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杉本さんへの返答(1)-初版本文の検討

 投稿者:hirohiro  投稿日:2012年 1月29日(日)15時36分18秒
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  杉本さんへの返答
 1.はじめに

自分の都合で伸ばし伸ばしになっていた価値形態論に関するご返事を、どのようにすればよいのか考えていました。杉本さんが問題としている論点に直接返答するという方法もありますが、価値形態論の理解全体に関わる議論なので、ここでは迂回路を通りたいと思います。
まず、私のマルクス解釈を提示してから、杉本説を検討します。杉本さんが久留間批判を展開しているのだから、当然久留間説の検討も行うつもりです。とくにいわゆる久留間シェーマについては真剣に検討してみたい。商品論全体の理解を左右する問題だからです。
これらの課題を一回でこなすのは無理なので、何回かに分けて投稿します。今回は初版本文の価値形態論の検討を行います。なお、マルクスの引用は基本的には牧野訳に従いますが、適宜変更しています。引用ページ数は原典のものを示してあります。

 2.価値形態とは何か。価値形態の前提としての価値。

①リンネルの「生まれつきの形はそれの価値としての形態ではない。その正反対である。リンネルはさしあたっては、自己と同種のものとしての他の商品、上着に関係することによって、自分が価値であること(Wertsein)を示すのである。もしリンネル自体が価値でなかったならば、それは価値としての上着、自己と同じ物としての上着に関係することはできないだろう。」(S.16)

ここでマルクスは価値形態とは、商品の現物形態あるいは自然形態とは区別されたものであること、つまり商品が「価値であること」、商品の価値存在性は感性的なものではなく、他の商品との関係のうちでのみ現象することを述べています。さらに商品の価値存在性は、価値関係に前提されたものであることをも示しています。価値が現象するのはあくまでも交換の内部でですが、その関係を結ぶのは商品であり、商品とはそもそも使用価値と価値との統一物だからです。
とはいえ、商品自体が労働生産物の特定の歴史的な社会的形態であることを勘案すれば、価値がある社会的関係を前提としていること、あるいはある社会的関係の物象的形態であることは、理解しなければなりません。

 3.リンネルはどのようにして価値形態を獲得するのか。

   ②「リンネルは人間労働であるという点で種を同じくする労働の対象化されたものとしての上着、リンネルの価値実体の対象化されたものとしての上着に関係することによって、自己に上着を質的に等置するのである。」(S.16)

   ③「リンネルは他の商品を価値として自分に等置することにより、価値としての自分に関係する。価値としての自分に関係することによって、価値としての自己を使用価値としての自己から区別することになる。それは自己の価値を上着で表すことによって、(価値の大きさは価値一般であるとともに量的に計られた価値だから)自分が価値としての存在(Wertsein)に、それ自身の直接的なあり方とは区別される価値形態を与えるのである。」(同上)

初版本文の記述は現行版とは大幅に異なっており、価値実体の対象化されたものとしての=価値としての上着を等置することにより、自己の価値存在に形態を与える、とされています。確かに他の商品との関係を通じて、という点では回り道とも言えなくはないのですが、現行版のそれとは明確に異なっています。つまり、労働の抽象化の過程が示されていないのです。ここでの強調点は他の商品との関係を通して、リンネルの価値存在が使用価値とは区別された形態で獲得されるということです。 その結果、リンネルは「自己自身のなかで分化したものとして現われることによって、初めて商品(同時に価値でもある有用物)として現実的に現われるのである。」(S.16)上着とはリンネルの価値の感性的な存在形態とされたのです。

4.等価物とは何か。

④リンネル価値の表現によって上着には「交換可能な使用価値、即ち等価物」という新しい形態が刻印される。「等価物という規定に含まれているのは、ある商品が価値一般だということだけではない。その商品がその物そのままの姿で、その使用価値形態のままで、他の商品に対して価値として通用するということ、したがって他の商品に対して交換価値として直接通用するということである。」(S.17)

ここでは等価物というのは、直接的に=自然形態のままで=使用価値形態のままで存在する価値である、ということが述べられています。等価物のこのようなあり方がのちに「価値体」として説明されています。「価値存在」とは区別して理解しなければなりません。「価値存在」とは価値をもった存在ということで、商品そのもののことです。単体としての商品とは直接的には使用価値として存在しているのであり、その価値存在は感性的に現われてはいません。価値形態とは価値存在が現実化する形態ということです。現行版の「価値対象性」、「価値物」という用語も「価値存在」という意味で理解すべきですが、その点に関しての論証は次回に行います。

 ⑤リンネルが価値実体としての「人間労働の単なる物的な表現にすぎないものと確認するためには、それを現実に物たらしめているもの全てを度外視しなければならない。人間労働であるという以上の質も内容も持たず、それ自身抽象的な人間労働の対象化されたものは、抽象的な対象になってしまうし、思考物になってしまう。・・・しかし、商品は物象である。商品の何であるかは、商品の物象的なあり方となっていなければならない。あるいは物象的連関においてしめさなければならない。」(S.17)

ここでの訳は物(Ding)と物象(Sache)とを訳し分けましたが、その必要はないのかも知れません。物象化と物神性を区別することは必要ですが、その点にこだわる余り不自然な翻訳になる可能性があるからです。⑤の牧野訳は物象をいずれも物としていますが、それが正解かも知れません。ここでの要点は抽象的人間労働の対象化としての価値とは思考物ではないか、しかし商品の属性である以上、対象的な=感性的に把握できるものでなければならない、という矛盾です。したがってここでのSacheとは社会的な規定性を帯びたもの、というよりも感性的対象という意味でしょう。しかし、ここまでマルクスはそのような意味では主としてDingを使用していたことを考えると、ここでSacheが登場することにも意味がある、ともいえるでしょうか。というのも等価物という規定性とは社会的関係のもとでのみ可能なものでありながら、自然形態の姿での規定となるので、自然属性の仮象をとらざるをえないことが、後のところで指摘されるからです。

⑥「リンネルの生産には一定量の人間労働が支出されている。それの価値とはそこで支出された労働の単に対象として反射された姿にすぎない。しかし、その反射はリンネルの体の中ではなされない。その価値は上着との価値関係を通して現われるのであり、感性的な表現を獲得するのである。」(S.17)

⑦「リンネルが使用価値としては自己と上着とを区別しながら、価値としては自己に上着を等置することによって、上着は、物体としてのリンネルとは対立するリンネル価値の現象形態となる。つまり、上着はリンネルの自然形態とは区別された、リンネルの価値形態となるのである。」(S.16~17)

現行版では「課題はすでに解決されている」と述べられている問題が、初版のこの部分で解かれています。リンネルは上着との交換関係においていくつも得をするのです。

 ⑧「使用価値としての上着がリンネル価値の現象形態となるのは、ただ、リンネルが抽象的な人間労働の直接的な物質化としての上着という素材に関係するからにほかならない。」(S.18)

 ⑨「たしかに人間労働そのもの、つまり人間労働力の支出はどういう規定をも受け入れうるものである。しかし、それはそれ自体としては夢規定である。それが実現され対象化されうるのは、ただ、それが特定の形で支出され、特定の労働として支出されるときだけである。」(S.18)

 ⑩「ある使用価値またはある商品体が価値の現象形態または等価物となるのは、だた、他の一商品が、その使用価値の中に含まれている具体的で有用な労働を、抽象的な人間労働の直接的な実現形態と認めて関係するときだけなのである。」(S.19)

価値とは抽象的人間労働の対象化されたものです。リンネルはそのようのものとして自己を価値を表現しなければなりません。しかし抽象的人間労働そのものの対象化など単なる「思考物」でしかないのです。というのも労働とは具体的な労働以外ではありえないからです。そこでリンネルは他の労働生産物を抽象的人間労働の対象化として自己に等置することによって、はじめて自己が価値であることの感性的な表現=現象形態=価値形態を獲得するのです。価値と使用価値との区別がこのようにして現実化するのです。リンネルは自分の体では価値を表現できません。使用価値としての姿とは区別されないからです。リンネル=リンネルという等式は無意味あるいは同語反復でしかないのです。

 5.「価値体」について

今回の投稿の最後として、初版における「価値体」用語の使用法を検討しましょう。

 ⑪「リンネルは、抽象的な人間労働の感覚的に存在する体化物としての上着に関係するのであり、従ってまた目の前にある価値体としての上着に関係するのだが、上着がこのように目の前にある価値体であるのは、ただリンネルがこのような仕方で上着に関係するが故であり、またそのかぎりでしかない。上着の等価物というあり方はいわばリンネルの反省規定にすぎない。」(S.22)

 ⑫「リンネルが価値を表すための全ての商品に共通な形態となった今では、それは普遍的な等価物、普遍的な価値体、抽象的な人間労働の普遍的な体現物となっているのである。」(S.27)

以上の2箇所で価値体という用語が使われていますが、原語は実はことなります。前者はkoerper,後者はleibが体と訳した部分です。両者の意味はほとんど同じだと思っていいのではないでしょうか。ドイツ語はまるっきり素人ですので、よく分かりませんが・・・。とにかく、価値体とは価値の感性的存在形態、実現形態として考えられていると思います。つまり、等価物のみが価値体であって、価値存在とは異なる用語だということです。
初版の価値形態論について、簡単な価値形態(形態1)について検討しました。今回の議論はおもに回り道論を中心にしていますので、形態1の検討にとどめます。次回は現行版の価値形態論について検討したいと思います。
 
 
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