定的に重要です。
というのも、このことによって、上着によるリンネルの価値の表現は、たしかに右辺の上着を価値として取り扱い、つまりそれがリンネルと“無条件に”交換可能だという性格(直接的交換可能性=貨幣性格)を与えます。
しかしながら左辺のリンネル自身は、その価値の上着での表現によっても自分に含まれる織布労働が人間労働に還元されるわけではないのですから、リンネルという特殊な使用価値から脱皮しているわけではありません。
したがってリンネルはその価値を上着で表現したといっても、それはただ上着を観念的に自分に等置したということであって、そのことによってリンネル自身が上着との直接的交換可能性をもつというわけでは決してないからです。
言い換えれば、ある商品が別の商品との直接的交換可能性をもつのは、すなわち貨幣としての機能をもつのは、それが特殊な使用価値であるからというわけではなくて、ただ他の商品がそれで自分の価値を表現するからにほかなりません。このことは貨幣の理解にとって極めて重要な事柄です。2016年5月22日」

 <杉本の批判--「織り方が方程式を示すと、実際にはどちらの仕事でも、人
 間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを還元しています。」ーー
 と原文に述べています。引用された訳文でも、織布との等置は、
 裁縫を「両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間労働という両方に共通
 な性格に、還元する」ーーとあります。
 --両方に等しいものに還元する--のですから、等置する側も、される側も
 両方の共通者である、人間労動に還元しています。
 そして次の廻り道が示されていました。

  ③Auf diesem Umweg ist dann gesagt, daß auch die Weberei, sofern sie Wert webt, keine Unterscheindungsmerkmale von der Schneiderei besitzt, also abstrakt menschliche Arbeit ist.
 この迂回路では、価値を織り成すならば、織り合わせることでは、仕立てという顕著な<有用労働の>特徴を持たないので、すなわち抽象的な人間労働と語られています。

 どうして、上着を縫い上げる裁縫労動だけが、人間労動に還元されるとーー
 彼らは理解--誤解をしたのか?
 それは、この人間労働に還元した後の-廻り道-を、次の理解をしたためです。
 リンネルに対して上着は、直接的交換可能性--を示す、上着は等価形態であ
 るのが、相対的価値形態の形成過程においても前提である、ーーとの理解から
 なのです。
 ーーしかし、前節の 1価値表現の両極ーー相対的価値形態と等価形態は、単
 なる見取り図であり等価形態が前提と述べているのではありません。
 この内実論の最終の⑪段落で示されているように、やっと等価形態ではなく、
 相対的価値形態を受けとる、との記述です。
 ではーー見取り図を示さないで論理展開をしている初版ではどうでしたか?
 ーーリンネルが、「廻り道」をすることで、商品形態を受けとれたのだから、
 その経過のなかで、リンネルは価値形態を受けとることで、そのことが出来た、
 と示されています。
 久留間先生の論理は、商品形態が如何にして成立したのか?それは、この廻り
 道を消去することで、相対的価値形態の成立の筋道のなかに依る--ことを不
 問にしたものであり、等価形態の成立ばかりを追求するものであり、労動生産
 物の商品への転化とは?この何故?ーーを不問にするイデオロギーであったの
 です。
 ドイツ語ペーラペラの先生としては、この誤訳を知っていたのではないか?
 この回り道を経過したーーことでの左極でのリンネルの価値形態の成立につい
 て、この7段落の後に、明快にマルクスは述べています。けして右極の形態や、
 両極が前提になど、なっていません。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ⑥しかし、キャンバスの価値である作品の特定の性格を表現するだけでは不十分です。液体状態や人間の労働における人間の労働は価値があるが、価値はない。比喩的な形で凝固した状態で値をとる。
キャンバスの価値を人間の労働のゼリーとして表現するためには、それはキャンバス自体とは違って、他の商品と共通する「客観性」<「対象性」ではない>として表現されなければならない。タスク<課題>はすでに解決されています。
 ⑥However, it is not enough to express the specific character of the work, which is the value of the canvas. Human labor in the liquid state or human labor makes value, but is not worth. It becomes value in a coagulated state, in figurative form. In order to express the canvas value as a jelly of human labor, it must be expressed as an "objectivity" which is in fact different from the canvas itself and at the same time common to other commodities. The task has already been solved.
   <http://content.csbs.utah.edu/~ehrbar/cap1.pdf

 ⑦リネンの価値関係では、リネンと同質のものとして、コートはリネンと同等のものとしてカウントされます。したがって、値であるため、価値は明示されるものとしてカウントされます。その有形の手書き形式で、価値を表しています。
しかし、商品そのもののコートは、コートそのものは純粋に使用価値です。コートは、私たちが出会った最初のリネンよりも価値を表現していません。
これは、外側のものよりも金の編組された制服の中でもっと多くの人がカウントするのと同じように、それが外側よりもリネンとの価値関係の内側にあるときにはコートが重要であることを証明しています。
 ⑦In the value relation of the linen, the coat counts as a thing qualitatively equalto the linen, as a thing of the same nature as linen, because it is a value. ist.It counts therefore as a thing in which value manifests itself, or which, in its tangible handgreiflibodily form, represents value.
Yet the coat itself, the body of the commod-ity “coat,” is purely a use-value. A coat does  not express value any more than does the first piece of linen we come across.
This proves only that the coat counts forwhen inside the value relation with the linen than outside it, just as many a human counts for more when inside a gold-braided uniform than outside it.

 ⑧コートの生産では、仕立ての形の人力が実際に費やされた。 その結果、人間労働はコートに蓄積されます。コートは、「価値のキャリア」ですが、コートはどこにでもあります。
 ⑧In the production of the coat, hu- man labor-power, in the shape of tailoring,was in actual fact expended. Consequently, human labor is accumulated the coat.By virtue of this, the coat is a ‘carrier of ¨value’, although this property does not show through anywhere, even where the coat is at its most threadbare.
そして、リネンの価値関係では、コートはこの側面の下でしかカウントせず、従って価値の化身として具現化された価値として数えます。 そのボタンアップされた外観にもかかわらず、リネンは豪華な - 価値の魂をコートで認識しています。
しかし、コートは、リネンの価値を表すものではなく、後者の場合には同時にコートの形状をとるものでなければならない。
And in the value relation of the linen, the coat counts only under this aspect, counts therefore as embodied value, as incarnation of value. Despite its buttoned-up appearance, the linen recognizes in the coat a splendid - the soul of value.
The coat, however, cannot represent value towards the linen unless value, for the latter, at the same time assumes the shape of a coat.
例えば、個人Aは、他の個人Bにとっては「あなたの威厳」になることはできません.Bの目の中では威厳を失わずに、Aの物理的な形状を仮定し、さらに、ファッションや髪の毛やその他多くのものを変えます新しい--new ‘father of his people--「人々の父」が生まれました。
An individual, A, for instance, cannot be ‘your majesty’ to another individual, B, un- less majesty in B’s eyes assumes the physi- cal shape of A, and, moreover, changes fa-features, hair and many other things,with every new ‘father of his people’.

 ⑨-①したがって、コートがリネンを同等にする値の関係では、コートの身体形状は価値の形態としてカウントされる。
 ⑨-①Hence, in the value relation in which the coat is the linen’s equivalent, the bodily shape of the coat counts as form of value.
 <ここは価値関係との認識では、ーー転倒ーーの意味が全くわからない。
 単に値として上衣がリンネルに等しいー-との転倒した見解を、批判している。>
 <英文の比較をすることで、そのことが理解できる。価値関係との英文では、この批判が消える。>
 ー①したがって、コートがリネンを等価にする値の関係では、
  コートの身体形状は価値形態としてカウントされる
Hence, in the value relation in which the coat is the linen’s equivalent,the bodily shape of the coat counts as form of value.
  対して、
Hence, in a value relationship in which the coat equates to a linen cloth, the coat form is made into a value form in this way.
  したがって、コートが亜麻布の等価をなす価値関係においては、
  このように、コート形態は価値形態とされる。
 -②したがって、コットンリネンの価値は、コモディティコートの物理的な体内で表され、一方の値は他方の値で表される。使用価値として、リネンはコートとはまったく異なるものです。
価値として、それはコートと同じであり、したがって "コートのように見える。
The value of the commodity linen is therefore expressed in the physical body of the commodity coat, the value of one in the use-value of the other. As a use-value, the linen is something palpably different from the coat; as value, it is equal to the coat and ” therefore looks like a coat.
 -③こうして、リネンはその体の形とは異なる価値形態を得る。
Thus the linen acquires a value form different from its bod- ily form
 -④リネンの価値性格は、キリスト教徒の羊の性質が神の子羊と平等に示されているのと同じように、コートと同等であることが明らかです。
The value-character of linen is manifested in its equality with the coat, just as the sheep-nature of christians is manifested in their equality with the lamb of god.
 <この価値形態は、宗教的形態のなかで、上衣が価値形態との転倒を示すなかで、
  リネンの価値形態ーーとなっている、ことが、最大限追求されています。
  世の理解は、常識的理解は、ここを、上衣が価値形態、とその転倒をした理解
  して憚らないのです。>

 次は、岩波文庫 向坂先生の訳です。P96~97
 上記訳とは逆の判読であり、異なるのです。これでは意味が理解できません。
 ①「上着が亜麻布の等価をなす価値関係においては、このように、上衣形態
 は価値形態とされる。亜麻布なる商品の価値は、したがって、上着なる商品
 の使用価値で表現されるのである。」
 <「上着が亜麻布の等価をなす価値関係においては、」であれば、このよう
 な転倒は起こらないのです。
 ② 「価値として、それはコートと同じであり、したがって "コートのよう
 に見える。」ーー 商品語なのですーー
 「使用価値としては、亜麻布は上着とは感覚的にちがった物である。
 価値としては、それは「上衣に等しいもの」であって、したがって、上衣に
 見えるのである。
 このようにして、亜麻布は、その自然的形態とはちがった価値形態を得る。」
 <商品語がここに示されているのではないか?ここでは、価値関係ではなく、
 同等性関係に転倒しているのです。
 「亜麻布は、その自然的形態とはちがった価値形態を得る」(岩波)
 「・・同等物であるという値の関係において、衣服の身体形状が価値形態として数えられる。」
  この商品語の転倒を経過して、次が起こっているのです。
  -③こうして、リネンはその体の形とは異なる価値形態を得る。(原文)
 <しかし人々は、ほぼ全て、商品語のままに、転倒したままに、上衣が価値形態ーーと理解。
 ここの理解-判読が、とても大切です。
 岩波-向坂先生のここでのこの訳であれば、転倒していないのです。
 上衣が、価値形態を受けとるから--転倒しているのであって、
 リンネルが価値形態を受けとるのであれば、相対的価値形態の形成に向かう
 ことが出来ますが、上衣が価値形態を受け取れば、その道筋は等価形態の形
 成に向かうことと、混同してしまうのです。
 マルクスの意図は、この混同批判にこそあるのだから、それを出来無くして
 しまう既存訳は、、全て誤訳ではなかろうか?>

 その価値たることが、上衣との同一性に現れること、ちょうどキリスト者の
 羊的性質が、その神の子羊との同一性に現れるようなものである。」
 (岩波文庫P96~97)

 ⑩私たちにとって予測される商品の価値の分析が、他の商品、スカートと接触するとすぐにキャンバス自体が言うように、すべてがそのことを見ている。 彼女は彼女自身の慣れ親しんだ言葉、つまり商品の言葉で彼女の考えを裏切っています。 作品は、人間労働の抽象的な品質において独自の価値を形成していると言えば、それに無関係であれば、キャンバスと同じ仕事にふさわしいと言われています。
 ⑩One sees that everything that the analysis of the value of the commodity predicted for us, says the canvas itself, as soon as it enters into contact with other commodities, the skirt. Only she betrays her thoughts in her own familiar language, the language of the goods. To say that work forms its own value in the abstract quality of human labor, she says that rock, insofar as it is indifferent to it, is therefore worthy of the same work as the canvas.
その崇高な値が硬いリネンのボディとは異なると言うと、値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩のように見えます。ちなみに、商品の言語は、ヘブライ語以外にも、多かれ少なかれ正しい方言を持っています。 ドイツの「価値」は、 ロマネスクの時代の言葉であるvalere、valer、valoirよりも、商品Bと商品を同一にすることは、商品Aの適切な価値表現であるとはいうまでもありません。パリは公正な取引です! <パリは公正な価値がある!>
To say that its sublime value-objectivityis <価値客観性>different from its rigid body, she says that value looks like a rock, and therefore, as value, it resembles rock like an egg to another. By the way, the language of languages, besides Hebrew, has many more or less correct dialects. The German "value" expresses e.g. less striking than the Romanesque time word valere, valer, valoir, that equating the commodity B with the commodity is the proper value-expression of the commodity A. Paris is a fair trade! <Paris is worth a fair!>

  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_2

独 本文
 ⑩Man sieht, alles, was uns die Analyse des Warenwerts vorher sagte, sagt die Leinwand selbst, sobald sie in Umgang mit andrer Ware, dem Rock, tritt. Nur verrät sie ihre Gedanken in der ihr allein geläufigen Sprache, der Warensprache.
 ⑩ー①私たちにとって予測される商品の価値の分析が、他の商品、スカートと接触するとすぐにキャンバス自体が言うように、すべてがそのことを見ている。 彼女は彼女自身の慣れ親しんだ言葉、つまり商品の言葉で彼女の考えを裏切っています。
 ⑩ー① You see, everything that the analysis of the value of the commodity predicted to us, says the canvas itself, as soon as it comes into contact with other commodities, the skirt. Only she betrays her thoughts in her own familiar language, the language of the goods.

 ⑩ー②Um zu sagen, daß die Arbeit in der abstrakten Eigenschaft menschlicher Arbeit ihren eignen Wert bildet, sagt sie, daß der Rock, soweit er ihr gleichgilt, also Wert ist, aus derselben Arbeit be- <67> steht wie die Leinwand.
作品は、人間労働の抽象的な品質において独自の価値を形成していると言えば、それに無関係であれば、キャンバスと同じ仕事にふさわしいと言われています。
To say that work forms its own value in the abstract quality of human labor, she says that rock, insofar as it is indifferent to it, is therefore worthy of the same work as the canvas.

 独 ⑩ー③ Um zu sagen, daß ihre sublime Wertgegenständlichkeit von ihrem steifleinenen Körper verschieden ist, sagt sie, daß Wert aussieht wie ein Rock und daher sie selbst als Wertding dem Rock gleicht wie ein Ei dem andern.

 英 ⑩ー③To say that its sublime value is distinct from its stiff, linen body, it says that value looks like a rock, and therefore, as value, it resembles rock like an egg to another.

 英 ⑩ー③その崇高な値が硬いリネンのボディとは異なると言うと、値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩のように見えます。
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 崎山先生の訳 ーー榎原さん提示
  労働は人間的労働という抽象的属性においてリンネル自身の価値を形成する
  ということを言うために、リンネルは、上着がリンネルに等しいものとして
  通用するかぎり、したがって価値であるかぎり、上着はリンネルと同じ労働
  から成り立っていると言う。

  リンネルの高尚な価値対称性は糊でごわごわしたリンネルの肉体とは違って
  いるということを言うために、リンネルは、価値は上着に見え、したがって、
  リンネル自身も価値物としては上着と瓜二つであると言う。」
  (『資本論』長谷部訳、河出書房新社、原典五六頁、訳文は井上康・崎山政毅
  『マルクスと商品語』、二一~二頁)

  ③リンネルの高尚な価値対称性は糊でごわごわしたリンネルの肉体とは違って
  いるということを言うために、リンネルは、価値は上着に見え、したがって、
  リンネル自身も価値物としては上着と瓜二つであると言う。
 その独訳ーーとして、何時もながらの自動翻訳していただいた。
 ③ Um zu sagen, dass Linnels gehobene Wertesymmetrie sich von dem mit Leim steifen Fleisch des Leinens unterscheidet, sieht Linnell den Wert als Mantel, also ist Linnell selbst auch ein Mantel als Wertgegenstand Sie sagen, dass sie zwei sind.
 その英訳
 ③ To say that Linnell 's exalted value symmetry is different from the linen' s flesh that is stiff with glue, Linnell sees the value as a coat, so Linnell himself is also a coat as a value item They say that they are two.

 上の下段 パソコン訳
独訳 Um zu sagen, dass Linnells gehobene Wertesymmetrie sich von dem mit Leim steifen Leinenfleisch unterscheidet, sieht Linnell wie ein Mantel aus, so dass Linnell selbst auch einen Mantel und einen Kuchen trägt Sie sagen, dass sie zwei sind.

 その英訳
To say that Linnell's superior value symmetry is different from the glue-stiff linen flesh, Linnell looks like a cloak, so Linnell wears a cloak and a cake herself. They say they're two.

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 岩波 向坂訳 P97
 「亜麻布の森厳なる価値対象性が、そのゴワゴワした布の肉体とちがっているというために、亜麻布は、価値が上着に見え、したがって亜麻布自身が価値物としては、卵が
他の卵に等しいと同じように、上着に等しいというのである」


 独語に、この 向坂訳を戻すとこうなる。
"Da der Wert des Verlustwertes von Leinentuch sich von dem Körper dieses klobigen Stoffes unterscheidet, sehen Leinentücher wie Jacken aus, so dass Leinentücher selbst Wert als Eier sind
Es ist gleichbedeutend mit Fell, genau wie andere Eier. "

 <日本語訳に戻すと>
"リネンの価値の価値はこの塊状の生地のボディとは異なるので、リネンの布はジャケットのように見えるので、リネンの布自体は卵の価値がある
他の卵と同じように、毛皮と同義です。"

 英語
"Since the value of the value of linen is different from the body of this chunky fabric, linen cloths look like jackets, so linen cloths themselves are worth eggs
It is synonymous with fur, just like other eggs. "



 ⑩ー③では、ーーLinnellーーは登場せずなのだから、ーーと書いたが、
 次の訳は誤りでしたので、訂正します。

<価値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩に似ていると彼女は言います>ーーを既存訳の全ては、排除し、意識的な誤訳をしてきたのです。

  そうではなくーー「リネンのボディとは異なる」が消されています。
  <その崇高な値が硬いリネンのボディとは異なると言うと、値は岩のように見え、
  したがって価値として、卵のように岩のように見えます。>ーーが正訳であります。
  よりわかりやすくなりました。

 著者マルクスのは、商品語による転倒でのーー理解を9・10段落と是正してきたのに、その意義を理解できず、そこを人々は捨象したことで、次の11段落での、<「価値関係」によりーーではなく、」「価値比率」>と記述した意味・フランス語版からの改稿の意味!!! を捨象して、同等性関係への批判を封じたのです
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ⑪したがって、<バリュー比率>により、商品Bの自然形態は商品Aの価値形態になるか、または商品Bの本体は商品Aの価値水準となる。(18)商品Aとは、 価値体としての商品Bは、人間の仕事の素材として、自分の価値表現の素材に対する使用価値Bにします。 商品Aの価値は、商品Bの使用価値で表され、相対的価値形態をしている。
 ⑪By means of the value relation<value ratio>, therefore, the natural form of the commodity B becomes the value form of the commodity A or the body of the commodity B becomes the value level of the commodity A. (18) By the commodity A refers to the commodity B as value body, as material of human work, makes them the utility value B to the material of their own value expression. The value of the commodity A, so expressed in the use value of the commodity B, has the form of the relative value.
 <最終的にフランス語版を訂正し、「価値関係」によりーーではなく、」「価値比率」に依るーー商品Bの自然形態は商品Aの価値形態になる」
 ーーと、⑨段落の転倒の帰結がまとめられています。8・9段落の主張の違いが、この整理
 にあるのですからーー⑨でのーー上着が価値形態と商品語で示しながらも、最後の判断として、
 「価値 - 客観性がその剛体と異なる」ーー価値比率においても、リンネルの価値形態--と
 まとめられています。
 ⑪段落ーーなんと、これは、私も誤解をしており誤訳でありました。今気づきました。訂正。>
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ぐーぐるほんやく
  https://translate.google.co.jp/?hl=ja
  https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1675
  資本論四版 第一章 第三節 2.相対価値フォーム

  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_000.htm
  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_2

http://

 
 
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