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(無題)

 投稿者:レプトン・今崎メール  投稿日:2022年 3月 3日(木)20時22分36秒
  修復されたケンゴシ塚古墳(斉明天皇の真陵か)と越御前古墳(太田皇女の真墓か)の公開が3月6日からスタート

テレビ番組
なら古墳探訪 天理市(後半) 西殿塚古墳(手白香皇女陵) KCNカルチャー

天理市前半は景行陵・崇神陵でした。もう終わりました。
 
 

ありがとうございました。

 投稿者:レプトン・今崎メール  投稿日:2022年 2月26日(土)10時01分24秒
  レプトンです。

管理人様、本当にありがとうございました。
20年間のご苦労に甘えっぱなしでした。
本当に感謝いたしております。

また、当掲示板でご教示いただいた皆様方、ありがとうございます。
交流、あえて交友と書かせていただきます。
同じことに興味を持ち、ともに研究する仲間がいることはうれしいでした。
ありがとうございました。


管理人様、このような素晴らしいコミュニティを作り維持して下さり本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

管理人様、そして皆様の今後のご活躍とご多幸を心よりお祈りいたしております。

管理人様がおっしゃるように、いつか、どこかでまたお会いいたしましょう。
ありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:煌子  投稿日:2022年 1月23日(日)17時37分29秒
  fukuyama様
いつもお世話になっております。

途中参加ではありましたが、皆様方の検証結果や実地調査のご報告などで多くの事を学ばせていただきました。
ここ数年滞っていた拙サイトの完成を目指そうと奮起したところ、「陵墓 陵印 掲示板」の閉鎖の報に接し大変寂しく思っております。
fukuyama様、長い間掲示板の運営、お疲れ様でございました。
このような素晴らしい掲示板が長期にわたり続いてこれたのはひとえにfukuyama様のお人柄に他なりません。
本当にありがとうございました。

そして、拙サイトを立ち上げてからこちらの掲示板の情報を使わせていただいた事、誠にありがとうございました。
お一人お一人に使用のご許可などのお礼を申し上げられなくすみません。
また、「掲示板」の枠を超えてお話が出来た方々にもお礼申し上げます。


いつ終息ともわからない現状ですが、fukuyama様はじめ皆々様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
 

(無題)

 投稿者:fukuyama  投稿日:2022年 1月 9日(日)20時40分34秒
編集済
  陵墓要覧のサイトについては、表紙を残してdataは削除いたしました。

Q 無料のホームページサービスを利用される事を考えられていないのですか?
A サイトのdataを保管していたPCの(サイト開設当初から使い続けた)HDDも死んでしまい
 もう復旧できない状態でもあり、プロバイダーにお願いし data削除してもらいました。
 今通信に使用しているPCに一からソフト入れサイトを再構築する気力は今はないです。

Q この掲示板はいつまで使用できますか??
A 2月中ぐらいには閉じたいと思っております。


ログ発言の保存については各人でお願いします。
参考になるURLを記載しておきます


https://www.businessinsider.jp/post-238331
https://www.howtonote.jp/google-chrome/setting/index4.html


↓元明天皇1300年式年祭
 

(無題)

 投稿者:大垂水酔鳥  投稿日:2021年12月21日(火)00時49分16秒
  長きにわたり発表の場を与えて下さりありがとうございました。このような時に力になれないわが身を不甲斐なく思う次第です。陵墓に関してこのような素晴らしい交流の場は恐らく二度と作られないと思いますのでとても寂しく思います。感謝感謝です。
 

橿原神宮前

 投稿者:高遠さくら  投稿日:2021年12月20日(月)02時27分17秒
  コロナ2年目の令和3年も残すところ僅かとなる中、福山さまの書き込みに正直、驚かされました。

確かに福山さまの言われます通り、陵墓の正確な情報は他のサイトなどで知ることができるので、役目を終えたと言えるのかもしれません。
ただ、当サイトにおいて、何と言っても「陵墓・陵印掲示板」の存在価値は大きく、正直なところ掲示板が無ければ、すでに閉鎖されていたのではないかと思います。
また、当方にとりましては、音信不通であった大垂水酔鳥さんと約40年ぶりに再会できたのも、この掲示板の賜物です。

実際、過去ログを覗くと、よくも、まあ~、こんなに書き込みしたもんだなあ~と、自分自身に感心してしまいます。
ここ2年、コロナの影響があったとはいえ、ここ数年、当方の書き込みも激減してしまい申し訳なく思っております。

「みささぎ掲示板」から通算すると、ほぼ20年の年月が経過していたことに、改めて驚かされました。
とりわけ福山さま、レプトンさま、ポンさまとは、長く親しくしていただいたことに改めて感謝いたします。
自分自身、興味があることしか関心がないので、正直なところ掲示板がなければ、レプトンさんに陵印の奥深さ、福山さまに正辰祭の詳細、ポンさんに全国の治定外墓、伝承墓の詳細など、多分、知ることもなかったと思います。
「みささぎ掲示板」では、皆さん3人とも、現在とはハンドルネームや表記が変わっており、20年の歴史を感じてしまいます。


昨年は、残念ながら地方調査無しの1年でしたが、今年こそはと思っていた4月の調査は、航空券を購入しホテルも予約していましたが、コロナが再拡大したため直前に中止せざるえませんでした。
しかし、これ以上の調査の遅延はできないので、5月の五島・佐賀調査、9月の対馬・山口調査、10月の鳥取調査を強行いたしました。
本来であれば、今年は後鳥羽上皇の遷宮800年にあたり、久々の隠岐行きも考えてはいたのですが、昨年の予定を繰り越したため断念いたしました。
当初、今年度に調査した伝承墓の報告を、大晦日に書き込みする予定でおりましたが、残念ではありますが、大幅に簡略化して最後の報告とさせていただきます。

ほぼ20年前の「みささぎ掲示板」において、ポンさまより豆酘内院の安徳天皇伝承地の存在をご教示いただきました。
もっと早く対馬に行きたかったのですが、気が付けば20年が経過してしまいました。
相変わらず厳原から久根田舎へ行く午前便のバスが無いため、タクシーで豆酘瀬まで(4200円)、瀬からは自転車を組み、まずは2山越えて佐須陵参地へ行きました。
参拝後、内院へ向うものの、とにかく島全体の平地が少なすぎで山越えの連続、半分は上り坂で自転車を押していた感じです。

安徳天皇豆酘内院伝承地・長崎県対馬市厳原町豆酘内院
伝承墓は、内院分校跡の最奥に位置し、墓形は宝篋印塔墓ですが、手前の案内板には安徳天皇の記載はみられませんでした。
その後、バスで厳原に戻りましたが、バスの運転手さんに、何故、午前便が無いのかと聞くと、午前に厳原から田舎や瀬に行く人が全然いないためなんです、とのことでした。
その後、根緒の陸良親王墓を再訪しました。

対馬には、実質6日間滞在しましたが、萬松院に4日通い、佐須、内院、根緒で1日、唯一、雨(午前)の日に観光案内所でパンフを見ていると、何と、和多都美神社に豊玉姫の御墓があると記載されていたので、行くことにしました。
行程は、厳原から比田勝行きのバスで仁位で下車、ここから2kほどで神社に着きます。
再度、厳原に戻るのであれば、1日バス券がお得です。

和多都美神社・長崎県対馬市豊玉町仁位和宮55
ここは、海に浮かぶ3本の鳥居が有名ですが、本殿から50mほど奥に豊玉姫の御墓があり、墓前に自然石の墓標が置かれています。

7日目に調査が終了していなければ、午後のジェットホイールでしたが、予定とおりでしたので朝のフェリーでのんびり博多へと、直方の雲心寺に寄り下関のホテルへ。

対馬は、国境の島ですが、交通地図上では、中途半端な田舎よりも全然近いんですね。
早朝の飛行機で羽田空港から福岡空港へ、2時間ほど待ち対馬空港行の飛行機に乗れば、お昼前には厳原に着いてしまいます。

下関では、周防大島、山口、佐賀、小倉、英彦山、日田などに日帰り調査に行き、最終日、久々に耶馬渓へ行き北九州空港から帰宅しました。
1ヶ所だけですが、伝承地にも行ってきました。

安徳天皇隠蓑伝承地・福岡県北九州市小倉南区隠蓑・隠徳庵
最寄り駅は、日田彦山線の志井公園駅で、1キロほどです。
墓碑は、自然石です。


鳥取には、2週間滞在しましたが、半分の7日間が奥谷の池田家墓所通いでした。
そのほか中国勝山、津山(2日)、村岡、若桜、出石、豊岡(雅成親王)、最終日に鹿野、倉吉(林の方)に寄り、久々にスーパーはくとに乗り倉吉~新大阪から新幹線に乗り換え帰宅しました。
それにしても、相変わらず「スーパーはくと」は、気動車とは思えない爆発的な加速力は、すごすぎます。


ここでも1ヶ所だけですが、伝承地へ行ってきました。
安徳天皇姫路伝承地・鳥取県八頭郡八頭町姫路

行程は、因美線の郡家駅前から「落石」行きのバスで、終点の落石で下車後、5k先です。
バスは、2時間毎ほどですが、町営なので200円と安価です。
ただ、落石からは、舗装されているとはいえ延々と登坂が続き、最初の2kほどは自力でこいでいましたが、疲れたので残りの3kは押して行くことになり、豆酘の悪夢の再来でした。
しかし、帰路は早く、僅か12分でバス停まで戻ってきました。

伝承地は、姫路公園を過ぎ100mほど進み、左折し50mほどで上岡田神社が建立されています。
神社の前を通り後方の山を50mほど登ると、上岡田五輪塔群があります。
安徳天皇の墓碑は、この200基ほどの五輪塔墓の中のどれかのようですが、断定不能です。

10年前に三朝温泉の奥にある中津の安徳天皇伝承地へも行ったのですが、結局、未報告のままになってしまいました。


さて、大変に名残り惜しいですが、当方の書き込みも、これが最後になります。

タイトルでも、盲腸線である指宿枕崎線を進んでおりましたので、その後、枕崎駅以降はどうしようかと考えていましたが、それも徒労に終わってしまいました。
最後は、近鉄線の「飛鳥」、または高校時代によく利用したユースホステルのある「当麻寺」にしようか迷いましたが、結局、橿原神宮前駅に落ち着きました次第です。

では、この掲示板でお会いした数多くの皆さま、お元気でお過ごしください。
そして、よい新年をお迎えください。
 

お知らせ

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年12月11日(土)14時24分46秒
  いつも御世話になっております。
突然ですが サイト「陵墓要覧」とこの「陵墓 陵印 掲示板」近々閉じることにしました。

約20年近く皆様にはいろいろとお世話になりました。

サイト開設当初は天皇陵以外の陵墓を扱うサイトもあまりなかったのですが、今ではグーグルマップを使えば陵墓の場所も経路も簡単に調べることができますし、多くの方がブログやインスタなどで情報を発信されている時代となりました。

コロナ禍の中、皆様も陵墓参拝ができなくなり、その代わりと言っては何なのですが「正辰祭」などの動画を紹介していたのですが天皇家の私的祭祀の様子を公開するのはどんなものかとの指摘もありました


当初に比べサイトの更新も滞ってますし、アクセス数の減少、またサイトの維持費や掲示板への荒しの発言削除の負担など総合的に考え出した結果です。

また どこかでお会いいたしましょう。
 

光厳天皇分骨所の印

 投稿者:レプトン  投稿日:2021年10月29日(金)02時24分22秒
編集済
  こんばんは。ご無沙汰しておりました。

光厳天皇分骨所の印がありました。
印のあった集印帳は、天皇陵・皇后陵・皇族墓の印が歴代順に集められているもので、殆どの印は、別に捺されたものを切り取って糊で貼ってあります。そのため捺された時期を、集印帳の捺印の流れから推定することはできません。早い時期(昭和初期)の印もあれば、それ以降の印もあります。例を挙げると武烈陵は前方後円形と四角形の両方があります。吾平山上陵も新旧2つ、仁徳陵は古い印はなく履中陵は参拝記念のある古い方のみ、舒明陵は8文字の古い印のみ、用明推古允恭円融三帝陵は一般的な印のみ、宇智陵は2種類、三条陵は<三条>と<三条院>の両方、二条陵は<二条>と<二条院>の両方、明治陵は円形の大小2種類と、集印帳に直接捺印された四角形の印、応神陵は昭和15年頃作り変えられる前の印だけ・・・などです。

分骨所の印は初めて確認しました。ただこの印が、陵印と同じように扱われていたかどうかはわかりません。初期の陵印のように現地勤務の宮内省職員が作り、宮内省見張り所で保管され、参拝者に捺印の便を図っていたものなのか、宮内省とは関係なく、一般の参拝者用に寺院などで用意していたものなのか判断できる材料がありません。この集印帳には後醍醐天皇のページに<吉野朝皇居吉水神社>の印や後村上天皇のページに<後村上天皇御在所印>の印があり、陵印以外でも縁の地の印が捺され貼られていることがあるからです。
 しかし、初期の印には後宇多天皇御髪塔の印や陵墓参考地の印があったりするので、分骨所の印もあった可能性もあります。今後の新資料の発見まで結論は出ないと思いますが、嬉しい発見ではありました。


テレビ番組(KCN)
奈良古墳探訪 桜井市(前編)
 巻向石塚古墳・ホケノ・箸墓古墳・桜井茶臼山古墳他がドローンで撮影された上空からの映像中心に紹介されています。ホケノ山古墳が「地元のの伝承では崇神天皇の皇女、トヨスキイリ姫命の墓と伝えられている。」というコメントがあり、地元=三輪神社の言い伝えが紹介されていました。また箸墓古墳の後円部の南側から東側にかけて、樹木がなく奇麗に刈られた草地が見られました。確かに現地でも確認できますが、こんなに広く刈り上げられていたっけ・・・と感じました。箸墓といえばそろそろミューオン調査の結果が公表される頃でしょうか。

奈良古墳探訪 桜井市(後編)
 崇峻陵・舒明陵・赤坂天王山古墳 他

仁徳陵の周堤の発掘調査で埴輪が巡っていることが明らかになったとの報道がありましたね。


管理人様
正辰祭の様子興味深いです。また陵墓の写真だけでなく、周囲を回る動画も面白いです。新しいジャンルですね。楽しみにしております。
 

正辰祭 【11/14追記】

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年10月15日(金)19時53分38秒
編集済
  コロナ禍から徐々に普段通りに戻れるような、以前と同じは無理なような
土日に出かけるのは今もまだ躊躇しています。

勤務も密にならないようにと、平日に休み、代わりに土日に出勤
もあり 逆にそれを利用し 平日に 陵墓参拝ができた利点もありました。


・光孝天皇 正辰祭    2021年9月21日
 9時過ぎに御陵に、祭典までの時間周りを廻っていると予定より
 早く祭典が始まりあわてて 戻る。
 祭祀には仁和寺の関係者の参列はなく、職員だけで実施。
 祭祀終了後は、御室陵墓参考地→大内山陵→花園東陵→花園西陵 を参拝。


・後醍醐天皇 正辰祭  2021年9月27日
 8時40分近鉄吉野駅着 それから徒歩で約40分かけ如意輪寺へ
 祭祀は如意輪寺住職とごく少数の関係者の参列で

・崇道天皇 正辰祭    2021年10月1日
 崇道天皇(早良親王) 薨去日については、明確ではないが10月1日に祭祀が行われている
 台風通過後の吹き返しの風が強くなっていく前に祭典は実施。
 祭祀には崇道天皇社関係者の参列はなく、職員だけで実施。
 終了後は、円照寺宮墓地→黄金塚陵墓参考地 参拝

・天武天皇 正辰祭    2021年10月4日
 9時30分 御陵到着 先週も来られてましたよねと 職員の方から声をかけられる。
 祭祀終了後は、畝傍陵墓参考地へ しかし残暑厳しく 帰宅

・後崇光天皇伏見松林院陵 正辰祭 2021年10月7日
 9時45分 御陵に到着 しかし祭祀は終了しており職員の方々が戻られる少し前であった
 午後からは勤務の為 そのまま御陵から会社へと

・亀山天皇 正辰祭    2021年10月12日
 9時10分 御陵に到着、祭祀の準備を見学、途中 法華堂の扉が開くのを見るも、中は暗く
 何も見えなかったのだが、おそれおおいことと感じた。
 祭祀には大覚寺・天龍寺関係者の参列があり
 祭祀終了後は午後からは勤務の為 そのまま御陵から会社へと


・後嵯峨天皇皇后姞子 粟田山陵正辰祭  2021年10月27日
 この御陵は一般拝所から特別拝所までの距離が長いのですが、南禅寺鐘楼の
 所から続く山道をたどれば俯瞰から特別拝所近くまで見ることが可能。
 木々の合間から祭典を見学。
 南禅院 亀山天皇分骨所→尊良親王墓を参拝。
 平安神宮内、天王塚陵墓参考地は見学を断られる。

・醍醐天皇 正辰祭     2021年10月28日
 8時45分に到着、祭典までまだ時間があるので、朱雀天皇醍醐陵を参拝する。
 祭典は醍醐寺寺関係者の参列がある、近くの幼稚園、住宅街の公園からは
 ゲートボールの球を打つ音などが聞こえてくる。
 醍醐寺は平安時代から江戸時代まで毎年陵前で法会を行い陵を守ってきた
 祭祀の形式は変われど千年以上祭祀が続く歴史のあるその祭祀を見れたのは
 感慨深いものがあります。

 雅慶王墓、伊予親王巨幡墓を参拝する

・土御門天皇  正辰祭 2021年11月12日

  土御門天皇 御祭日は11月13日であるが今年は土曜日の為、前日に行われた。
  前日までの雨もやみ、紅葉も色づき始めている。









 

お茶と宇治のまち歴史公園

 投稿者:大垂水酔鳥メール  投稿日:2021年 9月13日(月)13時19分11秒
  莵道稚郎子皇子宇治墓と京阪宇治駅の間の茶畑が「お茶と宇治のまち歴史公園」なる
ものに変貌しました。
公園内の散策はできるようですが、駐車場と文化施設などはコロナのため開業が延期
されているとのこと。
ミュージアム?施設もあるらしく、宇治墓に関する展示が多少なりともあるのか気に
なるところです。
写真は宇治川の橋を走行中のJR車内から撮影したもので、こんもりが宇治墓、
右端が京阪宇治駅です。

お茶と宇治のまち歴史公園について
https://www.city.uji.kyoto.jp/soshiki/88/7333.html

歴史公園の整備概要
https://www.city.uji.kyoto.jp/uploaded/attachment/4453.pdf
 

明治天皇例祭

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 7月30日(金)12時39分6秒
編集済
  三笠宮彬子女王殿下 ご参列されていました

皇族の方が山陵の儀に参列される祭典に出会えるのは
私も久しぶりな事でした。

動画では蝉の鳴き声が響きますが

0:22 掌典職 参進
1:55 公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職 参進
4:41 三笠宮彬子女王殿下 ご参進
7:10 掌典職が楽を奏する
8:30 神饌を供する
13:30 祝詞を奏する
16:45 三笠宮彬子女王殿下 ご拝礼
18:30 公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職が拝礼
30:30 掌典職が楽を奏する
31:10 神饌を撤する
35:10 三笠宮彬子女王殿下 ご退下
37:55 公務員、有位者及び有勲者並びに縁故者、門跡寺院の住職及び尼門跡寺院の住職が退下
41:40 掌典職 退下




 

六条有藤

 投稿者:いのうえとろろ  投稿日:2021年 7月 7日(水)10時14分17秒
  おひさしぶりです。いのうえとろろでございます。

なかなかコロナ禍から抜け出せない今日この頃ですが皆さまお元気でいらっしゃいますか?

このご時世なかなか遠出もできず、机上ばかりの探索でもやもやストレスが溜まっています。
はやく平穏な日常を取り戻して京都や奈良へ大手を振って出かけたいものです。


ところで某所で「六条有藤」の墓の写真を見つけました。石欄もあり立派なものです。
知恩寺あった六条家の墓の一つかと思いましたが、手元の写真をみると有藤のものは見当たりません。場所は「下京区」とあるだけなので場所はわからないのですが、ご存知の方はいらっしゃるでしょうか?
知恩寺から撤去された六条家の墓石もそこにあるのでしょうか?

よろしくお願いします
 

玉津陵墓参考地飛地ろ号

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 6月25日(金)20時14分39秒
編集済
  玉津陵墓参考地飛地ろ号の経路変更について昨年9月に話題が出ていましたが、私も老人ホーム経由の方から行ってたのですが

昨日 日岡陵からの帰りに玉津陵墓参考地飛地ろ号にいこうとしたら老人ホームの建物が無くなっておりました。
その広い土地で、発掘調査が行われており、立ち入りが制限されていました。
発掘調査が終わっても、しばらくはこちらの経路からは行くことが無理かもしれません。

ひょうご障碍者総合トレーニングセンター整備事業に伴って

発掘調査 工事
調査内容 弥生時代~中世の集落遺跡の発掘調査
調査面積 約 909m2
調査個所 神戸市西区曙町
期間令和3年4月5日 ~ 令和3年7月8日

発注者名 (公財)兵庫県まちづくり技術センター



 

テレビ番組

 投稿者:レプトン  投稿日:2021年 6月 4日(金)17時59分2秒
  KCN(近鉄ケーブルネットテレビ) スポーツ&カルチャー
「なら古墳探訪」橿原市(前編)  神武陵・綏靖陵・安寧陵・懿徳陵・孝元陵・倭彦命墓・宣化陵・丸山古墳(畝傍陵墓参考地)・植山古墳・岩船
 

奥の院

 投稿者:DADA  投稿日:2021年 5月 5日(水)11時27分19秒
  こんにちは。
GWのためか、掲示板も賑わっている様子ですね。

こちらでもご紹介のあった『歴史探偵』を拝見しました。
思ったよりもしっかりした番組になっていましたね。

さて、いろいろ過去のものを整理しつつ、当時わからなかったものがでてきました。
以前、高野山の陵墓を参拝してきたのですが、見つけられなかったものがありました。
[有栖川宮家墓所]のうち、[後陽成天皇皇子好仁親王妃寧子](宝珠院殿光譽蓼廓沖意大禅定尼)墓です。
過去の掲示板から、[有栖川家御宝塔]とは別域にある、ということだったのですが、当てもなく探し回った挙句、発見できませんでした。
すでに参拝されている方で、詳しい位置をご存じでしたら、ご教示いただけますでしょうか。機会ができれば、再訪したいと思っています。
ちなみに、これも過去の掲示板にありましたが、道助親王墓も、拝観そのものが謝絶されており、訪問を断念しました。
 

東大寺聖武天皇山陵祭

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 5月 4日(火)10時18分37秒
編集済
  このような時期なのですが

5/3 東大寺聖武天皇山陵祭
仏式の法要です、佐保山御陵に響く読経、散華が舞う様子を拝見できたのはとてもよかったです
新型コロナウイルスの第四波の終息や世界平和についてもお言葉がありました

1時間近い行事であった為 撮影機材が音を上げてしまい、動画は残っていませんが


佐保山南陵での行事を終え、佐保山東陵での般若心経読経 ↓





4/30 履中天皇正辰祭




 

中尾山古墳

 投稿者:陵墓マニア  投稿日:2021年 5月 3日(月)02時10分23秒
  4/28(水)に放送されたNHKの『歴史探偵』は、中尾山古墳を取り上げたものでした。
残念ながら再放送も終わってしまっていますが、5日夜までなら見逃し配信サービスの「NHKプラス」で視聴可能です。
※無料ですが「NHKプラス」への会員登録が必要です。

https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2021042816580?cid=jp-VR22V15XWL
 

(無題)

 投稿者:DADA  投稿日:2021年 5月 2日(日)09時51分49秒
  こんにちは。
いつも興味深く拝見しております。

レプトンさま
摩湯山古墳には、私も数年前に訪問したことがありますが、
伝承に関する案内はなかったと記憶しています。

黄金塚参考地周辺の伝承墓は、2016年3月31日にレプトンさまからご教示いただいた情報を手掛かりに再訪しました。
結局、地図に該当する場所には、古墳らしきものは現存しないものがほとんどでしたが、それが実際確認できただけでも良かったです。もちろん黄金塚参考地はとてもきれいな古墳でした。

最近は過去の写真等を整理したり、本を読んだりの日々ですが、河野宮墓の石塔群や、尹良親王伝承とか、南朝、後南朝関連をいろいろ調べています。
 

(無題)

 投稿者:大垂水酔鳥メール  投稿日:2021年 5月 1日(土)22時15分52秒
  レプトンさま

14年前ですが、久米田寺の伝承地めぐりのついでに摩湯山古墳にも行きました。
古墳の北側にある「摩湯」バス停に石の説明板があったのですが、伝承等は
記されていませんでした。
 

黄金塚参考地 等

 投稿者:レプトン  投稿日:2021年 5月 1日(土)04時25分53秒
編集済
  こんにちは。お久しぶりです。
〇黄金塚参考地
3月、4月と続けて黄金塚参考地に行きました。周囲の竹藪はタケノコが生え、大きくなる前に切ってありました。方墳であることがよくわかる古墳です。参考地の前面、拝所にあたる場所は嘗ては木の柵でしたが、今はセメントの柱と鎖に変わっています。いつの時期に変わったのか、長らく来ていなかったので知らないのですが、もう何年も前から今の様になっているようです。ネットでの写真でも木の柵のものと、今の鎖の物が載っており、鎖の物の写真も数年前から撮影されています。かつて周囲の発掘調査が行われた時と同じころでしょうか?(紀要などに載っているでしょうか?)
 黄金塚参考地の拝所(?)正面は鎖が掛けられています。天皇陵等の一般拝所の鎖を連想します。天皇陵等の一般拝所の鎖については、見張り所に宮内庁の方がおられない時に鎖が掛けられますが、この鎖は越えて一般拝所内に入ることは許されています。・・・・・と昭和時代に宮内庁の方から教えていただきました。では、黄金塚参考地の鎖は一般拝所の鎖と同じ意味を持つのか?即ち越えて入ってもいいのか?という疑問が浮かびます。しかしこの鎖は立ち入り禁止を示しているのでしょうね。参考地なので拝所という概念がなく、鎖の向こうは直接石室の羨門になっているのと、墳丘の立入禁止を示すコンクリート柱の等と続いている一連の境界の一部の様に感じます。まあ宮内庁の方に聞けばよいのですが、答えは100%「不可です!」だと思います。鎖で連想したことを書きました。

〇庶人塚
庶人塚の名称ですが、皇太子を廃された他戸親王は母で皇后を廃された井上内親王と共に、難波内親王を呪詛した嫌疑をかけられ、共に庶人に落とされたことと関係するようですね。庶人塚は庶人に落とされた他戸親王の塚という事で、地元で言い伝えられてきたのでしょう。

〇不破内親王の伝承墓
 大阪岸和田市  摩湯山古墳 前方後円墳
 千葉県印西市  松虫寺境内 松虫姫御廟  (かつて分骨塚が築かれたと伝承)
   詳細や現状をご存知の方、ご教示ください。

〇テレビ番組 KCNテレビ (近鉄ケーブルネットワーク)
帝塚山大学考古学研究所 オンライン市民大学講座
 「中尾山古墳を語る」
  今尾 文昭 氏(関西大学 非常勤講師)
 再放送日時   4月30日(金) 13:00~/25:00~
           5月 1日(土) 9:00~/13:00~
           5月 2日(日) 9:00~
 

磯長墓 結界石

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 4月10日(土)11時23分35秒
編集済
  叡福寺にある「聖徳太子磯長墓」は墳丘の周りは二重の結界石で囲われているのが特徴ですが
御霊屋傍の内側の結界石「中段結界石」にシートが掛けられています。

他の人が撮影したyoutubeなどで(年初に撮影され時に)は無かったものですが。
破損か崩落が有ったのでしょうか。

一旦は叡福寺の聖徳太子1400年御遠忌大法会にあわせて、シートは外されていますが
結界石ではなく、目立たない色の土嚢が積まれていました。

https://youtu.be/9rxCeilESk4

 

大吉備津彦命墓

 投稿者:陵墓マニア  投稿日:2021年 4月 5日(月)23時58分6秒
編集済
  レプトン様

大吉備津彦命墓は備前一宮の吉備津彦神社からではなく
備中一宮の吉備津神社(吉備津駅が最寄り駅)から登る方が近くて道もいいです

追伸

便数が少ないですが、岡山駅から御墓近くの神道山(黒住教本部)まで行くバスがあります
これが最も近くまで行ける公共交通機関です
 

吉備津彦神社

 投稿者:レプトン  投稿日:2021年 4月 4日(日)20時22分22秒
編集済
   こんにちは。今崎です。暖かい春の陽気で奈良盆地の桜はほぼ散ってしまっています。
私の家の山の方は満開から散り始めというところです。

 DADA様
 庶人塚の現状の報告ありがとうございます。私も気になっていました。どちらも良い状態で残されているのですね。嬉しい報告です。ありがとうございました。
POM様の情報は、この掲示板の前の<みささぎ掲示板>に投稿されたものだったかもしれません。(みささぎ掲示板の閉鎖に伴い、管理人様がこの陵墓陵印掲示板を開いてくださいました。)私も五条に行く時はぜひ足を運び、見学してみたいと思います。

 管理人様
 例祭の様子を教えて下さりありがとうございます。興味深いです。盛大に行われた2600年式年祭とは違いますね。
前言撤回・・・多くの方が参加され、雅楽も奉納されるのですね。すごいなあ。

 陵墓マニア様
 いつもありがとうございます。吉備津駅からの方が近いのは、一宮駅で降りて現地の地図でみて感じました。道もそちらの方が登りやすいのですね。これまた完全にリサーチ不足でした。岡山でその日の早朝に、「岡山と言えば、吉備津彦命墓・・・」という感じでいきなり行こうとしたのがそもそも準備不足の始まりでした。お恥ずかしい・・・。御教示ありがとうございます。
追伸の情報ありがとうございます。地図では黒住教本部が乗っていて道も広そうだと感じました。時間がなので駅前にタクシーがあれば乗れたのに・・・と歩きながら考えていました。全て思い付きで無計画な行動での失敗でした。

 3月下旬に仕事で岡山に行きました。早朝始発に乗り岡山駅から、備前一宮駅へ。そうお目当ては吉備津彦命墓への参拝です。まずは備前一宮である吉備津彦神社に参拝しました。早朝にもかかわらず、近所の人らしい人が参拝し、散歩をしておられました。さあ、御陵へ。裏山の頂上にあるという吉備津彦命墓参拝や穴仏見学・・・と歩き出したのですが、スマホのナビに従って歩いたところ、山をぐるっと迂回するルートで、おかしいと思い、元の吉備津彦神社に戻り、登山道を見つけ上り始めるも、7時に岡山駅に戻らないといけないので途中で断念。完全にリサーチ不足による失敗で、吉備津彦命墓の初参拝は持ち越しとなりました。

写真は吉備津彦神社。御陵は後ろの山(吉備の中山)の頂上付近にあるようです。
 

神武天皇祭

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 4月 3日(土)09時34分2秒
編集済
  曇りですが、雨の心配はないようです、

https://youtu.be/mrCulnVg8QE

石川池の桜が舞い散る様が美しいと思いました。

http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/reisai/001.htm

 

庶人塚など

 投稿者:DADA  投稿日:2021年 3月12日(金)08時33分35秒
  こんにちは。

いつも興味深く拝見しております。
ご無沙汰しております。

1年以上前にレプトンさまよりご教示いただいた、
庶人塚を訪問する機会がありましたのでご報告します。
このご時世、なかなか外出が難しいですが、仕事の関係でちょっと寄り道できました。

丸山古墳と西山古墳、どちらも確認できました。
丸山古墳は森に囲まれていますが、周濠に囲まれ、円墳とはっきりわかりました。
西山古墳については、周囲が低湿地となっており、遠くからでもよく見えました。
記録からしても、丸山古墳のほうが有力でしょうか・・・。

なお、名古屋に出張があった際に、
「おとも塚」のある近くを通りがかったのですが、
塚のあったお宅が取り壊され、マンション?の建築工事中でした。
ですので、おそらく塚も削平されてしまっている模様です。
 

仲哀天皇正辰祭

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 3月 8日(月)18時56分24秒
編集済
  レプトン 様

本来は天皇ゆかりの神社や寺からの参列がある正辰祭の儀も
コロナ禍の状況では山陵で行われる正辰祭の儀も宮内庁の職員だけになっていると思います

 

反正天皇正辰祭

 投稿者:fukuyama  投稿日:2021年 2月12日(金)15時01分41秒
編集済
  2021年2月12日 第18代反正天皇百舌鳥耳原北陵で行われた正辰祭。

本来は反正天皇御祭日は2月13日であるが今年は土曜日の為、前日の金曜日に行われた。

私以外に3名の方が見学されていました。

 

ウワナベ古墳講演会

 投稿者:レプトン  投稿日:2021年 2月 5日(金)04時36分35秒
編集済
  ウワナベ古墳の同時調査関連講演会が1月31日にありました。(私は申し込んでいませんでしたが。)講演内容を録画したものが2月下旬にユーチューブで配信されるようです。

奈良新聞2021年2月1日の記事
https://www.nara-np.co.jp/news/20210201090211.html

ウワナベ古墳の発掘調査場所のうち3カ所はまだ土嚢が積まれた状態のままになっています。

管理人様、皆様、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。



【】内・・・2月25日投稿分
【管理人様が紹介して下さった反正天皇の正辰祭の動画、とても興味深いです。天皇ごとに僧侶が参加したり、宮内庁の方のみで行ったりという違いが、過去の管理人様の動画で違いが判りますね。宮内庁の方の所作やお供え・拝礼などが興味深いでした。
それと野鳥の声がとてもいいですね。

ウワナベ古墳同時調査関連講演会
https://www.youtube.com/watch?v=CrL1I30fsvc
   2時間15分あります。
ウワナベ古墳発掘関連の動画は、テレビニュースなどを中心に、ユーチューブにいくつかあります。

ウワナベ古墳はまだ11月以降、同じ状態のままです。濠には水が少しずつ増えてきて、奈良県の発掘調査場所跡の周濠北側も水が溜まってきました。】




管理人様へ。
2020年4月21日の投稿で、もう内容が見られなくなっているので削除しようとしたのですが、既に期間を過ぎてしまったからか削除できません。もし管理人様の方で削除が可能ならお願いできないでしょうか?

管理人様
 どうもありがとうございました。お手間を取らせました。

写真1枚目
 市庭古墳(平城天皇陵)の元の前方後円墳の前方部と前方部濠の南縁の位置を示す石列
写真2枚目
 江戸時代の景行天皇陵の御墓山古墳。大分姿を変えました。詳しくは後日報告します。写真は北西側から。前方部より後円部の方向を向いて撮影。
写真3枚目
 スーパーにたくさん並んでいる・・・。こんな商品名を見ると真っ先に小那辺陵墓参考地をを思い浮かべてしまう。我が家は今夜もコナベっち
 

伊予親王巨幡墓の旧経路<続>

 投稿者:大垂水酔鳥メール  投稿日:2021年 1月15日(金)15時44分48秒
  伊予親王巨幡墓の旧経路<続>

賞味期限切れのネタで恐縮です。
9月13日書き込みの補足と蛇足です。

紛失したと思っていた古い写真が出てきました。その中に伊予親王墓関連のものがありましたので、賑やかしに
投稿します。
2枚目の写真は2008年7月30日投稿の物と同じです。

1枚目右の写真は、先日撮影したもので、伊予親王墓の立地する尾根の先端部分、墓の東側の車道から撮影した
もので、これだけでは何の写真かわかりませんが、左の写真が同じ場所を1990年4月に撮影したものです。
1枚目右の写真には写っていませんが、立入禁止の立札もあります。
この坂道の上には寮か社宅のような建物があり、たぶん現在は廃墟となっているものと愚考します。
この建物の敷地の入口の横から畑の畦道?が北に延びており、2枚目の写真のように伊予親王墓の拝所へと続く
参拝用通路?となっていました。

この旧経路は、一部のネット地図ではそれらしき道が今でも表示されているので、今回あらためて確認しようと
出向いたのですが、写真のような荒れようで立入禁止なので断念しました。
もともと2008年3月3日投稿時点で、途中で畦道?が消滅し、その先には段差ができていて進入できません
でしたので、地図会社の更新モレなのでしょう。
この荒れようから見ると、2008年からそんなに経たないうちに、寮か社宅が使用されなくなり、通路が廃道
とされるに伴い、それに先立って参拝用通路を北側に付け替えたのかもしれませんね。
それと、一部のネット地図では寮か社宅のような建物が南側に隣接する児童養護施設の建物として表示されて
います。もしこの建物が児童養護施設に併合されたのであれば、施設側からの通路が設置されて以前の通路が廃道
とされたのかもしれません。

なお、現在の北側の住宅地から拝所にいたる参道?参拝用通路?とほぼ同じ場所には1990年4月当時にも畑の
畦道?がありましたが、その先には農家の庭先?敷地?があり、そちらの経路が当時の参拝用通路だったとは考え
難いと愚考します。

ところで、ネットで伊予親王墓関連を見ると、拝所の奥の生垣の隙間から中に入れる云々の書き込みが散見され
ます。
これらの書き込みを宮内庁が問題視したのか、あるいは侵入者によって荒らされる事案が発生したのかはわかりま
せんが、3枚目の写真のように工事用の簡易柵が設置されていました。
こんな間に合わせの対処ではなくて生垣の方を隙間なく整備して欲しいと思うのは私だけ??
 

(無題)

 投稿者:陵墓マニア  投稿日:2020年12月25日(金)00時45分11秒
  レプトンさま

↓などは参考になりませんか?
https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/gyouji/bukki
 

(無題)

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年12月20日(日)17時35分1秒
編集済
  教えて下さい。

喪中の場合、陵墓参拝は控えるべきでしょうか?
仏式の陵墓・鳥居のある陵墓(神道の陵墓)によっても変わるでしょうか?

当掲示板に適切ではない質問でしたらごめんなさい。

※陵墓マニア様
 どうもありがとうございました。参考にさせていただきます。


新聞記事(山陽新聞)
仁徳天皇陵・気球観察・来夏実施へ・議会予算可決。
https://www.sanyonews.jp/article/1082491

ウワナベ参考地
奈良市民だより(令和3年1月号)にウワナベ古墳の発掘調査の内容が紹介されています。(まだネットでは見られません。令和3年1月になってから公開かもしれません。⇒2021年1月になって公開されました。)
https://www.city.nara.lg.jp/site/shimindayori/list534.html
『特集・ウワナベ古墳の真相に迫る』と題された内容をまとめると次の通りです。
・奈良市最大の前方後円墳
墳丘長が15m以上長いことがわかり、神功皇后陵の267mを抜いて奈良市内で最大とわかった。濠の底から出てきたこぶし大の葺石の規則的な配列が確認でき、落下したものではなく、墳丘裾であることが判明。
・鰭付円筒埴輪~被葬者は保守的な人物か?
宮内庁の調査地5カ所から第1段テラスの埴輪列が確認され、鰭付円筒埴輪や鰭付朝顔形埴輪が多数出土した。鰭付円筒埴輪は以前の調査で堤部からも出土している。(11月の現地公開で展示されていた物)この鰭付きの埴輪は前期(4世紀)に多く作られ、中期(5世紀)の古墳にはほとんど作られていない。ウワナベ古墳は中期の古墳であるので、前時代的な埴輪を並べている大型の中期古墳はウワナベ古墳のみ。被葬者の保守的な一面が窺える。
・被葬者は誰か?
5世紀の大王陵は百舌鳥・古市古墳群に作られた。大王陵に次ぐ規模の古墳は佐紀古墳群に、市庭古墳→ウワナベ古墳→ヒシャゲ古墳の順に作られた。これらは、王に次ぐ地位の人物の墓である可能性がある。「宋書」に記されている、438年の宋遣使時に倭王珍と部下筆頭の倭隋ら13人が授位されている。王族出身の倭隋は佐紀古墳群に眠るのかもしれない。

【ウワナベ古墳の特別映像】(奈良市公式ユーチューブチャンネル)
https://www.youtube.com/watch?v=6k-CdSmQexY

ウワナベ古墳同時調査関連講演会(宮内庁・県・市の担当者の講演)の申し込みは1月6日締め切りです。


12月24日のウワナベ古墳発掘調査跡地の様子
前回報告と変化はないようです。
 

陵印を美しく捺す・・・

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年12月13日(日)20時33分37秒
編集済
  こんにちは。ウワナベ参考地を一昨日見に行きました。奈良市・奈良県(橿考研)のトレンチは全て埋め戻されており、堀の底に板などを置いていた跡がうつっているだけでした。墳丘の宮内庁の発掘地は2カ所、白い土嚢が発掘場所に積まれていました。このまま埋め戻すのでしょうか。また見に行きます。



今日は畝傍監区事務所に御陵印を頂きに行って来ました。最近は旧陵印より、現陵印に関心が向いています。令和になって、新しく御陵印を集めることにして、秋に行ったのですが、1カ所捺し忘れがあり行くことにしました。今回は捺し忘れた集印帳以外に奉書和紙を持って行き捺印することにしました。同じ捺すなら、美しく捺したいもの。朱肉が目詰まりしているところをきれいに除去し、元の太さで捺印することにしました。写真1,2枚目は陵印メンテナンス・ビフォーアフターです。メンテナンス前は文字が太くて濃く、どっしりとしています。目詰まり除去後は、文字は細くなり色が薄くなる印象がありますが、文字の1画1画がはっきりし美しい印影になります。皆さんはどちらの方がお好みでしょうか。私は細くてもクリアーな方が好きかな。目詰まりしてなかったら太くてはっきりしている印影も好きですが…。前回はやや目詰まり気味なのをそのまま捺印させていただいたので、今回は目詰まり朱肉を取り除いて捺印させていただきました。(特に宣化天皇陵印・斉明天皇陵印等は文字が細かく、目詰まりすると、画がつながったりしてしまいます。前回は掛軸に捺しましたが、目詰まりのまま高価な軸物に押したのがちょっと悔やまれました。)
 写真1枚目:左の印影が除去前、目詰まりを除去したものを一度捺印し(真ん中)、まだ不鮮明なところがあれば更に美しくします。(右の印影)例えば懿徳天皇陵印で、真ん中の印影の皇の文字の所に朱肉の塊があるので、その部分を美しくします。
 このようにするには時間がだいぶんかかります。印よって異なるでしょうが、1つの印に15分~20分程度かかりました。2時間程度かけて5つの印だけ美しくできて、捺印させていただきました。(1代~5代)畝傍監区の印を頂くだけでも、何度も通うことになりそうです。
 写真2枚目は、メンテナンスしていない状態で捺した後醍醐天皇陵印。右がよく練った朱肉を軽く捺したもの。真ん中はよく練った朱肉をしっかり力を入れて捺したもの。右は練っていない朱肉で固く乾き気味の朱肉で捺したもの。
 これから陵印を集めようとされる方は参考になさってください。(1年位前には、朱肉の状態や準備物等について書きました。)

写真3枚目は、陵印を彫った人物名が彫られています。かつてそれを調べていた人もいたそうですが、私も全陵印について調べて記録したいと思います。神武陵印を彫った人は、以前椿夫人様が紹介された印鑑職人の方のHPに、「仁明天皇深草陵」の陵印の印稿者として掲載されています。昭和期を代表する篆刻家です。(1975年に亡くなられたようです。)また神武陵印には、作者名以外に、作成した時期も記しています。(壬午五月松丸長敬刻)・・・・1972年ですね。

本日、休日にも拘らず長時間お世話をおかけした宮内庁の方にお礼申し上げます。ありがとうございました。

来週は寒くなるそうです。皆様お体ご自愛ください。今年は渋柿で干し柿を作っております。寒さで柿が腐る事もなく、甘くおいしく出来上がり、毎日食べてにんまり過ごしております。
 

大変ですね

 投稿者:陵墓探訪者  投稿日:2020年11月29日(日)11時43分20秒
  https://8918.teacup.com/ryobo/bbs/160   河内男 泉涌寺裏の陵墓参拝可否について

公務員さんも数年おきに人事異動があり確立した事を決めていなかった為に人により判断が違うのかも知れませんネ。あの私道は所有者と管理者と利用者の連携が取れてない。移動の多い宮内庁も安易判断が出来ないのでしょう。もしかしてあの私道は道路ではなく国有林の一部で林野庁の管轄なのかも。でも看板を読んで字のごとくだと民墓へ参拝以外は立ち入らないで下さい・・・と言う事は民墓を指定していると言う事は公墓は違うと言う意味に取れます。(つまり立ち入り禁止)ま~昭和50年以前の日本の土地の殆どが面積の登記は有っても地積測量図の登記が無い為に ”あの柿木、犬小屋、川までが私の土地”なんて口頭認識ですからお互いがかぶって訳判らんのかも知れません。まして無税の宗教法人所有なら余計です。

現在近畿圏で参拝が難しい/法的には?陵墓
嵯峨天皇皇后 嵯峨陵-------------落石危険の為参道入口で閉門数年続いている
後嵯峨天皇皇子 世良新王---------住職死亡の為拝観出来ず。ツアー頼り
沓塚陵墓参考地-------------------私有地に少し入らないと駒札に行けない
宇治陵 30.31号------------------私有地道路があり大きな看板で立ち入り禁止
青蓮院上墓地---------------------鍵が掛かっており正面からアタックできない
青蓮院下墓地---------------------参道は立ち入り禁止になっている。
履中天皇 陪冢に号 桧塚---------クボタ工場内。ツアー頼り
後鳥羽天皇皇子 道助親王墓-------住職の判断
有栖川宮墓地----------------------参拝非公開
仁明天皇皇子 人康親王墓----------参道は閉門/制札は民間駐車場から
小奈辺陵墓参考地 い/ろ号---------航空自衛隊敷地内。祭事頼り
東山天皇皇孫女 高覚女王墓--------同上
後嵯峨天皇皇后 姞子(きつし)分骨所------チェーンがかかっている。(外せばOK?)
顕宗天皇  陪冢は号--------------工場私有地内
天王塚陵墓参考地------------------非公開場所で社務所願い出る。ツアー頼り
陪冢ろ号 東酒呑塚  ろ号-------私有地内侵入。石標は公道から脚立が必要
知恩院宮墓地 長宮墓---------------一心院は門前で関係者以外立ち入り禁止
醍醐天皇皇孫 皇太子 慶頼王墓-----入口に柵が置いてあるが??
下坂本陵墓参考地 ほ/ろ号-----------季節によっては敷地内に入らないと見えない
その他、本来私有地で法的には許可が必要な場所も有るのかも知れない。

※上記は制札もしくは石標/門を見る行為の可否 ※望遠を使ってもどうにもならないのが有栖川宮墓地
※奈良・大阪は観光資源の一部として取り込まれているが京都は観光資源としては認めてない様で陵墓参拝人にとっては不親切。また寺院の中に有る事が多く住職に突然出会い拒否される事も有る。寺院内の陵墓は強気堂々に突き進むしかない。また田んぼの畦道を歩いていたら農家に怒られるし。
※墓を見る為に勝手に侵入している形跡(踏み道)がよく有る。管理人が鍵を開けるのがメンドクサイ?
※墓参以外立ち入り禁止と竹で通路を閉鎖されている天龍寺内・・一瞬立ち止まる
※皇陵墳墓の参拝以外通行禁止の龍安寺・・・・・・一瞬立ち止まる
※良純親王墓は言えないが他にもルートが有る。
 

泉涌寺内の良純親王墓について

 投稿者:はじめまして  投稿日:2020年11月29日(日)06時58分19秒
  はじめまして。
お伺いしたいことがあり、投稿させていただきます。
泉涌寺内に良純親王墓があることは、以前より色々なサイトに載っているので知っておりました。
2年くらい前に、月輪陵墓監区事務所を訪問し、職員の方より、直接許可をいただき、参拝させて頂きました。
こちらの掲示板にも2005年に許可されている旨の投稿があることを確認しております。
しかし、昨日、2020.11.28に再度参拝させて頂こうと思い、月輪陵墓監区事務所を訪問しました。
その時、対応して頂いた職員の方は、良純親王墓へは行けませんとのお返事でした。
いつからですか?と聞くと前からですと。
以前にこちらで許可を得て参拝させて頂きましたがと言うと、職員の方も驚かれ、いつ頃ですか?と。
2年くらい前ですと言うと、どういうつもりで言ったのかはわかりませんが、良純親王墓へは行けませんとのお返事がありました。
この時はとりあえず止めました。
もしかしたら職員の方も何かと勘違いされているかもしれないので、電話で民墓の中にあるのですが参拝はできませんか?と聞いたのですが、やはり行けませんとのお返事でした。
理由は、民墓へ行くには宮内庁の敷地を通ります。民墓へ行けるのは民墓の関係者だけです。だから一般の人は入れません。とのお返事でした。
私も、職員の方の対応の180度の違いに混乱しました。
同じ陵墓監区事務所内の職員の中でも対応が180度異なると困りますね。
 

(無題)

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年11月26日(木)22時58分38秒
編集済
  中尾山古墳の発掘のニュースが報道されていますね。
 読売新聞の記事   https://www.yomiuri.co.jp/culture/20201126-OYT1T50231/
  奈良新聞の記事   https://www.nara-np.co.jp/news/20201127090635.html
  サンケイニュース(ユーチューブ)  https://www.youtube.com/watch?v=cSlw0znDr1U

以前より言われていた文武天皇陵説を補強する発掘成果が掲載されています。現地説明会は28日・29日のようです。

今日もウワナベ古墳を見てきました。足場の鉄筋が撤去されトラックに積み込まれていました。奈良県の調査区のトレンチはまだ残っていました。後円部東北側の宮内庁調査地は白い土嚢が積まれていました。後円部北側の宮内庁第1トレンチには数名の人がおられ、作業をしておられました。その他の宮内庁のトレンチは全て埋め戻されていました。つい先日まで発掘調査されていたとは思えないくらい美しく自然な状態で、草木を伐採しただけのようになっていました


1枚目 後円部北東側・奈良県の調査地と土嚢が積まれた宮内庁調査地
2枚目 後円部北側・宮内庁調査地(宮内庁第1トレンチ)
3枚目 前方部先端西側・埋め戻された宮内庁調査地(11月6日の3枚目と同じ所)
 

ウワナベ参考地見学会

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年11月22日(日)20時08分41秒
編集済
   こんにちは。宇和那辺陵墓参考地の見学会に行って来ました。管理人様も(やはり)行かれたのですネ。見学会の様子と、発掘の成果は全て管理人様のビデオのとおりです。葺石や埴輪列は見ものでした。調査の結果、元の墳丘は現状255mより10~20m程度大きく、全長270~280m程度と推定されるというニュースも奈良県人には嬉しいです。
私が印象に残ったのは、次の2点です。
①墳丘裾部が浸食されて数十cmも庇状になっていること。
②約1600年の間に、3m以上も泥が堆積して元の状態とは変わっていること

宮内庁の護岸工事について、以前この掲示板で、「なるべく現状のままで・・・」とコメントしました。その時には大きな工事はせずに現状維持でよいのではないかという思いもあったのですが、現地で浸食の様子を見て考えが変わりました。現状は浸食がかなり進んでいると感じました。処置しないとどんどん浸食が進んでしまう危険な状態であることを実感しました、現状とは今の状態という意味で発言していましたが、築造当時と比べると、かなり変わってしまっています。どのような保護対策が良いのか難しいところですが、今回宮内庁がされる護岸工事は、未来に遺産を残すためにも、埋葬者を大切にお祀りするためにも必要なことであると感じました。護岸の方法について効果的であまり古墳を破壊しない方法が検討されていると思います。


宮内庁第1トレンチ前の見学用の台(管理人・fukuyama様の動画の1分30秒辺りの台です。)はギリギリ宮内庁管理地との境界に作られたものだそうです。台の足は濠の中、墳丘から3m程度離れたところにあります。その見学台の足が境界ギリギリのところに立てられているそうです。濠の一部も宮内庁の管理地になるのでしょうか。一般的に墳丘部は宮内庁、濠は法華寺町農家組合の管理と言われていますが、濠の水位は変化するので水位が上がれば、宮内庁管理地が水中に没する事もあるはずです。当日頂いた資料には、参考地の周囲20カ所に『界1』『界2』・・・と記されています。これがおそらく参考地の境界を表している物でしょう。よく陵墓にある境界を示す石や杭だと思われます。資料の図を見ると、宮内庁調査地と奈良市や橿考研の調査地の境界は確かに、この『界〇』で示された境界の線上になっていることがわかります。


 管理人様が書かれているように、コロナ禍の中での見学会は関係団体の多くの方の尽力で開催できた、感謝します。と言われていますが全く同感です。抽選による各班20名、シャトルバスも20名で移動、現地見学25分入れ替え制など、少人数でコロナ対策にも十分配慮されていました。見学用通路の手すりをこまめにアルコール消毒して下さってました。(調査部長さんもアルコールで手すりを拭いて下さっていました。)抽選というフィルターがかかりますが、少人数での見学会はストレスなく、気持ちよい見学会でした。

21日~23日の一般の見学会に先立ち、20日(金)に先行して見学会がありました。【おそらく報道関係者に対してのものだと思います。地元の人へも先行して実施する例も良くあります。】・・・新聞によると、研究者対象の見学会だったそうです。【】内は違っていました。
 たまたま近くを通ったときに見ただけなので詳しくはわかりませんが、10時半頃にいくつかの班に分かれて調査地や、古墳東側を歩いておられました。また、黒い制服をきた方が何名かおられました。調査地の通路を歩く人の先頭は黒い制服を着た方が歩かれ、先導されているようでした。黒い制服には金色のバッチがついていたように思います。(警察や消防では階級章をつけますが、そのバッチが何を表しているかはわかりません。)宮内庁の方かなと思いましたがわかりません。なお、今日22日には黒い制服を着た方々はおられませんでした。

今日は宮内庁担当場所のうち、前方部正面で発掘調査がされていました。前方部先端付近西側はもう埋め戻されたようで、葺石らしきものは濠の外からの観察では見えませんでした。見学会で公開されている場所以外の所は双眼鏡があると便利だと思います。


今日たまたま奈良市のハザードマップを見ていました。ウワナベ古墳の濠は「上鍋池」コナベ古墳の濠は「小鍋池」と表記されていました。昔、小鍋池にもんどりをかけて魚を取ったことがあります。30年近く前ですがブルーギルを取りました。

小那辺参考地の制札はよくわかりますが、宇和那辺参考地の制札は今はどこにあるのでしょうか。以前も話題になりましたが・・・・

 見学会の実現にご尽力いただいた方々に、私も感謝申し上げます。とても気持ちの良い見学会でした。どうもありがとうございました。
 

ウワナベ古墳調査発掘現地公開

 投稿者:fukuyama  投稿日:2020年11月21日(土)17時37分59秒
編集済
  このコロナ禍の中での、現地見学会を開催するにあたり全ての
関係者の苦労によって実施可能となったと思います。 感謝いたします。



http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/

 

宇和那辺陵墓参考地調査~現地見学直前

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年11月16日(月)21時11分6秒
編集済
  こんにちは。樹々の黄葉・紅葉がますます美しくなってきました。私の村は盛りを過ぎ、今朝は紅葉葉が散って地面に落ちていました。しかし盆地の奈良公園周辺はちゅど見ごろを迎えています。
 さて、連続投稿ですみません。ウワナベ参考地の発掘調査の様子を毎週見に行っています。14日(土)・15日(日)と見てきました。14日土曜日は、発掘調査はしていませんでしたが、足場の鉄筋を設置し、ブリッジを新たに作っていました。北側の県の発掘調査場所では、もともと1本だった橋が3本になっていました。(写真2枚目)10月27日投稿の1枚目の写真と比較してみてください。市の発掘現場にも見学用の台が組まれています。(写真1枚目・3枚目)来週の見学会のための設備だと思われます。
 宮内庁担当の発掘も進んできています。
 

ウワナベ参考地の調査~その3

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年11月 6日(金)03時25分44秒
編集済
  ウワナベ古墳の発掘調査が進んでいます。今回の発掘は宮内庁・奈良県(橿原考古学研究所)・奈良市(教育委員会)の3者合同の調査で、墳丘部は宮内庁が、濠の部分は奈良県と奈良市が担当しているそうです。発掘場所は宮内庁が13カ所で墳丘裾部の調査で、護岸工事のための事前調査という事です。濠の部分は奈良県が1カ所(濠北側)、奈良市が3カ所(後円部北側・東側・くびれ部)になるそうです。(県の担当場所は前回の写真1枚目)(写真1枚目は東側)
西側は濠の外からよく見る事ができます。(写真2枚目は西側・宮内庁担当場所?)
前方部南西角付近の調査地では、窓のように矩形に発掘された部分がぎっしりと葺石が敷かれているのが見えます。(写真3枚目)同じような葺石は他にも1カ所見る事ができました。


11月6日に、現地見学の参加証が郵送されてきました。第2希望だったかな?応募多数の時は抽選という事だったので心配していましたが当たりました。嬉しいです。
現地見学は、奈良市・奈良県担当の場所だけで、宮内庁の調査地は見学の対象にはなっていません。

奈良テレビニュース
http://naratowa.jp/category/detail/index_nara.php?category_id=7&id=679633093176788065
奈良新聞
https://www.nara-np.co.jp/news/20200919093624.html

今年の秋は急に寒くなり、朝晩大きく冷え込むことが多かったです。そのため今年の紅葉・黄葉はとても色鮮やかです。奈良はそろそろ真っ盛りの季節を迎えます。標高400mの私の家の近くの古刹のもみじも赤く染まっています。

高遠さくら様
 大変でしたね。お体はいかがですか。早く回復されますようお祈りいたします。
 

(無題)

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年10月27日(火)19時16分46秒
編集済
  ウワナベ古墳の調査の様子の続報です。前回は10月15日(木)の様子でした。その後17日(土)?と24日(土)?にも見てきました。土曜日は作業も休みで現場はシートが掛けられていました。前回は濠の底中心でしたが、今回は墳丘部1段目のテラスも調査を始めたようで、後円部に2カ所シートが掛けられていました。また前方部の先端の中央部も、伐採され脚立や荷物が置かれています。前方部南西端もポイントが打たれているようで、こちらも同じように調査が始めるように思います。
 濠には北側から小川が流れ込んでいました。今まで気付きませんでした。今では周囲を自動車で1周することができますが、私が初めてウワナベ古墳をよてい見学に行った40年前には、前方部の濠の外側は幅50cm程度の草に覆われた道があるだけでした。人間の姿を隠すくらいの背の高い草の間の道を歩いていた時、蛇を踏んでしまい、後ろを歩いていた友人の方に飛び上がったという事を思い出しました。20年くらい前までは前方部の道は西側半分くらいまでしかなかったと記憶しています。
 前回紹介した赤い鯉は、いつ行っても後円部北西側の濠で泳いでいました。

写真1枚目  後円部濠の底の調査場所と、墳丘1段目テラス部の調査
写真2枚目  後円部北西側の墳丘部の調査場所 ここは前回もありました。その時は修理場所かと書きましたが、やはり調査の一環のようです。
写真3枚目   前方部真ん中の調査予定(?)場所
 

宇和那辺参考地(ウワナベ古墳)の調査の様子

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年10月16日(金)23時04分56秒
編集済
   こんばんは。昨日(10月15日)Fukuyama様がご紹介下さったウワナベ古墳の調査の様子を見てきました。
 10月10日に、ウワナベ古墳の東側の国道24号線を走ったときに、周濠の水が減っていたことは既にお伝えしましたが、調査も実施されているだろうと思い、仕事で近くに行った時にウワナベ古墳に回りました。その時の様子をお伝えします。

①西側くびれ部辺りの周濠では、墳丘と接する所から四角形(のように見える)の区画に数本棒がが立てられ、そのエリア内は水がなく、1名の調査員の方が調査をしておられました。
②東側は、水が減っているため、墳丘沿いは数m程度の幅で底が出ていて歩ける状態になっていました。私が見た時には3人の調査員の方がくびれ部から前方部角へ歩いて来られ、更に前方部正面部の方に行かれました。また別の調査員の方もくびれ部辺りにおられました。
更に墳丘部1段目テラス部には水色っぽい制服?を着た1名の方がおられ、前方部角からくびれ部に歩いて行かれ、また前方部角に戻ってこられました。調査員の方とは違う服装で、墳丘テラス部を歩いておられることから、宮内庁の方かもしれません。(写真1枚目)
③後円部北東の周濠には簡易の橋が渡されています。橋は墳丘まではつながらず、手前まで終わっていました。この辺りは板塀などで水を完全にシャットアウトしており、周濠の底に何か敷いて作業しているように見えました。この場所で周濠の底を詳しく調査しているようです。多くの方が作業をしておられました。(写真2枚目)
④後円部北西側では、墳丘部に土砂がむき出しの部分があり、シートが掛けられています。その場所の周濠にも板塀で囲まれた所がありました。墳丘部の調査でしょうか?あるいは雨などで崩れた箇所の修理かもしれません。周濠は北側の水底が、南側より高いようで、水が少なくなっていました。青鷺がエサを探し、水のなくなった泥地を赤い鯉が這いずっていました。(写真3枚目)

濠を渡っての現地説明会はこの場所、北側の周濠になるのかもしれません。さすがに墳丘に一歩でも上るようなことはないでしょう。

現地説明会の申し込みをしました。抽選で当たるといいな・・・


因みにお隣の小那辺参考地の濠の水は満々と湛えられていました。駒形制札が前方部南西角に立てられていました。

 

「京都ぶらり歴史探訪」の予告編なら

 投稿者:fukuyama  投稿日:2020年10月15日(木)21時01分16秒
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  「京都ぶらり歴史探訪」の予告編なら youtubeのBsAsahi公式にあると思います




http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/

 

後水尾天皇髪歯塚にTVが入った!

 投稿者:大垂水酔鳥メール  投稿日:2020年10月15日(木)12時56分49秒
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  ★追記★しました

10月14日のテレビ番組「京都ぶらり歴史探訪」を見ていたら、な、なんと!!
https://www.bs-asahi.co.jp/kyoto_burari/lineup/prg_093/

相国寺の僧侶が番組のメインキャスト中村芝翫ほか1名を引き連れて、後水尾天皇髪歯塚の拝所の前に
やってきて、本来は入れないが宮内庁から特別の許可で‥と言って拝所の鍵を開けて中に入り‥
えっ?マジで!!
CM(演出効果抜群!?)
陵名石標の所まで入って行って髪歯塚の由来について説明をしたのです。
番組のこのシーンはCMを除外して約2分ほど。
陵名石標を撮るだけならズームでも簡単に撮れるし、拝所には駒形制札もあるし、何で中に入る必要が
あったのか、何で宮内庁が許可したのか意味不明。

この番組、放送後一ヶ月以内に再放送するケースが多いので、興味ある方はどうぞ。

★追記★

fukuyamaさま、youtubeで過去の予告編が残っているとは知りませんでした。
最新の予告編は上記リンクの番組公式ホームページで見られます。
興味ある方は上記のリンクからトップページに遷移して再放送の確認をして下さい。
現時点では10月21・28日は当該回の再放送ではないようです。

 

(無題)

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年10月14日(水)02時18分28秒
  fukuyama様
 ウワナベ古墳の情報ありがとうございました。早速申し込みました。
 先日、ウワナベ古墳横を通りました。濠の水が半分ほどになっていました。
 調査の関係で減らしているのかな?と思いました。
 

明日香村

 投稿者:fukuyama  投稿日:2020年10月 4日(日)20時47分33秒
編集済
  防草シートですか、参考地と接する民有地は駐車場なのですが
何かクレームとかの対応なのでしょうか。

陵墓ではないのですが、墳丘にシートがかけられてたのは
明日香村の中尾山古墳、墳丘規模や形態、範囲確認の発掘調査のためでした。


今回は欽明天皇陵飛び地経塚に行くのは断念しました。(藪が酷くて)

写真は
中尾山古墳、畝傍陵墓参考地、宣化天皇身狭桃花鳥坂上陵

http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/

 

(無題)

 投稿者:陵墓マニア  投稿日:2020年10月 4日(日)01時44分6秒
  fukuyamaさま

ご覧になったのは防草シートだと思います
地面にシートを張るだけですので、調査はないでしょうから書陵部紀要にも載らず、
安価なため、入札案件にもならないものと思います
 

陵西陵墓参考地

 投稿者:fukuyama  投稿日:2020年10月 2日(金)20時46分28秒
編集済
  今回傍丘部管轄の陵墓を幾つか参拝したのですが

コロナ禍で現在では オフィス 間仕切りというかデスクとデスクの間にパーテーションを設置している所も多いと思いますが

宮内庁の陵墓事務所も例外ではないようですね
武烈天皇陵傍丘部事務所に


15年ぶりぐらいで陵西陵墓参考地に
東側の前方部に台風被害処理なのか防災の為かわからないのですがシートが一部貼られてましたが

『書陵部紀要』にも公共工事の入札・契約情報でも見た記憶がないのですが

http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/

 

ウワナベ古墳範囲確認調査

 投稿者:fukuyama  投稿日:2020年 9月20日(日)14時59分16秒
編集済
  ウワナベ古墳範囲確認調査が行われます。

奈良県・奈良市・宮内庁の三者同時の調査です
行政と宮内庁との合同調査は、百舌鳥陵墓参考地などでも
実施されてきましたが、奈良では初めてのようです
コロナ禍の為 周濠を渡っての現地説明会は事前 申し込みのようです。

申し込みが始まっています ↓

https://event.nara.jp/sp/uwanabekofun

http://www.eonet.ne.jp/~ryobo-youran/

 

こんなのが・・・・

 投稿者:レプトン  投稿日:2020年 9月19日(土)11時55分36秒
編集済
  こんなのが発売されたようです。
「あつめて回ろう『御陵印』」(小学館) 9月10日発売
https://www.shogakukan.co.jp/books/77803622

 じわじわと人気の出てきた御陵印収集、子供向けの集印ガイドブックで人気に火が付くか?
  子供向けというわけではないようですが、陵印収集の敷居が低くなるかもしれませんね。


最近ネット環境のないところでの生活をしております。皆様のご教示にお礼も言えずにすみません。
 

伊予親王巨幡墓の旧経路

 投稿者:大垂水酔鳥メール  投稿日:2020年 9月13日(日)13時37分38秒
編集済
  クジラのカツ揚げ さま

玉津団地1号棟からのアクセスですが、飛地への正式な経路ではなく貯水槽への経路に宮内庁が便乗?したもの
だと私は理解していました。
そして老人ホームの方からのアクセスが宮内庁の正式な経路なのか、はたまたそちらも別の用途の経路に宮内庁が
便乗?したものなのかが私の知りたい問題意識です。

伊予親王巨幡墓の旧経路については、過去に二度投稿しておりますのでご参照下さい。

2008年3月3日 該当部分の再掲

伊予親王巨幡墓は、以前は南側の私有地(寮か社宅)の入口の横から畑の畦道?に入る分かり難い場所でしたが、
その後の宅地開発に伴い北側の住宅団地から入れるようになり、現在は拝所のすぐ北側まで民家と道路が来て
おります。ちなみに南側の畦道?は途中でえぐれて行き止まりとなりました。

2008年7月30日は写真付きで解説しているので該当投稿を直接ご参照下さい。

旧経路は写真の←方向の緩やかな上り坂でした。
 

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