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初版第一の形態の5段落の誤訳について

 投稿者:杉本  投稿日:2018年10月 5日(金)12時08分23秒
返信・引用 編集済
    https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1676
  初版 商品  ③     ーーーーーの続きであります。

 改稿してみました。
 対象とされる5段落の正しい訳の全文をまず提示してみました。

https://www.marxists.org/archive/marx/works/1867-c1/commodity.htm

 ⑤In der Ausdruck des relativen Wertes: 20 Yards Leinen = 1 Mantel (oder x Leinen ist wert des Fells), muss man zugeben, dass das Fell nur als Wert oder Koagulation der Arbeit zählt, aber gerade durch diese Tatsache, dass das Koagulation der Arbeit zählt als Mantel und Mantel als die Form, in die menschliche Arbeit fließt, um zu erstarren.
相対的価値:20ヤードのリネン= 1コート<1Mantel>(またはxリネンはコートの価値がある)の表現では、コートは仕事の価値または凝固としてしかカウントされないが、正確には凝固した 人間労働が凝結するための形態としてのコートであるとしてーーその意味で、コートとしてカウントされます。
 <既存訳今村--「・・の表現・・・形態として通用する。」ーー
 では無く「認められている」--江夏訳--であり、「カウントされる」
 物象の判断が4段落に示されているのだからーーと動作を示す必要あり>
In the expression of the relative value: 20 yards of linen = 1 coat (or x linen is worth the coat), one must admit that the coat counts only as a value or coagulation of the work, but precisely by this fact that the coagulation of the work counts as a cloak and coat as the form into which human labor flows to freeze.

Die Gebrauchswertschicht wird nur zur Erscheinungsform des Leinenwertes, weil sich das Leinen mit dem Material des Mantels wie mit einer unmittelbaren Materialisierung der abstrakten menschlichen Arbeit und damit mit der Arbeit derselben verhält, die objektiviert ist in der Wäsche selbst.
 <「使用価値としての上着がリネン=価値の現象形態になるのは、
  ただリネンが抽象的人間労働の直接的< Materialisierung>
  受肉としての上着素材<Material>に関係するからであり、
  この労働はリネン自身に対象化された労働と同質の労働である
  からである。」今村訳P288>
使用価値は、リネン価値の表現とすぐなりますが、リネンは、抽象的人間労働の即時的現れーーと同様に、その外装の材料で動作し、リネン自体の中で客観化されているため、リネン価値の表現になります。
The use-value layer only becomes the manifestation of linen value, because the linen behaves with the material of the mantle as with an immediate materialization of abstract human labor, and thus with the work of it, objectified in the linen itself.
  <上記・此処までは、なんと等価物上着などは対象とされず、
  であり、リネンの相対的価値形態の成立を目指した論理です。>

Der Gegenstand, das Fell, gilt als sinnlich greifbare Vergegenständlichung gleicher Arbeit und damit als Wert in natürlicher Form. Da es als Wert derselben Essenz wie der Mantel ist, wird die natürliche Formschicht dadurch zur Erscheinungsform ihres eigenen Wertes.
オブジェクト(コート)は、同等の作業の具体的なオブジェクト化、したがってその自然な形の価値のあるものとみなされます。 マントル<外装されたもの>と同じエッセンスの価値であるため、自然ーー形態はそれ自身の価値の現れとなります。
The object, the coat, is considered to be the tangible objectification of equal work, and thus of value in its natural form. As it is the value of the same essence as the mantle, the natural form layer thereby becomes the manifestation of its own value.

As it is the value of the same essence as the mantle, the natural form layer thereby becomes the manifestation of its own value.
マントル<外装されたもの>と同じエッセンスの価値であるため、自然のフォームはそれ自身の価値顕現となります。
<manifestation 顕現とは?明確に、上着はその自然的形態のままに価値形態とされることです。>

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 <上記の訳には、うん十年の年功が重なっています。>
 hirohiro さんの提示はこうでありました。

<牧野訳>
①<上着という対象は、亜麻布にとっては、人間労働であるという点で種を同じくする労働が、感覚的に、手で掴むことのできるように対象化された姿であり、従って、自然物の姿をとった価値なのである。>

②<亜麻布は、価値としては上着と同じ本質を持っているので、上着という自然物の形式が亜麻布自身の価値の現象形態になるのである。>

<今村訳> これは、牧野訳と同じであります。
②<「価値であるかぎりでのリネンは上着と同じ本質を持つのだから、実物形態の上着はリネン自身の価値の現象形態になる。」>

<このように、今村訳は、ちゃんと存在してるとして、牧野氏が提示してくれているドイツ訳を次に示したのです。>
杉本は、そこへの意見を書いてみます。

hirohiro さんの提示
ーー杉本パソコン訳ーー
①<Das Thema Fels wird als greifbare konkrete Objektivität ähnlicher menschlicher Arbeit angesehen, daher auch sein Wert in seiner natürlichen Form.>
対象とされる岩石は、同様の人間の労働の具体的な客観性であると考えられ、その自然な形での価値です。
①<The subject of rock is considered to be a tangible concrete objectivity of similar human labor, hence its value in its natural form.>

②<Da es sich um einen Wert der gleichen Art mit dem Rock handelt, ist die natürliche Form Rock somit die Manifestation ihres eigenen Wertes.>
それはスカートと同じ性質の値なので、自然な形態の岩石は、したがって、自分の価値の現れです。
②<Since it is a value of the same nature with the skirt, the natural form rock is thus the manifestation of their own value.>


では杉本はどんな提示をしたのか。
<杉本の提示>
①The object, coat, counts for it as a sensually palpable objectification of human labour of the same kind, and consequently as value in natural form.
オブジェクト(コート)は、同じ種類の人間の労働の感覚的に触知可能なオブジェクト化として、それゆえ自然な形で価値としてカウントされます。
②Since it is, as value, of the same essence as the coat, the natural form coat thereby becomes the form of appearance of its own value.
コートと同じエッセンスの価値があるので、自然な形のコートは、それによって、自分の価値形態になる。

 <では杉本の提示はどうなのか?異なるところの二つを比較してみよう>

<牧野提示の英訳>
Since it is a value of the same nature with the skirt,
それはスカートと同じ価値であることで、その自然的性質を示し、
the natural form rock is thus the manifestation of their own value.
自然な形態の岩石は、それゆえに、彼ら自身の価値の現れである。

<杉本提示>
②Since it is, as value, of the same essence as the coat,
②コートと同じエッセンスの価値があるので、
the natural form coat thereby becomes the form of appearance of its own value.
天然のフォーム<自然的形態であるままに>コートは、それにより、それ自身の価値の出現の形態<価値形態>になる。

<では自然な形態の岩石は、それゆえに、彼ら自身の価値の現れである>ーーとは何か?
  自然形態の岩石は、ーー
  自然的形態上着は、ーー彼ら自身の価値形態で有るということであります。
  自然的形態であるままにコートは、それ自身の価値形態であるのです。
これが、等価物上着がその自然的形態のままに価値形態とされる、転倒した姿なのです
  牧野訳提示の原文と、杉本提示の文とは少し違いがあるとはいえ、
  意味が異なるものではないと判断します。
再版では、この転倒した姿が、こう描かれています。


 3等価形態の第4・5段落です。現行新書版で言えば、原P70ー71であり、新書版P96ー97です。
④The first peculiarity striking in the consideration of the equivalent form is the following: Utility value becomes the manifestation of its opposite, the value.
④同等の形態を考慮した場合の最初の特異性は次のとおりです。ユーティリティー値は、価値の出現形態となります。

⑤ The natural form of the commodity becomes the value form. But, notabene, this quidproquo occurs for a commodity B (rock or wheat or iron, etc.) only within the value-relationship in which any other commodity A (canvas, etc.) comes to it, only within that relation.
⑤商品の自然形態が価値形態になります。しかし、notabene<注意せよ>、このquidproquo<取り違え>は、他の商品A(キャンバスなど)がその関係の中でのみ生じる価値関係の中でのみ、商品B(岩または小麦または鉄など)に対して生じる。

Since no commodity refers to itself as an equivalent, and therefore can not make its own natural skin the expression of its own value, it must refer to other commodity as an equivalent, or make the natural skin of another commodity its own value form.
コモディティはそれ自体を同等物と呼んでいるわけではないので、
独自の自然な肌を独自の価値で表現することはできないため、
他のコモディティを同等物として参照するか、
別のコモディティの自然な肌を<its own >それ自身の価値形態にする必要があります。


<再版を見ることで、どおうでしょうか?次の今村訳の扱いはどうなりましたか?>
<「価値であるかぎりでのリネンは上着と同じ本質を持つのだから、実物形態の上着はリネン自身の価値の現象形態になる。」>

 それが、再版訳ではこうなのです。初版原文訳を提示しないのです。
①<ユーティリティー値は、価値の出現形態となります。<別のコモディティの自然な肌をそれ自身の価値形態にする必要があります。>
②<自然な形のコートは、それによって、自分の価値形態になる。>
このように、今村訳に示される既存訳は、この上記の訳を、等価形態の第一の独自性を、排除しているのです。

 hirohiro さんの提示は、存在している訳文を無視するな--という注意でありました。
そんな訳文を無視した・次第ということでは、杉本の注意が足りず失敗でした。
その点での注意については、感謝します。


 
 

Re: 初版 商品  ③

 投稿者:hirohiro  投稿日:2018年10月 4日(木)19時22分1秒
返信・引用
  > No.1676[元記事へ]

ところが、これまでの訳の全てが、この価値形態の訳がなく、そして、全く不必要な、次の 文があったのです。原文にはありません!」

 「価値であるかぎりでのリネンは上着と同じ本質を持つのだから、実物形態の上着は
 リネン自身の価値の現象形態になる。」(今村訳P288)

上記の文章は初版資本論にあります。原文にもあります。念のため牧野訳36~37ページの原文と訳文を前文も含めて引用しておきます。

独語原文
Der Gegenstand Rock gilt ihr als sinnkich handgreifliche Gegenständlichkeit gleichartiger menschlicher Arbeit, daher als Wert in Naturalform. Da sie als Wert gleichen Wesens mit dem Rock ist, wird die Naturalform Rock so zur Erscheinungsform ihres eignen Wert.

日本語訳
上着という対象は、亜麻布にとっては、人間労働であるという点で種を同じくする労働が、感覚的に、手で掴むことのできるように対象化された姿であり、従って、自然物の姿をとった価値なのである。亜麻布は、価値としては上着と同じ本質を持っているので、上着という自然物の形式が亜麻布自身の価値の現象形態になるのである。

よく確認してから人の批判をした方がよいですよ。
 

暴走も隠し通せば名誉市民。

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年10月 2日(火)20時50分57秒
返信・引用
  暴走も隠し通せば名誉市民。
 岩手の盲ろう者友の会事務局長小笠原利行さんから当時読み書き出来ない聾唖者の猜疑心から出たのが次期会長の為おだてけしかけから親父と口利いたことも無い今は岩手県ろうあ協会会長でお前の親父は馬鹿なのだ妥協しろと言い馬鹿らしいとして退会した。
 後は相手が県の看板団体のため親父は馬鹿のままにして辞めた理由はデマを流しかん口令を広げた。口封じに関わった人も団体も友達も全部取り上げ何処の団体も行かせず、社会参加は12年に12回も妨害された。更に現在は3年前から手話通訳差別も続いている。
 情報センターさえ貸し出し拒否が10ヶ月も続いている。復権を賭けていい加減圧力は辞めて欲しいと訴え続けました。
 看板団体であることと辞めた頃自立支援法が廃止になっていたことから暴走はばれなければいいと法務省容認になっていた。法務省は見解一つ口にしない。
 法務局は手紙での意見などは20回も出して暴走目こぼし権なんか無いと言う知事をかばうときだけで他は一つも来ない。
 法務省はメールで20回も意見など出して数日で答える言って3ヶ月も一つも来ない。来たのは法務局に行けと言うだけ。文書は一つも来ない。これでは口約束になって揉み潰しやすくなる。
 6月にもう諦めたいと初めて法務省にメールしたら諦めるなと言い水沢法務局に行けと言う。話は掲示板に実名使うなというだけ。 これは外国にも流れるから辞めさせろとと言うのが本音。
 駆け引きばかりで相手しきれなく実行犯に目を移した。
 北上と奥州の社協に親父の記録を届けました。馬鹿でも真似出来ますかと。知事号令から関係者は全部知らん顔。
 親父は地元の民芸品で現代の名工に選ばれて知事表彰を受けています。機械に頼らぬ出来栄えです。
 それがどっちも無視するため全国の社協などにコピーをばら撒きました。全国の社協は他県に関われないと思いますが少なくとも全国から失笑と後ろ指が岩手に向けて飛ぶことになります。
 法務省は世界一安全と言うキャッチフレーズが知事をかばい此方の人権の破壊しか考えず世界一当てにならないことになる。
 ちなみに北上と奥州には此方の親を馬鹿と言って名誉市民になった人が居ます。北上は小笠原利行・ひとみ夫妻と奥州は小野寺良子さんです。いずれもボランティアが暴走を隠して名誉市民とは、これが外国にまで知れたら岩手どころか日本の恥じになります。



 

☆9・22反弾圧集会の全11動画+≪秘話:議員ネットとカンナマ≫をアップしたよ!

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月23日(日)22時15分57秒
返信・引用
  http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=10932;id=#10932

☆9・22反弾圧集会の全11動画+≪秘話:議員ネットとカンナマ≫をアップしたよ!


[NEW]  戸田  E-MAILWEB  - 18/9/23(日) 7:21 -

件名:急報!★「連帯支援!9・22反弾圧集会」の全11動画+≪秘話:議員ネットと
   カンナマ≫をアップした!(9/23早朝戸田)
本文:

「産業別労働運動と協同組合運動の両翼推進で資本主義打倒の新たな社会主義を構想する」、「革命21」http://www.com21.jp/ の革命左翼議員=門真市議の戸田から、各方面
のみなさんへ。  (拡散大歓迎。重複の節はご容赦)
=======================================

◆◆昨夜大盛況だった<労働組合つぶしの大弾圧抗議9・22緊急集会>
  http://workersvoice.net/2018/09/17/%E5%8A%B4%E5%83【URL短縮沸:C-BOARD】3

  の全動画12本を戸田HPの「新・戸田のYUチューブコーナー」に、集会での公言通
 りにアップしたので、ぜひご覧下さい。
  また、特別動画≪戸田が語る秘話!議員ネットと「カンナマ」≫も急遽作成アップし
 たので、併せて、自由に活用して下さい。
  (※個々の動画への「説明」記載までは手が回りませんでした。御理解下さい。)
   (もうすぐ「連帯ユニオン近畿地本大会」→城北朝鮮学校運動会に出かけます)
    ↓↓↓
「新・戸田のYUチューブコーナー」
  http://www.youtube.com/user/higetoda/videos?view_as=public
   ↓↓↓

★戸田が語る秘話!議員ネットと「カンナマ」:20分40
  https://www.youtube.com/watch?v=bWuQ818BFf0
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会1:開会あいさつ:2分
   https://www.youtube.com/watch?v=kNXi2XgYRDE
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会2:洋一書記長の説明:17分20
   https://www.youtube.com/watch?v=R2vFe8jOqlc
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会3:広瀬トラック支部委員長:6分
   https://www.youtube.com/watch?v=SMRRhgvY-78
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会4:永島弁護士:11分21
   https://www.youtube.com/watch?v=9DOwagHoH0o
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会5:西山役員・圧送・港合同・全労協:9分20
   https://www.youtube.com/watch?v=Vbzldmqalmg
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◎連帯支援!9・22反弾圧集会7:北大阪合労(木村)・全交(山川):5分16
   https://www.youtube.com/watch?v=OA3Jh3gZGo8
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会8:★連帯ユニオン議員ネット(戸田):3分48
   https://www.youtube.com/watch?v=9bNj21HwptM
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会11:闘いの歌(川口真由美):10分
   https://www.youtube.com/watch?v=8btuiDkEnEg
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◎連帯支援!9・22反弾圧集会12:カンパ報告とシュプレヒコール:8分
   https://www.youtube.com/watch?v=kpaTG0dwMNo
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 9/23(日)06:43 戸田ひさよし 拝

 

関生型労働運動, 反弾圧 労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 のお 知らせ

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月23日(日)15時34分58秒
返信・引用
  http://com21.jp/archives/28989
■ 日時:2018年9月22日(土)18時~
■ 場所:エル大阪5F南館ホール
 大阪市中央区北浜東3-14(地図)

■ 内 容:
 現状報告―空前の組合つぶし、いま何がおこっているのか
 実行委員会参加組合・団体からの発言、訴え!

■ 主 催:9・22集会実行委員会
 連絡先:全港湾関西地本大阪支部
 電話 06-6575-3131 FAX06-6575-3134

http://www.hige-toda.com/x/c-board/c-board.cgi?cmd=one;no=7826;id=01#7826
■生コン支部に今朝10数人の大量逮捕弾圧!大阪府警が連帯生コン支部をガサ入れし!
[NEW]  戸田  E-MAILWEB  - 18/9/18(火) 12:26 -

■生コン支部に今朝10数人の大量逮捕弾圧!
本日9/18(火)朝、大阪府警が連帯生コン支部をガサ入れ・大量逮捕!(戸田)

 門真市議の戸田から各方面の方々へ、緊急重大な情報です。(重複ご容赦)

■本日9/18(火)朝、大阪府警が関西地区生コン支部などをガサ入れするとともに、支部で10数人もの大量逮捕を行なった、という情報が飛び込んできた!

 ネットニュースでは9/18早朝の発信で、
 「・・・捜査していることが17日、捜査関係者への取材で分かった。
  府警はすでに大阪市西区の関生支部や関係先の家宅捜索を実施。
  府警は十数人が関与したとみて、近く幹部らから事情を聴く方針。・・」
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180918-00000508-san-soci
と書いてあるが、実際には10数人もの大量逮捕を行なった!

 詳しい事は今のところ、外部からは不明。

■「9/22(土)緊急抗議集会」を目前にしたところでの大量逮捕弾圧を絶対に許さない!
労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 すでにご存知のように滋賀県警組織犯罪対策課による8月9日、8月28日に連帯ユニオン関生支部への連続的弾圧が開始されている。28日には武建一執行委員長のほか支部役員2人が逮捕され、8月9日の1名の役員を含め計4人を不当逮捕したうえ、大阪市内の関西地区生コン支部事務所など多数ヶ所を家宅捜索した。その中には無関係箇所も含まれ、家宅捜索は違法で暴力的なのものであった。さらに大阪府警などの関西の各県警も弾圧拡大に動いている。

 この弾圧は労働組合活動を恐喝未遂容疑とするものであり、さらに他の警察権力は共謀罪などの適用をほのめかしている、労働組合活動の刑事免責を除外した一昔前から比べ、法律も変わらないまま一切の組合活動を刑事罰としようとするものである。これを許すなら憲法28条も必要ないとされ、資本家に有利な社会が作られていくことは明白である。今回の特徴は組織犯罪対策課が中心となり「警察庁の指示」といっていることである。いち労働組合への弾圧としては近年ない規模であり政府主導の新たな労働組合つぶしの開始といえる。

 日本において生コン業界を切り口に本格的産業別職種別の労働運動をめざし幾多の弾圧・妨害を乗り越えてきた連帯ユニオンの関生支部の闘い。これへの全面的破壊攻撃の開始である。断じて許すことは出来ない。滋賀県警は業者に対し「関生と手を切れ」といい、組合員には「組合加入の動機はなにか」と産業別中小企業労働運動破壊を公言している

 今こそ大企業の収奪とたたかい、辺野古新基地建設を許すな、原発再稼働阻止、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪反対を求め、安倍政権とたたかう労働組合つぶしを許すなの声をあげよう。
 そこで、こころある人々の9・22集会への賛同(無料)・参加を強く訴えます。滋賀県警への抗議を訴えます。
 

 第二章 交換過程

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月22日(土)10時27分26秒
返信・引用 編集済
    第二章 交換過程

  商品の魅力とその秘密  2018年10月 7日
  https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1690
  ①上記の物神性 ついてまとめていました
  ②ここでの 交換過程 2018年 9月22日
             2019年 5月6日 に少し訂正しました。

http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_099.htm

  ぐーぐるほんやく
  https://translate.google.co.jp/?hl=ja

  <『価値形態論と交換過程論』での前編を読んでいて、なんだか、扱っていること
  が交換過程論ばかりで、価値形態論への言及があまりに少ない事に気づいた。
  しかし、交換過程論は、むしろ久留間先生が否定する価値形態論への言及の拡大で
  あり、追求の徹底なのではないか?と思えるのです。流通手段においても、扱って
  いることは、次に紹介するように、商品・貨幣の二重の形態であり、商品形態なの
  です。>

  第三章第二節 流通手段   a商品の変態 5段落から<原P119・120>

⑤このように、商品の交換プロセスは、商品の貨幣への変態と、貨幣から商品への変態という2つの相反した相補的変態で行われる。 (65)
商品変態の瞬間は、商品所有者の交易と同時に、売却、商品と貨幣の交換、購入、商品と
の貨幣の交換、両方の行為の統一:すなわち・買うための販売です。

           交換過程 6・7段落に注意してほしい!
    そこでの記述は、交換過程の条件ではなく、その前段なのです。
    1 物象の社会関係が  、
       2<物象の人格化・人格の物象化>を受けとるーーことがあって、
       3その次に交換過程が展開されるのです。
    価値形態論での物象の社会関係の次が、すぐさま、交換過程では
    ないのです。>

   交換プロセス
   The exchange process
 <99>
 ①商品は市場に出ることはできず、自分自身を交換することはできません。だから私たちは彼らの飼い主、商品の所有者を見なくてはなりません。商品はものなので、人間に抵抗することはありません。彼らが喜んでいない場合、彼らは力を使用することができます、つまり、それらを取ることができます。
(37)物品としてこれらの物をお互いに関連させるためには、財産保持者はその物に住む意志のある人物として行動しなければならず、したがって、それぞれが外国の商品彼または彼女自身の財産を売却することによって、どちらか一方または両方の共通の意志によって、したがって、彼らは相互に個人所有者として認識する必要があります。
この法的関係は、その形式が法的であるか否かにかかわらず、経済的関係が反映された意志である。この法律または意志の関係の内容は、経済関係そのものによって与えられる。 (38)

ここには、商品の代表者として、したがって商品所有者としてしか存在しません。
このことは、分析のさらなる進路において、人の経済的性格のマスクは、彼らの提示とは反対の経済的諸関係<諸範疇>の人格化であることが分かるだろう。
 <「物象の人格化と人格の物象化の対立」原P123--と示されたことがらです。>

 ②特に商品の所有者を商品と区別することは、他のすべての商品が自分の価値の現れとみなされるという事実である。生まれながらのレベラーと冷笑的な彼女は、常に他のすべての商品とともに、魂だけでなく体を変えるために、Maritorneよりも多くの不便を抱えていても、常に移動中です。商品所有者は、独自の5つ以上の感覚を通じて、商品の具体的な意味の欠如に加えます。
彼の商品は、彼のためにすぐには使用価値がありません。さもなければ、彼は彼女を市場に導かなかった。それは他人のための有用性の価値があります。彼にとって、それはすぐに交換価値のベアラーであるという有用性の価値しか持たず、したがって交換の媒体となる。 (39)
そのため、使用価値のある商品で販売したい。すべての商品は、所有者の非使用アイテム、非所有者のユーティリティ値です。だから、あなたはあらゆる面で手を変えなければなりません。しかし、この手の変化は彼らの交換を形作り、交換はそれらを価値として結びつけ、価値として実現する。
したがって、商品は、使用価値として実現される前に価値として実現されなければなりません。
  <杉本 使用価値として実現ーー価値として実現、の関連
   が示されることで、ここからは、価値論ではなく交換過程論が示されている。>
 ③他方では、価値として実現される前に有用な価値を証明しなければならない。
それに費やされる人間の労働は、それが別の有用な形で費やされている限りにおいてのみ重要である。 彼らが他の人に有益であるかどうかに関わらず、彼らの製品は外国のニーズを満たしますが、彼らの交換を証明することしかできません。

 ④すべての商品所有者は、その使用価値が彼の必要性を満たす他の商品に対してのみ商品を販売したいと考えています。 交換が彼のためのものであれば、個々のプロセスだけです。 一方で、彼は自分の商品が価値あるもの、つまり同じ価値の他のすべての商品で、自分の商品が現在他の商品の所有者にとって有用な価値を持っているかどうかを認識したい。 そうであれば、交換は一般的に彼のための社会的プロセスです。 しかし、同じプロセスは同時に、個人であると同時に、すべての商品所有者にとって一般的に社会的ではありません。
 ⑤もっと詳しく見ると、すべての外国の商品は他のすべての商品と同じ商品として扱われ、その商品は他のすべての商品の一般的な商品とみなされます。しかし、すべての商品所有者は同じことを行うので、商品は一般的な同等物ではないため、商品は一般的な相対的価値形態を保有しておらず、価値として自己を価値と見なしているが、したがって、彼らは商品にまったく反対するのではなく、商品や使用価値としてのみ反対します。
  <杉本 この段落にて、価値の実現と使用価値の実現--の関連性の追求だけでは論
  理が進行しないーーことが述べられています。
  「商品は一般的な同等物ではないため・・一般的な相対的価値形態を保有しておら
  ず」なのですから、再度、一般的な相対的価値形態が、何故、ここに反省規定されて
  いないのか?再検討してみよう、とあります。
  その事柄が、続く6・7・8段落と検討されています。>

⑥私たちの商品所有者は彼らの恥ずかしさで、ファウストのように思う。最初は行為でした。彼らは彼らが思う前に既に行動しています。

商品性の法則は、商品所有者の自然本能にあった。
彼らは、価値と観なしてのみ商品を関連付けることができるため、商品としてのみ、それらを一般的な等価物<a general equivalent>としての他商品に言及することに、依っているのです。

このように、商品の分析が行われました。しかし、社会的行動だけが、特定の商品を一般的に同等にすることができます。
したがって、他のすべての商品の社会的行動は、すべての面で価値を表現している特定の商品を排除します。
 <あらゆる諸商品が特定の商品を排除する共同行為をするーーことで、普遍的な同等物
 となっている>
だから、Naturalform<自然的形態>の商品は社会的に有効な同等形態になります。

社会的プロセスを通して、普遍的な同等物<一般的等価物>は、除外された商品の具体的な社会的機能となる。
それでは--彼女がどのようになりますか?貨幣です。
 <杉本 ここでは未だ交換過程は登場できてはいない --その理由が次なのです。>

⑦マネークリスタルは、多様な作業成果物が実際に互いに釣り合って実際に商品になる交換プロセスの必要な産物である。
 <貨幣結晶の存在ーーのみでは貨幣形態は登場せず・・とのマルクスの注意!です。>
 <「貨幣結晶は、種類を異にする労働生産物が実際に互いに等置され、それゆえ実際
  に商品に転化される交換過程の必然的産物である。」新日本訳P149>

歴史的な拡大と交換の深化は、商品性格のユーティリティ価値と価値との間の休止期の対比を生じさせる。

交通のためにこのコントラストを外部的に描く必要性は、商品価値の独立した形態に駆り立てられ、商品を商品と貨幣に倍増させることによって最終的に達成されるまで<not rest and rest until>休まずであり、休まない。
したがって、労働生産物の商品への変換と同じ程度で、商品の貨幣への変換が行われる。
  <杉本 注意!既存訳では、いずれも、「交換過程の必然的産物」との訳です。
  <貨幣結晶>は、・・が実際に互いに釣り合って実際に商品に変わる交換プロセスに
  必要な製品・・なのですから、準備段階を示しているのであり、未だ交換過程は登場
  できてていない!
  もう交換過程が登場していると、理解していると、次のつながりを捨象してしまう、
  のです。
  まず①しかし、社会的行動だけが、特定の商品を一般的に同等にすることができま
     す。他のすべての商品の社会的行動は、すべての面で価値を表現している特定
     の商品を排除します。
  次に②商品の貨幣への転化・貨幣の商品への転化があり、そのことを示して、労働生
     産物の商品への変換と同じ程度で、商品の貨幣への変換が起こるーーとあり、
  次に③貨幣形態の登場と、それが、貴金属に移行する、ことが、8段落から語られる
     のであり、そして
    ④この① ②があって、
    <彼らの恥ずかしさの中で私たちの商品所有者はファウストのように思う。
    最初は行為でした。>ーーとされたことが、
    次にやっと、交換過程が登場できるのです。>
    <なるほど、久留間先生は、前の⑥段落を引用している。P23です。
    しかし、前段であるものを、交換過程での共同行為ーーとのみそのことを断ずる
    ・決めつけることで、ーーこの二つの過程を、ともに捨象して物象の人格化を、
    先生は据えることが、ここで、出来なかったのです。
    a価値形態論ではー物象の社会関係が論議されたのであり、
    b交換過程への準備では物象の人格化・人格の物象化が、まず問われたのです。
    ところが先生は、彼の著書のP90に、宇野先生の主観性を批判して述べている。
    「・・<前者において>商品のほうがもともと主体なのであり、所有者は、商品
    のロボットにすぎないのである。「人格の物化および物の人格化」といわれるゆ
    えんである。」ーーと主張するのです。
    a物象の社会関係がまず形成されるーー価値形態ーーと、
    b物象の人格化として問われる、交換過程論の形成が、
    先生は、区別できず、この二つの過程を混同してしまったのです。
    この混同のもとでは、⑨<課題は、その解決手段と同時に発生します>ーーと
    の段落をふまえて、
    <⑩⑪"今、金と銀は自然にはお金ではなく、お金は自然に金と銀です">と解釈
    の助け舟が出ているのに、先生は、交換過程への入り方が、対象化できなかった
    のです。それは⑧ ⑨段落で、両極の形態が論議されているのに、捨象している
    からです。>
 <もう一度・英訳の有り様を提示しておこう>
⑦ The money Crystal is a necessary product of the exchange process in which various work products each actually equated and therefore, actually turned into goods.<102>
 <貨幣Crystalは、さまざまな作業成果物がそれぞれ実際に同等と見なされ、
  実際に商品に転化される交換プロセスの必要な製品です。> <102>
The historical expansion and deepening of the exchange develops the dormant contrast between utility value and value in the commodity nature.

The need to externally portray this opposition to traffic drives to an independent form of commodity value, and does not rest and rest until it is finally achieved by doubling the commodity into commodity and money.

In the same degree, therefore, in which the transformation of labor-products into commodities, the transformation of commodities into money takes place.(40)

 ⑧一方では、製品の即時交換は、価値の単純な表現の形をしており、他方ではまだ存在していない。その形はxコモディティA = yコモディティBであった。直接商品交換の形態は次の通りである。
x量の使用対象A = y量の使用対象B(41)
物AとBは交換前の商品ではなく、同じものである。

可能性に応じて商品が交換価値となる最初の方法は、非使用価値、その所有者の即時の必要性を超える使用価値の量としての存在である。それ自体の物は人間の外にあり、したがって消耗品です。この疎外が互いに排他的であるためには、人々は暗黙のうちに、それらの外来物の私的所有者として、したがって互いに独立した人として自分自身に反対する必要があります。
 <互いに独立した人として自分自身に反対するーー物象の人格化ーーであります。>
しかし、このような相互の奇妙な関係は、原始的なコミュニティの構成員にとっては存在しない。

今や、家父長家族、古代インドの共同体、インカ州などの形をしている。財の交換は、外国人との接触や外国のコミュニティとのつながりの点でのみです。しかし、物事が海外に行くとすぐに、彼らはまた、内部のコミュニティの商品に戻る。

彼らの量的交換は当初は全くランダムであった。交換<103>バー、彼らは彼らの所有者が彼らを相互に販売する意志の行為です。

一方、外国の商品の必要性は徐々に確立されつつある。交換の一定の繰り返しは、それを規則的な社会的プロセスにしている。したがって、時間の経過とともに、少なくとも一部の作業成果物は、交換のために意図的に生産されなければならない。

この瞬間から、一方では、離別は、
   即時の必要性のための物事の有用性と、交換のための有用性との間
にあります。彼らの使用価値は交換価値とは異なります。

他方、彼ら自身が交換する量的比率は、生産自体に依存する。習慣は値の大きさとしてそれらを修正します。
 ⑧On the one hand, the immediate exchange of products has the form of the simple expression of value and on the other hand it does not yet exist. That form was x commodity A = y commodity B. The form of direct product exchange is: x commodity A = y commodity B. (41) Things A and B are not commodities before the exchange, but are only through the same. The first way in which a commodity is, according to possibility, exchange-value, is its existence as a non-use-value, a quantity of use-value exceeding the immediate needs of its owner. Things in and of themselves are outwardly external to man and therefore expendable. For this alienation to be mutually exclusive, people only need tacitly to oppose themselves as private owners of those alien things, and thus as persons independent of each other. Such a relationship of mutual strangeness, however, does not exist for the members of a primitive community, it now has the form of a patriarchal family, an ancient Indian community, an Inca state, etc. The exchange of goods begins where the polities end, at the points of their contact with foreign polities or Linking foreign communities. But as soon as things go abroad, they also turn back into commodities in the inner community. Their quantitative exchange is initially quite random. Exchange <103> bar, they are by the act of will their owners to sell them reciprocally. Meanwhile, the need for foreign commodities is gradually becoming established. The constant repetition of the exchange makes it a regular social process. Over time, therefore, at least some of the work products must be deliberately produced for the purpose of replacement. From this moment, on the one hand, the divorce attaches itself between the usefulness of things for the immediate need and their usefulness for exchange. Their use value is different from their exchange value. On the other hand, the quantitative ratio in which they exchange themselves depends on their production itself. The habit fixes them as value sizes.

 ⑨製品の即時交換では、各製品は所有者の非所有者に相当する直接的な交換手段ですが、その使用価値がある限りです。したがって、バーター<物々交換>商品は、それ自身の使用価値または交換者の個々のニーズとは無関係にいかなる価値形態も受けていない。

この形式--形態の必要性は、交換プロセスに入る品物の数と種類の増加とともに進化しています。課題は、その解決手段と同時に発生します。

商品所有者が異なる商品を異なる商品と交換して比較する取引は、異なる商品が同一の第3の商品との取引で異なる商品所有者によって交換されずには、値として比較されることはない。

このような第3の商品は、他の商品と同等になり、狭い範囲内ではあるが一般的または社会的に同等の形で直接受け取る。

この一般的な同等形態が生まれ、瞬間的な社会的接触が起こり、それが現実になった。彼女は交代して一瞬のうちにこの商品やその他商品が来る。しかし、商品交換の発展に伴い、それは特別な種類の商品に専念するか、貨幣形態に結晶化する。
どの種類の商品がそれらに貼り付いているかは、最初はランダムです。

しかし、全体として、2つの状況が決定します。
貨幣の形態は、国内商品の交換価値の実際の現れである最も重要な外国為替商品、または国内の譲渡不能所有の主要要素を構成する商品に付随する。
牛などですね。

彼らのすべての所有物は移動式のものであり、したがって直接外国人の形態であり、彼らの生活様式が絶えず彼らを外国のコミュニティと接触させ、したがって製品を交換することを目的としているため、ノルマンディン人はまずマネーフォームを開発する。人々はしばしば、奴隷の形態でさえも、元金の材料を作ったが、土地は決して作っていない。

そのような考え方は、既に教育を受けている市民社会においてのみ生じうる。それは17世紀の最後の3分の1から始まり、フランスのブルジョア革命後の1世紀後に全国規模でその執行が試みられました。
 ⑨In the immediate exchange of goods, each product is a direct means of exchange for its owner, equivalent to its non-owner, but only as far as they are use value for him. Thus, the barter article does not receive any value form independent of its own use value or the individual need of the exchangers. The necessity of this form evolves with the growing number and variety of goods entering the exchange process. The task arises simultaneously with the means of its solution. A trade in which commodity owners exchange and compare their own articles with various other articles never takes place without different goods being exchanged by different commodity owners within their trade with one and the same third commodity and compared as values. Such third commodity, becoming equivalent to other commodities, receives directly, though within narrow limits, general or social equivalent form. This general equivalent form arises and passes with the momentary social contact that brought it into being. Alternating and fleeting she comes to this or that commodity. With the development of the exchange of goods, however, it adheres exclusively to special types of goods or crystallizes into money form. Which type of goods sticks to them is initially random. However, on the whole, two circumstances decide. Money form attaches either to the most important foreign exchange items, which are in fact natural manifestations of the exchange value of the domestic products, or to the commodity which constitutes the principal element of the domestic alienable possession, as e.g. Cattle. Nomadic peoples first develop the money form, because all their belongings are in a mobile, hence directly alien form, and because their way of life constantly brings them into contact with foreign communities, and therefore aims to exchange products. People have often made man, even in the form of a slave, the original material of money, but never the land. Such idea could arise only in already educated civil society. It dates from the last third of the 17th century, and its execution, on a national scale, was attempted only a century later in the bourgeois revolution of the French.

 ⑩したがって、商品の交換が唯一の地方の絆を破るのと同じ割合で、商品の価値は一般的に人間労働の重要性にも及んでいますが、貨幣形態は商品に渡されます。貴金属に対する普遍的な同等の社会的機能のあるものです。

 ⑪今、「金と銀は自然にお金ではありませんが、お金は本質的に金と銀です」(42)は、その自然の性質とその機能との合同性を示しています。 (43)

これまでは、商品の価値を提供するための兆候として、あるいは商品の価値が社会的に表現されている素材として、お金の1つの機能しか知りませんでした。

抽象的で同等な人間の労働の価値や材料の適切な表明は、すべての標本が同じ統一的品質を持つ問題でしかない。一方、価値と価値の差は純粋に定量的なものであるため、貨幣商品は純粋に量的な差異、すなわち任意にそれを分割し、その部分から再組み立てすることができなければならない。しかし、金と銀は自然の性質を持っています。

 ⑩In the same proportion, in which the exchange of goods breaks its only local ties, and the value of commodities, therefore, extends to the materiality of human labor in general, the money-form passes over to commodities, which by nature are fit for the social function of a universal equivalent, to the noble metals.

 ⑪Now, "although gold and silver are not naturally money, and money is by nature gold and silver" (42) shows the congruence of their natural properties with their functions. (43) So far we know only the one function of money, as manifestation to serve the value of the commodity or as the material in which the values ??of commodities express themselves socially. Adequate manifestation of the value or material of abstract and therefore equal human labor can only be a matter of which all specimens have the same uniform quality. On the other hand, since the difference of value-values ??is purely quantitative, the money commodity must be capable of purely quantitative differences, that is to divide it arbitrarily and to be able to be reassembled from its parts. But gold and silver have these properties of nature.

 ⑫お金の使用価値は倍増する。 商品としてのそれらの特定の実用価値に加えて、例えば金など。 中空歯、贅沢品の原料などを詰めるために、それはその特定の社会的機能から得られた正式な有用性を受け取る。
 ⑬他のすべての商品はお金の特別な同等物であり、貨幣はそれらの普遍的な同等物であるので、一般商品としての貨幣に、特別な商品として行動する。 (44)

 ⑫The utility value of the money doubles. In addition to their particular utility value as a commodity, such as gold, e.g. for stuffing hollow teeth, raw materials of luxury articles, etc., it receives a formal utility derived from its specific social functions.
 ⑬Since all other commodities are only special equivalents of money, and money their universal equivalent, they behave as special goods to money as the general commodity. (44)

 ⑭貨幣形態は、ある商品に付随する他のすべての商品の関係の反映に過ぎないことが分かっている。その貨幣は商品である(45)ので、後でそれを分析するために、彼の完成した形態から始まる人のなす--唯一の発見です。

交換プロセスは、商品を価値にではなく<貨幣>に変換する商品であるが、その価値の形態を与える。
<①交換過程は、価値形態を与えることで、商品を貨幣に変換する商品の、共同行為>

2つの決定の混乱は、<①貨幣は商品 商品は価値形態 ②商品は価値形態>金と銀の
価値が想像上であると考えるように導いた。 (46)
特定の機能の貨幣は、それ自体の兆候(商標)に取って代わることができるので、もう一つの誤りはそれが単なる兆候(商標)であるということでした。

一方、物事の貨幣形態は、それ自体が外見上のものであり、単に隠された人間の状況の兆候であるという疑いがあった。

この意味で、価値はすべて、それに費やされた人間労働の事実上の<外皮>カバーに過ぎないので、すべての商品は記号になります。 (47)

しかし、社会的特性を考慮すると、特定の生産方式に基づいて得られた社会的決定要因であるもの、または客観的特性が単なる兆候であると同時に、彼らは人々の反射関係の任意の製品なのです。

18世紀のこの普遍的な啓蒙は、少なくとも当分の間は、創造のプロセスがまだ解読できなかった人間の状況の謎めいた人物に対する不思議さを浮き彫りにするためであった。
 ⑭It has been seen that the form of money is only the reflex of the relations of all other goods attached to one commodity. That money is commodity (45) is thus only a discovery for the one who starts from his finished form in order to analyze it afterwards. The exchange process gives the commodity which it transforms into money not its value but its specific value form. The confusion of the two determinations led one to think that the value of gold and silver was imaginary. (46) Because money in certain functions can be replaced by mere signs of itself, the other error was that it was a mere sign. On the other hand, there was the suspicion that the money form of the thing was itself outwardly and merely the manifestation of hidden human circumstances. In this sense, every commodity would be a sign, because value is only a matter-of-fact cover of the human labor spent on it. (47) But if one considers the social charac- ter, which things, or the objective characters, which social determinants of labor Obtained on the basis of a certain mode of production, for mere signs, they are at the same time declared to be arbitrary products of reflection of men. It was this popular enlightenment of the eighteenth century, in order to shed, at least for the time being, the semblance of strangeness on the enigmatic figures of human circumstances whose process of creation one could not yet decipher.

 ⑮商品の同等形態には、その価値の定量的な決定は含まれていないことに留意したばかりです。金が他のすべての商品と直接的に交換可能であることが分かっている場合、どれくらいの金額があるか分かりません。

金10ポンドは価値があります。すべての商品と同様に、お金は他の商品に比べて相対価値があるだけです。その独自の価値は、その生産に必要な労働時間によって決定され、同量の労働時間が凝固している他のすべての商品の数量で表されます。 (48)

この相対価値の決定は、その生産源による直接交換において行われる。
それがお金<貨幣>として流通に入るとすぐに、その価値はすでに与えられています。

17世紀の最後の数十年の早い時期に、貨幣分析の始まりが遠くから離れていて、貨幣が商品であることを知っていれば、それはほんの始まりにすぎません。難しさは、お金が商品であることを理解することにあるのではなく、商品はどのように、なぜ、どう貨幣であるのかということにあります。
   The difficulty lies not
   in understanding that money is commodity,
   but how, why, by which commodity is money.

 ⑮It has just been remarked that the equivalent form of a commodity does not include the quantitative determination of its value.

If it is known that gold is directly exchangeable with all other commodities, then one does not know how much, for example.

10 pounds of gold are worth.
Like every commodity, money can express its own value only relatively in other commodities. Its own value is determined by the labor-time required for its production, and expressed in the quantity of every other commodity in which the same amount of working-time has coagulated. (48) This determination of its relative value takes place in direct exchange by its source of production. As soon as it enters the circulation as money, its value is already given. If, as early as the last decades of the seventeenth century, the beginning of monetary analysis was far from over, knowing that money is commodity, it is only the beginning. The difficulty lies not in understanding that money is commodity, but how, why, by which commodity is money. (49)

 ⑯私たちは、どのようにして価値の最も簡単な表現で見た商品A = yコモディティBは、社会的性質としてこの関係とは無関係に同等の形を保有しているようである。

私たちはこの誤った注釈の添付を追跡しました。

これは、一般的な同等の形態が特定の種類の商品の自然形態とともに成長したり、貨幣形態に結晶化したりするとすぐに完成する。

他の商品はその価値のすべての側面であるため、商品はお金になるとは思われませんが、逆に、貨幣であるため、逆に商品の価値を表すように見えます。

仲介運動は、それ自身の結果で消滅し、背後には痕跡が残らない。

彼らの介入なしに、商品は、商品外の身体として、自分の価値形態を見つけます。地球の腸から出てくる金と銀は、同時にすべての人間労働の即身化につながっています。したがって、お金の魔法です。

彼らの社会的生産過程における人々の単純な原子的行動、したがって彼ら自身の制御と意識的な個人的行動とは無関係な生産関係の事実上の形態は、労働生産物の一般的な商品形態です。

したがって、貨幣の魅力の謎は、目に見えて任命されただけであり、商品のフェティシズムの目を眩まさせるパズルです。
 ⑯We saw that, even in the simplest expression of value, x commodity A = y commodity B, the thing in which the value-size of another thing is represented, seems to possess its equivalent form independently of this relation as a social nature-property. We traced the attachment of this false note. It is completed as soon as the general equivalent form has grown together with the natural form of a particular type of commodity or crystallized into a monetary form. A commodity does not seem to become money first, because the other commodities are all sides of their values ??in it, but conversely, they generally seem to represent their values ??in it, because it is money. The mediating movement disappears in its own result and leaves no trace behind. Without their intervention, the goods find their own value form as an out-of-commodity body. These things, gold and silver, coming out of the bowels of the earth, are at the same time the immediate incarnation of all human labor. Hence the magic of money. The merely atomistic behavior of men in their social production process, and therefore the factual form of their own relations of production, independent of their control and their conscious individual action, appears first in the fact that their products of labor in general assume the form of commodities. The mystery of the money fetish is therefore only the visibly ordained, the eyes dazzling puzzles of commodity fetishism.


  <①他の商品はその価値のすべての側面であるため、商品はお金になるとは思われま
  せんが、逆に、お金であるため、逆に商品の価値を表すように見えます。>
  <②彼らの社会的生産過程における人々の単純な原子的行動、したがって、彼ら自身
  の制御と意識的な個人的行動ーーとは無関係な生産関係の事実上の形態は、労働生産
  物の一般的な形態として商品になる、ことを見えないが基礎・土台にしている。>

  <上記は、見落としてしまうが、労働生産物が物的形態のままに、商品形態を受け取
  っているーーと述べているのではない。物象が商品を価値形態と判断するのであり、
  使用価値と価値形態の商品形態を与えることが、省かれて、労働生産物の自然的形態
  のままに受けとる現象形態を、批判している。>


  <交換過程論は、むしろ再版ではなく、初版の物神性論からのつながりの方が、
   理解しやすい。以下は、前段よりも、後段の交換過程に向けての解説ーーと理解
   した方がとても分かりやくすくなり、思わず、膝をうってしまいます。
  <下記は、一般的相対的価値形態において諸商品が、価値形態をとることを、示して
   いるのではなく、物神性論にて示されているように、両極の形態を取らずに、
   再度・等価形態を取らずに、なのです。交換過程においても、両極の形態をとるは
   ずが、どちらの形態でも無く、直接的に次のことが起こるとの批判です。
   労働諸生産物がその姿態のままに、価値形態とされる--転倒象なのです。>

  https://8918.teacup.com/rev21/bbs/1660
  商品のフェティシズムの性格とその秘密 の初版 再版 の対比(そのⅡ)

   初版物神性論
  ⑦したがって、労働時間による価値量の決定は、相対的な商品価値の動きの中に潜ん
  でいる謎である。
  生産者自身の社会運動は、生産者がその動きを制御するのではなく、その制御下にあ
  るオブジェクトの動きの形態を所有している。
  最終的には価値形態に関わる限り、私たちは、民間労働者の社会的関係とその結果と
  して私的労働者の社会的決定を客観的に覆い隠すのはちょうどこの形態に過ぎないこ
  とに気付く。私がコートと言うなら、ブーツなどは抽象的人間労働の普遍的な物質化
  としてリネンに関係しています。

  しかし、コート、ブーツなどの生産者がこれらの商品をユニバーサル相当品として
  リネンに関連付けると、彼らの私的労働の社会的関連性は、まさにこの狂気のような
  形で現れます。(原P38~39)
  <彼らの私的労働の社会的関連性は、まさにこの狂気・・>


   ーー 交換過程ーー
  <仲介運動は、それ自身の結果で消滅し、背後には痕跡が残らない。
  彼らの介入なしに、商品は、商品外の身体として、自分の価値形態を見つけます。
  地球の腸から出てくる金と銀は、同時にすべての人間労働の即興化につながっています。
                      <人間労働の直接的化身・江夏訳初版P82>
  したがって、貨幣の魔法ですね。>

  <どうか次を参照願います。この交換過程論の解説は、素晴らしく久留間理論の批判ができています。>
   第50回「『資本論』を読む会」の報告 その2
   https://blog.goo.ne.jp/sihonron/e/914bf64884f692febecd9155fddd63c1


   第45回「『資本論』を読む会」の報告
   http://p.booklog.jp/book/19345/page/2558301


   http://p.booklog.jp/book/19345/read

 

あいつの親父は馬鹿と言って名誉市民

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年 9月22日(土)03時32分23秒
返信・引用
    あいつの親父は馬鹿と言って名誉市民
 知事号令によって看板団体の暴走を隠すために親を馬鹿にしたまま暴走した。親父を馬鹿と言う北上の小笠原利行さんと奥州の小野寺良子さんはそれぞれ名誉市民になっていた。もっとおかしい事は法務省がこれらを容認していた。
 岩手の看板とはとんでもない話です。法務省は20回近く意見送り数日で返事すると言って3ヶ月一つも返事しない。
 法務局への手紙も20回は出している。その数だけ意見になるはずが暴走目こぼし権なんて無いと言う知事をかばうときだけ。
 暴走は容認されていることになる。
 此方は暴走隠しから誰一人と関われず団体も友達も全部取り上げ何処り団体も行かせず社会参加は12年で12回の妨害です。
 とりわけ聾唖者は友達は簡単に作れないもの。それが全部取り上げられて完全孤立が12年になります。
 そして北上と奥州の社協に親父の記録を届けても知らん顔している。しかも法務省も容認している。
 全国の社協にも親父の記録を届けて居ます。岩手県庁と法務省から関わるなとされたのですか。こちらとしては余計な関わりは迷惑だけになるため知らせたという形です。
 人の親を馬鹿と言ってそれぞれ名誉市民だとは。これほどの無責任は通訳資格剥奪追放すべきです。掲示板の中に入って妨害ばかりかお前の親父は馬鹿なのまだとあざ笑いしていた。これが岩手の看板か、恥さらしではないか。北上の社協はそれでも知らん顔している。親父の記録を読み直して馬鹿が名工と呼ばれますか。地元社協でも役場でも町の人にでも聞けばいいです。
 それに最初に親を馬鹿と言い出したのは当時次期ろうあ協会会長でゴマすりから踊らせたことになります。それも読み書きの出来ない聾唖者の猜疑心から来た。しかも親父と口利いたことも無い。更に本人は知らなかったと言えば正義になると言い張り約束守ることも詫びることもせず、知らなかったの一声で全てをチャラにした。 無責任でもこれも県の看板です。
 親の不名誉と此方の復権のために暴走を正当化する扱いはもう辞めていただきたい。
 自立支援法が廃止になった後で友の会を辞めた為知事の暴走をとがめないのはばれなければいいことにして障害者の一人りくらいと容認されていた。2年も前から法務局と関わっているのに解決する気も無く見解も来ない。擁護係りから諦めて別団体へ行けと言うだけしか来ない。知事が偉いから正しく障害者個人はどうでも良いとされている。ばれてしまえば知事だけかばう訳に行かない。既に全国に知らせてあります。
 

関生型労働運動, 反弾圧 労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 のお 知らせ

 投稿者:杉本  投稿日:2018年 9月21日(金)19時20分7秒
返信・引用
  http://com21.jp/archives/28989
■ 日時:2018年9月22日(土)18時~
■ 場所:エル大阪5F南館ホール
 大阪市中央区北浜東3-14(地図)

■ 内 容:
 現状報告―空前の組合つぶし、いま何がおこっているのか
 実行委員会参加組合・団体からの発言、訴え!

■ 主 催:9・22集会実行委員会
 連絡先:全港湾関西地本大阪支部
 電話 06-6575-3131 FAX06-6575-3134

連帯ユニオン関生支部への大弾圧9・22抗議緊急集会への訴え

労働組合つぶしの大弾圧抗議 9・22緊急集会 すでにご存知のように滋賀県警組織犯罪対策課による8月9日、8月28日に連帯ユニオン関生支部への連続的弾圧が開始されている。28日には武建一執行委員長のほか支部役員2人が逮捕され、8月9日の1名の役員を含め計4人を不当逮捕したうえ、大阪市内の関西地区生コン支部事務所など多数ヶ所を家宅捜索した。その中には無関係箇所も含まれ、家宅捜索は違法で暴力的なのものであった。さらに大阪府警などの関西の各県警も弾圧拡大に動いている。

 この弾圧は労働組合活動を恐喝未遂容疑とするものであり、さらに他の警察権力は共謀罪などの適用をほのめかしている、労働組合活動の刑事免責を除外した一昔前から比べ、法律も変わらないまま一切の組合活動を刑事罰としようとするものである。これを許すなら憲法28条も必要ないとされ、資本家に有利な社会が作られていくことは明白である。今回の特徴は組織犯罪対策課が中心となり「警察庁の指示」といっていることである。いち労働組合への弾圧としては近年ない規模であり政府主導の新たな労働組合つぶしの開始といえる。

 日本において生コン業界を切り口に本格的産業別職種別の労働運動をめざし幾多の弾圧・妨害を乗り越えてきた連帯ユニオンの関生支部の闘い。これへの全面的破壊攻撃の開始である。断じて許すことは出来ない。滋賀県警は業者に対し「関生と手を切れ」といい、組合員には「組合加入の動機はなにか」と産業別中小企業労働運動破壊を公言している

 今こそ大企業の収奪とたたかい、辺野古新基地建設を許すな、原発再稼働阻止、戦争法・共謀罪廃止、憲法改悪反対を求め、安倍政権とたたかう労働組合つぶしを許すなの声をあげよう。
 そこで、こころある人々の9・22集会への賛同(無料)・参加を強く訴えます。滋賀県警への抗議を訴えます。
 

 法務省容認暴走独裁権

 投稿者:岩手県元盲ろう者  投稿日:2018年 9月21日(金)19時18分52秒
返信・引用
  法務省容認暴走独裁権
 今年で12年目になりいい加減にしてほしいと全国にばら撒いた。
 親を馬鹿と言うのが始まりだから馬鹿かどうか親父の記録を全国にばら撒きました。現代の名工として知事表彰も受けていてます。 機械を頼らぬ民芸品です。馬鹿でも出来るのですか。全国から岩手に対して批判、失笑、後ろ指が飛んだことでしょう。
 知事の暴走はばれなければとされたと判る。直接親を馬鹿と言いけしかけ通訳の居る北上の社協にも届けました。県内は何処もかん口令が入っていても外部への完全沈黙の囲みは破れています。
 北上の社協から場所を借りてサークルを開き名誉市民の扱いでしょう。最初に親を馬鹿と認めろと言い出したのは岩手県盲ろう者友の会事務局長小笠原利行さんです。そしてその奥さんは最初の別団体行きを密告から悪口妨害したひとみさんです。しかも抗議したら大本家に脅迫電話した。大本家は歳で法廷には立てなく姉が呼ばれ姉は親父の墓の前であんな社会と関わるなと言いました。更に県庁に抗議すると当時の朽木課長は親を馬鹿と認めたらと言い出した。
 もう一人は地元で大本家に向かって親を馬鹿にする話をしていた奥州市社協で手話サークルの会長をしている小野寺良子さんです。
 1年後輩で地元の松岡の親類の妹。そして松岡の大本家であり恩師に向かい此方の親の悪口を笑い話しにした。その話を何処から聞いたのかと言うと実家は口封じしてかん口令の後ろに隠れた。
 自分が友の会を辞めたのは利行さんから親を馬鹿と認めろと言われて馬鹿らしいとして辞めたのです。そのまま言えないでしょう。 相当な悪口のデマを聞いた事にります。
 小笠原夫妻は通訳資格剥奪追放を。聾唖者は聞こえないことで友達は作りにくいもの。それが12年も孤立に耐えて来ました。
 小野寺良子さんは大本家に謝罪することを望みます。
 辞めた後はかん口令を広げ関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせず、社会参加は12年で12回も妨害した。 昨年の全国大会は参加したが知っている人は誰も逢わせない。調べたら全国協会も全国の友の会も全部知事があいつに関わるなと口説き伏せていた。全国協会賛助会員も辞めて完全孤立です。
 障害者の自立支援法が廃止になった次の年に辞めたため暴走隠しに悪用された。法律の無かった頃で法務省もばれなければいいと容認している。法務局での話は掲示板に実名使うなと言うだけ。
 掲示板はかん口令を逆手に取ると実名でも批判も反論も12年も一つも来ない。来るのは妨害だけ。法務局での話は記録しないのか。 口約束になって揉み潰しやすくなる。緊急時でもないのに知事に独裁権があるとは。法務局は見解も言えず擁護係りから諦めろと言われた。
 

 法務省容認暴走独裁権

 投稿者: 岩手県元盲ろう者会員松岡幹夫  投稿日:2018年 9月21日(金)18時18分7秒
返信・引用
   法務省容認暴走独裁権
 今年で12年目になりいい加減にしてほしいと全国にばら撒いた。
 親を馬鹿と言うのが始まりだから馬鹿かどうか親父の記録を全国にばら撒きました。現代の名工として知事表彰も受けていてます。 機械を頼らぬ民芸品です。馬鹿でも出来るのですか。全国から岩手に対して批判、失笑、後ろ指が飛んだことでしょう。
 知事の暴走はばれなければとされたと判る。直接親を馬鹿と言いけしかけ通訳の居る北上の社協にも届けました。県内は何処もかん口令が入っていても外部への完全沈黙の囲みは破れています。
 北上の社協から場所を借りてサークルを開き名誉市民の扱いでしょう。最初に親を馬鹿と認めろと言い出したのは岩手県盲ろう者友の会事務局長小笠原利行さんです。そしてその奥さんは最初の別団体行きを密告から悪口妨害したひとみさんです。しかも抗議したら大本家に脅迫電話した。大本家は歳で法廷には立てなく姉が呼ばれ姉は親父の墓の前であんな社会と関わるなと言いました。更に県庁に抗議すると当時の朽木課長は親を馬鹿と認めたらと言い出した。
 もう一人は地元で大本家に向かって親を馬鹿にする話をしていた奥州市社協で手話サークルの会長をしている小野寺良子さんです。
 1年後輩で地元の松岡の親類の妹。そして松岡の大本家であり恩師に向かい此方の親の悪口を笑い話しにした。その話を何処から聞いたのかと言うと実家は口封じしてかん口令の後ろに隠れた。
 自分が友の会を辞めたのは利行さんから親を馬鹿と認めろと言われて馬鹿らしいとして辞めたのです。そのまま言えないでしょう。 相当な悪口のデマを聞いた事にります。
 小笠原夫妻は通訳資格剥奪追放を。聾唖者は聞こえないことで友達は作りにくいもの。それが12年も孤立に耐えて来ました。
 小野寺良子さんは大本家に謝罪することを望みます。
 辞めた後はかん口令を広げ関わった人も団体も友達も全部取り上げた。どこの団体も行かせず、社会参加は12年で12回も妨害した。 昨年の全国大会は参加したが知っている人は誰も逢わせない。調べたら全国協会も全国の友の会も全部知事があいつに関わるなと口説き伏せていた。全国協会賛助会員も辞めて完全孤立です。
 障害者の自立支援法が廃止になった次の年に辞めたため暴走隠しに悪用された。法律の無かった頃で法務省もばれなければいいと容認している。法務局での話は掲示板に実名使うなと言うだけ。
 掲示板はかん口令を逆手に取ると実名でも批判も反論も12年も一つも来ない。来るのは妨害だけ。法務局での話は記録しないのか。 口約束になって揉み潰しやすくなる。緊急時でもないのに知事に独裁権があるとは。法務局は見解も言えず擁護係りから諦めろと言われた。
 

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