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商品の労働の二重性と商品形態の二重性についてーーその2

 投稿者:杉本  投稿日:2018年10月 7日(日)10時42分4秒
返信・引用 編集済
    <再考するためのーー適訳 ドイツ語版 価値形態>

  A 簡単な、個別的な、または偶然的な価値形態
  1 価値表現の両極ーー相対的価値形態と等価形態
Relative value form and equivalent form are mutually related, mutually dependent, inseparable moments, but at the same time mutually exclusive or opposite extremes, i.
相対価値形式と同等の形式は相互に関連し、相互に依存し、分離不可能な瞬間であるが、同時に相互に排他的であるか反対の極なのである。

Poles of the same value expression; they are always distributed among the different goods that the value expression relates to each other.
I can e.g.
同じ値式のポーランドン。
<同じものの柱--両極ーーを示す等式なのです。>
それらは値の式が互いに関連する異なる商品に常に配分されます。
それが、私にはできます。

do not express the value of the canvas in canvas. 20 cubits of canvas = 20 cubits of canvas is not a value expression. On the contrary, the equation says: Twenty cubits of linen are nothing but twenty cubits of canvas, a definite quantity of the commodity canvas.
しかし、キャンバスの価値をキャンバスに表現しないでください。 20キュビットのキャンバス= 20キュビットのキャンバスは、価値表現ではありません。
それどころかそれでは、方程式に次のように書かれてしまいます:20キュビットのリネンは、商品キャンバスの一定量のキャンバスの20キュビットに過ぎません。

The value of the canvas can therefore only be expressed in relative terms, i. in other goods. The relative value form of the canvas, therefore, implies that any other commodity is in the equivalent form opposite it.
したがって、キャンバスの値は、相対的な表現でしか表現できません。 他の商品でですね。したがって、キャンバスの相対的価値形式は、他の商品がそれとは反対の形態であることを意味<既存訳 前提>します。
   畫布的相對價値形式暗示任何其他商品與其相對的等價形式。
  <リンネルの価値表現において、両極の価値形式があるーーことを説明、
  するのであり、そのとき、オートバイが、前輪ではなくウイリーをして
  後輪だけで名人が操っている、ことを指して後輪が前提だ!と称する事
  ができるでしょうか?
  そのことが、両極の価値形態をここで題材にしているときに、
   <キャンバスの値は、相対的な表現でしか表現できません。
   他の商品でですね。>
  ーーとこのことを、両極が前提なのではなく、左極での行為とのみ見る
  歪曲をするならば、それは、等価形態が前提でなければ、リンネルの相
  対的価値表現ができない!事になってしまいます。
  それでは、次段落の等価物の役割が、
  ーー彼女は彼女の価値を表現していません。
    それは他の商品の価値表現にのみ材料を供給する。ーー
  が全く見えなくなってしまいます。
  上着のここでの役立ちが、単に価値表現の材料としての役立ちなのでは
  なく、等価物としての受け身の役立ちーーなのであります。>

On the other hand, this other commodity, which figures as an equivalent, can not be in relative value form at the same time. Not she expresses her value. It supplies the material only to the value expression of other goods.
他方では、これと同等であるこの他の商品は、同時に相対価値形式にすることはできません。 彼女は彼女の価値を表現していません。 それは他の商品の価値表現にのみ材料を供給する。

  <3段落の中国語訳の全文を紹介しておきます。>
 ①相對價値和等價形式是相互關聯,相互依賴,不可分割的時刻,但同時是相互排斥或相反的極端,
 ②即相同價値的極點; 它們總是分佈在價値彼此相關的不同商品中。
 ③例如,我無法在畫布中表達畫布的値。20肘帆布= 20肘帆布不是一種價値。
 ④相反,這個等式説:二十肘的亞麻布只不過是二十肘的帆布,一定數量的商品帆布。
 ⑤因此,畫布的價値相對地表達,即在其他商品中。
 ⑥因此,畫布的相對價値暗示任何其他商品與其相對的等價形式。
 ⑦另一方面,這個等同的商品不能同時具有相對價値形式。不是她表達了她的價値。
 ⑧它僅將材料提供給其他商品的價値。

   <4段落は、略>

   <独・英訳>
   a相対的価値形態の内実
 ①商品の単純な価値が2つの商品の価値にどのようにあるのかを知るためには、最初にその商品の量的側面とは無関係に考えなければならない。 ほとんどの場合、反対の方向に行動し、2種類の商品の特定のQuantaが互いに等しい割合のみの値の関係を見ます。 異なるものの大きさは、最初に同じ統一性に還元された後、定量的に比較可能になることは見落とされている。 同じ単位の表現が同じ名前のものであり、それゆえ相応の量である。 (17)
 ①In order to find out how the simple value of a commodity lies in the value of two commodities, one must first consider the latter quite independently of its quantitative side. In most cases, one behaves in the opposite direction and sees in the value relation only the proportion in which certain Quanta of two kinds of goods are equal to one another. It is overlooked that the magnitudes of different things first become quantitatively comparable after their reduction to the same unity. Only as expressions of the same unit are they of the same name, hence commensurable quantities. (17)

 ②キャンバスが20キュビット= 1コートか= 20スカートかどうか、つまりキャンバスの量が多くても少数であっても、そのような割合は常にキャンバスとスカートが同じ単位の表現であることを意味しますし 、同じ性質のものがあります。 キャンバス=ロックは方程式の基礎です。
 ②Whether 20 cubits of canvas = 1 coat or = 20 or = x skirts, that is, whether a given quantity of canvas is worth many or a few skirts, each such proportion always implies that canvas and skirts as values are expressions of the same unity, things of the same nature are. Canvas = Rock is the basis of the equation.

 独③ー①Aber die zwei qualitativ gleichge setzten Waren spielen nicht dieselbe Rolle.
Nur der Wert der Leinwand wird ausgedruckt ¨Und wie?.
Durch ihre Beziehung auf den Rock als ihr
”Aquivalent“ oder mit ihr ¨”Austauschbares“.
In diesem Verhaltnis gilt der Rock als Exi- ¨stenzform von Wert, als Wertding, denn nur
als solches ist er dasselbe wie die Leinwand.
 ③-①しかし、質的に同等な2つの商品は同じ役割を果たすわけではありません。
    キャンバスの値だけが印刷<printed out>されます - そして、それはどのようにしてか?
    彼らの”同等物“<as their equivalentーー「等価物」では意味が逆になる>としての岩石
    との関係を通して、あるいはそれを"交換可能 "とすることでなのです。
    この関係では、岩石は価値の存在の一形態とみなされます。
    その理由は、それがキャンバスと同じだからです。
 ③-①But the two qualitatively equivalent goods do not play the same role.
Only the value of the canvas is printed out - and how?
Through their relationship to rock as their equivalent "or with it" exchangeable ".
In this relationship, rock is considered the existence of value, as value, for only as such is it the same as the canvas.
 ③-①但這兩種質量相等的商品並沒有發揮同樣的作用。
    僅表示畫布的。怎麼樣?
    通過她與搖滾的關係,她與她“相當”或“可以互換”。

  <この三段落冒頭のーー彼女と彼女の「同等の」ーーを、
 等価形態がこの相対的価値形態の成立を目指すなかでは、前提であるので
 「キャンバスの価値だけが表現されます」ーーとあるが、
 上着は「等価物」であり、それは直接的交換可能性の形態であるから、
 交換可能性のまえに、それが示されなければならない、ーーと云うのが、
 ほとんどの人々の、自明とするここでの判断・考えなのです。私は違います。>

 <次の比較をしてみると、何が分かるのか?>

 独③-② dieser Beziehung sind Steine als Wertobjekte als existentielle Wertform akzeptabel. Weil Steine genauso sind wie Leinwände.
  ③-② この関係のなかでは、岩石は、価値の実存形態として、価値物として通用する。なぜなら、ただこのようなものとしてのみ、岩石はキャンバスと同じものだからです。
 <上記の独・和訳を英訳にしてみると次の表記なのです。
  意味は変わらないのです。>
 英③-②  this relationship, rocks are acceptable as value objects as an existential form of value. Because rocks are the same thing as canvases, just as such.
  ③-②この関係では、岩石は価値の存在形態として
     価値<物>オブジェクトとして受け入れられます。
     なぜなら、岩石はキャンバスと同じものなのです。
  ③ー②在這種關係中,搖滾被視為價値的存在,
     作為價値,因為它只是與畫布一樣。
     在另一方面己方値感畫布來光或接收自表達,

  「object」の翻訳
名詞 物体 object, body
   対象 target, object
   客体 object
   物  object, thing, stuff
   体  body, form, substance, object, organism,

 <英国、米国などの人からすれば、以上のことは、当然自明な和訳であるわけです。>
 <「同等のものとして、または交換可能なものとして」区別はなく、意味が同じであります。>

 <この関係では、岩石は価値の存在形態として価値<物>オブジェクトーー
       作為價値,因為它只是與畫布一樣。
 の規定を受けとることで、次の化学式に明示されるように、価値上着、価値物上着、
 価値の存在形態上着ーー岩石を上着に代えてーーと、3者の統一した形態が示されたのです>

 ③-③Andrerseits kommt das eigne Wertsein der Leinwand zum Vorschein oder erhalt einen ¨selbstandigen ¨ Ausdruck, denn nur als Wert ist sie auf den Rock als Gleichwertiges oder mit ihr Austauschbares bezuglich.
 ③-③キャンバスの独自の価値は、前者では独立した表現を受け取り、それは岩石に価値あるものとしてのみ関連をしてなのですから、それを<equivalent or interchangeable>同等か交換可能なものとしています。
 ③-③ the other hand, the own value of the canvas comes to the fore or receives an independent expression, for only as value is it related to rock as equivalent or interchangeable.
 ③ー③ 因為只有一個値是相對於所述岩石作為等價物或其可交換。

 ③-④ 例えば、酪酸はプロピルとは異なる体である。 しかし、同じ組成のC4H8O2である炭素(C)、水素(H)および酸素(O)と同じ化学物質からなる。 酪酸が蟻酸プロピルと同等である場合、蟻酸プロピルはこの場合単にC4H8O2の存在であり、第2に酪酸もC4H8O2からなると言われる。 ギ酸プロピルを酪酸と同等にすることによって、その化学物質はその体の形状とは異なるであろう。
 英 For example, butyric acid is a different body from propyl. Both, however, consist of the same chemical substances - carbon (C), hydrogen (H) and oxygen (O), in the same percentage composition, namely C4H8O2. If the butyric acid were equated with the propyl formate, the propyl formate would in this case be merely an existence of C4H8O2, and secondly it would be said that the butyric acid also consists of C4H8O2. By equating the propyl formate with the butyric acid, its chemical substance would be different from its body shape.

  <中国語での三段落を、全文転載しておきます。>
  但這兩種質量相等的商品並沒有發揮同樣的作用。僅表示畫布的値。
  怎麼樣?通過她與搖滾的關係,她與她“相當”或“可以互換”。
  在這種關係中,搖滾被視為價?的存在,作為價値,因為它只是與畫布一樣。
  在另一方面己方値感畫布來光或接收自表達,
  因為只有一個値是相對於所述岩石作為等價物或其可交換。
  例如,丁酸與丙基不同。
  但是,這兩個由相同的化學物質-碳(C),(H)和氧(O),即在相同的百分組成,
  <65>即,C 4 ħ 8 Ò 2。如果現在丁酸設定為等於甲酸丙鮨中,
  甲酸丙鮨將在該第一比率應用僅僅其形式為C存在形式4 ħ 8 Ò 2,其次,
  將表示從C丁酸4 ħ 8 Ò 2組成 通過將甲酸丙鮨與丁酸等同,其化學物質將與其體形不同。

 ④商品として、商品は単なる人間の労働のゼリーであるので、私たちの分析はそれらを価値の抽象化に還元するが、自然な形とは異なる価値形態を与えないと言います。 ある商品の価値が別の商品とは異なります。 その価値性格<価値キャラクター>は、他の商品との独自の関係を通じてここに現れます。
 ④Let us say: as goods the goods are mere jellies of human labor, so our analysis reduces them to the abstraction of value, but gives them no value-form different from their natural forms. Different in the value of one commodity to another. Its value-character emerges here through its own relation to the other commodity.

  <第五段落は。原文のドイツ語文を提示してみました。>
⑤-① 独訳 Indem z.B. der Rock als Wertding der Leinwand gleichgesetzt wird, wird die in ihm steckende Arbeit der in ihr steckenden Arbeit gleichgesetzt. Nun ist zwar die Schneiderei, die den Rock macht, eine von der Weberei, die die Leinwand macht, verschiedenartiger konkrete Arbeit.
 ①加えて、例えば、 もし岩がキャンバスの価値と等しいとすれば、その中の作品はその作品と同じです。 今、キャンバスを作る織りの一つと同じーーであるスカートを作る服飾は、別の具体的な仕事です。
 ①By e.g. If rock is equated with the value of the canvas, the work in it is equated with the work in it. Now, the dressmaking that makes the skirt, one of the weaving that makes the canvas, is different concrete work.

 ②die Gleichsetzung mit der Weberei reduziert die Schneiderei tatsächlich auf das in beiden Arbeiten wirklich Gleiche, auf ihren gemeinsamen Charakter menschlicher Arbeit.
しかし、織り方の方程式は実際にはどちらの仕事でも、人間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを還元します。
 ②the equation with weaving actually reduces the tailoring to what is really the same in both works, to their common character of human labor.

 ③Auf diesem Umweg ist dann gesagt, daß auch die Weberei,
  この迂回路上では、その織りは、
sofern sie Wert webt, keine Unterscheindungsmerkmale von der Schneiderei besitzt,
  それが価値を織り込むならば、仕立ての特徴とは区別されず、
also abstrakt menschliche Arbeit ist.
  だから、抽象的な人間労働です。

  在這個繞道上,據説編織,
  如果它編織價値,沒有剪裁的顯著特徴,
  所以抽象的人類工作是。

 ③On this detour it is then said that weaving, if it weaves value, has no distinguishing features of tailoring, that is, abstract human labor.

 ④Nur der Äquivalenzausdruck verschiedenartiger Waren bringt den spezifischen Charakter der wertbildenden Arbeit zum Vorschein, indem er die in den verschiedenartigen Waren steckenden, verschiedenartigen Arbeiten tatsächlich auf ihr Gemeinsames reduziert, auf menschliche Arbeit überhaupt (17a)
 ④実際に、様々な商品に関わる様々な種類の労働を共通の一般的な人間の労働に還元することによって、異なる商品の同等性の表現だけが価値創造の労働の特定の性格を引き出す。 17a
 ④Only the expression of equivalence of different commodities brings out the specific character of value-creating labor, by actually reducing the various kinds of work involved in the various commodities to their common, human labor in general.17a

 久留間先生は、1~5段落を引用して、こう述べるのです。
 「ここでわれわれが何よりもまず注意をしなければならないことは、20エレのリンネル=1枚の上衣、あるいは20エレのリンネルは一枚の上衣に値する、という価値方程式において、リンネルはいきなり自分を上衣に等置することによって上衣に価値物としての、すなわち抽象的人間労働の直接的な体化物としての、形態規定をあたえ、そうした上ではじめて、この価値物としての定在における上衣の自然形態、自分の価値を表現しているのだということである。
 こういう廻り道をしないでは、商品は価値形態をもつことが出来ないのである。
リンネルは、いきなり自分を上衣に等置することによって、すなわち自分は上衣に等しいのだと自称することによって、自分を価値物にすることはできない。それでは単なる独りよがりになってしまう。
 他面において、リンネルが上衣の自然形態で価値を表わしうるためには、すなわち上衣の自然形態そのものを自らの価値形態にしうるためには、あらかじめ上衣が価値物としての定在を与えられていなければならぬ。
 言葉をかえていえば、上衣の自然形態がそのまま抽象的人間労働の体化物を意味するものとされていなければならぬ。そしてそれは、リンネルが上衣を自らに等置することによって行われるのである。
リンネルは、自分は上衣に等しいのだと自称することによって、自分を価値物にすることは出来ないが、上衣は自分に等しいのだと宣言することによって上衣を価値物(・・・)にすることはできる。
 そこで、リンネルは、かようにして上衣を価値物にしたうえで、自分は価値としては上衣と同じなのだ、ということによって、上衣の形態において、自分自身の価値性格を表現するのである。
すなわち、その使用価値の形態であるところの自然形態からー(略)ー区別された価値形態をもつことになるのである。」(『価値形態論と交換過程論』P56~57)

ーー久留間先生は、この5段落を次のように誤解をしている。ーー
 ①「価値方程式において、」ならば、上着は等価物としてリネンに等置されているーーのですから、上着は価値の規定の下に既にあるのです。
 何故か?
3段落ー「岩石は値としての価値存在形態とみなされます」との規定にあるからです。そのことで、上着は価値とみなされています。
もう一度、
 上着は等価物であり、価値として想定された規定の下にあるーーのですから先生の述べることは、この前提を消して、相対的価値表現の第一歩の左極での条件を、排除しています。
 上着は価値としてリネンに等置される、・・この第一歩を、先生は排除して別の条件である、交換関係を、ここに提示しているのです。交換関係であれば、この肝心のリンネルの価値存在の表現があって、上着が価値の存在形態と示され、上着が価値であることを示すーー商品の行う反省規定ーーは捨象されるのです。
 ②上着が価値として、リネンに<直接的に>等置されるならば、そのままに上着は、自身の価値存在を現出させるーーのだから>上衣は直接的にその自然的形態のままに、価値形態と規定される、のは明らかです。
 ここでの「上衣を自分に等置することによって・・・すなわち抽象的人間労働の直接な体化物としての形態規定をあたえ、・・」でも同じくであり、この規定の仕方は、上衣が等価形態となるときに規定される仕方であります。
 媒介的なのですとは?ーー上着が「廻り道」をして媒介的に価値としてリネンに等置されていますが、その意味が何か?であります。
 ③リネンの交換関係においてならば、上着は使用価値として等置される量的関係でしかありません。
 リネンの上着との価値関係においては、リネンが価値であるのは、
aその両者の同等性がーー人間労動と示され、
b上着・裁縫労動はリネンからの反省規定で、<廻り道>をして、媒介的に両者に共通な抽象的人間労働とされるーーことで、上着は価値とされていることで、この反省規定があることで、やっとリネンは価値であるのです。
 ④「上衣を自分に等置することによって上衣に価値物としての、定在における上衣の自然形態」ーーであることで、と示すことで、先生は、媒介されたリネンの価値表現と、直接的に上着が価値形態とされることとを、混同した。ここには、上記に示された、ー-上着が価値としてリネンに等置されるーー上着の等価物としての役立ちが、二つあり、媒介的なのか、直接的なのか、の区別への追求が無いのです。
 ー-上着が価値として役立つ、この媒介性ーーをまず3・5段落で、追求しています。
 ⑤上着に、「抽象的人間労働の直接な体化物としての形態規定をあたえ、」たのであれば、裁縫労動は直接的に抽象的人間労働の実現形態へと転化ーーしており、等価形態の第二の独自性、を示すことになってしまいます。ここではそのことは問題にはなっていません。
 ⑥どうしてーー久留間先生はこんな誤解をしたのか?
 「・・右の方程式の例においてリンネルはまず自分を上着に等置しているのではなくて、上着を自分に等置することによって、上着を価値物にしているのだ、ということにあるのであるがーー」(P57~58)
と誤りをば述べながら、その次のページでは、正しくこう述べるのです。
「・・「上着を価値として自らに等置し」と訳すべきであることは、一見明らかであるとおもう。」(P59)ーーと。

  もう少し、初版のこの4段落を追求しておこう。
 「・リンネルが価値としての上着を自分に等置<「リネンは価値としての上着に自分を等置--江夏・今村訳--と全く逆の訳出>しながら、他方同時に、自分を使用対象としての上着から区別することによって、上着はリンネル物体に対立するリンネル価値の現象<出現>形態となり、リンネルの自然形態とは区別されるリンネルの価値形態となるのである。」(『マルクス経済学レキシコン』No11榎原さんの本からの孫引き)
ーーこのように、続く5段落冒頭、あるいはその前の2段落と同じく、等価形態について論じているのではなく、リンネルの価値形態の形成について語ることで、相対的価値形態の形成につながる事柄を述べています。マルクスは、3段落での二つの筋道・論理があるように、ここでの、2・4段落の事柄で無視される点をこそ、繰り返しています。
  それは、次のことであります。
 2ーー「・・上着で表現することによってリネンは自分の価値存在に、自分の直接的な現世の姿とは区別された価値形態を与える。このようにリネンは自分自身の内部を二分したものとして表現する<使用価値と価値形態ーーとして・杉本註>ことによってはじめて、自分を現実に商品としてーー有用であるとともに価値でもある物としてーー表現する。・・・」
   <これと同じことが、続く4段落に、こう述べられています。>
 4ーー「リンネルが価値としての上着を自分に等置しながら、他方同時に、自分を使用対象としての上着から区別する」ーーとは2段落の言い換えなのです。
従って、ここは、2段落と同じ事柄が、人のなす理解に対しての<物象の判断>としてーー述べられているのだから、リンネル織りが「人間労動の物的表出」<第4版との共通性を示している>を表す、だけではなく、リンネルの価値形態の形成にまで、論究しています。
このように、相対的価値形態の形成の方向性において、リンネルの価値形態が物象の判断として、使用価値ではなく<商品上着>とのかかわりのなかで示されていたのです。
ここで、<上着が価値形態を受けとる>ーーのは、物象世界の転倒象なのです。
 <先生の初版での廻り道の誤解については、次を参照願います>
      https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1647?
   ⑦ー①
   ⑬製品(例えばリネン)の自然な形はその価値形態の正反対であるため、
   他の自然な形態(別の商品の自然な形)をその商品形態に変えなければなりません。
   それはすぐに別の商品のために、それゆえにそれ自身のための迂回路(回り道)に
   よってすぐにすることができます。
  <再版に戻ります。>
 ⑦先生は、後者では、正しく述べながら、それを、論じている条件が、
<a相対的価値形態の内実>での①化学式の3段落に続く、②価値抽象の批判として「その価値性格<価値キャラクター>は、他の商品との独自の関係を通じてここに現れます」
との再版4段落の提起・条件を無視したことで<価値形態>とここを誤読・誤解したのではないか?
「上衣の形態において、自分自身の価値性格を表現するのである。すなわち、その使用価値の形態であるところの自然形態からーー(略)ーー区別された価値形態をもつ」ーーと。全く逆の理解をしたのです。
 すなわち、上着は価値形態であると、全く正反対の理解を示したのです。これでは、上着は自然的形態でありながら価値形態を示すーー等価形態と、先生は、誤解したのであります。
そして次に、③この5段落での、ーー
「織り方が方程式を示すと、実際にはどちらの仕事でも、人間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを還元」ーーを、その価値形態の下での、人間労動の表示が、等価形態の下での表示だから、上衣にーー「抽象的人間労働の直接な体化物としての形態規定をあたえ、」たーーと読んだ、と思います。
 未だ規定されていない、提起されていない「価値形態」を、4段落に見たのが、人々がどうこの事柄を批判すべきなのか?どうにも理解できなかった、ことなのであります。
 ⑧価値関係にて、まずーその価値性格ーが問題にされているのに、先生は、等価形態こそが論じる対象だとして前段に置き、初版の誤訳の廻り道を例証にしています。
 彼の論拠の全ては、初版の回り道ーーの誤解に基づくものなのです。なんとも、自分の正しさの例証としたことが、誤解なのであります。
そして、7段落の廻り道の論証を、戻って、6段落にてもそうだと示し、その延長に、<等価形態を論ずる延長として>4段落を提示することで、そこで論じられているーーマルクスの肝心要の、相対的価値形態の形成の方向での、その内実であるーー物象の社会的関係ーー<註18>
が、ここに示されていることを、正しい長谷部訳をも、誤訳として、排除しているのです。
 ⑨しかし、江夏訳初版の名誉のためにも、この初版第二段落にては、正しくこう記述されています。
「リンネルは、自分の価値量・・・を上着で表現することによって、自分の価値存在に自分の直接的存在とは区別される価値形態を与える。」(『初版』 江夏訳 P35 原P16 )
 これが当然の理路ではないですか?
リンネルが価値存在を表現し、上着は価値の存在形態ーーであれば、リンネルはこの相対的価値形態の形成において、まず、自らの価値形態を、表現するのです。
上着が価値形態を受けとるのであれば、これ、等価形態での出来事なのです。
 ⑩この5段落を巡る久留間先生のこの意見は、労働者のなかに広く普及しており、彼の意見ををよく代弁するのが、次の 資本論を読む会 広島の商品の価値実体への次の理解であるので、紹介します。

http://marx-hiroshima.org/?page_id=10&paged=15
  「読む会」だより(16年3月用) 2016年3月24日
  3)商品に表わされる労働の二重性について
   ・・・・・・・・・・・・
あるいは有用労働も人間労働力一般の発現として見ればどのように質が違っていても同じものだと言うのです(ちなみにこれが「価値規定」すなわち「価値の質的な規定」ということで、これにもとづいて「価値の量的な規定」も出てきます)。種々の有用労働は、その種々の質のままでは量的に比較されることはできません。だからそれらの労働は同質で大きさだけが異なる労働に還元されることではじめて社会の総労働の一部としての性格を受け取ることができるが、これが価値として表現される場合の労働だと言うのです。
言い換えれば、商品の価値として表現される場合の労働は、同質な人間労働力一般の発現に還元されたものとして見られた労働であり、人々の社会的な関係とその中での労働の社会的な属性を表現するものだと言うのです。(第1項で触れたように諸労働が社会的労働として存在するあり方はそれぞれの社会に固有です。資本主義社会以前には労働そのものの具体的姿において社会的労働であり得たのに対して、発展した商品生産を基礎にしている資本主義社会にあってはそうではありません。後に触れていくように、ここでは労働そのものの具体的姿でではなくて、それが同質な抽象的労働としての姿をもつことではじめて社会的な労働となりえます。そしてこのことがいわば貨幣の必然性をなしているのです。)
  <杉本--再版 c一般的価値形態  1価値形態の変化した性格 の
  9段落には次ように述べられています。
  「諸労働生産物を無差別な人間労働の単なるゼリーとして表現する一般的
  な価値形態」--であることで、量的な価値等式が通用し、社会的実体が
  「労働」であることが証明されていると、示されています。
  ⑨諸労働生産物を無差別な人間労働の単なるゼリーとして表現する一般的
  な価値形態は、それが商品世界の社会的表現であるということを、それ自
  体の枠組みを使って示している。したがって、この世界の中では、一般的
  に人間労働がその具体的な社会的性格を形成していることが明らかになっ
  た。原P81
  <このように、一般的価値形態が構成されて、やっと、そのことで、
  「諸労働生産物を無差別な人間労働の単なるゼリーとして表現する」こと
  が出来るのです。>

  そして、次に「廻り道」の解説であります
  http://marx-hiroshima.org/?page_id=10&paged=14
  第3項 商品の「価値形態」とは何か の2回目

  <彼らは、上記ーー5段落を引用したあとに、こう解説します。>
「ここでは、価値を表現しようとする側のリンネルではなくて、それに等置される側の上着に含まれる具体的有用労働が事実上人間労働に還元され、したがって上着は特殊な使用価値としてではなくて、価値=人間労働のひとつの実現形態としてのみリンネルに取り扱われるということが、決定的に重要です。
というのも、このことによって、上着によるリンネルの価値の表現は、たしかに右辺の上着を価値として取り扱い、つまりそれがリンネルと“無条件に”交換可能だという性格(直接的交換可能性=貨幣性格)を与えます。
しかしながら左辺のリンネル自身は、その価値の上着での表現によっても自分に含まれる織布労働が人間労働に還元されるわけではないのですから、リンネルという特殊な使用価値から脱皮しているわけではありません。
したがってリンネルはその価値を上着で表現したといっても、それはただ上着を観念的に自分に等置したということであって、そのことによってリンネル自身が上着との直接的交換可能性をもつというわけでは決してないからです。
言い換えれば、ある商品が別の商品との直接的交換可能性をもつのは、すなわち貨幣としての機能をもつのは、それが特殊な使用価値であるからというわけではなくて、ただ他の商品がそれで自分の価値を表現するからにほかなりません。このことは貨幣の理解にとって極めて重要な事柄です。2016年5月22日」

 <杉本の批判--「織り方が方程式を示すと、実際にはどちらの仕事でも、人
 間の労働の共通の性質に本当に同じものに仕立てを還元しています。」ーー
 と原文に述べています。引用された訳文でも、織布との等置は、
 裁縫を「両方の労働のうちの現実に等しいものに、人間労働という両方に共通
 な性格に、還元する」ーーとあります。
 --両方に等しいものに還元する--のですから、等置する側も、される側も
 両方の共通者である、人間労動に還元しています。
 そして次の廻り道が示されていました。

  ③Auf diesem Umweg ist dann gesagt, daß auch die Weberei, sofern sie Wert webt, keine Unterscheindungsmerkmale von der Schneiderei besitzt, also abstrakt menschliche Arbeit ist.
 この迂回路では、価値を織り成すならば、織り合わせることでは、仕立てという顕著な<有用労働の>特徴を持たないので、すなわち抽象的な人間労働と語られています。

 どうして、上着を縫い上げる裁縫労動だけが、人間労動に還元されるとーー
 彼らは理解--誤解をしたのか?
 それは、この人間労働に還元した後の-廻り道-を、次の理解をしたためです。
 リンネルに対して上着は、直接的交換可能性--を示す、上着は等価形態であ
 るのが、相対的価値形態の形成過程においても前提である、ーーとの理解から
 なのです。
 ーーしかし、前節の 1価値表現の両極ーー相対的価値形態と等価形態は、単
 なる見取り図であり等価形態が前提と述べているのではありません。
 この内実論の最終の⑪段落で示されているように、やっと等価形態ではなく、
 相対的価値形態を受けとる、との記述です。
 ではーー見取り図を示さないで論理展開をしている初版ではどうでしたか?
 ーーリンネルが、「廻り道」をすることで、商品形態を受けとれたのだから、
 その経過のなかで、リンネルは価値形態を受けとることで、そのことが出来た、
 と示されています。
 久留間先生の論理は、商品形態が如何にして成立したのか?それは、この廻り
 道を消去することで、相対的価値形態の成立の筋道のなかに依る--ことを不
 問にしたものであり、等価形態の成立ばかりを追求するものであり、労動生産
 物の商品への転化とは?この何故?ーーを不問にするイデオロギーであったの
 です。
 ドイツ語ペーラペラの先生としては、この誤訳を知っていたのではないか?
 この回り道を経過したーーことでの左極でのリンネルの価値形態の成立につい
 て、この7段落の後に、明快にマルクスは述べています。けして右極の形態や、
 両極が前提になど、なっていません。
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ⑥しかし、キャンバスの価値である作品の特定の性格を表現するだけでは不十分です。液体状態や人間の労働における人間の労働は価値があるが、価値はない。比喩的な形で凝固した状態で値をとる。
キャンバスの価値を人間の労働のゼリーとして表現するためには、それはキャンバス自体とは違って、他の商品と共通する「客観性」<「対象性」ではない>として表現されなければならない。タスク<課題>はすでに解決されています。
 ⑥However, it is not enough to express the specific character of the work, which is the value of the canvas. Human labor in the liquid state or human labor makes value, but is not worth. It becomes value in a coagulated state, in figurative form. In order to express the canvas value as a jelly of human labor, it must be expressed as an "objectivity" which is in fact different from the canvas itself and at the same time common to other commodities. The task has already been solved.
   <http://content.csbs.utah.edu/~ehrbar/cap1.pdf

 ⑦リネンの価値関係では、リネンと同質のものとして、コートはリネンと同等のものとしてカウントされます。したがって、値であるため、価値は明示されるものとしてカウントされます。その有形の手書き形式で、価値を表しています。
しかし、商品そのもののコートは、コートそのものは純粋に使用価値です。コートは、私たちが出会った最初のリネンよりも価値を表現していません。
これは、外側のものよりも金の編組された制服の中でもっと多くの人がカウントするのと同じように、それが外側よりもリネンとの価値関係の内側にあるときにはコートが重要であることを証明しています。
 ⑦In the value relation of the linen, the coat counts as a thing qualitatively equalto the linen, as a thing of the same nature as linen, because it is a value. ist.It counts therefore as a thing in which value manifests itself, or which, in its tangible handgreiflibodily form, represents value.
Yet the coat itself, the body of the commod-ity “coat,” is purely a use-value. A coat does  not express value any more than does the first piece of linen we come across.
This proves only that the coat counts forwhen inside the value relation with the linen than outside it, just as many a human counts for more when inside a gold-braided uniform than outside it.

 ⑧コートの生産では、仕立ての形の人力が実際に費やされた。 その結果、人間労働はコートに蓄積されます。コートは、「価値のキャリア」ですが、コートはどこにでもあります。
 ⑧In the production of the coat, hu- man labor-power, in the shape of tailoring,was in actual fact expended. Consequently, human labor is accumulated the coat.By virtue of this, the coat is a ‘carrier of ¨value’, although this property does not show through anywhere, even where the coat is at its most threadbare.
そして、リネンの価値関係では、コートはこの側面の下でしかカウントせず、従って価値の化身として具現化された価値として数えます。 そのボタンアップされた外観にもかかわらず、リネンは豪華な - 価値の魂をコートで認識しています。
しかし、コートは、リネンの価値を表すものではなく、後者の場合には同時にコートの形状をとるものでなければならない。
And in the value relation of the linen, the coat counts only under this aspect, counts therefore as embodied value, as incarnation of value. Despite its buttoned-up appearance, the linen recognizes in the coat a splendid - the soul of value.
The coat, however, cannot represent value towards the linen unless value, for the latter, at the same time assumes the shape of a coat.
例えば、個人Aは、他の個人Bにとっては「あなたの威厳」になることはできません.Bの目の中では威厳を失わずに、Aの物理的な形状を仮定し、さらに、ファッションや髪の毛やその他多くのものを変えます新しい--new ‘father of his people--「人々の父」が生まれました。
An individual, A, for instance, cannot be ‘your majesty’ to another individual, B, un- less majesty in B’s eyes assumes the physi- cal shape of A, and, moreover, changes fa-features, hair and many other things,with every new ‘father of his people’.

 ⑨-①したがって、コートがリネンを同等にする値の関係では、コートの身体形状は価値の形態としてカウントされる。
 ⑨-①Hence, in the value relation in which the coat is the linen’s equivalent, the bodily shape of the coat counts as form of value.
 <ここは価値関係との認識では、ーー転倒ーーの意味が全くわからない。
 単に値として上衣がリンネルに等しいー-との転倒した見解を、批判している。>
 <英文の比較をすることで、そのことが理解できる。価値関係との英文では、この批判が消える。>
 ー①したがって、コートがリネンを等価にする値の関係では、
  コートの身体形状は価値形態としてカウントされる
Hence, in the value relation in which the coat is the linen’s equivalent,the bodily shape of the coat counts as form of value.
  対して、
Hence, in a value relationship in which the coat equates to a linen cloth, the coat form is made into a value form in this way.
  したがって、コートが亜麻布の等価をなす価値関係においては、
  このように、コート形態は価値形態とされる。
 -②したがって、コットンリネンの価値は、コモディティコートの物理的な体内で表され、一方の値は他方の値で表される。使用価値として、リネンはコートとはまったく異なるものです。
価値として、それはコートと同じであり、したがって "コートのように見える。
The value of the commodity linen is therefore expressed in the physical body of the commodity coat, the value of one in the use-value of the other. As a use-value, the linen is something palpably different from the coat; as value, it is equal to the coat and ” therefore looks like a coat.
 -③こうして、リネンはその体の形とは異なる価値形態を得る。
Thus the linen acquires a value form different from its bod- ily form
 -④リネンの価値性格は、キリスト教徒の羊の性質が神の子羊と平等に示されているのと同じように、コートと同等であることが明らかです。
The value-character of linen is manifested in its equality with the coat, just as the sheep-nature of christians is manifested in their equality with the lamb of god.
 <この価値形態は、宗教的形態のなかで、上衣が価値形態との転倒を示すなかで、
  リネンの価値形態ーーとなっている、ことが、最大限追求されています。
  世の理解は、常識的理解は、ここを、上衣が価値形態、とその転倒をした理解
  して憚らないのです。>

 次は、岩波文庫 向坂先生の訳です。P96~97
 上記訳とは逆の判読であり、異なるのです。これでは意味が理解できません。
 ①「上着が亜麻布の等価をなす価値関係においては、このように、上衣形態
 は価値形態とされる。亜麻布なる商品の価値は、したがって、上着なる商品
 の使用価値で表現されるのである。」
 <「上着が亜麻布の等価をなす価値関係においては、」であれば、このよう
 な転倒は起こらないのです。
 ② 「価値として、それはコートと同じであり、したがって "コートのよう
 に見える。」ーー 商品語なのですーー
 「使用価値としては、亜麻布は上着とは感覚的にちがった物である。
 価値としては、それは「上衣に等しいもの」であって、したがって、上衣に
 見えるのである。
 このようにして、亜麻布は、その自然的形態とはちがった価値形態を得る。」
 <商品語がここに示されているのではないか?ここでは、価値関係ではなく、
 同等性関係に転倒しているのです。
 「亜麻布は、その自然的形態とはちがった価値形態を得る」(岩波)
 「・・同等物であるという値の関係において、衣服の身体形状が価値形態として数えられる。」
  この商品語の転倒を経過して、次が起こっているのです。
  -③こうして、リネンはその体の形とは異なる価値形態を得る。(原文)
 <しかし人々は、ほぼ全て、商品語のままに、転倒したままに、上衣が価値形態ーーと理解。
 ここの理解-判読が、とても大切です。
 岩波-向坂先生のここでのこの訳であれば、転倒していないのです。
 上衣が、価値形態を受けとるから--転倒しているのであって、
 リンネルが価値形態を受けとるのであれば、相対的価値形態の形成に向かう
 ことが出来ますが、上衣が価値形態を受け取れば、その道筋は等価形態の形
 成に向かうことと、混同してしまうのです。
 マルクスの意図は、この混同批判にこそあるのだから、それを出来無くして
 しまう既存訳は、、全て誤訳ではなかろうか?>

 その価値たることが、上衣との同一性に現れること、ちょうどキリスト者の
 羊的性質が、その神の子羊との同一性に現れるようなものである。」
 (岩波文庫P96~97)

 ⑩私たちにとって予測される商品の価値の分析が、他の商品、スカートと接触するとすぐにキャンバス自体が言うように、すべてがそのことを見ている。 彼女は彼女自身の慣れ親しんだ言葉、つまり商品の言葉で彼女の考えを裏切っています。 作品は、人間労働の抽象的な品質において独自の価値を形成していると言えば、それに無関係であれば、キャンバスと同じ仕事にふさわしいと言われています。
 ⑩One sees that everything that the analysis of the value of the commodity predicted for us, says the canvas itself, as soon as it enters into contact with other commodities, the skirt. Only she betrays her thoughts in her own familiar language, the language of the goods. To say that work forms its own value in the abstract quality of human labor, she says that rock, insofar as it is indifferent to it, is therefore worthy of the same work as the canvas.
その崇高な値が硬いリネンのボディとは異なると言うと、値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩のように見えます。ちなみに、商品の言語は、ヘブライ語以外にも、多かれ少なかれ正しい方言を持っています。 ドイツの「価値」は、 ロマネスクの時代の言葉であるvalere、valer、valoirよりも、商品Bと商品を同一にすることは、商品Aの適切な価値表現であるとはいうまでもありません。パリは公正な取引です! <パリは公正な価値がある!>
To say that its sublime value-objectivityis <価値客観性>different from its rigid body, she says that value looks like a rock, and therefore, as value, it resembles rock like an egg to another. By the way, the language of languages, besides Hebrew, has many more or less correct dialects. The German "value" expresses e.g. less striking than the Romanesque time word valere, valer, valoir, that equating the commodity B with the commodity is the proper value-expression of the commodity A. Paris is a fair trade! <Paris is worth a fair!>

  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_2

独 本文
 ⑩Man sieht, alles, was uns die Analyse des Warenwerts vorher sagte, sagt die Leinwand selbst, sobald sie in Umgang mit andrer Ware, dem Rock, tritt. Nur verrät sie ihre Gedanken in der ihr allein geläufigen Sprache, der Warensprache.
 ⑩ー①私たちにとって予測される商品の価値の分析が、他の商品、スカートと接触するとすぐにキャンバス自体が言うように、すべてがそのことを見ている。 彼女は彼女自身の慣れ親しんだ言葉、つまり商品の言葉で彼女の考えを裏切っています。
 ⑩ー① You see, everything that the analysis of the value of the commodity predicted to us, says the canvas itself, as soon as it comes into contact with other commodities, the skirt. Only she betrays her thoughts in her own familiar language, the language of the goods.

 ⑩ー②Um zu sagen, daß die Arbeit in der abstrakten Eigenschaft menschlicher Arbeit ihren eignen Wert bildet, sagt sie, daß der Rock, soweit er ihr gleichgilt, also Wert ist, aus derselben Arbeit be- <67> steht wie die Leinwand.
作品は、人間労働の抽象的な品質において独自の価値を形成していると言えば、それに無関係であれば、キャンバスと同じ仕事にふさわしいと言われています。
To say that work forms its own value in the abstract quality of human labor, she says that rock, insofar as it is indifferent to it, is therefore worthy of the same work as the canvas.

 独 ⑩ー③ Um zu sagen, daß ihre sublime Wertgegenständlichkeit von ihrem steifleinenen Körper verschieden ist, sagt sie, daß Wert aussieht wie ein Rock und daher sie selbst als Wertding dem Rock gleicht wie ein Ei dem andern.

 英 ⑩ー③To say that its sublime value is distinct from its stiff, linen body, it says that value looks like a rock, and therefore, as value, it resembles rock like an egg to another.

   ⑩ー③その崇高な値が硬いリネンのボディとは異なると言うと、値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩のように見えます。
     ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 崎山先生の訳 ーー榎原さん提示
  労働は人間的労働という抽象的属性においてリンネル自身の価値を形成する
  ということを言うために、リンネルは、上着がリンネルに等しいものとして
  通用するかぎり、したがって価値であるかぎり、上着はリンネルと同じ労働
  から成り立っていると言う。

  リンネルの高尚な価値対称性は糊でごわごわしたリンネルの肉体とは違って
  いるということを言うために、リンネルは、価値は上着に見え、したがって、
  リンネル自身も価値物としては上着と瓜二つであると言う。」
  (『資本論』長谷部訳、河出書房新社、原典五六頁、訳文は井上康・崎山政毅
  『マルクスと商品語』、二一~二頁)

  ③リンネルの高尚な価値対称性は糊でごわごわしたリンネルの肉体とは違って
  いるということを言うために、リンネルは、価値は上着に見え、したがって、
  リンネル自身も価値物としては上着と瓜二つであると言う。
 その独訳ーーとして、何時もながらの自動翻訳していただいた。
 ③ Um zu sagen, dass Linnels gehobene Wertesymmetrie sich von dem mit Leim steifen Fleisch des Leinens unterscheidet, sieht Linnell den Wert als Mantel, also ist Linnell selbst auch ein Mantel als Wertgegenstand Sie sagen, dass sie zwei sind.
 その英訳
 ③ To say that Linnell 's exalted value symmetry is different from the linen' s flesh that is stiff with glue, Linnell sees the value as a coat, so Linnell himself is also a coat as a value item They say that they are two.

 上の下段 パソコン訳
独訳 Um zu sagen, dass Linnells gehobene Wertesymmetrie sich von dem mit Leim steifen Leinenfleisch unterscheidet, sieht Linnell wie ein Mantel aus, so dass Linnell selbst auch einen Mantel und einen Kuchen trägt Sie sagen, dass sie zwei sind.

 その英訳
To say that Linnell's superior value symmetry is different from the glue-stiff linen flesh, Linnell looks like a cloak, so Linnell wears a cloak and a cake herself. They say they're two.

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 岩波 向坂訳 P97
 「亜麻布の森厳なる価値対象性が、そのゴワゴワした布の肉体とちがっているというために、亜麻布は、価値が上着に見え、したがって亜麻布自身が価値物としては、卵が
他の卵に等しいと同じように、上着に等しいというのである」

 独語に、この 向坂訳を戻すとこうなる。
"Da der Wert des Verlustwertes von Leinentuch sich von dem Körper dieses klobigen Stoffes unterscheidet, sehen Leinentücher wie Jacken aus, so dass Leinentücher selbst Wert als Eier sind
Es ist gleichbedeutend mit Fell, genau wie andere Eier. "

 <日本語訳に戻すと>
"リネンの価値の価値はこの塊状の生地のボディとは異なるので、リネンの布はジャケットのように見えるので、リネンの布自体は卵の価値がある・他の卵と同じように、毛皮と同義です。"
 <ジャケット、の意味ーー補足しておきます。
 ーー人にジャケットを着せる、人の被覆物・物象の被覆物であり、
   ここには、物象の判断が示されているのだから、
   「リネンの布」には、ーーではなくて、
   「値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩のように見えます」
   ーー上着価値であり、卵のように岩のようにーー見えるという転倒、なのです。
   ーー価値関係ではなく、同等性関係に転倒した形態ーーを示しています。

 英語
"Since the value of the value of linen is different from the body of this chunky fabric, linen cloths look like jackets, so linen cloths themselves are worth eggs
It is synonymous with fur, just like other eggs. "


 ⑩ー③では、ーーLinnellーーは登場せずなのだから、ーーと書いたが、
 次の訳は誤りでしたので、訂正します。

<価値は岩のように見え、したがって価値として、卵のように岩に似ていると彼女は言います>ーーを既存訳の全ては、排除し、意識的な誤訳をしてきたのです。

  そうではなくーー「リネンのボディとは異なる」が消されています。
  <その崇高な値が硬いリネンのボディとは異なると言うと、値は岩のように見え、
  したがって価値として、卵のように岩のように見えます。>ーーが正訳であります。
  よりわかりやすくなりました。

 著者マルクスのは、商品語による転倒でのーー理解を9・10段落と是正してきたのに、その意義を理解できず、そこを人々は捨象したことで、次の11段落での、<「価値関係」によりーーではなく、」「価値比率」>と記述した意味・フランス語版からの改稿の意味!!! を捨象して、同等性関係への批判を封じたのです
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 ⑪したがって、<バリュー比率>により、商品Bの自然形態は商品Aの価値形態になるか、または商品Bの本体は商品Aの価値水準となる。(18)商品Aとは、 価値体としての商品Bは、人間の仕事の素材として、自分の価値表現の素材に対する使用価値Bにします。 商品Aの価値は、商品Bの使用価値で表され、相対的価値形態をしている。
 ⑪By means of the value relation<value ratio>, therefore, the natural form of the commodity B becomes the value form of the commodity A or the body of the commodity B becomes the value level of the commodity A. (18) By the commodity A refers to the commodity B as value body, as material of human work, makes them the utility value B to the material of their own value expression. The value of the commodity A, so expressed in the use value of the commodity B, has the form of the relative value.
 <最終的にフランス語版を訂正し、「価値関係」によりーーではなく、」「価値比率」に依るーー商品Bの自然形態は商品Aの価値形態になる」
 ーーと、⑨段落の転倒の帰結がまとめられています。8・9段落の主張の違いが、この整理
 にあるのですからーー⑨でのーー上着が価値形態と商品語で示しながらも、最後の判断として、
 ーー価値比率においても、リンネルの価値形態--とまとめられています。
 ⑪段落ーーなんと、これは、私も誤解をしており誤訳でありました。今気づきました。訂正。>

 もう一度中国語訳を、選択する。
http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_2

因此,通過價値比,商品B的自然形式成為商品A的價値形式,或者商品B的主體成為商品A的價値水平。(18)通過將商品A指的是商品B作為価値體物化人力勞動,它使得使用-値B自己的値表達的材料。以商品B的使用價値表示的商品A的價値具有相對價値的形式。

  ーー因此,通過價値比,商品B的自然形式成為商品A的價値形式ーー

したがって、価値比により、商品Bの自然形態が商品Aの価値形態になったり、商品Bの本体が商品Aの価値水準となったりする。 (18)商品Aを商品Bの価値として用いることによる物質化された人間の労働。そのことは、価値Bの価値そのもので表現される。 商品Bの使用価値で表される商品Aの価値は、相対価値形式である。

  <以上です。>
  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  ぐーぐるほんやく
  https://translate.google.co.jp/?hl=ja
  https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1675
  資本論四版 第一章 第三節 2.相対価値フォーム

  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_000.htm
  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_2

http://

 
 

 規制のない知事の暴走目こぼし

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年10月 7日(日)09時46分58秒
返信・引用
   規制のない知事の暴走目こぼし
 12年前盲ろう者友の会事務局長からお前の親父は馬鹿なの だ妥協しろと言われ馬鹿らしいと退会した。
 ろうあ協会も友の会も県の看板で辞めたら暴走を隠すために親父は馬鹿のままで辞めた理由はデマを流し口封じにかん口令を敷かれた。関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせない。社会参加は12年で12回妨害された。
 いまでは通訳差別も3年前から続き情報センターさえ貸し出し拒否している。和解より抹殺しか考えていない。
 調べたら友の会を辞めたのは12年前でその前年自立支援法が廃止になっていた。無法状態を悪用されたことになり、法務省はたかが障害者の1人と容認されていた。
 相手にするなという暴走隠しは知事からで法務省もばれなけれはいいと容認されていた。こっちは障害者のためたかが一人くらいとされ諦めることは一生負け犬扱いの差別しか来なくなる。
 これは普通県庁がそんなことするはずがないと言いこっちを馬鹿でないかとしか見なくなる。
 実際3年前文書を持って町の人に呼びかけたが誰も信じない。怒っている人までいた。協力は求められない。県庁もまた同じように障害者の言い分は誰も信じないと思ったのか。
 法務省も知事が偉くこっちは障害者で揉み潰ししか考えていない。看板の面子にこだわる知事より実行犯の北上の小笠原夫妻と奥州の小野寺良子さんに的を変えた。地元では親を馬鹿と言うのは乗せられた元社協理事しかいないが他はこの3人だけになる。それも親を馬鹿と言って名誉市民になっている。それで北上と奥州の社協に親父の記録を届けた。馬鹿でも真似出来ますかと。
 無視するので全国の社協にばら撒き更に岩手の態度も知らせた。
 全国の社協は他県に関われないと思うが失笑や後ろ指は避けられなくそれでも県庁は相手にするなと言うままこれは障害者の言い分は誰も信じないからほっとけとなる。「一般県民にばれなければいいと全国からの失笑も後ろ指も気にするなと恥じも外聞もなんい姿勢らしい」。
 障害者という立場の弱さを逆手に取られこれは法務省も同じ。別の社会へ行けとしか考えていてない。友達一人残らず取られた上に後に残るのは一生負け犬扱いの差別だけになる。それに聾唖者は自分から友達作るのは困難で12年も完全孤立に耐えて来た。
 法務省は掲示板に実名使うと訴えられるぞとしか言わない。
 これはかん口令を逆手にとって書きたい放題にしたことで批判も反論も12年一つも来ない。来たのは妨害だけ。本音は掲示板の一部は外国に流れているから辞めさせろと言うことになる。
 世界一安全というキャッチフレーズの法務省が世界一当てにならないことになるからだ。法務省も法務局も見解一つ言わない。擁護係りを通して諦めろと言い別社会に行けと言う。厄介払いが本音。
 これは自立支援法廃止を逆手にした知事の暴走をばれなければいいと法律が当時無かった為容認したせいになる。
 北上のの小笠原さんと奥州の小野寺良子さんは名誉市民。
 親類の松岡一族の妹が大本家であり恩師である人に親父の悪口話し笑っていたのだから。実家は口封じして本人はかん口令の後ろに隠れた。小笠原夫妻の無責任に通訳資格剥奪追放を求めています。
 法務省への手紙は法務局に行けと言うだけ。6月に初めてメールでもう諦めたいと言うと諦めるなと言い法務局に行けと言う。行ってみると掲示板の話だけ。法務省へのメールは20回以上でも数日で返事すると言って3ヶ月も一つも返事しない。そして法務局への手紙は20回以上出して返事は知事をかばう暴走目こぼし権なんか無いと言うだけ。どうしても容認していることになる。法務省は障害者は馬鹿のうちとしか見ていないのか。
 法務省は本気で打開策を考えないなら世界中に掲示板を流してやると話している




 

初版第一の形態の5段落の誤訳について

 投稿者:杉本  投稿日:2018年10月 5日(金)12時08分23秒
返信・引用 編集済
    https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1676
  初版 商品  ③     ーーーーーの続きであります。

 改稿してみました。
 対象とされる5段落の正しい訳の全文をまず提示してみました。

https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm

 ⑤In der Ausdruck des relativen Wertes: 20 Yards Leinen = 1 Mantel (oder x Leinen ist wert des Fells), muss man zugeben, dass das Fell nur als Wert oder Koagulation der Arbeit zählt, aber gerade durch diese Tatsache, dass das Koagulation der Arbeit zählt als Mantel und Mantel als die Form, in die menschliche Arbeit fließt, um zu erstarren.
相対的価値:20ヤードのリネン= 1コート<1Mantel>(またはxリネンはコートの価値がある)の表現では、コートは仕事の価値または凝固としてしかカウントされないが、正確には凝固した 人間労働が凝結するための形態としてのコートであるとしてーーその意味で、コートとしてカウントされます。
 <既存訳今村--「・・の表現・・・形態として通用する。」ーー
 では無く「認められている」--江夏訳--であり、「カウントされる」
 物象の判断が4段落に示されているのだからーーと動作を示す必要あり>
In the expression of the relative value: 20 yards of linen = 1 coat (or x linen is worth the coat), one must admit that the coat counts only as a value or coagulation of the work, but precisely by this fact that the coagulation of the work counts as a cloak and coat as the form into which human labor flows to freeze.

Die Gebrauchswertschicht wird nur zur Erscheinungsform des Leinenwertes, weil sich das Leinen mit dem Material des Mantels wie mit einer unmittelbaren Materialisierung der abstrakten menschlichen Arbeit und damit mit der Arbeit derselben verhält, die objektiviert ist in der Wäsche selbst.
 <「使用価値としての上着がリネン=価値の現象形態になるのは、
  ただリネンが抽象的人間労働の直接的< Materialisierung>
  受肉としての上着素材<Material>に関係するからであり、
  この労働はリネン自身に対象化された労働と同質の労働である
  からである。」今村訳P288>
使用価値は、リネン価値の表現とすぐなりますが、リネンは、抽象的人間労働の即時的現れーーと同様に、その外装の材料で動作し、リネン自体の中で客観化されているため、リネン価値の表現になります。
The use-value layer only becomes the manifestation of linen value, because the linen behaves with the material of the mantle as with an immediate materialization of abstract human labor, and thus with the work of it, objectified in the linen itself.
  <上記・此処までは、なんと等価物上着などは対象とされず、
  であり、リネンの相対的価値形態の成立を目指した論理です。>

Der Gegenstand, das Fell, gilt als sinnlich greifbare Vergegenständlichung gleicher Arbeit und damit als Wert in natürlicher Form. Da es als Wert derselben Essenz wie der Mantel ist, wird die natürliche Formschicht dadurch zur Erscheinungsform ihres eigenen Wertes.
オブジェクト(コート)は、同等の作業の具体的なオブジェクト化、したがってその自然な形の価値のあるものとみなされます。 マントル<外装されたもの>と同じエッセンスの価値であるため、自然ーー形態はそれ自身の価値の現れとなります。
The object, the coat, is considered to be the tangible objectification of equal work, and thus of value in its natural form. As it is the value of the same essence as the mantle, the natural form layer thereby becomes the manifestation of its own value.

As it is the value of the same essence as the mantle, the natural form layer thereby becomes the manifestation of its own value.
マントル<外装されたもの>と同じエッセンスの価値であるため、自然のフォームはそれ自身の価値顕現となります。
<manifestation 顕現とは?明確に、上着はその自然的形態のままに価値形態とされることです。>

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 <上記の訳には、うん十年の年功が重なっています。>
 hirohiro さんの提示はこうでありました。

<牧野訳>
①<上着という対象は、亜麻布にとっては、人間労働であるという点で種を同じくする労働が、感覚的に、手で掴むことのできるように対象化された姿であり、従って、自然物の姿をとった価値なのである。>

②<亜麻布は、価値としては上着と同じ本質を持っているので、上着という自然物の形式が亜麻布自身の価値の現象形態になるのである。>

<今村訳> これは、牧野訳と同じであります。
②<「価値であるかぎりでのリネンは上着と同じ本質を持つのだから、実物形態の上着はリネン自身の価値の現象形態になる。」>

<このように、今村訳は、ちゃんと存在してるとして、牧野氏が提示してくれているドイツ訳を次に示したのです。>
杉本は、そこへの意見を書いてみます。

hirohiro さんの提示
ーー杉本パソコン訳ーー
①<Das Thema Fels wird als greifbare konkrete Objektivität ähnlicher menschlicher Arbeit angesehen, daher auch sein Wert in seiner natürlichen Form.>
対象とされる岩石は、同様の人間の労働の具体的な客観性であると考えられ、その自然な形での価値です。
①<The subject of rock is considered to be a tangible concrete objectivity of similar human labor, hence its value in its natural form.>

②<Da es sich um einen Wert der gleichen Art mit dem Rock handelt, ist die natürliche Form Rock somit die Manifestation ihres eigenen Wertes.>
それはスカートと同じ性質の値なので、自然な形態の岩石は、したがって、自分の価値の現れです。
②<Since it is a value of the same nature with the skirt, the natural form rock is thus the manifestation of their own value.>


では杉本はどんな提示をしたのか。
<杉本の提示>
①The object, coat, counts for it as a sensually palpable objectification of human labour of the same kind, and consequently as value in natural form.
オブジェクト(コート)は、同じ種類の人間の労働の感覚的に触知可能なオブジェクト化として、それゆえ自然な形で価値としてカウントされます。
②Since it is, as value, of the same essence as the coat, the natural form coat thereby becomes the form of appearance of its own value.
コートと同じエッセンスの価値があるので、自然な形のコートは、それによって、自分の価値形態になる。

 <では杉本の提示はどうなのか?異なるところの二つを比較してみよう>

<牧野提示の英訳>
Since it is a value of the same nature with the skirt,
それはスカートと同じ価値であることで、その自然的性質を示し、
the natural form rock is thus the manifestation of their own value.
自然な形態の岩石は、それゆえに、彼ら自身の価値の現れである。

<杉本提示>
②Since it is, as value, of the same essence as the coat,
②コートと同じエッセンスの価値があるので、
the natural form coat thereby becomes the form of appearance of its own value.
天然のフォーム<自然的形態であるままに>コートは、それにより、それ自身の価値の出現の形態<価値形態>になる。

<では自然な形態の岩石は、それゆえに、彼ら自身の価値の現れである>ーーとは何か?
  自然形態の岩石は、ーー
  自然的形態上着は、ーー彼ら自身の価値形態で有るということであります。
  自然的形態であるままにコートは、それ自身の価値形態であるのです。
これが、等価物上着がその自然的形態のままに価値形態とされる、転倒した姿なのです
  牧野訳提示の原文と、杉本提示の文とは少し違いがあるとはいえ、
  意味が異なるものではないと判断します。
再版では、この転倒した姿が、こう描かれています。


 3等価形態の第4・5段落です。現行新書版で言えば、原P70ー71であり、新書版P96ー97です。
④The first peculiarity striking in the consideration of the equivalent form is the following: Utility value becomes the manifestation of its opposite, the value.
④同等の形態を考慮した場合の最初の特異性は次のとおりです。ユーティリティー値は、価値の出現形態となります。

⑤ The natural form of the commodity becomes the value form. But, notabene, this quidproquo occurs for a commodity B (rock or wheat or iron, etc.) only within the value-relationship in which any other commodity A (canvas, etc.) comes to it, only within that relation.
⑤商品の自然形態が価値形態になります。しかし、notabene<注意せよ>、このquidproquo<取り違え>は、他の商品A(キャンバスなど)がその関係の中でのみ生じる価値関係の中でのみ、商品B(岩または小麦または鉄など)に対して生じる。

Since no commodity refers to itself as an equivalent, and therefore can not make its own natural skin the expression of its own value, it must refer to other commodity as an equivalent, or make the natural skin of another commodity its own value form.
コモディティはそれ自体を同等物と呼んでいるわけではないので、
独自の自然な肌を独自の価値で表現することはできないため、
他のコモディティを同等物として参照するか、
別のコモディティの自然な肌を<its own >それ自身の価値形態にする必要があります。


<再版を見ることで、どおうでしょうか?次の今村訳の扱いはどうなりましたか?>
<「価値であるかぎりでのリネンは上着と同じ本質を持つのだから、実物形態の上着はリネン自身の価値の現象形態になる。」>

 それが、再版訳ではこうなのです。初版原文訳を提示しないのです。
①<ユーティリティー値は、価値の出現形態となります。<別のコモディティの自然な肌をそれ自身の価値形態にする必要があります。>
②<自然な形のコートは、それによって、自分の価値形態になる。>
このように、今村訳に示される既存訳は、この上記の訳を、等価形態の第一の独自性を、排除しているのです。

 hirohiro さんの提示は、存在している訳文を無視するな--という注意でありました。
そんな訳文を無視した・次第ということでは、杉本の注意が足りず失敗でした。
その点での注意については、感謝します。


 

Re: 初版 商品  ③

 投稿者:hirohiro  投稿日:2018年10月 4日(木)19時22分1秒
返信・引用
  > No.1676[元記事へ]

ところが、これまでの訳の全てが、この価値形態の訳がなく、そして、全く不必要な、次の 文があったのです。原文にはありません!」

 「価値であるかぎりでのリネンは上着と同じ本質を持つのだから、実物形態の上着は
 リネン自身の価値の現象形態になる。」(今村訳P288)

上記の文章は初版資本論にあります。原文にもあります。念のため牧野訳36~37ページの原文と訳文を前文も含めて引用しておきます。

独語原文
Der Gegenstand Rock gilt ihr als sinnkich handgreifliche Gegenständlichkeit gleichartiger menschlicher Arbeit, daher als Wert in Naturalform. Da sie als Wert gleichen Wesens mit dem Rock ist, wird die Naturalform Rock so zur Erscheinungsform ihres eignen Wert.

日本語訳
上着という対象は、亜麻布にとっては、人間労働であるという点で種を同じくする労働が、感覚的に、手で掴むことのできるように対象化された姿であり、従って、自然物の姿をとった価値なのである。亜麻布は、価値としては上着と同じ本質を持っているので、上着という自然物の形式が亜麻布自身の価値の現象形態になるのである。

よく確認してから人の批判をした方がよいですよ。
 

暴走も隠し通せば名誉市民。

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年10月 2日(火)20時50分57秒
返信・引用
  暴走も隠し通せば名誉市民。
 岩手の盲ろう者友の会事務局長小笠原利行さんから当時読み書き出来ない聾唖者の猜疑心から出たのが次期会長の為おだてけしかけから親父と口利いたことも無い今は岩手県ろうあ協会会長でお前の親父は馬鹿なのだ妥協しろと言い馬鹿らしいとして退会した。
 後は相手が県の看板団体のため親父は馬鹿のままにして辞めた理由はデマを流しかん口令を広げた。口封じに関わった人も団体も友達も全部取り上げ何処の団体も行かせず、社会参加は12年に12回も妨害された。更に現在は3年前から手話通訳差別も続いている。
 情報センターさえ貸し出し拒否が10ヶ月も続いている。復権を賭けていい加減圧力は辞めて欲しいと訴え続けました。
 看板団体であることと辞めた頃自立支援法が廃止になっていたことから暴走はばれなければいいと法務省容認になっていた。法務省は見解一つ口にしない。
 法務局は手紙での意見などは20回も出して暴走目こぼし権なんか無いと言う知事をかばうときだけで他は一つも来ない。
 法務省はメールで20回も意見など出して数日で答える言って3ヶ月も一つも来ない。来たのは法務局に行けと言うだけ。文書は一つも来ない。これでは口約束になって揉み潰しやすくなる。
 6月にもう諦めたいと初めて法務省にメールしたら諦めるなと言い水沢法務局に行けと言う。話は掲示板に実名使うなというだけ。 これは外国にも流れるから辞めさせろとと言うのが本音。
 駆け引きばかりで相手しきれなく実行犯に目を移した。
 北上と奥州の社協に親父の記録を届けました。馬鹿でも真似出来ますかと。知事号令から関係者は全部知らん顔。
 親父は地元の民芸品で現代の名工に選ばれて知事表彰を受けています。機械に頼らぬ出来栄えです。
 それがどっちも無視するため全国の社協などにコピーをばら撒きました。全国の社協は他県に関われないと思いますが少なくとも全国から失笑と後ろ指が岩手に向けて飛ぶことになります。
 法務省は世界一安全と言うキャッチフレーズが知事をかばい此方の人権の破壊しか考えず世界一当てにならないことになる。
 ちなみに北上と奥州には此方の親を馬鹿と言って名誉市民になった人が居ます。北上は小笠原利行・ひとみ夫妻と奥州は小野寺良子さんです。いずれもボランティアが暴走を隠して名誉市民とは、これが外国にまで知れたら岩手どころか日本の恥じになります。



 

☆9・22反弾圧集会の全11動画+≪秘話:議員ネットとカンナマ≫をアップしたよ!

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月23日(日)22時15分57秒
返信・引用
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=10932;id=#10932

☆9・22反弾圧集会の全11動画+≪秘話:議員ネットとカンナマ≫をアップしたよ!


[NEW]  戸田  E-MAILWEB  - 18/9/23(日) 7:21 -

件名:急報!★「連帯支援!9・22反弾圧集会」の全11動画+≪秘話:議員ネットと
   カンナマ≫をアップした!(9/23早朝戸田)
本文:

「産業別労働運動と協同組合運動の両翼推進で資本主義打倒の新たな社会主義を構想する」、「革命21」http://www.com21.jp/ の革命左翼議員=門真市議の戸田から、各方面
のみなさんへ。  (拡散大歓迎。重複の節はご容赦)
=======================================

◆◆昨夜大盛況だった<労働組合つぶしの大弾圧抗議9・22緊急集会>
  http://workersvoice.net/2018/09/17/%E5%8A%B4%E5%83【URL短縮沸:C-BOARD】3

  の全動画12本を戸田HPの「新・戸田のYUチューブコーナー」に、集会での公言通
 りにアップしたので、ぜひご覧下さい。
  また、特別動画≪戸田が語る秘話!議員ネットと「カンナマ」≫も急遽作成アップし
 たので、併せて、自由に活用して下さい。
  (※個々の動画への「説明」記載までは手が回りませんでした。御理解下さい。)
   (もうすぐ「連帯ユニオン近畿地本大会」→城北朝鮮学校運動会に出かけます)
    ↓↓↓
「新・戸田のYUチューブコーナー」
  http://www.youtube.com/user/higetoda/videos?view_as=public
   ↓↓↓

★戸田が語る秘話!議員ネットと「カンナマ」:20分40
  https://www.youtube.com/watch?v=bWuQ818BFf0
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会1:開会あいさつ:2分
   https://www.youtube.com/watch?v=kNXi2XgYRDE
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会2:洋一書記長の説明:17分20
   https://www.youtube.com/watch?v=R2vFe8jOqlc
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会3:広瀬トラック支部委員長:6分
   https://www.youtube.com/watch?v=SMRRhgvY-78
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会4:永島弁護士:11分21
   https://www.youtube.com/watch?v=9DOwagHoH0o
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会5:西山役員・圧送・港合同・全労協:9分20
   https://www.youtube.com/watch?v=Vbzldmqalmg
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会7:北大阪合労(木村)・全交(山川):5分16
   https://www.youtube.com/watch?v=OA3Jh3gZGo8
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会8:★連帯ユニオン議員ネット(戸田):3分48
   https://www.youtube.com/watch?v=9bNj21HwptM
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会11:闘いの歌(川口真由美):10分
   https://www.youtube.com/watch?v=8btuiDkEnEg
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会12:カンパ報告とシュプレヒコール:8分
   https://www.youtube.com/watch?v=kpaTG0dwMNo
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 9/23(日)06:43 戸田ひさよし 拝

 

関生型労働運動, 反弾圧 労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 のお 知らせ

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月23日(日)15時34分58秒
返信・引用
  http://com21.jp/archives/28989
■ 日時:2018年9月22日(土)18時~
■ 場所:エル大阪5F南館ホール
 大阪市中央区北浜東3-14(地図)

■ 内 容:
 現状報告―空前の組合つぶし、いま何がおこっているのか
 実行委員会参加組合・団体からの発言、訴え!

■ 主 催:9・22集会実行委員会
 連絡先:全港湾関西地本大阪支部
 電話 06-6575-3131 FAX06-6575-3134

http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7826;id=01#7826
■生コン支部に今朝10数人の大量逮捕弾圧!大阪府警が連帯生コン支部をガサ入れし!
[NEW]  戸田  E-MAILWEB  - 18/9/18(火) 12:26 -

■生コン支部に今朝10数人の大量逮捕弾圧!
本日9/18(火)朝、大阪府警が連帯生コン支部をガサ入れ・大量逮捕!(戸田)

 門真市議の戸田から各方面の方々へ、緊急重大な情報です。(重複ご容赦)

■本日9/18(火)朝、大阪府警が関西地区生コン支部などをガサ入れするとともに、支部で10数人もの大量逮捕を行なった、という情報が飛び込んできた!

 ネットニュースでは9/18早朝の発信で、
 「・・・捜査していることが17日、捜査関係者への取材で分かった。
  府警はすでに大阪市西区の関生支部や関係先の家宅捜索を実施。
  府警は十数人が関与したとみて、近く幹部らから事情を聴く方針。・・」
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000508-san-soci
と書いてあるが、実際には10数人もの大量逮捕を行なった!

 詳しい事は今のところ、外部からは不明。

■「9/22(土)緊急抗議集会」を目前にしたところでの大量逮捕弾圧を絶対に許さない!
労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 すでにご存知のように滋賀県警組織犯罪対策課による8月9日、8月28日に連帯ユニオン関生支部への連続的弾圧が開始されている。28日には武建一執行委員長のほか支部役員2人が逮捕され、8月9日の1名の役員を含め計4人を不当逮捕したうえ、大阪市内の関西地区生コン支部事務所など多数ヶ所を家宅捜索した。その中には無関係箇所も含まれ、家宅捜索は違法で暴力的なのものであった。さらに大阪府警などの関西の各県警も弾圧拡大に動いている。

 この弾圧は労働組合活動を恐喝未遂容疑とするものであり、さらに他の警察権力は共謀罪などの適用をほのめかしている、労働組合活動の刑事免責を除外した一昔前から比べ、法律も変わらないまま一切の組合活動を刑事罰としようとするものである。これを許すなら憲法28条も必要ないとされ、資本家に有利な社会が作られていくことは明白である。今回の特徴は組織犯罪対策課が中心となり「警察庁の指示」といっていることである。いち労働組合への弾圧としては近年ない規模であり政府主導の新たな労働組合つぶしの開始といえる。

 日本において生コン業界を切り口に本格的産業別職種別の労働運動をめざし幾多の弾圧・妨害を乗り越えてきた連帯ユニオンの関生支部の闘い。これへの全面的破壊攻撃の開始である。断じて許すことは出来ない。滋賀県警は業者に対し「関生と手を切れ」といい、組合員には「組合加入の動機はなにか」と産業別中小企業労働運動破壊を公言している

 今こそ大企業の収奪とたたかい、辺野古新基地建設を許すな、原発再稼働阻止、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪反対を求め、安倍政権とたたかう労働組合つぶしを許すなの声をあげよう。
 そこで、こころある人々の9・22集会への賛同(無料)・参加を強く訴えます。滋賀県警への抗議を訴えます。
 

 交換過程

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月22日(土)10時27分26秒
返信・引用 編集済
  http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_099.htm

ぐーぐるほんやく
https://translate.google.co.jp/?hl=ja

  <『価値形態論と交換過程論』での前編を読んでいて、なんだか、扱っていること
  が交換過程論ばかりで、価値形態論への言及があまりに少ない事に気づいた。
  しかし、交換過程論は、むしろ久留間先生が否定する価値形態論への言及の拡大で
  あり、追求の徹底なのではないか?と思えるのです。流通手段においても、扱って
  いることは、商品・貨幣の二重の形態であり、商品形態なのです。>

           交換過程 6・7段落に注意してほしい!
    そこでの記述は、交換過程の条件ではなく、その前段なのです。
    1 物象の社会関係が  、
            2<物象の人格化・人格の物象化>を受けとるーーことがあって、
           3その次に交換過程が展開されるのです。
    価値形態論での物象の社会関係の次が、すぐさま、交換過程では
    ないのです。>

   Der Austauschprozeß
   交換プロセス
   The exchange process
 <99>
 ①商品は市場に出ることはできず、自分自身を交換することはできません。だから私たちは彼らの飼い主、商品の所有者を見なくてはなりません。商品はものなので、人間に抵抗することはありません。彼らが喜んでいない場合、彼らは力を使用することができます、つまり、それらを取ることができます。

(37)物品としてこれらの物をお互いに関連させるためには、財産保持者はその物に住む意志のある人物として行動しなければならず、したがって、それぞれが外国の商品彼または彼女自身の財産を売却することによって、どちらか一方または両方の共通の意志によって、したがって、彼らは相互に個人所有者として認識する必要があります。

この法的関係は、その形式が法的であるか否かにかかわらず、経済的関係が反映された意志である。この法律または意志の関係の内容は、経済関係そのものによって与えられる。 (38)

ここには、商品の代表者として、したがって商品所有者としてしか存在しません。

このことは、分析のさらなる進路において、人の経済的性格のマスクは、彼らの提示とは反対の経済的諸関係<諸範疇>の人格化であることが分かるだろう。
 <「物象の人格化と人格の物象化の対立」原P123--と示されたことがらです。>

① The goods can not go to the market themselves and can not exchange themselves. So we have to look after their keepers, the goods owners. The goods are things and therefore without resistance to humans. If they are not willing, they can use force, in other words, take them.

(37) In order to relate these things to one another as goods, the goods keepers must behave as persons whose will lives in those things, so that one only with the will of the other, that is, each one acquires the foreign commodity only by means of one or both common wills, by selling off his own property. They must therefore mutually recognize each other as private owners.

This legal relationship, the form of which is the contract, legal or not, is a volition in which the economic relationship is reflected. The content of this relationship of law or will is given by the economic relation itself. (38)
The persons exist here only <100> for each other as representatives of commodities and therefore as commodity owners. In the further course of development we shall find that the economic character masks of persons are only the personifications of the economic relations which they oppose.

 ②特に商品の所有者を商品と区別することは、他のすべての商品が自分の価値の現れとみなされるという事実である。生まれながらのレベラーと冷笑的な彼女は、常に他のすべての商品とともに、魂だけでなく体を変えるために、Maritorneよりも多くの不便を抱えていても、常に移動中です。商品所有者は、独自の5つ以上の感覚を通じて、商品の具体的な意味の欠如に加えます。

彼の商品は、彼のためにすぐには使用価値がありません。さもなければ、彼は彼女を市場に導かなかった。それは他人のための有用性の価値があります。彼にとって、それはすぐに交換価値のベアラーであるという有用性の価値しか持たず、したがって交換の媒体となる。 (39)

そのため、使用価値のある商品で販売したい。すべての商品は、所有者の非使用アイテム、非所有者のユーティリティ値です。だから、あなたはあらゆる面で手を変えなければなりません。しかし、この手の変化は彼らの交換を形作り、交換はそれらを価値として結びつけ、価値として実現する。
したがって、商品は、使用価値として実現される前に価値として実現されなければなりません。
  <杉本 使用価値として実現ーー価値として実現、の関連
   が示されることで、ここからは、価値論ではなく交換過程論が示されている。>

 ③他方では、価値として実現される前に有用な価値を証明しなければならない。
それに費やされる人間の労働は、それが別の有用な形で費やされている限りにおいてのみ重要である。 彼らが他の人に有益であるかどうかに関わらず、彼らの製品は外国のニーズを満たしますが、彼らの交換を証明することしかできません。

 ④すべての商品所有者は、その使用価値が彼の必要性を満たす他の商品に対してのみ商品を販売したいと考えています。 交換が彼のためのものであれば、個々のプロセスだけです。 一方で、彼は自分の商品が価値あるもの、つまり同じ価値の他のすべての商品で、自分の商品が現在他の商品の所有者にとって有用な価値を持っているかどうかを認識したい。 そうであれば、交換は一般的に彼のための社会的プロセスです。 しかし、同じプロセスは同時に、個人であると同時に、すべての商品所有者にとって一般的に社会的ではありません。

②What differentiates the owner of the goods from the commodity in particular is the fact that every other commodity is regarded as manifestation of its own value. Born Leveller and cynic, she is therefore always on the go, with every other commodity, even the same equipped with more inconvenience than Maritorne, not only the soul, but to change the body. The commodity owner adds to this lack of meaning for the concrete of the commodity through its own five and more senses. His goods have no immediate use value for him. Otherwise he did not lead her to market. It has utility value for others. For him, it immediately has only the utility value of being the bearer of exchange value and thus the medium of exchange. (39) Therefore he wants to sell it for commodities whose use value satisfies them. All goods are non-use items for their owners, utility values for their non-owners. So you have to change hands on all sides. But this change of hands forms their exchange, and their exchange links them as values and realizes them as values. The goods must therefore be realized as values before they can be realized as use values.

③On the other hand, they must prove to be useful values before they can be realized as values. For the human labor expended on them counts only insofar as it is spent in another useful form. Whether they are useful to others, their product therefore satisfies foreign needs, but can only prove their exchange.

④Every commodity owner wants to sell his commodity only against other commodity, whose use-value satisfies his need. If the exchange is for him only an individual process. On the other hand, he wants to realize his commodity as a value, that is, in every other commodity of the same value, whether his own commodity now has utility value for the owner of the other commodity or not. If so, the exchange is generally a social process for him. But the same process can not at the same time be individual and at the same time only generally social for all commodity owners.

 ⑤もっと詳しく見ると、すべての外国の商品は他のすべての商品と同じ商品として扱われ、その商品は他のすべての商品の一般的な商品とみなされます。 しかし、すべての商品所有者は同じことを行うので、商品は一般的な同等物ではないため、商品は一般的な相対的な価値形態を保有しておらず、価値として自己を価値と見なし、 したがって、彼らは商品にまったく反対するのではなく、商品や使用価値としてのみ反対します。
If we take a closer look, every foreign commodity is regarded as every other commodity as the particular equivalent of its commodity, and its commodity as the general equivalent of all other commodities. Since, however, all commodity owners do the same, no commodity is general equivalent, and therefore the commodities do not possess a general relative form of value, in which they equate themselves as values and compare them as values. Therefore, they are not opposed to goods at all, but only as products or use values.

 ⑥彼らの恥ずかしさの中で私たちの商品所有者はファウストのように思う。最初は行為でした。彼らは彼らが思う前に既に行動しています。商品性の法則は、商品所有者の自然本能にあった。彼らは一般的なものとして他の商品に言及するだけで、商品として価値として、したがって商品としてのみ関連付けることができます。この結果、商品の分析が行われました。

しかし、社会的行動だけが、特定の商品を一般的に同等にすることができます。したがって、他のすべての商品の社会的行動は、すべての面で価値を表現している特定の商品を排除します。

したがって、Naturalform商品は社会的に有効な同等の形態になります。
社会的プロセスを通して、普遍的な同等物は、除外された商品の具体的な社会的機能となる。
それは彼女がどのようになりますか?貨幣です。
 ⑥In their embarrassment our commodity owners think like Faust. In the beginning was the act. They have already acted before they thought. The laws of the commodity nature were in the natural instinct of the commodity owners. They can relate their commodities only as values, and therefore only as commodities, by referring them to any other commodity as a general equivalent. This resulted in the analysis of the goods. But only social action can make a certain commodity the general equivalent. The social action of all other commodities therefore excludes a certain commodity in which they express their values ??on all sides. Thus, the Naturalform commodity becomes socially valid equivalent form. Throughout the social process, the universal equivalent becomes the specifically social function of the excluded commodity.
That is how she becomes - money.
"このような問題を解決するための手段は、他に類を見ないものであり、自明ではありません。 <"彼らは意見があり、誰も売買することのできない獣に力と力を与えます。なぜなら彼は動物の名前または彼の名前の数というマークを持っているからです。">(黙示録)

 ⑦マネークリスタルは、多様な作業成果物が実際に互いに釣り合って実際に商品に変わる交換プロセスの必要な製品です。歴史的な拡大と交換の深化は、商品性のユーティリティ価値と価値との間の休止期の対比を生じさせる。

交通のためにこのコントラストを外部的に描く必要性は、商品価値の独立した形態に駆り立てられ、商品を商品と貨幣に倍増させることによって最終的に達成されるまで休まず、休まない。

したがって、労働生産物の商品への変換と同じ程度で、商品の貨幣への変換が行われる。 (40)

 <杉本 注意!既存訳では、いずれも、「交換過程の必然的産物」との訳です。
 <貨幣結晶>は、・・が実際に互いに釣り合って実際に商品に変わる交換プロセスに
 必要な製品・・なのですから、準備段階を示しているのであり、未だ交換過程は登場
 できてていない!
 もう交換過程が登場していると、理解していると、次のつながりを捨象してしまう、
 のです。
 まず①しかし社会的行動だけが、特定の商品を一般的に同等にすることができます。
    他のすべての商品の社会的行動は、すべての面で価値を表現している特定の商
    品を排除します。
 次に②商品の貨幣への転化・貨幣の商品への転化があり、そのことを示して、労働生
    産物の商品への変換と同じ程度で、商品の貨幣への変換が起こるーーとあり、
 次に③貨幣形態の登場と、それが、貴金属に移行する、ことが、8段落から語られる
    のであり、そして
    ④この① ②があって、
    <彼らの恥ずかしさの中で私たちの商品所有者はファウストのように思う。
    最初は行為でした。>ーーとされたことが、
    次にやっと、交換過程が登場できるのです。>

    <なるほど、久留間先生は、前の⑥段落を引用している。P23です。
    しかし、前段であるものを、交換過程での共同行為ーーとのみそのことを断ず
    る・決めつけることでーーこの二つの過程をともに捨象して、物象の人格化を
    先生は据えることが、ここで、出来なかったのです。
   a価値形態論ではー物象の社会関係が論議されたのであり、
   b交換過程への準備では物象の人格化・人格の物象化が、まず問われたのです。

    ところが先生は、彼の著書のP90にて、宇野先生の主観性を批判して述べて
    いる。
   「・・<前者において>商品のほうがもともと主体なのであり、所有者は、商品
    のロボットにすぎないのである。「人格の物化および物の人格化」といわれる
    ゆえんである。」ーーと主張するのです。
    a物象の社会関係がまず形成されるーー価値形態ーーと、
    b物象の人格化として問われる、交換過程論の形成が、
    先生は、区別できず、この二つの過程を混同してしまったのです。
    この混同のもとでは、⑨<課題は、その解決手段と同時に発生します>ーーと
    の段落をふまえて、
   <⑩⑪"今、金と銀は自然にはお金ではなく、お金は自然に金と銀です">と解
    釈の助け舟が出ているのに、先生は、交換過程への入り方が、対象化できな
    かったのです。それは⑧ ⑨段落で、両極の形態が論議されているのに、捨象
    しているからです。>
 ⑦The money crystal is a necessary product of the exchange process, in which diverse work products are actually equated with each other and therefore actually turned into commodities. The historical expansion and deepening of exchange develops the dormant contrast between utility value and value in the commodity nature. The need to externally portray this contrast for traffic drives to an independent form of commodity value and does not rest and rest until it is finally achieved by doubling the commodity into commodity and money. In the same degree, therefore, in which the transformation of labor-products into commodities, the transformation of commodities into money takes place. (40)

 ⑧一方では、製品の即時交換は、価値の単純な表現の形をしており、他方ではまだ存在していない。その形はxコモディティA = yコモディティBであった。直接商品交換の形態は次の通りである。
x量の使用対象A = y量の使用対象B(41)
物AとBは交換前の商品ではなく、同じものである。

可能性に応じて商品が交換価値となる最初の方法は、非使用価値、その所有者の即時の必要性を超える使用価値の量としての存在である。それ自体の物は人間の外にあり、したがって消耗品です。この疎外が互いに排他的であるためには、人々は暗黙のうちに、それらの外来物の私的所有者として、したがって互いに独立した人として自分自身に反対する必要があります。
 <互いに独立した人として自分自身に反対するーー物象の人格化ーーであります。>
しかし、このような相互の奇妙な関係は、原始的なコミュニティの構成員にとっては存在しない。

今や、家父長家族、古代インドの共同体、インカ州などの形をしている。財の交換は、外国人との接触や外国のコミュニティとのつながりの点でのみです。しかし、物事が海外に行くとすぐに、彼らはまた、内部のコミュニティの商品に戻る。

彼らの量的交換は当初は全くランダムであった。交換<103>バー、彼らは彼らの所有者が彼らを相互に販売する意志の行為です。

一方、外国の商品の必要性は徐々に確立されつつある。交換の一定の繰り返しは、それを規則的な社会的プロセスにしている。したがって、時間の経過とともに、少なくとも一部の作業成果物は、交換のために意図的に生産されなければならない。

この瞬間から、一方では、離別は、
   即時の必要性のための物事の有用性と、交換のための有用性との間
にあります。彼らの使用価値は交換価値とは異なります。

他方、彼ら自身が交換する量的比率は、生産自体に依存する。習慣は値の大きさとしてそれらを修正します。
 ⑧On the one hand, the immediate exchange of products has the form of the simple expression of value and on the other hand it does not yet exist. That form was x commodity A = y commodity B. The form of direct product exchange is: x commodity A = y commodity B. (41) Things A and B are not commodities before the exchange, but are only through the same. The first way in which a commodity is, according to possibility, exchange-value, is its existence as a non-use-value, a quantity of use-value exceeding the immediate needs of its owner. Things in and of themselves are outwardly external to man and therefore expendable. For this alienation to be mutually exclusive, people only need tacitly to oppose themselves as private owners of those alien things, and thus as persons independent of each other. Such a relationship of mutual strangeness, however, does not exist for the members of a primitive community, it now has the form of a patriarchal family, an ancient Indian community, an Inca state, etc. The exchange of goods begins where the polities end, at the points of their contact with foreign polities or Linking foreign communities. But as soon as things go abroad, they also turn back into commodities in the inner community. Their quantitative exchange is initially quite random. Exchange <103> bar, they are by the act of will their owners to sell them reciprocally. Meanwhile, the need for foreign commodities is gradually becoming established. The constant repetition of the exchange makes it a regular social process. Over time, therefore, at least some of the work products must be deliberately produced for the purpose of replacement. From this moment, on the one hand, the divorce attaches itself between the usefulness of things for the immediate need and their usefulness for exchange. Their use value is different from their exchange value. On the other hand, the quantitative ratio in which they exchange themselves depends on their production itself. The habit fixes them as value sizes.

 ⑨製品の即時交換では、各製品は所有者の非所有者に相当する直接的な交換手段ですが、その使用価値がある限りです。したがって、バーター<物々交換>商品は、それ自身の使用価値または交換者の個々のニーズとは無関係にいかなる価値形態も受けていない。

この形式--形態の必要性は、交換プロセスに入る品物の数と種類の増加とともに進化しています。課題は、その解決手段と同時に発生します。

商品所有者が異なる商品を異なる商品と交換して比較する取引は、異なる商品が同一の第3の商品との取引で異なる商品所有者によって交換されずには、値として比較されることはない。

このような第3の商品は、他の商品と同等になり、狭い範囲内ではあるが一般的または社会的に同等の形で直接受け取る。

この一般的な同等形態が生まれ、瞬間的な社会的接触が起こり、それが現実になった。彼女は交代して一瞬のうちにこの商品やその他商品が来る。しかし、商品交換の発展に伴い、それは特別な種類の商品に専念するか、貨幣形態に結晶化する。
どの種類の商品がそれらに貼り付いているかは、最初はランダムです。

しかし、全体として、2つの状況が決定します。
貨幣の形態は、国内商品の交換価値の実際の現れである最も重要な外国為替商品、または国内の譲渡不能所有の主要要素を構成する商品に付随する。
牛などですね。

彼らのすべての所有物は移動式のものであり、したがって直接外国人の形態であり、彼らの生活様式が絶えず彼らを外国のコミュニティと接触させ、したがって製品を交換することを目的としているため、ノルマンディン人はまずマネーフォームを開発する。人々はしばしば、奴隷の形態でさえも、元金の材料を作ったが、土地は決して作っていない。

そのような考え方は、既に教育を受けている市民社会においてのみ生じうる。それは17世紀の最後の3分の1から始まり、フランスのブルジョア革命後の1世紀後に全国規模でその執行が試みられました。
 ⑨In the immediate exchange of goods, each product is a direct means of exchange for its owner, equivalent to its non-owner, but only as far as they are use value for him. Thus, the barter article does not receive any value form independent of its own use value or the individual need of the exchangers. The necessity of this form evolves with the growing number and variety of goods entering the exchange process. The task arises simultaneously with the means of its solution. A trade in which commodity owners exchange and compare their own articles with various other articles never takes place without different goods being exchanged by different commodity owners within their trade with one and the same third commodity and compared as values. Such third commodity, becoming equivalent to other commodities, receives directly, though within narrow limits, general or social equivalent form. This general equivalent form arises and passes with the momentary social contact that brought it into being. Alternating and fleeting she comes to this or that commodity. With the development of the exchange of goods, however, it adheres exclusively to special types of goods or crystallizes into money form. Which type of goods sticks to them is initially random. However, on the whole, two circumstances decide. Money form attaches either to the most important foreign exchange items, which are in fact natural manifestations of the exchange value of the domestic products, or to the commodity which constitutes the principal element of the domestic alienable possession, as e.g. Cattle. Nomadic peoples first develop the money form, because all their belongings are in a mobile, hence directly alien form, and because their way of life constantly brings them into contact with foreign communities, and therefore aims to exchange products. People have often made man, even in the form of a slave, the original material of money, but never the land. Such idea could arise only in already educated civil society. It dates from the last third of the 17th century, and its execution, on a national scale, was attempted only a century later in the bourgeois revolution of the French.

 ⑩したがって、商品の交換が唯一の地方の絆を破るのと同じ割合で、商品の価値は一般的に人間労働の重要性にも及んでいますが、貨幣形態は商品に渡されます。貴金属に対する普遍的な同等の社会的機能のあるものです。

 ⑪今、「金と銀は自然にお金ではありませんが、お金は本質的に金と銀です」(42)は、その自然の性質とその機能との合同性を示しています。 (43)

これまでは、商品の価値を提供するための兆候として、あるいは商品の価値が社会的に表現されている素材として、お金の1つの機能しか知りませんでした。

抽象的で同等な人間の労働の価値や材料の適切な表明は、すべての標本が同じ統一的品質を持つ問題でしかない。一方、価値と価値の差は純粋に定量的なものであるため、貨幣商品は純粋に量的な差異、すなわち任意にそれを分割し、その部分から再組み立てすることができなければならない。しかし、金と銀は自然の性質を持っています。

 ⑩In the same proportion, in which the exchange of goods breaks its only local ties, and the value of commodities, therefore, extends to the materiality of human labor in general, the money-form passes over to commodities, which by nature are fit for the social function of a universal equivalent, to the noble metals.

 ⑪Now, "although gold and silver are not naturally money, and money is by nature gold and silver" (42) shows the congruence of their natural properties with their functions. (43) So far we know only the one function of money, as manifestation to serve the value of the commodity or as the material in which the values ??of commodities express themselves socially. Adequate manifestation of the value or material of abstract and therefore equal human labor can only be a matter of which all specimens have the same uniform quality. On the other hand, since the difference of value-values ??is purely quantitative, the money commodity must be capable of purely quantitative differences, that is to divide it arbitrarily and to be able to be reassembled from its parts. But gold and silver have these properties of nature.

 ⑫お金の使用価値は倍増する。 商品としてのそれらの特定の実用価値に加えて、例えば金など。 中空歯、贅沢品の原料などを詰めるために、それはその特定の社会的機能から得られた正式な有用性を受け取る。
 ⑬他のすべての商品はお金の特別な同等物であり、貨幣はそれらの普遍的な同等物であるので、一般商品としての貨幣に、特別な商品として行動する。 (44)

 ⑫The utility value of the money doubles. In addition to their particular utility value as a commodity, such as gold, e.g. for stuffing hollow teeth, raw materials of luxury articles, etc., it receives a formal utility derived from its specific social functions.
 ⑬Since all other commodities are only special equivalents of money, and money their universal equivalent, they behave as special goods to money as the general commodity. (44)

 ⑭貨幣形態は、ある商品に付随する他のすべての商品の関係の反映に過ぎないことが分かっている。その貨幣は商品である(45)ので、後でそれを分析するために、彼の完成した形態から始まる人のなす--唯一の発見です。

交換プロセスは、商品を価値にではなく<貨幣>に変換する商品であるが、その価値の形態を与える。
<①交換過程は、価値形態を与えることで、商品を貨幣に変換する商品の、共同行為>

2つの決定の混乱は、<①貨幣は商品 商品は価値形態 ②商品は価値形態>金と銀の
価値が想像上であると考えるように導いた。 (46)
特定の機能の貨幣は、それ自体の兆候(商標)に取って代わることができるので、もう一つの誤りはそれが単なる兆候(商標)であるということでした。

一方、物事の貨幣形態は、それ自体が外見上のものであり、単に隠された人間の状況の兆候であるという疑いがあった。

この意味で、価値はすべて、それに費やされた人間労働の事実上の<外皮>カバーに過ぎないので、すべての商品は記号になります。 (47)

しかし、社会的特性を考慮すると、特定の生産方式に基づいて得られた社会的決定要因であるもの、または客観的特性が単なる兆候であると同時に、彼らは人々の反射関係の任意の製品なのです。

18世紀のこの普遍的な啓蒙は、少なくとも当分の間は、創造のプロセスがまだ解読できなかった人間の状況の謎めいた人物に対する不思議さを浮き彫りにするためであった。
 ⑭It has been seen that the form of money is only the reflex of the relations of all other goods attached to one commodity. That money is commodity (45) is thus only a discovery for the one who starts from his finished form in order to analyze it afterwards. The exchange process gives the commodity which it transforms into money not its value but its specific value form. The confusion of the two determinations led one to think that the value of gold and silver was imaginary. (46) Because money in certain functions can be replaced by mere signs of itself, the other error was that it was a mere sign. On the other hand, there was the suspicion that the money form of the thing was itself outwardly and merely the manifestation of hidden human circumstances. In this sense, every commodity would be a sign, because value is only a matter-of-fact cover of the human labor spent on it. (47) But if one considers the social charac- ter, which things, or the objective characters, which social determinants of labor Obtained on the basis of a certain mode of production, for mere signs, they are at the same time declared to be arbitrary products of reflection of men. It was this popular enlightenment of the eighteenth century, in order to shed, at least for the time being, the semblance of strangeness on the enigmatic figures of human circumstances whose process of creation one could not yet decipher.

 ⑮商品の同等形態には、その価値の定量的な決定は含まれていないことに留意したばかりです。金が他のすべての商品と直接的に交換可能であることが分かっている場合、どれくらいの金額があるか分かりません。

金10ポンドは価値があります。すべての商品と同様に、お金は他の商品に比べて相対価値があるだけです。その独自の価値は、その生産に必要な労働時間によって決定され、同量の労働時間が凝固している他のすべての商品の数量で表されます。 (48)

この相対価値の決定は、その生産源による直接交換において行われる。
それがお金<貨幣>として流通に入るとすぐに、その価値はすでに与えられています。

17世紀の最後の数十年の早い時期に、貨幣分析の始まりが遠くから離れていて、貨幣が商品であることを知っていれば、それはほんの始まりにすぎません。難しさは、お金が商品であることを理解することにあるのではなく、商品はどのように、なぜ、どう貨幣であるのかということにあります。
   The difficulty lies not
   in understanding that money is commodity,
   but how, why, by which commodity is money.

 ⑮It has just been remarked that the equivalent form of a commodity does not include the quantitative determination of its value.

If it is known that gold is directly exchangeable with all other commodities, then one does not know how much, for example.

10 pounds of gold are worth.
Like every commodity, money can express its own value only relatively in other commodities. Its own value is determined by the labor-time required for its production, and expressed in the quantity of every other commodity in which the same amount of working-time has coagulated. (48) This determination of its relative value takes place in direct exchange by its source of production. As soon as it enters the circulation as money, its value is already given. If, as early as the last decades of the seventeenth century, the beginning of monetary analysis was far from over, knowing that money is commodity, it is only the beginning. The difficulty lies not in understanding that money is commodity, but how, why, by which commodity is money. (49)

 ⑯私たちは、どのようにして価値の最も簡単な表現で見た商品A = yコモディティBは、社会的性質としてこの関係とは無関係に同等の形を保有しているようである。

私たちはこの誤った注釈の添付を追跡しました。

これは、一般的な同等の形態が特定の種類の商品の自然形態とともに成長したり、貨幣形態に結晶化したりするとすぐに完成する。

他の商品はその価値のすべての側面であるため、商品はお金になるとは思われませんが、逆に、貨幣であるため、逆に商品の価値を表すように見えます。

仲介運動は、それ自身の結果で消滅し、背後には痕跡が残らない。

彼らの介入なしに、商品は、商品外の身体として、自分の価値形態を見つけます。地球の腸から出てくる金と銀は、同時にすべての人間労働の即身化につながっています。したがって、お金の魔法です。

彼らの社会的生産過程における人々の単純な原子的行動、したがって彼ら自身の制御と意識的な個人的行動とは無関係な生産関係の事実上の形態は、労働生産物の一般的な商品形態です。

したがって、貨幣の魅力の謎は、目に見えて任命されただけであり、商品のフェティシズムの目を眩まさせるパズルです。
 ⑯We saw that, even in the simplest expression of value, x commodity A = y commodity B, the thing in which the value-size of another thing is represented, seems to possess its equivalent form independently of this relation as a social nature-property. We traced the attachment of this false note. It is completed as soon as the general equivalent form has grown together with the natural form of a particular type of commodity or crystallized into a monetary form. A commodity does not seem to become money first, because the other commodities are all sides of their values ??in it, but conversely, they generally seem to represent their values ??in it, because it is money. The mediating movement disappears in its own result and leaves no trace behind. Without their intervention, the goods find their own value form as an out-of-commodity body. These things, gold and silver, coming out of the bowels of the earth, are at the same time the immediate incarnation of all human labor. Hence the magic of money. The merely atomistic behavior of men in their social production process, and therefore the factual form of their own relations of production, independent of their control and their conscious individual action, appears first in the fact that their products of labor in general assume the form of commodities. The mystery of the money fetish is therefore only the visibly ordained, the eyes dazzling puzzles of commodity fetishism.


  <①他の商品はその価値のすべての側面であるため、商品はお金になるとは思われま
  せんが、逆に、お金であるため、逆に商品の価値を表すように見えます。>
  <②彼らの社会的生産過程における人々の単純な原子的行動、したがって、彼ら自身
  の制御と意識的な個人的行動ーーとは無関係な生産関係の事実上の形態は、労働生産
  物の一般的な形態として商品になる、ことを見えないが基礎・土台にしている。>

  <上記は、見落としてしまうが、労働生産物が物的形態のままに、商品形態を受け取
  っているーーと述べているのではない。物象が商品を価値形態と判断するのであり、
  使用価値と価値形態の商品形態を与えることが、省かれて、労働生産物の自然的形態
  のままに受けとる現象形態を、批判している。>


  <交換過程論は、むしろ再版ではなく、初版の物神性論からのつながりの方が、
   理解しやすい。以下は、前段よりも、後段の交換過程に向けての解説ーーと理解
   した方がとても分かりやくすくなり、思わず、膝をうってしまいます。
  <下記は、一般的相対的価値形態において諸商品が、価値形態をとることを、示して
   いるのではなく、物神性論にて示されているように、両極の形態を取らずに、
   再度・等価形態を取らずに、なのです。交換過程においても、両極の形態をとるは
   ずが、どちらの形態でも無く、直接的に次のことが起こるとの批判です。
   労働諸生産物がその姿態のままに、価値形態とされる--転倒象なのです。>

  https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1660
  商品のフェティシズムの性格とその秘密 の初版 再版 の対比(そのⅡ)

   初版物神性論
  ⑦したがって、労働時間による価値量の決定は、相対的な商品価値の動きの中に潜ん
  でいる謎である。
  生産者自身の社会運動は、生産者がその動きを制御するのではなく、その制御下にあ
  るオブジェクトの動きの形態を所有している。
  最終的には価値形態に関わる限り、私たちは、民間労働者の社会的関係とその結果と
  して私的労働者の社会的決定を客観的に覆い隠すのはちょうどこの形態に過ぎないこ
  とに気付く。私がコートと言うなら、ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的な物質化
  としてリネンに関係しています。

  しかし、コート、ブーツなどの生産者がこれらの商品をユニバーサル相当品として
  リネンに関連付けると、彼らの私的労働の社会的関連性は、まさにこの狂気のような
  形で現れます。(原P38~39)
  <彼らの私的労働の社会的関連性は、まさにこの狂気・・>


   ーー 交換過程ーー
  <仲介運動は、それ自身の結果で消滅し、背後には痕跡が残らない。
  彼らの介入なしに、商品は、商品外の身体として、自分の価値形態を見つけます。
  地球の腸から出てくる金と銀は、同時にすべての人間労働の即興化につながっています。
                      <人間労働の直接的化身・江夏訳初版P82>
  したがって、貨幣の魔法ですね。>

  <どうか次を参照願います。この交換過程論の解説は、素晴らしく久留間理論の批判ができています。>
   第50回「『資本論』を読む会」の報告 その2
   https://blog.goo.ne.jp/sihonron/e/914bf64884f692febecd9155fddd63c1


   第45回「『資本論』を読む会」の報告
   http://p.booklog.jp/book/19345/page/2558301


   http://p.booklog.jp/book/19345/read

 

あいつの親父は馬鹿と言って名誉市民

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年 9月22日(土)03時32分23秒
返信・引用
    あいつの親父は馬鹿と言って名誉市民
 知事号令によって看板団体の暴走を隠すために親を馬鹿にしたまま暴走した。親父を馬鹿と言う北上の小笠原利行さんと奥州の小野寺良子さんはそれぞれ名誉市民になっていた。もっとおかしい事は法務省がこれらを容認していた。
 岩手の看板とはとんでもない話です。法務省は20回近く意見送り数日で返事すると言って3ヶ月一つも返事しない。
 法務局への手紙も20回は出している。その数だけ意見になるはずが暴走目こぼし権なんて無いと言う知事をかばうときだけ。
 暴走は容認されていることになる。
 此方は暴走隠しから誰一人と関われず団体も友達も全部取り上げ何処り団体も行かせず社会参加は12年で12回の妨害です。
 とりわけ聾唖者は友達は簡単に作れないもの。それが全部取り上げられて完全孤立が12年になります。
 そして北上と奥州の社協に親父の記録を届けても知らん顔している。しかも法務省も容認している。
 全国の社協にも親父の記録を届けて居ます。岩手県庁と法務省から関わるなとされたのですか。こちらとしては余計な関わりは迷惑だけになるため知らせたという形です。
 人の親を馬鹿と言ってそれぞれ名誉市民だとは。これほどの無責任は通訳資格剥奪追放すべきです。掲示板の中に入って妨害ばかりかお前の親父は馬鹿なのまだとあざ笑いしていた。これが岩手の看板か、恥さらしではないか。北上の社協はそれでも知らん顔している。親父の記録を読み直して馬鹿が名工と呼ばれますか。地元社協でも役場でも町の人にでも聞けばいいです。
 それに最初に親を馬鹿と言い出したのは当時次期ろうあ協会会長でゴマすりから踊らせたことになります。それも読み書きの出来ない聾唖者の猜疑心から来た。しかも親父と口利いたことも無い。更に本人は知らなかったと言えば正義になると言い張り約束守ることも詫びることもせず、知らなかったの一声で全てをチャラにした。 無責任でもこれも県の看板です。
 親の不名誉と此方の復権のために暴走を正当化する扱いはもう辞めていただきたい。
 自立支援法が廃止になった後で友の会を辞めた為知事の暴走をとがめないのはばれなければいいことにして障害者の一人りくらいと容認されていた。2年も前から法務局と関わっているのに解決する気も無く見解も来ない。擁護係りから諦めて別団体へ行けと言うだけしか来ない。知事が偉いから正しく障害者個人はどうでも良いとされている。ばれてしまえば知事だけかばう訳に行かない。既に全国に知らせてあります。
 

関生型労働運動, 反弾圧 労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 のお 知らせ

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月21日(金)19時20分7秒
返信・引用
  http://com21.jp/archives/28989
■ 日時:2018年9月22日(土)18時~
■ 場所:エル大阪5F南館ホール
 大阪市中央区北浜東3-14(地図)

■ 内 容:
 現状報告―空前の組合つぶし、いま何がおこっているのか
 実行委員会参加組合・団体からの発言、訴え!

■ 主 催:9・22集会実行委員会
 連絡先:全港湾関西地本大阪支部
 電話 06-6575-3131 FAX06-6575-3134

連帯ユニオン関生支部への大弾圧9・22抗議緊急集会への訴え

労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 すでにご存知のように滋賀県警組織犯罪対策課による8月9日、8月28日に連帯ユニオン関生支部への連続的弾圧が開始されている。28日には武建一執行委員長のほか支部役員2人が逮捕され、8月9日の1名の役員を含め計4人を不当逮捕したうえ、大阪市内の関西地区生コン支部事務所など多数ヶ所を家宅捜索した。その中には無関係箇所も含まれ、家宅捜索は違法で暴力的なのものであった。さらに大阪府警などの関西の各県警も弾圧拡大に動いている。

 この弾圧は労働組合活動を恐喝未遂容疑とするものであり、さらに他の警察権力は共謀罪などの適用をほのめかしている、労働組合活動の刑事免責を除外した一昔前から比べ、法律も変わらないまま一切の組合活動を刑事罰としようとするものである。これを許すなら憲法28条も必要ないとされ、資本家に有利な社会が作られていくことは明白である。今回の特徴は組織犯罪対策課が中心となり「警察庁の指示」といっていることである。いち労働組合への弾圧としては近年ない規模であり政府主導の新たな労働組合つぶしの開始といえる。

 日本において生コン業界を切り口に本格的産業別職種別の労働運動をめざし幾多の弾圧・妨害を乗り越えてきた連帯ユニオンの関生支部の闘い。これへの全面的破壊攻撃の開始である。断じて許すことは出来ない。滋賀県警は業者に対し「関生と手を切れ」といい、組合員には「組合加入の動機はなにか」と産業別中小企業労働運動破壊を公言している

 今こそ大企業の収奪とたたかい、辺野古新基地建設を許すな、原発再稼働阻止、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪反対を求め、安倍政権とたたかう労働組合つぶしを許すなの声をあげよう。
 そこで、こころある人々の9・22集会への賛同(無料)・参加を強く訴えます。滋賀県警への抗議を訴えます。
 

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