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在韓米軍も在日米軍も撤退に向かう

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月 2日(日)21時01分0秒
返信・引用
  http://tanakanews.com/180609korea.htm
田中宇の国際ニュース解説

 <このところ価値形態論にばかり取り組んできて、国際情勢への観察のニュースの記載がなかったので、それに取り組んでみた。やはり、沖縄の基地闘争の推移が如何に世界史的転換のなかで、どう動いていくのか?であろう。田中 宇氏の英明な分析は、素晴らしくまた転載させて頂いた。>

在韓米軍も在日米軍も撤退に向かう

2018年6月9日   田中 宇
 米国のトランプ大統領が6月7日、シンガポールで6月12日に行われる米朝首脳会談で、朝鮮戦争を正式に終結させる合意文書に、米朝が署名する可能性がものすごくあると表明した。金正恩を米国に招待することも言及した。トランプは、朝鮮戦争の終結宣言について「これは多分(米朝間の諸問題の中で)簡単に解決できる部分だ。そのあとに、難しい部分が出てくる」とも言っている。トランプは、訪米した安倍首相との会談後の記者会見の中でこれを述べた。安倍はトランプに、北朝鮮と和解しないでほしいと言いに行ったのに、トランプから米朝和解に対するやる気満々を見せつけられて終わった。
(Trump Envisions Signing Pact With Kim to Formally End Korean War) (Donald Trump and Kim Jong-un could sign Korean War peace treaty, says US president)

 私はこの話を読んで、トランプ流の目くらまし作戦が入っていると感じた。トランプは6月7日の発言で、朝鮮戦争の終結宣言について、簡単に実現できる大したことない案件といった感じに、さらりと表明している。だが実のところ、朝鮮戦争の終結宣言は、米軍が韓国に駐留する法的根拠の喪失につながり、覇権放棄を政権の隠れた主目的とするトランプが、米朝会談において、ひそかに最もやりたがっていることだ。「そのあとに出てくる難しい問題」つまり北の核兵器の廃絶は、トランプにとって最重要課題でない。 (Trump, Kim Avoid High-Level Meetings Ahead of Summit) (トランプのイランと北朝鮮への戦略は同根)

 在韓米軍は、国連軍として韓国に駐留している。1950年の朝鮮戦争勃発直後、国連安保理が北朝鮮軍の「南侵」を非難し、国連加盟諸国に韓国軍への支援を呼びかけた(安保理決議83)。この安保理決議83に応えて米国などが「国連軍」として韓国に軍を派兵し、それが53年の停戦以後も在韓米軍として残った。 (United Nations Security Council Resolution 83 - Wikipedia)

 6月12日の米朝首脳会談で朝鮮戦争の正式な終結(53年に合意した停戦状態を、終戦状態に替える)が宣言されると、それを受けて国連安保理は、安保理決議83の状態(かつて韓国を侵略した北朝鮮の軍事脅威を抑えるために、国連加盟諸国が派兵して韓国軍を助ける必要がある状態)の終了を決議するだろう(常任理事国の中で、これに拒否権を発動しそうな国はない。国連での米国の意思決定は、連邦議会など軍産でなく、トランプが握っている)。安保理が決議した瞬間に、米軍が韓国に駐留する国際法上の根拠が失われ、在韓米軍の状態は「駐留中」から「撤退中」に移行する。あとは「在韓米軍はいつ撤退するのか」「できるだけ早く撤退するのか、それとも『撤退中』が長々と続くのか」という話になる。私の予測は「早期撤退」だ。 (Here's How Trump Can Win Big at the North Korea Summit)

 在韓米軍の撤退は、韓国の対米従属を終わらせる。朝鮮半島に対する米国の影響力は大幅に低下する。南北が今後、分断をうまく乗り越えれば、韓国と北朝鮮を合わせた国際的な存在感や経済力が増し、日本と肩を並べるぐらいの存在に近づく。米朝首脳会談後、韓国では、在韓米軍の早期撤退を望む声が強まるだろう。対米従属からの離脱と、南北和解の促進によって、朝鮮民族の国際影響力が増大するのだから、早期撤退要求は自然な流れだ。トランプ自身が覇権放棄屋であることも、在韓米軍の早期撤退につながる。米国が抜ける分、朝鮮半島に対する中国の影響力が増加するが、韓国北朝鮮自身の強化とバランスし、朝鮮半島が諸外国から受ける悪影響は全体として従来より低下する。三一運動から99年、朝鮮の国際自立がようやく実現しうる。 (朝鮮戦争が終わる) (For Lasting Peace, President Moon Must Lead South Korea Out of America’s Orbit)

 このような地政学的な大変動がこれから起きようとしているのに、この在韓米軍の撤退という問題について、韓国、米国、日本、いずれの地域においても、ほとんど議論になっていない。これは不可思議だ。プロパガンダの運営面で、意図的に議論が起こらないように誘導されている感じだ。米国では、トランプが在韓米軍を撤退させたい半面、トランプの仇敵である軍産複合体は在韓米軍の恒久駐留を画策している。米議会の民主党は、米朝和解を妨害するための法案をいろいろ用意し始めている(かつてオバマのイラン核協定を共和党が妨害したように)。トランプは軍産をあざむくため、在韓米軍の撤退話をできるだけしないようにしている。トランプは、マティス国防長官やボルトン安保補佐官らに「在韓米軍はずっと韓国にいる」「撤退はない」と言わせている。 (Senate Dems Threaten Legislation to Undermine North Korea Nuclear Deal) (House Bill Would Demand Detailed Report on North Korea’s Nukes)

 韓国の政界や言論界にも軍産傀儡の対米従属派がたくさんおり、彼らも在韓米軍の恒久駐留を望んでいる。民主主義の理想からすると、米朝首脳会談で朝鮮戦争が正式終結したあとも在韓米軍の駐留を韓国が望むのかどうか、国民的な議論を経て決定するのが良いが、それをやると軍産傘下の韓国マスコミが歪曲報道に精を出し、南北和解が妨害されかねない。そのため、文在寅はトランプと謀議し、在韓米軍の今後について、韓国でも米国でも、できるだけ議論しない策略をとることにしたのだろう。この事情は、文在寅から金正恩にも伝えられ、その結果、金正恩は「在韓米軍が撤退するかどうかは米韓に任せる」とか「米韓軍事演習が行われてもかまわない」などと、本心でないが米韓首脳の策略に合わせた発言を放ったのだろう。在韓米軍の未来について語らない策略で、トランプと文在寅と金正恩はたぶんグルである。 (Trump Will Invite Kim If Singapore Summit Successful: "Maybe We'll Start With The White House")

 在韓米軍の撤退は在日米軍の撤退につながりかねないので、日本の官僚独裁機構などの対米従属派も、在韓米軍の恒久駐留を望んできた。トランプが金正恩と会うことを決めた時点で、米朝和解・朝鮮戦争終結・在韓米軍撤退へのシナリオが日本の対米従属派にも見えたはずだから、本来なら日本でもっと危機感あふれる議論が公的に展開されるのが自然だ。だが現実は正反対で、日本のマスコミが喧伝したがることは、ごく最近まで「トランプが北朝鮮を先制攻撃して核戦争になる」という馬鹿げた予測ばかりだった。年初来「米朝4月開戦説」が喧伝され、3月になってこれが非現実的だとなると「6月開戦説」にすり替わった。

 こんな馬鹿な展開になったのは、おそらく、日本のマスコミ言論界に「見方」を注入する米国勢とその在日傀儡筋が、日本側に対し、意図的に「トランプは必ず北朝鮮を先制攻撃する」「米朝会談は開かれない」「開かれるが失敗して戦争になる」など、断定感あふれる情報を流し続けたからだろう。日本のマスコミ記者は、自分の頭で分析して書くことを禁じられ、権威筋(=軍産、官僚機構)が言った分析しか書けない。その結果、日本では頓珍漢な情報ばかりだ。今後も頓珍漢が続く。

▼在日米軍を存続するなら中国脅威論の扇動が必要なのにやってない。ということは・・・

 在韓米軍の撤退が決まったあと、在日米軍も撤退ないし大幅縮小するのだろうか。日本にとって最重要な問題はそれだ。私の分析では、残念ながら(笑)、在韓米軍だけでなく、在日米軍も全撤退に向かっている。そう考えられる理由の一つは「日本にとっての脅威の喪失」だ。冷戦でソ連がなくなった後、在日米軍にとっての「敵」は、北朝鮮と中国である。今回、このうち北朝鮮の敵性が失われる。残るは中国だけだ。もし米国が今後も日本に米軍を駐留させ続けるなら、米国と日本が一緒になって「中国の脅威の扇動」を加速せねばならない。中国の脅威といっても、南シナ海など日本から遠い場所はダメだ。尖閣諸島から台湾にかけての東シナ海における中国の脅威が扇動されることが必要だ。扇動があるなら「北朝鮮が敵でなくなった後、中国を敵として在日米軍を存続させるつもりなんだな」と考察できる。

 だが実際には、米国も日本も最近、東シナ海における中国の脅威を扇動しなくなっている(南シナ海では扇動されている)。日本と中国は、尖閣諸島など東シナ海での日中の軍事対立を避けるためのホットラインを6月8日に開設した。在日米軍が今後も駐留するシナリオに沿うなら、ホットラインなんか作ってはダメだ。米朝和解後の唯一の在日米軍の存在理由である「中国の脅威」を、まさにこれから好戦的に扇動すべき時に、日本自らが緩和させてしまっている。東京中心部の駅前の右翼(=軍産と官僚機構の手下)の中国嫌悪的な演説も、最近あまり聞こえない。これらはまるで、トランプがすでに在日米軍の撤退を安倍に伝えて(示唆して)おり、安倍は仕方なく中国との敵対を緩和することにした、といった感じだ。この傾向は昨夏からのものだ。 (China-Japan hotline launched to avoid sea, air clashes) (中国と和解して日豪亜を進める安倍の日本)

 もう一つ見るべきところは「台湾」だ。中国は最近、台湾に対する威嚇をこれ見よがしに強めている。中国軍は台湾の周辺に戦闘機や軍艦をどんどん出している。外交的にも中国は、台湾と国交を持っていたドミニカやブルキナファソを、カネや国際政治の力づくで台湾と断交させ、中国側に転向させている。これらの動きに対し、トランプ政権はほとんど対抗していない。米国の軍産系シンクタンクが「トランプは台湾にテコ入れすべきだ」と書いても無視されている。中国は、トランプを試すために台湾を軍事威嚇しているのに、トランプは何もせず、中国のやり放題になっている。 (China Unleashes "Island Encirclement" War Drills Over Taiwan)

 この話を、在日米軍の将来とつなげて考えると「トランプは在日米軍の駐留を継続する気がなさそうだ」という結論になる。北朝鮮の脅威が失せた後、在日米軍が駐留を続けるには「中国の脅威」が必要であり、中国が台湾を威嚇していることは、格好の中国の脅威の象徴になる。トランプと安倍が声をそろえて「中国が台湾に侵攻せぬよう、在日米軍の増強が必要だ」と言い出せば、在日米軍の未来は「安泰」だ。台湾を威嚇する中国は、飛んで火に入る夏の虫だ。だが現実は全く違う。トランプは台湾を見捨てている。 (China demands halt of U.S. arms sales to Taiwan)

 台湾東部で大きな地震があった今年2月、日本政府が台湾の蔡英文大統領(総統)の名前を出して犠牲者にお悔やみを述べる手紙を公開したところ、中国政府が「台湾を国家として認めている」と抗議してきて、日本は蔡英文の名前をネット上に公開した手紙の文書から削除する「譲歩」を行っている(日本政府は「譲歩でない」と言い訳している)。日米政府が在日米軍の駐留を継続する気なら「譲歩」せず、逆に「台湾を国家として扱って何が悪い」と開き直る必要があった。日米ともに、東シナ海における中国の脅威を扇動する気がない。これは、在日米軍の今後の敵が用意されていないことを意味する。敵がいなければ、米軍は日本に駐留し続けられない。在日米軍は撤退していく流れの中にいる。 (Japan denies bowing to China pressure over Taiwan quake condolences message)

 もう一つ、トランプが金正恩との会談のあとに、ロシアのプーチン大統領との会談を画策していることも、トランプが在韓米軍だけでなく在日米軍までも撤退しそうな流れを感じさせる理由だ。米大統領府は最近、米露首脳会談の準備をしていることを認めている。プーチンは、親露派であるオーストリア政府に、ウィーンで米露首脳会談をやりたいのでホスト役をつとめてほしいと要請した。米朝が終わって一段落すると米露首脳会談が行われ、トランプが米国(軍産)のロシア敵視に風穴を開ける可能性が高まっている。 (Putin Asked Austria To Set Up Summit With Trump In Vienna) (White House Planning Summit Between Trump And Putin)

 おまけにトランプはG7サミットの前夜に「G7はロシアを再招待してG8に戻るべきだ」と言い出した。親露政権ができたばかりのイタリアが即座に賛成を表明した。これはトランプの「G7潰し」の策であると同時に、欧州を「ロシア敵視・対米(軍産)従属」から「親ロシア・反米」に押しやろうとする策だ。これらが奏功すると、ロシア敵視・米国覇権の国際組織であるNATOに対する欧州の支持が失われ、NATOと米国覇権の解体につながる。トランプは、G7での米国の主導性を破棄し、米国のロシア敵視戦略を壊し、NATOも解体しようとしている。イラン核協定からの離脱や、アフリカでの米軍特殊部隊の縮小などと合わせ、トランプはユーラシア西部からの米国の撤退、覇権放棄を広範に展開している。 (Trump wants Russia to be reinstated in G-7 talks) (貿易戦争で世界を非米・多極化に押しやるトランプ)

 ユーラシア西部からの撤退を加速するトランプが、ユーラシア東部では部分的な撤退だけで終わらせるだろうか。そんなことはない。西部から本格撤退するなら、東部からも本格撤退する計画のはずだ。ユーラシア東部において、部分撤退とは在韓米軍だけ撤退して在日米軍をそのままにすることであり、本格撤退とは在韓・在日両方の米軍を撤退させていくことだ。米朝首脳会談の成功が宣言された後、次の策として、在日米軍の撤退話が出てくると予測される。トランプと軍産の暗闘で、軍産が今後盛り返すなら、NATOや在日米軍は延命しうるが、今のようにトランプの優勢が続くなら、NATOも在日米軍も、消滅・撤退の方向に押しやられ続ける。

 なお、この記事を書く前の5月末に、似たような記事を途中まで書いたが、トランプが一時的に米朝会談をキャンセルしたためボツになっていた。その記事へのリンクもつけておく。 (米朝会談後、在韓・在日米軍撤退の話に突然なる?)

 
 

武委員長と他二名逮捕 に抗議

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 8月31日(金)13時10分36秒
返信・引用
  【連帯労組】滋賀県警の不当逮捕に抗議。権力弾圧に屈することなく、運動を前進させる決意をあらためて表明
                機関紙コモンズ  のサイトからの転載
2018年8月29日rentai_kanri

抗 議 声 明
8月28日、滋賀県警刑事部組織犯罪対策課は、当組合関西地区生コン支部の武建一執行委員長のほか支部役員2人の計3人を不当逮捕したうえ、大阪市内の関西地区生コン支部事務所などを家宅捜索した。
これは、湖東生コン協同組合による恐喝未遂容疑として滋賀県警が捜査中の事件の一環のようである。7月18日に同協組の理事ら4人が逮捕され、3人が8月8日に起訴された。さらに8月9日には同協組理事長、同協組登録販売店支店長、関西地区生コン支部役員の3人が逮捕されている。この事件では、昨日の不当逮捕で、事業者が6人、当組合の役員が4人が逮捕されたことになる。
一連の事件では、昨年3月~7月、東近江市で建設中だった清涼飲料水メーカーの倉庫建設工事において、湖東生コン協同組合が、施工業者であるゼネコンに対し、工事に使用する生コンは同協組から購入するよう働きかけたとされる。
先に8月10日付声明でも述べたとおり、この滋賀県警の捜査は予断と偏見にもとづくものといわざるをえない。生コン業界においては、中小企業である生コン業者らが中小企業協同組合法にもとづく協同組合を組織し、この協同組合による共同受注・共同販売事業によって、力関係で優位に立つゼネコンとのあいだで対等かつ適正価格での取引を可能にし、それによって生コンの品質も確保されてきたからである。労働組合は組合員の雇用と労働条件確保のために協同組合の活動に協力してきた。中小企業団体の正当な営業活動やこれに協力する労働組合の正当な組合活動を敵視する強制捜査は断じて容認できない。滋賀県警は、業者に対し「関生と手を切れ」といい、組合員には「組合加入の動機はなにか」などと不当労働行為の職権乱用をおこなっている。
しかも、今回も大阪広域生コン協組の関係者とレイシスト集団が警察の捜査とほぼ同時刻に現れ、かれらは警察からの情報漏洩をあからさまに匂わせている。各府県警察が、大阪広域協組とレイシストの労働組合攻撃に便乗し不当な権力弾圧を加えていることはあきらかであり、到底許されるものではない。
この弾圧は、大企業の収奪とたたかい、沖縄基地撤去、原発再稼働阻止、戦争法・共謀罪阻止、憲法改悪反対を求め、安倍内閣と真正面からたたかう労働組合への弾圧にほかならない。
政治の私物化に異議を唱える者を力づくで押しつぶすファッショ的手法が戦争につながるものだということは歴史が教えている。
われわれは不当な弾圧に屈することなく、運動を前進させる決意をあらためて表明するものである。

以 上
2018年8月29日

全日本建設運輸連帯労働組合
中央執行委員長 菊池 進
全日本建設運輸連帯労働組合
近畿地方本部
執行委員長 垣沼 陽輔
全日本建設運輸連帯労働組合
関西地区生コン支部
執行委員長 武 建一
 

 口封じの意味はワイロ代わりか。 

 投稿者:岩手の元盲ろう  投稿日:2018年 8月19日(日)07時28分21秒
返信・引用
   全国の社会福祉協議会様

 口封じの意味はワイロ代わりか。
 12年前岩手の盲ろう者友の会事務局長が読み書きの出来ない聾唖者の猜疑心から出たあいつの親父は馬鹿なのだというのを次期会長(現ろうあ協会会長)のためゴマすりのけしかけからお前の親父は馬鹿なのだ妥協しろと言い出し馬鹿らしいとして退会した。後から全通研が聾唖者はかわいそうなんですと改心を押し付けに来た。親を馬鹿とは石川会長の仕業と判る。
 この頃から岩手の看板団体の暴走を隠すため完全沈黙のかん口令を敷かれ関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせない。社会参加妨害は12年で12回になる。
 昨年は花巻の全国大会に参加したが知事から誰も合わせるなとされて全国の友の会も全国協会もその勧めてくれた事務局長も全部あいつに関わるなと口説き伏せられて寝返らせた。完全孤立して全国協会賛助会員は退会した。
 そして全国の社協に暴走目こぼし権があったらと問い合わせついでに岩手の暴走をばらし、県外との完全沈黙の囲みを破った。
 今年2月もう12年目で疲れて親は好きなだけ馬鹿にしていいとしてこれまでの圧力は廃止を求めたが抹殺しか考えて居ない。
 地元役場に説明抜きのかん口令が来たら孤立は深まるとして役場に出向き立場の説明をし、理解を求めた。
 6月は打つ手も無く全国の社協にこれ以上は迷惑を招くとして最後の挨拶をし、初めて法務省にもう諦めたいとメールした。
 それを諦めるなと言い水沢の法務局に行って直接話せと言われた。
 ここで最後のチャンスと見ていたが中身は掲示板に実名使うなということだけ。社協への最後の挨拶も司法の手で妨害されていた。法務局に何度も行けなくて手紙を20回も出していたが直接話さないと判らないと言いながら暴走目こぼし権なんかないと知事をかばう事だけの返事が来ている。他は何も答えない。 法務局は時効までの時間潰しと揉み潰ししかしないのか、前から疑問になっていた。最後に地元の擁護係りが紹介された。これは別社会へ行くときのアドバイスだけ。初めから県庁は諦めろと言う。
 法務局の受信拒妨害は県庁に有利に進めたことになる。対策も何も口にしない。友の会を辞めた頃は自立支援法が廃止にされていた。そして今は復興が叫ばれ、対して障害者の一人位として暴走はばれなければいいとする許可が容認されていたことになる。知事も厚生労働省も法務省も説明はしない。法務省へのメールは10回位だが数日後に返事すると言って1ヶ月も一つも返事しない。 厚生労働省はその倍でも完全沈黙。人権を守る立場で破壊を協力するとは。 障害者の一人位と言う感覚で仕事して居るのか。これでは疑問を県庁に電話すれば口封じのかん口しか来なくなる。それでもばれてしまえばただの暴走になる。社会参加はおろか通訳団体(派遣通訳、要約筆記の会、盲ろう者友の会)全部が3年前からの差別し説明しない。情報センターは会員のメール版もビデオなどの貸し出し拒否9ヶ月も続けている。親父は現代の名工に選ばれて知事表彰受けている。
 盲ろう者友の会、ろうあ協会、全通研も仲間を守れと言う暴走に非難は避けられない。差別、妨害に12年も耐えて来たのだから。
聾唖者へのおだてけしかけを繰り返した友の会事務局長小笠原夫妻は通訳資格剥奪追放すべき。本気で反省するなら役員総辞任(無知から暴走を招いた石川会長も辞任すべき)して作り直すべき。知事に暴走目こぼし権が行き過ぎる。

 岩手の知事の暴走は自立支援法が廃止になった次の年に友の会から馬鹿らしいとして退会したらかん口令を広げ親は馬鹿のままにし関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせず社会参加は12年に12回妨害した。自立支援法が復活しても変わらない。暴走を暴走で隠し続けた。そしてかん口令は更生相談所にも障害者の社会参加推進センターにも地元一関の身障協にも及んだ。当時法律がなかったのと今は復興が叫ばれ、相手はたかが障害者一人となるとばれなければいいとして暴走は容認されたことになる。
 6月の全国の社協に最後の挨拶としてのメールは司法が暴走を協力容認していた。人権を守る立場で破壊の協力とは。
 ばれても謝罪する気はあるまい。こちらから全国に知らせることにします。 そしてこれが最後の挨拶になります。社会的復権のために。迷惑にならないよう知らせるだけです。


 妻はがんで亡くなり息子は仙台の大学を出ると現場監督として働き。こちらは小脳萎縮でヘルパー付きで一人暮らしです。
 裁判に駆け込む金も無い。
 看板団体の暴走を隠すためとしてこちらはたかが聾唖者の一人くらいとしか見ず完全孤立しました。13年前に自立支援法が廃止になり悪用され今は復活してもなりふり構わなくなった。今は復興が叫ばれ相手はたかが障害者一人として岩手の暴走はばれなければいいとして厚生労働省も法務省も許可容認されています。裁判には金が無い。
 全国協会の庵さんは全国大会への参加を勧めながら知事に口説かれて完全孤立しました。読み書き出来ない聾唖者の猜疑心がここまで来るとは。
 そして本人は反省より知らなかったと言えば正義になると決め込んでいます。
 ろうあ連盟も全通研も仲間を守れということしか関心持って居ない。      障害者が困っていると言っても全国の支援団体は全部が知らん顔している。
 一番おかしいのは同じ障害者に軽視していてる全国協会です。障害当事者の会は発言力もない。


 

 口封じの意味はワイロ代わりか。 

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年 8月18日(土)11時17分9秒
返信・引用
   全国の社会福祉協議会様

 口封じの意味はワイロ代わりか。
 12年前岩手の盲ろう者友の会事務局長が読み書きの出来ない聾唖者の猜疑心から出たあいつの親父は馬鹿なのだというのを次期会長(現ろうあ協会会長)のためゴマすりのけしかけからお前の親父は馬鹿なのだ妥協しろと言い出し馬鹿らしいとして退会した。後から全通研が聾唖者はかわいそうなんですと改心を押し付けに来た。親を馬鹿とは石川会長の仕業と判る。
 この頃から岩手の看板団体の暴走を隠すため完全沈黙のかん口令を敷かれ関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせない。社会参加妨害は12年で12回になる。
 昨年は花巻の全国大会に参加したが知事から誰も合わせるなとされて全国の友の会も全国協会もその勧めてくれた事務局長も全部あいつに関わるなと口説き伏せられて寝返らせた。完全孤立して全国協会賛助会員は退会した。
 そして全国の社協に暴走目こぼし権があったらと問い合わせついでに岩手の暴走をばらし、県外との完全沈黙の囲みを破った。
 今年2月もう12年目で疲れて親は好きなだけ馬鹿にしていいとしてこれまでの圧力は廃止を求めたが抹殺しか考えて居ない。
 地元役場に説明抜きのかん口令が来たら孤立は深まるとして役場に出向き立場の説明をし、理解を求めた。
 6月は打つ手も無く全国の社協にこれ以上は迷惑を招くとして最後の挨拶をし、初めて法務省にもう諦めたいとメールした。
 それを諦めるなと言い水沢の法務局に行って直接話せと言われた。
 ここで最後のチャンスと見ていたが中身は掲示板に実名使うなということだけ。社協への最後の挨拶も司法の手で妨害されていた。法務局に何度も行けなくて手紙を20回も出していたが直接話さないと判らないと言いながら暴走目こぼし権なんかないと知事をかばう事だけの返事が来ている。他は何も答えない。 法務局は時効までの時間潰しと揉み潰ししかしないのか、前から疑問になっていた。最後に地元の擁護係りが紹介された。これは別社会へ行くときのアドバイスだけ。初めから県庁は諦めろと言う。
 法務局の受信拒妨害は県庁に有利に進めたことになる。対策も何も口にしない。友の会を辞めた頃は自立支援法が廃止にされていた。そして今は復興が叫ばれ、対して障害者の一人位として暴走はばれなければいいとする許可が容認されていたことになる。知事も厚生労働省も法務省も説明はしない。法務省へのメールは10回位だが数日後に返事すると言って1ヶ月も一つも返事しない。 厚生労働省はその倍でも完全沈黙。人権を守る立場で破壊を協力するとは。 障害者の一人位と言う感覚で仕事して居るのか。これでは疑問を県庁に電話すれば口封じのかん口しか来なくなる。それでもばれてしまえばただの暴走になる。社会参加はおろか通訳団体(派遣通訳、要約筆記の会、盲ろう者友の会)全部が3年前からの差別し説明しない。情報センターは会員のメール版もビデオなどの貸し出し拒否9ヶ月も続けている。親父は現代の名工に選ばれて知事表彰受けている。
 盲ろう者友の会、ろうあ協会、全通研も仲間を守れと言う暴走に非難は避けられない。差別、妨害に12年も耐えて来たのだから。
聾唖者へのおだてけしかけを繰り返した友の会事務局長小笠原夫妻は通訳資格剥奪追放すべき。本気で反省するなら役員総辞任(無知から暴走を招いた石川会長も辞任すべき)して作り直すべき。知事に暴走目こぼし権が行き過ぎる。

 岩手の知事の暴走は自立支援法が廃止になった次の年に友の会から馬鹿らしいとして退会したらかん口令を広げ親は馬鹿のままにし関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせず社会参加は12年に12回妨害した。自立支援法が復活しても変わらない。暴走を暴走で隠し続けた。そしてかん口令は更生相談所にも障害者の社会参加推進センターにも地元一関の身障協にも及んだ。当時法律がなかったのと今は復興が叫ばれ、相手はたかが障害者一人となるとばれなければいいとして暴走は容認されたことになる。
 6月の全国の社協に最後の挨拶としてのメールは司法が暴走を協力容認していた。人権を守る立場で破壊の協力とは。
 ばれても謝罪する気はあるまい。こちらから全国に知らせることにします。 そしてこれが最後の挨拶になります。社会的復権のために。迷惑にならないよう知らせるだけです。


 妻はがんで亡くなり息子は仙台の大学を出ると現場監督として働き。こちらは小脳萎縮でヘルパー付きで一人暮らしです。
 裁判に駆け込む金も無い。
 看板団体の暴走を隠すためとしてこちらはたかが聾唖者の一人くらいとしか見ず完全孤立しました。13年前に自立支援法が廃止になり悪用され今は復活してもなりふり構わなくなった。今は復興が叫ばれ相手はたかが障害者一人として岩手の暴走はばれなければいいとして厚生労働省も法務省も許可容認されています。裁判には金が無い。
 全国協会の庵さんは全国大会への参加を勧めながら知事に口説かれて完全孤立しました。読み書き出来ない聾唖者の猜疑心がここまで来るとは。
 そして本人は反省より知らなかったと言えば正義になると決め込んでいます。
 ろうあ連盟も全通研も仲間を守れということしか関心持って居ない。      障害者が困っていると言っても全国の支援団体は全部が知らん顔している。
 一番おかしいのは同じ障害者に軽視していてる全国協会です。障害当事者の会は発言力もない。

 

フランス語版 物神性論

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月22日(日)15時43分20秒
返信・引用 編集済
    <その①になる前回のもの https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1663
   でのコメントを、以下修正してみました。>
  <榎原さんのだいぶ前のものだが、物神性論 現行版・長谷部訳
   からの解説を、追加ー対比してみた。彼の解説は英明であり、
   飛び抜けてはいるが、何かしっくりこないものを感じる。また・・意見
   を考えてみる>

ネットでのフランス語版 は次であります。やっと見つけました。
https://www.marxists.org/francais/marx/works/1867/Capital-I/kmcapI-I-4.htm

  初版付録の等価形態ー-物神性
  https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1653

  ぐーぐるほんやく
       https://translate.google.co.jp/?hl=ja
  英語でもフランス語でも何でもあれです。

 3a<三段落>
 ③D'où provient donc le caractère énigmatique du produit du travail, dès qu'il revêt la forme d'une marchandise ? Evidemment de cette forme elle-même.
 ③商品の形を取るとすぐに、労働生産物の謎めいた性格が出てくるのだろうか?明らかにこのフォームそのものからです。

 <四段落>
 ④Le caractère d'égalité des travaux humains acquiert la forme de valeur des produits du travail ; la mesure des travaux individuels par leur durée acquiert la forme de la grandeur de valeur des produits du travail ; enfin les rapports des producteurs, dans lesquels s'affirment les caractères sociaux de leurs travaux, acquièrent la forme d'un rapport social des produits du travail.

 英<The equal character of human works acquires the value form of the products of labor; the measure of individual works by their duration acquires the form of the quantity of value of the products of labor; finally, the reports of the producers, in which the social characters of their works assert themselves, acquire the form of a social relation of the products of labor.>
 ④人間の作品の平等な性格は、労働生産物の価値形態を獲得する。     <①価値形態>
 その期間による個々の作品の尺度は、労働生産物の価値の量の形を獲得する。<②価値関係の量的側面>
  最後に、作品の社会的性格が主張する生産者の報告は、          <③価値関係の質的側面>
                 労働生産物の社会的関係の形態を獲得する。

     <転倒していなければ、次なのです。
      ④人間の作品の平等な性格は、商品の価値形態を獲得する。
      その期間による個々の作品の尺度は、商品の価値の量の形を獲得する。
       最後に、作品の社会的性格が主張する生産者の報告は、
                 商品の社会的関係の形態を獲得する。
      ーーこのように、スミス・リカードの国民経済学の転倒の有り様を示した。ーー>

Voilà pourquoi ces produits se convertissent en marchandises, c'est-à-dire en choses qui tombent et ne tombent pas sous les sens, ou choses sociales. C'est ainsi que l'impression lumineuse d'un objet sur le nerf optique ne se présente pas comme une excitation subjective du nerf lui-même, mais comme la forme sensible de quelque chose qui existe en dehors de l'œil.

 英<That is why these products become goods, that is, things that fall and do not fall under the senses, or social things. Thus the luminous impression of an object on the optic nerve does not appear as a subjective excitation of the nerve itself, but as the sensible form of something that exists outside the eye.>
だからこそ、これらの商品は商品になります。つまり、落ちて、感覚や社会的なものにならないものです。
 <江夏訳 このことが、これらの生産物がなぜ商品に、すなわち、火を見るよ
  り明らかでそうではないもの、あるいは社会的な物に変換するかの理由なの
  である。ーP47>

したがって、視神経上の物体の発光印象は、神経自体の主観的興奮として現れるのではなく、眼の外に存在する感覚的な形態として現れる。

Il faut ajouter que dans l'acte de la vision la lumière est réellement projetée d'un objet extérieur sur un autre objet, l'œil ; c'est un rapport physique entre des choses physiques.
Mais la forme valeur et le rapport de valeur des produits du travail n'ont absolument rien à faire avec leur nature physique.

 英<It must be added that in the act of vision light is really projected from an external object to another object, the eye; it is a physical relationship between physical things. >
この視覚の行為では、光が実際に外部の物体から別の物体の目に投射されることが必要です。 それは物理的なものの間の物理的な関係です。

 英<But the value form and the value ratio of the products of work have absolutely nothing to do with their physical nature.>
しかし、仕事の製品の価値形態と価値の比は、その物理的性質とはまったく関係ありません。
 <杉本 江夏訳ーー価値形態と価値関係は、・・その物質的性質とはまったく
  関係がない。 P48>

C'est seulement un rapport social déterminé des hommes entre eux qui revêt ici pour eux la forme fantastique d'un rapport des choses entre elles. Pour trouver une analogie à ce phénomène, il faut la chercher dans la région nuageuse du monde religieux.

 英<It is only a definite social relation of men to each other that is here for them the fantastic form of a relation of things to each other. To find an analogy to this phenomenon, we must look for it in the cloudy region of the religious world.>
お互いに人間の明確な社会的関係があるのは、それらのために、お互いの物事の関係の素晴らしい形です。
この現象の類推を見つけるには、宗教界の曇った地域でそれを探す必要があります。

Là les produits du cerveau humain ont l'aspect d'êtres indépendants, doués de corps particuliers, en communication avec les hommes et entre eux.

 英<There the products of the human brain have the aspect of independent beings, endowed with particular bodies, in communication with men and with each other.>
そこでは、人間の脳の製品は、特定の身体を持つ独立した存在の側面を持ち、人々やお互いにコミュニケーションしています。

Il en est de même des produits de la main de l'homme dans le monde marchand. C'est ce qu'on peut nommer le fétichisme attaché aux produits du travail, dès qu'ils se présentent comme des marchandises, fétichisme inséparable de ce mode de production.

 英<It is the same of the products of the hand of the man in the merchant world. This is what can be called fetishism attached to the products of work, as soon as they appear as commodities, fetishism inseparable from this mode of production.>
それは商人の世界の人の手の製品のものと同じです。これは、商品として出現するとすぐに作品の商品に付けられたフェティシズムと呼ばれることができ、この生産方式からは切り離せないフェティシズムです。

  <しかし、新日本訳は、仏語版・江夏訳とは異なり冒頭が次の訳なのです。誤訳を指摘します。
  <人間的労働の同等性は、労働生産物の同等な価値対象性という物的形態を受け取り>・・
  ではないのです。この対象とするものが個別ではなく価値対象性を商品世界での受け取りーー
  とするならば、ーー他者に自らの価値存在を反省規定された・価値形態ーーであり、その逆の
  物的形態あるいは、物的属性ではない、のです。

 ーー杉本 もはや、3節ではなく4節での展開だから、次のように、再版とは、同じことが提起されています。


   1価値形態の変化した性格--の5段落--ではこう述べられています。再版新日本新書
    <他のすべての商品がそれらの価値を同じ等価物で表現する・・
    これによって、諸商品の価値対象性はーーそれがこれらの物のたんに社会的な定在であるがゆえにーー
    諸商品の全面的な社会的関連によってのみ表現されるうること、
    それゆえ、諸商品の価値形態は社会的に通用する形態でなければならないこと、が現れてくる。>
    P113ー114 原P80ー81

    商品は一般的価値形態なのだから、次のことも明らかなのです。
   a価値形態の変化した性格--の7段落ーーではこう述べられています。仏語版。Pー41
    <一般的価値形態を構成する無数の等式は、リンネルのなかに実現されている労働を、かわるがわる
    比較される各商品のなかに含まれている労働と同一視して、機織りを、人間労働が、そのなかに含ま
    れるところの一般的な形態にする。> <新書訳 一般的現象形態・・誤訳>

   フランス語版・江夏訳と同じく、以上の提起があったのですから、
   一般的価値形態である題材とされている商品が、リンネルを排除することで商品世界が形成することで
   ③<商品である>労働生産物が商品形態を帯びるーー
   ④<商品である>人間労働の同等性という性格は、労働生産物の価値形態ーーと
   なる、以上のことが、示されているのです。

   ーー以上のことから、諸商品は一般的価値形態を構成することで、商品世界が存在しているーーことが、
   この<①価値形態>で語られるーーはずが、転倒していると、述べられているのです。
   この①は、商品形態であり、一般的価値形態のはずが、逆にーー物的形態を受け取りーーなのです。
   ーー現行版・新日本訳は、フランス語版・江夏訳とは異訳・誤訳なのです。ーー

   しかし、新日本訳のこの 誤訳では、何が見えなくなるのか?ーー を指摘します。
  <人間的労働の同等性は、労働生産物の同等な価値対象性という物的形態を受け取り>
  ・・ではないのです。商品が、労働生産物の同等な価値対象性を、そのある物が受け取っておれば、
  この商品世界では、価値形態を受け取り、価値とされています。
  このように、一般的価値形態では、物と物との関係には転倒していないーーことの確認をこそ
  しています。それが、次のような転倒を見せてくるのか?そのことを辿ってみましょう、
  としている。この文脈が、まるでわからなくなるのです。

かくして、視神経にたいするある物体からの光の印象は、この神経そのものの主体的な刺激としてではなく、眼の外部に存在するあるものの感知しうる形態として現われる。付言しなければならないが、視るという行為にあっては、外界のある物体から眼という他の物体にたいして光が実際に投影される。それは、物理的な諸物間の物理的な関係である。

だが、労働生産物の価値形態や価値関係は、その物理的性質とは全くなんの関係もない。
このばあい人間にとって諸物相互の関係という幻想的な形態をとるものは、たんに、人間相互間の特定の社会的関係であるにすぎない。
 <④上記①②③があって、それとは異なる、四段落の事柄を指しているーー
                              ーー諸物相互の関係という幻想的な形態>

 <再版 英語訳 では、もっと明確に 欺瞞的な形を仮定 と訳している>
It is only the definite social relationship of the people themselves that here assumes for them the deceptive form of a relationship of things. "
 それは、ここでは物事の関係の欺瞞的な形を仮定しているのは、人々自身の明確な社会的関係だけです。>

 この現象に類似したものを見出すためには、それを宗教世界という曇った領域のうちにもとめざるをえない。そこでは人間の頭脳の産物が、それぞれ特殊な体躯を賦与されて人間との交渉やこれら産物相互間の交渉を.行なうところの独立的な存在、という外観を呈する。商品世界における人間の手の生産物についても、同じである。これが、労働生産物が商品として現われるやいなや労働生産物に付着する物神崇拝、すなわち、この生産様式に不可分の物神崇拝、と名づけることのできるものなのだ。
 <⑤宗教世界と同じく、転倒した商品世界での人間の手の生産物 が主体となる転倒が、生じている>

 ⑤一般に、ユーティリティオブジェクトは、互いに独立して実行されるプライベートワークの商品であるため、商品になります。これらの私的な作品はすべてソーシャルワークを形成します。プロデューサーは製品の交換によって社会的に接触するだけなので、この交換の範囲内でキャラクターが最初に確認されます。
彼らの個人的な作品としてのーーですね。

実際、私的な仕事は現実には、社会的な仕事の<分業>分裂として、労働生産物と生産者の間の間接的に確立する関係によってのみ現れる。

その結果、後者の場合、私的な作品の報告は、自分の仕事における人々の直接的な社会関係ではなく、物事間の社会的関係にあるように見えます。

 ⑥労働者の製品は、実用目的物としての物質的かつ多種多様な存在とは異なり、同一で統一的な社会的存在を価値として獲得するのは、彼らの交流の中でのみである。
有用な物と価値あるものへの労働生産物の分裂は、交換の目的のために有用な物が生産されるのに十分な広さと重要性を交換が得られると実際に広げられ、 非常に生産性の面で既に考慮されています。
 <⑥有用物と価値への労働生産物の分裂が起こるのは有用物が交換を目あてに生産されることで、>
その時から、プロデューサーの私的な仕事は、実際には二重の社会的性格を獲得しています。
 <⑦私的労働--労働--が二重の社会的性格を獲得する>
一方では、彼らは有益な仕事でなければならず、社会的ニーズを満たし、従って自発的に形成される社会的分業体系の一般的仕事の不可欠な部分として自分自身を主張しなければならない。

他方では、各種類の有用な民間労働が、他のあらゆる種類の有用な民間労働と交換可能である、すなわち、それらが同等とみなされるためにのみ、生産者自身の多様なニーズを満たす。

全体的に(完全に)異なる作品の平等は、人間の力の支出、一般的な人間の労働の共通の特徴への減少のみで、実質不平等を抽象化することのみで成り立つことができます。それは、最も多様な作品の製品を平等な立場でまとめることによってであり、この還元を実現する唯一の交換です。

 ⑦私的労動の二重の社会的性格は、実際の交易、製品交換によって与えられた形でのみ生産者の脳に反映される。生産者が自分の仕事の製品を価値の存在形態との関係に置くとき、同じ人間の仕事が隠された単純な封筒を、そこに彼らが見るのではない。

それとは反対に:彼らの異なる商品を交換して、イコールを繰り返すことによって、彼らは彼らの異なる作品が同等であるという事実によって確立する。
彼らはそれを知らずにそれを行う[30ガリアーニ]。
 <⑧労働の二重性の示す、価値に表示される人間労働があることで、交換しうるか?
   --自分たちの相異なる生産物を交換において同等と見なす、
   --そのことで、自分たちの相異なる労働が同等であることを実証す、
   --上記があって、生産者たちは彼らの労働生産物を価値として対峙させる、
   --有用物の価値への転化-->
したがって、その額<ひたい>には額が書かれていません。
むしろ、作品の各製品は象徴です。人間が貢献するソーシャルワークの秘密に浸透するために象形文字の意味を解読しようとするのは時間の経過とともに、有用なオブジェクトの価値への変換は社会の産物です。言語だけでなく。

 ⑧科学的発見は、価値としての産物は、生産において費やされた人間の労働の純粋で単純な表現であり、人類の発達の歴史において時代を刻んでいるが、仕事の社会的性格を物のキャラクター、商品そのもののように見せかける幻想なのです。

これは、特定の生産形態、すなわちコモディティ生産の場合にのみ真実である。
すなわち、最も多様な作品の社会的性格は、人間の労働としての同等にあり、
この特定の社会的性格は、労働生産物の価値とされるが、
 <⑨江夏訳ー労働生産物の価値形態という客体的形態をとっていること--、>
 <これは、江夏訳ー労働生産物の価値形態ー-との訳出は正しい>
 <⑩四段落での提示である①②③のことがらが、自然的形態、不問事項になる>

この事実、労働に携わる人間と物品の生産の関係に関わる人の価値は、その後に現れる。
これまでのように価値の性質が発見されたのと同じように、空気の気体状のような自然の秩序と変わらないものであり、それは化学元素の発見前と同じままだった。

 ⑨まずは交換者が関心を持つのは、製品と引き換えにどれくらいの量が得られるか、つまり製品間で交換される割合です。この比率が一定の常習的な固定性を獲得するやいなや、労働成果の本質から派生するように見える。化学物質が固定された割合で結合するので、これらの物質に一定の割合で交換する性質があるように思われる。
 <⑪交換比率--労働生産物の性質自体から生ずる・自然的形態に見える>

 ⑩作業成果物の価値は、価値のあるものと判断された場合にのみ出てくる。
後者は、生産者の意思と期待にかかわらず、自分の社会運動が、物事の動き、それらを導く動き、それらを指示する運動の形をとることで、目に絶えず変化している。

この科学的な真理からの経験さえも出現する前に、市場の生産は完全に発展している必要があります。民間の仕事は、互いに独立して実行されますが、社会的および自発的なシステムの影響として相互に関連します。

労働の分業は、常に比例的な社会的尺度に縮小されている。
そしてーーどうやってなのか?
 <⑫運動が彼らをひきずる--価値量が社会的必要労働量に規定される>
製品の交換の偶発的かつ常に変化する関係において、その生産に必要な社会的労働の時間は、自然の規制法として大きな闘いで支配するので、重力の法則が感じられるように彼の家が彼の頭の上で崩壊するとき誰でもー-そのこと見て取れるのです[31]。
したがって、仕事の期間による価値の量の決定は、商品価値の明らかな動きの下で隠された秘密である。しかし、彼の解決策は、価値の量が偶然によって決まらないことを示しながら、この量を表現する形態を物の間の大きさの比としてしかーーそのことを消滅させない。
 <⑬「この量を表現する形態を物の間の大きさの比としてしか」ーー
   物と物との比・物的関係として、価値量が労働生産物それ自体のあいだの量的関係として表わされる
   --このように、①で示された大前提である価値形態は、まったく無視される>

 ⑪社会生活の諸形態を反映しての、その結果である科学的分析は、実際の動きに完全に反対する道をたどる。それは、事実の後、すでに確立されたデータと、開発の結果から始まります。

作業成果物財のシールや印刷フォームは、それゆえ、すでに流通している諸形態が、人々が実現しようとする前に、社会生活の自然な形態の、すでに固定性を持っていて、歴史上の人物がむしろそれらに不変であるように見せるこれらの形態にこそ、彼らの親密な意味があるのである。

したがって、商品の価格の分析のみが定量的価値の決定につながり、商品価値の決定につながったのは一般的な商品の表現である。

さて、個人的な作品の社会的性格や生産者の社会的関係を明らかにするのではなく、商品世界のこの獲得され固定された形態、銀色の形態は、それらをあいまいにするだけです。

小麦、コート、ブーツは、抽象的な人間の仕事の一般的な化身としてキャンバスを参照していると言うと、この表現の偽りや奇妙さはすぐに明らかです。

 <⑭貨幣形態・・長靴は、抽象的な人間労働の一般的な化身としてのリンネルに関連す
  る、--一般的価値形態があることで、一般的な相対的価値形態があり、両極の形態が
  形成されることが、貨幣形態では隠蔽されている、その理由なのです。
   ここでは、一般的価値形態の対極に、私的労働がこの抽象的な人間労働の一般的な実
  現形態になることで、等価形態を示すはずが、右極のみが自立することで、左極の商品
  世界の存在を無視してしまうのです。
  それが、価値形態の謎であり、貨幣形態の謎、なのであります。>
 <⑮それは、商品世界から等価物リンネルが排除されることで、両極の形態の形態が得られ
  たーはずが、この貨幣形態では、この価値方程式が、始めの、上着= リンネルの第一の
  公式に舞い戻ることで、リンネルが貨幣商品になることで、転倒して、一般的価値形態の
  存立条件である無限の価値方程式の羅列である、商品世界を消してしまうからではない
  か?

  第三の価値方程式での商品世界の無限の表示が、20エレのリンネル=2オンスの金になる
  ことでこの商品世界を形成してきた、第二・第一の形態との関連を、消滅させることで
  第三の形態から貨幣形態が成長してきたことを、この物神性によって隠すのです。>

しかし、これらの商品の生産者がキャンバス、金、銀に戻って来るときには、それが一般的等価物と同じように、私的労動とすべての社会的労動との関係になります。
彼らはこの奇妙な形態で正確に現れます。

 <⑯ 商品世界にて、一般的価値形態があることで、第二・第一との連関が示されること
  で、商品の生産者たちが、これらの諸商品をリンネルあるいは金か銀に、関連させたー
  ーのでした。
  しかし、私的労働と社会的労働との関連は、20エレのリンネル=2オンスの金の公式のも
  とでは、全て、この物神性によりて、この前提条件であるところの、この一般的価値形
  態が、消滅しているのです。>
 <交換比率--労働生産物の性質自体から生ずる・自然的形態に見えるーーことで>
  ⑰このことで、右極の等価形態としての、抽象的な人間労働の一般的な実現形態としてのは
  ずが、この膨大な左極での反対極であるーーことでの右極の形態を示さず、
  単独に、単なる二商品での抽象的人間労働の一般的化身になる、奇妙な形態!
  のもとで現われている、のです。
  これが、商品の物神性であり、これ、この謎を、解いたら理解できる事柄なのです。>

 ⑫ブルジョア経済学のカテゴリーは、実際の社会関係を反映する限り、客観的な真理を持つ知性の形態であるが、これらの関係は市場の生産が 社会的生産の様式。 それから他の生産形態を想定すると、現代の労働成果をあいまいにするような神秘主義のすべてが消滅するのを見るでしょう。

 ⑬政治経済学はRobinsonades [32]が好きなので、最初に彼の島のRobinsonを訪れましょう。
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  14ーー21 段落は略


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『「資本論」の核心』補講全3回(3-3) 榎原 均
補講第3回 第七講 商品の物神的性格とその秘密
1.物象化と物化の区別

 今回のテーマは「商品の物神的性格とその秘密」です。商品の物神性の問題に入るとすれば、当然、現在流行しています廣松渉さんの物象化論、これを批判するということが必要になってきますが、しかしこの点に関しては、すでに私は『ソビエト経済学批判』や『価値形態・物象化・物神性』でそのポイントを述べてあります。それで今回はそれに譲って、ここでは述べません。

 今回の講義をどう進めるかということですが、この『資本論』の商品の物神性のところについては、おそらくこれまで正しく解説されたことがないのではないか。だから、ここではマルクスの説の忠実な解説を試みてみたいのです。

あらかじめそのポイントになる点を言っておきますと、一つは価値形態の秘密と謎です。これはこれまで価値形態論のところで強調してきたことですが、価値形態の秘密と価値形態の謎とをマルクスは区別している。価値形態の秘密については、主として相対的価値形態のところでマルクスが明らかにしている一商品の価値が他の商品の使用価値の身体で表される。つまり、等価形態にある商品の使用価値がそのままで抽象的人間労働の体化物となっているという問題です。

これに対して価値形態の謎というのは、等価形態にある商品上着が、直接交換可能であるという社会的な性格を生まれながらに持っているように見える、そういうことです。それが等価形態の謎と言われている。そこに注目して、価値形態の秘密と謎を区別しよう、これが重要なのだ、これが今までは混同されていた、それを強調したい。

 この問題が物神性のところで非常に重要なポイントとして出てきます。それが、商品が持っている現象形態そのものと、その商品の現象形態を人間が見た場合に人間の頭脳の中にどのような像を反映させるのかという問題です。商品が現象しているそのままの現象が人間の眼に反映する、ということでしたら問題ないのですが、商品は労働生産物のある種の社会的な関係です。その社会的な関係が社会的な関係として人間の目に反映されずに、物どうしの関係として反映される、こういう形になります。これをマルクスは現象形態と幻影的形態というように区別しているのではないか。この二つの違いが、先に言った価値形態の秘密と謎に関係しているのではないか。こういうふうに価値形態の秘密と謎の区別の問題が、物神性を理解していく場合に展開されてきます。いわゆる物象化論はおおはやりですが、ここで私としてはこのように分けるとするならば、当然物象化と物化ということは区別付けて考える必要がある。もちろん両者は関連していますが、物象化という問題は先に言った商品の現象形態に関連し、物化というのはその現象形態が人にとっては物の関係に見える、このように転位するわけで、現象形態が幻影的形態に転位していく。そういう転位の結果を物化と捉えると、マルクスの物神性論は非常にはっきりと理解できると見るのです。

2.物神性論の核心
 それでは、このような観点からマルクスの『資本論』の該当部分を読んでみましょう。65ページです。その下段から69ページの上段の中央辺りまで読んでください。後のところはまた、今回ではなくて別の機会にやりますので、とりあえずそこまで読んでもらいましょう。

 今読んでもらったところで一番ポイントになるところの指摘からいきたいのですが、六六ページの上段の一番最後から下段に移るところです。ここにマルクスの物神性論のポイントが書かれています。ちょっと読んでみますと「それでは、労働生産物が商品形態をとるや否や生ずる労働生産物の謎的性格は、どこから生ずるか?」ということで、以下云々と述べられています。

その後、次の段落に移りますと、
「だから、商品形態の神秘性なるものは、単につぎの点にある」ということでまた展開されています。この二つを区別して考えようということです。価値形態の秘密と謎というように分けたのですが、これに照応してこの二つの提起がなされているのではないか。こう読むと非常に分かりやすいのではないか、これが第一点です。

 実際中身を読んでみますと、「労働生産物の謎的性格は、どこから生ずるか?」とマルクスが提起した場合には、こう言っています。

「明らかに、この形態そのものからである。人間の諸労働の同等性は、労働諸生産物の同等な価値対象性という物象的形態を受けとり、人間的労働力の支出の、その時間的継続による度量は、労働諸生産物の価値の大いさという形態を受けとり」と。P66 上ー下段

 要するに、これは人間の諸労働の同等性という人間の社会関係に属する性格が労働諸生産物の同等な価値対象性という形で、物象としての商品に属するような物象的な形態に転化していくことです。物象的な形態の中で、人間労働の同等性という本来人間の社会関係に属する労働の内容が実現されていく。これは実は、この規定は商品の現象形態そのものを非常に正確に指摘している。もちろん現象形態と言っても、人がそれをそういう形では認識できないですから、分析した結果、そういう物象的形態があるということですが。

 その次に、次の段落です。この価値形態の秘密に関連した商品の現象形態の指摘に関して、次の段落では
「商品形態の神秘性なるものは、単につぎの点にある」と言って、「商品形態は、人間じしんの労働の社会的性格を、労働諸生産物そのものの対象的性格として・これらの物の社会的関係な自然属性として・人間の眼に反映させ」云々とあります。

これは等価形態のところでやった等価形態の謎性を念頭に置いて言われているのです。こういうふうに分けて提起していて、その二つに関しておのおの「労働生産物の謎的性格は、どこから生じるか?」ということで価値形態の秘密の内容が展開されて、ここから生じた神秘性は一体どういうものなのかということで、等価形態の謎性に相当する内容が展開されている。このように区別立てて考えることが、物神性の理解にとって決定的です。

 さらに現象形態と、それから等価形態の謎性とをどのように展開しているかということですが、六六ページの下段の後ろのほうから六七ページに入る、そこを読んでみますと、結局、商品の現象形態が単なる物象的なそういう関係、人間の社会関係が単なる物と物との関係に見えてしまうということですが、

「これに反して商品形態は、また、それが自らをそこで表示する労働諸生産物の価値関係は、労働諸生産物の物理的本性、および、それから生ずる物的諸関係とは、絶対に何の係わりもない。それは、人々そのものの一定の社会的関係に他ならぬのであって、この関係がここでは、人々の眼には物と物との関係という幻影的形態をとるのである。」と言われています。

 ここで「幻影的形態」という言葉が出てきます。この幻影的形態が商品の現象形態にも付着していると考えたらいいのです。それを見ると別の形に見える。この別の形に見えたものは、しかしながらそれは商品にとっては幻であるということです。人間にとっては別に幻ではないのですが、商品にとっては幻になっている。ここで商品自身の現象形態と、それが人間の眼に反映した場合の幻影的形態との区別とが出てきます。

 注意しておくべき点は、よくここを念頭に置いて、商品と商品の関係自体が人々の社会関係の物化したものだという理解がなされることです。これはやはりここの読み方を間違っているのではないか。

 マルクスが言っているのは、商品と商品との関係という、そういう物象相互の社会的関係、これ自体が人々そのものの一定の社会的関係だ、と言っています。そしてこの関係が単なる物と物との関係という幻影的形態をとる。なぜそうかと言えば、商品と商品の関係という物象的な関係によって労働生産物が社会的な力を持っている。等価物、例えば上着の場合、これは他の商品を購買できるという購買力を持っています。その購買力とは本来、人々の社会関係から生じていますが、それが上着という単なる自然物に属しているように見える。これを幻影的形態だと言っているのです。


 そうしますと、ここで現象形態と幻影的形態というように区別して、現象形態が物と物との関係という幻影的形態をとるとすれば、その物象化と物化とをやはり区別して考えないと、にっちもさっちもいかなくなるんじゃないか。

 物象化とは、人格が物象化して人間の社会的な力が物象に備わってしまうという事態です。そういう事態と、その物象の現象形態が単なる物と物の関係という、幻影的形態をとって人間の眼には反映されるという二重の構造になっている。この二重の構造を明らかにしようとすれば、物象化と物化を区別して、それぞれを現象形態と幻影的形態に関連させて区別する。それを、先ほど言った価値形態の秘密と謎の違いに関連させて考えるようにせざるを得ないのではないか。こう考えていきますと、マルクスの物神性論、これは非常に難解でいろいろ誤解されているところが多いのですが、そこの理解に一本の筋を通せます。

  3.社会的象形文字としての商品とその生産
 以上の点を確認した上で、引き続き重要なところを読んでいきますと、六七ページです。

「こうした物神的性格は、以上の分析ですでに明らかにされたように、商品を生産する労働の独自的・社会的性格から生ずる。」と。

これは、ここ以降、今度は商品を生産する労働ですから、今までは商品と商品との関係から、そういう謎的性格がどこから生じるかという問題と、その謎性、神秘性なるものはどういうことなのかを明らかにしたのでが、ここからは、それを労働という観点から見ています。

 注意しておくべき点は、67ページの上段から下段へわたるところです。

「すなわち、彼らの諸労働そのものにおける人と人との直接的に社会的な関係としてではなく、むしろ、人と人との物象的関係および物象と物象との社会的関係として、現象する。」と述べられています。

 ここに注意を払ってほしいのです。結局、商品形態自体が、何らかの人々の社会的関係が物化したものだと捉えられている普通のとらえ方からすれば、人々の社会関係が、商品の関係とは別のところに何となくあるということを前提にしています。

 ところが、商品の形態が人々の社会的関係の現象形態である、それは物象化されているが、そういう形で人間の社会的関係が存在していると見た場合には、この物象的な関係が物化されていて、これが幻影的形態になっているという理解につながっていくのですが、その理解の正しさが、ここでやはり証明されているのではないのか。

 つまりマルクスはここで「彼らの諸労働そのものにおける人と人との直接的に社会的な関係」ではない、人と人との物象的な関係であり、物象と物象との社会的関係であって、これが商品の関係なのだ。それがまた、商品を生産する労働の関係なのだと言っているのです。

 ですから、結局、人々の関係の物象化であるとか物化とか言う場合に、物象的な関連を抜きに、今日の商品経済においては人々の社会的な関係はないのだ。物象的な関連を抜いてしまうと、お互いに独立した私的所有者たちがいる、私的労働生産物の所有者たちがいるということだけになってしまって、社会的な関係はそこにはないのです。

 その次に注目すべき点は、67ページの下の段の真ん中辺です。

「したがって諸物象の価値性格がすでにそれらの生産そのものにさいして問題となるとき」と言っています。

ここは結局、労働から見て私的労働の生産物がどのように商品を生産していくか。そういう商品を生産する過程で、どのように物神性が形成されていくかということを追究していますが、ここで言われている内容は、生産に対して人々が何らかの、社会全体のいわゆる資源配分を意識的に統制して、その上で生産していくということではなくて、諸物象の価値性格が生産を規制している関係になっているのだ。したがって抽象的人間労働が持っている生産に対する関係を考えていく手がかりがここでは与えられています。

 そういうことを見ていきますと、その次のポイントは六八ページに入るところです。結局、生産物をお互いに関係させあうことによって、その関係のなかで社会的実体である抽象的人間労働相互の関係を作っていくという形で、人々が私的労働を社会的に通用するような形にしていきますから、物象の関係に付着している、そこに付着するところの価値、その価値がその商品の生産過程を支配していく、そういう逆転が起こっていくのではないかということです。
 その次に、また価値についての面白い言い方あります。六八ページの真ん中に「価値なるものの額には、それが何であるかということは書かれていない。価値はむしろ、どの労働生産物をも一つの社会的象形文字に転化する。」と。

 人間の労働が抽象的人間労働であるという点で同等だ、そういう同等性において人々の労働が社会的労働になると言うのなら、あらゆる労働は具体的な有用労働であると同時に単なる人間労働力の支出ですから、価値は抽象的人間労働だということになります。この見方からすれば、あらゆる労働は人間労働として共通だから社会的なのだという、説明が成り立つのですが、価値が私的労働を社会的労働にする、そのシステムはそういうものではない。

 私的労働の生産物をお互いに等置しあうことを通して、それを抽象的人間労働という社会的労働に形成するのです。という意味で、価値は社会的労働の関係ですが、価値自体は何であるかということは価値を見ても分からない。生産物を一つの社会的象形文字にする、こうマルクスは言います。

 例えばスイカが一個千円であるとかシャツが一枚三千円であるというように労働生産物が価格を持って現れています。商品経済でなければ、こういう労働生産物のこのような形での表示ということはないのですから、これを社会的象形文字だとマルクスは言っているのです。この社会的象形文字がどういう意味を持っているのだろうかとその秘密を探ろうとし、スイカが一個千円であるとかシャツが一枚三千円であるとかいうのは、そこにその生産物に支出された人間的労働なのだ、それが実体になっていることを発見していく。それが秘密だということがだんだん明らかになっていく。ところが問題は、そういうことが明らかにされても、別に人間労働の同等性ということを人々が意識的に作れる、人々が社会関係のなかで商品形態を借りずに作れるということにはならなくて、やはり商品形態を借りてしなければならない。商品形態を借りてする以上は、物象化および物神性・物化はなくならない。したがって、物象化され物化された形で社会の法則が貫徹されていくということになっていくのです。その仕組みが、その次に書かれています。

 なぜ、そういうふうになっていくかということについては、時間もないので省略しますけれども、ここで重要な点は、価値とは何であるかということを理解したことです。人間に属する労働の社会的性格という、人間社会に属する性格が、労働生産物という、物象に属するものとして現れてくる。労働生産物の価値性格とはそういうことです。

 そういうことが分かり、価値とは何かということが分かっても、幻影的形態は消えない。人間の労働の物象化と、生産物が商品形態をとることによって物象に転化することがあれば、必然的にそれが幻影的形態を人間の眼に発生させる物化のメカニズムも同時にあります。そういう意味で物象化と物化とが密接に結びついている。

4.感性で把握できない理由
 一応の説明をした後で、今度は最初のところに移ってみましょう。

一番最初の段落です。それを見ますと、商品は一見して非常に平凡なものなのですが、それが価値を持っているという点になると非常に分からないものになっていく。物が商品として、例えば価格を持つというふうな形で登場すると、それは感覚ではつかめないものに転化していくということが書いてあります。こういうことは結局、ここの「感性的で超感性的な物に転化する」という訳がありますが、ここは「感性に超感性的な物に転化する」というふうに訳すべきだという意見もありますが、その訳を採りますと、結局、感覚では捉まえられないものに転化していくということです。

 感覚で捉えられないということはどういうことかと言えば、人間の労働が物象化すると、その物象化した現象がそのまま捉えられれば感性で把握できるのですが、それが物の自然的な属性として人間の眼には見えるのです。そうすると感性で捉えられるのは、そういう物の世界ですけれども、問題は物の世界ではなくて物象の世界なのです。物の世界は当然、物象の世界とはずれていて幻影的で、物象の世界という点から見たら幻影である。したがって商品の現象自体は感性では捉えられない、こういう意味なのです。

 それから、その次を開けますと、66ページの上段です。ここには価値規定の内容があります。これも簡単に説明しておきますと、結局、価値とは今言った変な形だ。ところが、価値を規定するものは何かと言った場合、それは労働でそれも抽象的な労働です。

 この抽象的な労働とは何かについては非常に簡単ではないか。
人間の労働力の、生理学的な意味での支出です。それから、価値の大きさを規定するのは労働時間です。したがって、普通の労働が抽象的人間労働という性格をもっていて、その量は時間で計れるということ、それ自体は全然不思議ではない。

 ところが、その価値を規定するその内容が、価値になった場合には物と物との関係、商品と商品との関係において、そういう抽象的人間労働が社会的に成立していくという構造になるのです。

 異種労働を等置することによって、人々の私的労働を社会的労働である抽象的人間労働に還元していくという、こういう変な構造がある。その構造が、その構造として、それ自身が人間に認識されるのであれば問題はないのですが、そういう物象化した構造自体が人間の眼に幻影的形態を反映させる。そういう意味で、商品の価値性格が感覚でつかめないものになっていく、こういうことなのです。これを考慮に入れて、ここのところを読んでいくと非常に分かりやすい。

 今回やり残したところは、その次に初版本文の価値形態論をやり、初版本文の物神性論も当然やるのですが、初版本文の物神性論は、後で言いますが現行版とはかなり違っている。その現行版が初版本文と違うところが今までのところです。その後は、ほとんど初版本文の叙述を踏襲している。そういうこともあって、やり残したところについては初版本文のところで説明します。もちろん、今の段階でこの部分について当然読んでおいてほしいです。                             (補講終了)
 

 暴走しようと岩手にとっては合法と言う法務省

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年 7月22日(日)04時17分13秒
返信・引用
  暴走しようと岩手にとっては合法と言う法務省
  過去より今として告発より4年前からの現実として通訳団体の差別や妨害は違法でしょう。情報センターの貸し出し拒否も。
 調べれば知事の命令と判るはず。まもなく13年の完全孤立です。 法律の無かった頃の話ではありません。先に出した事への答えはいつまで待っても来ない。それさえも時効になってしまう。
 通訳差別以下は2年前の10月からです。今年10月で満3年です。時効にならないうちに何とかなりませんか。
 情報センターのビデオなどの貸し出し拒否そは去年の11月ころからで8ヶ月目です。早くしないと揉み潰し工作が入ります。
 知事の暴走は全国にばらせば告発に等しい。
 と思っても擁護係さえも別のことを考えろと。
 厚生労働省は掲示板を作り実名でも好きなだけ書けとし載せる。 法務省は諦めるなと言いながら法務局に話せとしか言ゎず。そして法務局は掲示板は実名使うなと言うだけ。そして擁護係を推薦したが。ここは別の話しにしてと何もなかったかのように諦めろと言う。
 法務省にとって障害者の一人くらいどうでもいいと言うのか人権は破壊されたまま後は棄てればいいと言うのか。
 そして岩手の看板団体だからと暴走しようと暴走で隠す。
 完全沈黙のかん口令を敷いた。更に関わった人も団体も友達も口封じに全部取り上げた。どこの団体も行かせない。社会参加はさせないこと今年で12年目にして12回になる。
 更に講演会に通訳貸さない差別強行の始まり。栃木と交流が社会参加以外何も関わるなとされたこと。大阪は賛助会員として入りながら岩手にばれて辞めてくれと言われたこと。そして昨年は 全国大会に知っている人は全国の友の会も岩手も誰も合わせない。全国の友の会も全国協会も大会を勧めた事務局長庵さんも知事にあいつに関わると口説き伏せられていた。
 掲示板に実名書くのはかん口令をを逆手に取ったてこ問い゛か来たい放題に実名入りでも12年批判も反論も一つも来ていない。 来るのは妨害だけ。代替し法務省は何もしていない。全国の支援団体はほっかむりだけ。岩手では更生相談所も障害者の社会参加推進センターさえもかん口令が入っていれば非常手段をとるしかなくなります。こっちが被害者です。訴えるぞと脅かしても誰も度胸が無い。復興と引き換えに暴走目こぼしの手形を持って居るとはっきり言えない。それとも知事の暴走は公表しますか。


 

ティーワイケイ高槻生コンが勝訴。大阪広域協組4人組の悪事が暴露された

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月21日(土)14時17分51秒
返信・引用
  ティーワイケイ高槻生コンが勝訴。大阪広域協組4人組の悪事が暴露された

   http://rentaiunion.sblo.jp/article/183609762.html

 本年6月22日、大阪兵庫生コン経営者会は、同月21日に大阪地方裁判所でティーワイケイ高槻生コンが大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域協組)を相手取り起こした仮処分申請の裁判の決定が下され、同社の主張が全面的に認められ大阪広域協組が敗訴したと同会の会報『共創6月21日号』で報じた。
 この裁判は、大阪広域協組の大山正芳副理事長が、部下の参事にティーワイケイ高槻生コンには大口物件の出荷を割り付けないよう違法な指示をしたことが発端で、同社の出荷割り付けが不当に減らされていったことに対し、同社が本年2月9日、大阪地方裁判所へ仮処分申請を提起したものだ。
 今回の決定では、裁判所が本年4月3日の大阪広域協組の臨時総会で決議されたティーワイケイ高槻生コンの除名決議については中小企業等協同組合法に違反するもので無効と断罪したうえで、同社の協同組合員の地位を認めました。ティーワイケイ高槻生コンへの不当な出荷割り付けの差別(減少)については、大阪広域協組の主張を失当と退け、生コンクリートの出荷の割当てや割り付けを停止したり減少させてならない、という同社の訴えを全面的に認めた。
 今回の仮処分申請の裁判で、ティーワイケイ高槻生コンが全面勝利したことで大阪広域協組の地神秀治副理事長、大山正芳副理事長、矢倉完治副理事長、木村貴洋理事長、いわゆる大阪広域協組4人組の振る舞いが不法であったことが社会的に明らかとなった。
 生コン業界では、大阪広域協組内で不当な差別を受けている組合員企業が次々と同協組を相手取り訴訟提起を行うという様そうになっている。


  <私の所在は関東であり、関西生コンへの妨害・襲撃行動については、チラチラとした程度の
  情報しかえられず、事の大事さ、安倍政権の影響力についての判断ができない、ものでした。
  しかし、このような,丁寧な報告があれば、関西生コンへの団結をする関西圏の戦う人々のみならず、
  日本・韓国・そして拡大すれば世界の労働者階級の一大教訓となり得るーーと思い、転載という形式
  ーーですが、紹介させていただきます。




http://rentaiunion.sblo.jp/index-10.html
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 2018年02月05日
 ①大阪広域生コンクリート協同組合と極右活動家グループの粗暴な振る舞い

 いま、大阪広域生コンクリート協同組合は差別・排外主義者と評される瀬戸弘幸氏ときわめて親密な関係になっているのです。
 瀬戸弘幸氏は、「ヘイトデモを主催するなど人種差別を先導する極右活動家」であり、人権差別主義団体「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の後継組織、政治団体「日本第一党」の最高顧問なども務めています。また、マスコミからも「(川崎)市内で差別・排外主義者を集めたヘイトデモや後援会を重ね、標的にされている在日コリアンの人権被害を拡大させてきた」「狡猾で確信的な差別主義者は、全国で最もヘイト対策が進む川崎市で自らの行動が『許可』されることで『差別する自由』を示そうと躍起だ」などと非難されています。
 このように瀬戸弘幸氏は、社会的にみて「差別排外主義者」と位置づけられている人物です。
 ではなぜ、大阪広域生コンクリート協同組合は、そんな人物と親密な関係になったのでしょうか。その目的は、連帯ユニオンつぶし、労働組合つぶしに他なりません。
 また先月25日、和歌山県で活動していた連帯ユニオンの宣伝カーを瀬戸弘幸と行動を共にする渡辺昇氏(牢人新聞社主幹)が率いる数十人の差別・排外主義者グループが急襲し、その行く手を阻むという妨害活動を行ったことでも明らかです。
 その際、大阪広域生コンクリート協同組合の木村貴洋理事長を先頭に数名の執行部と大阪広域生コンクリート協同組合の関係者と思われる人物複数名、そして和歌山県広域生コンクリート協同組合の丸山克也顧問なども駆けつけ、差別・排外主義者グループと一緒になって連帯ユニオンの活動を妨害する行為に加担していました。

 また、大阪広域生コンクリート協同組合は加盟する組合員会社に対し、今年の1月8日に大阪駅周辺にあるヨドバシカメラ梅田前で行われた瀬戸弘幸氏主宰の連帯ユニオンを批判する集会への参加呼びかけを行い、動員をかけました。そして、その後自身のウエブサイトで「私たち協同組合の関係者も、瀬戸幸弘氏及び関係者の皆様による力強い言葉に感銘を受けました。大阪広域生コンクリート協同組合は、この連帯関西地区生コン支部に関する問題に決着をつけるという決意を新たにすると共に、今後も、瀬戸氏の活動を全面的に応援していく所存です」と瀬戸弘幸氏との関係を継続していくことを明言しています。
 私たち連帯ユニオンは、大阪広域生コンクリート協同組合の差別排外主義の差別・排外主義者らと連携して連帯ユニオンの弱体化をめざすという労働組合つぶしに対し断固として立ち向かい、大阪広域生コンクリート協同組合の間違った姿勢の改善、生コン業界の民主化をめざしていきたいと考えています。

【在日特権を許さない市民の会(在特会)】
 差別的言動を繰り返す差別・排外主義者集団であり、行政当局は在特会を「極端な民族主義者・排外主義的主張に基づき活動する右派系市民グループ」と認定している。(警察庁「治安の回顧と展望(平成26年度版)」)

【ヘイトスピーチ解消法】
 我が国では、2016年6月3日、いわゆるヘイトスピーチ解消法が施行されている。同法は、前文において、「我が国においては、近年、本邦の域外にある国又はその子孫を、我が国の地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動が行なわれ、その出身者又はその子孫が多大な苦痛を強いられているとともに、当該地域社会に深刻な亀裂を生じさせている。
 もとより、このような不当な差別的言動はあってはならず、こうした事態をこのままか看過することは、国際社会において我が国の占める地位に照らしても、ふさわしいものではない。
 ここに、このような不当な差別的言動は許されないことを宣言するとともに、更なる人権教育と人権啓発などを通じて、国民に周知を図り、その理解と協力を得つつ、不当な差別的言動の解消に受けた取組を推進すべく、この法律を制定する。


 2018年02月07日
 ② 大阪広域生コンクリート協同組合で何が起こっているのか?
格調と品格を失った大阪広域生コンクリ-ト協同組合

 連帯ブログに参加して頂いている皆さまに、今、関西で何が起こっているかという事をお伝えしたいと思います。私たちは、中小企業が生き残る道としての協同組合事業を通して、振興育成や相互扶助精神に基づく、事業活動を目指して労働組合と多くの中小企業と協力して生コン産業の民主化と健全化、公平無私な分配を求めて事業協同組合運動に傾注してきました。その結果、164社189工場という日本最大の協同組合になりました。生コンの市場の占有率についても100%に及ぶ大きな協働組合になり、市場空前の利益を生む事業体に変貌しました。生コン産業に関わる全ての関係取引先である生コン輸送会社、セメント輸送会社、ダンプ業者、骨材業者、圧送業者、セメント販売会社等や、それらの産業を拠り所に働いている多くの人達の賃金労働条件の向上も出来る環境にやっと到達したわけであり、長年の悲願である産別的な賃金を享受出来るところまできました。

史上空前の利益体質になった協同組合になにが起こったか

継続した労使の運動によって、協同組合の生コン市場占有率は上がり、独占大資本からの影響力が弱まったところで大きな利益を上げる協同組合になりました。
私たちは、独占大資本の狭間で構造不況業種という産業の中で、中小零細企業が労働組合のように団結することによって、市場占有率を上げ、中小企業のダンピング過当競争から脱出することを眼目に脇目もふらずに運動に邁進してきました。
 しかし、史上空前の利益が上がった協同組合は、一部の執行部が栄耀栄華の生活を送ることに麻痺し、利益誘導型の運営をしようと、3年前から黒い企みを計画していたようです。

労働組合を分断させることで何が起こっているのか

 昨年の12月12日まで、生コン5労働組合は、建交労関西支部・生コン産業労働組合・UAゼンセン・全港湾大阪支部・連帯労働組合関西地区生コン支部で構成されていました。共に業界民主化、輸送運賃の値上げ、労働環境の改善を目指して一枚岩で運動を行ってきました。要求実現の為に共闘体制を確立し、運動を行ってきました。
 しかし、業界再建の要である輸送運賃の値上げを履行させるための取り組みから、関西地区生コン支部、全港湾大阪支部を現場に置き去り、敵前逃亡を図るという裏切り行為を行ったのです。これら一連の彼らの行為は全国の労働者に対する裏切り行為であり、許されることではありませんが、組織率が低い彼らを大阪広域生コン協組が懐柔することは想像以上に容易であったのではないかと考えます。
 しかし、協同組合の甘言に乗せられたのかは別として、無軌道で攻撃的なネオナチ差別排外主義者と手を組む広域執行部にすり寄る姿勢については、全国の労働組合員たちを敵に売り渡すような行為であり、許されることではありません。
 広域生コン協組執行部達と裏切った労働組合の幹部達は、金にものを言わせた「恐怖政治」がまかり通る政治の実行しています。
 私たちの職場に攻勢をかけ、組合員に「生コン支部にいても将来がない」などと組織オルグを掛けるなど、生コン支部弱体化の先兵として、裏切った労働組合を利用しています。

中小企業を分断政策

 現在の大阪広域、特に木村理事長、地神副理事長、矢倉副理事長、そして過去「山口組系組員」であると新聞報道されていた大山副理事長(「産経新聞」2007年11月28日、大阪朝刊、24頁)という執行部に逆らう事なんて出来ない雰囲気が出来上がってるようにみえます。大阪広域内からは、生コンの納入割付等が不平等との声などもあがっています。その一つが、ことに協組加盟する多くの良心のある同業他社の中の不満の声を押さえつけることにあります。彼ら執行部の提案に異論を唱えることはタブーであり、事業における死活問題に直結する事になります。一部の生コン工場には手厚いシェア配分が行われるが、連帯との労使関係のあるところには割付をしない、連帯系の生コン輸送会社とは取引しないと決議したりという不当労働行為も平気で組織的に行ってるとの噂も聞こえてきます。
 信じられないだろうが、会社が組合員に組合を辞めてくれないかと相談に来る場面もありますが、このような不当労働行為は論外であるが、これに近い不当労働行為は数多あります。

大阪広域生コン協同組合が目指すところとは。

 彼ら執行部が求めているのは、労働組合排除と日本最大の利益組織である生コン協同組合の乗っ取りにある。その為に、利用できるものは、差別排外主義者でも活用するという姿勢で動いています。
 前回のブログに報告されているが、和歌山の生コン協同組合の運営に敵対している大阪広域は、差別排外主義者の渡邉昇と大阪広域生コン協同組合木村理事長が先頭に乗り込んできて、大山副理事長が和歌山県警の警部に暴行を振るうということが動画で流されています。排外主義者の渡邉、暴行を働いた元暴力団員の大山副理事長、木村貴洋理事長等が映り込んでいるのだが、無軌道極まりないこと平気でやってのけるのだが、木村理事長は止めることさえしていない。このような男が大阪兵庫生コン工業組合の理事長も兼任し、高額の報酬を得ていることに強い違和感を感ています。
 このような危ない橋を渡っても、彼らが目指し、欲しいものとは、日本最大の協同組合と巨大利権にあるのだろう。

闘いは始まったばかりである。

私たちはあらゆる法的対応と違法脱法行為を牽引する、いわゆる広域4人組に対し、徹底的な社会的暴露を行い、差別排外主義者の介入を排除してまいります。



http://rentaiunion.sblo.jp/index-9.html
  2018年02月08日
 ③ 違法と我欲と嘘に塗り固められた大阪広域生コン協同組合
  事業組合法に基づいた事業運営とは

 2018年02月13日
 ④ 差別排外主義者と大阪広域生コン協同組合の蜜月とは

 2018年02月15日
 ⑤ 差別排外外主義者達の繰り返される愚行
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」が施行された。


http://rentaiunion.sblo.jp/index-8.html
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 ⑥2018年02月20日
 ネトウヨ差別集団と一体化した大阪広域生コン協同組合暴力集団(木村貴洋)

 ⑦2018年02月22日
  真相究明特集「札付きの嘘つき集団」について


 ⑧2018年02月23日
 大阪広域協組(木村貴洋)と暴力差別集団(瀬戸弘幸・渡辺昇)等の計画的犯罪としての組合襲撃の真相

木村貴洋は事件の首謀者である

 本年1月22日に大阪広域は我々労働組合事務所を襲撃し、組合員に暴行を働き負傷させたが、この犯罪が綿密に計画され実行された事が判明した。
 まず、我々の事務所前にある川を挟んで対岸にある福島中央卸売り市場があり、その立体駐車場の屋上から連日に渡り、早朝から組合事務所を監視していた事は確認していたのである。
 事件当日に組合員や関係者の出入りをチェックした後、組合事務所に女性職員と少数組合員職員しかいないタイミングを襲撃のチャンスとして、実行に移すという卑劣極まりない事をやってのけたのである。
 理事会や総会では、木村貴洋は臆面も無く「瀬戸先生が抗議しているところを行儀が悪いが、見に行ってきました」云々というような話をしているが、真っ赤な嘘である。
 木村貴洋は、今回の襲撃事件の実行首謀者であり、広域の傭兵部隊である瀬戸弘幸・渡辺昇等を引き連れて組合襲撃をやってのけたのである。

黒い野望に手を染めた木村貴洋と丸山克也

 昨年の8月に同じく、暴力団員を活用し、組合襲撃を画策していた和歌山広域生コン協同組合理事長の丸山克也も昨年の暴力団を活用した事件(未遂)当時は、和歌山県生コンクリート工業組合理事長であったが、木村貴弘も大阪兵庫生コンクリート工業組合の理事長である。このような卑劣な犯罪に手を染めることに何のためらいも感じない人間が工業組合の理事長にしていることは、大きな社会問題にあたることを、今後、全生工組連や中央省庁に申し入れるものである。

犯罪者である木村貴洋は工組理事長をただちに辞任せよ!

木村貴洋襲撃事件首謀者(元関西宇部の代表取締役で解雇になったという噂が出ている)

丸山克也 襲撃事件共謀者(元和歌山県生コンクリート工業組合理事長で数多の犯罪に手を染めてきた)

組合員の活動を威力で妨害し、警察官暴行にも深く関わっている

 現在、大阪広域生コン協同組合のメンバーで組合襲撃に関わった方々の特定作業を進めています。
 今後、刑事告訴をしますので、弁護士照会をしなければなりません。


事件当日も暴れまくっていたこの人 だーれ?(広域の人も写ってましたが、この人もかな?)

木村貴洋襲撃事件首謀者 殿
 私たちは、暴力集団に汚染された大阪広域を徹底して浄化していくことを申し添えておきます。
 現在、組合事務所や組合員への卑劣な嫌がらせ電話が多数掛かっていますが、刑事告訴中は非通知電話にしていても、全てが照会できることをご注意下さい!私たちは、卑劣な脅しや脅迫行為にひるむことはありません! また、「死人が出るな」というような悪質なコメントもあります。これらは、害悪の告知という立派な脅迫犯罪になります。
 木村貴洋首謀者が、組合潰しに雇った渡邊昇も2017年8月3日に有田芳生国会議員(国会法務委員)を脅迫し、警視庁公安部に書類送検されています。

緊急速報

事件概要と犯罪計画の一部始終が、厳しい監視(探偵や広域調査員)がある中での重要な内部リークを取得した。事件首謀者の木村貴洋・地神秀治・大山正芳・丸山克也・矢倉完治が逮捕されるまで、今後も最大限の協力をお願い致します。


http://rentaiunion.sblo.jp/archives/201803-1.html
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  2018年02月26日
 ⑨暴力支配と虚構の大阪広域生コン協同組合・和歌山広域生コン協同組合
矢倉完治は,我々に対して「ゴミ」と言い放った!
絶対に忘れてはなりません!「ゴミ」の一念とは!暴力集団の一掃です!

  2018年02月27日
 ⑩ 大阪広域生コン協組と和歌山県広域生コン協組の「丸山克也と木村貴洋」の黒い癒着とは・・・

  2018年03月22日
 ⑪ 関西生コン関連業界65年目の歴史で始めて見えてきたもの・・・
大阪広域生コンクリート協同組合の実態「醜い利権を守るため四人組は何をしようとしているのか?」

「生コン関連企業危機突破総決起集会」と2010年7月2日から11月17日迄続いたと139日間のストライキを闘い抜いた成果と、木村貴弘の功罪とは・・・・・

 2010年11月17日に第10回の集団交渉で全面勝利し、ストライキは解除され、生コン価格も旧契約1万6300円、新契約1万6800円の要求を掲げ、出荷ベースと最後まで主張していたにも関わらず、木村貴弘は独占資本であるゼネコンや販売店を周り「今回の売り価格は労働組合が決めたので、生コン価格はスト決定約束に拘束されない。」などといい、ストライキによる大きな成果をつぶしたのである。
 疲弊してきた生コン関連産業に追い打ちを掛けるような策動を働き、一部の独占の利益代表として暗躍したのである。結果として、住友系列の大きな商社と生コン会社が200億円の負債により倒産し、その後も倒産が続発することになるのだ。住友大阪セメント潰し・・・・
 現広域協(木村貴弘)の功罪とは、建設独占に対して中小企業と労働者の共同戦線で闘ってきた我々の後側で常に謀略を考え、暗躍してきたことにある。時に独占資本の手先で、時に暴力的な執行部の手先として巧妙に動き自己利益と自己保身だけを考える狡猾な男だ。
 しかし、木村貴弘の野望は、2018年潰えるだろう、さんざん大阪広域協同組合と大阪兵庫生コン工業組合の要職という立場を利用し、今や「地神秀治」の子飼いとして、違法脱法行為を繰り返し体現しているのである。経済産業省の所管団体である協同組合に排外主義暴力集団を介在させ、組合襲撃を平然とやってのけ、自らは対岸の火事を見るように身をかわしてきたが、その実態は図らずも全容が露呈している。
 木村貴弘・地神秀治・矢倉完治・大山正芳は首謀犯であり、実行犯であることは紛れもない事実であるが、広域協組には、39名ものヤメ検弁護士を中心にした対策班がいるから何をしても大丈夫だと嘯き、傍若無人の限りを尽くしているのだ。
 連帯の労使関係企業には、「連帯の組合員を解雇しろ」「連帯の労使関係のある生コン輸送会社と取引するな」「連帯の労働者供給事業者に発注するな」「連帯労組との労使関係を断ち切らんと割付しないぞ!」という耳を疑うようなことが現実に実行されているのだ。

 我々の仲間を「ウジ虫」と言い放った地神秀治はイギリス皇室御用達という、名車の「ベントレー」に乗る。
 利益誘導で空前の利益を上げ栄耀栄華の生活を謳歌しているのだろう・・・・笑いが止まらんか?
 税金問題や黒い組織との癒着も赤裸々に告発文で指摘されているが・・・・独り占めはあかんやろ!
 というようなコメントも過去には寄せられていました。

次回は、和歌山県広域生コンクリート協同組合の丸山克也という暴力理事長の特集を組みます。
「渡辺昇」という差別排外主義者と仲良く組合員襲撃を行った「丸山克也」は経済産業省の所管団体である協同組合の理事長であることの自覚すら無い有様である。過去には、工業組合の理事長も兼任していたのであるが、和歌山県警との黒い癒着も指摘されているようで、本当に世も末だ!


http://rentaiunion.sblo.jp/index-6.html
  2018年03月01日
 ⑫ 組合潰しの費用に10億円投入!さらに20億円、30億円・・・・・?

  2018年03月03日
 ⑬ 地神秀治大阪広域副理事長の実態

  2018年03月05日
 ⑭ 大阪広域生コンクリート協同組合の四人組
大阪広域生コンクリート協同組合の実態「醜い利権を守るため四人組は何をしようとしているのか?」

http://rentaiunion.sblo.jp/index-5.html
  2018年03月06日
 ⑮ 大阪広域生コンクリート協同組合が支配介入する「2018年春闘交渉」・弁護士が指導する不当労働行為?
 3月5日近畿生コン関連協議会と関西建設オーナー会との第一回集団交渉(主旨説明)が行われた。
 現在でも、大阪広域生コン協同組合「木村貴洋」は、連帯との労使関係社に対して、団体交渉を拒否するように発信しており、明確な不当労働行為を行っている。
 明日の関西生コン関連労働組合連合会の第一回集団交渉に参加するな!ミキサーパレードにもミキサー車を貸与するな!協力したら除名処分や!そんな風に広域協組の四人組から恫喝されている・・・・・・・・・・?

 2018年03月07日
 ⑯ 反組合的言動や行動は全て不当労働行為である!「無法地帯」と化した広域協組
労組潰しの策動は明白な憲法違反である。

  2018年03月27日
 ⑰ 俺様の俺様による俺様だけの協同組合とは・・・加害者であった丸山克也が被害者面して協同組合を私物化する。
差別排外主義者と結託し、和歌山の生コン業界を自分のために牛耳ろうとしている悪党!

差別排外主義者を傭兵に雇った「丸山克也 和歌山広域生コン協同組合理事長」の黒い野望!

 今、日本の生コン事業協同組合のコンプライアンス問題が問われているが、その元凶は、異常震域とされる関西にある大阪広域生コン協組と和歌山広域生コン協同組合にあることは周知の事実である。
 無法地域となった二つの地域が揺れに揺れているのであるが、揺さぶり続けているのは、木村貴洋と丸山克也である。
 これまでに、大阪広域協組(木村貴洋)と和歌山広域協組(丸山克也)の黒い野望については、本ブログを通じて詳細に報告してきたが、大阪広域協組と和歌山広域協組の利害が一致するのは、莫大な利益の誘導と実行確保にある。その為、業界民主化と不正運営を見抜く監視役としての我々の政策運動・業界民主化運動が邪魔であり、組合嫌悪を業界内にすり込み、無手勝流で組合排除を行っている。目的を達成するために!
 彼等は、違法脱法行為と承知しながら労使関係企業に人を送り込んで、強引な支配介入を繰り返して「組合員を解雇しろ!労使関係企業と取引するな!」と企業に対して強要する。
 その手法はヤクザであり、金で雇った人間に嫌がらせの数々を繰り返させるが、全貌は見えてきたようである!
 思い当たる御仁が広域執行部内にいるはずだが、どのように思われているのだろうか?日本の警察を甘く見てはいけないでしょうな?警察に嫌われている我々が言うのだから説得力ありますよ!あ・な・た ですよ!あ・な・た !
 大阪広域協組と和歌山広域協組は、一般社団法人西日本連合会を設立して「連帯労働組合潰しに10億円の予算を計上した。」業界紙発表では同連合会理事に木村貴洋・丸山克也・菅生行男氏・他一名の計4名で構成し、4月2日付で正式発表するらしい。
 いずれにしろ、1月22日の組合襲撃事件を見ても明らかなように、法令遵守という意識の欠片も無い連中で構成された、独裁と・恐怖政治を裏で支える巨大利権組織である。
 「連帯が裁判しても関係無いがな!さしとったらええんや!金はなんぼでもあるがな!引っ張るだけ引っ張って潰したったらええんや!」今や無法地帯となってしまった和歌山広域協組(丸山克也)と大阪広域協組(木村貴洋)は結託して悪事の数々を働く、嘘と欺瞞に満ちた犯罪者達である。
 このような運営に疑問を持っている人たちもいるが、反対すると不利益を与えられることの矛盾に、すでに抗う気力さえ奪われているという本音の話も組合入ってきている。
 今後、紹介していきたいと思う。
 丸山克也は、現在も瀬戸弘幸一派で、有田芳生参議院議員の暗殺を予告した罪で起訴された渡辺昇や有門大輔という差別排外主義者達と共に行動し、和歌山の生コン業界に睨みをきかし、西日本連合会の加入を強要しています。また、丸山克也自身が宣伝カーを作成するなどし、和歌山でのネトウヨとして自らの従業員を投入し、活動を活発化させているが、こんな男が協同組合や工業組合の理事長であること自体、業界の見識が疑われるものであり、火急に排除しなければならない。
 私たちは、西日本連合会を独占し「俺様流」で運営を支配する者達に対して中小企業と労働者の共同戦線で闘います!

 緊急速報

 過日、和歌山広域協組の職員で湯浅生コンクリートで働いておられた従業員の方が自らの命を絶ったという情報が入ってきました。丸山克也の下で働いていたという事ですが、何か込み入った事情でもあったのでしょうか。ご冥福をお祈りいたします。

差別排外主義者で有田芳生参議院議員に暗殺予告した渡辺昇が司会の差別排外主義の専門番組「はとらずチャンネル」の映像に、恥も外聞もなく、まるで英雄気取りで出演する丸山克也は物笑いの種である。
和歌山の多くの経営者に対して差別排外主義者の外形的圧力を掛けてまで欲しがった和歌山生コン工業組合の椅子にしがみつく丸山克也の姿は、まるで欲しかった玩具を与えて貰った子供ように喜んでいます!
 和歌山の業界を良くすると抱負を語っていますが、元々ダンピング販売で拡販し、第二協組まで作って業界を混乱させた当事者が、どの口が言っているのかという批判の声も気にせず、差別排外主義者に祝福されて喜んでいます。見ていて恥ずかしくなりますが、ご本人は至ってご満悦のようです。
 誰も差別排外主義者と化した丸山克也を祝福していませんし、ただ、警察行政や司直の厳正な判断を待っているだけですから。面倒くさいだけですから!同業他社の皆さんは!あんたが!


この間、心無い書き込みや害悪の告知と評価される書き込みによって、コメント欄が非常に混乱しており、刑法上問題があるものについては、司直の判断に任せることとし、しばらくの間、コメント書き込み欄を閉鎖致します。ご利用者の皆様のご理解を賜りますようお願いいたします。


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  2018年03月13日
 ⑱ 大阪広域協組の四人組とは・・・法律無視で手段を選ばず、自己利益の追求に奔走する主犯格四名とは・・・

 大阪広域の四人組は、ヤクザのような振る舞いこそしているが、列記とした経済産業省の所管団体である事業協同組合執行部の幹部達である。今や、私たちが民主化を求める生コンクリート協同組合の木村貴洋理事長・地神秀治副理事長・矢倉完治副理事長・大山正芳副理事長は特権階級意識の暴力的独裁者である。
 映像を見た人たちの感想は、一応に「嘘でしょう!・こんな人たちが協同組合の理事長や副理事長なんですか?」と驚いているが、これが大阪広域生コン協同組合の幹部達の実態である。
 私たちの敵は協同組合ではない!協同組合に巣食う四人組である!協同組合を私物化する独裁者である!
 協同組合の運営に関しても、中小企業等協同組合精神など守る事も無く、意に沿わない企業や民主化を求める我々労働組合には、独裁的決定や恫喝を繰り返してきたのである。

 四人組の共通項は、生コン工場シェア-権利の独占、販売店、骨材、生コン輸送、バラセメント輸送等の利権を貪る事にあります。その為には法律無視で手段を選ばず、自己利益の追及に奔走する主犯格であるということだ。

 全ては、年明けの1月8日ヨドバシカメラ前から始まったのである。四人組は差別排外主義者達と接点を作り組合潰しの傭兵に雇ったのである。
 その為に、10億円もの予算を協同組合として組んだ事を、木村貴洋は生コン業界の新年互礼会で臆面も無く満面の笑みで報告していた。
 同年1月22日、在日朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯)中央本部への拳銃発砲事件を起こして逮捕された桂田智司や川村能教等と共に活動してきた瀬戸弘幸や渡辺昇、有門大輔等を傭兵に雇い、我々労働組合を襲撃し、組合員に暴行をはたらき、大けがを負わせたのである。
 四人組は自己利益を確保するために手段を選ばず、労働組合に対しても暴力で解決しようと虎視眈々と狙っているのですが、地神を通じて闇の社会に資金が流れているという告発文も出ており、もはや、まともな事業協同組合としての運営をしているとは到底思えません。

  2018年03月14日
 ⑲ 一刻も早い放逐が必要なのに、
なぜか、瀬戸弘幸を中心にした差別排外主義者たちに及び腰の大阪広域(木村貴洋)

  2018年03月15日
 ⑳ 団結権の侵害に対しても無反応な堕落した三労組の幹部達!「権利放棄」することは丸裸になること!

木村貴洋と地神秀治の操り人形に成り下がった三労組と権力弾圧を仕掛けようと暗躍する暴力排外主義者達

http://rentaiunion.sblo.jp/index-3.html
  2018年03月20日
 21 大阪広域は何を行い、何を隠そうとしているのか?
業界の良心は生きている。

  2018年03月22日
 22 関西生コン関連業界65年目の歴史で始めて見えてきたもの・・・
広域協組 組合員からの投稿映像

  2018年03月27日
 23 俺様の俺様による俺様だけの協同組合とは・・・加害者であった丸山克也が被害者面して協同組合を私物化する。
差別排外主義者と結託し、和歌山の生コン業界を自分のために牛耳ろうとしている悪党!


http://rentaiunion.sblo.jp/index-2.html
  2018年03月30日
 24 タコ部屋の中から立ち上がった労働組合の精神を継承しているか ?
大阪広域の新たな犯罪行為が、またもや発覚した!

 大阪広域の副理事長である大山正芳(元暴力団員)が現在、連帯労働組合の組合員の名簿と住所を確認報告するように協組組合員社に呼びかけ、連絡先の確認をとるように発信し、新たに違法な嫌がらせを行っている!すでに問い合わせが有った関係者からの情報提供と録音もできており、重大な犯罪行為を侵したことをブログをもって報告しておきます。

 先達者の足跡を消そうとする生コン関連協議会三労組とは・・・・

 現在の労働条件と協同組合を継承できているのは、多くの先達者達の血と涙と汗にまみれた犠牲と努力である。生コン職場に法律無しと言われる時代が終わったのは、先達者達と今も前線で闘う仲間の心意気だ。
 中小企業の本質と向き合い、「中小企業の二面性」について徹底して分析して、「一面共闘」「一面闘争」という矛盾を乗り越えて対等な「協定締結」を具体化してきたのは我が組織である。
 決して、打算的な政策で無く、また、無原則な歩み寄りを許さず、厳しい要求も突き付けた中で、中小企業と労働者が共闘して協同組合運動に拍車がかかったのである。
 これら多くの成果と先達者の努力を大阪広域(木村貴洋等)四人組達は、踏みつけ、血と汗の努力で先達者達が勝ち取ってきたあらゆる権利を蔑ろにし、独り占めしようとしている。
 あろうことか、大阪広域は差別排外主義者を傭兵や子飼いとして悪用しながら、時に組合を襲撃し、時に火事場泥棒よろしく我が組織の職場に土足で踏み込み、我が物顔で権利や利益を侵奪しようとしている。
 驚いたことに共闘してきた三労組は、「近畿生コン関連協議会ニュース」で一連の権利侵害や犯罪行為を容認しているのである。この三労組は、決別宣言をしておきながら、あつかましくも我々に公開討論の呼びかけをしているようだが、我々がこのような、つまらない広域に飼われる薄汚れた労働組合擬きの幹部達と話し合うことは、今後一切ない。これまでのように仏心を出す事も無いだろう。公開討論をYouTubeにアップする等と書いているが、差別排外主義者の浅はかな知恵だろうと思うが、その連中と未来永劫に共闘させて貰えばいいだろう。嘘ばかりつく労働組合には、お似合いの共闘関係だろう。
 すでに労働組合の体は成しておらず、差別排外主義者とヤクザ・チンピラに迎合し、どこまでも落ちぶれればいい。魂まで売った三労組の幹部のみなさん。組合員に責任を果たしてあげて下さい。我々は、こんなヤクザ・チンピラが支配する協同組合を認めていないし、信念に基づいて、たとえテントになっても闘い続けますから。さようなら!


  2018年04月18日
 25 あまりにも酷すぎる、ポチ三労組の実態・・・

緊急速報
大阪広域(木村貴洋)が結託している差別排外集団の犯罪については、有田芳生議員に対する暗殺予告で渡辺臥龍が書類送検、朝鮮総連本部発砲事件で緊急逮捕された桂田智司、京都市で朝鮮学校の名誉毀損で在特会の西村斉が在宅起訴になった。
 普通に考えてみれば、こんな連中と一緒に組合襲撃をする木村貴洋・地神秀次・大山正芳・矢倉完治・丸山克也もどうかしているが、この連中の犯罪を擁護し、容認している建交労や生コン産労は労働組合としては末期症状だろう。一日も早く組合旗を降ろしてもらいたいものだ。安倍主導の官制春闘のような、おかしな春闘で大阪広域生コン協同組合に卑屈な迎合をし、広域執行部の四人組に限りなくすり寄る幹部達の姿勢は、堕落した幹部だ。連帯の闘う姿を違法行為のように発信しているが、闘ったことの経験も歴史もない、ストライキなんて共闘していたときから怖がっていたのである。組合員が不利益を被っても、幹部達が体を張って、敵と闘うことは無い! なぜ? 権力と資本が怖いからである。恥を恥と思わない労働組合の宿命は見えている!

  2018年05月07日
 26 大阪広域生コンクリート協同組合の木村・地神・矢倉・大山の狙いは薄汚れた黒い利権!
大阪広域の四人組の仲間達の実態はこれだ!

大阪広域生コンクリート協同組合を最大限に利用し、自らの汚れた利権に溺れている四人組は利権体制を確立しようとしている。そのため、業界の民主化を愚直に求める連帯労働組合関西地区生コン支部が邪魔でならなかった。そのため労働組合への支配力を強化する目的で数多の暴挙を繰り返している。自分たちだけが都合のいい生コン業界に仕立て上げるために、暴力団まがいの人間を使い、差別排外主義者達と共に襲撃を繰り返し、ポチに成り下がった「労働組合擬き」までもオルグ広報宣伝部隊として、私兵のように使っている。


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連帯ブログ
連帯ユニオンのブログです
  2018年05月18日
 27 ネオナチ・レイシスト集団と大阪広域生コン協組「木村貴洋理事長」の利益を体現するポチ三労組! !
 大阪広域生コン協同組合「木村貴洋・地神秀治・大山正芳・矢倉完治」は、ネオナチ・レイシスト集団と結託し、我々連帯労働組合と組合員を攻撃する!
 我々が木村貴洋等四人組との闘いを絶対に負けるわけにはいかない理由がここにある! これだけではない! この連中と共に我々を攻撃する建交労・生コン産労・UAゼンセンという労働組合の実態も暴いていく!

  2018年06月22日
 28 法律違反が常套手段の大阪広域生コンクリート協同組合「木村貴洋と危ない仲間達」悪事の数々1 大阪地検や大阪府警は捜査しているらしいが・・・・・今一歩踏み込めない事情は何処にあるんですか? やっぱり・・・・渡邉昇が言うような込み入った闇の事情があるのかな?

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本年1月22日には、協同組合「木村貴洋・地神秀治・矢倉完治・大山正芳」等が前代未聞の事件を起こしたのは周知の事実だ。協同組合に対して民主運営を求める我々に対し、あろうことか「拳銃発砲事件」を起こすような差別拝外主義者集団を組合に対する襲撃部隊に雇い入れ、組合理事長である木村貴洋を首謀者として、本年1月22日に組合襲撃を決行し、暴行傷害事件まで起こしたあげくに組合は刑事告訴した。

ティーワイケイ高槻生コンが勝訴。大阪広域協組4人組の悪事が暴露された

   http://rentaiunion.sblo.jp/article/183609762.html

 本年6月22日、大阪兵庫生コン経営者会は、同月21日に大阪地方裁判所でティーワイケイ高槻生コンが大阪広域生コンクリート協同組合(大阪広域協組)を相手取り起こした仮処分申請の裁判の決定が下され、同社の主張が全面的に認められ大阪広域協組が敗訴したと同会の会報『共創6月21日号』で報じた。
 この裁判は、大阪広域協組の大山正芳副理事長が、部下の参事にティーワイケイ高槻生コンには大口物件の出荷を割り付けないよう違法な指示をしたことが発端で、同社の出荷割り付けが不当に減らされていったことに対し、同社が本年2月9日、大阪地方裁判所へ仮処分申請を提起したものだ。
 今回の決定では、裁判所が本年4月3日の大阪広域協組の臨時総会で決議されたティーワイケイ高槻生コンの除名決議については中小企業等協同組合法に違反するもので無効と断罪したうえで、同社の協同組合員の地位を認めました。ティーワイケイ高槻生コンへの不当な出荷割り付けの差別(減少)については、大阪広域協組の主張を失当と退け、生コンクリートの出荷の割当てや割り付けを停止したり減少させてならない、という同社の訴えを全面的に認めた。
 今回の仮処分申請の裁判で、ティーワイケイ高槻生コンが全面勝利したことで大阪広域協組の地神秀治副理事長、大山正芳副理事長、矢倉完治副理事長、木村貴洋理事長、いわゆる大阪広域協組4人組の振る舞いが不法であったことが社会的に明らかとなった。
 生コン業界では、大阪広域協組内で不当な差別を受けている組合員企業が次々と同協組を相手取り訴訟提起を行うという様そうになっている。


2018年07月19日
  渡邉臥龍の逮捕で大阪広域生コン協同組合「木村貴洋」・西日本建設関連オーナー会「菅生行男」に家宅捜査?

さる7月10日、和歌山県警は、器物破損容疑で渡邉臥龍こと渡邉昇を逮捕した。立憲民主党の有田芳生参議院議員に暗殺予告した渡邉臥龍が司会の差別排外主義者の専門番組「はとらずチャンネル」の映像に、恥も外聞もなく、まるで英雄気取りで出演していた丸山克也は、本当に物笑いの種になってしまったようだ。
 和歌山の多くの経営者に対し、執拗な圧力を掛けてまで欲しがった工業組合の椅子にしがみつく丸山克也の姿は、まるで、欲しかった玩具を与えて貰った子供ようにはしゃいでいた丸山克也!
 和歌山の業界を良くすると抱負を語っていたが、その実は、自分の田んぼに水を引くことしか考えていなかった。ダンピング販売で拡販し、第二協組まで作って業界を混乱させた当事者が、どの口が言っているのかという批判の声もあったが、差別排外主義者に祝福されて喜んでいた丸山克也!見ていて恥ずかしくなった映像だが、ご本人は至ってご満悦のようだったのに、このところ小さくなって何処に行ってしまったのか、消息がわからない丸山克也!

「だれも和歌山県生コン工業組合理事長になった丸山克也を祝福するもんなんかいませんよ!この業界の人は、丸山をヤクザと思っていたし、過去に大きな事件を起こして逮捕されている人間ですからね。面倒くさいし、逆らえない雰囲気を作っていたからね」地元消息筋

渡邉臥龍のような雑魚の逮捕くらいで業界が変わるとは思っているわけでは無いが、我々の想像以上に闇は深いようだ!大阪広域生コン協同組合や西日本建設関連オーナー会にまで、家宅捜査が入っているらしい。
理事会では、オーナー会だけに家宅捜査が入っただけと報告し、嘘をついていたようだが、実際には大阪広域生コン協同組合にまで家宅捜査が入っていたようだ。

会計監査請求権は組合員に当然の権利として実行されているでしょうネ!背任容疑はおまへんやろな?

 大阪広域生コン協同組合「木村貴洋」の事業外目的活動と一般社団法人西日本建設関連オーナー会「菅生行男」の事業活動と費用分担の区分けはどうなっているのか? 実に興味深い!協同組合加盟の組合員の多くは、非常に興味を持っているが声に出せなかった!また、意義や異論を唱えると「じゃかましいわい!文句あるんかい!」等とチンピラヤクザのような理事が制圧するらしい!

 四人組の為の四人組による四人組の為の協同組合に実態とは・・・・

 毎月の出荷実績を見ても、誰が見ても不公平な運営が継続しているが、あからさまな不公平や不平等運営が、広域協組内に大きな内部矛盾を生み出しており、このことについての意見や意義の声も上がっているらしいが、まともにとりあってもらえない、若しくは、暴力的に排除されてきたようだ。
 ここにきて、生コンの販売奨励金の疑惑も噴出しているようだ・・・・
 一部の人間(四人組)だけで、決定していく広域の全ての方針に誰も逆らえない・・・・
 本来事業協同組合は、相互扶助の民主的運営が求められているが、既に協同組合としての機能が破綻しているということだ。
 また、業界民主化を求める労働組合潰しのためのネオナチレイシストと結託した攻撃にかかる費用は、事業外目的使用であり、法的にも大きな問題がある。

 組合襲撃の傭兵として雇っている資金は、どのように捻出しているのだろうか。
 事業協同組合法・公正取引法違反・不当労働行為教唆や名誉信用毀損・強要・恐喝と法律違反の総合商社と化した大阪広域生コン協同組合の実態が徐々に明らかになるだろう。
 ヤクザチンピラの類いを中心にした大阪広域がまともで無いことは明らかであるが、それを容認しているような警察や検察にも世間の厳しい注目が集まっているようだ。
 大阪府に1000万円の寄付を行い、堅気であることをアピールしているようだが、「渡邉臥龍」逮捕で家宅捜査に入られるようでは、世間の目はごまかせないだろうな!木村貴洋理事長!気分は「ケセラセラ」か?


次回から、業界に巣食うダニ退治シリーズをお送りします

「ひと~つ人世の生き血を啜り、ふた~つ不埒な悪行三昧、み~つ醜い業界のダニを、退治してくれよう関生支部!」

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  フランス語版資本論  第四節 商品の物神性とその秘密

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月20日(金)09時27分3秒
返信・引用 編集済
  3a<三段落>
③労働生産物が商品形態を帯びるやいなや、労働生産物の謎めいた性格はいったいどこから生ずるか?明らかにこの形態そのものからである。

④人間労働の同等性という性格は、労働生産物の価値という形態を獲得する。<①価値形態>
継続時間による個別的労働の測定は、
          労働生産物の価値量という形態を獲得する。<②価値関係の量的側面>
最後に、生産者たちの労働の社会的性格がそのなかで確認されるところの彼らの諸関係は、労働生産物の社会的関係という形態を獲得する。         <③価値関係の質的側面>

このことが、これらの生産物がなぜ商品に、すなわち、火を見るより明らかでしかもそうではない物、あるいは社会的な物に変換するか、の理由なのである。
      <④生産物が上記①②③での条件を満たしての商品であり、社会的な物に変換>
かくして、視神経にたいするある物体からの光の印象は、この神経そのものの主体的な刺激としてではなく、眼の外部に存在するあるものの感知しうる形態として現われる。付言しなければならないが、視るという行為にあっては、外界のある物体から眼という他の物体にたいして光が実際に投影される。それは、物理的な諸物間の物理的な関係である。

だが、労働生産物の価値形態や価値関係は、その物理的性質とは全くなんの関係もない。
このぼあい人間にとって諸物相互の関係という幻想的な形態をとるものは、たんに、人間相互間の特定の社会的関係であるにすぎない。
      <⑤上記①②③④の事柄を指しているーー諸物相互の関係という幻想的な形態>
この現象に類似したものを見出すためには、それを宗教世界という曇った領域のうちにもとめざるをえない。そこでは人間の頭脳の産物が、それぞれ特殊な体躯を賦与されて人間との交渉やこれら産物相互間の交渉を.行なうところの独立的な存在、という外観を呈する。商品世界における人間の手の生産物についても、同じである。これが、労働生産物が商品として現われるやいなや労働生産物に付着する物神崇拝、すなわち、この生産様式に不可分の物神崇拝、と名づけることのできるものなのだ。
   <⑥宗教世界と同じく、転倒した商品世界での人間の手の生産物 が主体となる転倒>
⑤一般的に言うと、有用物が商品になるのは、それらの有用物が、相互に独立して営まれる私的労働の生産物であるからにほかならない。これら私的労働の総体が、社会的労働を形成する。生産者たちは、彼らの生産物の交換によってはじめて社会的に接触するのであるから、彼らの私的労働の社会的性格が最初に確認されるのも、この交換の限界内に限られる。あるいは、私的労働は実際には、次の関係によってはじめて社会的分業として現われる。すなわち、交換が労働生産物のあいだに、そして間接には生産者たちのあいだにうちたてられるという関係によって。この結果、生産者たちには、自分たちの私的労働の関係が、あるがままのものとして、すなわち、自分たちの労働そのものにおける人と人との直接的な社会的関係としてではなくむしろ物と物との社会的関係として、現われることになる。
       <⑦自分たちの私的労働の関係が、物と物との社会的関係として、現われる>
⑥労働生産物はその交換のなかではじめて、有用物としての多様な物的存在とは区別されるところの、同等で一様な社会的存在を、価値として獲得する。有用物と価値物への労働生産物のこのような分裂が実際にひろがるのは、有用物が交換を目あてに生産されるほどに、交換が充分広範囲かつ大量に行なわれるようになった直後のことであって、このために、これらの有用物の価値性格は、生産そのもののなかですでに考慮されるようになるのである。
    <⑧有用物と価値への労働生産物の分裂が起こるのは有用物が交換を目あてに生産>
生産者たちの私的労働は、この瞬間から、事実上二重の社会的性格を獲得する。
    <⑨私的労働--労働--が二重の社会的性格を獲得>
これらの私的労働は一方では、有用労働でなければならず、社会的な必要をみたさなければならず、このようにして総労働の、すなわち自然発生的に形成される社会的分業体制の、構成部分として確認されなければならない。他方、これらの私的労働は、それぞれの有用な私的労働種類が他のすぺての有用な私的労働種類と交換可能なものであり、すなわち、これらと同等であると見なされるがゆえにはじめて、生産者自身のさまざまな必要をみたすのである。相互に全くちがっている労働の同等性は、それらの労働の現実の非同等性を無視するばあい、すなわち、それらを人間労働力の支出としての、人間労働一般としての共通な性格に還元するぽあいに、はじめて成立しうるのであって、ただ交換だけが、この上なく多様な労働生産物を同等の立場で相互に対面させることによって、こうした還元を行なうのである。

⑦私的労働の二重の社会的性格は、実際の交易つまり生産物の交換が生産者たちに押しつけられる形態でのみ、彼らの頭脳に反映される。生産者たちは彼らの労働生産物を価値として対峙させて関連させるが、それは、彼らがその労働生産物のうちに、同一の人間労働を隠している単なる外被を、看取するからではない。全く逆である。彼らは、自分たちの相異なる生産物を交換において同等と見なすことによって、自分たちの相異なる労働が同等であることを実証する。彼らはそうとは知らずにそうする。(27)
    <⑩労働の二重性の示す、価値に表示される人間労働があることで、交換しうるか?
    --自分たちの相異なる生産物を交換において同等と見なす
    --そのことで、自分たちの相異なる労働が同等であることを実証す
    --上記があって、生産者たちは彼らの労働生産物を価値として対峙
    --有用物の価値への転化-->
だから、価値の額(ヒタイ)の上には、それがなんであるかは書かれていない。価値はむしろ、それぞれの労働生産物を象形文字にする。時が経ってやっと、人間はこの象形文字の意味を解読し、自分が関与して作ったこの社会的生産物の秘密を洞察しようと試みるのであって、有用物の価値への転化は、言語と全く同じに社会の産物なのだ。〉(49頁)

⑧労働生産物は価値としてはその生産に支出された人間労働の純粋にして単純な表現である、という後世の科学的発見は、人類の発展史上に一時期を画すものであるが、労働の社会的性格を物の性格、生産物自体の性格として出現させる幻影を、少しも一掃するものではない。

この特殊な生産形態、つまり商品生産にとってのみ真実であるもの--すなわち、この上なく多様な諸労働のもつ社会的性格が、人間労働としてのそれらの同等性のうちに成り立っていること、そしてまた、この独自な社会的性格が労働生産物の価値形態という客体的形態をとっていること--、
     <⑪四段落での提示である①②③のことがらが、自然的形態、不問事項になる>
この事実は、商品生産の機構と関係のなかにとらわれている人間にとっては、価値の性質の発見の前後を問わず不変であり、自然界の事実であるかのように見えるのであって、このことは、空気の化学元素の発見の前後を問わず相変わらず同じである空気という気体形態のばあいと、全く変わりがない。

⑨交換者が最初に実際上関心をもつことは、自分の生産物と引き換えにどれだけのものを手に入れるか、すなわち、生産物が互いに交換される比率を、知ることである。この比率がある慣習的な固定性を獲得するやいなや、それが交換者にとっては労働生産物の性質自体から生ずるかのように見える。化学物質が固定的な比率で化合しているのと同じように、これら諸物のうちには、一定の比率で交換されるという属性が宿っているかのように見える。
        <⑫交換比率--労働生産物の性質自体から生ずる・自然的形態に見える>
⑩労働生産物の価値性格が実際に目立つのは、労働生産物が価値量として規定されるばあいにかぎられる。価値量は、生産者たちの意志や予測にかかわりなく不断に変化し、したがって、彼ら自身の社会的運動が彼らの眼には物の運動という形をとる。彼らはこの運動を導きうるどころではなく、運動が彼らをひきずるのである。次のような科学的真理が経験そのものから引き出されるまでには、商品生産が完全に発展していることが必要である。この科学的真理は、相互に独立して営まれる私的労働が、社会的、自然発生的な分業体制の分枝として絡み合っているとはいえ、その社会的な比率尺度に絶えず還元される、ということである。
それでは、なぜか?
       <⑬運動が彼らをひきずる--価値量が社会的必要労働量に規定される>
私的労働の生産物の偶然的な、いつも可変的な交換比率においては、その生産に必要な社会的労働時間が規制的な自然法則として力ずくで勝利を占めるからであり、このことは、象が頭上に崩れ落ちてくれば誰にでも重力の法則が感じられるのと同じである。(28)
したがって、労働時間によって価値量がきまるということは、商品の価値の表面的な運動の背後に隠された秘密である。とはいえ、この秘密の解決は、価値量が外観のように偶然的にきめられるものでないということを示すものの、それによって、価値量が諸物のあいだの、労働生産物自体のあいだの量的関係として表わされるところの形態を、消滅させることはない。
       <⑭価値量が労働生産物それ自体のあいだの量的関係として表わされる
       --このように、①で示された大前提である価値形態は、まったく無視される>

⑪社会生活の諸形態にかんする反省、したがって、それらの科学的分析は、現実の運動とは完全に反対の道に沿って行く。それは後から、すでにすっかり確立された与件とともに、発展の結果とともに始まる。労働生産物に商品の刻印を押し、したがって、商品流通をすでに支配している諸形態が、すでに社会生活の自然形態として固定されるにいたってはじめて、人間は、自分たちにはむしろ不変なものに見えるこれらの形態について、その歴史的性格ではなくその内的意義を理解しようとする。こうして、商品価格の分析からのみ、商品価値の量的規定が導かれたのであり、商品の共通な貨幣表現からのみ、商品の価値性格の固定が導かれたのであった。ところで、商品世界のこうした固定した既定の形態、商品の貨幣形態は、私的労働の社会的性格と生産者たちの社会的関係をあばくのではなしに、これを蔽い隠すだけである。小麦や上衣や長靴は、抽象的な人間労働の一般的な化身としてのリンネルに関連する、と私が言うならば、この表現の虚偽と異常さはたちどころに一目瞭然である。
   <⑮貨幣形態・・長靴は、抽象的な人間労働の一般的な化身としてのリンネルに関連する、
   --一般的価値形態があることで、一般的な相対的価値形態があり、両極の形態が形成さ
   れることが、貨幣形態では隠蔽される、その理由なのです。
   ここでは、一般的価値形態の対極に、私的労働がこの抽象的な人間労働の一般的な実現
   形態になることで、等価形態を示すはずが、右極のみが自立することで、左極の商品世
   界の存在を無視してしまうのです。
   それが、価値形態の謎であり、貨幣形態の謎、なのであります。>
   <それは、商品世界から等価物リンネルが排除されることで、両極の形態の形態が得ら
   れたーーはずが、この貨幣形態では、この価値方程式が、始めの、上着= リンネルの第
   一の公式に、リンネルが貨幣商品になることで、転倒して、一般的価値形態の存立条件
   である無限の価値方程式の羅列である、商品世界を消してしまうからではないか?
   第三の価値方程式での商品世界の無限の表示が、20エレのリンネル=2オンスの金になる
   ことで、この商品世界を形成してきた、第二・第一の形態との関連を、消滅させること
   で、第三の形態から貨幣形態が成長してきたことを、この物神性によって隠すのです。>

ところが、これらの商品の生産者たちが、これらの商品をリソネルあるいは金か銀に、同じことになるが、一般的等価物に関連させるばあい、彼らの私的労働と社会の総労働とのあいだの関係は、彼らにはまさにこういう奇妙な形態のもとで現われるのだ。
   <⑯ 商品世界にて、一般的価値形態があることで、
   商品の生産者たちが、これらの商品をリンネルあるいは金か銀に、関連させた、
   私的労働と社会的労働との関連は、20エレのリンネル=2オンスの金の公式のもと
   では、全て、この物神性によりて、この前提条件が、消滅しているのです。
    <⑫交換比率--労働生産物の性質自体から生ずる・自然的形態に見える>
   だから、抽象的な人間労働の一般的な実現形態としてのはずが、両極の形態を示さ
   ず、単独に、抽象的人間労働の一般的化身になる、奇妙な形態のもとで現われる、
   のです。
   これが、商品の物神性を、解いたら理解できる事柄なのです。>

⑫ブルジョア経済学の諸範疇は、それらが現実の社会的諸関係を反映するかぎり、客観的な真理をもつ悟性形態であるが、これらの諸関係は、商品生産が社会的な生産様式であるような特定の歴史時代にしか属していない。われわれが別の生産形態を考察すれば、現代において労働生産物を蔽い隠しているこの神秘性はまるごと、たちどころに消え失せるであろう。

⑬経済学はロビンソン物語を好むので、まずロビンソソを彼の島に訪れよう。 ・・・・・・

   ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  14ーー21 段落は略




 

    価値形態と弁証法

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月18日(水)14時47分24秒
返信・引用 編集済
  Alternative Systems Study Bulletin

メール版 第26巻第1号 (2018年6月5日)
http://0a2b3c.sakura.ne.jp/assb26-1.pdf

(資料2)『共産主義』21 号掲載論文

29
C 物象化と階級闘争
(一) 価値形態と弁証法
E 君達は、よく、われわれの遺言を執行する、などと言っているが、今日はその手際を
見届けにきたよ。
R そうですか。実は僕らも最近は討論する相手が少ないですから、ありがたいことです。
L では早速はじめたまえ。発言は手短に、分かりやすく。
R 『資本論』初版、価値形態論をどう読むか、ということからはじめたいですね。
E おやおや、君達は僕の恥部の掘り起こしからはじめようというわけかい。仕方ないね。
価値形態の俗流的理解の流布については、僕にも責任があるわけだから。
R 物象化と物化との区別という問題は前提にして、今回は価値形態の弁証法について話
題にしたいですね。
L ほほう、君達は僕が『哲学ノート』で提起しておいた遺言を執行しようとするのかね。
E そういえば、イリイッチ(レーニン)の弁証法の理解では、僕も商品論がわかってい
ない人にはいるのだったね(注1)。
R そうですね。エンゲルスさんの場合、弁証法は主として発展法則という見地から問題
にされていますが、レーニンさんはヘーゲルの論理学に当たってみて、それではまずいと
考えたのでしたね。弁証法の核心が対立物の統一にある、というノートでの提起(注2)
は、矛盾を構造的につかもうとしたのでしょうね。
L こちらでヘーゲルと討論してみたのだが、どうもあの理解では、まだもう一つだった
と反省しているんだ。
R それを聞いて大いに力づきます。実は僕らも、対立物の統一という見地からでは価値
形態の弁証法は解けないのではないかと考えてきたのです。
M 価値形態の弁証法は、いうまでもなく、反照の弁証法さ。

30
(二) 反照の弁証法
E その反照の弁証法というやつは今もよくわからないのだよ。何度かヘーゲルに聞いて
みたんだけどね。
R いま20エレのリンネルが一枚の上着に等しい、という簡単な価値形態を想定します
と、リンネルの価値が上着の使用価値で表されていること、つまり使用価値がその反対物
である価値の現象形態となっていることが知られますが、この事態が反照ということでし
ょう。
M 僕の著作からの文字どおりの引用じゃあ困るね。
R そういわれると難しいのですが、例示を試みることにしましょう。あなたが上着の使
用価値を価値鏡と見ている点がよくわからなかったのです。ついガラスの鏡を思い浮かべ
ますが、それじゃダメなんでしょう。
E 思想史からみれば、人間関係を鏡との比喩で論じるというのは、ヘーゲルの頃流行し
ていたのさ。モール(マルクス)もスミスの『道徳感情論』は読んでいたね。
R ガラスの鏡だと、自分の姿が写し出されますが、価値鏡の場合、上着物質がリンネル
価値の写像だ、ということでしょう。二○エレのリンネルだと一枚の上着があらわれ、四
0エレのリンネルだと二枚の上着があらわれる、というように。
M フムフム。
E モールが言ってたように、価値表現は超感覚的だから、写像も、自分の顔が写るとい
うようにはならないのだね。
R こう考えると、上着が自らの使用価値で、リンネルの価値を照り返している、つまり
使用価値が価値を反射している、ということがよくわかるのです。
M じゃあ価値の方は何を反照しているのかい。
R 使用価値が価値を反照するということはわかったのですが、価値が使用価値を反照す
るという方は、正直いって、もう一つはっきりしないのです。
M 君ね、僕の書いているところをもう一度読んでごらん。
R 初版二○頁でしたね。そこにはこう書いてあります。

「使用価値あるいは商品体は、ここでは一つの新しい役割を演じるのである。それは商品
価値の、つまりそれ自身の反対物の現象形態となる。同様に、使用価値に含まれている具
体的有用労働が、それ自身の反対物に、すなわち、抽象的人間的労働の単なる実現形態と
なる。商品の対立的な二規定は、ここでは、互いに分かれるのではなくて、互いに反照し
あうのである。」

  <註 杉本 この初版7段落には、註20が付されている。マルクスのここでの設問・
  回答が、この註に明らかなように、相対的価値表現の形態内容が--回り道--とし
  て与えられていることで、リンネルの価値形態、があることが提示されている。
  であれば、ここでの課題としていることが、等価形態としての形態規定ではなくて、
  たんに、--それは商品価値の<現象形態>出現形態となる--なのです。
  この誤訳ぶりは、明らかです。相対的価値形態の形成につながる・リンネルの価値
  形態が、この7段落にて提示されているのに、榎原さんは、等価形態の形成とした!
  使用価値が価値を反照したのであれば、
  リンネルの反省規定である上着は、リンネルの価値形態として反照されている。
  これが、人間様ではなく--物象の判断--を示したものです。>

あっそうか。使用価値が価値を反照しているということの裏に、価値が使用価値を反照
するということがあるわけですね。

(三) 鏡の比喩と形態規定
E 反照の弁証法がむつかしいのは、例えば個人Aと個人Bとの間の関係(注3)とか、
ヘーゲルの言う二つの自己意識の関係(注4)とかを想定するとすれば、そこで鏡の役割
を果たす側が、この関係においては新たな形態規定を受け取る、ということなんだね。
M ヘーゲルは事実上形態規定を展開していながらも、自覚的にそうはしていないから、
フレッド(エンゲルス)が反照の弁証法についてヘーゲルに聞いても不可解だと思うよ。
E そういえばヘーゲルは、実体=主体だから、自己意識論においても相互承認がどうし
ても展開できなかったわけだ。モールなら、あそこで一方の自己意識Bの担い手が個人で
ありながら、対立している個人Aの自己意識を写し出す鏡の役割をはたし、この役割にお
いては個人Bの身体そのものが類の単なる実現形態となっている、というのだろうね。
M 『精神の現象学』は、若い頃検討しただけだから、忘れてしまったよ。
R 話を『資本論』にもどしますと、上着が価値鏡となっていること、そこに反照の構造

31
がある、という理解でいいんでしょうね。
L ヘーゲル論理学との関連でいえば、本質論をひっくり返すということだな。
R 『大論理学』の本質論でヘーゲルは反照(反省あるいは反射とも訳される)を詳しく
説いているのですが、あそこは難解ですね。
E ヘーゲル研究者であそこが理解できている人はいないさ。
M ヘーゲルは形態規定に純化してはいないから、形態規定で進んでいって論理が行き詰
まったとき、実体=主体ということ、つまりは内容にもどって論理を組み立てている、と
考えれば、本質論の構造は見透かせるさ。
R そうすると、本質論での反照の弁証法をひっくり返す、という場合、弁証法の運動の
契機を、ヘーゲルが逃げて内容に求めている点を批判して、あくまで形式に求める、とい
うことになるのでしょうか。
L ぼくはいま、古いノートの本質論のところを読み返してみたが、あの時点で反照の弁
証法を把握できていなかった、ということは明白だね。あの時はきっと、ヘーゲル流の非
合理的な反照論に反発を感じていたのだと思う。それはさておき、ぼくは形式に純化する
といったことで、転倒が可能になるとは考えないね。
R じゃあ、価値形態論のなかみに入っていきましょう。
(四) 価値形態の論理
R ぼくらは初版の価値形態論の意義は、簡単な価値形態の分析で、「それはそれ自身の価
値存在を、さしあたりはまず、自分に等しいものとしての他の一つの商品、上着に連関す
ることによって、示すのである」と述べている点にあると考えているのですが。
E ぼくは、あの手紙(注5)のことがあるから、とりあえずは発言をひかえるよ。
R つまり二○エレのリンネル=一枚の上着、という商品の価値形態において、この形態
それ自体の意味する内容が、同じ質のものどうしの関係ということであり、この同じ質と
は抽象的人間労働だ、ということがそこで表現されているということでしょう。
L ぼくも交換の歴史的過程の解明という問題意識で読むことが多かったから、価値形態
の論理それ自体はつめて考えなかったね。
R こういうふうに考えると、等価形態に立たされている一枚の上着という使用価値自体
が、新たな経済的形態規定を受け取っている、ということもよくわかると思うのです。
M 形態規定については宇野弘蔵君も強調していたようだが、君たちもそれに影響された
のかい。
R 彼の場合、あなたとは全然違う意味です。例えば、商品、貨幣、資本を「流通形態」
として規定することが形態規定だ、というほどのことです。そうではなくて、上着の使用
価値が、それとは別の本質の現象形態となっている、ということが、形態規定ということ
の意味でしょう。
E そういえば廣松渉君が、―そうそう、廣松君といえば、ぼくは彼には感謝しなければ
ならないんだが(注6)―彼が最近やっている役割理論の取り込みなんかも形態規定と関
係があるのかい。
R 廣松さんの場合、形態規定を純粋に取り出せなかったから、役割理論に興味を持つよ
うになったのではないでしょうか。
L 西部なんかは論外としても、六○年第一次ブントの指導者だった人たちの最近の言動
にはあきれることが多いね。
E そういう人たちだけでなく、最近の若手の社会科学研究者の書くものも無茶苦茶なの
が多いよ。
M 無知が役に立ったためしはない、ということかい。
L 階級が成熟して資本物神が完成した、という君らの一連の判断についてぼくは保留し
ているが、しかし事態はその証明としての意義を持っているかも知れないね。
R ぼくらは、いわゆるインテリゲンチャの知的生産物が、全く馬鹿馬鹿しいものになっ

32
てきている、というところにも、『資本論』の核心が、大衆的に理解される時代の到来を
感じとっています。
L そういう弁証法はぼくも大好きだ。そうすると君らはモールが書いたあと、百年かか
っても誰も解読できなかった価値形態の論理を、大衆が理解する時代がきた、と見ている
わけだね。
E ぼくの失敗が救済される時代がくるというのかい。
R 話がそれたついでにいいますと、価値形態の論理自体は、例えば言語論や精神医学や
心理学の流行というかたちで外化されているとぼくは考えています。ただしインテリゲン
チャの論説は、物象化にもとづく物象による人格の意志支配との対決をあいまいにしたと
ころで、というより、その事実すら知らずに、たてられていますから、みな的はずれです。
こうした事態は、今日の労働者大衆の運動が、従来のような「戦闘性」を失ってきている
(=階級が成熟している)ことの反映でもあるでしょう。
しかし労働者大衆のなかに目覚めた人たちはいますし、彼らは物象による意志支配と対
決せざるを得ませんから、価値形態の論理が眼に見えていると思うのです。
M 本当のところを言えば、物象による意志支配の様式の暴露が、あの本の核心さ。
(五) 観念論的転倒
R 価値形態の論理に戻りましょう。上着が新たな形態規定を受け取る、というとき、そ
れは使用価値を作る労働が、価値の実体である抽象的人間労働の単なる実現形態となって
いる、ということでした。そしてこのようになることが反照の作用でしたね。
E 商品生産者たちの社会的関係を、労働の反照関係として解読しようと言うわけだね。
R そこででてくる問題が、価値形態の論理における観念論的転倒ですね。
L 諸物を考える場合、一般的なものは抽象の産物であって個物としては存在せず、諸物
の総括としてあるだけなのに、価値形態では、個物としてある、つまり使用価値としてあ
るのは、価値という一般的なものが実在するための仮の姿となっている、という逆転のこ
とだね。
E この転倒は貨幣で説明すると分かりやすい。貨幣にあっては一般的なものが金という
個物として存在しているので、モールは動物なるものが、トラやウサギと同様の個物とし
て生きているようなものだと述べていたけれど(注7)、日本でこの問題に気づいて注意
を促したのは牧野紀之君でしたね(注8)。
R この商品、貨幣の観念論的存在構造が観念論の土台をなしている、ということはわり
あい認められるようになっていますが、ぼくらは物象による意志支配を考慮にいれなけれ
ばならないと考えています。
L そうだね。商品、貨幣の観念論的な存在構造に観念論の土台を見る、というのでは単
なる反映論だ。これは自己批判だが、反映論を克服するにはやはり物象による意志支配を
研究することが必要だね。ロシア語ではディング(物)もザッヘ(物象)も同じ言葉にな
るので、ぼくもはじめの頃は、物象化を物化と受けとめていたが。
R 物象による意志支配の問題はあとでやります。価値形態の論理における観念論的転倒
は、価値表現の理解を難しくしている、ということですが、しかし他方で今日この論理が
社会的意識となって大衆化していて、それがインテリゲンチャによってロゴス中心主義批
判(ポスト構造主義)などの諸説として氾濫させられているわけです。しかし、インテリ
ゲンチャと違って、大衆の場合、論理の転倒は生活そのものに根ざしたものですから、そ
こには価値形態の論理を把握しうる現実性が内在している、とぼくらは考えています。
E そういう話を聞くと、ルカーチの階級意識を思い出してしまうが、その種の実践上の
問題は体系化する必要はない、というのがぼくの忠告だよ。
L 政治的扇動として具体化したまえ。
(六) 価値形態と物象化

33
R ひきつづき価値形態の論理を見ていきます。
価値形態の秘密とは何か、という問題に移りますが、これは通常、使用価値で価値が表
現されること、というように理解され、最善の解釈でも、使用価値上着が価値の単なる実
現形態となっているということを確認することにとどまっているのですが、しかし、この
上着が価値鏡となっているということが、相互に独立した私的諸労働の反照関係にもとづ
くことを理解しなければ、本当にその秘密を暴露したということにはならないと考えます。
E 価値形態の秘密と謎との混同については武田信照君が指摘していたが(注9)、あれは
面白かったよ。あそこを出発点にすれば、宇野・久留間論争の総括も可能となるね。
M 宇野君の場合は論外として、久留間君の場合、ぼくの著作の芸術的一体性ということ
を考慮していないのは問題だよ。
L 第二章交換過程論は、ほとんど変更されてはいないので、初版本文価値形態論との関
連で研究されねばならないのに、宇野君も久留間君も現行版にもとづいて議論するという
間のぬけたことをやらかしたわけだね。
M 先日宇野君と話したが、彼はやっぱり現象学に影響されたといっていたよ。
E 分析によって価値実体をとりだすのは誤りで、現象に則して叙述するべきだ、という
かの発想だな。
R 価値形態の秘密が先に述べたことであるのに比べ、その謎というのは等価形態の謎性
と関係しているとぼくらは考え、前者を物象化の原理、後者を物神性の秘密と理解したの
ですが。
L 物象化と物化の区別という問題は、政治理論の形成にとって重要だと思うね。ぼくは
若い頃に物象化を物化と受け取り、経済過程を意識的行為とは考えなかったが、この点は
『唯物論と経験批判論』を書かねばならなかったとき、哲学上の反映論の限界を突破でき
なかったことの根拠となっていたわけだ。しかしよく考えてみると、社会関係にあっては、
無意識的行為も、実は意識に媒介されている。
E 経済過程は意識から独立しているのではなくて、意志から独立しているのだね。
M 社会関係における無意識的行為の分析は、ぼくが秘かに誇っているものさ。
E 通常、無意識についての理論はフロイトが創始者と見られているけどね。
R ぼくらは『資本論』の物象化論が、実は社会関係における無意識的行為の分析でもあ
ることに最近やっと気づいたのです。
M 貨幣生成のところだね。
(七) 貨幣生成における社会的共同行為
R 初版本文価値形態論には一般的価値形態のあと、第四形態がおかれています。これは
全ての商品所有者が、自分の商品を一般的等価物にしようと考えている場合を念頭におけ
ばよいと思うのですが、この第四形態では貨幣も成立しないし、その結果、商品も成立し
ないのです。
交換過程論では、この第四形態を受けて、商品所有者たちが当惑して考え込むところが
でてきて、そのあと「はじめに行為ありき」ということで、商品所有者たちの本能的な社
会的共同行為による貨幣の生成が説かれています。
M もっと詳しく述べてみないかい。
R 相互に独立した私的諸労働の反照関係に商品所有者たちが順応して労働生産物の商品
形態が生じているとき、この物象の社会的関係としての商品世界を分析することが価値形
態論の課題であったわけですね。
そこでは商品があたかも人格のように意志と意識を持った主体としてあらわれて、諸商
品が社会的に妥当な価値形態を作りだそうと努力するわけです。そして簡単な価値形態か
ら出発して、一般的価値形態に到達し、諸商品が相互に価値としてあらわれることが出来
る形態を見いだしたのですが、しかし、それは第四形態で否定されてしまうのですね。
つまり、物象の世界だけでは貨幣形態形成の必然性は明らかになっても、その現実性は

34
解けないのですね。そこで通常は、交換過程での商品交換によってその現実性が解けると
理解されているのですが、そうではないのですね。現実性は商品交換にあるのではなくて、
商品交換に際して、物象たる商品が商品所有者の意志と意識を支配して社会的共同行為を
とらせること(物象の人格化)にあると見るべきでしょう。
M なるほど。その先はどうなるのかい。
R 貨幣は諸商品の交換過程の必然的な産物であるわけですが、貨幣が発生するのは、商
品が交換過程に直面している商品所有者の意志を支配して共同行為をとらせることによっ
てであって、交換行為そのものではないのですね。
このことがわかると、貨幣の発生は、商品所有者の社会的な共同行為を必要とする、と
いっても、この行為は無意識になされる本能的なものですから、当の商品所有者たちにと
っては、貨幣は自然に自立的にあるように見える、ということもはっきりしてきます。
L その物象による意志支配論は面白いね。ぼくは政治の領域では大衆が社会構成体の運
動に順応しているという事実をリアルに評価しておかねばならないと常々考えていて、そ
こで大衆蔑視だといった非難をあびせかけられることも多かったのだが、意志の自由が物
象による意志支配をともなっていることがわかれば、この非難が当たらないことは明白だ
ね。
E その貨幣の生成は、諸商品が相互に価値としてあらわれあうことが出来る、諸商品の
社会的に妥当な形態の成立ということでもあるから、市民社会の成立ということでもある、
ということになるね。そうなるとぼくの国家論、あれは気になっていたのだけれど、見直
すことが可能になるなあ。
R あなたの国家論の総括についてはぜひ機会を改めてお聞きしたいと思います。
先に進みますと、この無意識のうちになされた社会的共同行為によって生成された貨幣
という物象が、今度は貨幣蓄蔵の衝動をもつに到ります。貨幣は私的労働の産物でありな
がら、その私的労働が社会的労働の実現形態となっていて、社会的労働の化身です。
この社会的労働の化身を私物にすることが出来ますから、貨幣蓄蔵によって、より多く
の社会的労働を支配しようという衝動がそこに生まれ、貨幣所有者の意志を支配します。
貨幣がもつこの致富衝動が、貨幣蓄蔵ではなく、資本の生産過程によって実現されるよ
うになると、それは、資本の致富衝動へと発展します。この資本の致富衝動が資本家の意
志と意識を支配して資本が人格化している社会、これが今日の資本主義社会ということで
したね。
M あとの方は大分はしょったようだけど、大筋ではいいと思うね。
(八) 物象化と階級意識
R それで、資本における人格の物象化過程と物象の人格化過程については説明を省きま
して、結論だけを述べましょう。
賃労働者が自らの労働力を可変資本に転化させられ、自らの人格的力を資本へと物象化
させられます。他方、資本は資本家の意志と意識を支配して人格化します。
資本家による労働者に対する支配は、この物象の関係によって媒介されていますから、
その支配は、労働者の労働力が資本に物象化されていることを根拠にして、労働者の意志
を資本家が領有していることとしてあります。これが労働者の経済的服従ということなん
ですね。
M ぼくは労働力の物象化とはいっていない。
R そこは検討を要するとは思いますが、物象化のこのような捉え方からすれば、労働者
階級の階級意識の形成の問題も、自覚の論理や、政治的民主主義の拡大や、自主管理(経
済的民主主義)、といった従来の路線では行き詰まらざるを得ない、ということになると
思います。
E 第二インターナショナルの失敗にぼくは責任をとらなければならないのだが、結局、
モールが書いている、資本主義的生産が発展するにつれ、労働者の資本への経済的服従が

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強まる、ということをわれわれは本当にはわかっていなかったのだろうね。
カウッキーは資本主義が発展すれば危機が生じて社会主義が不可避となる、と考えてい
たし、ベルンシュタインは、この服従の強化過程を社会主義への道だと錯覚していたわけ
だ。もちろん、この服従の強化過程は、同時に労働組合の諸権利の拡大と労働者政党の発
達の過程でもあったから、この錯覚の方は大衆化する余地があり、げんに修正主義の方が
多数派となったわけだが。
L ぼくはコミンテルンの会合で『何をなすべきか』で提起した組織論は西欧では通用し
ない、としばしば述べたが、しかし物象化論をふまえれば、自然発生性と目的意識性につ
いての提起は、むしろ新たに強調されねばならないと思うね。
R ぼくらはいま、最大限綱領の内容で大衆的な諸運動が形成されているし、それらの運
動を発展させねばならないと考えています。
E モールが、『ゴータ綱領批判』に書いたのも、そのことに関連していたね。民主主義的
要求を中心とした最小限綱領でしか大衆運動が組織できない、という発想が伝統化したこ
とにはイリイッチにも責任があるんじゃない。
L 『二つの戦術』は民主主義革命における共産主義者の任務を説いたもので、この理論
は『四月テーゼ』で総括している。ただ後になって民主主義革命から社会主義革命へとい
う二段階路線がコミンテルンで定式化されたのはネップの影響でしょうね。戦時共産主義
の時期の急速な社会主義化の自己批判が、『四月テーゼ』の否定と『二つの戦術』の復権
として、ネップ以降にスターリンらに受け取られたのであろう。
R そういえば、五○年代には『四月テーゼ』は党内では禁書で、共産党の神話を打ち破
ったブントは、『四月テーゼ』の復権だけで急成長したようなところがありました。
E 最大限綱領で大衆運動を組織する、ということはぼくらの念願だった。パリ・コミュ
ーンはすでにそうだった。その敗北は運動主体が最小限綱領しか意識できていなかったと
ころにあったといえよう。
R 最大限綱領、つまり社会革命の要求で大衆運動が起きるなどとは信じられない、大衆
運動の路線は徹底した民主主義の要求以外にはない、と考えている活動家が、いまでも結
構多いのですが。
L そのような人々は、ぼくが徹底した民主主義の要求を、政治権力奪取後の運動の展望
の問題として述べたことを忘れているのさ。社・共、いわゆる既成左翼は最小限綱領でし
か大衆運動を提起しないが、その運動を左へ向けるために徹底した民主主義を対置しよう
というんだろうね。第四インターならともかく、ブントにもそんな発想があったのかい。
R 関西ブントの政治過程論というのがそうでした。しかしぼくらは六○年代末にその克
服を課題としてきました。いまから考えると、社会革命の要求で大衆運動を組織し、その
運動でもって国家権力を打倒し、プロレタリアートの独裁を実現する、という路線の確立
が、この課題への回答になると思います。
L 最大限綱領を要求する大衆運動は当然にも、最小限綱領を要求して闘われてきた従来
の大衆運動とは、その展開も、発展法則も異なるだろうね。
R すでに時代はオルグの時代に入っている、というのがぼくらの認識です。全世界のい
たるところから、一斉に社会革命の要求に基づく大衆運動が展開される前段階にある。
M・E・L われわれを扇動してもしようがないよ。
(九) 社会革命の展望
E せっかくだから、君たちの社会革命の運動の展望を聞こうじゃないか。最大限綱領を
要求して大衆運動を組織しようという意図はわかったが、しかしそれは具体的にはどんな
要求になるのだろうか。
R とりあえず、商品、貨幣、資本、の廃止ということがでてきます。
L そういう事柄では全然政治的扇動にはならないね。
R 階級の廃止ということの具体的内容として述べたつもりなのですが。

36
L 階級の廃止、というスローガンも、一般的すぎやしないかい。
R あるスローガンが適切かどうか、という問題を判定するためには、スローガンの方だ
けでなく、運動主体の方をも考慮する必要があるでしょう。
L ウーム。ひょっとして、ぼくはまだ、最小限綱領を要求した旧来の大衆運動における
運動主体を念頭においていたのかも知れない。
E かといって、ぼくにはどうしても、エコロジーとか反原発とか、自然食のための共同
購入だとかが、プロレタリア階級による組織的闘争だとは考えられないのだよ。あれはア
ナーキストの運動さ。モールはどう思う。
M ねえフレッド、ぼくらが一八四八年にプロレタリアートの階級闘争だと述べた当時の
闘争の主要な担い手がプロレタリアートではなかったことを、良知力さんたちが明らかに
したのを知っているだろう。要は闘争の担い手の問題ではなくて、闘争の理念の問題さ。
E アナーキストに批判的なぼくとしては、君らの論議にもアナーキズムのにおいを感じ
るね。
R 社会革命の要求で大衆運動を組織するというと、昔の活動家たちはすぐ、一体政治権
力との闘争はどうなるんだ、といって反発するのですが、ぼくらは政治権力との直接的対
決しか念頭にない人たちの方が、国家の破壊と自由連合を夢みたアナーキストたちの轍を
踏んでいると思います。政治権力を打倒するための闘争に決起するには迂回が必要だ、と
いうことは、あなた方が、ヴィリッヒ・シャッパーたちを批判したときの見解じゃなかっ
たですか。
E 政治権力との闘争を自己目的化したアナーキストも居たが、他方ではコミューン作り
に向かったアナーキストも居たのさ。ぼくは今日の大衆運動は政治運動を否定している、
という意味でアナーキーではないかと見ているさ。
R アナーキストが運動に参加していたり、あるいは思想的なヘゲモニーをとっていたり
することを否定しませんが、しかしそのことと、大衆運動の性格がどうであるかというこ
ととは別問題でしょう『哲学の貧困』には「社会運動は政治運動を拒否する、などと考え
てはならない。同時に社会運動ではない政治運動などというものは、断じて存在しない」
と述べられています。今日の大衆運動は政治的性格をもっていますが、それは旧来の最小
限綱領主義の政治家の眼には政治とは見えない、ということではないでしょうか。
E じゃあ話を転ずるが、社会革命の要求を掲げて大衆運動を展開しようとする場合、ひ
と昔前の構造改革派のやったようなことになるのじゃないのかい。
R 構造改革派が目指したものは実際は民主化の実現でした。彼らにあっては民主主義と
は社会主義への途にほかなりませんでしたから、民主主義的改良が即社会革命の土台とし
て位置づけられていたのです。彼らが掲げていた諸要求は、商品、貨幣、資本、の廃止と
は全く関連していなかったのです。
L 要するに君たちの主張では、商品、貨幣、資本、の廃止といったスローガンを抽象的、
一般的なものとしてではなく、具体的な実践の指針として受けとめるような運動主体が登
場してきている、ということかい。
R そうですね。ぼくらは今日の段階では、手ごたえを感じている、としか言いようがあ
りませんが。
M それで価値形態の弁証法の謎ときが試みられているわけかい。
R ぼくらは今日の大衆運動は社会革命の要求に基づいているけれども、しかし自然発生
的にそうなっているだけだ、と考えています。それは活動家たちが商品の価値を批判でき
ずに使用価値の面からしか批判しないところにあらわれています。ところが使用価値は多
様ですから、使用価値の面からの批判では運動は必然的に分散、対立せざるをえません。
L そうすると、今日の大衆運動の自然発生性と闘うための共産主義者の意識性は、とり
あえずは価値の批判から始まる、というわけだね。
R 実際、今日の大衆運動は使用価値の面からの批判から出発しつつも、労働生産物を商
品とする事によって、それを社会に通用するようにするシステム(商品経済)や、労働力
37
を資本へと物象化して、生産物を自らを支配する力として生産し、そうすることによって
生産手段の所有者たる他人(資本家)に自分の意志を領有されるシステム(資本制的生産)
はいやだ、という意識を強めてきています。
L つまりは市民社会批判ということだね。
R 階級の成熟という事態は、労働者階級が市民意識をもつ時代を到来させました。最小
限綱領は、要はより完全な市民社会を要求するものですから、労働者が市民意識をもつに
到った段階では、その種の要求をもとにした大衆運動が魅力を失っていくのは必然的でし
ょう。
E それは説得力があるね。
R ところが市民社会批判を掲げて大衆運動を提起しようという努力は、いままで政党の
側からはなされていなかったのです。にもかかわらず大衆運動の側では市民社会批判が準
備されつつあります。
L 一体どんなものかい。
R 例えば、市民社会の原理ともいうべきものは、個々人はエゴを追求する、社会全体は
エゴが相殺されて均衡する、そこでなお残る問題は国家の行政にゆだねる、といったもの
で、これは社会的生産が資本家の私事として営まれ、競争によって社会的生産におけるバ
ランスを保っているような社会にふさわしい意識形態でした。
ところがこうした市民意識にどっぷりつかったままで生活していってよいのか、という
反省が、大衆運動のエネルギーに転化してきているのです。
M それは大変なことだ。
マルクスが大声で何か言いかけたとき、目がさめた。真夏の夜の夢のなかでの対話はこ
れで終わってしまった。
注1 「ヘーゲルの論理学全体をよく研究せず理解しないではマルクスの資本論、とく
にその第一章を完全に理解することはできない。したがって、マルクス主義者のうちだれ
ひとり、半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった」。(『レーニン全集』三八巻、一五
○~一頁)
注2 前掲書、一九一頁。
注3 『資本論』河出書房新社版、五○頁。
注4 『精神の現象学』岩波書店版、一八四頁。
注5 エンゲルス一八六七年六月一六日付手紙。
注6 廣松渉『エンゲルス論』盛田書店。
注7 『資本論』初版、原典二七頁。
注8 さしあたり『初版資本論第一章』鶏鳴出版、一八七頁。
注9 武田信照『価値形態と貨幣』梓出版、一九六頁。
(一九八九年四月)
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商品のフェティシズムの性格とその秘密 の初版 再版 の対比(そのⅡ)

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 7月 5日(木)15時58分31秒
返信・引用 編集済
           初版                              再版

しかし、これらの方程式のそれぞれは反射的にコート、コーヒー、
紅茶などをユニバーサル等価物として生成し、結果的にコート、
コーヒー、紅茶などで価値表現を生み出します。
すべての他の商品の普遍的な相対価値形式としてです。
商品が普遍的な同等形態に変わるのは、他の商品に対抗する場合の
みである。

しかし、すべての商品は、他のすべての商品とは反対の普遍的な同
等の形に変わります。

すべての商品が、他のすべての商品と、それに対応する自然な形で
普遍的な同等の形に対応している場合、結果として、すべての商品
は社会的に有効な価値量の表示から除外されます。

すべての商品が、他のすべての商品と、それに対応する自然な形で
普遍的な同等の形に対応している場合、結果として、すべての商品
は社会的に有効な価値形態の表示から除外されます。

普遍的な等価形態・それ自身の自然な形態を、ユニバーサル等価形
態としています。

このように、明らかに、商品の分析は、相反するベクトルにおける
価値形態と価値形態そのもののすべての本質的な決定をもたらし、
普遍的な相対価値形式、普遍的な等価形式、そして最後に終わりの
ない単純な相対価値表現 - これは、最初に、値形式の発展におけ
る移行期に最初に形成され、最終的には普遍的な等価物の具体的な
相対価値形式に突然移行するためである。

価値形態と価値形態そのものを矛盾するベクトルで表現すると、普
遍的な相対価値形式が得られ、ユニバーサル等価形態も同じく得ら
れます。

しかし、商品の分析は、これらの形式を一般的な商品形態(これは
また各商品にも適用される)として矛盾する形でもたらした。した
がって、商品Aが矛盾した形態決定の1つにある 商品B、Cなどはそ
れに反対するものを採用する。

しかし、ここで決定的に重要なことは、価値形態が価値概念から生
まれたことを証明するために、概念的に表現された価値形態の内面
的な必要なつながりを証明する<発見する>ことでした。

  <that the value form  価値の形式
  <the value-concept 価値観・価値概念
  <value-substance, and value-amount; i.e.,
  <価値 - 質であり、価値 - 量である。
  <substance,物質、amount 量

                                4.商品のフェティシズムの性格とその秘密
①商品は一目瞭然だと自明で些細なことだ。それの分析は、それが  ①一見すると、商品は自明で些細なものに見えます。彼女
非常に残酷なものであり、形而上学的微妙さと神学的嫌悪に満ちて  の分析によると、彼女は非常にトリッキーなことであり、
いるという洞察をもたらします。単なる使用価値として、その属性  形而上学の精巧さと神学的な紆余曲折がいっぱいです。使
が人間の必要を満足させるという視点から考えるか、人間の労働の  用価値に関する限り、その特性によって人間のニーズを満、
産物としてのみこれらの属性を得るのかどうか、それは卓越したも  たすという観点が、人間の労働力の産物としてこれらの資
のは何もない官能的なものです。人間が彼の活動によって、自分に  質を得るかどうかにかかわらず、神秘的なことは何もあり
                                ありません。
とって有益な方法で自然の物質の形を変えるという事実には、まっ  そして、彼に有用な方法で天然物質の形態を変えるのは完
たくの謎はありません。                     全にはっきりしています。例えば木の形状。あなたがそれ
たとえば、木の形は、テーブルを作ると変更されます。       からテーブルを作るときに変更されます。それにもかかわ
それにもかかわらず、テーブルは木で、普通の、官能的なものです。 らず、テーブルは木であり、普通の官能的なものです。
                                しかし、商品として出現するとすぐに、彼は感覚的に超越
しかし、商品として出現するとすぐに、それは感覚的に超感性的な  的なものに変身します。
ものに変身する。それは地面に足を立てるだけでなく、他のすべて  彼は、足で地面に立っているだけでなく、他のすべてのコ
の商品と対峙し、突然踊り始めるよりは はるかに驚異的な木製の  モディティに逆さまにな立っているだけでなく、他のすべ
頭蓋骨から発達します。                     てのコモディティに逆さまになり、自分の自由意志で踊り
                                始める時よりもはるかに気まぐれな木製の頭からクリケッ
                                トを育てます。(25)

②商品の神秘的な性格は、その使用価値には生じない。それは、   ②商品の神秘的な性格は、その使用価値から湧き出るもの
それ自体で考慮された価値決定から少しだけ生じます。まず第一   ではありません。 価値判断の内容からは発生しません。
に、有用な労働や生産活動が異なっていても、それは他の生物とは  まず第一に、有用な仕事や生産活動がどのように異なって
区別されるような特異的な人体の機能であり、そのすべての機能や  いるかについては、それらが人間の機能であり、その内容
内容、本質的には人間の脳、神経、筋肉、知覚器などの支出であ   や形態が何であれ、本質的に人間の脳の支出であるという
る。                              生理学的な真理である 、神経、筋肉、センスオルガンなど
                                です。
第2に、価値の量の決定に基づいているもの(その支出の時間、ま   第二に価値ーー価値の決定に基づいて、その支出の期間、
たは労働量)、その量は肉眼でも知覚可能な方法で労働の質と区別  または労働の量は、労働の質とは明らかに区別される。
できることは明らかである。すべての条件において、異なるレベル  すべての州で、食糧の生産にかかる作業時間は、開発のさ
の開発で同じレベルではないが、人間にとって懸念される必需品の  まざまな段階で人々が均等には関わらず関心を持たなけれ
生産にかかる労働時間であった。最後に、人々がどんなやり方でも  ばなりません(26)
互いのために働くとすぐに、彼らの労働は社会的形態を獲得する。  最後に、人々が何らかの形でお互いに働くとすぐに、彼ら
                                の仕事は社会的利益シェイプを受け取ります

③彼の島にRobinson Crusoeを連れて行きましょう。それでも、   ③それで、商品の形態を取るとすぐに、作品の謎めいた性
彼は自然のように控えめですが、彼は満足するためのさまざまな   格はどこから来ていますか?明らかに、このフォーム自体
ニーズを持っていますし、さまざまな種類の役に立つ労働をしなけ  から。人間の仕事の平等は、作業成果物の同じ値性の関数
ればならず、道具を作って家具を作り、ラマを飼い、魚や狩りなど  形式を受け取り、その期間によるヒトの労働力の支出の尺
をする必要があります。私たちのロビンソンは彼らからの喜びを引  度は、作業成果物の価値の大きさの形をとり、自分の仕事
き出し、そのような活動をレクリエーションとみなしているからで  の中に、これらの社会的ルールの生産者の最終的な条件・
す。彼の生産的な機能の多様性にもかかわらず、彼は1つの同じロ   作業成果物の社会的関係の形式を受け取ります。
ビンソンの様々な形の活動だけであることを知っているので、人間
の労働の異なるモードです。
必要性そのものは、彼の様々な機能の間で正確に時間を分割するよ
う強要する。彼の活動の全体において、より多くのスペースとより
少ないスペースを必要とするかどうかは、意図された有用な効果の
達成のために克服しなければならない、より大きなまたはより少な
い困難に依存する。                       ④したがって、商品形態の謎は、労働生産物そのものの社会
経験は彼に多くのことを教えてくれます。ロビンソンは時計、日   的性質として、労働生産物そのものの表象的な特徴としての
記、インク、ペンを難破船から救ってくれました。彼の在庫には、  自分の労働の社会的特性を人間に反映させるだけであり、し
彼が所有する使用目的のリスト、その生産に必要な様々な作業、そ  たがって、労働全体に対する生産者の社会的関係を、それら
して最終的にこれらの様々な製品の特定の数量が彼に平均的にかか  の社会的関係としてのオブジェクト<例示>としています。
る労働時間のリストが含まれている。               このクイックプロオーク<取り違え>を通して、作業成果物
ロビンソンと彼の自作の富を形成するものの間のすべての関係は、  は物品、感覚的で、霊的な、または社会的な品物になります。
ここでも氏ヴィルトがいることを非常にシンプルかつ透過的である  したがって、視神経上のものの軽い印象は、視神経そのもの
[6]特定の精神行使せずにそれらを理解することができます。それに  の主観的な刺激としてではなく、目の外のものの客観的な形
もかかわらず、価値のすべての本質的な決定がそこに含まれていま   態として現れる。
す。                              しかし、見ると、光は実際にあるものから、外側のものから、
                                別のもの、目に投げられるようになります。それは物理的な
④ロビンソンの所在地に自由男性組織を置くと、共通の生産手段を  もの間の物理的な関係です。一方、商品形態とそれが提示さ
使って、多くの個々の労働力を意識的に一つの社会的労働力として  れた労働生産物の価値は、その物理的性質と結果的な具体的
費やすならば、ロビンソンの労働の決定はすべて繰り返されます。  関係とはまったく無関係である。

個人的な方法よりも。それにもかかわらず、本質的な違いが出てく  それはここでは物事の関係の想像的な形を仮定しているの
る。すべてのロビンソンの製品は彼の独占的な個人的生産物であ   は、人間自身の明確な社会的関係だけです。
り、それによって彼のためにすぐに使用の対象となりました。    したがって、類推を見つけるためには、宗教界の霧の多い地
組織全体の製品はソーシャルプロダクトです。この製品の一部は、  域に逃げなければなりません。
再び生産の手段として役立ちます。それは社会的なままです。しか  ここでは、人間の頭部の製品は、自分自身と人類の間で、自
し、もう一つの部分は組織のメンバーによって必需品として使われ  分の人生の恵みを受ける独立した形を持っているようです。
ています。この部分はそれらの間で分割されなければなりません。  だから、商品の世界では人間の手の製品がそうですね。
方法この分割は、社会生産生物自体及び生産の発展の歴史的同等レ  これは私がフェチシズムと呼ぶものです。
ベルの特定の方法で変更されます。コモディティ・プロダクション  フェティシズムは、商品として生産されるとすぐに働く製品
と並行してのみ、私たちは、各生産者の生活必需品のシェアは、彼  に執着・固執し、したがって商品の生産とは切り離せません。
の労働時間によって決定されることを前提としています。このよう
な場合、労働時間は二重の役割を果たすだろう。その社会的に計画    ④The mystery of the commodity form is thus
された配分は、さまざまなニーズに応じた様々な労働機能の正しい    simply that it reflects back to humans the
割合を制御します。他方、労働時間は、一般労働における生産者の    social characters of their own labor as
個々のシェアの尺度と同時に、それによって個人が使い切ることが    representational characters of the labor
できる共通製品の部分でも機能する。このような場合には、労働者    products themselves, as the social nature
と労働者の社会的関係は、生産と流通の両面において、透明性を保    of these things, hence the social relation
って単純なままであった。                      of the producers to the total labor as a
                                  social relationship of them objects.
                                  Through this quid pro quo, the work                                   products become goods, sensually psychic or
                                   social things.

     <英語版> の分かりやすさを、見よう。
    ④この世界では、人間の脳の生産物は、人生に恵まれた独立した存在として現れ、お互いと人間の両方に関係しているよ
    うに見えます。だから、人々の手の製品を持つーー商品世界にあるのです。商品はそれゆえに神秘的なもので
    す。なぜなら、その中に人々の労働の社会的性格が、その労働の産物に刻印された客観的な性格として現れるからです。

    生産者と自らの労働の総量との関係は、自分自身の間ではなく、労働生産物の間に存在する社会関係として、彼らに提示
    されるからです。
    これが、労働生産物が商品となり、その性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できない社会的事物となる
    理由である。
    同じように、物体からの光は、視神経の主観的興奮としてではなく、目の外側の何かの客観的な形態として、我々によっ
    て知覚される。

     ーーフェティシズムは、この<英語版>ではこう言い表されています。ーー
    生産者と自らの労働の総量との関係は、自分自身の間ではなく、労働生産物の間に存在する社会関係として、彼らに提
    示されるからです。これが、労働生産物が商品となり、その性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できな
    い社会的事物となる理由である。

    <杉本ーー労働生産物の間に存在する社会関係ーーとは何でしょうか?

    <長谷部訳 資本論 1 の4段落>
    商品形態の神秘性なるものは、たんに次の点にある、ーーというのは、商品形態は、人間じしん労働の社会的性格を労働
    諸生産物そのものの対象的性格として・これらの物の社会的な自然属性として、人間の目に反映させ、したがってまた、
    総労働にたいする生産者たちの社会的関係を、彼らの外部に実存する諸対象の社会的な一関係とし反映させるということ
    これである。
    この交替によって、労働諸生産物は商品ーー感性的で超感性的または社会的な物となる。たとえば、物が視神経に与える
    光の印の印象は、・・・
    これに反して商品形態は、またそれが自らを表示する労動諸生産物の価値関係は、・・・・
    それは、人々そのものの一定の社会的関係に他ならぬものであって、この関係がここでは、人々の眼には物と物との関係
    という幻影的形態をとるのである。・・・・・
    <河出書房 世界の大思想18 P66下段ーーP67上段>

    長谷部先生は、価値関係と原文にはない記述を見せています。しかし、諸商品が商品世界に在しているのですから、ネ!
    一般的価値形態を構成する限りで、諸商品は存在し、そのためには、諸商品は、何よりも価値形態であることで、自らの
    そのーー社会的存在の形態を示し、そのことで、自ら価値であリ、使用価値である商品形態を示しています。
    しかし、この理解であれば、物事は、リンネルが一般的価値形態であることで、他のすべての諸商品は価値形態であるこ
    とになり商品世界が形成されていることになるのですが、しかし、マルクスは、この主張を打ち出していず、上の英語版
    にあるように、ーーその性質が感覚によっては知覚されながらも、同時に知覚できない社会的事物となるーーこの理由を
    これから追求します、と述べているのではないか?
    何故なら、諸商品の社会関係が、価値関係であり物と物との関係になっているーーと示したのではなく、物と物との関係
    となっているこの幻影的形態の何故!を、スミス・リカード・ベーリへの批判を、私達生産者に示しているのです。

⑤商品形態をとるとすぐに、それはフォームを仮定する労働生産物  ⑤先の分析がすでに示しているように、商品世界のこの
の困惑を引き起こすのだろうか?                 〈this fetish  character〉神秘的な性格は、商品を生産
                                する労働の独特の社会的性格から生じる。

⑥人々が、同等な人間労働の客観的な外皮とみなす限り、彼らが価  ⑥商品は独立した私的な仕事の産物であるため、これらは
値として互いの製品を関連付けている、この客観的な外見のもとで  最初に商品になります。
は、その様々な労働は同質な人間の労働とのみ見なされます。    これらの私的な作品の複雑さは、社会的な仕事の全体を形
   <その様々な労働は同質な人間の労働とのみ>        成します。
彼らは、彼らの製品を価値として互いに関連づけていることによっ  生産者は作業成果物の交換を通じて社会的接触を得るに過
て、さまざまな労働を人間の労働として互いに関係づけています。  ぎないので、彼らの私的な仕事の特定の社会的性格はこの
個人的な関係は、客観化された形式によって隠されている。     交換の中でのみ現れる。(Or, in fact, )実際には、私的な
だから、価値が何であるかは額に書き込まれません。        作品は、人間関係と生産者との関係によって、社会的活動
彼らの製品を商品として互いに関連付けるために、人々は様々な労  のメンバーとしてのみ機能します。
働を抽象的な人間労働と見なすことを強いられます。        したがって、私的な作品の社会的関係は、後者にとって彼
   <人々は様々な労働を抽象的な人間労働と見なす>      らのものであると思われます。むしろ、人間の直接的な社
                                会関係としてではなく、事実上の人間関係と物事の社会的
                                関係とである。
彼らはそれを知らないが、物質的なものを抽象化し価値に還元する
ことによってそれを行う。これは原始的なものであり、無意識のう  ⑦彼らの交換の中でのみ、作業成果物は、彼らの感覚的に
ちになす本能的な脳の動作であり、必然的に物質的生産の特定の様  異なる功利主義的客観性から分離された、社会的に等しい
式と、この生産がそれらを構成する関係から生長する。       価値 - 客観性を受ける。

                                この作業成果物を<有益な物と価値に分割する>ことは、
まず、彼らの関係は実用的なモードで存在します。しかし、第二   交換所が既に十分な程度と重要性を獲得した時点で実用的
に、彼らの関係は彼らの関係として存在する。           にしか機能しないため、交換のために有用なものが作られ、
                                このように物の〈the value character 〉価値性格は、生
                                産されても考慮されます。

     <有益な物と価値に分割する>ことについて、初版価値形態の冒頭に、既にこう表現されていた。>
     https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm
      最初または単純な相対的価値形式
      <初版の第一の相対的価値形態の その第二段落からです。>
    ②リネンは、その使用価値や有用なものの形をして、その地上の姿を現します。それゆえに、その堅いas as linenの
    体質や自然の形は、その価値の形ではなく、その正反対です。それは、それ自体に等しい他の商品(コート)にそれ自体
    を関連付けることによって、価値としての自分自身の現実を明らかにする。 それ自体が価値がないのであれば、独自の
    ものとして(価値として)コートに関係させることはできません。
    それゆえに、その堅いas as linenの体質や自然の形は、その価値の形態ではなく、その正反対です。 それは、それ自
    体に等しい他の商品(コート)にそれ自体を関連付けることによって、価値としての自分自身の現実を明らかにする。

    コートとのこの関係によって、リネンは1回のストロークで異なるハエを揺るがします。他のコモディティを価値として自
    分自身と同等にすることによって、それ自体を価値として関連ずける。
    自分自身を価値として関連づけることによって、それは同時に自分自身と使用価値として区別されます。
    コートの価値の大きさ(そして価値の大きさは一般的な価値と定量的な価値の両方である)を表現することによって、そ
    の現実の価値とは異なる価値形態を与えます。

       By revealing itself in this manner as a thing which is differentiated within itself, it
       reveals itself for the first time really as acommodity ー a useful thing which is at the
       same time value.
    このように自分自身の内で差別化されているものとして自らを明らかにすることによって、それは本当に商品として初め
    て -それは同時にー価値のある有用なものーであることを明らかにする。

それが彼らのために存在するか、または脳に反映される方法は、
関係の本質から生まれます。後で、彼らは科学の助けを借りて、自
分の社会的製品の謎を後ろから取り除こうとします。今や価値の大  この瞬間から、プロデューサー<生産者>の私的な作品は、
きさに関わる限り、私たちは、互いに独立して(しかし、彼らが原  実際には二重の社会的性格を持っています。
始的な分業のメンバーであるために)プライベートな労働は、あら
ゆる面で常に社会的に縮小されている偶発的かつ絶え間なく変化し  一方では、特定の有用な仕事として、彼らは特定の社会的
ている製品の交換関係において、その生産に社会的に必要な労働時  必要性を満たさなければならず、したがって、労働の社会
間は、例えば、重力の法則がそうであるように、規制自然法則とし  分裂の自然システムの全仕事のメンバーであることを証明
て強制的に適用されるという事実は頭の上に落ちる。        しなければならない。
   <生産に社会的に必要な労働時間は規制的自然法則>     他方、彼らは、すべての有用な私的な仕事は、他の有用な
                                種類の私的な仕事と交換可能であり、従ってそれに無関心
 ⑦したがって、労働時間による価値量の決定は、相対的な商品価  であるという条件で、彼ら自身の生産者の多様なニーズだ
値の動きの中に潜んでいる謎である。               けを満足させる。
生産者自身の社会運動は、生産者がその動きを制御するのではな   人間の労働として所有する共通の性格への縮小において、
く、その制御下にあるオブジェクトの動きの形態を所有している。  実質不平等を抽象化してのみ存在することができる。

最終的には価値形態に関わる限り、私たちは、民間労働者の社会的  私的生産者の脳は、私的な仕事のこの二重の社会的性格を、
関係とその結果として私的労働者の社会的決定を客観的に覆い隠す  実際の交易、製品の交換において - 彼らの私的な作品の社
のはちょうどこの形態に過ぎないことに気付く。          会的に有用な性格 - 現われる形でしか反映しない。

私がコートと言うなら、ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的な物  これらの物質的に異なるもの、労働の製品の共通の価値、
質化としてリネンに関係しています。               で仕事の異なる種類の平等の他の社会的な性格にする。

しかし、コート、ブーツなどの生産者がこれらの商品をユニバーサ  物を置くような狂気は目に飛び込ます。
ル相当品としてリネンに関連付けると、彼らの私的労働の社会的関    <向坂・長谷部・新日本新書訳など既存訳は、
連性は、まさにこの狂気のような形で現れます。(原P38~39)           ーー狂気ーーは全て排除、訳出せず>
  <彼らの私的労働の社会的関連性は、まさにこの狂気・・>

                                ⑧だから、人々は、類似の人間の労働の事実上のカバーに
                                過ぎないので、これらのことは価値観として、お互いに価
                                値のある商品を関連付けることはありません。
 ⑧これらの形式はブルジョア経済学のカテゴリーを正確に構成す  逆に、なのです。
る。彼らは歴史的に決定されたこの社会的生産形態の生産の関係の  彼らの多様な製品を価値の交換の対象にするには、彼らの
ために、社会的に妥当な、したがって客観的な考え方である。    異なる作品を人間の労働と見なします。彼らはそれを知ら
                                ないが、彼らはそうする。 (27)
                                したがって、彼は彼のものの額に書かれていません。むし
                                ろ、価値はすべての作業成果物を社会的象形文字に変換し
                                ます。
                                後で人々は、価値としての商品の決定が言語としての社会
 ⑨私的生産者は、プライベートプロダクトを通じて初めて社会的  的産物であるため、自分の社会的製品の秘密を超えて、象
接触に入る。彼らの労働の社会的関係は結果として労働者の社会的  形文字の意味を解読しようとする。
係として即座に現れるのではなく、客観化された人間関係または対  労働生産物が、価値である限り、生産に費やされた人間の
象の社会的関係として現れているように見える。          労働の客観的な表現は、人間の進化の歴史の中で時代を作
しかし、社会的事物としてのオブジェクトの最初の、そして最も普  りますが、決して労働の社会的性格の客観的な類似を避け
遍的な発現は、労働生産物を商品に変身させることである。     ていません。
                                独立した民間企業の具体的な社会的性格が、人間労働とし
                                の同等性にあり、労働生産物の価値形態をとっていること
                                は、この特定の生産形態、商品の生産にのみ有効であり、
                                 <ここでの-労働生産物の価値形態-とは?リカードな
                                 らば、彼の価値法則の規定を延長させるならば、自ず
                                 と、そう理解する--という前提・転倒した理解がある、
                                 ーーとの判断の下での主張なのです。この理解がなけれ
                                 ば「労動生産物の価値性格の形態」(大月P138)との
                                 訳になってしまうのです。
                                 英明な仏語版の訳出の江夏先生は、正しく価値形態とあ
                                 ります。)

                                商品生産の条件におけるこの発見は、空気のその要素への
                                科学的分解が空気の形を物理的な形の身体の形として残す
                                のと同じくらい最終的なものである。

                                ⑨まず第一に、生産者が交換をする際実質的に懸念すべ
                                きことは、彼らが自社のためにどれくらいの他の製品をど
                                れだけを手に入れたのかということです。
                                どのような割合で製品は交換可能ですか?
                                これらの比率は、習慣によってある種の安定性を達成した
                                とき、製品の性質から生じるように見えるので、例えば、
                                1トンの鉄と2オンスの金は自然に1ポンドで示され、異な
                                る物理的および化学的性質にもかかわらず、金と鉄のポン
                                ドの重量が等しいと思われる。価値を持つという性格は、
                                製品に一度感銘を受けたときに、その行動の理由だけで固
                                定性を獲得し、お互いに価値の量として再作用します。
                                これらの量は、生産者の意志、先見性、行動とは無関係に
                                絶え間なく変化する。
                                彼らにとって、彼ら自身の社会的行動は、生産者を支配す
                                るのではなく、生産者を支配する物の行動という形をとっ
                                ている。
                                それは、その前に商品の完全に開発された生産を必要とし、
                                その蓄積された経験だけから、科学的な確信が湧き上がり、
                                民間労働のすべての種類が独立して運営されていること、
 ⑩したがって、商品の神秘主義は、民間生産者の私的労働の社会  そして、お互いに、そして社会的分業の自発的に発達した
的決定が労働生産物の社会的自然的決定と見なされるという事実か  枝として、社会が必要とする量的比率にまで、そこに対象
ら生じる。                           化された労働が、継続的に縮小されつつあるーーことを示
                                している。
事実から、すなわち、人の生産における社会的関係は、物の社会的  なぜ?
関係としてお互いに、そして関係する人に現れるということからで  なぜなら、製品間の偶発的かつ絶え間なく変動する交換関
す。                              係のすべての中で、その生産に社会的に必要な労働時間は、
私的労働の社会的労働の全体に対する関係は、それに反して自分   自然の過乗法のように強制的に主張するからです。
自身を客観化し、その結果、彼らのために物の形で存在する。    したがって、重力の法則は、家が私たちの耳に当たったと
                                きにそれ自体を主張する。[28]
普遍的生産の社会的関係が彼らのように自社製品に向かって行動す  したがって、労働時間による価値の大きさの決定は、商品
ることにあるーー商品の生産者の、社会への商品(故にその値)と  の相対価値の見かけの変動の下に隠された秘密である。
の関連が、その基本に、お互いに自分のプライベートな労働に関連  その発見は、製品の価値の大きさの決定からの単なる事故
する目的としての、フォームである同じ人間労働というのであれば、 のすべての出現を取り除いているにもかかわらず、その決
それはキリスト教であります。                  定が行われる様式を変えるものではない。
特にブルジョワ的開発である、プロテスタンデイズムなどにおいて、
抽象的な人の宗教に最も適切な形態をとっている。

古代のアジア、アンティークなどの生産形態では、製品が商品に変  ⑩彼らの科学的分析を含む人間の生活の様式を反映すると、
身し、コモディティ・プロデューサーとしての人間の存在は従属的  まず第一に、真の発展に反する道を提案する。
な役割を果たすが、コミュニティが衰退の段階に入るほど大きくな  ポストフェスティムを開始し、その結果、開発プロセスの
る。本物の商業人は、Epicurusの神のような古代世界の隙間にのみ  完成した結果が表示されます。
存在するか、またはポーランド社会の孔の中のユダヤ人のように存  人間がこれらの形態の歴史的特徴を説明しようとする前に、
在する。それらの古代の社会的生産生物は、ブルジョア生物よりも  労働生産物を商品に刻印して商品流通にさらされている形
はるかに単純で透明であるが、他の人とのつながりや自然種の臍の  態は、すでに社会生活の自然な形態の堅さを持っている。
欠損のない未成年者、即時のマスタとスレーブの関係に基づいて、   したがって商品価値の分析だけが価値の決定につながり
います。彼らは、人生の憲法の物質的プロセスの中で男性の対応関  ました。商品の共通の金銭的条件であり、価値のキャラク
係が制限され、結果的にお互いに、また自然に、労働力の生産力が  ターの固定につながったのです。
低くなるという条件づけがなされている。この実際の制限は、古代  しかし、民間労働の社会的性格、したがってそれを明らか
の自然や人気のある宗教における理想主義の様式に反映されていま  にしたのではなく、民間労働者の社会的条件を不明瞭にす
す。現実世界の宗教的な反映は、実用的な日常生活の関係が人々に  るのは商品世界のこの完成した形態、つまり貨幣形態です。
とって、日常的に透明で合理的な関係を自然と表現するようになる
とただ消えてしまいます。                    私がその岩やブーツなどを言うとき、抽象的な人間の労働
しかし、関係は自分自身を自分のものとして表現することしかでき  の一般的な実現形態としてキャンバスを参照していて、そ
ません。人生の社会的プロセス(すなわち、生産の物質的プロセ   の表現の狂気は目を引く。
ス)の形態は、意識的で計画された制御下で、自由に社会化された  しかし、ロックやブーツなどの生産者が、これらの商品を
男性の製品として立つと、その霧の神秘的なベールを打ち消すだけ  キャンバス、つまり何も変わらない金や銀を参照すれば、
である。                            同じである、それが、思考形式である。
しかし、それが起こるためには、社会の物質的基盤が要求される   一般的な同等物として、彼らの私的な作品と社会的な仕事
か、あるいは長く痛みを伴う開発の歴史の元の産物である物質的存  の関係は、この狂った形で現れる。
在条件の列が要求される。(原P39~40)             彼らの形式は、社会的に妥当であり、つまりこの歴史的
                                に決定された社会生産方式の生産関係、商品の生産関係に
 ⑪政治経済学は、たとえ不完全であっても、価値と価値の価値を  対する客観的形態なのです。
分析するために、今は確かにあります。
なぜ労働は価値があるのか、時間的持続性による労働の尺度自体が  ⑪商品の世界のすべての神秘主義すなわち商品生産に基づ
価値の量で現れているのかという疑問が提起されたことはありませ  いて労働生産物を包み込んだすべての魔法や憑依は、他の
彼らの額には、生産過程が人を支配するが、人々は生産過程を習得  生産形態に逃げるとすぐに消滅します。
していない社会形成に属していると書かれている。このような形態  ⑪・・・以下 略 ・・・
は、社会的生産のような自明な自然的な必需品としてのブルジョワ  ・
的意識を意味する労働そのものなのです。             ⑭
社会生産的生物のプレブルジョワの形態は、それに応じて政治経済  ⑮
によって扱われており、おおむねプレキリスト教の宗教が教会の父
親によって扱われているのと同じです。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 <次のー-物を置く狂気                       <再版 ⑦段落>
      表現の狂気
  この国民経済学への批判は、スゴイ!>            ・・現われる形でしか反映しない。これらの物質的に異な
                                るもの、労働の製品の共通の価値、で仕事の異なる種類の
                                平等の他の社会的な性格にする。
                                <物を置くような狂気は目に飛びます。>
  <初版⑥                          <再版⑩>
 <ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的物質化としての      <私がその岩やブーツなどを言うとき抽象的な人間の労働
  リネンに関係しています。物を置くような狂気は・・・>    の一般的な実現形態としてキャンバスを参照していて、そ
                                の表現の狂気は目を引く。>
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

                                ⑯一般的な社会的生産関係の示す値、及びその私的労働が
                                抽象的人間のそのカルトと同じ人間労働、キリスト教とし
                                てこの目的の形でお互いをbeziehn<相連結>するように
                                商品として自社製品に振る舞うことで商品の生産、社会の
                                ためにとりわけブルジョワ開発、プロテスタント、デイズ
                                ムなどにおいて最も適切な形態の宗教である。
                                altasiatischenで、アンティークなど生産の商品に製品の転
                                換を果たしているので、人間の存在コモディティプロデュ
                                ーサーのマイナーな役割として、しかし、すべてがより重
                                要である、より彼らの破壊の段階でコミュニティを蹴りま
                                す。
                                実際の貿易国はポーランド社会の細孔内エピクロスの神と
                                して、あるいはユダヤ人のように、唯一のintermundia古
                                代世界に存在します。
                                これらの古い社会的生産生物はブルジョアよりも非常に多
                                くの方が簡単かつより透明ですが、彼らはまだがandrenと
                                自然種関係の臍帯から緩んで壊れていないか、または直接
                                支配と隷属の条件を持っているために、個々の人間の未熟
                                さのいずれかに基づいています。
                                従って、それらはお互いに、自然に、労働の生産力の発展
                                の低水準とそれらの材料生活生成プロセス内の人々の相応
                                にバイアスされた条件によって引き起こされます。

                                <94>これらの実際のバイアスは、理想的に古い自然や民
                                俗宗教に反映反映されています。現実世界の宗教的な反映
                                は、今日の日々の仕事の実用的条件の条件が、お互いに、
                                そして自然と、透明で透明な関係を提供するとすぐに消滅
                                することができます。人生の社会的プロセス、すなわち物
                                質的生産過程の形態は、自由に社会化された人々の生産物
                                を意識して支配するとすぐに、その謎の霧を取り除く。
                                しかし、この目的のためには、社会の物質的基盤が必要で
                                あり、一連の物質的存在条件が必要であり、それ自体が長
                                く痛みを伴った発展の歴史の天然産物である。

                                ⑰政治経済学は実際には不完全だが (31)の値と値のサイ
                                ズは分析して、これらのフォームの内に隠された<95>こと
                                をちょうど発見しました。
                                しかし、なぜこのコンテンツがその形を取るのか尋ねたこ
                                とはありませんでした。なぜ、価値のある仕事とその期間
                                中の労働の尺度は、労働の生産する価値を表すのですか?
                                (32)
                                彼らは生産プロセスはまだ人々が、生産プロセスを習得せ
                                ずしてなす社会秩序に属していることを、彼の額に書かれ
                                ている形態は、自明Naturnot-<自然必然性>としての市
                                民意識を適用する<96>生産的労働として必要自身であり
                                ます。社会的生産物の形態はそれゆえ、このような先キリ
                                スト教以前の宗教によるように、それによって処理されて
                                いるブルジョア的形態なのです。(33)

                                ⑱・・・・・・略・・・・・・
                                ⑲
                                ⑳・・・・・・略・・・・・・


       ぐーぐるほんやく
       https://translate.google.co.jp/?hl=ja
       再版
       http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_049.htm#Kap_1_3

       初版ーー英訳
       https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm

       『資本論』第一章「商品」のディアレクティーク  丹野, 正
       http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/949/1/AA11349190_9_1.pdf










 

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