teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


  山崎博昭君虐殺から50年  かけはし から転載

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月19日(木)10時13分22秒
返信・引用
      http://www.jrcl.net/frame171023c.html
   かけはし2017.年10月23日号

   ベトナム反戦運動とその時代

    寄稿
   山崎博昭君虐殺から50年(上)

   訪問団に参加して考えたこと
   歴史の中から検証する民衆連帯と交流の記憶

   一九六〇年代後半から七〇年代にかけた全共闘運動や反戦青年委員会の運動が大きな注目
  を浴びる転換点は一九六七年一〇月八日の佐藤首相の南ベトナム訪問に反対して闘われた闘
  いであった。この日、機動隊の弾圧で京大一回生の山崎博昭さんが虐殺された。ベトナム反
  戦運動の一時代を画した闘いから五〇年、ベトナム訪問団に参加した礒崎さんに寄稿してい
  ただいた。(編集部)

   あの時代を捉えかえす

   一九六七年一〇月八日に佐藤首相が南ベトナム政府を訪問し、北ベトナムへの侵略戦争へ
  の支持を世界に向け明らかにするために羽田空港から出発することが明らかにされた。
  当時の三派全学連の学生と反戦青年委員会の労働者はこれを実力で阻止するために羽田空港
  に向かった。
  一方警察機動隊は、空港周辺でのデモを禁じるとともに空港につながる橋で阻止戦を張り、
  デモ隊を弾圧した。そこで京大生山崎博昭君が虐殺された。山崎君の死は全国の青年労働
  者、学生に衝撃を与え、ベトナム反戦運動が全国化するきっかけとなった。
  私も衝撃を受けた一人だった。仙台で、わずかに残っていた仲間とともに、その知らせを聞
  き、翌日山崎君虐殺抗議集会を開いた。この時から一連のベトナム反戦運動に参加し、その
  後の社会運動に参加し続けるきっかけになったのである。

   今年一〇月八日で山崎君の死から五〇年。
  これを前にして山崎君の高校時代の友人、山崎君のお兄さん、10・8羽田闘争救援会、そし
  て元東大全共闘議長の山本義隆さんらが、山崎博昭プロジェクトを立ち上げ、虐殺された場
  所近くに、山崎君の虐殺の意味を伝えるモニュメントを建設したり、ベトナム反戦運動から
  広がった社会運動の意味を考える講演会を開くなどの活動を始めた。
  さらにベトナムホーチミン市にあるベトナム戦争証跡館で日本のベトナム反戦運動とその運
  動が全国化していくきっかけとなった山崎博昭君の死を歴史に残す展示会を開こうというプ
  ロジェクトもスタートした。

   そして今年「日本のベトナム反戦運動とその時代」特別展示会がホーチミン戦争証跡博物
  館で八月二〇日から一〇月二〇日までの二カ月間開かれることになった。
  展示会の初日に開かれたオープニングセレモニーに間に合うように八月一九日日本を出発す
  る特別ツアーが組まれ私もその一員として参加した。

   ホーチミン市でセレモニー


   八月二〇日にホーチミン市ベトナム戦争証跡博物館で行われたセレモニーには五〇人を超
  える日本側からのツアー参加者、日本ベトナム間の友好関係を築いて来た人々、ベトナム側
  から参加した人々などで会場はいっぱいだった。
   日本側から元東大全共闘議長の山本義隆さんが10・8山崎プロジェクトを代表してあいさ
  つした。

   山本さんは、まず「日本とベトナムの人々との間の友好親善のためにこの画期的な展示会
  を組織していただいたベトナム証跡博物館に感謝を述べたい」と話し

  「一九六七年一〇月八日、佐藤首相の南ベトナム政府訪問を全学連が実力で阻止しようとし
  たことに対して機動隊の弾圧が加えられ、この中で京大生の山崎博昭君が虐殺された。この
  ことが日本におけるベトナム反戦運動が全国化するきっかけになった」と述べ

  「ベトナム反戦運動は日本各地に広がり、
  アメリカ原子力空母佐世保入港阻止闘争、
  砂川アメリカ空軍基地拡張阻止闘争、
  王子野戦病院開設阻止闘争、
  米軍ジェット燃料輸送阻止闘争
  北ベトナムへ爆撃に向かう沖縄米軍基地での基地労働者の戦いなどへと拡大していった。
  これはさらに三里塚の農民の戦い、
  自衛隊の中での反軍闘争などにも広がった。
  この展示会では、写真やポスター、リーフレット、米軍基地で秘密に配布された地下新聞な
  どで日本の反戦運動の歴史を示すことを意図した」

  と一〇〇点を超える展示物について説明した。
  このセレモニーについてベトナム現地では翌日一〇紙を超える新聞が報道した。

   ベトナム独立の闘いと日本

   私は一八歳から二〇歳を超え、自分自身が走り抜けた一連の街頭実力闘争がどのように記
  録されて展示されるのかも知りたいし、ベトナム戦争がベトナムの人たちに何を残している
  のかも知りたくてこのツアーに参加を決めた。

   このツアーの中で、観て聴いて心に残ったことのいくつかを紹介しておきたい。
  それはまず、ベトナムの文化と歴史の一端に触れることができたことである。隣国韓国につ
  いてはここ一五年間、韓国語も学び、直接韓国旅行をして韓国の文化や政治に触れてきた。
  しかし、ベトナムが、フランスとアメリカという帝国主義との戦争に勝利し、一度は失った
  民族の独立をどのように取り戻したのか。その苦闘の歴史については、まったく知らないま
  まだった。これについて多くのことに気づくことができた。

   それは、ベトナム戦争終結後、二〇年以上にわたってベトナムで生活し、今は日本に戻っ
  ていた友人が、ツアーで一緒のグループになり、旅行途中でベトナム民族独立運動の歴史に
  ついて語ってくれたおかげである。

   彼はフランスの植民地となったベトナムがどのように再び民族の独立を果たすことができ
  たか。その民族独立運動にたいして、日本がどのように直接的な影響を及ぼしてきたことな
  どを話してくれた。その話の一部を紹介したい。

   フランスからの独立運動を戦うベトナムの人達にとって、当初はいち早く近代化を果た
  し、欧米列強から独立を維持した日本は自分たちが進める独立運動の手本のように見えた。

  ベトナムの各地でフランスの支配に蜂起する人々の戦いが個別に鎮圧されるのを見て,民族
  独立運動家ファン・ボイチャウは中国を経由して日本にわたり独立運動への支援をもとめよ
  うとする。

  一九〇四年日露戦争に勝利した当時の日本にはアジア各地から民族独立運動家が集まってい
  た。イギリスと戦うインドの運動家、中国を分割支配し、植民地化することを狙う日本を含
  めた帝国主義と戦う中国の運動家、これらの運動家と交流する中で、
  当初ファン・ボイチャウは、日本に直接的な軍事支援を求めるが、
  犬養毅に国家の基礎は人材の育成だと諭され、ベトナムの青年たちの日本への留学運動を組
  織する。

  東遊(ドンズー)運動と呼ばれ、一時は二〇〇人を超える青年が日本で学んでいた。
  しかし、彼らの独立の手本と思えた日本は、すでに欧米帝国主義に遅れまいとアジアへの植
  民地獲得競争への参加者となって成立していく。

  一九〇七年には日本とフランスが協定してフランスは日本の朝鮮での権益を、日本はフラン
  スのインドシナ支配をそれぞれ認めた。

  これにより、フアン・ボイチャウをはじめとするベトナムの民族独立運動家は
  日本から追放されることになった。

  その後、中国で辛亥革命がおこり、それに影響され、ベトナム国民党が作られたり、
  一九一七年のロシア革命・ソビエトの成立で社会主義思想も広まり、
  一九三〇年にはフランス共産党の創設にも参加したホーチミンがベトナム共産党を結成し、
  革命運動として民族独立運動を継続することになる。 (つづく)



 
 

 朝鮮民主主義人民共和国のミサイル発射ーーの意図は何処か?

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月17日(火)11時08分18秒
返信・引用 編集済
    素晴らしい評論です。紹介します。次の一文がすべてを表しています。
「北朝鮮のゲ・チュンヨン駐インド大使は米韓が合同軍事演習を『一時的あるいは永続的に停止すれば我々も(核とミサイルの実験を)一時的に中断する』と述べた」


http://mediawatchdog.hatenadiary.jp/entry/2017/09/11/095828

Bark at Illusions Blog ── Media Watchdog Group
2017-09-11
  北朝鮮の核・ミサイル問題:対話による解決を求めるロシア
  に対するマスメディアのネガティブ・キャンペーン

 核実験を強行した北朝鮮に対して日本や合衆国などが石油の禁輸や、北朝鮮に関係する船舶の臨検(船舶を公海上で強制的に停止させて検査すること)を含む新たな制裁を目指す一方で、ロシアや中国は制裁よりも対話を重視ている。

とりわけロシアは、制裁は軍事的緊張を高めるだけで無益で効果がないとして新たな制裁には強く反対しているが、そのロシアの動機について、マスメディアは疑いをかけている。

 例えば、報道ステーション(17/9/6)はロシアの「プーチン大統領の思惑が透けて見える場所」があると言ってウラジミール・プーチン大統領がロシアの「極東地域」に建設した「巨大カジノリゾート」を紹介し、「プーチン政権の優先課題は極東地域の経済発展です。その課題を達成するには隣接する中国、北朝鮮、日本の協力が不可欠です」と述べた後、「北朝鮮から派遣された労働者がカムチャツカ半島南部に建設したプール施設」を紹介して、「安い賃金で働く北朝鮮労働者はロシアにとって貴重な存在」、「北朝鮮を追い詰め過ぎればロシアの極東開発にも悪影響が出る可能性があるのです」などと、「ロシアと北朝鮮の結びつき」が「深まって」いることを強調している。

 テレビ朝日モスクワ支局長の長谷川由宇によれば、
「今現在、北朝鮮と最も太いパイプを築いているのはロシアなんです。
ロシアとしてはこの立場をてこに、周辺国から何らかの譲歩を引き出したり、経済的な支援を得たりして極東地域を思い通りに発展させたいという思惑があります」

ーーーー略ーーー

 NHKニュース7(17/9/6)によれば、ロシアは制裁強化を目指す日本や合衆国に協力して「安保理常任理事国として責任ある対応」を取らなければならないらしい。

 しかし、北朝鮮の石油を禁輸することは、北朝鮮の暴発を招くのではないかとの懸念がある。歴史を振り返れば、太平洋戦争も最終的には石油の禁輸が日本政府に開戦を決断させた。臨検については、「軍艦が北朝鮮船の臨検を試みた際、衝突が起きる可能性を指摘する声もある」(朝日17/9/8)。仮に北朝鮮が暴発して戦争に発展すれば、「この60~70年間で見たこともない犠牲者が出るだろう」と米軍のジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長は予測している(NHKニュースウォッチ9、17/6/13)。

 トランプ政権の首席戦略官を解任されたスティーブン・バノン氏は

「『(軍事作戦開始後)最初の30分間で1000万人のソウル市民が通常兵器による攻撃で犠牲にならない』と証明されない限り、軍事的手段は排除すべきとの考えを示し」、北朝鮮問題の「軍事的な解決」を否定していた(ロイター17/8/17)。

 対北朝鮮軍事演習のシナリオ策定に携わった米軍のチェタン・ペダッダ元陸軍大尉は、

北朝鮮政府は「国際社会の制裁で危機に陥り、体制の維持が困難になったと判断した場合、『韓国への奇襲攻撃』で活路を見いだそうとする」と想定して、

北朝鮮が通常兵器のみを用いた場合でも「死者は数十万人に達することが確実視される……日本や米西海岸に核弾頭搭載の弾道ミサイルを撃ち込んだ場合、被害は桁違いに増大する」との警告をアメリカ外交政策研究季刊誌・フォーリン・ポリシーに寄稿している(産経17/9/10)。

 さらに対話や交渉による外交的手段について言うと、日本政府は「今は対話の時ではない」とか「北朝鮮に対話の意思がないことが明確になった」などと言うけれど、対話を拒否してきたのは、むしろ合衆国の方だ。

 例えば、昨年4月、

「北朝鮮の李洙ヨン(リスヨン)外相は……米国が朝鮮半島周辺で行っている米韓合同軍事演習を中止すれば、北朝鮮も新たな核実験を中止する用意があると提案。オバマ氏はこれに対し、『北朝鮮が(核)実験を停止すると決断するまでは、こうした約束は真剣に受け止めない』と一蹴した」(朝日16/4/25夕刊)

 また北朝鮮は昨年7月にも、現在は休戦協定のままの朝鮮戦争を終結して合衆国と平和協定を締結することや、朝鮮半島の非核化に向けた協議の提案[i]を行っているが、合衆国政府は人権侵害を理由にキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長らを対象とした北朝鮮への経済制裁でこれに応えた。

 今年6月には、

「北朝鮮のゲ・チュンヨン駐インド大使は米韓が合同軍事演習を『一時的あるいは永続的に停止すれば我々も(核とミサイルの実験を)一時的に中断する』と述べた」(日経17/6/23)

 8月には、

グアム島周辺へミサイルを発射すると威嚇していたキム・ジョンウンが「合衆国の行動をもう少し見守る」と述べて、予定されていた米韓合同軍事演習を見越して合衆国政府を牽制する中、合衆国政府は、北朝鮮の核ミサイル開発凍結と引き換えに合衆国と韓国が大規模な合同軍事演習を停止して交渉を再開するよう求めるロシアと中国の呼びかけにもかかわらず、北朝鮮が再三中止を求めていた合同軍事演習を強行した。軍事演習はキム・ジョンウンら北朝鮮政府首脳の「斬首作戦」を含む「作戦計画5015」を土台に行われている。

 こうした経緯を見ると、合衆国政府が本当に北朝鮮の核・ミサイル開発を止めようという意思があるのか疑いたくなる。

 その一方で、北朝鮮の意図は明白だ。
これまで北朝鮮は合衆国と平和条約を締結することを一貫して求めている。
また、合衆国が韓国との合同軍事演習を中止すれば核実験やミサイル実験を中断すると述べ、さらに平和条約を締結して合衆国による核の脅威がなくなれば非核化に応じる姿勢まで示している。

 つまり、合衆国政府が北朝鮮に対する敵視政策を見直し、少なくとも朝鮮半島周辺における韓国との合同軍事演習を中止して交渉を再開すれば、北朝鮮の核・ミサイル問題の解決、さらには朝鮮半島の非核化も実現可能かもしれない。

 果たして、北朝鮮の暴発を招きかねない石油禁輸などの制裁を加えることが、「安保理常任理事国として責任ある対応」と言えるだろうか。

 確かにロシアや中国は、朝鮮半島で合衆国の影響力が高まることを望んでいない。報道ステーションや日本経済新聞などが指摘する通り、ロシアには他にも何か動機があるかもしれない。
 しかし、ロシアや中国の動機がどうであれ、朝鮮半島と東アジアの平和を考える時、「北朝鮮の核ミサイル開発凍結と引き換えに合衆国と韓国が大規模な合同軍事演習を停止して交渉を再開する」というロシアや中国の提案の方が、日本や合衆国のそれよりはるかに理にかなっているのではないだろうか。


[i] 北朝鮮政府は2016年7月6日の声明で、

「朝鮮戦争『休戦協定』を終結し『平和協定』を締結することを再度提案するとともに、『非核化協議』に前向きに応じるための次の5つの条件を提示した:

①朝鮮半島のすべての核兵器の存在を公表すること、
②韓国にあるすべての核兵器及び核基地を検証可能な形で撤去すること、
③朝鮮半島及びその近傍に核兵器を配備しないこと、
④いかなる場合もDPRK[北朝鮮]に核兵器による威嚇を行わないこと、
⑤核兵器を使用する権限のある部隊すべての韓国からの撤退を宣言すること」(『核兵器・核実験モニター』ピースデポ16/8/1)。

この声明は、決して非合理的で実現不可能な提案ではない。なぜなら「『声明』の5項目のうち、⑤を除く4項目は、1992年の『朝鮮半島非核化のための南北共同宣言』、『第4回6か国協議』[2005年]における『9.19共同声明』などですでに合意されている」(同)。


 

講演】東アジアの平和を!

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月15日(日)21時17分41秒
返信・引用 編集済
  講演】東アジアの平和を!
    機関紙コモンズ NO110 からの転載です。

http://com21.jp/archives/20695
2017/9/15

   講演】東アジアの平和を!韓国・文在寅政権の誕生を受けて

    李泳采(イ・ヨンチェ)(恵泉女子学院大学教授)

   いま韓国では何が起きているのか

 朴槿恵(パックネ)大統領はなぜ弾劾されたんだろうか。彼女の友人の崔順実(チェ・スンシル)さんの存在が明らかにしたのは、政治・経済癒着ということでした。30年前の軍事政権時代には当たり前のように横行していたことですが、民主化された今、起きていることに人々はショックを受けたわけです。しかもメディアはほとんど報道していませんでした。
 (略)

 大統領が辞めないと言ったその時、ソウルで100万人、全国で200万人以上がデモに集まりました。午後7時、参加者が一斉にキャンドルの灯を消しました。人々は、大統領府に向かって一斉に「闇は光りを消すことはできない」と叫びました。何度もウエーブを繰り返しながら「朴槿恵退陣せよ」と叫ぶ人々の声が山を背景にした大統領府に木霊(こだま)になって響き、大統領に恐怖心を与えたと思います。このデモは毎週土曜日に行われ、全部で18回、1700万人が参加しました。このデモが政治を動かしました。

   直接民主主義と間接民主主義の両輪が政治を動かす

朴槿恵(パックネ)
 なぜ弾劾されたのか。憲法裁判の論理は第一に、朴槿恵大統領は検察の特別調査に一度も応じることがなかった。つまり憲法を守ろうとする意志がない事です。
 第二に、これから未来に向けて憲法を守ろうとする意志がない者は立憲主義に基づき権力の座から降ろすべきだというのが、憲法裁判の判決です。最高権力者は憲法の上に立ってはいけない。憲法を守らない人は降ろすべきである。これが憲法裁判が示した大きな成果です。

これを全国民が共有し、韓国社会では二度と憲法の上に立つ指導者を造らないということが、今の権力者だけではなく、今後登場する権力者たちに対しても大きな警告となった。韓国社会ではかつて火炎瓶や鉄パイプで、「民主主義は暴力でやれるものだ」と思ってきました。だから議会主義を信じて来なかった。しかし今回は人々が議会主義を最後まで信じました。民主主義は、民衆が権力者を降ろす直接民主主義と議会による間接民主主義が両輪で回してゆくものだということを人々は感じるようになりました。

青年世代に支えられる文在寅体制

 こうして大統領選挙で文在寅(ムン・ジェイン)が41.1%の支持率で当選しました。その中身をみると、20代が47%で30代が56%。ほとんど20代と30代の支持が文在寅政権を作ったことになります。

 いま彼らは軍隊にいます。戦争が起こると最初に犠牲者になるのは彼ら自身です。戦争が起こったら、日本は海を隔てていますが、朝鮮半島は戦場になります。危機の時だからこそ、韓国では北朝鮮に対して戦争ではなく平和を望むということなのです。韓国の20代・30代が新しい時代を拓いた。これは大きな選択だったと思います。
  (略)
  今回の大統領選挙で当選した文在寅さんを、日本では「反日」「親北朝鮮」の2つのフレームで見てしまいますが、彼は韓国軍の中でも一番反共で強く、戦争になったら最初に投入される韓国特殊部隊の出身で、誰よりも北朝鮮を憎んでいた人でもあります。彼のお父さんは朝鮮戦争の時、中朝国境地域から釜山まで来ました。彼はそこで離散家族として生まれました。生活が根こそぎ壊れ、お父さんがお酒を飲みながら死んで行くのを見ていました。朝鮮戦争の悲惨さ、南北分断の矛盾をいちばん身体で感じている人です。

  キャンドルの灯火は30年の民主化の闘いが咲かせた花だ

  (略)
 光州の虐殺事件について、これまで「北朝鮮による内乱だ」とか、いろんな不名誉な扱いをされたわけですが、文在寅大統領は犠牲者の名誉を回復し慰めました。私も小学校3年生の時に光州に住んでいて虐殺を目の当たりにしました。韓国で就職しなかったのはそういう(光州出身者に対する)差別があったからです。韓国でこういう時代が来るとは思っていませんでした。

 私が日本に来て驚いたのは、光州については光州の人々のたたかいだけだと思っていたのですが、日本の市民のみなさんの連帯運動によって光州が世界に知られるようになったことでした。そしてその圧力によって弾圧が止まったことを何回も確認しています。今日、みなさんにお礼を言いたくてこの集会に参加しました。

 (略)
これからの30年間に向けて、韓国は第二の民主化運動の起点に立った。これからは政治民主化だけでなく財閥解体が課題となっています。サムスンを改革できるのかできないのか。できなければこの革命は失敗です。政治経済の両方を変えて新しい社会へ向かいたい。

   南北交流再開と経済共同体化をめざし東アジアの平和建設へ

 しかしもうひとつ、韓国には「分断」の矛盾があります。文在寅大統領時代にどうやって北朝鮮の核ミサイル問題を解決し、南北首脳会談によってもう一度南北和解を成し遂げるのか。これにかける時だと思います。大統領選挙キャンペーンの時の公約があります。

  「機会は平等に、過程は全て公正に、結果は正義になる社会を創る」
  「韓国を、常識や正義が認められる国にする」
  「国家は正直さを回復する」

 朴槿恵前大統領は国民に何も言わないでサードミサイルシステム(北朝鮮に対抗する米軍のシステム)配置を決めました。日韓慰安婦問題も当事者に一言も言わないで政府間合意をしてしまいました。これに関して撤回するか、白紙に戻すか-日本ではそれしか興味がないようですが-問題は民主主義社会なので、最低限国民を説得する義務があるということなんです。
(略)

 そして南北関係については、北朝鮮と韓国は何があっても経済統合し、東アジアの新しい経済領域を作りたいと考えています。これをどういう風に具体化してゆくのかをいくつか見ていきます。

 2000年6月、金大中(キム・デジュン)大統領時代、そして2007年10月、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領時代に南北会談が行われました。経済交流が行われ、開城(ケソン)工業団地が拓かれ、鉄道がつながって、私たちはこの時代、統一が進むと思いました。しかしこれは挫折させられてしまいました。

 金大中さんの太陽政策は、和解を進め、交流することが目的だったのですが、盧武鉉さんの発想は違うところがありました。
 第2回目の南北首脳会談では経済を統合する案が検討されました。盧武鉉さんは38度線近くの開城地区だけでなく、いつも紛争地域となってきた地域を経済共同体にする、そして開城公団みたいなものをいくつも作る。南北の経済をリンクさせれば、政権が変わって戦争になっても南北は交流できる。例え保守政権になっても変わらないように、首脳会談を制度化してしまおうとしていたのですが、政権が交代して挫折させられてしまっている状態にあります。

   天安艦事件と辺野古問題――韓国と沖縄はつながっている

 文在寅さんは挫折した盧武鉉さんの夢を再建して、何があってもこの夢を制度化したい。
 2010年3月26日、韓国の哨戒艇天安(チョナン)艦沈没事件が起こり、46名の若者が死にました。そのあと11月には延坪(ヨンピョン)島砲撃事件が起こり、まさに朝鮮半島は戦争寸前状態にまで陥りました。

 天安艦大事件の真相はいまだに不明なところもありますが、韓国ではこれは「北朝鮮の謀略だ」と言われます。

 この事件は実は日本と沖縄に非常に密接な関係があります。
2010年3月、日本では政権交代で民主党鳩山内閣が誕生し、「普天間基地の県外移設に向けてがんばります」と事件の2日前まで言っていました。

しかし事件が起こり、5月に

「これは北朝鮮のしわざ」ということになると、
首相は県外移設案の撤回を仲井真県知事に伝えました。

これは日本の外務省の妨害もあったかも知れませんが、朝鮮半島の有事事態が沖縄の問題を決定したわけです。

 この事件がなんでこのタイミングで起こったのか。
本当に「北朝鮮のしわざ」なのか。

私は鳩山さんとラジオ番組で討論したことがあり、この件に関して聞きました。

本当に北朝鮮の問題でやめたのか。沖縄の問題は朝鮮半島の問題とリンクされています。沖縄に海兵隊が駐留したこと、日米安全保障条約が結ばれたことも全部、朝鮮戦争が起きてからのことです。

結局鳩山政権も、そのあとの菅政権も「北朝鮮制裁論」に加担しました。

翌月(2010年6月)の韓国の選挙でもし与党が圧勝していたら、北朝鮮への先制攻撃になっていましたが、国民がそれを防ぎ、与党を惨敗させたので、戦争シナリオは止められました。

 このように朝鮮半島と沖縄問題はリンクされているということを私たちは忘れてはいけないし、お互いの交流を回復させるべきです。

そうでないと、戦争が起きたら双方が何もできないまま戦争に進んで行かざるを得ない。そんなことがいつでも起こりうることを私たちは警戒しなければなりません。


  日本の植民地支配がもたらした沖縄と済州島の運命

    済州島4・3虐殺事件 虐殺された済州島の人々

 なぜ沖縄と朝鮮半島がリンクされているのか。これはアメリカの戦後体制の影響によるものです。1945年8月、日本の植民地支配が終わったあと、アメリカとソ連が朝鮮半島に入りました。日本は政権が認められ間接統治になりましたが、アメリカの直接統治になったのは2カ所だけ、朝鮮半島と沖縄です。

 沖縄と朝鮮半島はアメリカの東アジア戦略にこの時期から組み込まれ、これが完成したのは朝鮮戦争が勃発し、米韓相互防衛条約、日米安全保障条約が同時に成立した時です。その結果、日本は戦後賠償もなく経済協力によって復興を遂げました。このあと、非武装地帯、朝鮮半島、沖縄に海兵隊を駐留させることで、沖縄は東アジアの「キーストーン」に変わっていくことになります。

 ベトナム戦争時には、韓国は戦場に行く国、日本は後方基地となる国。まさに日本と朝鮮半島はセットであり、アメリカから見れば東南アジア、東アジア含めてひとつの地図として見るだけなのです。私たちは沖縄の問題、日本の問題、韓国の問題を区別してみますが、米軍は同時に戦わないといけないと考えています。鳩山政権が倒れる前に、盧武鉉政権が潰れました。もしも鳩山政権と盧武鉉政権が同時期に登場していたら、東アジア情勢は変わっていたと思います。

 今、韓国は文在寅大統領を中心にしてもう一度、新しい時代をつくろうとしています。ここで日本で安倍政権が持続してゆくと、私たちは二度と無いチャンスを逃すことになります。

日本で安倍政権を交代させ、文在寅政権と日本の新政権がいっしょに、市民の圧力を背景にして米軍を追い出すことが、最後に東アジアの戦争を防ぐチャンスではないでしょうか。

 沖縄問題と朝鮮半島の問題をもっと遡ると、日本の植民地時代末期、沖縄は本土上陸を防ぐための戦場になりました。

日本ではあまり知られていませんが、日本軍が海外で本土作戦に備えて基地化したのは済州島(チェジュド)です。韓国駐留の全日本軍が済州島に集結し、済州島と沖縄をもって本土を防衛するため、多くの人々が動員されました。

  犠牲の死を問う

 済州島はなんとか上陸戦にはならなかったんですが、そのあとに米軍が入ってきます。米軍を見た済州島の住民は「これは帝国主義の延長だ」と思って抵抗したために4・3虐殺事件にいたりました。
(杉本追加ーー1948・4・3~1949年5月
  https://ja.wikipedia.org/wiki/済州島四・三事件 )
台湾でも1947年に2・28虐殺事件が起こりますが、共通点は日本の植民地政策が影響したということです。
(杉本追加  https://ja.m.wikipedia.org/wiki/二・二八事件 )
 植民地時代から日本と沖縄、済州島はそういう形でリンクされ、戦後も2つの地域が軍事化されていく状況が続いています。

私たちは辺境の地済州島と沖縄に基地を置き、海岸地域にエネルギー施設を置いて、東京とソウルの利益を守るために犠牲の構図を作ってきました。

私はその辺の事情を『犠牲の死を問う』(梨の木舎 (2013/08)という本にしました。

   歴代大統領の腐敗の連鎖の後に登場した新しい「革命の世代」

 韓国キャンドル革命 韓国では、87年6月の民主化運動を「未完の革命」と位置付け、いま、民主化のための新しい革命の課題を打ち出しています。これらの闘いの下敷きとなっているのは労働運動・平和運動です。

 2008年、アメリカとの牛肉輸入問題で100万人キャンドルデモが起きたことがあります。この時には最初は市民たちが旗を立てていました。しかしこの市民たちの運動では「ぬるい」と思って労働団体、運動団体が運動の前面に立ってスローガンを訴えたところが、政府権力によって暴力的に潰されてしまい、「韓国民主主義は死んだ」と言われるような事態となりました。

 今回あらためて「パンドラの箱」が開かれ、キャンドルデモが起きました。労働運動・平和運動は前面に立って闘いたい気持はいっぱいありましたが2度と失敗したくない。そこで民主労組などの労働団体は百万人デモ成功のため背後に退き、ひとりも前面には出ませんでした。そこには、このチャンスを生かしたいという民衆側の、涙無しには語れない傷みがありました。

 文在寅政権は「保守政権」といっても過言では無いほどの保守性があります。

だから逆に、私たちは当選させた。運動側のイニシアティブをどこまでとるのか。

これまではカリスマ性の無い人は大統領になれない時代でした。
文在寅さんはカリスマ性がありません。韓国では「英雄の時代」は終わったわけです

しかし実は新しい「英雄」が登場しています。それは若い世代が「革命の世代」として育っていることです。彼らが運動を担っています。

   共同経済開発計画によって切り拓く新しい時代

 ドナルド・トランプ 韓国へのサードミサイル配備を巡って中国が反発しています。これについて解決の道はあるのでしょうか。北朝鮮のミサイルは文在寅さんが当選してからでも5回発射されています。これを誰が解決できるのか。解決方法はほとんどないのが現実です。

 それではトランプ政権は本当に北朝鮮を攻撃できるのか。常識的には出来ません。

アメリカは戦後50年間、戦争シミュレーションをしてきましたが、何度やっても1時間の戦闘で200万人が死ぬという結果が出ています。今トランプのまわりには北朝鮮関係の専門家たちは誰もいません。だから逆に北朝鮮問題に興味はありません。何もしてないからカールビンソン空母部隊を送るだけです。

 中国はどうでしょうか。中国は北朝鮮を経済制裁で崩壊させると思いますか。中国はいま北朝鮮が核実験をしてくれることで、中国の問題が国際問題になっていません。北朝鮮の問題が中国を守っている状態です。だから北朝鮮を擁護しているわけです。

 経済制裁によって北朝鮮は内部崩壊するでしょうか。1990年にソ連・中国社会主義が崩壊し、94年に金日成が亡くなり、95年以後の3年間に飢饉で300万人が餓死した時、北朝鮮経済は全てが危機でした。しかしこれを乗り越えて金正日さんが登場しました。2011年、アメリカは金正日の死亡によって北朝鮮が倒れることを期待したら、金正恩が登場し、なんと6年目です。

 北朝鮮の方が世代交代は早いのです。こういう北朝鮮に対して誰が何をできるのか。核ミサイルで戦争になれば、被害者になるのはアメリカや中国ではなく韓国と日本です。私たちは運命共同体です。しかし、日韓が対立していたら、こういう場合にコントロールできません。

 韓国で考えられているひとつは「ロシアカード」です。プーチンに圧力をかけて、ロシアの天然ガスパイプを、北朝鮮を経由して韓国まで通すという国家政策を文在寅さんは考えています。このような「交換条件」を付けないと北朝鮮はミサイルを放棄しません。天然ガスパイプが通り、鉄道がつながると、韓国の若者に雇用が生まれ、これがヨーロッパまでつながる大きな展開となっていきます。

 文在寅さんはこの計画案によってトランプを説得できると思っています。彼はビジネスマンだから、「敵対政策ではお金にならないからパイプラインに投資したらどうか」という話にもしかしたら乗ってくるかもしれない。これまで中国・アメリカが「運転席」(外交の当事者の位置)にいたのを、「私たちが運転席に座るから」という方針です。
 文在寅さんは「韓国は当事者だ」と言っているのですが、それには私は違和感があります。「日本と韓国が当事者だ」と言っていただきたい。

   戦争があってもゆるがない南北和解システムをめざそう

 ロシアを媒介にしてドラスティックに状況が変わり、米韓会談、米朝会談、南北首脳会談が行われた時、日本だけがバスに乗り遅れるということは無いだろうか。危機感を高めることはいいのですが、情勢が変わった時に日本が東アジアでイニシアティブをとれるような、もうひとつの戦略を準備しておかないといけない。

 新たな南北共同体による経済発展、これを文在寅さんはなんとか自分の任期のあいだにやりたい。韓国はサードミサイル配備によって中国から経済制裁を受けて痛い目に遭いました。だからいま、朴元淳(パク・ウォンスン)ソウル市長を東南アジアに送りました。ソウルと東南アジアの全ての国々が連係しています。東南アジアをつなげて新しい経済圏、南北経済共同体を作り、戦争があってもゆるがないような南北和解システムを作らないと、戦争にならざるを得ない。

 文在寅さんのこの構想に日本としてはどう対応してゆくべきなのか。「反日」「親北朝鮮」というフレームだけで危機を煽って韓国文在寅政権を潰してゆくべきなのか、このフレームから抜け出して、私たちがもうひとつの対話路線を作るべきなのか。

 北朝鮮の核ミサイルのためではなく、東アジアの未来のために互いに東アジアの一員として位置づけ合う。メディア、政策の問題もありますが、実は北朝鮮問題は私たちのこころの中にある「植民地」認識、また私たちの「優越感」、北朝鮮を斜めに見る「偏見」に問題があるのではないでしょうか。

 東アジアの民衆の団結した闘いの中に沖縄があり辺野古がある

 韓国の民衆が国に期待せずに起ち上がった時期がありました。日清戦争で日本と清が朝鮮半島に介入した当時、朝鮮の大韓帝国は無能力でした。そこで民衆が起ち上がった。「東学の乱」は日本帝国主義によって虐殺され、つぶされました。1919年、植民地時代に3・1万歳デモが起きました。それは平和的な非暴力運動デモでしたが見事につぶされました。

 独立運動開始から100年が経とうとする2017年、今回キャンドルデモで1700万人が非暴力を訴えました。韓国社会で初めて非暴力で平和を訴えるという認識が生まれている。韓国は日本から観るような無秩序の「カオス」の国ではありません。非暴力のもとで民主主義を守っていこうとしているのです。

 このような動きは他の国々でも起こっています。韓国は政権を変えて時代を変えた。台湾でも独立民主化運動が起きています。若い人々が起ち上がり民主主義を要求しています。こういう時代に私たちは戦争責任の問題だけではなく、東アジアの市民たちと連帯して、アジアの声を日本の市民に訴える必要があると思います。

 今年はロシア革命100年の年でもあります。いま東アジアは揺れています。戦争の道か、平和の道か。この真ん中でいつも東アジアの道を決めたのは日本でした。戦争は日本から始まっています。日本が戦争を止めないと東アジアは戦争に巻き込まれます。私は光州のことを申し上げましたが、光州は30年間、全ての抑圧の中でも闘い続けてきました。「光州」は光州だけではありませんでした。台湾の2・28事件(1947年)も、インドネシアの9・30(1965年)も「光州」でした。

 辺野古に行った時、辺野古も「光州」だと思いました。光州のように闘い続けることは日本を変えることだと思います。沖縄は「光州」だと思います。沖縄があきらめたら日本に希望はありません。沖縄があきらめたら日本は戦争に向かいます。沖縄があきらめると東アジアは戦争になります。私たちが最後のこのチャンスを逃して文在寅大統領を失敗させてしまったら韓国は孤立します。「一国革命」は失敗します。東アジアの民衆が団結して闘うことが大切です。この闘いの中に沖縄があり辺野古があります。
 どうもありがとうございました。
(第八期沖縄意見広告運動 関東報告集会にて)
<杉本が、機関紙の論文から、なんとか少ない量にて読めるように削除してみました。>

 

「朝米戦争の可能性はほとんどない」

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月14日(土)14時01分6秒
返信・引用
  ツイッターーから次の情報をえたので転載します。

https://twitter.com/higashiajianews
東アジア情勢ニュース【朝鮮半島・日本等】


https://twitter.com/higashiajianewshttp://japan.hani.co.kr/arti/international/28693.html

ブルッキングス研究所の新任韓国碩座、「朝米戦争の可能性はほとんどない」

中国・ロシア・ワシントンの関係者たちは戦争を要求しない
金正恩は理性的であり、自殺行動はしない
ソウルは国際都市…米国軍事オプションの使用は不可能

ブルッキングス研究所のパク・ジョンヒョン韓国碩座//ハンギョレ新聞社
 米国の4大シンクタンクの一つであるブルッキングス研究所に先月初めに赴任したパク・ジョンヒョン韓国碩座は、朝鮮半島の緊張が高まっているが戦争勃発の可能性はほとんどないと明らかにした。
 パク碩座は12日(現地時間)、ワシントンのブルッキングス研究所で韓国メディアの特派員らとの懇談会を通じて「誰もが戦争を望んでいない」とし、「全てのことに1%の可能性はあるが、数カ月以内、さらには1年以内にも戦争の可能性はほとんどない」と話した。パク碩座は米国家情報局(DNI)東アジア担当副情報官、中央情報局(CIA)東アジア太平洋ミッションセンター局長などを歴任した。

 パク碩座は「中国とロシアは『不安定を容認しない』ことを明確にしており、米政府関係者らも北朝鮮問題に対する平和的解決策を希望していると言う」とし、「シンクタンク関係者や元官僚など、ワシントンの合理的な人の中に戦争を要求する人は誰もいない」と説明した。

 彼女は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長に対しても「理性的で、自殺行動はしないだろう。彼の優先目標は政権の生存」だとして、北朝鮮の先制攻撃の可能性を一蹴した。

 米国の軍事的オプションの使用と関連しても「韓国には20万人の米国人が常駐しており、欧州人や中国人も多い国際的な国」とし、「彼らの犠牲を甘受して奇襲的な攻撃をするということは不可能だ」と指摘した。

パク碩座はまた、「2015年の木箱地雷事件以降、ハッキング事件を除けば金正恩が韓国に向けて(攻撃)したことは一度もない」とし、数年内に南北間で軍事的衝突が発生する可能性も低いと見た。

 パク碩座はドナルド・トランプ大統領の来月初めのアジア歴訪日程と関連して、「もし日本に2日間滞在するなら、韓国で1日だけ滞在するのはよくない。韓国と日本を同等にしなければならない」と明らかにした。

 一方、ドナルド・マンズーロ韓米経済研究所(KEI)所長とトロイ・スタンガロン研究員はこの日、議会専門メディア「ザ・ヒル」への寄稿文を通じて、国連安全保障理事会の全面的な支援を得て90日間の「休止期」を北朝鮮に提案する方案を米国行政府に提示した。

ワシントン/文・写真 イ・ヨンイン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2017-10-13 21:35
http://www.hani.co.kr/arti/international/america/814424.html 訳M.C(1182字)
 

朝鮮半島をめぐる核心は何か

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月14日(土)09時48分2秒
返信・引用
    明日の世界を担うプロレタリアートとして、今日の危機を作り出し、
  醸成している安倍に代表される人々・勢力の狙いはどこにあるのか・・・
  考えぬくことが私達には要求されている。
  米軍ヘリコプターを、沖縄の農地に墜落させて破壊しておいて、
  所有者・県知事に何ひとつのわびもしないーー米軍の尊大さに、
  怒りまくっていたときに、そんなときに素晴らしい 『かけはし』
  の記事を見つけたので、転載させていただく。


  第四インター機関紙
  かけはし2017.年9月25日号
http://www.jrcl.net/frame170925b.html
  朝鮮半島をめぐる核心は何か

  朝鮮民族の民族自主権の回復、および朝鮮
  半島における統一国家の樹立のための課題
   木下 正
  はじめに
 朴槿恵元大統領の罷免後の大統領選挙で発足した大韓民国(以下、韓国)の文在寅
政権は、八月一七日に発足から一〇〇日を迎えた。これまで文在寅政権は、財閥企業
と政治の癒着の断絶、国内経済の底上げ等の革新的な取り組みを主張してきた。

 そのなかでも注目されるのが、朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)との融和
を重視する政策である。しかし共和国は文在寅政権の政策を評価せず(注1)、対話
の呼びかけにもかかわらず、核開発やミサイル開発を止めていない。

 金大中政権の太陽政策の継承を表明した盧武鉉政権の発足前後にも、共和国はNP
Tを脱退し、地下核実験や長距離弾道ミサイルの発射実験を強行し続けた。分断国家
成立の根本的な歴史的認識の共有なしに、対話は意味を持たない。
 二〇一七年八月末の共和国による大陸間弾道ミサイル)の発射実験、また九月はじめ
の六回目の核実験により緊張が高まりつつある東アジア情勢の中で、本稿では文在寅
政権の対共和国政策に焦点をあて情勢分析を行うとともに、米国の対共和国政策、米
韓関係の問題点等にも触れながら今後のわれわれの課題について述べていく。
労働者国家の核武装の可否及び共和国の内政に関する問題については、別の稿で述べ
る。

  文在寅政権はこれまでの対共和国の政策
 文在寅政権のこれまでの対共和国の政策は、制裁と対話を並行して平和的方法によ
る朝鮮半島の非核化をめざし、朝鮮半島に恒久的平和を実現するというものだった。
共和国の核の凍結と同時に体制保障をはかり、朝鮮半島における非核化、朝鮮戦争の
終戦協定、共和国と米国の関係正常化が実現するというのが趣旨である。

 しかしこの文在寅政権の政策は、主体思想に基づく自主路線を歩んできた共和国に
とって何もメリットがなく、李明博政権から朴槿恵政権までの八年間断絶してきた南
北関係を再開する理由にもならない。これまで共和国は、国の体制の保証のために自
らの生存能力を向上させてきた。朝鮮戦争の休戦状態の下で共和国と中国との軍事同
盟は継続しているものの、旧ソ連との軍事的な関係は事実上消滅している。

 共和国にとって、生存能力とは核開発であった。体制を保証するために核技術を向
上させ、核保有国の地位を得ようとしてきた。そのために六回の核実験を強行的に行
い、核兵器の運搬手段の確保のためにミサイル実験を重ねてきた。共和国は一九九三
年からこれまで六〇回以上のミサイル発射を行ってきたが、昨年二〇一六年のミサイ
ル発射回数は過去最高の二四回であった。

 共和国の核・ミサイル開発に対して国際社会が制裁を加えても、共和国はこれとは
無関係にさらに水準の高い核・ミサイル開発を行い、国際社会はまたこれに対する制
裁を繰り返すという悪循環が繰り返されている。
オバマ政権の「戦略的忍耐」は、八年間の南北関係断絶と連動して共和国の生存能力
を向上させてきた。結局今年になって共和国はICBM(大陸間弾道ミサイル)の発
射実験に成功し(注2)、東アジア地域における情勢が新たな局面を迎えている。
 共和国の今年七月のICBM発射実験の成功によって、米国は本格的に共和国問題
に関わらざるを得なくなった。共和国への制裁と圧迫による問題の解決が困難な状況
のなか、手詰まりの状態である。情勢が共和国に有利な状況において、共和国にとっ
ては南北関係を再開する必要もない。

 しかしこの期に及んでなお文在寅大統領は、就任一〇〇日に際しての記者会見で、
共和国に対する「強力な制裁措置」に言及した。現状では南北対話は実現不可能であ
る。制裁と圧迫では共和国を止めることはできない。
 朝鮮半島における分断国家成立の歴史を見れば、米国の国益を背景にした「米朝対
話」も事態の改善につながらない。米国をはじめとする大国の核兵器、弾道ミサイル
が温存されている現状において、「核実験を実施しない、これ以上のICBM実験を
行わない」ことを共和国が受け入れるとは考えられない。対話さえ成立すれば問題が
解決するという期待は、希望的な思考に過ぎない。正確な情勢分析がわれわれに求め
られている。

  米国の対共和国政策
 これまでの韓国および米国の対共和国政策は、事実上米国の主導によって進められ
てきた。オバマ政権の「戦略的忍耐」の時代までは、米国は当面の危機を感じなかっ
た。しかし今年二〇一七年七月以降、状況は大きく変わった。オバマ政権の対共和国
政策を「失敗した外交」と規定したトランプ政権は、中国による共和国に対する圧
迫、対話を併行する戦略を行っている。しかしトランプ政権発足から現在まで、米国
の共和国の核能力に対するはっきりした立場が示されていない。

 一方で共和国の核は小型化しており、小型化した核の運搬手段も準備された。
共和国が核保有国の一定のレベルを超えるということは、トランプ大統領が設定した
「レッドライン」を越えることを意味する(文在寅大統領は、就任一〇〇日に際して
の記者会見で、越えてはならない一線の「レッドライン」に関する質問に対して
「共和国がICBMを完成し、核弾頭を搭載して兵器化すること」と回答している。
その意味では、共和国はすでに「レッドライン」を越えている可能性がある)。

 中国とロシアが提示した共和国の核凍結と米韓合同軍事演習「乙支フリーダムガー
デン」の中断を受け入れなかったトランプ大統領にとって、共和国の非核化は事実上
不可能となっている。トランプ政権は現在、共和国に対する圧迫と対話の併行と同時
に、中国に対する経済的圧迫の強化を模索している(注3)。

  米韓関係の問題点
 文在寅政権はこれまで、朝鮮半島情勢の危機に対する抜本的な対策を打ち出すこと
ができていない。理由の一つに、従来からの不適切な米韓関係が挙げられる。
一九五三年七月二七日に共和国と米国は朝鮮戦争の停戦協定を締結した。しかし米国
は、停戦協定調印から一カ月もたっていない八月八日、米韓相互防衛条約に仮調印し
た。
 朝鮮停戦協定第第四条六〇項には、「停戦協定調印の三カ月以内に政治会談を開催
し、すべての外国軍隊の撤退、平和的解決のための協議」が規定されているが、米韓
相互防衛条約は「米韓両国の一国が侵略された場合には共同で対応し、米軍の南朝鮮
駐留を認める」という内容であった。この時点で米国は、朝鮮停戦協定第第四条六〇
項に違反していた。そして朝鮮半島に核を持ち込み、強大な軍事力で共和国を圧迫し
続けてきた。

 従来の米韓関係は韓国にとって一方的で不平等な関係でしかなかった。
今年七月一日の米韓首脳会談後に文在寅政権は「朝鮮半島問題に対する韓国の主導
権」に言及し、今年の光復節(独立記念日)の祝辞では「問題の主導的な解決」につ
いて述べたが、現実は米国の戦時作戦統制権によって韓国の主導権を行使できない状
況である。
 一方的で不平等な米韓関係が放置されたなかで、「防衛訓練」(共和国は韓米合同
軍事演習を自国に対する攻撃訓練ととらえている)を口実に定例化している米韓合同
軍事演習の停止、今年六基に増設された高高度防衛ミサイル(THAAD)の撤廃が
されておらず、米軍基地汚染問題の解決、不公平な米韓行政協定(SOFA)の改
定、戦時作戦権返還問題の解決がされていない。

  国際機構の問題点
 国連駐在朝鮮常任代表は昨年一二月、共和国のミサイル発射実験に対する国連安全
保障理事会の決議に対して「国連憲章とどの国際法典にも核実験と弾道ロケットの発
射が国際平和と安全に脅威になると規制したものはない」と述べ、新たな制裁決議の
法的根拠を問うている(注4)。朝鮮半島情勢をより複雑化させているもう一つの要
因として、国連安全保障理事会の二重基準が挙げられる。
 米国をはじめとする大国はこれまで、数千回に及ぶ核実験と弾道ミサイルの発射実
験を行ってきた。また大国の利害と一致する特定の国の核開発を事実上不問に付して
きた。このような不公正な国際連合の構造が、共和国の態度をさらに硬直させ、体制
保障のための核開発を加速させてきた。国連安全保障理事会は共和国の核開発を論じ
るまえに、まず米国をはじめとする核兵器保有国における核兵器廃絶の態度を明確に
し、国際機構としての公正さを取り戻す努力をすべきである。

  民族自決の視点の欠如
 朝鮮民族が日本帝国主義の植民地支配を打倒してから七〇年以上経った今日も、
朝鮮民族の民族自決権は回復されていない。日本帝国主義による植民地支配を打倒し
た後に形成された国家は分断国家であった。

 植民地支配打倒後に朝鮮半島に分断国家が成立した根本的な要因は、
「日本軍の武装解除」なる口実のもとに外勢(アメリカ帝国主義とソ連覇権主義)が
行った朝鮮民族の民族自決権の侵害であった。また民族内の政治的、階級的対立、米
ソ両国の対立によって統一国家の樹立が不可能になった。

 民族自決権の回復が困難ななかでもこれまで、朝鮮民族は紆余曲折を経ながら一九
七二年の南北共同宣言を結び、その後は局地的な軍事衝突があったにせよ、善後策に
よって時代の克服をはかってきた。南北の対話、交渉、交流、および協力の拡大によ
り、二〇〇〇年には南北の最高首脳による国家承認の進展とともに、協調へと発展さ
せ、統一を展望しながら今日に至っている。ところが民族自決権が失われた現状にお
いて、朝鮮民族の独立問題が国際化した場合、さらなる民族の内的分断や混乱を招く
危険をはらんでいる。
 共和国の公式文書、最高指導者の著作等において以前より、外勢による国家の分断
解消は繰り返し否定されている。不適切な米韓関係が放置された状態において、歴史
的発展の意味を持つ南北対話の実現や統一国家の樹立の前提となる民族自決権の回復
は困難である。

  われわれの課題
 これまで韓国の対共和国政策を中心に大まかに俯瞰し、そのうえでのいくつかの今
後解決するべき問題点を述べてきた。
 今年二〇一七年はロシア革命一〇〇周年にあたる年である。
一〇〇年前の一九一七年、十月革命のさなかにレーニンの率いるソビエト政権は、ロ
シア最初の対外政策として無賠償、無併合、民族自決に基づく即時講和を第一次世界
大戦の全交戦国に提案した。

    東アジアでの核戦争の現実的危機が迫るなか、
    われわれがなすべきことは何であろうか。
 朝鮮半島における緊張緩和は、「国防産業」の意にそった米国をはじめとする外勢
に依存するものではない。朝鮮民族の分断を招いた大国の国益を背景にした「対話」
なるものがいかに朝鮮民族の民族自決権の回復に有害であるかを再度認識すべきであ
る。
 共和国は米国の国益追求を目的とした「対話」を望んでいない。
朝鮮半島における緊張緩和を担うのは、日本帝国主義、アメリカ帝国主義、ソ連覇権
主義によって民族自決権を踏みにじられてきた政治的主体としての労働者民衆であ
る。

 そのためにはまず、一方的かつ不平等な米韓関係は是正するべきである。
それと同時に共和国に体制保障のための核開発を加速させる一つの要因となっている
公正性を欠く国際機構の是正も必要である。

これらは東アジアの平和の直接的脅威に直面している東アジアの労働者民衆の課題で
ある。日本の労働者民衆は、朝鮮民族の民族自主権の回復を阻害する日本の反動勢力
によるアメリカ帝国主義の「東アジア戦略」への軍事的関与を許してはならない。

同時に共和国と韓国の労働者民衆と連帯して、東アジアにおける米軍基地撤廃の運動
に力を結集していかなければならない。

朝鮮半島における統一国家の樹立の第一歩は、朝鮮民族の民族自主権の完全な回復で
ある。民族自主権の完全な回復を第一段階とし、次のステップとして帝国主義、覇権
主義を背景としない、労働者の国際連帯を背景とした統一国家の樹立に進んでいくべ
きである。

(注1)労働新聞八月一八日付論評
(注2)朝鮮中央テレビは七月四日一五時(日本時間七月四日一五時三〇分)
   「特別重大報道」
(注3)今年八月一日、トランプ大統領は中国の習近平主席との対話、
   スーパー三〇一条に言及した。
(注4)朝鮮中央通信
 二〇一六 年一二月六日国連駐在朝鮮常任代表が国連事務総長あてに送付した書簡


 機関紙コモンズ一面での主張
   http://com21.jp/archives/21666
 まさに「国難」というなら、安倍政権の存続自体が「国難」と言わねばならない。
こうした意味で、総選挙は、北朝鮮への軍事攻撃―戦争推進、9条改憲へ、安倍の政
治的狂気と政権延命の狙い、改憲諸勢力の衆院制覇を許すのか、これを阻止しその野
望を打ち砕くのか。東アジアの平和と日本の進路をめぐる分岐点となる歴史的選挙と
なっている。

 

障害者への法的配慮の解釈とは

 投稿者: 岩手県元盲ろう者会員松岡幹夫  投稿日:2017年10月14日(土)00時05分32秒
返信・引用
     岩手県一関市東山町の聾唖者で普通校卒。それが親譲りの障害で目も足も悪くなり小脳萎縮で一人暮らしです。
 障害者の団体は完全沈黙が保てるなら目こぼしになる特権を持っています。それは厚生労働省も認めています。
 けれどそのためには障害者個人の人権は無視してもいいのですか。辞めた理由への口封じから社会参加妨害は11年で12回目です。 岩手の盲ろう者友の会は和解は暴走がばれるからと抹殺しか考えていない。完全沈黙では証拠は作れなく法務省も動けないばかりか知っている様子。更生相談所、社会福祉協議会(県本部)、障害者の社会参加推進センター、地元東山を除く(原因が親を馬鹿と認めろと言う事で、親父は地元の民芸品で現代の名工に選ばれて知事表彰を受けているからかん口令は地元まで来るはずがない)各地の社会福祉協議会もかん口令が入っています。地元一関の身障協も入っていて入会は認めない。一関社協は通訳差別も強行した。更に要約筆記の会も通訳依頼は無視し続け、盲ろう友の会は受信拒否が何年も続いています。これは全国大会参加を控え差別、完全沈黙を徹底された。看板団体の暴走隠しにこちらの人権は無視したことになります。暗黙の了解とするこんな法律に全国にもあるとしてどう対応しているのか全国の社会福祉協議会に問いかけました。
 法律の解釈違いでないか。辞めたらどこへ行こうと何をしようと関係ないはず、それが完全沈黙でばれなけれはいい感覚で暴走隠しに暴走している。
 行き着くところ障害者の団体はそのハンディから法律に触れる機会が多い。法律は健全な人に合わせて作られている。法を曲げなければ通らなくなる時が来る。だから初めは聾唖者の言い訳は当てに仕切れずそれが次期会長だからとゴマすりから親を馬鹿と認めろと言う友の会事務局長小笠原利行さんだけ責めて来た。退会したらどこの社会、団体に行こうと関係ないはずが暴走目こぼし権(説明不能であるのかどうか)を盾に暴走を繰り返し容認されて来た。通訳差別や完全沈黙で友達まで全部取り上げた。
 こちらがやったのは掲示板に書いた事だけ。それは批判も反論も自由だと言うのに妨害しか来ない。しかも完全沈黙では証拠は作れない。岩手の看板団体だからと言う暴走目こぼし権(障害者向けの配慮であって健常の通訳向けとは言えない)でなくただの暴走になる。石川会長も利行さんも岩手の看板の面目だからと暴走を目こぼしにしてかん口令を敷いた事になる。説明抜きで知事から強権発動されたことになります。11年に社会参加は12回妨害されています。辞めたら何も関係ないはずではないか。共に歩むとしての同権だとは虫がいい。ばれなけれはいい感覚の暴走を暴走で隠した。

 

 今回の選挙に対して明日を担う労働者大衆は、如何に立ち向かうのか?

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月11日(水)16時15分22秒
返信・引用 編集済
  6:05 - 2017年10月9日
ツイッター 岩上安身
この選挙に際して、まったく改憲の危機感のない方が多いために、緊急事態条項って何?という方に、麻生
副総理が言ってた「ナチスの手口」で憲法変えようとはどういうこと?という人のために、ひたすら公共性
を鑑みて、採算性に目をつぶり、緊急事態条項のコンテンツフルオープンしました!


 <杉本ーー岩上さんのこのツイートをみて、彼の記事をみていたら、
 コモンズ会員==このコモンズ掲示板の管理人として、自らの独断と偏見の下で、
 彼の言わんとすることは、次のことではないか・・・と理解できたのです。>

 そのことでは、彼の意見に全くの賛同する者であり、この選挙にて問われていることが、
 あのミサイルの第一第二が、北海道と下北半島の公海上であり、
 しかも、人工衛星軌道よりもはるかに高い、
 地上5,00キロメートルに達していた事(9月15日のは、800キロ)に示されるように、
 (通販生活10月号 そしてツイッター 10月12日https://twitter.com/OrHiromi 後日追加)
 このことではの何らの危機でもないーー朝鮮民主主義共和国のミサイル発射などの諸行為をーー
 安倍・麻生の両幹部が、勝手に、日本帝国主義への敵対行為として造作するーー
 ーーそのことで、労働者大衆を社会排外主義であり、帝国主義の勢力へと動員することで、
 自らの延命を図るーーものとして、この衆院選がつかわれていること、
 この重大事実が誰の眼にも見えてきています。その確認・協同の意志を見定めることが、
 とても大事と思いますので、岩上さんが提示してくださった大切な認識を紹介します。


野次を飛ばす、批判されると逆ギレする、回答をはぐらかす――立憲国家の長としての自覚も品位も欠いた安
倍首相の数々の振る舞いに、国民は唖然としている場合ではない
岩上「ところが、日本の国会の審議の状況といったら、それはひどいものです。先ほども触れましたが、緊
急事態条項新設への動きに対抗するのに、野党は昨年、ひどく出だしが遅れてしまった。秋の国会も開かれ
ませんでしたし(※81)。そんななか、少なくとも1月になってから、野党議員の幾人かは安倍首相を厳しく
追及しました」

  福島みずほ議員が緊急事態条項の危険性を追求

2016年1月19日参議院予算委員会、
 社民党の福島みずほ議員
ーー「(緊急事態条項は)まさに内閣限りで、法律と同じ効力を持つことができるのであればですね、これ
はナチスドイツの『国家授権法』(全権委任法)と全く一緒」
 安部総理の答弁
「いささか限度を越えた批判だ」「緊急事態条項は諸外国に多くの例がある」「そうした批判は慎んで頂き
たい」


岩上「まず、社民党の福島みずほ議員が、参議院予算委員会で、緊急事態条項の危険性を指摘しました。
  『緊急事態条項、これはまさにナチスドイツの『国家授権法』(全権委任法)と全く一緒ではないです
  か』と。

  『ナチス』と呼ばれたからでしょう、安倍総理は最近お得意の逆ギレが出まして、『緊急事態条項は諸
  外国に多くの例がある。限度を超えた批判は慎んでいただきたい!』と(※82)。

  野党議員の質問に対して、『慎め!お前ものを言うな!』なんて、行政の長たる者が口にするべき言葉
  じゃありません。有権者の代表である国会議員は厳しい質問をするのが仕事で、それに答弁するのが首
  相の義務であるはずなのに、こんなことを平気で言うとは異常です」

樋口「中立の立場にある議長とか、この場合は委員長ですか、この発言を注意しなくちゃいけませんね」

岩上「そうですよ。言っていいことと悪いことがありますよね。そもそも福島議員の批判は限度を超えた批
  判でもなんでもなく、歴史的観点からしても明らかです。自民党の緊急事態条項は、もしかすると、
  ナチス以上に悪いかもしれない」

樋口「安倍総理がもし普通の総理大臣ならば、『おっしゃるようなことに万が一にもならないように、我々
  の政権は大丈夫ですから』と答えるべきところでしょう」

岩上「おだやかにね。たとえそれが嘘であっても」

樋口「それから、『緊急事態条項は、諸外国に多くの例があり、確かに第三世界の独裁国では、もう目を覆
  うような状態で使われておりますけれども、日本では日本の国民のレベルも高いから、絶対にこれは、
  あえて絶対にと申しますが、心配はございません』と、こう説明して欲しいですね」

岩上「もはや先生がスピーチライターになって、安倍総理に教えてあげたほうがいいんじゃないでしょうか。
  今の先生の口調、昔の大平正芳さんとか、福田赳夫さんとか、そういった方々の懐かしい言葉遣いです
  よね。『ああ』とか『うう』と言いながら、でも穏やかな言葉を選んで慇懃(いんぎん)に回答してい
  た、あの古き良き時代の自民党の言葉遣い(※83)。やっぱり、なんだか今はひどいですよね」


樋口「ペーパーを出してないんじゃないですか、安倍総理に。官僚はどうしているんでしょう?」

岩上「出しているんでしょうけど、官僚も困惑しているんじゃないでしょうか。答弁を求められてないのに
  自分で立ち上がって『民主党は!』なんて叫び始めたり。委員長も唖然、野党の議員も唖然ですよ。
  国民も唖然ですけど(※84)」

樋口「唖然としてちゃいけないんですよ。戦前の帝国議会で、政府委員席から『黙れ!』と言った陸軍の軍
  人がいるんですね。有名な事件です(※85)。非立憲の最たるものだと大騒ぎになりましたけれども。
  安倍総理の発言はそのくらい・・・」

岩上「非立憲的ですね。国民は、大騒ぎしなくちゃいけない」

樋口「はい」

岩上「野党議員の方々には、はっきりそう言っていただきたいところです。それでも、福島みずほ議員は質
  問をやめず、緊急事態条項の中身に切り込もうとしましたが、安倍首相はそれに一切答えませんでし
  た。いつもこんな調子です。『内閣の意思として緊急事態条項をやる』と、これだけ喧伝しているの
  に、いざその中身に関して議論しようとすると逃げるんです」

  「緊急事態条項」の中身の議論から逃げ続ける安部総理
  ーー安部総理
  「憲法改正草案の個々の内容について、政府としてお答えするのは差し控える」
  ーー翌27日、共産・志位和夫委員長
  (緊急事態条項は)独裁政治、戦争国家に道を開き、憲法九条改定につながる危険きわまりないもの
  だ」
  ーー安部総理
  「政府としてお答えすることはさし控えさせていただきます」
  ーー回答を頑なに拒否し続ける安部総理

岩上「民主党の岡田克也代表に対してもそうです。私がインタビューした時など、当初は岡田さんは、緊急
  事態条項についてさほど危機感を持っていらっしゃらなかったんですけど、しまいには『これは大変な
  ことなんじゃないか』とおっしゃるようになりました。

  1月26日の本会議でも、『現行憲法で具体的に何が足らないのか?』と厳しく追及なさったんですが、
  具体的な話に入ったとたん、安倍総理は『憲法改正草案の個々の内容について、政府として答えること
  は差し控える』と(※86)。

  翌27日にも、今度は共産党の志位委員長が『自民党改憲案の緊急事態条項は、独裁政治・戦争国家に道
  を開き、憲法9条改定につながる危険極まりないものだ』と批判して、中身についての議論に入ろうとし
  たんですが、またまた『政府としてお答えすることは差し控えさせていただきます』なんて、回答を頑な
  に拒否し続ける(※87)。

  要するに、安倍政権としては、国民に知れ渡らなきゃいいわけでしょ、緊急事態条項の危険性が。
  あなたが売りつけてくる商品は何かと尋ねられれば約款なんかを説明しなきゃいけないのがセールスマ
  ンだとしたら、そのまさにセールスマンが、約款などの説明は一切なしに、それはお答えできません、
  ただポンと判子だけ押してください、っていうようなものだと思うんです。

  多くの人がまだ知らないでいる間に時間稼ぎをして、選挙さえやってしまえば後はこっちのものだとで
  も思っているんでしょう。これって非常に危険な状態じゃないかと思うんですが、この点はいかがで
  しょうか?」

樋口「まったくですね。自由民主党総裁として自ら憲法改正草案を公にしてるわけですし、しかも首相とし
  て憲法改正をやるんだと繰り返しているのですから、その内容をしかるべく説明するのは政府としての
  義務でしょう」

(※81)秋の国会も開かれませんでした:政府・自民党は、2015年10月15日、例年秋に召集する臨時国会の
年内の召集を見送る方針を表明した。日中韓首脳会談やアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議など、
11月下旬まで安倍晋三首相の外遊日程が立て込んでいることや、大筋合意した環太平洋戦略的経済連携協定
(TPP)の国会承認が来年となる事情を考慮してのことだという。

 これに対し、民主・維新・共産・生活・社民の野党5党は10月21日、125人の議員の連名で衆議院議長に
対し召集要求を行ったが、政府は「首相の外交日程が立て込んでいる」「かつて要求があっても臨時国会を
開かなかった事例もある」と言いつつ、召集に応じなかった。

 憲法53条に「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の4分の1以
上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定められているにもかかわらず、であ
る。

 2012年の総選挙直後、安倍首相があるテレビ番組で「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」と発言
した(毎日新聞2012年12月15日『遊説録』)ことにも表れているように、安倍政権はこれまでも憲法軽視
の姿勢を露わにしてきたが、憲法に基づく野党の国会召集要求を拒んだこの一件は、改めてそれを裏付ける
こととなった(参照:産経ニュース)。

(※82)「緊急事態条項は諸外国に多くの例がある。限度を超えた批判は慎んでいただきたい!」と:2016
年1月19日、参院予算委員会において、社民党の福島みずほ議員が自民党の憲法改正草案の中に明記されてい
る「緊急事態条項」の危険性について指摘。安倍総理に答弁を求めた。

 これに対し、安倍首相は要領を得ない発言を繰り返していたが、福島議員の『緊急事態条項はナチスの全
権委任法と同じ』という指摘に激高『そのような批判は慎んでいただきたい!』と、威丈高に福島議員の質
疑を封じ込めようとした――IWJはこのときのやり取りを完全文字起こしし公開している。ぜひご覧いただき
たい。

超重要!!【国会ハイライト】
ついに国会で緊急事態条項の危険性が取り上げられる! 緊急事態条項は「ナチスドイツの国家授権法と全
く一緒だ」福島議員が追及! なんと安倍総理は中身について答弁せず逃走! 2016.1.19


福島みずほ議員(以下、福島議員)「社民党の福島みずほです。憲法改正についてお聞きします。

  総理は憲法改正の発議ができるように参議院選挙で改憲勢力の3分の2以上の獲得を目指すとおっしゃっ
  ています。自民党は既に日本国改正草案を発表しています。どれも極めて問題ですが、この中のひとつ、
  『緊急事態宣言条項』についてお聞きをします。

  まず緊急事態宣言からやるのではないかと私は思っておりますが、この新しく自民党が設けている第9章
  『緊急事態』。これはまさに効果のところが、とりわけ問題です。

  これは内閣で99条1項、『内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる』『内閣総理
  大臣は財政上必要な支出、その他の処分を行ない、地方自治体の長に対して、必要な指示をすることが
  できる』となっています。

  総理。国会は唯一の立法機関です。しかし、内閣が法律と同じ効力を持つことができる政令を出すので
  あれば、立法権を国会から奪うことになる。国会の『死』ではないでしょうか?」

安倍総理「この草案につきましては、我々野党時代、谷垣総裁の下で作られた草案でございます。えー、大
  規模な災害が発生したようなこれ緊急時の事を言っているのでございまして、平時にですね、えー、行
  政府がこれは、えー、権限を持ってやるということではないわけであります。

  えー、まあ大規模な災害が発生したような緊急時において、えー、国民の安全をまも、守るため、国家、
  そして国民自らがどのような役割を果たしていくべきかを、まあ憲法にどのように位置づけるかについて
  はですね、まあ極めて重く大切な課題と考えております。

 (咳払い)えー、そして、また他方ですね、えー、自民党の、えー、憲法改正草案の個々の内容について、
  政府としてはお答えをすることは差し控えたいと思います。まあ、いずれにせよ、まぁ憲法改正には国
  民の理解が必要不可欠であり、まあ具体的な改正の内容についても、国会や国民的議論を、と、理解
  の、理解の深まりの中で、自ずと定まってくるのではないかと、こう思っておりまして、引き続き、新し
  い時代にふさわしい、いー、憲法のあり方について、えー、国民的な議論と理解が深まるよう、努めて
  まいりたいと考えております」

 ※上記にように、草案の内容を説明することもせずに、
 「憲法改正は国民の理解が必要である」
などとまったく矛盾したことを、ひとつのセンテンスの中で並べて話している。
「国会や国民的議論の深まりにつとめていく」
とも述べている。

なのに、自らが「3分の2の議席を獲得する」「改正の発議をする」「対象とするのは、
自民党改憲草案の98条、99条の『緊急事態条項』である」などと言いながら、
その改正案の条項の中身については答えない。
これでは、国会での議論も国民的議論の深まりも期待できない。

福島議員「総理が改憲勢力の3分の2以上の獲得を目指すと、すでに言っていて、
  しかも日本国憲法改正草案が出ていますので、聞いております。

  この中の自民党の草案の中でですね、事後に国会が不承認をする、
  国会の承認を求めるとなっておりますが、国会が承認しなかった場合、
  その政令の処分によって、行われたことはどうなるんでしょうか。
  政令の効力はどうなるんでしょうか」

安倍総理「まっ、今申し上げましたようにですね、えー、私が今ここに座っているのは、内閣総理大臣とし
  て座っているわけで、えー、ございまして、えー、憲法の、おー、改正案の中身についてはですね、
  まさにこれから、あー、まあ憲法審査会においてですね、えー、ご議論をいただきたいと、えっ、この
  ように思うわけでございまして、こうした議論が深まっていく中において、この、おのずとどの項目か
  らですね、え、改正をしていこうかということが定まっていくわけで、えー、ありまして、それ以上、
  ここの条文について、私がここで述べることは差し控えさせていただきたいと思います」

福島議員「きわめて問題ですよ。なぜならば、総理は今度の参議院選挙で、憲法の改正の発議ができるよう
  に、3分の2以上の獲得を目指すと言い、既に自民党は発表しているわけで、自民党総裁として、どうい
  うふうになるのか、議論をすべきではないですか。

  参議院選挙のひとつの争点は、戦争法廃止法案、これに賛成か反対か。そして、憲法改正について、
  どう考えるか、もちろん新自由主義か、社会民主主義か、1%のための政治か、99%のための政治家
  か、ありますが、憲法改正は極めて重要なテーマです。

  先ほど申し上げましたが、これ(自民党の改憲草案には)、国会が不承認にした場合、承認が得られな
  かった場合の効力について規定がありません。これはきわめて問題です。憲法審査会でも学者はこのこ
  とを規定しています。

  で、この緊急事態宣言条項ですが、総理、5年前の東日本震災、原発・震災は、憲法に緊急事態がなかっ
  たために、問題があった、というふうにお考えですか?」

安倍総理「まあ、今、まあ、例えば、あー、この、まあ緊急事態についてですね、自民党の中で議論があっ
  たのはですね、えー、まあ、あの時も、えー、地方選挙においては、これは延期をするという措置がな
  されたのでございますが、まあ国会議員についてはですね、えー、そういう対応ができない中におい
  て、まあ、どうしていくかと、いうことも議論になったと、こういうふうに承知をしております。

  まあ、いずれにせよですね、えー、この憲法につきましては、えー、3分の2以上の、えー、賛成が衆参
  それぞれあり、そして発議ができるわけでありますが、その上において、えー、国民投票を行ないです
  ね、まさに国民が決めるわけでございます。

  その意味におきましては、まぁ国民的な議論の広がりがなければ、えー、この憲法改正は成しえない。
  まぁ自民党は、まあ立党以来ですね、えー、まぁ党是として憲法改正も取り組んでいく、ということで
  ございまして、当然、私も自民党総裁でございますから、その観点からですね、われわれが、今ご紹介
  いただいたように、自民党の憲法改正草案を、お示しをしながら、憲法改正に取り組んでいきたいと、
  こう考えておりますが、しかし、まぁこれは逐条的に投票をしていくわけでありますから、えー、
  どっからということについては、そして、どういうふうに改正するかということにつきましてはです
  ね、いわば3分の2を、の、達成、達成を形成するにおいても、国会、憲法審査会において、え、議論を
  進めていくなかにおいてですね、だんだん収斂されていくだろうと、このように考えているところでご
  ざいます」

福島議員「逐条的に、ですから議論をして、これはどうなのかを聞いているんです。
  総理は『今日の天気は曇りでしょうか』と聞くと、『一昨日晴だったような気がする』みたいな答弁
  じゃないですか。卑怯ですよ。

  憲法改正について、3分の2取るんだと言いながら、どうなのかって言ったら、答えない。卑怯じゃない
  ですか。ひとつひとつの、ひとつひとつ、憲法重要ですよ。

  で、これは憲法審査会において、この緊急事態宣言状況、必要だ、必要ないという、両方の学者を呼ん
  で、憲法審査会で参議院やりました。

  入れることが必要だという、西先生もですね、今の憲法がなかったからといって対応できなかったとい
  うことには直接ならない、と言っています。その通りだと思います。

  まさに内閣限りで、法律と同じ効力を持つことができるのであればですね、これはナチスドイツの
  『国家授権法』と全く一緒です。これは、許すわけにはいきません。

  で、もう一つ自民党は基本的人権についても問題であり、常に公益及び、公の秩序に国民は反してはな
  らない、としています。公益ってなんでしょうか? 公の秩序ってなんでしょうか?
  総理、お聞きします。今、宜野市長選が行われていますが、辺野古の新基地建設は公益ですか?」

安倍総理「まっ先ほどですね、ナチスの授権法のですね、えー、いささか、これは限度を超えた批判がござ
  いました。我々が出しているですね、緊急事態に関する、えー、憲法改正の、おー、これ草案につきま
  しては、諸外国のですね、多くの例があるわけでございまして、まさに、国際的に、えー、えー、多数
  の国がですね、えー、採用している憲法の、おー、えー、これ条文であろうと、こう考えているところ
  でありますから、ぜひ、そうした批判は、慎んでいただきたいと、このように思うわけでございます。

  えー、そして、もう時間がまいりましたから、簡潔に申し上げますが、えー、憲法改正の草案について、
  個々に、えー、お答えすることは差し控えたいと思います。

  えー、その上でですね、えー、誤解を与えないように申し上げますが、えー、個人が人権を主張する場
  合には、他人に迷惑をかけてはいけてはいけないという、当然の、えー、ことを、明確にしたものでご
  ざいます」

福島議員「はい、時間ですので、終わります。『国家授権法』と一緒じゃないですか。終わります」





 

再版の「(a)相対的価値形態の内実」に対する榎原さんの理解への批判   

 投稿者:杉本  投稿日:2017年10月10日(火)12時44分40秒
返信・引用 編集済
      『「資本論」の核心』補講全3回(3-2)
    Category: バラキン雑記 :
  http://www.office-ebara.org/modules/weblog/details.php?blog_id=220
    第四講 簡単な価値形態
   1.価値形態の秘密と謎
    ーーーーー           ーーーーー
   「しかし、質的に等値されたこの二つの商品は、同じ役割を演ずるのではな
   い。亜麻布の価値だけが表現されるのだ。では、いかにしてか? 亜麻布が、
   それの『等価』あるいはそれと『交換されうるもの』としての上衣に連関する
   ことによってである。この関係においては、上衣は、価値の実存形態として・
   価値物として・意義をもつ、 ――― けだし上衣は、こうしたものとしての
   み、亜麻布と同じものであるから、他方では、亜麻布それ自身の価値(ヴェル
   ト)存在(ザイン)が現出する、すなわち自立的表現を受けとる、けだし亜麻布
   は、価値としてのみ、同等な価値あるもの・あるいはそれと交換されうるも
   の・としての上衣に連関しているのだから。」(『資本論』河出P47~8)

   『資本論』を読んでいて、こういう所が出てくると戸惑ってしまいます。
   何を言っているのか分からない、という直観します。何を言っているのか分か
   らない、というような所を何故やる必要があるのか、ということですが、それ
   はこの節の冒頭45頁下9で、「商品の価値対象性は、つかまえどころがない・
   ・・・(略)・・・商品体の感覚的な対象性とは正反対に、それの価値対象性
   にはみじんの自然的質料も入りこまない。」とマルクスは言っています。
   ーーー 略 ーーー
   現行版の場合、そういうような分析の仕方になっているわけです。
   初版の場合は少し違いますが現行版では、何か同じ質の、抽象的人間労働とい
   う同じ質を持ったものとしてお互いに関係し合っている。そういう関係はどの
   ような形で成立しているか、という事を明らかにする。

   それが価値形態の分析の課題になっている、というように言えると思うので
   す。

   そのような観点から、今読んだ箇所を見ていきますと、一つは亜麻布=上着と
   いう関係がある場合に、ここでは相対的価値形態にある亜麻布、亜麻布だけの
   価値が表現されている、とまず見ます。亜麻布の価値が上着で表現されてい
   る。

   それはどういうことかと言うと、亜麻布は上着と交換されてもよい、同じもの
   だから交換されてもよい、というように言っているということです。
   これを言い換えると、亜麻布は上着を自分と交換できるもの、つまり自分と同
   じものにしているわけです。

   自分と同じものだというように見做し、そうした上で自分の価値を上着で表現
   している。だから商品相互の関係という場合、相対的価値形態にある商品が自
   分の価値を表現する。
   自分の価値は自分自身では表現出来ずに、等価形態にある上着という商品の体
   を通じて表現する。その場合に相対的価値形態にある亜麻布は、上着は自分と
   交換できるものだから上着は自分と同じものである、というような形で関係を
   結んで、その関係で上着は自分の価値だ。自分の価値は上着で現わされてい
   る、と主張しているのだ。


   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


   杉本
    相対的価値形態にある商品が自分の価値を表現する、それが如何に?という
   問いがたてば、自ずと回答は、次のーー等価形態にある上着という商品の体を
   通じて表現する、となるのですよ。

   A・しかし、ここでの第1段落での設問は、次のものでした。
     註17のベーリが「価値形態と価値とを混同」することへの批判。
   B・この課題を次のように解きますよとの、マルクスの私達への提示でした。

   ①「この関係においては、上衣は、価値の実存形態として・価値物として・意
    義をもつ」であり、
   ②「他方では、亜麻布それ自身の価値存在が現出する、すなわち自立的表現を
    受けとる」
   この第三段落にてこのような設問であり、回答の方向が明示しているのにかか
   わらず、彼は、この設問を無視することで、スターリン主義の伝統的見解に
   従ったのです。

   しかし、続く第五段落の本文はこうであります。
   やはり、「事実上の抽象」との独自性を示した榎原さんの論理が誤っていたの
   です。価値物上着に表示される人間労動と、リンネル織に表示される抽象的人
   間労働との相違に示されるのは、続く六・七段落にての「上着は価値」との明
   示で両者の区別が克服され<この「上着は価値」であり「価値形態」>の判断
   の登場==物象の社会関係の成立をこそ示しているのです。
   だから、この第五段落では、リンネル織と裁縫労動とは、人間労動一般の支出
   としては同じとしても、(このことが事実上の抽象になります)価値の凝固と
   しては示せないし、物象は登場できないのです。
   彼の問題意識自体が誤っていたのです。

   さて、次にこの八・九・十段落を経て、第三節の最終の11段落の註18に、こ
   の節にて語ったことのまとめをして、次のように述べている。

   C・これがこの第三節でのまとめです。

   a)「かくして価値関係に媒介されて、商品Bの自然的形態が商品Aの価値形
     態となる。
   b)あるいは、商品Bの体が商品Aん価値鏡となる。」
   c)使用価値Bは、「価値体としての人間労動の物質化としての商品B」とし
    て商品Aに連関されることで、「価値表現の材料」となる。
   d)「商品Aの価値はかように商品Bの使用価値で表現されることによって、
    相対的価値の形態をとる。」(河出P50)

   このことは次のことになっています。
   ①価値形態(価値鏡)
   ②価値体・価値表現の材料
   ③商品Aが、相対的価値形態となるーーとは書いておらず、この①と②の区別
   そして、両者の役立ちにて、価値表現が可能となり、相対的価値形態の成立ー
   ーとなっているのです。

   諸物象の役立ちにての、相対的価値形態の成立です。
   この肝心な事柄を榎原さんは、問わないのです。
   このような説明は、「価値形態と価値との混同」批判ーーとの第一段落での課
   題を解いていく読者の実践的行為無しには成し得ないことなのです。




     初版七段落での回り道の示す、相対的価値形態の内実 Ⅱ

     投稿者:杉本

    (勉強もやっと進むことで、いろいろと改稿もできたので、
    <初版七段落での回り道の示す、相対的価値形態の内実>を再編してみた。

     やはり、初版の註20の示す第七段落にての「回り道」に示されている条項は、
    ①相対的価値形態の形成へと向かうものなのか?
    ②それとも今日の常識的解釈である等価形態の形成へと向かうものなのか?
    手短に、回答してみたい。

    そこで文章の流れ、文脈があり、それを追うならば次のような教室での授業として展
    開してみた。

  イ)二段落ーー「リネンが自分の価値の大きさをーー・・・上着で表現することによって、
    リネンは自分の価値存在に、自分の直接的な現世の姿とは区別される価値形態を与え
    る。」(P286 今村訳資本論初版 筑摩書房)

  ロ)先生ーー三段落で「リネン価値の上着への表出」にて「リネンの価値形態」を受け取る
    ことで
    ①リネン価値の交換可能性であり、
    ②上着が直接的に価値であることで、「等価物の形態」にある
    ーーことが指摘されている。

  ハ)先生ーー四段落にては、註(18)に示されるように、ベーリの「リネンの上着価値」
    リネンの「穀物価値」として、上着が「価値の現象形態」であり、「価値形態」となる
    ことで、価値表現がなされるーーと左極での規定を見せている。

  ニ)先生ーー五段落にても註18aに示されるように、価値形態論での最重要な提起が次に
    示されました。
    ①20エレのリネン=1着の上着、という相対的価値表現においては、・・「労動凝結物
    は上着として通用し、上着は人間労動が凝結する形態として意義をもつ(註18a)」
    (初版298)と示されることで、左極にて、上着は「価値形態」と示されている。
    ここに最大の注意点があります。
    「上着は人間労動が凝結する形態」が示され、註18には、反省規定こそが明示されて
    いる。皆さん!なんとこの地点への注意を呼びかけた論者は今まで無いですよ。!!

    ②上記左極にて、「上着は、リンネル価値の現象形態」とされたことが、今度は右極の
    提示にてもーー「使用価値上着がリンネル価値の現象形態になるのは」ーーと
    示されたのでは、この第五段落は、この① ②の区別なく、等価形態の第一の独自性と
    しての主張こそがあって、この①の主張も、左極ではなく右極だーーと理解されざるを
    得なくなる。このような転倒した理解の落とし穴に入ってしまうと、このハ)四段落も
    左極ではなく右極での主張となり、ロ)三段落での主張の① ②での区別もなくなって
    しまう。


    先生ーー 私の師匠は、この転倒した理解の落とし穴に入っているので批判します。
    <反省規定こそが明示されている>、物象の判断が示され、物象の社会関係がこのよう
    に形成されていくーーことを、榎原さんは、この第五段落の解読にて、次のように示し
    ている。

    A)「諸物象の関係による抽象作用は、たとえばリンネルが、自分と質の等しいものと
    しての、つまりは両者に等しいものとしての、つまりは両者に共通な抽象的人間労働の
    凝結したものとしての上着に連関することによって行われるのだから、

    B)ここでリンネルが連関しているのは、抽象的人間労働の直接的物質化としての上着
    物質であり、この意味で上着という使用価値は、価値、労働凝固体としてのみ意義をも
    っているのである。

    C)このことが、上着がリンネル価値の現象形態になっている、ということの意味であ
    るが、しかし、次には、上着をつくる労働自体は抽象的人間労働そのものではなく、有
    用労働たる裁縫労働なのであるから、通常の唯物論的思惟抽象との違いがここにでてく
    る。」(『価値形態・物象化・物神性』P62  A B Cは、杉本追加)

    <物象の判断が示され>ているこの第五段落の提示を、榎原さんは、
    ーー上着がリンネル価値の現象形態になっている、ということの意味C)ーーと的確に
    理解しながら「両者に共通な抽象的人間労働の凝結したものとしての上着に連関する」
    として、そのことをばかりに拘ることで、註18と註18aに示された反省規定・物象の判
    断を捨象しているのです。

    A)「諸物象の関係による抽象作用は、・・」ーー「つまりは両者に共通な抽象的人間
    労働の凝結したものとしての上着に連関することによって行われる」ーーとの理解に示
    されることは、初版付録の表現である次のことをしか意味しないはずなのです。

    上着がリンネルとの「関係の内部では、上着身体は、リネンと共通の価値実体、すなわ
    ち人間労動を表現(「代表」岡崎訳)する。この関係の内部では、上着はただ価値の姿
    として、したがってまたリネンの価値姿として、リネン価値の現象形態としてのみ通用
    する。」(今村訳初版P331)

    価値関係において、等価物上着が人間労動を代表するーーならば、上着は価値姿として
    価値を代表することになり、相対的価値表現にて価値形態を形成しているのに、そうで
    はなく、等価形態をこそ意味していることに、なるのですよ。
    榎原さんが何故岡崎訳を批判し得なかったのか?
    彼の誤読の因が何処にあるのか?
    考えあぐねていたが、それは次のところにあったのです。この付録を辿ってみます。

    A)「両者に共通な抽象的人間労働の凝結したものとしての上着に連関する」ーー
    この表現に示されることは、価値関係ではなく同等性関係なのです。
    彼の意図の所在は、この同等性関係から価値関係への転化にて得られる物象の社会関係
    の登場が、マルクスの示したこの初版付録での三つの条件
    (a)同等関係
    (b)価値関係
    (c)価値関係のなかに含まれている相対的価値形態の質的内容
    ーーというこの階梯に照らして、何処にあるのか?ですね。それは(a)同等関係です。
    何故か?それは次の区別がないのです。

    (b)価値関係ーーでは、(a)同等関係 との違いについて、こう述べています。

    「上着とリネンが価値であるかぎりでのみ、上着はリネンと同じものである。
    このようにリネンが上着に向かって自分と同じ実体からできている物として、リネンに
    等置されることは、この関係のなかにある上着が価値として通用することなのである。
    ・・・(杉本註ーー同等関係から価値関係への転換は、「上着が価値」とみなされる・
    判断されることであり、そのことが示すことが次のことであります。)・・・・・・・
    上着もまた価値である限りにて、上着はリンネルに等置される。
    だから同等関係は価値関係であるが、この価値表現は、まずもって自分の価値を表現す
    る価値または価値存在の表現である。」(同上今村訳P330)

    このように、
    ①価値として上着が通用することで、
    ②「リネンが上着に向かって自分と同じ実体からできている物として、リネンに等置」
    ーーされることでリネンの価値存在の表現を示し、同等関係との区別をつけたのです。
    だから、初版にて示されているーー相対的価値形態の内実であるーー
    「上着は人間労動が凝結する形態として通用する」ことと、価値形態を示したのです。
     このように、リネンも上着も価値であり、抽象的人間労働の凝固物であることでは、
    同等関係から価値関係への転化であり物象の社会関係の登場の示す<価値存在の表現>
    ーーは示せないのです。
    リネンの価値存在が価値形態上着と示されるなかで、その次にやっと、
    上着は抽象的人間労働の凝固と示され、両者の社会関係が表現されたのです。
    A)(a)同等関係 (b)価値関係 の区別が何処にあるのかを示すことができず、
    B)初版付録のこの誤訳を批判できないことで、この五段落にての現象形態が両極にて、
    上記の第一第二との区別のもとに語られていることが、榎原さんには判読できなかった
    のです。

    しかし、初版はこうであったのです。
    「上着はたしかに価値または労動凝結物としてのみ通用するのだが、ほかならぬそのこ
    とによって労動凝結物は上着として通用し、上着は人間労動の凝結する形態として通用
    する。」(杉本ーー上記 ニ①)と明記されている。

    しかし、榎原さんは、この相対的価値形態の形成をなす、この左極での価値形態こそが
    論じられているのに、そのことを論じないのです。その理由は、こうであります。
    この<上着がリンネル価値の現象形態になっている>ーーのは、等価形態でのみの事象
    と理解したのです。

    生徒質問ーー先生「使用価値としての上着がリンネル価値の現象形態になるのは」ーー
    再版の等価形態の第一の独自性に示されたように、「商品の現物形態が価値形態になる
    のである。」(再版原P71 文庫P108)ーーとこれ以上明快に示しようがないほどに
    提示されていますね。
    だったら、ここでは、明らかに、この五段落①での媒介された価値表現での価値形態で
    あり、②は、直接的に、上着が価値形態と①の対極での<反省規定>を受け取ることを
    こそ、これから説明しますーーと述べているのではないですか。
    先生ーーそのとおりです。

    ③先生ーー次に、等価形態の第一の独自性として<使用価値が価値の現象形態となる>
    ことの理由が、次のように述べられています。
    「対象としての上着はリネンにとっては同質の人間労動の感覚的に手でつかめる対象性
    として、したがって実物形態をまとった価値として通用する。」(初版今村訳P288)
    皆さん、わかりますか?このように、右極にて<使用価値が価値の現象形態となる>
    理由を、なんともマルクスは、小学生に向けて講義するように、これ以上ない丁寧さで
    説明しているのです。
    生徒質問ーー先生、この「実物形態をまとった価値」とは?<直接的に価値体>のこと
    なのですか?
    先生ーー違います。

  ホ)六段落ーー先生からの質問ーーそのことを考えるために、皆さんに質問します。
    ここでの「受肉した人間労動という価値としての上着」とは?何ですか?
    生徒返辞ーー「受肉した人間労動という価値としての上着」とは、直接的に価値体のこ
    とであるが、五段落での「実物形態をまとった価値」とはーー先生明らかに違います。
    先生ーーそうです!そのことを、この段落冒頭で次のようにに述べたのですよ。

    「リネンは、人間労動が直接に現実に現れた姿(顕現形態)である裁縫労動に自己を関
    係させることなしには、受肉した人間労動という価値としての上着に自分を関係させる
    ことはできない。」ーーと。
    牧野訳にはこう示されています。
    「亜麻布は価値としての上着に、または受肉した人間労動としての上着に関係するとき
    には必ず、人間労動の直接実現される形式としての仕立て作業に関係する。」
    (『対訳・初版資本論第1章及び付録』P39)
    「人間労動の直接実現される形式としての仕立て作業に関係」することで、
    この経過をへることで、上着は価値体、としてみなされているのです。

    生徒ーー「受肉した人間労動という価値としての上着」に、リネンは直接的に関係する
    事ができないために、マルクスは、その後に示していることを論じているのですか。
    次のように、マルクスはーー
    「・・・ひとつの商品のなかに含まれている具体的で有用な労動種類にたいして、それ
    が抽象的人間労働の直接の顕現形態であるものとして、別の商品が関係することによっ
    てのみ、ひとつの使用価値または商品身体は価値の現象形態になる。」(P290~1)
    ーー示していますね。
    そのことで、先生、このようにマルクスは、等価物上着は直接的に価値体であることで
    はリンネル価値の現象形態になれず、直接的に価値形態にはなれない、と示しているの
    ですか。
    先生ーーそのとおりです。

  ヘ)七段落ーー生徒は、次のように冒頭部のマルクスの論じていることをまとめたのです。
    生徒ーーとすると先生、この次の七段落冒頭の次のところで、ーー
    この「商品と商品との関係のなかでのみ現実に存在する価値形態」のなかでは、
   ①使用価値は「商品価値の現象形態になり、」
   ②「同じく・・具体的有用労動も、・・抽象的人間労働の単なる顕現形態になる。」
    (P290)ーーがあって、上着は等価形態になると示しているのですね!
    だから先に示されているように、上着は直接的に価値であり価値体とされても価値形態
    ではないために、左極の反省規定を受け取っていないために、等価形態にはなれず、再
    版で示されたように、その等価形態の謎性をこそ示すのですね。
   ③先生ーー初版ではその次の八段落で、等価形態・相対的価値形態と表明されたのですか
    らそのとおりです。再版ではどのような説明が、等価形態のもつ謎性について説明され
    ていますか?
    生徒返辞ーー①再版ではそれが註21と示された八段落であり、相対的価値形態の内実
    として価値形態が示されたことでのーー臣下の振る舞いに示される反省規定が王を成立
    させるーー事柄がこの等価形態では転倒してしまい、この反省規定を解消しているので
    「彼が王だから自分たちは臣下」(原P72文庫111)との転倒像を見せることに、それ
    は依る、とあったのですよ。
    つまり、左極・相対的価値形態の形成にて、上着は媒介されて価値形態になることが、
        右極・等価形態では直接的に価値形態となっているーーのです。
    この物象がなす反省規定は、人間の意識の上には立ち上がらないので、等価形態では、
    「上着もまた、・・直接的交換可能性という属性と同様に生まれ乍らにもっているよう
    に見える。」(原P72文庫110)ーーことになっているのです。
   ④次にこの再版九段落ではーー左極では<上着は価値>とされたことが、右極では、
    <価値は上着>==「それ自身が価値であるとみられる物体」(文庫P111)
    との転倒を示すが、その転倒を批判するために、ーーマルクスは、
    上着はここでは「価値鏡」の役立ちをしていると示すーーことで回答しています。
    <価値は上着>との等価物の規定の有り様を批判して、ここにて上着は「価値鏡」をな
    しているーーとマルクスは示しています。
    そこで、彼は上記のイ)の反省規定を示し、ここには等価形態の第二の独自性が示され
    ているとして、「裁縫は抽象的人間労働の単なる実現形態として認められる」(同上)
    ーーと述べたのです。
    このように、先生ーー厳密に再版・等価形態を検討すると、初版の補充になっているこ
    とがよくわかります。

  ト)先生ーー初版七段落の続きに戻ります。ここでのまず第一の課題は、次のことです。
    「三段落で「リネン価値の上着への表出」にて「リネンの価値形態」を受け取る」ーー
    と示されていることが、両極の形態にてそのことが受け取られることを、そのことの改
    稿をここで論じているのです。
    再版ではーーその事が、前提になって論じられている伏しもあるのですが、初版では、
    両極の形態として如何に成立するのか?はまだ論じられていないのです。
    そのことは、ここで論じられた両極での価値形態が規定されることで、次の八段落にて
    表されています。
    ここで、マルクスは、2・3・4・5・6 そして7段落で論じてきたことがなんであ
    ったのかをまとめて、考えるべきことは、「商品の対立する諸規定が別々のものになる
    のではなくて、相互に反射しあう(「反省しあっている」ーー牧野訳)」ことであると
    述べているのです。
    そこで(A)2・4段落と5段落冒頭部で得られた価値形態と、
       (B)5段落後半部と6段落で得られた価値形態との比較ーーをしたのです。
    そこでここでの課題は、「回り道」をして獲得された価値形態とは、それまでに論じら
    れてきたこととは異なっているのです。
    まず(A)でえられた価値形態はそのように、回り道の成果であり、
    後者(B)は、「価値存在としての他の使用価値または他の商品身体に直接的に関係さ
    せることはできる」(七段落)ーーことでえられた直接的な価値形態ーーなのです。
    ここでの判断の決定的ポイントは、次のようにすでに明らかです。

    リンネルの価値存在が、回り道をして価値形態上着として得られるのか?
    それとも、直接的に価値形態として得られるのか?ーーであります。

    生徒ーーこの七段落にて述べられていることは、私ども生徒がただ先生から知識を得る
    ということではなく、AーBという価値存在を表現する関係において、Bが価値形態を
    える客観的存在にすぎないのであれば、Bはただ価値体としてのみ等価物の役立ちをす
    るのですから、上着は直接的に自然的形態のままに価値形態をえたと、そこで考えられ
    ているーーのでは、リカードの理論を超えてはいないのです。

    等価物上着が自然的形態のままに価値形態をえたことが、等価形態の三つの独自性とし
    てえられたことは、上着が価値体の規定においてはーーどうにも成し得ないのです。
    上記(ヘ-③)で提起したように「この等価形態では転倒して、この反省規定を解消し
    て」しまうことへの注意と批判が、全ての解決の出発点なのですね。

    というのも右極にて、反省規定が解消されるならば、左極にても反省規定しない同等性
    関係へと価値関係が解消される理解を生んでくるのです。、

    先生ーー物象の判断による、物象の社会関係の形成でありーー価値形態の形成に依る
      相対的価値形態ーー等価形態の形成という謎大き価値方程式への回答であります。


 

  「人間労働が凝固しているところの形態」ーーの第一・第二とは異なる第三の形態の特徴とは何か? 久留間理論の転倒批判

 投稿者:杉本  投稿日:2017年 9月30日(土)07時14分31秒
返信・引用 編集済
       ーーーはじめにーーー
    第一の形態を作り出す相対的価値表現での左極にて「労働凝固体は上着として認められ、
   上着はそのなかに人間労働が凝固しているところの形態として認められる」(初版)ーーこ
   とで、(第二の形態を経た第三の形態にて)商品世界から排除されている右極の対極に一般
   的価値形態が形成され、商品価値の労働時間による表示がなされている、という自明であり
   ながら、何故かこれまで価値形態論を巡る論争にて、登場してこなかった、ここで掲げてい
   るマルクスの、なんともわかりやすい課題が主張されている、ーーので提示してみた。
    第一・第二の形態の、第三の一般的価値形態成立への共通課題が、ここに提示されており
   なんとも理解困難な価値形態論の論旨がーーー見えてくるのです。辿ってみます。

    A)「人間労働が凝固しているところの形態」ーーの第一・第二とは異なる
      第三の形態の特徴とは何か?

    現行版の第二節のa第五段落にて、「上着が価値物としてリンネルに等置されることによ
   って、」と示されたことは、
   ①自ずと第三段落での化学式に示されるように、「上着は価値の存在形態として価値物とし
   て認められる」ーーということであり、
   ②「他面ではリンネル自身の価値存在が現れてくる」ーー
   ーーことの論証のための第一段として述べられている。

   「価値物」とは、久留間先生がかって誤解していたように、等価物として等価形態の役立ち
   をなしていく存在ではなく、価値としての上着がリンネルの価値形態となることで、相対的
   価値形態の形成をなしていくーーそのための、その前段での規定であり、価値物と上着が規
   定されることで、対極のリンネルが価値と規定され、その役立ちをなしうるーー労働生産物
   がその時だけ商品になる、ところの瞬時的規定なのです。

    価値物上着の規定が止揚されるのは、六~七段落にてあるように、上着が価値としてみな
   される事態の進行中にてであり、物象の社会関係の登場によって、同じことをこそ示す次に
   示された三例によってなのです。この三例として表された事柄は、同じであり、再版での説
   明が最もわかりやすい。

    再版a相対的価値形態の内実<八段落>   <初版 第四段落>
                        とはいえ商品はやはり物象である。商品であ
    実際に上着の生産では裁縫という形態で  ることは、それが物象的に存在するものでな
   人間の労働力が支出される。すなわち上着  くてはならないことということであり、ある
   に積み上げられているのは人間の労働であ  いは商品は自分自身の物象的関係のなかで自
   る。                   分が何であるかを示さなければならないとい
   この側面において上着は、たとえそれが擦  うことである。
   り切れて大きく開いた糸目のあいだからそ   <初版 第五段落>⑤ーー1
   の本質そのものが顔をのぞかせているわけ    20エレのリンネル=1着の上着 また
   でないにしても、             はxエレのリンネルはy着の上着に値すると
   「Träger von Wert 価値の担い手」で    いう相対的な価値表現のなかでは、上着はた
   ある。そして亜麻布の価値関係のなかで上  だ価値または労働凝固体としてのみ認められ
   着は将にこの側面によって、身体を与えら  ているのではあるが、しかし、それだからこ
   れた価値、価値体として通用する。上着の  そ労働凝固体は上着として認められ、上着は
   無愛想な外見にもかかわらず、亜麻布は同  そのなかに人間労働が凝固しているところの
   じ種族がもつ美しい価値魂を上着に認める  形態として認められるのである(註18a)。
   だが、同時に亜麻布に対して、価値が上着  (上記国民文庫 今村訳初版P287~288)
   という形態を取ることがなければ、上着が   <初版附録>
   亜麻布と向き合って価値を表現することは  (c)価値関係のなかに含まれる相対的価
   できない。                   値形態の質的内容
    それは個人 A にとって王が個人 B の肉   ・・・・・
   体の姿で現われるだけでなくその顔つき、  しかし、価値であるかぎりでのリネンは同じ
   髪の毛、その他容貌の多くをその都度君主  人間労働の凝結物である。だからこの関係の
   となる者のものと取り替えるのでなければ、 内部では、上着身体はリネンと共通の価値実
   個人 A は個人 B を王の一人と認めて振る   体、すなわち人間の労働を表現<「代表」>
   舞うことができないのと同じである。   (「代表」この誤訳は国民文庫岡崎訳ーー意味
    (資本論再版原P66)          が反転し等価形態になる)する。この関係の
                        内部では上着はただ価値の姿として、したが
                        ってまたリンネルの価値姿として、リネン価
                        値の現象形態としてのみ通用する。
                        このように価値関係に媒介されて、ひとつの
                        商品の価値はそれとは別のひとつの商品身体
                        で表現される。
                         (今村訳初版330~331筑摩書房)

   このように、ここでの課題ーー価値存在の表現・価値表現の如何にしてか?が、
          その解決事項ーー価値形態ーー上着
   と、このように、単純明快にマルクスの回答はしてあったのです。

   上記再版で述べられたことを探ってみると次のとおりです。
    ①上着に積み上げられているのは人間の労働
    ②「価値の担い手」
    ③亜麻布の価値関係のなかで上着はまさにこの側面によって、価値体として通用する
    ④亜麻布は同じ種族がもつ美しい価値魂を上着に認める
    ⑤亜麻布に対して、価値が上着という形態を取ることで、上着が亜麻布と向き合って価値を
     表現する
    ⑥それは個人 A にとって王が個人 B の肉体の姿で現われるだけでなくーーその顔つき、
     髪の毛、その他容貌の多くをそのつど君主となる者のものと取り替えなければーー個人
     A は個人 B を王の一人と認めて振る舞うことができないーーのと同じである。
     <価値形態上着の規定を受け取る物象の判断の提示>

    ここで、<個人 A は個人 B を王と認めて振る舞うことができない>と、示されたこと
   は、亜麻布と上着の価値関係が<諸物象の関係>であり、単に亜麻布に対して上着が価値体
   としての役立ちをしているのではなく、反省規定を受けて様々な姿態を見せる=価値形態と
   なることで、上着には<物象の判断>としての両者の行いが示されているーーということな
   のです。

    しかし、対して次の『初版』のここでのーー次の記述は、どうにも、容易くは理解させて
   はくれない。

     <「・・しかし、それだからこそ労働凝固体は上着として認められ、上着はそのなかに
    人間労働が凝固しているところの形態として認められるのである(註18a)。」>
    (上記国民文庫 初版今村訳P288)

    「人間労働が凝固しているところの形態」ーーとは、ここでは価値形態の意味であるが、
   しかし、このことでマルクスが示しているのは、むしろ、そのことでの、第二・第三の形態
   との共通性での探求をこそ意図してのものなのです。再版で、まずはそのことを検討します。

    B)「人間労働が凝固しているところの形態」の第二の形態

     <一 展開された相対的価値形態>
    「一商品例えば亜麻布の価値は、今や、商品世界を構成する他の無数のElemente
   (自律的な)諸要因で表現されている。
   他の商品体のいずれもが亜麻布価値を映す鏡になる(註 23)。
   この価値そのものが実に初めて差異のない人間労働のゼリー(凝固)として表れる。
   というのは亜麻布価値をつくる労働は、それがどのような自然形態をもっていようと、また
   それが上着、小麦、あるいは鉄などに加えられていようと、明示的に他の人間の労働と同等
   だと認知されているからである。
   その価値形態によって亜麻布は社会的関係に立つのであるが、この関係は単に他の個々の商
   品種類との社会的関係ではなく、商品世界との社会的関係である。
   商品である亜麻布はこの世界の Bürger 市民である。
   同時に、市民の価値の諸表現――すなわち商品価値は、それが表れる使用価値の特殊な形態に
   無頓着であることを示す諸表現――が無限に続く列をなして存在する。」(原P77)

    ここでは次のように、新しい形態の特徴が示された。
    ①他の商品体のいずれもが亜麻布価値を映す鏡になる(註 23)。
    ②この価値そのものが実に初めて差異のない人間労働のゼリー(凝固)として表れる。
    ③その価値形態によって亜麻布は社会的関係に立つのであるが、・・・・
     (それが)商品世界との社会的関係である。

   このように、繰り返すが次のことを示した。
    ①リンネルの他の諸商品が「亜麻布価値を映す鏡になる」。
     あるいはリンネルの価値形態であることで、商品世界が形成されている。
    ②初めて価値そのものが人間労働の凝固ーーとして表れることができたのは、
     この価値形態を示すことで、商品世界が形成されたからなのです。
    ③その価値形態によって亜麻布は社会的関係に立つーーということですから、その意味
     は、展開された相対的価値形態をもつであり、商品世界の形成なのです。

     (註23)「だから、亜麻布の価値を諸上着で表すとき、人は亜麻布の上着価値
      のことを、また亜麻布の価値を穀物で表すときには亜麻布の穀物価値のこと
      を言っているのである。
      そのような表現の各々が物語っているのは、上着、穀物などの使用価値で現
      れているものは亜麻布の価値だ、ということである。
      「各商品の価値というものが、商品相互の関係を交換で示すから、われわれ
      は各々の商品の価値を・・・穀物価値、布価値として、というようにそれぞれ
      の商品に応じて、その商品が比較される商品をもって示すことができるのであ
      る; そしてそれゆえに、存在する商品の数だけ無数の様々な諸価値が存在す
      るのであり、さらに全ては現実的にもまた名目的にも等しいのである。」
      匿名の作品の編者である S. Baily はイングランドで世間を騒がせたのだ
      が、・・・・。」

    ここにマルクスが、この註23で示したリカード理論との対比でのベーリ理論の克服を、最
   も強調している。ここでのマルクスの主眼点は、自明にもリンネルの他の諸商品が、
   ーー「亜麻布価値を映す鏡になる」ーーであります。
   即ち、初版での提起であるーー<人間労働のゼリー(凝固)の形態>を商品が他の諸商品に対
   して、与えられていることで、商品世界が形成されているのです。

      a)価値鏡として人間労働の凝固が示されることでベーリ批判がなされ、
      b)価値実体の凝固が、このように価値形態として示されることで、
       リカードが批判されたのです。
      c)人間労働の凝固の形態ーーこそが、最大のマルクスの起点なのです。
      d)展開された相対的価値形態=その価値形態によって亜麻布は社会的関係に立つ

   第一の形態では、この関連が曖昧ですが、第一から第二、第三の形態へと辿ると、このベー
   リ批判の決定的意味が把握され、物象の判断での物象の社会関係=商品世界が形成される過
   程ーーを見つけることができます。

    更に、この課題を最もよくその特徴が示されたのが、C 一般的価値形態 であります。
   そこで、「一 価値形態の変化した性格」での八段落では、次のように提起された。

     C)「人間労働が凝固しているところの形態」の第三の形態
      一価値形態の変化した性格 八段落
      「商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から排除された等価物商品、
      亜麻布に一般的等価物の印を刻み付ける。
     ①亜麻布独自の自然形態はこの世界共同の価値の像(かたち)になり、したがっ
      て亜麻布は全ての他の商品と直接に交換可能になる。亜麻布の身体形態が、全
      ての人間労働の可視的な化身・社会的一般的な蛹(さなぎ)として通用する。
     ②織布、亜麻布を生産するこの私的労働が同時に一般的に社会的な形態、すなわ
      ち全ての他の労働との同等性を体現する形態に就く。
     ③一般的価値形態を構成する無数の等式は、亜麻布に実現されている労働を(が)
      次々他の商品に含まれる労働の各々に等置し(され)、そうすることで織布を
      人間労働一般の一般的現象形態とする。
     ④商品価値として対象的に表れる労働は、消極的に、すなわちあらゆる具体的な
      諸形態と有用な諸性質が捨象された現実の労働として表現されるだけではない。
     ⑤それ自身の積極的なNatur 本質もはっきりと現れてくる。商品価値として対象
      的に表れる諸労働は、人間労働という共通な性格、すなわち人間の労働能力の
      支出に還元された現実の労働である。」
      <番号は杉本追加。>(再版原P61 文庫P126~127 前原訳)

    上記段落は、初版「Ⅲ 相対的価値の、逆転した、あるいは逆関係になった第二の形態」
   の第二・三・四パラグラフで語られている事柄がまとめられている。

    以下、そのことを説明してみます。

    「商品世界の一般的な相対的価値形態は、」と提示する再版の規定は、初版での分析とは
   異なるものであり、一般等価物としてリンネルが商品世界から排除されているーーとして、
   相対的価値形態の対極に等価形態が対峙することを前提にした第一の形態・第二の形態とは
   異なります。この点は自明でありながら、第三形態を論じるのに、あまり触れられていない
   のです。

    再版の①「亜麻布の身体形態が、全ての人間労働の可視的な化身・社会的一般的な蛹
   (さなぎ)として通用する」ーーとは、初版第二パラグラフの、「リネンは、・・他の全て
   の商品にとっての等価物の類形態として現れる」(今村訳P300)と同じであります。

   ②織布労働が、③「人間労働一般の一般的現象形態」となるーーとは、初版の同じく第二パ
   ラグラフでこう表されている。

      この等価物の類形態として現れているリネンは、
      「全商品に共通の価値の現象形態として、一般的な等価物、一般的価値身体、
      抽象的人間労働の一般的顕現形態となる。」
        (初版 同上)ーーと示された。

   ここでのーーリネンに示される「全商品に共通の価値の現象形態」の意味ーーを探るために
   は、この初版第一パラグラフにての次のことを探ればよいのです。

   「この統一的な相対的価値表現のなかではじめて、全商品は互いにとって価値としての姿を
   表わし、・・」(同上P299)と示されているように、ここで、述べられていることは、
   等価形態を示しているのではなく、現行版にて
   「一般的価値形態を構成する無数の等式は」と示された事柄であり、その等式の示すのは、
   「全商品は互いにとって価値としての姿」ーーなのです。
   だから、左辺のすべての商品の「価値の現象形態」と示されたのは、次のことなのです。

      初版三段落、上記の「一般的な等価物」を説明してこう述べている。
      「リネンが一般的等価物となるやいなや、事態は一変する。
      リネンをコーヒー、鉄、等々の他のいっさいの商品から区別して際だたせるの
      が、一般的等価物という特殊な規定であるが、その特殊な規定をおびたこの使
      用価値(リネン)は、今では、他のすべての商品の一般的価値形態、したがっ
      て一般的等価物となる。したがって、リネンのなかに表現された特殊な有用労
      働は、いまや人間労働の(一般的)顕現形態として、通用するようになる。」
        (同上P301)

    以上のことから私は、この事柄を次のように理解しました、
   ①ーー「リネンが一般的等価物となる」ことで、このようにリネンは一般的等価形態となる
      のではなく、「他のすべての商品の一般的価値形態」となる。
      上着・・等、個別的には価値形態であるのが、反省規定を受けてリンネルは一般的価
      値形態であるのです。
     (親として家族を表現するから子との親子関係が成立する。逆もしかりーー反省規定!
      親として家族を代表するーーでは等価形態!)

   ②ーー織布を人間労働一般の一般的現象形態とするーーとの再版の提起は、初版のここでの
      記述と同じく一般的等価形態の独自性を示すのではない。
   ③ーー「リネン織り労働は、人間労働の(一般的)顕現形態として通用する」と、同じくそ
      こでは一般的価値形態をこそがここに示されている。

    次に再版 ④ ⑤での「商品価値に対象化されている労働」、と示されている事柄は、初
   版第四段落では次のような転変があるのです。この理解はなかなか困難です。難しい!!!

    ここでのマルクスの提示は、①資本論冒頭での諸交換価値から諸商品に共通な価値を導き
   出し、その実体は、第三者であり、抽象的人間労働という分析での手法なのです。
   ここでの理論的な抽象で示される、ところのものは次のことなのです。

     ①初版第四段落の1
      「商品たちの社会的な関係とはどういうことかといえば 、今述べた商品たち
      の社会的実体を、・・・したがって相互に置き換え可能な仕方で、また相互に
      取り替えできる仕方で表現したものとして、自分たちを互いに処遇するという、
      ただこの一点に尽きる。」(今村訳P301)

    ここで示されているのは、明らかに、価値関係の量的側面なのです。
   だからここで示されるものは、価値であり、同等な大いさとしての価値量を示す、価値実体
   であります。
   そこで、次に示されているのが価値関係の質的側面であります。
   上記の量的側面にしても、その関係ができるのは、次のことに依っていると示す。

     ②同じく初版四段落の2
      「たんなる使用価値を商品に転化させるものだけが、使用対象を商品に転化さ
      せ、したがって社会的関係の中に置くことができる。これをおこなうものが、
      まさに商品の価値なのである。」(同上P302)

    ここには、価値関係との社会的関係が形成されるのは、どうしてか?
   ーーとの問いがあります。
    ここでは、上着が価値と判断されることで、左極での商品群のなかで、他の商品も同じく
   価値形態と判断される社会的関係があるーーと示されています。
   「また相互に取り替えできる仕方で表現したものとして、自分たちを互いに処遇する」ーー
   との上記は、明らかに、リンネルの他の諸商品群は、交換可能性の形態を受け取ったという
   ことであります。そこで、このことが次に表明されています。

     ③同じく初版四段落の3
      「したがって、商品たちが互いに価値として、人間労働の凝固物として待遇す
      る形態は商品の社会的形態である。だから商品の社会的形態および価値形態あ
      るいは交換可能性の形態は、まったく同じことなのである。ひとつの商品の実
      物形態が同時に価値形態であるなら、その商品は他の商品との直接的な交換可
      能性の形態を、したがって直接的に社会的な形態をもっているのである。」
     (同上P302)

    このように、「商品たちが互いに価値として、人間労働の凝固物として待遇する形態は商
   品の社会的形態である。」と示されることで、左極での商品群は、「価値形態あるいは交換
   可能性の形態」ーーを受け取ったのです。

    この関連を示すのが、第三の形態の左極では、価値であり・一般的価値形態なのです。
   上記の事柄は、再版の七・八段落にても扱われており、次のように示されている。
   a)「リンネル自身の現物形態がこの(商品)世界の共通な価値姿態」(原P81)だから、
   b)「リンネルの物体形態は一切の人間労動の化身」であり、だから、次の反省規定をする。
   c)だから「リンネルを生産する私的労動が、・・他のすべての労働との同等性の形態」だ、
   d)このように「一般的価値形態をなしている無数の等式」は「織布を人間労動一般の一般
     的な現象形態にする」ーーと示すことで、次の結論を得ている。
   e)そこで「商品の社会的形態」」「価値形態」「交換可能性の形態」は、同一だとーー示
     しているーーとのマルクスの提示なのですから、商品世界の商品群の示す、
    「商品価値に対象化されている労動は、・・・共通な人間労働という性格に、・・還元」
     ーーされたものとの積極的性格を示したのです。
   f)この提示は、商品世界のなかでの出来事だということを忘れると、
     この反省規定にて示されていることと、商品世界から排除されているなかでのリンネル
     の等価形態の規定との混同をしてしまうのです。
    (「他の商品との直接的な交換可能性の形態」の検討は最後にやります。)

    再版九段落での提起です。
      前提された次の八段落の提示を再確認すれば、ーー
      「商品世界の一般的な相対的価値形態は、商品世界から排除された等価物商品、
      亜麻布に一般的等価物の印を刻み付ける。」
      ーー自ずと、このことをこそ反省規定した商品世界内部では次の規定を受け取
      ったのです。
      「一般的な価値形態、すなわち諸労働生産物を差異のない人間労働のゼリー
      (凝固)として表すこの形態は、独自の諸原因によって、この形態が商品世界
      を社会的に表現する物であることを示す。労働の一般的に人間的な性格が、こ
      の世界では、特殊な社会的性格をかたちづくっていることを一般的価値形態は
      明らかにしているのである。」(再版原P81)

    このように、第三の形態では<抽象的で一般的な人間労働>が、商品価値の実体になった
   と、明示しています。そして次のように、一般的価値形態が、初版・附録・再版ともに同じ
   意味にて表されたのです。

     a)「商品たちが互いに価値として、人間労働の凝固物として待遇する形態は商
       品の社会的形態である。」(初版上記)

     b)「価値形態は、諸商品が無区別の、同種の、人間労働の純粋な凝結物として、
       すなわち同じ労働実体の物(象)的な表現として互いに現れる、という形態
       でなくてはならなかった。いまやそれが達成される。」(初版附録 同上P351)

     c)「一般的な価値形態、すなわち諸労働生産物を差異のない人間労働のゼリー
       (凝固)として表すこの形態は、(それ自身の構造によって)商品世界を社
       会的に表現する物であることを示す。」(再版上記)

    上記のマルクスの一貫した追求の所在が同一であることーーを見出す、マルクスの最大の
   主張点に気付く事ができたならば、ここにこそマルクスの追求の赤い筋道を見つけだすなら
   ば、ここに<相対的価値形態の内実>が示されており、それが、この第三の、一般的価値形
   態だけではなく、第二の展開された価値形態でもそうであり、そうして、第一の価値形態で
   も同じことを、マルクスは述べていたーーことが理解できるのです。

   以上の転回をなしてくるーーひと回りしてくることで、第一の次の主張の最大の重要性が明
   らかになってきたのです。この価値形態をーー等価形態である価値体のとる姿態としての、
   価値形態ーーと理解してきた久留間理論に基づく誤解への批判ができたならば、第一段階で
   は、等価形態ではなく、相対的価値形態の内実である価値形態の形成、として次のように論
   じられていたーーことが了解できる。

    第一段階です。
   ①初版ーー「労働凝結物は上着として通用し、上着は人間労働が凝結する形態として通
         用する」(初版今村訳P288)ーーと述べられていた。

   ②初版附録「(C)価値関係のなかに含まれる相対的価値形態の内実」で、次のように述べ
    ています。
      「・・しかし、価値であるかぎりでのリンネルは同じ人間労働の凝固物である。
      だからこの関係の内部では、上着身体は、リネンと共通の価値実体、すなわち
      人間の労働を表現する。この関係の内部では、上着はただ価値の姿として、し
      たがってまたリンネルの価値姿として、リネン価値の現象形態としてのみ通用
      する。
       このように、価値関係によって媒介されて、ひとつの商品の価値はそれとは
      別のひとつの商品の使用価値で、すなわちそれ自身とは異なる種類の別の商品
      身体で表現される。」(初版附録 今村訳P331)

   ③再版内実論ーー八段落で、次のように述べています。
      「亜麻布に対して、価値が上着という形態を取ることがなければ上着が亜麻布
      と向き合って価値を表現することはできない」

        上記の否定形を言い換えてみると、次の表現となる。
      <亜麻布に対して、価値が上着という形態を取ることで、上着が亜麻布と向き
      合って価値を表現する>

    以上から、この今までの記述を単独ではなく連ねて見てみると、どなたでも、次のことに
   はたと・・・気付く。

    再版での第一の形態でのマルクス記述は、交換のときに商品となることでの価値物の規定
   を、前提された価値関係にて、どのようにして価値形態を得ることで、価値の規定を受け取
   り、そして価値物の規定を止揚・克服することで、第二の形態を経た第三の形態にて、次に
   示す形態を得るに至ったのか?ーーをこそ主題にしていたのです。今度は岡崎訳を引用です。

      「諸労働生産物を無差別な人間労動の単なる凝固としてあらわす、一般的な価
      値形態は、それ自身の構造によって、それが商品世界の社会的表現であること
      を示している。」(再版九段落 原P81 国民文庫P127)

    このように、「価値関係のなかに含まれる相対的価値形態の内実」をこそマルクスは第一
   に解明しているというーー初版の提起に気付くならば、それは価値形態の秘密の解明として、
   上着が価値形態となること(物象の判断があること)で価値表現がなされるのであって、そ
   のことにて、反省規定がなされ、上着が直接的に価値形態とされるのです。

   ところが、上着が直接的に価値体となることで価値形態を示す、久留間先生の説はーー大谷
   先生の説いたように、相対的価値形態の形成につながるものではなく、等価形態の形成にな
   るものなのです。次に示されたように・・・

      「20エルレのリンネル=一枚の上着・・・・という価値方程式において、リン
      ネルは・・・まずもって上着を自分に等置することによって上着に価値物とし
      ての、すなち抽象的人間労働の直接的な体化物としての、形態規定定をあたえ、
      そうした上ではじめて、この価値物としての定在における上着の自然形態で、
      自分の価値を表現しているのだということである。」
      (『価値形態論と交換過程論』P56)

    このように、「上着に・・・すなち抽象的人間労働の直接的な体化物としての、形態規定
   をあたえ」たーーとの理解であれば、等価形態が直接的に価値形態をとることに示されるこ
   とが転倒して、直接的に価値体として示されたもの、への理解でしか無いのです。

    このような、驚異の理解を示す久留間先生の提起したーー再版第五段落での回り道を巡る
   論争の提示は、全くの逆転・転倒したものなのです。

    むしろその提起は、初版での両極の形態の成立と混同した論理展開であり、そればかりで
   はなく、その物象の判断の存在の追求を否定するものでしか無いのです。そのことが、転倒
   した等価形態の追求へと課題を掏り替えさせていることが、やっとやっと眼に見えてくる。
   このように久留間さんの価値形態論は、物象の社会関係の成立を否定したものなのです。

     D 初版での第三形態での一般的相対的価値形態の形成は、如何にしてか?

    初版では、商品世界が、第二・第三の形態では登場していなかったことで、マルクスは、
   次の転回をしてしまったのです。そのことの再考察です。

      「・・・・・・・・・・・・ひとつの商品の実物形態が同時に価値形態である
      なら、その商品は他の商品との直接的な交換可能性の形態を、したがって直接
      的に社会的な形態をもっているのである。」(初版今村訳P302)

    このように、等価物が価値形態であるので、この交換可能性の形態に対しては直接的交換
   可能性の形態が対応することで、反省規定されているのです。

    マルクスは、この第一・第二の形態と第三の形態の相違がどこにあるのかを探求している。
   そこにはある特徴があるのです。

    第三の形態の特徴は次の段階を踏んでいます。
   ①「ひとつの商品の実物形態が同時に価値形態である」ーーすなわち、左極にて価値形態を
   示すならば、右極では<回り道>をへずとも、そのままに、直接的交換可能性の形態を受け
   取るーーのであり、等価形態を示すのです。このことから、両極にて諸商品は、互いを反省
   規定している、ということが、何度も何度もしつこくこの物象のなす反省規定を示すので
   す。

   ②しかし、この第三の形態では第一・ニでの価値形態の形成ーー相対的価値形態の形成によ
   るこの反省規定と同じくでは、右極に等価形態が形成できないのです。何故か?

   何故か???本当に、何度も何度も繰り返し言いたくなる。恐るべきはブルジョアイデオロ
   ギーの支配による思考の転倒であります。この自らへの反省を為し得なければ、次の事柄、
   マルクスの主張は、一切理解できない!!!
   第五段落での一般的な相対的価値形態の形式を紹介するために、第六段落にて極めて平易な
   主張をこそマルクスは、一般的等価形態の形成について我々に教えてくれる。

    第六段落
      「上着の相対的価値形態が一般的であるといえるのは、その形態が同時に他の
      全商品の相対的価値形態である場合に限る。上衣にいえることがコーヒー等々
      ににもいえるからこそ一般的なのである。
      したがって、当然のことながら、商品たちの一般的な相対的価値形態は商品た
      ち自身を、一般的等価形態から排除する。逆に、ひとつの商品、たとえばリネ
      ンは、それが一般的等価形態をもつやいなや、一般的相対的形態から排除され
      る。」(上記P303)

    第七段落
      「一般的な相対的価値表現においては、上着、コーヒー、茶、等々の各商品は
      自分の実物形態から区別された価値形態、すなわちリネン形態をもつ、そして
      まさにこの形態でこそ、商品たちは交換可能なものとして、・・・・互いに関
      係しあうのである。」(上記P304)

    初版の転回ーー論理は甚だ難しい!この七段落では、左極の商品群は、次の特徴にある。

   ①リンネルが一般的価値形態であるので、第六段落での「他の全商品の相対的価値形態」に
   なっていることを教えている。
   ②ここでの理解の困難は、相対的価値形態の形成が、前の二つの形態では等価形態の形成を
   反省規定したのに、第三の形態になると、新たな等価形態を対極に、形成しないのです。
   ③「他の全商品の相対的価値形態である場合」にこの左極では、一般的相対的価値形態にな
   る反省規定をなしていることで、あります。
   この反省規定はすでに、この上記の① ② ③として対象性を与えられているのです。
    そこで、
   「商品たちの一般的な相対的価値形態は商品たち自身を、一般的等価形態から排除する」
   ーーとは、何のことなのか?

   それは、すでにこの反省規定での、一般的な相対的価値形態の形成がなされるめには、前の
   第一‥第二の形態とは異なって、その役割において、すでにご用済みとなっているからこそ、
   一般的等価物は一商品を除いてその埒外とされ、排除されるということではないのか?
   すなわち、一般的等価物が、一般的相対的価値形態の形成において、再版の展開によれば、
   形成されている商品世界に対しては役立つのではなく、そこから排除されることで、それを
   為し得るーーのですから、一般的等価形態の規定を得るのは、前の二つの形態とは正反対だ
   ーーというのだと私は思います。

   前の二つの形態では、両極ともに反省規定にて成立したのが、第三形態では、一般的相対的
   価値形態の形成として生ずる・商品世界から排除されることで、一般的等価形態が成立した
   のです。
   初版では、再版の五‥六段落において両極の形態を、商品世界という言わば定められた球状
   体と、そこから分離された商品種類リンネルというーー二つの分離した対象的形式として前
   提されていないために、商品群が受け取る価値形態ーー一般的価値形態がまず商品世界とな
   り形成されることが曖昧化されてしまう。

   しかし、この第七段落をよーく読むならば、以上の段落にて、そのことは明示されている。






        <上記再版の引用は前原訳>
         http://tabbreak.web.fc2.com/jpdkbd1ab1kap1.pdf



 

 初版七段落での回り道の示す、相対的価値形態の内実

 投稿者:杉本  投稿日:2017年 9月25日(月)16時09分20秒
返信・引用 編集済
       やはり、初版の註20の示す第七段落にての「回り道」に示されている条項は、
    ①相対的価値形態の形成へと向かうものなのか?
    ②それとも今日の常識的解釈である等価形態の形成へと向かうものなのか?
    手短に、回答してみたい。

    そこで文章の流れ、文脈があり、それを追うならば次のような教室での授業として展
    開してみた。

  イ)二段落ーー「リネンが自分の価値の大きさをーー・・・上着で表現することによって、
    リネンは自分の価値存在に、自分の直接的な現世の姿とは区別される価値形態を与え
    る。」(P286 今村訳資本論初版 筑摩書房)

  ロ)先生ーー三段落で「リネン価値の上着への表出」にて「リネンの価値形態」を受け取る
    ことで
    ①リネン価値の交換可能性であり、
    ②上着が直接的に価値であることで、「等価物の形態」にある
    ーーことが指摘されている。

  ハ)先生ーー四段落にては、註(18)に示されるように、ベーリの「リネンの上着価値」
    リネンの「穀物価値」として、上着が「価値の現象形態」であり、「価値形態」となる
    ことで、価値表現がなされるーーと左極での規定を見せている。

  ニ)先生ーー五段落にても註18aに示されるように、価値形態論での最重要な提起が次に
    示されました。
    ①20エレのリネン=1着の上着、という相対的価値表現においては、・・「労動凝結物
    は上着として通用し、上着は人間労動が凝結する形態として意義をもつ(註18a)」
    (初版298)と示されることで、左極にて、上着は「価値形態」と示されている。
    ここに最大の注意点があります。
    「上着は人間労動が凝結する形態」が示され、註18には、反省規定こそが明示されて
    いる。皆さん!なんとこの地点への注意を呼びかけた論者は今まで無いですよ。!!

    ②上記左極にて、「上着は、リンネル価値の現象形態」とされたことが、今度は右極の
    提示にてもーー「使用価値上着がリンネル価値の現象形態になるのは」ーーと
    示されたのでは、この第五段落は、この① ②の区別なく、等価形態の第一の独自性と
    しての主張こそがあって、この①の主張も、左極ではなく右極だーーと理解されざるを
    得なくなる。このような転倒した理解の落とし穴に入ってしまうと、このハ)四段落も
    左極ではなく右極での主張となり、ロ)三段落での主張の① ②での区別もなくなって
    しまう。


    先生ーー 私の師匠は、この転倒した理解の落とし穴に入っているので批判します。
    <反省規定こそが明示されている>、物象の判断が示され、物象の社会関係がこのよう
    に形成されていくーーことを、榎原さんは、この第五段落の解読にて、次のように示し
    ている。

    A)「諸物象の関係による抽象作用は、たとえばリンネルが、自分と質の等しいものと
    しての、つまりは両者に等しいものとしての、つまりは両者に共通な抽象的人間労働の
    凝結したものとしての上着に連関することによって行われるのだから、

    B)ここでリンネルが連関しているのは、抽象的人間労働の直接的物質化としての上着
    物質であり、この意味で上着という使用価値は、価値、労働凝固体としてのみ意義をも
    っているのである。

    C)このことが、上着がリンネル価値の現象形態になっている、ということの意味であ
    るが、しかし、次には、上着をつくる労働自体は抽象的人間労働そのものではなく、有
    用労働たる裁縫労働なのであるから、通常の唯物論的思惟抽象との違いがここにでてく
    る。」(『価値形態・物象化・物神性』P62  A B Cは、杉本追加)

    <物象の判断が示され>ているこの第五段落の提示を、榎原さんは、
    ーー上着がリンネル価値の現象形態になっている、ということの意味C)ーーと的確に
    理解しながら「両者に共通な抽象的人間労働の凝結したものとしての上着に連関する」
    として、そのことをばかりに拘ることで、註18と註18aに示された反省規定・物象の判
    断を捨象しているのです。

    A)「諸物象の関係による抽象作用は、・・」ーー「つまりは両者に共通な抽象的人間
    労働の凝結したものとしての上着に連関することによって行われる」ーーとの理解に示
    されることは、初版付録の表現である次のことをしか意味しないはずなのです。

    上着がリンネルとの「関係の内部では、上着身体は、リネンと共通の価値実体、すなわ
    ち人間労動を表現(「代表」岡崎訳)する。この関係の内部では、上着はただ価値の姿
    として、したがってまたリネンの価値姿として、リネン価値の現象形態としてのみ通用
    する。」(今村訳初版P331)

    価値関係において、等価物上着が人間労動を代表するーーならば、上着は価値姿として
    価値を代表することになり、相対的価値表現にて価値形態を形成しているのに、そうで
    はなく、等価形態をこそ意味していることに、なるのですよ。

     初版付録のこの誤訳を批判できないことで、この五段落にての現象形態が両極にて、
    上記の第一第二との区別のもとに語られていることが、榎原さんには判読できなかった
    のです。

    しかし、初版はこうであったのです。
    「上着はたしかに価値または労動凝結物としてのみ通用するのだが、ほかならぬそのこ
    とによって労動凝結物は上着として通用し、上着は人間労動の凝結する形態として通用
    する。」(杉本ーー上記 ニ①)と明記されている。

    しかし、榎原さんは、この相対的価値形態の形成をなす、この左極での価値形態こそが
    論じられているのに、そのことを論じない理由は、こうであります。
    この<上着がリンネル価値の現象形態になっている>ーーのは、等価形態でのみの事象
    と理解したのです。


    生徒質問ーー先生「使用価値としての上着がリンネル価値の現象形態になるのは」ーー
    再版の等価形態の第一の独自性に示されたように、「商品の現物形態が価値形態になる
    のである。」(再版原P71 文庫P108)ーーとこれ以上明快に示しようがないほどに
    提示されていますね。
    だったら、ここでは、明らかに、この五段落①での媒介された価値表現での価値形態で
    あり、②は、直接的に、上着が価値形態と①の対極での<反省規定>を受け取ることを
    こそ、これから説明しますーーと述べているのではないですか。
    先生ーーそのとおりです。

    ③先生ーー次に、等価形態の第一の独自性として<使用価値が価値の現象形態となる>
    ことの理由が、次のように述べられています。
    「対象としての上着はリネンにとっては同質の人間労動の感覚的に手でつかめる対象性
    として、したがって実物形態をまとった価値として通用する。」(初版今村訳P288)
    皆さん、わかりますか?このように、右極にて<使用価値が価値の現象形態となる>
    理由を、なんともマルクスは、小学生に向けて講義するように、これ以上ない丁寧さで
    説明しているのです。
    生徒質問ーー先生、この「実物形態をまとった価値」とは?<直接的に価値体>のこと
    なのですか?
    先生ーー違います。

  ホ)六段落ーー先生からの質問ーーそのことを考えるために、皆さんに質問します。
    ここでの「受肉した人間労動という価値としての上着」とは?何ですか?
    生徒返辞ーー「受肉した人間労動という価値としての上着」とは、直接的に価値体のこ
    とであるが、五段落での「実物形態をまとった価値」とはーー先生明らかに違います。
    先生ーーそうです!そのことを、この段落冒頭で次のようにに述べたのですよ。

    「リネンは、人間労動が直接に現実に現れた姿(顕現形態)である裁縫労動に自己を関
    係させることなしには、受肉した人間労動という価値としての上着に自分を関係させる
    ことはできない。」ーーと。
    牧野訳にはこう示されています。
    「亜麻布は価値としての上着に、または受肉した人間労動としての上着に関係するとき
    には必ず、人間労動の直接実現される形式としての仕立て作業に関係する。」
    (『対訳・初版資本論第1章及び付録』P39)
    「人間労動の直接実現される形式としての仕立て作業に関係」することで、
    この経過をへることで、上着は価値体、としてみなされているのです。

    生徒ーー「受肉した人間労動という価値としての上着」に、リネンは直接的に関係する
    事ができないために、マルクスは、その後に示していることを論じているのですか。
    次のように、マルクスはーー
    「・・・ひとつの商品のなかに含まれている具体的で有用な労動種類にたいして、それ
    が抽象的人間労働の直接の顕現形態であるものとして、別の商品が関係することによっ
    てのみ、ひとつの使用価値または商品身体は価値の現象形態になる。」(P290~1)
    ーー示していますね。
    そのことで、先生、このようにマルクスは、等価物上着は直接的に価値体であることで
    はリンネル価値の現象形態になれず、直接的に価値形態にはなれない、と示しているの
    ですか。
    先生ーーそのとおりです。

  ヘ)七段落ーー生徒は、次のように冒頭部のマルクスの論じていることをまとめたのです。
    生徒ーーとすると先生、この次の七段落冒頭の次のところで、ーー
    この「商品と商品との関係のなかでのみ現実に存在する価値形態」のなかでは、
   ①使用価値は「商品価値の現象形態になり、」
   ②「同じく・・具体的有用労動も、・・抽象的人間労働の単なる顕現形態になる。」
    (P290)ーーがあって、上着は等価形態になると示しているのですね!
    だから先に示されているように、上着は直接的に価値であり価値体とされても価値形態
    ではないために、左極の反省規定を受け取っていないために、等価形態にはなれず、再
    版で示されたように、その等価形態の謎性をこそ示すのですね。
   ③先生ーー初版ではその次の八段落で、等価形態・相対的価値形態と表明されたのですか
    らそのとおりです。再版ではどのような説明が、等価形態のもつ謎性について説明され
    ていますか?
    生徒返辞ーー①再版ではそれが註21と示された八段落であり、相対的価値形態の内実
    として価値形態が示されたことでのーー臣下の振る舞いに示される反省規定が王を成立
    させるーー事柄がこの等価形態では転倒してしまい、この反省規定を解消しているので
    「彼が王だから自分たちは臣下」(原P72文庫111)との転倒像を見せることに、それ
    は依る、とあったのですよ。
    つまり、左極・相対的価値形態の形成にて、上着は媒介されて価値形態になることが、
        右極・等価形態では直接的に価値形態となっているーーのです。
    この物象がなす反省規定は、人間の意識の上には立ち上がらないので、等価形態では、
    「上着もまた、・・直接的交換可能性という属性と同様に生まれ乍らにもっているよう
    に見える。」(原P72文庫110)ーーことになっているのです。
   ④次にこの再版九段落ではーー左極では<上着は価値>とされたことが、右極では、
    <価値は上着>==「それ自身が価値であるとみられる物体」(文庫P111)
    との転倒を示すが、その転倒を批判するために、ーーマルクスは、
    上着はここでは「価値鏡」の役立ちをしていると示すーーことで回答しています。
    <価値は上着>との等価物の規定の有り様を批判して、ここにて上着は「価値鏡」をな
    しているーーとマルクスは示しています。
    そこで、彼は上記のイ)の反省規定を示し、ここには等価形態の第二の独自性が示され
    ているとして、「裁縫は抽象的人間労働の単なる実現形態として認められる」(同上)
    ーーと述べたのです。
    このように、先生ーー厳密に再版・等価形態を検討すると、初版の補充になっているこ
    とがよくわかります。

  ト)先生ーー初版七段落の続きに戻ります。ここでのまず第一の課題は、次のことです。
    「三段落で「リネン価値の上着への表出」にて「リネンの価値形態」を受け取る」ーー
    と示されていることが、両極の形態にてそのことが受け取られることを、そのことの改
    稿をここで論じているのです。
    再版などは、その事が前提になって論じられれている伏しもあるのですが、初版では、
    両極の形態として如何に成立するのか?はまだ論じられていないのです。
    そのことは、ここで論じられた両極での価値形態が規定されることで、次の八段落にて
    表されています。
    ここで、マルクスは、2・3・4・5・6 そして7段落で論じてきたことがなんであ
    ったのかをまとめて、考えるべきことは、「商品の対立する諸規定が別々のものになる
    のではなくて、相互に反射しあう(「反省しあっている」ーー牧野訳)」ことであると
    述べているのです。
    そこで(A)2・4段落と5段落冒頭部で得られた価値形態と、
       (B)5段落後半部と6段落で得られた価値形態との比較ーーをしたのです。
    そこでここでの課題は、「回り道」をして獲得された価値形態とは、それまでに論じら
    れてきたこととは異なっているのです。
    まず(A)でえられた価値形態はそのように、回り道の成果であり、
    後者(B)は、「価値存在としての他の使用価値または他の商品身体に直接的に関係さ
    せることはできる」(七段落)ーーことでえられた直接的な価値形態ーーなのです。
    ここでの判断の決定的ポイントは、次のようにすでに明らかです。

    リンネルの価値存在が、回り道をして価値形態上着として得られるのか?
    それとも、直接的に価値形態として得られるのか?ーーであります。

    生徒ーーこの七段落にて述べられていることは、私ども生徒がただ先生から知識を得る
    ということではなく、AーBという価値存在を表現する関係において、Bが価値形態を
    える客観的存在にすぎないのであれば、Bはただ価値体としてのみ等価物の役立ちをす
    るのですから、上着は直接的に自然的形態のままに価値形態をえたと、そこで考えられ
    ているーーのでは、リカードの理論を超えてはいないのです。

    等価物上着が自然的形態のままに価値形態をえたことが、等価形態の三つの独自性とし
    てえられたことは、上着が価値体の規定においてはーーどうにも成し得ないのです。
    上記(ヘ-③)で提起したように「この等価形態では転倒して、この反省規定を解消し
    て」しまうことへの注意と批判が、全ての解決の出発点なのですね。

    というのも右極にて、反省規定が解消されるならば、左極にても反省規定しない同等性
    関係へと価値関係が解消される理解を生んでくるのです。、

    先生ーー物象の判断による、物象の社会関係の形成でありーー価値形態の形成に依る
      相対的価値形態ーー等価形態の形成という謎大き価値方程式への回答であります。




 

レンタル掲示板
/148