teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]


新着順:23/1517 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

久留間先生の「価値表現のメカニズム」とは何であったのか (2)

 投稿者:杉本  投稿日:2018年11月24日(土)11時30分56秒
  通報 返信・引用 編集済
     『初版』の第一の形態に示される物象の判断とは?まず追求。
   左極にて価値形態を受けとる--とは?次でありました。
   <価値形態論は、「リンネルが上着を価値としては自分に等置
   していながら、他方同時に使用価値としては上着とは区別され
   ている」--物象の判断の解析の人間の判断への転換です。>

 「・ところが諸商品は物<象>である。諸商品がそれであるところのもの、諸商品は物<象>的にそういうものでなければならない。言い換えれば、諸商品自身の物<象>的な諸関係のなかでそういうものであることを示さなければならない。

リンネルの生産においては一定量の人間労働力が支出されている。
リンネルの価値は、こうして支出されている労働の単に対象的な反射なのであるが、しかし、その価値は、上着にたいするリンネルの物体において反射されているのではない。

その価値は、上着にたいするリンネルの価値関係によって、顕現するのであり、感覚的な表現を得るのである。

リンネルが上着を価値としては自分に等置していながら、他方同時に使用価値としては上着とは区別されているということによって、上着は、リンネル-物体に対立するリンネル-価値の現象<出現>形態となり、リンネルの現物形態とは違ったリンネルの価値形態となるのである(18)。」(『初版』国民文庫46-7頁 原P17)

 <再版での理解はどうであったのか?>

③-③キャンバスの独自の価値は、前者では独立した表現を受け取り、それは岩石に価値あるものとしてのみ関連をしてなのですから、それを<equivalent or interchangeable>同等か交換可能なものとしています。

再版 <それは岩石-上着-に価値あるものとしてのみ関連をして>
初版 <リンネルが上着を価値としては自分に等置していながら、
  他方同時に使用価値としては上着とは区別されている・・>

 ①このように再版の価値形態論の冒頭の三段落では、上着が価値と
  してリンネルに等置される、と理解されている。
  それは、上着がリンネルの価値存在であることで、上着は、
  a価値であり、b価値<物>で無くて、c交換可能となっている
  ーーと示されたことであり、これは、初版提示の物象の判断なの
  です。
  <誤解無きように、②交換可能性の形態は、リンネルの価値形態
  が受け取られて、なしえるのだから、まだ①の準備段階です。>

 ②久留間先生は『貨幣論』の「9回り道とはどういうことか」で、
  こうのべています。
  「久留間・・・上着が価値物の規定性にいて等置されるのです。
  これによって上着は価値体としての形態規定を与えられることに
  なるのです。」(P104)
  <そして価値表現のメカニズムを、現行版・再版の第三節の内実
  論の冒頭を解説して次のように云う。>
  「・ただリンネルの価値だけが表現される、ではどのようにして
  か?」と設問し、「リンネルが自分の『等価物』または自分と
  『交換されうるもの』としての上着に対してもつ連関によってで
  ある」<再版原P64>と答えるのです。ぼくが「価値表現のメカ
  ニズム」と名づけたのは、この設問に対する答えの部分に他なり
  ません。その答えの最も重要な、基本的な質的内容を、ぼくはわ
  かりやすく一口に、「回り道」と言う言葉で表現したのでした。」
  (P106)
  先生の誤読が理解できますか?
  「リンネルが自分の『等価物』または自分と『交換されうるもの』
  としての上着」--とは、全くの逆の理解なのです。
  杉本は、正しく、次のように紹介しています

③-①しかし、質的に同等な2つの商品は同じ役割を果たすわけではあ
  りません。キャンバスの価値だけが印刷<printed out>されま
  す - そして、それはどのようにしてか?彼らの”同等物“
  <as their equivalent>としての岩石との関係を通して、あ
  るいはそれを"交換可能 "とすることでなのです。

  先生は、ここでの二つの両極での規定をみて、前者をば、等価形
  態と読み、後者を、その前提の下での"交換可能 "と理解すること
  で、全くの独りよがりの解説をしたのです。

  ③二つは⑧では、はっきりと一つになっています。

⑧ー①コートの生産では、仕立ての形の人力が実際に消費された。
   その結果、人間労働はコートに蓄積されています。
  このことから、このコートは「値のキャリア」ですが、このプ
  ロパティはどこにも見えません。

⑧ー②そして、リネンの価値関係では、コートはこの側面の下でし
  かカウントせず、従って価値の化身として具体化された価値と
  して数えます。そのボタンアップされた外観にもかかわらず、
  リネンは豪華な価値魂をコートで認識します。

⑧ー③しかし、コートは、リネンの価値を表すものではなく、後者
  の場合には同時にコートの形状をとるものでなければならない

⑧ー④例えば、個人Aは、他の個人Bにとっては「あなたの威厳」に
  なることはできません.Bの目の中では威厳を失わずに、Aの物
  理的な形状を仮定し、さらにファッションや髪の毛やその他多
  くのものを変えます新しい-new father of his people-
  「人々の父」が生まれました。」

 「具体化された価値」とは、価値魂の入ったコートの意味ではな
  く、反対に、そうなるためには、どうすればよいのか?という
  のが、ここでの 問いなのです。

③ー①でのコートは ”同等物“で"交換可能 "であるのが、右と左の
  極にわかれておれば、思考停止であり、へいかとしんかの役だ
  ちの違いはみえません。しかしどちらもいまだ左極なのです。
⑧ー②そのことでの”同等物“で"交換可能 "なコートは、
  <リネンの価値関係では、>このように、リネンは豪華な価値
  魂をコートに認識するだけでなく、コート自身がその反射規定
  を、リネンに与えているのです。
 第③に、リネンがそのコートからの反射規定を、受け取ることで、
  ⑧ー④ファッションや髪の毛やその他多くのものを変え、新し
  い「人々の父」が生まれました。ーーとの新規定がある。
  この新規定があることで、つぎ⑨「上着の体を価値形態」にする
  間違いをこえて、リネンの価値形態としたのです

  その<独りよがりの解説>では、論理が進行しないので、こう続
  けることで、先生は『初版』の新たな解読を、つぎにしたのです。

  「・・つまり、商品は自分から進んで他商品の等価物であると称
  してみても、それはその他商品にとって通用しない全くの「独り
  よがり」でしかありません。直接には使用価値である商品が他商
  品にたいして、いきなり、価値体として通用することはできない
  のです。
  だが一商品たとえばリンネルは、他商品上着を自分に等置するこ
  とによって、上着に価値体としての形態規定を与えることはでき
  る。この形態規定における上着の体で自分の価値を表示する、あ
  るいは、この形態規定における上着の体を自分の価値の形態にす
  ることはできる。
  「それは直接に自分自身に対してすることができないことを、直
  接に他の商品に対して、したがってまた回り道をして自分自身に
  対してすることが出来る」(初版原P20)のです。
  これは決してリンネルの独りよがりではありません。
  これによって現に上着はリンネルに対する直接的交換可能性を与
  えられているのです。」 <同書P114>

杉本、久留間先生がここで与えている、再版ではなく初版を指しての
  ① ②の混同を提示する解説であったのです。
ーー②<これによって現に上着はリンネルに対する直接的交換可能性
  を与えられているのです>との後者と、
ーー①<また回り道をして自分自身に対してすることが出来る>と示
  された前者とは、異なります。この区別こそが最大の要です。

著者マルクスは、②の後者について、①との区別をやっと⑦⑧⑨⑩段落と語り積み上げることで、次の結論を示しています。

⑨段落⑧商品は、他方としてのみ(「等価」によって意味されるもの
  である)直ちに交換可能な使用価値の形を求める材料であるのだ
  から、それとは異なる別の商品で価値が表現されます。
⑩段落、この区別は、その単純な形式または第一の形式の相対的な価
  値表現の特徴的な特質によって不明瞭である。
 <量的な相対的価値表現の形式からは、この直接的交換可能性の形
  態は、発生しないので、質的側面によく注意を、とあります。>

11段落に、以上をこう整理づけています。

⑪ー①商品価値の価値形態またはその両方の表現の決定は、相対価値
  のみであるが、両者は同じ程度に相対的に現れるわけではない。
  リネンの相対価値(20ヤードのリネン= 1コート)において、リ
  ネンの交換価値は、他の商品との関係として明示的に示されてい
  る。
  ②コートに関しては、リネンはコート自体を価値の出現<現象>
  形態として、したがってそれ自体ですぐ<直接>に(リネンに)
  交換可能なものとして、リネンがコートと関連している限り、同
  等であることは明らかである。この関係の中でのみコートの等価
  物です。
  ③しかし、それは受動的に行われます。 それは何のイニシアチ
  ブも握っていない。物事はそれ自体に関係しているので、それは
  この関係で自分自身を見つけます。
  ④リネンとの関係のために構成されているキャラクターは、それ
  自身の関係の結果として出現するのではなく、それ自身の追加の
  活動なしで存在する。
  ⑤さらに、リネンがコートに関連する具体的な特定モードおよび
  方法は、コートに対して行うことの終わりに正確に適切である
  が、・・・

 三段落にて、この事に触れて以来、初版の⑤段落後半から⑥段落にて触れ、もう終わっていたのかと思えば、ずっと触れ続けてきての結論が、十一段落にてやっと一応の結論なのですから、読む方にしてもこの論理の推敲のさまは、なんとも驚異そのものです。

 従って、⑦段落のまとめとして、⑧段落の次があるのですが、このことは、何とも他にも紹介頂いたことの記憶が無い、無視された事柄です。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
原P21 八段落
⑧ー①私たちの分析は、商品の相対的価値表現が2つの異なる価値形
  態を含むことを明らかにしました。
  ②リネンはその価値とコートの価値の確定量を表しています。
  ③それは、他の商品との価値関係におけるその価値を明示し、し
  たがって交換価値として明示します。
  ④他方では、他の商品、すなわち相対的な方法でその価値を表現
  しているコートは、それと直ちに交換可能な等価物としての使用
  価値の形式を正確に得る。
  ⑤両方の形式、すなわち一方の商品の相対価値形態、他方の同等
  の形態は、交換価値の形式です。
  ⑥両者は実際には、同じ相対的価値表現のベクトル
  (お互いに相互に条件付けされたもの)だけですが、同じに設定
  された2つの商品極の間の極のように分けられます。
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 さてと、この区別は、明瞭であるようで、少しもあらゆる混乱した見解への批判が、何故か出来ていないのだから、その適用の点検を、久留間先生の論節でやってみよう。

  <①私たちの分析は、商品の相対的価値表現が2つの異なる価値
  形態を含むことを明らかにしました。>
  この⑧段落の見地から、その前の⑦段落を読むとどうなるのか?

⑦ー③商品と商品との関係にのみ存在する価値形態とは状況が異なります。
ここでは、使用価値または商品本体が新たな役割を果たします。これは、商品の価値の現れ、すなわち、それ自体の反対です。

④同様に、使用価値に含まれる具体的な有用労働は、抽象的人間労働の実現の単なる形となり、それとは反対のものになる。離れて落ちる代わりに、商品の相反する規定が反映されます。これは一見して、この理解ができないか分かりませんが、必要に応じてさらに検討する必要があります。

⑤商品は最初から二重のもので、使用価値であり価値、有用な仕事と抽象的人間労働の凝固産物です。
それが何であるかを明らかにするためには、その形式を一つではなく倍にする必要があります。それは、自然から使用価値の形の権利を持っています。 それはその自然な形です。

⑥他の商品と一緒に流通して初めて価値形態だけを獲得する。
しかし、その価値形態は、それ自体が客観的な形である。商品の唯一の客観的な形態は、その使用形態であり、それらの天然形態です。
 <既存訳・今村--他の商品とつきあうなかではじめて
      江夏--他の商品との関係において初めて手に入れる>
 <--他の商品と一緒に流通して--なのだから、自明なように、
   「その形式を一つではなく倍にする必要があります」ので、
  使用価値と価値形態の商品形態の二重の形態がなければ、この
  流通の中に入れないのは、自明なことであるのに、既存訳は、
  論理の段階が、次へと移っていかなかったのです。

⑦さてこの場面で、商品(例えばリネン)の自然な形はその価値形態の正反対であるため、他の自然な形態(別の商品の自然な形)をその商品形態に変えなければなりません。

⑧それはすぐに別の商品のために、それゆえにそれ自身のための迂回路(回り道)によってすぐにすることができます。それは、自らの価値を自分自身の価値で表現することはできませんが、他の使用価値<another use-value or commodity-body>や商品体を、直接価値として参照することができます。
 <悪訳・「直接的な価値存在としての・一つの使用価値あるいは商
  品体に、関係することが出来る。」(江夏訳P40今村訳P291)
  この全くの転倒した理解が分かりますネ。
  「他の使用価値や商品体」が「直接的な価値存在として」この規
  定のもとに、リネンと関係できるならば、それは既に直接的に価
  値形態であることで、抽象的人間労働の体化物であるから、ここ
  での迂回路など必要無し!ですよ。>

  <久留間先生の次の誤読>
  「直接には使用価値である商品が他商品にたいして、いきなり、
  価値体として通用することはできないのです。」
  --は、回り道の論理追求など、全くして無いのです。驚きです!

  回り道は、このように、次の論理の段階を踏まえるからです。
  内在的に商品は--使用価値と価値--の規定にあることから、
 ①使用価値と価値形態の規定を受けとることで商品形態を示し、
 ②「一商品の相対的価値表現は、二つの相異なる価値形態を包括し
   ている」--とありました。
 ③そして、以上の①②と示されたことは、次を語るためなのです。
 ⑧-⑤「両方の形式、すなわち一方の商品の相対価値形態、他方の
    同等の形態は、交換価値の形式です。」

 これで理解できるのは、②のようにであります。二つの異なる価値
 形態が、形成されることは、商品形態の形成が、価値形態の働きで
 の物象の社会関係の働きがなしたものであるーーことを示すことで
 註22に示されるベーリの、「われわれはその商品の価値を、・・・
 穀物価値、上着価値と呼んでもかまわない。そしてそのばあいには
 、無数のちがった種類の価値が、諸商品が存在するのと同じ数だけ
 存在するのであって・・」(『価値の性質、尺度、及び原因・』)
 ーーとの、価値論への反論であったのです。

  マルクスの再版一章の最終の註である36は、ベーリ批判であり、
 価値と価値形態との内的連関の理解への注意、なのであります。


 
 
》記事一覧表示

新着順:23/1517 《前のページ | 次のページ》
/1517